2020年3月22日日曜日

レット・イット・ビー2020リミックスはどうなる?映画は?

ネットでは早くも昨年10月にこんなフェイク広告が出ていた。






ジャイルズ・マーティンが昨年アビイ・ロード2019リミックス発表時に、既にレット
イット・ビーの作業に入っていることを明かしているので出るのは間違いない。

気になるのはいつ出るか?内容はどうなるのか?である。



レット・イット・ビーのアルバムがリリースされた1970年5月8日(日本は6月5日)
からちょうど50周年となる2020年5月8日に発売されるのでは?と噂されていた。

映画公開が1970年5月20日(日本は8月25日)だったので、映画のリマスター版は
2020年5月20日に上映、またはDVD、Blue-Ray化。
もしかしたら2020リミックスのCD、LPもそれに合わせるのでは?という説もある。



しかし、新しいニュースが飛び込んできた。

新たなドキュメンタリー映画「The Beatles: Get Back」として2020年9月4日に
米国とカナダで一般公開されることになった、というのである。

配給はウォルト・ディズニー・スタジオ。

「最新のレストア技術により、まるで昨日撮影されたかのように美しく蘇った映像を
通して、音楽史において独創性に富み、強い影響力を放っていた天才クリエイター
たちによる制作現場を目の当たりにできる貴重な作品」とディズニー社はコメント。







監督はピーター・ジャクソン。(1)
「ロード・オブ・ザ・リング」「キングコング」を手がけた監督である。

まさかCGてんこ盛りでビートルズの4人がありえないくらいジャンプしたり崖から
落ちて絶体絶命・・・なんてことはないだろうけど(笑)




ピーター・ジャクソン監督は「このプロジェクトは嬉しい発見に満ちていました。
史上最も偉大なバンドが彼らの最高傑作を創り上げていく制作風景の全貌をこっそり
と観察する特権を与えられたことは大変光栄です」と述べている。


新しい映画は1969年の1月2日から31日にかけてマイケル・リンゼイ=ホッグ(2)
撮影した55時間分の未公開映像とレット・イット・ビーのアルバム・セッション
で録音された140時間に及ぶ未公開オーディオを基に制作されるとのこと。




↑右側のベストを着た人が監督のマイケル・リンゼイ=ホッグ。


マイケル・リンゼイ=ホッグが監督した1970年公開のオリジナル「レット・イット
・ビー」は映像も暗く陰鬱な印象を与えた。(屋上ライブ以外は)
メンバー間の衝突、まとまりのない演奏が記録され世間にさらされることになった。

仕切ろうとして空回りするポール。やる気のないジョン。辛抱強く待つリンゴ。
ジョージは自分の曲を真剣にやってくれないことに不満を募らせる。
あれこれ指図するポールとジョージが衝突する場面もあった。






寒々とした映画スタジオ。照明は暗く赤や青の色を当ててるしズームインは早すぎ。
カメラは鼻のアップとかどうでもいいモノを撮ってるし(またそれを使ってるし)。
誰も見たいと思わないオノ・ヨーコの姿を執拗に追ってるし。

カメラやライティングのクルーが下手なのか。監督のセンスが悪いのか。
何でこんな監督を起用したんだろう?と思ったものだ。


マイケル・リンゼイ=ホッグはペイパーバック・ライター、レイン、ヘイ・ジュード、
レボリューションのプロモーション・フィルムを監督しており、それらはいい仕事だ。

お蔵入りとなったストーンズのロックンロール・サーカス(3)も彼が手がけている。
その実績を買ってポールは依頼したのだろう。
もともとロックバンドを撮ることを得意としている監督なのになぜ?




↑右側の葉巻を持って立っている人がマイケル・リンゼイ=ホッグ。



駄作とはいえ崩壊していくビートルズを捉えた貴重な記録ではある。
アップル・ビルに移ってからのセッション、屋上コンサートなど見所もある。


映画は1980年代の始め、解散当時のマネージャー、アラン・クレイン(4)によって
米国でソフト化(VHS、ベータ、レーザーディスクでリリース)されたが、ビート
ルズ側がストップをかけ、販売中止となる。
以降正式にリリースされることはなく、コピーされた海賊盤が流通していた。






2004年以降、ポールを含め複数の関係者の口からDVD・Blue-Ray化に向けての
作業が進められていることが語られた。
ポールは既にリマスター済でボーナストラックを選んでいるはずだと言っていたが、
その後立ち消えになってしまった。ポールもどういう状況か分からないという。


2007年にアップル社長だった生前のニール・アスピノールが「この素材は未だに
議論を呼んでいる」と語っていた。

一説によると、ジョージの遺族であるオリヴィア夫人が強く反対していたという。
ジョージがポールと口論しているシーンが映画に収められていて、ジョージが不快
思っていたこと、センッションに嫌な思い出があることを考慮しての上だろう。

オノ・ヨーコも「本当はもっと楽しそうなシーンもあったのよ。監督がああいいう
(陰鬱な)作品にしたかったんでしょう」と言っている。




写真をクリックすると楽しそうなビートルズ(ゲット・バックのPV)が観られます


今回新たに編集し直されるドキュメンタリー作品は陰鬱だった1970年の「レット・
イット・ビー」を明るい視点から描くことを目的としている。


映像を見たピーター・ジャクソン監督は「(この時期メンバーの間には緊張感が
あったと言われるが)現実は伝説とはとても違うことを発見した。
確かに感情的になっている瞬間もあった。でも長い間連想されていた不和ではない。
ジョン、ポール、ジョージ、リンゴが一緒になって、ゼロからあの名作を生み出して
いくのを見るのは魅力的というだけでなく、面白く高揚感があり、驚くほど親密だ
とコメントしている。




