2017年1月29日日曜日

ジミー・ペイジは下手だったのか?<前編>

僕が高校の頃、ロック・ギタリストの最高峰といえばジミー・ペイジだった。
レッド・ツェッペリンが4枚目のアルバム(1)を出した頃で、ディープ・パープル黄金
期のリッチー・ブラックモアと人気を二分していたと思う。(2)

巷のアマチュア・バンドのギタリストたちは猫も杓子もジミー・ペイジの真似をして、
レス・ポールを腰下の低い位置にかまえて弾いていた。
当時グレコのエレキギターを購入すると成毛滋の教則カセットテープがもらえた(3)
そうだが、その成毛滋の弾き方、服装もまんまジミー・ペイジだった。



時代は変わり1970年代後半にはウエストコースト・ロック、AOR、パンク、ニュー
ウェーブと新しいムーヴメントが生まれ、ツェッペリンはダイナソー(恐竜=時代遅
れ)・ロック、オールド・ウェイヴというレッテルを貼られるようになる。

スティーヴ・ルカサーやエディ・ヴァン・ヘイレンなど超絶テクのギタリストたちが
台頭する中、ジミー・ペイジは下手だったのではないか?と囁かれるようになった。

確かに「Heartbreaker」の間奏など、早弾きになると隣の弦に触れてかなり雑
(左手の運指と右手のピッキングがシンクロせず一音一音の粒が揃っていない)印
はある。


ジミー・ペイジは下手だったのか?
かつてセッション・ギタリストとしてその名を轟かせていたというが、本当に下手だ
たっらスタジオの仕事なんて務まらなかったのではないか?








<セッション・ギタリストで磨かれたバッキングとソロの妙>

ジミー・ペイジは1963年頃からアートスクールに通うかたわら、セッション・ギタリ
ストとして活躍していた。
その演奏力は評判になり、ジェフ・ベックやエリック・クラプトンとの交遊も始まる。


1963年~1965年にペイジが参加したレコーディングは、ザ・フー、ローリング・ス
トーンズ、キンクス、ドノヴァン、ジョー・コッカーなど多数。売れっ子だったのだ。

当時はセッションマンがクレジットされない、公表されないのが通例。
プロデューサーが保険の意味でセッションマンを雇うケースもあり、その演奏が最終
的に使われないこともあった。
ペイジ自身も自分の演奏がどこで使用されたか知らされないことも多かったらしい。


スタジオでセッション・ギタリストに求められたのは、歌をひき立てるバッキング、
簡潔でインパクトのあるイントロ、オブリ、間奏である。
ペイジは数々のセッションをこなすことで鍛えられ、どんな楽曲のどんな要求にも対
応できるギタリストになったのだ。

ドノヴァンの「Sunshine Superman」やジョー・コッカーの「With A Little Help 
From My Friends」でペイジが弾いたリフ(4)は特徴的で曲を強く印象づけている。




↑ジョー・コッカーの「With A Little Help From My Friends」が聴けます。




<ヤードバーズ加入からレッド・ツェッペリン誕生まで>

ペイジはクラプトン脱退後のヤードバーズへの参加を要請されるが辞退。
代わりに旧知のジェフ・ベックを推薦する。

が、そのベックに誘われ、ペイジはヤードバーズにベーシストとして加入。
直接的な動機は「スタジオから抜け出てライブ演奏がやりたかった」という。
目立ちたがりで我が強いベックとしては「ジミーなら出しゃばらず、卓越したバッキ
ングで俺の演奏をサポートしてくれそう」という読みがあったのかもしれない。


ベックが扁桃腺炎で療養中にギターに転向し、ベックの復帰後はツイン・ギターのス
タイルがヤードバーズの売りとなる。



↑映画「欲望」(5)にカメオ出演したヤードバーズの「Stroll On」が視聴できます。
ギターを壊すベックと対照的にクールにビートを刻むペイジに注目!




が、ベックは脱退。音楽性を巡る不仲からヤードバーズは1968年に解体。
ペイジはバンド活動存続を望み新メンバー集めを試みる。

ロバート・プラント、同じセッションマンとして親交のあったジョン・ポール・ジョー
ンズ、ジョン・ボーナムと最強のメンバーが揃いレッド・ツェッペリンが誕生した。




<計算され尽くしたセンスのいい演奏>

ジミー・ペイジは思うままに延々とアドリヴ(インプロヴィゼイション)を続ける
ようなギタリストではない。

予め作り込んだ(独創的かつ曲の根幹を成すような)フレーズを弾く。
あくまでも楽曲重視、ヴォーカル重視、バンド・アンサンブル重視のバッキングとソ
ロに徹する、いわばアレンジ型のギタリストなのである。


たとえば1枚目のアルバムの「Good Times Bad Times」の間奏を聴いて欲しい。

左右のトラックからソロが聴こえるが、テープ・ディレイによるダブル・トラッキン
グではなく同じフレーズを2回弾いているのだそうだ。アドリヴではできない技だ。
ペイジが練りに練ったソロでテイクを重ねていることがよく分かる。