↑1969年1月9日にシー・ケイム・イン・スルー〜を演奏中のビートルズ。


ポールもこのプロジェジェクトを応援していると述べた。
「ビートルズのレコーディングの真実を示す映画を作るために、ピーター・ジャクソン
が僕らのアーカイヴスを掘り下げてくれたことが嬉しい。
僕らの間に友情と愛があって、素晴らしい時間を過ごしたことを思い出させてくれる

リンゴ・スターは映画について以下のように評している。
「ピーターは素晴らしくて、映像全体がクールな装いなんだ。
既に出ているバージョンとは違って、笑いながら演奏した時間がたくさんあったんだ。
楽しさがあって、僕らが実際そうだったように、穏やかで愛らしいものになると思う」

オリヴィア夫人、オノ・ヨーコもこのプロジェクトに賛同の意を表している。





楽しそうはいいんだけど、見ていて楽しめるセンッションになってるんだろうか?

流出したフィルムのナグラ・テープ(5)を元とした膨大な音源の海賊盤に僕はかなり
投資をしてきたのだが(笑)、それらはマニアにとっては貴重なお宝であるものの、
客観的に評価すると大半はクズかもしれない。(聴きどころもあるけどね)

流出してるモノクロの映像も、ジョンとポールがお遊びでフィードバック音を出す傍
でヨーコが奇声を発する(本人たちは楽しそうだけど)という見るに値しないもの。
そういうのは省いて欲しい。


1月30日にアップル・ビル屋上で行ったゲリラ・ライプ、42分のパフォーマンスに
も旧映画より光を当てているそうなので、ルーフトップ・コンサート完全収録(6)
無理としてもかなり期待できそうだ。




↑ルーフトップ・コンサートの模様。
(写真をクリックするとドント・レット・ミー・ダウンが観られます)

歌詞を覚えるのが苦手なジョンのためにカンペが用意されているのが見える。
にもかかわらず、ジョンはドント・レット・ミー・ダウンの1回目で2番の歌詞を
間違え、2回目では1番の歌詞を間違えた。
「1+」映像版に収録された屋上でのドント・レット・ミー・ダウン演奏時に
ジョージとポールが笑っいるのはそのためである。またかよ、みたいな(^^)
音源は2テイクのいいとこ取り=間違い箇所がないので笑ってる理由が解らない。



本作のためニュージーランドのウェリントンに拠点を置くパーク・ロード・ポスト・
プロダクションが映像の修復作業を担う。

画質が悪かったのは、本来はテレビ放映のために16mmフィルムで収録されたもの
劇場用の35mmフィルムに焼き直した(7)という事情もあった。
最新の技術でそれを鮮明にするのだろう。

映画に使われる音源はジャイルズ・マーティンとサム・オケルがアビイ・ロード・
スタジオにてミックス作業を行う予定だ。






この50周年記念式典は5月ではなく秋、2020年9月4日に行われる。

1つの理由は、新しいドキュメンタリー映画用のサウンドトラックのリミックス作業
7月になるからだ。

もう1つの理由は、これらの高価なパッケージはアップル社と小売業社にとっては5月
よりも秋(10月になればクリスマス商戦に向けて活気づく)発売の方が有利だから。



尚、1970年の映画「レット・イット・ビー」のリマスターも併せて発売される。
映画公開ではなく、DVD、Blue-Ray化されるのだろう。
新映画とカップリングで発売されるのか、別売なのか今の時点では不明である。

また「エイト・デイズ・ア・ウィーク」の時のように、劇場公開でルーフトップ・
コンサート完全版を同時上映し、DVD、Blue-Rayにはルーフトップの完全版は
ボーナス・ディスクとして付かない、という可能性もありえる。





さて、レット・イット・ビー2020リミックスはどうなるか?
これまでの傾向を踏まえつつ、希望的観測も交え、勝手に予測してみた。




●通常盤(1CD)

1970年のアルバム「レット・イット・ビー」のリミックス 

フィル・スペクターが手がけたこのアルバムに「馬鹿なことをした」と痛烈だった
ジョージ・マーティンの息子であり、ポールとも近しいジャイルズ・マーティンが
どういうリミックス処理を行うのか?興味深い。(8)


●デラックス・エディション(2CD)

Disc1. 1970年のアルバム「レット・イット・ビー」のリミックス
Disc2. アウトテイク、ハイライト(アルバム収録外の屋上演奏曲も収録されるかも)
   シングル「ゲット・バック/ドント・レット・ミー・ダウン」のリミックス


●スーパー・デラックス・エディション(6CD+Blu-Ray Audio+ブックレット)

Disc1. 1970年のアルバム「レット・イット・ビー」のリミックス
Disc2〜3. アウトテイク集、セッションのハイライト
                シングル「ゲット・バック/ドント・レット・ミー・ダウン」のリミックス
Disc5. ルーフトップ・コンサート(ほぼ完全版)
Disc6. 「ゲット・バック」グリン・ジョンズ1st.Mixのリミックス(2nd.Mixの
     アイ・ミー・マイン、アクロス・ザ・ユニヴァースはボーナス収録?)(9)