↑クリックすると「 Good Times Bad Times」が聴けます。



そういう意味ではジミー・ペイジは(ちょっと乱暴な括り方だが)ジョージ・ハリソン
と同じタイプのギタリストと言えるかもしれない。

二人とも天性のセンスの良さ、タイム感、リズム感、アレンジ型という点で共通する。
ジョージの場合は二人の天才、ジョンとポールの楽曲力と演奏力のおかげで鍛えられ、
ペイジはスタジオ・セッションを繰り返すことで、曲を魅力的にするバッキングやフレ
ージングを生み出す技を身につけたのだと思う。



なので、ペイジのギターの評価は細かい演奏テクニック云々、正確にピックが当たって
いるかどうか、ミスノートやノイズがどうのこうのという粗探しではなく、バッキング
の的確さやリフのカッコよさ、ソロにおけるフレイジングの妙に向けられるべきである。

リッチー・ブラックモアがペイジを「頭のいい(Clever)ギタリスト」と評したのも、
その辺を言い当てているのだろう。



前述の成毛滋はジミー・ペイジ・フォロワーだったが、後年「ジミー・ペイジは2枚目
までは上手かったが3枚目以降は下手になった。ヴァン・ヘイレンと比べるとお粗末」
発言している。

ではその成毛滋はどうかというと、確かに早く正確に弾く、凄い音を出せるという点で
は巧いけど、すべてどこかで耳にしたリフでオリジナリティーがない。
すごいなーと曲芸師を見るような驚きはあるが、音楽的にはおもしろみが無かった。







<むしろプロデューサーとしての特出した才能>

ジミー・ペイジの凄いところは、単にギタリストではなく優れた作曲家であり、アレン
ジャー、プロデューサーであり、サウンド・クリエイターでもあった点にある。
ペイジは徹底的に「音」にこだわっていた

自らのギターだけでなく、ボンゾの破壊的なドラムのど迫力、ジョンジーの流れるよう
なベースランニング、プラントの孤高のヴォーカルをバランスよく配し、それでいてガツ
ンと塊になって攻めて来るような力強い音作りを実現していた。


以降のハードロック〜メタル系のお手本となったわけだが、ツェッペリンとピンク・フ
イドほど深み、陰影や妖しさを秘めた美しいロックはないと僕は思う。



ペイジはツェッペリンのライヴもすべて録音して、自分で管理していたと言われる。

新宿や渋谷のブート店にペイジが来店した際、店主と仲良く記念撮影した写真が飾ってあ
るのを見かけたことがある。
彼は来日する度に足繁くブート店を回り、ツェッペリンのライヴ音源を収集していた。
摘発するためでもあったが、完璧なライヴ盤リリース(6)の参考にしていたらしい。







<ビジュアル、アートであることへのこだわり>

ペイジのこだわりは当然のことながらギターにおいても徹底している。
使用ギターについては次回まとめるつもりだが、冒頭に記したような「極限まで低い位置
までギターを下げて弾く」あのスタイルがなぜ生まれたのか?には触れたいと思う。
明らかに弾きにくい。あれではミスタッチが出るのは当たり前だ。


ペイジによると「ほんの遊び心でギターをどれだけ低くして弾くことができるか試してい
たところ、あのような形で定着してしまった」という話だ。
彼はビジュアル面でも唯一無比であることを模索していたのだのではないか。

ヴァイオリンの弓で弾くボウイング奏法、ダブルネック・ギター、テルミンを使ったパフ
ォーマンスなども音楽的な必然性だけでなく、視覚的なアピール力も狙っていたはずだ。


ヒプノシス(7)によるジャケットのカヴァー・アート、四人のシンボルマーク以外は一切の
文字情報が記されない(題名すらない)ジャケット(8)など、レコード会社の反対に屈する
ことなく、妥協することなくペイジはグラフィック・デザインにも徹底的にこだわった。


彼にとっては「レッド・ツェッペリン」というイメージこそが重要であった。
ツェッペリンは単に大金を稼ぐ商業的バンドではなく、芸術そのものだったのだ。

そういう意味で、バンドの「ブランド」をしっかりマネジメントできた世界初の例であっ
た(ビートルズですら現役時代はできていなかった)のではないだろうか。






<まとめ>

ジミー・ペイジの才能はむしろ作曲力、プロデュース、アレンジ力にある。
ギターはその表現方法の一つで、ペイジは楽曲を最大限に魅力的にするバッキング、リフ、
ソロを作り出すということにかけては天才だった。
だから演奏技術において「下手だったのか?」という論議は不毛だと僕は思う。



最後に1983年のロニー・レーンARMSコンサート(9)で共演が実現した三大ギタリストの

演奏を聴いてもらいたい。

クラプトンは余裕たっぷりで渋く決めている。
ベックはやんちゃなギター小僧といった風情であいかわらずトリッキーなプレイ。
ペイジはラリってるのか終始ヘロヘロだったけど。。。。ま、いっか。