※ブックレットは1970年発売時の写真集(10)とは別かもしれない。


他1LP、2LP、ボックス4LP(1枚はグリン・ジョンズ版ゲット・バック)+写真集


・・・と踏んでいるがどうだろう?こういう読みもまた楽しかったりする。


CD、LP用のリミックスはもう終わっているはずだから、5月8日に発売されるのか?
それなら、そろそろAmazonで予約受付を開始してるだろう。

それよりは映画公開に合わせて9月4日に同時発売で相乗効果を狙う線が濃厚だ。


<脚注>

2020年3月10日火曜日

ムーン・リバーはヘップバーンの弾き語りが一番。

「ティファニーで朝食を」(1)は特に好きな映画というわけではない。

しかし冒頭のシーン、人気のない早朝のニューヨーク5番街にイエローキャブ(タク
シー)で乗り付けたヘップバーンが、ティファニーのウィンドウを眺めながらクロワ
ッサンを頬張りコーヒーを飲むシーンは印象的だ。




↑クリックすると「ティファニーで朝食を」のオープニングが観れます。


原作となったトルーマン・カポーティの小説ではこういうシーンはない。

自由奔放に生きる女性、ホリーが言う「ティファニーで朝食を食べる身分になっても」
(2)というたとえが小説のタイトルになっているだけで、実際にティファニーの前で
朝食を食べたりはしていない。


それをそのまま絵にして冒頭に持ってくるというのはあざといというか、芸がないと
いう気はするけれど、このシーンが素敵だと思えるのはホリーを演じたヘップバーン
の美しさとマンシーニ・オーケストラによる「ムーン・リバー」の美しさのせいだ。


ヘップバーンが着ている黒いドレスはジバンシィがこのシーンのためにデザインしたも
ので、細身の彼女だからこそ映える服である。

黒のオペラ手袋、大きめの黒のサングラス、パールのネックレスとともに、この作品
でアイコニックなビジュアルとなり、ヘップバーン・スタイルとしても有名になった。


映画の影響で、ティファニーで食事ができると勘違いした来店客が多かったようだ。
ティファニーは世界的に有名な宝飾店で朝食を食べるような場所は店内にない。(3)

店先でパンを食べたりコーヒーを飲んでオードリー気分に浸る女性も多かったようだ。
今でいうインスタ映えみたいな感じだろうか。



それと劇中でホリーが飼っている猫がもう身悶えするくらいかわいくていじらしい。
猫好きの人は必見の映画!と言っても過言ではない。





余談だが、演じているのはオランジーという俳優猫。(4)
オスカーの動物版のパッツィ賞を2度受賞した唯一の猫として知られている。

見たところアメショーなどの純血種ではなく、和猫でもよくいるトラ猫だ。(5)
アメリカではGinger(生姜の意味)と呼ばれる。


ホリーは猫に名前さえ付けていない。ただ「Cat」と呼んでいる。

If I could find a real-life place that made me feel like Tiffany's, 
then I would buy some furniture and give the cat a name.

「ティファニーにいるような気分になれる本当の生活の場を見つけたら、家具を買った
り猫に名前をつけるわ」とホリーは言っている。


猫が無名であるのは、ホリー・ゴライトリーという女性の人生観のためである。(6)
私も猫もお互いに誰のものでもない。独立した「個」だと彼女は考えている。
自分の居場所を見つけるまで何も所有したくない。
ホリーの描くその理想卿は「ティファニーにいる気分になれる場所」ということだ。






そしてこの映画の最大の魅力は、ヘップバーンがアパートの窓辺に腰掛けてギターを
爪弾きながら「ムーン・リバー」を歌うシーンである。
決して上手いわけではないが、ヘップバーン本人の歌声はとてもチャーミングだ。


この曲はジョニー・マーサーが作詞、ヘンリー・マンシーニが作曲を担当した。
ヘップバーンが演じるホリーが劇中で歌うシーンのために作られた曲で、映画のストー
リーとは直接的な関係はない。


しかし優れた楽曲に仕上がったため、映画の主題歌としても使われることになった。

オープニングはマンシーニ楽団による優雅なインストゥルメンタル、エンディングでは
それに混声コーラスを加えたものが流れる。
パーティーのシーンではチャチャチャ風アレンジが施されたヴァージョンも使われた。


ヘップバーンは歌の上手い女優ではなかったので、他の映画の歌唱シーンはプロの歌手
による吹き替えが行われている。

だが「ムーン・リバー」だけは彼女自身が余程気に入っていたようで、珍しく本人が
自らギターを爪弾きながら(後述)歌っている。

その素朴な歌い方が、かえって吹き替えでは得られないリアリティが出てていい。




↑クリックするヘップバーンが「ムーン・リバー」を歌うシーンが観れます。



しかし完成後の試写会で、就任したばかりのパラマウント映画の新社長は「この歌は
ストーリーの展開と関係ないからカットした方がいい」と言い放った。
(本音はヘップバーンの歌が下手だったから、というのもあるかもしれない)