これを見ると三者三様でいいなあ、と僕はうれしくなってしまう。



↑クリックすると三大ギタリスト共演の「Layla」が視聴できます。


<脚注>

2017年1月14日土曜日

かわいい娘たちが勢ぞろい。

高校の頃よく授業をサボって名画座で映画を観た。悪友が誘うのだ。
映画は行き当たりばったり。西部劇やB級サスペンスが多かった。

二本立てを観て外に出るとまだ明るい。「つまんなかったな」と彼はいつも言う。
だが数日後また僕を誘った。「よう、午後からふけて映画観に行こうぜ」



どの映画を観たのかほとんど憶えてない。
だが三つだけ、なぜか鮮烈に記憶に残っている映画がある。



その一つが「課外教授」(1)というアメリカのB級学園ミステリー(1971)。
アメリカの田舎町の高校で起きた女生徒連続殺人事件を描いた作品だ。





フットボールのコーチも担当している教頭のタイガー(ロック・ハドソン)は
野生的で、女子学生たちから人気がある。が、彼には裏の顔があった。
心理テストと称して部屋を締め切り、何人もの女子生徒と関係を持っていたのだ。

タイガーに疑いの目を向ける腕きき刑事にテリー・サバラス。
まだ初体験がない男子学生ポンセに手ほどきをする色っぽい代理教師をアンジー・
ディキンソンが演じていた。
ポンセはチアリーダーの死体を発見。学園内の殺人は続く。。。


原題は「Pretty Maids All In A Row」。
かわいいチアリーダーたちがずらっと一列に並んだ光景を想像してしまう。
この映画の「Pretty Maids」は次々タイガーの生贄になる女子学生たちだった。








名盤の誉れ高いイーグルスのアルバム「Hotel California」のB面3曲目に
Pretty Maids All In A Row」という、映画の原題と同じ曲名がある。

ジョー・ウォルシュによる静かで壮大なスローワルツだ。
ギタリストのジョーがピアノを弾き、ヴォーカルもとっている。



曲の内容を見てみよう。



Pretty Maids All In A Row (Joe Walsh 拙訳:イエロードッグ)(2)

Hi there, How are ya?  it's been a long time
やあ、元気かい? ひさしぶりだな
Seems like we've come a long way 
俺たちもえらくなったもんだ
My, but we learn so slow 
俺は、いや、俺たちは学ぶのに時間がかかるからな
And heroes, they come and they go 
いろんなやつらが現れては消えていった
And leave us behind as if we're supposed to know why 
俺たちは置いてけぼりさ どうしてそうなるのが分かってたみたいにね

Why do we give up our hearts to the past? 
俺たち、どうして昔の気持ちに浸っちゃうんだろう?
and why must we grow up so fast? 
どうして大慌てで成長しなければならないんだろう?

And all you wishing well fools with your fortunes 
幸せになりたい、と君はいつも願っていたっけ
Someone should send you a rose with love from a friend, 
誰かが君にバラを贈ればいいのかな 友より愛をこめってってね
it's nice to hear from you again and the storybook comes to a close 
また連絡してくれてうれしいよ じゃあ、この話しはもうおしまい
Gone are the ribbons and bows  Things to remember places to go 
プレゼントをあげたのは遠い昔のこと 大切なのはどこへ向かうかってこと
Pretty Maids all in a Row... 
愛しき日々よ




↑クリックするとイーグルスの「Pretty Maids All In A Row」が聴けます。


「Pretty Maids All In A Row」という一節は最後に出てくるだけだ。


この曲を書いた時ジョー・ウォルシュは30歳になるかならないかくらい。
一年前にイーグルスの正式メンバーとなったばかりだ。

ジェイムス・ギャング、バーンストーム、ソロと活動して来てイーグルスのメン
バーまで登りつめたジョーが、それまでの人生に想いを馳せているかのようだ。
ジョーが青春を過ごした1960年代、アメリカが豊かで輝いていた時代への憧憬、
とも取れる。





われわれ日本人にはあまり馴染みがないが「Pretty Maids All In A Row」は、
マザー・グース(3)の「へそ曲がりのメリー(Mary, Mary, Quite Contrary)」
に出てくる一節である。



Mary, Mary, quite contrary, How does your garden grow? 
メリー、メリー、本当にへそ曲がりさん、あなたのお庭はどんな感じ?

と訊かれ、ひねくれ者のメリーは花の名を答えるかわりにこう返す。


With silver bells and cockleshells, And pretty maids all in a row. 
銀の鈴や貝殻や かわいい女の子たちが並んでいるの

            (Mother Goose 拙訳:イエロードッグ)



↑クリックすると「Mary, Mary, Quite Contrary」が聴けます。



実際はスズラン、カイガラソウ。女の子たちというのは何の花だろう?
この童謡を描いた絵の中には、花の中に女の子の顔ついてるちょっと怖い、
シュールなものもある。


また、奥に「黒い歴史」が隠されている、という解釈もある。
メリーとは、即位後にプロテスタントを迫害し300人以上処刑したといわれる
イングランド女王のメアリー1世(4)のことで、庭とは処刑された人たちの墓地を
指している、というのだ。







その真偽はともかく「Pretty Maids All In A Row」は愛しい大切なものを表す
メタファー(隠喩)なのだろう。
ひねくれ者のメリーにとっては庭のかわいい花であり、ジョー・ウォルシュがそ
う感じたのは(歌詞の流れから察すると)過去の日々なのではないかと思う。




僕はかねてから「ジョー・ウォルシュ加入前のカントリーロックの頃のイーグル
スが好き」とことあるごとに言ってきた。
しかし、ジョーの加入でイーグルスの音に厚みが増しパワーアップしたこと、
よりコンテンポラリーな音楽を聴かせるバンドになったことは認める。