プロデューサーのリチャード・シェファードが「絶対にカットさせない、やるなら
俺を殺してからやれ!(Over my dead body!)」と声を荒げたため、その剣幕に
圧倒された社長は引き下がるしかなかった。

ヘップバーンはその場で何か言いたげだったが、同じ思いだったのだろう。
既に「ローマの休日」「麗しのサブリナ」で名声を得ている大女優のお気に入りの
シーンを、いくらパラマウントの社長でも強引にカットはできない。
こうしてヘップバーンが「ムーン・リバー」を歌うシーンは無事日の目を見た。





映画もこの曲も大人気となり、RCAからサウンドトラック盤(マンシーニが改めて
録音したもので映画で使用された音源とは異なる)(7)LPとシングルが発売される。
1961年アカデミー歌曲賞、グラミー賞では最優秀レコード賞、最優秀楽曲賞、最優秀
曲賞の3部門を受賞した。


翌1962年アンディ・ウィリアムスがヒットさせ、彼の持ち歌としても有名になった。
ヘップバーン自身が歌ったヴァージョンは、「自分はプロの歌手ではないので」と本人
断ったため発売されることはなかった。

「ムーン・リバー」は長く愛され、現在まで世界中のポップスだけでなくあらゆるジャ
ンルの歌手にカヴァーされ続けている。



ヘンリー・マンシーニは後に自伝で以下のように述懐している。

オードリーが映画に登場していなければ、私自身もジョニー・マーサーもこの曲を作る
ことができたかどうか想像できません。


「ムーン・リバー」はオードリーのために書かれたのです。
彼女以上にこの曲を完璧に理解した人はいませんでした。
「ムーン・リバー」には数えきれないほどのヴァージョンがありますが、オードリーの
これこそが文句なく最高の「ムーン・リバー」と言えましょう。




アンディ・ウィリアムスが後に「この歌には意味がよく分からないところがある」と
語っているが、確かに歌詞は抽象的で摑みどころがないような部分がある。


作詞を手がけたジョニー・マーサーは主人公のホリーがテキサス出身という設定のため
、自分が生まれ育った南部での少年時代の思い出を歌詞に盛り込んだ(8)と語っている。


ムーンリバー(月の河)とは架空の河であり、擬人化して語りかけているのだ。





ホリーは幼い頃からこの河を親友と見なし、語りかけながら育って来たのだろう。
そして不幸な境遇から抜け出し自由になるために、この大きな河をいつか渡りたいと
いう憧れと、ずっと一緒にいたいという思いが交錯していたのではないか。。。


アンディ・ウィリアムスはその深い意味まで知る由はなかったが、ホリーの役に入り込
んでいたヘップバーンは共感することができた
マンシーニがいう「彼女以上にこの曲を完璧に理解した人はいない」はそういうことだ。



歌詞を訳してみた。


Moon River 

Lyric: Johnny Mercer  Music: Henry Mancini.1961 拙訳:イエロードッグ(9)


Moon river, wider than a mile I'm crossing you in style some day 
ムーンリバー 大きな河 いつか渡ってみせるわ
Oh, dream maker, you heart breaker 
夢を見させてくれるかと思えば 心を打ち砕くのね
Wherever you're going, I'm going your way 
あなたの行くところなら、どこへでも行くわ

Two drifters, off to see the world 
二人して漂うの 世界を見るための船出よ
There's such a lot of world to see 
知らない世界がまだたくさんあるはず
We're after the same rainbow's end, waiting, round the bend 
私たちは一緒に虹の彼方へ それはすぐそこにあるのよ
My Huckleberry Friend, Moon River, and me 
かけがえのない友、ムーンリバーとわたし


この歌詞は随所に韻を含んでいるので聴いていて心地よく響く。
メロディー、曲の流れにもうまく乗っていると思う。
マンシーニは1オクターブと1音しかないヘップバーンの声域に合わせて作曲している。


ヘップバーンがギターを爪弾きながら歌うシーンだが、ボーカルはこのシーン撮影
に生で収録されているようだ

リップシンクでは間の取り方とか、ここまで上手くいかないだろうし、歌い終えて
上の階から見ていたポールに「Hi」と挨拶する声質も歌っている時と同じだ。

ただしギターはヘップバーンが生で弾いてるわけではないようだ。
予め録音されたギター伴奏に合わせて歌っていると思える
(歌の後半で入るマンシーニ楽団の演奏は後からオーバーダブされている)


ヘップバーンは一見ちゃんとコードポジショを押さえ、コードチェンジも上手く
こなしているように見える。
おそらく彼女自身もギターを弾けるか、弾き方の指導を受け練習したのだろう。

だが実際に流れている音とは違う。
キーはFだが、彼女はF#の辺りでセーハ(バレー)している。
押さえやすいように半音下げてチューニングした?とも考えられるが、それでは
開放弦を活かしたコードの箇所が弾けない。


このギター伴奏はマンシーニのオーケストレーション(編曲)ではなく、コード理論
を習得したプロのジャズ・ギタリストに委ねたのだと思う。

ジャズならではのテンションコード、分数コードを巧みに使いながらベース音を半音
ずつ下げる(クリシェ)など、高度な技が効果的に使われているからである。


たとえば最初のヴァースのOh,Dream…ではDm→F7 on C→B♭maj7、2回目のヴァ
スではDm→Dm on C→Bm7(♭5)としている、など完全にプロの技だ。

Gm7on E→A7でそれぞれ6弦と5弦の開放弦の響きを活かしているのも心憎い。
A7で7thの音をオクターブで強調しているのもお見事!いい仕事してます。


採譜してTAB譜にしてみたので、ギターの心得のある方は参考にしてください。
アルペジオではなくヘップバーンのように親指でやさしく弾くのがお薦め。

あとはオードリーみたいに歌ってくれる女性を探すだけ(^^v)




ヘップバーンが歌ったヴァージョンは、彼女が死去した1993年に発売されたCD
「Music From The Films Of Audrey Hepburn」に初めて収録された。





このCDはヘップバーンの映画のサウンドトラックを権利元のレコード会社の垣根を
超えて収録したものである。
シャレード、暗くなるまで待って、マイ・フェア・レディ、いつも2人で、など美しい
曲がいっぱい聴けるので、幸せな気分になれる。


2013年にはINTRADA社から映画で使用された「ティファニーで朝食を」の本当の
オリジナル・サウンドトラック全曲が初めて発売された。

途中からオーケストラが被さるヘップバーンの「ムーン・リバー」とは別に、オーケス
トラを被せる前のヘップバーンの歌とギターだけのヴァージョンもボーナス・トラック
として収録されている。


<脚注> ↓もっと深堀したい方はクリック

2020年2月8日土曜日

ヒュー・パジャムのゲートリバーブがロックを席巻した時代。

国外逃亡した誰かさんのせいでPA機材のチェックが厳しくなったとか(笑)



というわけで(?)今回はサウンドのお話。

一つ前のクリーム再結成の記事で触れたゲートリバーブについて深掘りしたい。


なにしろ1980年代のロック界を一世風靡したサウンドである。
猫も杓子もゲートリバーブみたいな勢いで、あれれ!この人までと驚くくらい。
英国で生まれたゲートリバーは世界中に大流行した。(1)



では、ゲートリバーブとは何か?

深めにかけたリバーブ(残響音)をノイズゲート回路を通して、意図的に残響の
途中でスパッと大胆に切り落とすエフェクトの手法のこと。

残響音の減衰時間が極端に短く、強制的に終了する。
その結果、強いアタック感が得られる。





スネアドラムにかけることが多い。バシッ!バシッ!と強調された音になる。


言葉で表現するなら。。。

通常のスネアの音 → タン
リバーブをかけた音 → スターーン
ゲートリバーブを通した音 → ズタンッ!

こんな感じだろうか。





初期のころはゲートエコーと呼ばれていたが、英語表記のGated Reverbに合わせて
ゲートリバーブと呼ばれるようになった。


英国のプロデューサー/エンジニア、ヒュー・パジャム(2)がピーター・ガブリエルの
3枚目のソロ・アルバム(1980)製作時に、フィル・コリンズと共にこのサウンドを
生み出した。(3)



↑クリックするとゲートリバーブの解説が見られます。なかなかおもしろいです。
(昨今のDTMソフトにはゲートリバーブが入ってて誰でも簡単に使える)



以降パジャムはピーター・ガブリエル、フィル・コリンズなどジェネシス一派
プロデュースを手がけことになる。

ヒュー・パジャムが名を馳せるようになったのはフィル・コリンズのソロ・ アルバム
Face Value(1981)とシングルカットされたIn The Air Tonight (夜の囁き)だろう。



ゲートリバーブは瞬く間に業界中に飛び火して、最先端のエフェクト処理として
ミキシング現場ではもてはやされることになった。

No Jacket Required(1985)ではローランド製のドラム・マシーンとフィル・コリ
ンズのドラムをミックスさせゲートリバーブ処理を施すという先進的手法を試みる。
当時のミキシング・エンジニアに対して与えた影響は大きかった。



クリックするとフィル・コリンズのInside Out が聴けます。


ヒュー・パジャムはXTCのレコーディングにも関わっている。
アルバムBlack Sea(1980)ではチーフ・エンジニアとしてゲートリバーブ処理を行う。
(ピーター・ガブリエル3と同時期)

アルバムEnglish Settlement(1982)ではプロデューサー/エンジニアとして参加。
収録曲のBall and Chainでは、ドラムスのアンビエンス(空間音)用マイクで拾っ
た音をSSL社製ミキシング・コンソール内蔵のリミッター回路を通し、大胆なドラム
・サウンドを作り出している。
※この手法は後にパワーステーションも行っている(後述)



クリックするとXTCのBall And Chainが聴けます。


ポリスのプロデュースもアルバムGhost in the Machine(1981)から行う。
5枚目の出世作Synchronicityでもパジャムのゲートリバーブ処理が聴ける。
またスティングのソロ作品でも貢献している。


ポール・マッカートニーもPress To Play(1986)で、ヒュー・パジャムを共同プロ
デューサーに迎えている。

ゲートリバーブ以外にも、ロングディレイやロングリバーブなど、様々なミキシング・
テクニックが聴ける作品である。
ど派手なサウンドはポールっぽくないと不評だったが(4)今聴くと悪くないと思う。