そしてジョーがファンキーかつワイルドなギタリストであるだけでなく、優れた
ソングライターであり、イーグルスの音楽性を広げたのも事実だ。



脱退したバーニー・レドンの曲について、ドン・ヘンリーとグレン・フライは「
歌詞がでたらめ」と辛辣な評価をしていた。
ドンとグレンが「楽曲の質こそバンドの要」と考えていたからだと思う。


ドン・フェルダーは自分が過少評価されている、後から入ったジョーの曲は採用
されヴォーカルも任されるのに自分にその場が与えられないのは不公平だ、と
不満を述べしばしばグレンと衝突していた。

それはジョーのソングライティング力、歌唱力がドンとグレンのお眼鏡にかなっ
たからであり、残念ながらドン・フェルダーの場合はその域に達していなかった
ということなのだろう。(ギタリストとしての腕は最高だったが)






グレン、ドンとジョーとの付き合いは1974年に遡る。(5)
プロデューサーのビル・シムジク(6)とイーグルスの出会いはジョーがきっかけ。
ジョーをイーグルスに誘ったのはドン・フェルダーだった。

「Pretty Maids All In A Row」はそんな日々に想いを込めた曲ではないか。
そしてこの曲の後もジョー・ウォルシュの友情物語は続くことになる。


1994年イーグルス再結成の話が持ち上がった時、ジョー・ウォルシュはドラッグ
とアルコールの中毒から抜け出せず苦しんでいた。
ドン・ヘンリーとグレン・フライはよれよれだったジョーに手を差し伸べ、「君
が必要だから」とジョーの復活を辛抱強く待ってくれたという。


<脚注>

2016年12月30日金曜日

早すぎたジョージ・マイケルの死。

今年はロックの巨人たちが相次いでこの世を去った。

デヴィッド・ボウイ(1/10)、グレン・フライ(1/18)、モーリス・ホワイト(2/3)、
ジョージ・マーティン(3/8)、キース・エマーソン(3/10)、プリンス(4/21)、レオン
ラッセル(11/13)、グレッグ・レイク(12/7)。

そして年も押し迫った25日、ジョージ・マイケルの訃報を知った。




彼を初めて知ったのは1983年の年末だった。
アンドリュー・リッジリーとワム!という二人組で活動していた頃である。

スキーツアーの宿泊先のテレビでたまたま「レッツゴーヤング」というトホホな
タイトルの番組(1)をやっていて、ワム!がゲスト出演していたのだ。

司会の太川陽介の紹介されワム!は踊りながら口パクで「Bad Boys」を歌った。
ノリのいいリズム、すぐ一緒に口ずさみたくなるようなメロディ、ポップなのに
大胆な曲調、ヴォーカルのキレに「これはただのアイドル・グループじゃない!
と確信したものだ。



ワム!はプロモーションのため初来日していたらしい。
この後「Club Tropicana」「Wake Me Up Before You Go-Go」「Careless 
Whisper」(2)、「Last Christmas」「Freedom 」と立て続けにヒットを飛ばす。

1984年には日立マクセルのカセットテープのテレビCMに出演している。
「Bad Boys」と「Freedom 」が使われた。(両方とも歌詞はCM用オリジナル)
翌1985年には来日し日本武道館などでマクセル提供のコンサートを行った。



↑「Bad Boys」が使われたマクセルのカセットテープのCMが見れます。



↑「Freedom 」が使われたマクセルのカセットテープのCMが見れます。





1986年にワム!を解散後、ジョージ・マイケルはソロで活動し始める。

その彼が久しぶりで姿を現したのが1986年6月20日のプリンス・トラスト
チャールズ皇太子主催のチャリティ・コンサートで、ロックが好きだった故ダイア
ナ妃の希望で豪華な面々が集結した。

エルトン・ジョン、フィル・コリンズ、ティナ・ターナー、エリック・クラプトン、
マーク・ノップラー、スティング、ロッド・スチュワート、デヴィッド・ボウイ、
ミック・ジャガー、ポール・マッカートニー、スザンヌ・ヴェガ、ポール・ヤング、
レヴェル42、ティナ・ターナー、そしてジョージ・マイケル。


1979年にウィングスの日本公演が幻となったポール・マッカートニーがそれ以来
初めてライヴに出演し大トリで「I Saw Her Standing There」「Long Tall Sally」
「Get Back」の3曲を歌ったこと(これがきっかけでポールはライヴ活動を再開)
は大きな話題となった。





大物アーティストたちによるデュエットもこのコンサートの目玉となった。
ミック・ジャガー&デヴィッド・ボウイの「Dancing in the Street」、エリック
・クラプトン&ティナ・ターナーの「Tearing Us Apart」マーク・ノップラー
&スティングの「Money For Nohing」と見所が満載。(3)


中でも一番印象に残っているのが、ジョージ・マイケルがポール・ヤングと一緒に
「Every Time You Go Away」を歌ったシーンだ。

前年ポール・ヤングが歌い全米1位を獲得した大ヒット曲である。(4)
(LAではカーラジオからこの曲がヘビーローテーションでかかっていたものだ)


オーディエンスも思いがけない二人のデュエットにひときわ盛り上がった。
無精髭をたくわえたジョージ・マイケルは魅力的でカッコいい。
先輩格のポール・ヤングとの息のあったデュエットを聴かせてくれ、しかも二人と
も楽しそうなので見てる側も嬉しくなった。



↑ジョージ・マイケル&ポール・ヤングの「Every Time You Go Away」が見れます。



1987年ソロ転向後の1st.アルバム 「Faith」 が大ヒット。
翌1988年はワールドツアーを実施。日本でも武道館などでコンサートを行った。

1990年には2nd.アルバム「Listen Without Prejudice Vol. 1」を発表。
本来2枚組になる予定だったが制作が間に合わず、続編として出す予定だったVol. 2
はソニー・ミュージックとの裁判が泥沼化してお蔵入りになってしまう。(5)

翌1991年、東京ドームを皮切りに2度目のワールドツアーを開始するがイマイチ。
ジョージ・マイケルこの後ツアーをやめると宣言。(6)



ジョージ・マイケルが神がかり的な歌唱力と存在感を見せてくれたのは、1992年
4月に開催されたフレディ・マーキュリー追悼コンサートであった。
残されたクイーンのメンバー3人ブライアン・メイ、ロジャー・テイラー、ジョン・
ディーコンが中心となりエイズ撲滅のために行われたチャリティー・コンサートだ。

1985年のライヴ・エイドでクイーンが伝説的なパフォーマンスを行ったロンドンの
ウェンブリー・スタジアムが会場に選ばれた。
72000席のチケットは発売開始から2時間で完売したという。

エルトン・ジョン、デヴィッド・ボウイ、ポール・ヤング、ロジャー・ダルトリー、
ロバート・プラント、アニー・レノックスらがクイーンと共演。



ジョージ・マイケルもクイーンの3人の演奏で「Somebody To Love」「These 
Are The Days Of Our Lives」「’39」の3曲を披露。(7)

ロンドンの聖職者たちによるゴスペル・コーラス隊をバックにジョージ・マイケル
熱唱した「Somebody To Love」は後に語り草になった名パフォーマンス。
この評判からジョージ・マイケルがボーカルとして加わり、新生クイーンが誕生す
るのではないかという噂さえ流れたほどである。(8)



↑ジョージ・マイケルの訃報で公開された「Somebody To Love」リハーサル映像。
本番よりいいくらいの出来!出演者の一人、故デヴィッド・ボウイも映っている。



最後に僕のお気に入りの「Heal the Pain」(1991)を紹介しよう。(9)
流れるような美しいメロディーと心地よいリズム、シンプルな楽器編成の静かな
ラヴ・ソングで、彼の作品の中でもとびきり素敵な曲だ。

エルヴィスやフレディ、フランク・シナトラ、スコット・ウォーカーと同じよう
に、ジョージ・マイケルは神様から特別な声を授かった人なんだと思う。
ありがとう。ジョージ・マイケル。安らかに。


How can I help you  Please let me try to 
辛いことがあるの? 僕にできることはないかな
I can heal the pain  That you're feeling inside  Whenever you want me 
その心の傷 僕なら癒してあげられると思うんだ どんな時でもね
You know that I will be Waiting for the day  That you say you'll be mine 
僕のことを好きと君が言ってくれる日をずっと待ってるよ 

             (作:ジョージ・マイケル、拙訳:イエロードッグ)


↑クリックするとジョージ・マイケルの「Heal the Pain」が聴けます。

 
<脚注>

2016年12月24日土曜日

2000年以降のメリー・ホプキンの作品。

◎機会があったらぜひ聴くべし △悪くはない  △コアなファン向け
(すべて独断と偏見によるお薦め度です)


メリー・ホプキンはMorgan Hopkin Music(後にMary Hopkin Music)を設立。
2005年から未発表音源や新作をリリースするようになった。
当初は自社のサイトでのダイレクト販売だったが現在はAmazonでも入手できる。


第一弾は1972年英国のロイヤル・フェスティバル・ホールでのコンサート音源
突然のリリースに、こんな音源があったのか!と驚き喜んだものだ。

シンガー&ソングライターのラルフ・マクテル(1)、ブライアン・ウィロビー(gt)、
ダニー・トンプソン(b)といった英国トラッド・フォークの実力派、そして夫トニ
ー・ヴィスコンティ(2)がバックを固めている。

アコースティック・ギター中心の小編成フォーク・バンドだ。
曲によってポップ・アーツ・ストリング・クェアルテットが控えめに加わる。
メリーは喉の調子が万全ではないようで咳払いをしているが、あいかわらず美声。





Live at the Royal Festival Hall 1972  (2005年リリース) 

1. Once I Had a Sweetheart (Trad. Arr.)
2. Introductions
3. Ocean Song (Liz Thorsen)
4. Streets of London (Ralph McTell)
5. Sparrow (Benny Gallagher/Graham Lyle)
6. Aderyn Pur (Trad. Arr.)
7. If I Fell (John Lennon/Paul McCartney)
8. Silver Dagger (Trad. Arr.)
9. Donna Donna (Sholom Secunda/Aaron Zeithlin)
10. Those Were the Days (Gene Raskin)
11. Earth Song (Liz Thorsen)
12. Morning Has Broken (Trad./Eleanor Farjeon)
13. Both Sides Now (Joni Mitchell)
14. International (Benny Gallagher/Graham Lyle)