クリックするとポールのPressが聴けます。典型的なヒュー・パジャム・サウンド。


ヒュー・パジャムは後にポールの音作り、ミキシングは意外と大雑把だった、と
語っている。

↑ポールが描いたミックスのイメージ図。


この他にもホール&オーツのH2O(1982)、デヴィッド・ボウイのTonight(1984)、
チャカ・カーンのDestiny(1986)、ヒューマン・リーグ、ハワード・ジョーンズ、
ポール・ヤングなど、1980年代のMTV全盛期の音楽の多くにヒュー・パジャムの
ゲートリバーブ・サウンドが貢献している



そして前回ちょっと触れたクラプトンのBehind the Sun(1985)。
それまでの南部、ブルース色が後退し、ポップな音作りになった。(5)

ヒュー・パジャムではないが、フィル・コリンズをプロデューサーに迎え、
彼自身がドラムを叩き、ゲートリバーブ処理をしている。





しかしゲートリバーブのビシバシとい強烈なドラム・サウンドも、ずっと聴いて
いると食傷気味で疲れるのも事実だ。
今や1980年代の過去の遺物という感もまぬがれない。あ〜流行ったよね〜的な。



最後に今、聴いてもカッコいい!と思える強烈なサウンドを紹介しよう。

パワー・ステーションが1985年にリリースしたSome Like It Hotという曲。
このドラムから入るイントロはボディーブローみたいなドスンと来る迫力だ!



クリックするとパワー・ステーションのSome Like It Hotが聴けます。


パワー・ステーションはデュラン・デュランのアンディー・テイラー(g)とジョン・
テイラー(b)+シックのトニー・トンプソン(ds)、ロバート・パーマー(vo)、
プロデューサーはシックのバーナード・エドワーズ、という豪華なユニットだ。


もともとデュラン・デュランでアンディーが目指したサウンドはファンクとハード
ロックの融合であったという。(1st.アルバムを聴くとそれが分かる)

しかし、だんだん商業主義的なビジュアル系のアイドル・グループになって行った
ため、アンディーがジョンを誘って新しいプロジェクトを始めることになった。


ファンクの要としてシック(6)のリズム・セクション、ベースのバーナード・エド
ーズとドラムのトニー・トンプソンに声をかけた。

トニー・トンプソンは黒人だがファンクだけでなく、縦ノリのハードロックのビート
も叩けるドラマーである。



バーナード・エドワーズはプロデュースに回ったが、アンディーによるとレコーディ
ングではベースはジョンではなくバーナード・エドワーズが弾いたという説もある。
(スラップベース(チョッパー)の巧さを聴くと確かに。。。という気もするが)

ボーカルはアンディーがファンだったロバート・パーマーに依頼した。
ロバート・パーマーは英国人のブルー・アイド・ソウル(白人のR&B)シンガーで、
イタリア仕立てのスーツを粋に着こなす洒落者である。


バンド名はアルバムのレコーディングで使用したニューヨークのザ・パワー・ステー
ション・スタジオに由来している。
アルバムを1枚残しただけだが圧倒的なパワー感は今も語り草になっている。






ロバート・パーマーのソウルフルなボーカルや、ハードなファンク・サウンドもさる
ことながら、このバンドの魅力は空間処理を取り入れた大胆な音作りにある。


トニー・トンプソンのドラムはかなり広い部屋で演奏し、残響音ごと録音したらしい。
(この手法はツェッペリンでボンゾもやっている)


その残響音にゲートリバーブ処理をしてるわけだが、ヒュー・パジャムのようなノイズ
ゲートを使用した受動的な処理ではなく、SSL社のコンピューター・オートメーション
でリバーブに対して細かくデータを書き込む能動的なノイズゲート処理をしている
という点が違う。


機械的にリバーブ成分をカットした音と比べると、テンポに合わせて任意のタイミング
でリバーブ成分がカットされているため、不自然さのない、それでいて迫力のあるサウ
ンドになっていているのだ。




ヒュー・パジャムが考案したゲートリバーブの新たな解釈、進化系である。
パワー・ステーション・スタジオのエンジニア、ジェイソン・カーサロが編み出した。
この音処理方法は後にパワー・ステーション・サウンドと呼ばれるようになった。


それにしてもカッコいいなあ。オマケにもう1曲、聴いてください。



クリックするとパワー・ステーションのGet It On (Bang A Gong)が聴けます。
T-REXとは違った解釈でオリジナルを凌駕する傑作に仕上がってます。


1985年の夏、1ヶ月LA滞在中に毎日フリーウェイで聴くカーラジオからこの曲が
ヘビロテで流れてたっけ。。。(遠い目)

ロバート・パーマーもトニー・トンプソンもバーナード・エドワーズも、エンジニア
のジェイソン・カーサロも既に死去。いい仕事をしてくれました。


<脚注>

2020年1月24日金曜日

クリーム再結成(1993年/2005年)は感動的だった。

<クリーム解散後のクラプトン>

クリーム解散後、クラプトンはスティーヴ・ウィンウッドやベイカーらとブラインド
・フェイスを結成。
アルバムBlind Faith(1969 邦題はスーパー・ジャイアンツ)を残して解散した。

この頃のライブで再びテレキャスター(サンバースト、ホワイト・バインディング、
ストラトのメイプル・ネックに交換)を弾いている。アンプはマーシャル。


新天地を求めてアメリカに渡り、南部のサザンロックに影響を受けたクラプトンは
デレク&ザ・ドミノスを結成。(1970年)ストラトキャスターのハーフトンで演奏。
デュアン・オールマンを迎えLayla and Other Assorted Love Songsを録音した。
翌年メンバー間の不和が表面化し、2枚目のアルバム製作中に口論となり解散。