「Ocean Song」「Earth Song」「International」「Streets of London」
の4曲は1971年の2nd.アルバム「Earth Song / Ocean Song」から。

「International」はメリーへの作品提供が多いギャラガー&ライル(3)の作品。
「Streets of London」はラルフ・マクテルの代表作で、街角に佇む年老いたホーム
レスを描いた味わい深い歌。


「Sparrow」もギャラガー&ライルで「Goodbye」のB面だった。
レノン&マッカートニーの「If I Fell」はトニー・ヴィスコンティとのデュエット。

「Morning Has Broken」はキャット・スティーヴンスもカヴァーしたトラッド。
ジョニ・ミッチェルの「Both Sides Now」はメリーが一番好きな曲だという。
1970年の大阪万博コンサートでも歌われた。


「Donna Donna」も同じく万博で歌われたフォークの定番曲。
「Aderyn Pur」はトラッドで、メリーはウェールズ語で歌っている。
「Those Were the Days」は弦楽四重奏だけの静かなアレンジ。

全編メリー・ホプキンの本領発揮の選曲で構成された好ライヴ盤だ。



↑クリックするとメリーが歌う「Streets of Londonr」が聴けます。



(同2005年ドリー・パートンのアルバム「Those Were the Days」に参加。
タイトル曲を一緒に歌っているがほとんど存在感がない。×




Valentine (2007年リリース) 

1972年〜1980年のレコーディングでお蔵入りになっていた音源を編集したもの。
メリー自身による3曲を含む10曲が収められている。

ほとんどの曲が「Earth Song/Ocean Song」と同じミュージシャンたち(ラルフ・
マクテル、ダニー・トンプソンなど)によって演奏されている。
カヴァー・アートワークはメリーが数年前に描いたヴァレンタイン・カードらしい。





Recollections (2007年リリース) 

アーカイヴ・コレクション第2弾。
1970〜1986年にトニー・ヴィスコンティのプロデュースで録音された11曲。
長い間、倉庫で眠っていた音源をリミックス、デジタル・リマスターしたそうだ。

ウェールズ出身のバンド、エイメン・コーナーにいたブルー・ウィーヴァー(p)、
英国のフォークロック・バンド、フェアポート・コンヴェンションのデイヴ・マタ
ックス(p、b、ds)、元ジェスロ・タルのジェリー・コンウェイ (ds)、キャット
・スティーヴンスやリチャード・トンプソンのバックを務めたブルース・リンチ(b)
が参加している。

これもカヴァー・アートワークのイラストはメリーが描いている。




Christmas Songs EP (2008年リリース) 

1972年に発売されたシングル「Mary Had A Baby / Cherry Tree」と2006年に
ダウンロードのみでリリースした彼女の新作「Snowed Under」を加えたEP盤。

「Mary Had A Baby」「Cherry Tree」の2曲はオリジナルの音源に新たに人工的
なコーラス(シンセだろう)が加えられ、やや残念な出来になってしまった。
それさえなければ文句無しになんだけど。

カヴァー・アートワークのイラストはメリー本人の作。






Now and Then (2009年リリース) 

アーカイヴ・コレクション第3弾。
1970〜1988年にトニー・ヴィスコンティのプロデュースで録音された13曲。
14曲目の「Happy Birthday」は新作とはいえ、ご愛嬌程度のアカペラ。

1976年リリースの3曲「If You Love Me」「Wrap Me In Your Arms」
「Tell Me Now」がめでたく収録された。


バート・ヤンシュ作の「Crazy for my Sweetheart」も味わい深い。
「One Less Set Of Footsteps」はジム・クロウチの作品だが、これに関しては
オリジナルの方がはるかにいい。

カヴァー・アートワークはメリー本人のイラスト。絵心もある人らしい。






↑こんな写真も発見!1980年代後半かな?仲直りしてたんだね。よかった〜(^^)
クリックするとメリーの「Tell Me Now」が聴けます。




You Look Familiar (2010年リリース) 

メリーの息子、モーガン・ヴィスコンティとの共作。
全曲メリーの作品で、モーガンがアレンジと演奏(プログラミング)を担当。
モーガン、娘のジェシカがコーラスで参加。家内制手工業の作品という感じ。

打ち込みのビシバシ感とエレクトリック音が安っぽく耳障りである。
往年のメリーのファンは少なからずがっかりすると思う。××






Spirit (2011年リリース) 

1989年にリリースされた賛美歌・鎮魂歌集アルバム。
廃盤になり長らく入手困難で、アナログ落としの海賊盤CDしかなかった。


アップル時代からメリーに曲を提供してきたギャラガー&ライルのベニー・ギャ
ラガーのプロデュース。
ダイアー・ストレイツのキーボード奏者、アラン・クラークがアレンジを担当し、
シューベルトの「Ave Maria」では演奏もしている。

オリジナルの音源に手は加えられていないが、アートワークは近年のメリーの顔
を描いたデッサンに変更された。





Painting by Numberst (2013年リリース) 

すべて自作の新曲。メリー本人によるギターで自宅において録音された。
静かなアコースティック・サウンドに帰り聴きやすい。が、曲は退屈。

「Love Belongs Right Here」はブライアン・ウィロビー(元ストローブスのギタ
リスト)との共作。
ウィロビーのアルバム「Black&White」(1999)で歌ったが再録された。
ウィロビーがギターで参加。このアルバム一番(唯一?)の聴きどころだと思う。

「Love, Long Distance」はベニー・ギャラガーとの共作で彼がギターで参加。
記載はないが、カヴァー・アートワークのイラストはメリーだと思う。





2013年にメリーが再録した「Love Belongs Right Here」が聴けます。



◆Y Caneuon Cynnar - The Early Songs (1996年リリース)

最後にメジャー・デビュー前にメリーが地元ウェールズのカンブリアン・レコード
からEP盤でリリースした音源を編集したアルバムを紹介したい。

ウェールズ音楽専門のセイン・レコードからCD化されており現在も入手可能だ。
全編ウェールズ語で歌うこのアルバムはメリー・ホプキンの原風景である。






↑メリーがウェールズ語で歌う「Tro, Tro, Tro (Turn,Turn, Turn)」が聴けます。


2016年12月13日火曜日

アップル城を去った歌姫メリー・ホプキンのその後。

◎機会があったらぜひ聴くべし  △悪くはない  △コアなファン向け
(すべて独断と偏見によるお薦め度です)


<アップル在籍時に残したレアな音源 1969-1971>

1969年にメリーはコカコーラのCMソングを歌っている。

コカコーラ社は全米で1964年に「Things Go Better with Coke」というスロ
ガンで広告キャンペーンを始め、1969年までいろいろなメディアで展開された。



モデルとコカコーラの配置、赤をうまくあしらった色使い、タイポグラフィ、写真
のトリミング、ホワイトスペースの取り方、レイアウト、すべてが完璧な広告だ。


1965から1969年にかけてこのCMソングをいろいろなアーティストに歌わせる
いうユニークなラジオCMを放送。
その顔ぶれがよだれが出そうなくらい豪華なのだ!

マーヴィン・ゲイ、シュープリームス、マーヴィン・ゲイ、アレサ・フランクリン、
フィフス・ディメンション、シュレルズ、ロイ・オーヴィソン、ナンシー・シナトラ、
ジャン&ディーン、レスリー・ゴーア、エヴァリー・ブラザーズ、B・J・トーマス、
サンディー・ポジー、といった全米チャートを賑わす一流シンガーばかり。

さらにビージーズ、ムーディー・ブルース、ジェフ・ベック・グループ、トレメロー
ズ、ヴァニラ・ファッジ、ペトゥラ・クラーク、ルル、トム・ジョーンズなど英国の
バンドやシンガーも起用している。

各アーティストならではの解釈でカヴァーされた「Things Go Better with Coke」
はどれも絶品で聴いてるとにんまりしてしまう。



↑クリックするとジャン&ディーンが歌うコカコーラのCMソングが聴けます。
途中「The Little Old Lady from Pasadena」のフレーズが出てくるのが楽しい♪




↑クリックするとシュープリームスが歌うコカコーラのCMソングが聴けます。
「Baby Love」から「Things Go Better with Coke」に入るアレンジがうまい!



そんな中でメリー・ホプキンも参加しているが彼女だけなぜか違う曲を歌っている。
「Things Go Better with Coke」が彼女のイメージにそぐわないとアップル社が
判断したのだろうか?

尺は1分のおそらくCM用の曲だと思うが、ラジオCMだったのかテレビCMだったの
、英国のみで放送されたのか不明である。



↑クリックするとメリー・ホプキンが歌うコカコーラのCMソングが聴けます。




1971年公開の映画「Kindnapped(邦題:スコットランドは死なず/戦場をかけ
ぬけた男たち)」(1)のエンドタイトル曲「For All My Days」は隠れた名作。
これは「大地の歌(Earth Song/Ocean song)」の頃だと思う。

とても美しい曲だ。透明感のある小刻みなヴィブラートがたまらない。
サウンドトラック盤はCD化もされたが現在は入手困難である。



クリックするとメリー・ホプキンの「For All My Days」が聴けます。



<アップル以降の活動 1972-1979>

アップルとの契約終了、結婚後は表舞台から姿を消したメリー・ホプキンであるが、
その後も断続的に活動していた。
が、フォークの道まっしぐらというわけでもなく、いろいろ迷走していたみたいだ。


1972年に夫トニー・ヴィスコンティと共にホビー・ホース名義で1枚だけシングル
Summertime, Summertime/ Sweet And Low」をリリース。
1958年にジャミーズとがヒットさせた曲のカヴァー。
ハーモニーがさわやかなソフトロックだ。フォークではない。


↑クリックするとホビー・ホースの「Summertime, Summertime」が聴けます。




1973年シングル盤「Mary Had A Baby/Cherry Tree Carol」を発表。これも単発。
トニー・ヴィスコンティのプロデュースでEMI傘下のRegal Zonophoneレーベルから
発売された。(日本ではアップル時代と同じ東芝音楽工業から発売された)