クラプトンはデュアンやジミ・ヘンドリックスの相次ぐ死で精神を病み、ドラッグ
に溺れ暫く音楽活動から遠ざかるが、1973年のレインボウ・コンサートで復帰。





1974年には名盤461 Ocean Boulevardを発表。
レゲエ、スワンプなどを取り入れ、レイドバックという新境地を確立する。

クリーム時代の攻撃的なプレイを期待したファンは最初は戸惑ったが、ストラト
キャスターのハーフトーンを多用したレイドバック・サウンド、しだいに渋みを
増してきたボーカル、ソングライティング力の評価は高まった。

以降10年ほどはライブでクリーム時代の曲を演奏していない
が、Badgeだけは定番曲として取り上げている。
ジョージ・ハリソンとの共作で自らが歌った曲だから例外ということか。 


1985年発表のBehind the Sunはフィル・コリンズをプロデューサーに起用し、
ポップな音作りを指向。

この後、長くクラプトンをサポートすることになるネイザン・イースト(b)と
グレッグ・フィリンゲインズ(kb)初参加アルバムとなるが、旧メンバーも混在。
ライブではドナルド・ダック・ダンなど旧メンバーがバックを務めていた。




↑1985年ライブ・エイド出演時。ドナルド・ダック・ダン、フィル・コリンズも参加。
これがブラッキー(1957ストラト)+マーシャルの見納めになる。



翌1986年夏のツアーではメンバーを一新し、フィル・コリンズ(ds)、ネイザン・
イースト(b)、グレッグ・フィリンゲインズ(kb)との4ピース・バンド編成に。
ゲートリバーブ(1)バリライト(2)を駆使したハイテク・クラプトン期だ。

クリーム解散後初めて、White Room、Sunshine Of Your Love、
Crossroadsをライブで演奏しファンを熱狂させる。





ブルースの原点に立ち返るFrom the Cradle(1994)で自分探しの旅?をした後、
MTVアンプラグドで放送されたUnplugged(1992)が全米1位、グラミー賞受賞。
アコースティック・ギター人気の再燃、1990年代前半のアンプラグド・ブーム
のきっかけとなった。



着実に地位を築いていったクラウトンに対して、ジャック・ブルースやジンジ
ャー・ベイカーのその後あまり華々しい活動はなかった。

ジャック・ブルースはジョン・ポール・ジョーンズからツェッペリンへの加入
を打診されていたが、自身のバンドの活動のため断ったという。
ジョンジーはキーボードに専念したい意向があったらしい。
(断ってくれたのは正解。 Zepはあの4人で完成形だと思う)



↑1972年にマウンテン解散後のレスリー・ウエストと組んでたこともあるようだ。


↑1989年にブルース、ベイカーとの顔合わせもあったらしい。(ブートのジャケ写)



<クリームのロック殿堂入りと一夜限りの再結成>

1993年クリームはロックの殿堂入り(The Rock and Roll Hall of Fame)を果
たし、その場限りの再結成として3曲を演奏した。
(Sunshine of Your Love、Crossroads、Born Under a Bad Sign)





クラプトンは1986年から使い始めたレースセンサー・ピックアップ(3)搭載のスト
ラトキャスター(シグネチャー・モデル)を弾いている。

アンプはソルダーノSLO100真空管ヘッドアンプ+キャビネット。
クランチ(軽い歪み)に定評があり、ドライブ・サウンドはシングルコイル/
ハムバッカー問わず対応可能である。

前年のボブ・ディラン・デビュー30周年トリビュート・コンサート出演時と同じ、
短髪にアルマーニの黒いスーツという装いがキマっている。





ジャック・ブルースはワーウィックのシグネチャーモデルを使用。
フレッテッドとフレットレスがあるが、この日はフレットレスを使用していた。

ボディはブビンガ、指板はエボニー、ネックはウェンジとブビンガのラミネイト
構造で、ピックアップはセイモアダンカン製3バンドのアクティブサーキットが
搭載されている。

ブルースの使用アンプは特定できないがハートキー(HARTKE)と推測される。

ジンジャー・ベイカーはラディックのブラックのセットを使用しているようだ。
2バスドラ、4タムのセッティングもクリーム現役時代と同じだ。
シンバル類はジルジャンだと思われる。



↑クリックすると1993年再結成時のSunshine of Your Loveが観られます。


25年ぶりのクリームの演奏を終えたクラプトンは「感動した」と言っている。
否定し続けてきたクリーム再結成についても「考えている。が、こういうことは
急ぎたくない。じっくり考えたい」とも述べた。



そして再結成が実現したのは、それから12年後であった。

招集をかけたのはクラプトンである。
「多くのバンドがオリジナル・メンバーが揃わなくなってきている中、僕たちは
幸い3人ともまだ生きている。やるべきだと思った」と言っていた。


2005年にクリームの再結成ライブが5月2、4、5、6日の4日間、ロンドンのロイ
ヤル・アルバート・ホール(1968年に解散コンサートを行った会場)で行われた。


4日間の演奏は5ヶ月後に2枚組CD、DVDで発売された。
オープニングはI’m So Gladだった。3人の気持ちを表しているような選曲だ。
Sleepy Time Time、N.S.U、Politician、Sweet Wineと懐かしい曲が続く。