「Mary Had A Baby」はトラディショナルでメリーが敬愛するジョーン・バエズも
1966年にカヴァーしている。
聖母マリアの受胎を祝う歌だが、実際にメリーにもこの頃子供が生まれたようだ。
メリーの声質によく合うとても素敵な曲だ。


↑クリックするとメリーの「Mary Had A Baby」(1973)が聴けます。




スコティッシュ・フォークのシンガー&ギタリスト、バート・ヤンシュの8枚目の
ルバム「Moonshine」(1973年2月発売)に夫トニー・ヴィスコンティと参加。
The First Time Ever I Saw Your Face」では対位法によるかけ合いでヤンシュ
絶妙なデュエットを聴かせてくれた。


↑クリックするとバート・ヤンシュ&メリーのデュエットが聴けます。




1974〜1976年にメリーはトニー・ヴィスコンティのプロデュースで「Goodbye」
「Those Were The Days」の2曲を再録している(何で?)が発表に至らず。×

1976年にはトニー・ヴィスコンティのレーベル、Good Earth(RCA傘下)から
If You Love Me (Really LoveMe)/ Tell Me Now」のシングル盤をリリース。
結婚式でよく歌われる「愛の賛歌」で全英チャートにランクインした。



同レーベルから翌1977年「Wrap Me In Your Arms/Just A Dreamer」を発売。
妙な癖のある歌い方をするようになってきた。


同1977年、ウェールズが舞台の寓話をもとに作られたアルバム「The King of 
Elfland's Daughter」に姫君リラゼル役で参加。
Lirazel」「Beyond The Fields We Know」の2曲歌う。
アルバムとシングル盤に収録されているらしい。(僕は持っていない)


↑クリックするとメリーが歌う「Beyond The Fields We Know」が聴けます。



1977年にはケンブリッジ・フォーク・フェスティヴァルに参加。
バート・ヤンシュ、ダニー・トンプソン(ダブルベース)、マーチン・ ジェン
キンズ(フィドル)と共に「Ask Your Daddy」「If I Had a Love」を歌う。

このパフォーマンスはBBCが収録しラジオで「FOLKWEAVE-10」として放送。
放送音源用のレコードが存在する。聴いたことがないので?





この年デヴィッド・ボウイのアルバム「Low」にも参加。
「Sound And Vision」では3小節だけだが、メリーのスキャットが聴ける。




<1980年代のメリー・ホプキン 1980-1999>

1981年に元スプリングフィールズのマイク・ハースト、元ELOのマイケル・デ・
アルバカーキーと共にサンダンスを結成しアルバム「Sundance」を発表。×
シングル盤「What's Love/A Song 」「Walk Right In/Jealousy」も発売。×

ELOとABBAを足したみたいな感じ?中途半端さは否めない。
あれ?ポップソングは嫌なんじゃなかったっけ?と突っ込みを入れたくなる。


↑クリックするとサンダンスの「Cottonfields」が視聴できます。



このセッションで「Those Were The Days」も録音しているがトホホな出来。×

サンダンスの音楽性や活動(ツアーなど)への見解の相違、トニー・ヴィスコン
ティとの離婚、体調不良によりメリーはすぐにこのバンドを脱退している。



1982年公開の映画「ブレードランナー」はヴァンゲリスの音楽(2)が高く評価さ
れたが、「Rachel's Song」ではメリーが美しいスキャットを披露している。


↑クリックすると「ブレードランナー」挿入曲「Rachel's Song」が聴けます。


1984年にはオアシスというバンドを結成し、アルバム「Oasis」を発表。×
ピアノのピーター・スケルマンとメリーをヴォーカルに据え、チェロとマリンバを
フューチャーした大人の雰囲気のソフトロック。

アルバムからタイトル曲「Hold Me/Oasis」がシングル盤で発売された。×
同年ツアーも行ったが、またしてもメリーが健康を害したため中止。バンドも消滅。


↑クリックするとオアシスの「If this be the last time」が視聴できます。





1989年、賛美歌・鎮魂歌集のアルバム「Spirit」を発表。
Ave Maia / Intermezzo」がシングル化された。



ベルリンの壁崩壊(1989年)後、ルーマニア孤児救済のチャリティのために英国
で制作されたPRビデオに出演。
「Those Were The Days」をダンスミュージック調にリメイクした「No More 
War」を他のアーティストたちと共に歌った。
翌1990年シングル化されている。(B面はインストゥルメンタル)×

↑クリックするメリーが参加した「No More War」が視聴できます。



この後また鳴りをひそめてしまったメリーだが、1999年に英国のロック・バンド、
ストローブス出身のギタリスト、ブライアン・ウィロビーのフォーク・アルバム
「Black&White」に参加。
ウィロビーとメリーの共作「Love Belongs Right Here」を歌っている。


ひさしぶりでフォーク・シンガーとしてのメリーが聴ける。
残りの曲はすべてキャサリン・クレイグのヴォーカルで、これがとても退屈。×
CDは現在は入手困難。メリーの1曲のためにわざわざ買うほどでもないだろう。

この曲はメリーのお気に入りらしく、2013年に再録している。
この際もベニー・ギャラガーとブライアン・ウィロビーがギターで参加した。

この再録も含め、次回は2000年以降リリースされた作品を紹介します。

<脚注>