↑クリックすると2005年再結成時のI’m So Gladが観られます。


CDとDVDのソングリストはほぼ同じだ。以下、CDのソングリストを載せておく。




DVDを見て一瞬、目を疑った。
あの3人がお互いに目を合わせ笑い、終始なごやかムードで演奏している。



↑クリックすると2005年再結成時のSleepy Time Timeが観られます。


しかし緊張感がないわけではない。ビシッと締まった演奏はあいかわらずだ。
昔と違うのはエゴむき出しの攻撃的な演奏ではなくなったということだ。

それを昔のクリームではないと嘆く人もいるだろうが、僕は上質なワインを37年間
寝かせておいたような熟成したインタープレイとして楽しめた。


ジャック・ブルースが肝臓疾患を患っていて、持ち堪えられるか懸念されていた。
体力が続かないのかスツールに座って演奏する場面も見られる。
息が上がり歌が続かないと、さっとクラプトンがカヴァーしていた。

1976年のザ・バンド解散コンサート、ラスト・ワルツでソロを弾いてるクラプトン
のストラップが外れた際、即ロビー・ロバートソンがソロをつなぐあの有名なシーン
を彷彿させた。

ブルースの圧が弱くなり、クラプトンのボーカルが渋く力強くなった分、かえって
以前よりもボーカルのバランスがいい按配になったと思う。



↑クリックすると2005年再結成時のSweet Wineが観られます。


リハーサルはかなり入念に日数をかけて行われたようだ。
最初はギクシャクしたが、しだいに勘が戻りクリームのサウンドになったそうだ。

クラプトンはインタビューで「クリームではキーボードも他のギタリストもいない。
一人でバッキングからソロ、ボーカルまでやらなければならないから気が抜けない、
いつも以上に神経を使う」と告白している。





クラプトンは2005年製、新型ストラトキャスターのシグネチャーモデルを使用。
フェンダー社が新しく開発したヴィンテージ・ノイズレス・ピックアップを搭載。
シングルサイズながらスタックコイルのハムバッキング構造を持ち、ローノイズで
ヴィンテージ・シングルピックアップの音を再現している。

ミドルを25dbブーストアップするミッドコントロールを搭載
ストラトでレスポールのハムバッキングの様な歪んだ太いサウンドが得られる


アンプはフェンダーの57ツイード・ツイン
クリーンからクランチ、さらにツイードアンプ特有の荒々しくジャリッとしたサウ
ンドも再生可能だ。
ハンド・ワイアリング回路、パイン材単板キャビネット、12インチのエミネンス
スピーカー×2、40Wという仕様。


1968年のアルバート・ホールでの解散コンサートで使用したチェリーレッドのES-
335+マーシャルが登場するか、と予測してたが違った。

上述のミッドブースト搭載の新しいストラトで、ギブソンのハムバッキングに近い音
が出せると判断したのだろう。
(フェンダー社とクラプトンのエンドースメント契約も理由かもしれない。)
PAが発達した現在はマーシャルをスタックしなくても充分な音量も得られる。




↑クラプトンは3日間、色違いのウエスタン・シャツを着用。
(解散コンサート時に着用した赤いウエスタン・シャツへの思い入れだろうか?)
3日間でブラック、ライトブルー、ブルーのチェック。いずれもロックマウント(4)
だった。(菱形のスナップボタン、W型フラップポケットで分かる)

1日は半袖のネイビーのシャツだったが、これはどこのものか不明。
ジーンズはリーバイス。シルエットから察するに503か504(旧タイプ)ではないか。
靴はビズビム(5)。メガネはサヴィルロウ(6)のリムレス。






ジャック・ブルースはクリーム時代のEB-3+マーシャルを試してみたが、上手くいか
なかった、と言っている。

ジャック・ブルースのためにギブソンがカスタムメイドで製作したヴァイオリン型の
ソリッドベース(EB-1をモチーフにしたと思われる)を使用していた。
フロントにハムバッキング・ピックアップ搭載のシンプルな作りだが、EB-1のような
擬似Fホールはない。


晩年の愛器、ワーウィックのシグネチャーモデルのフレットレスも使用していた。
チェロ奏者だったブルースにとっては、フレットレスもお手の物だろう。





ワーウィックは2005年クリーム再結成記念ジャック・ブルース・シグネチャーモデル
(EB-3を模したボディシェイプ)も製造しているが、映像を見る限り使用していない。

ベースアンプの定番、ハートキー(HARTKE)を使用している。
アルミコーンのウーハーユニットを搭載したキャビネットで、ジャコ・パストリアス
など多くのベーシストから支持されている。
(1993年クリーム・ロックの殿堂入りの再結成時もハートキーだったと思われる)



ジンジャー・ベイカーは2005年再結成コンサートではdw(ドラムワークショップ)
のセットを使用していた。

ラディックの時と同じ2バス+4タムのセッティングである。
カウベル、REMOのスポークス(ロートタムのフレーム部を利用したパーカッション)
も使要していた。シンバルはジルジャン。
フットペダル等のハードウェアはdw。スティックはジルジャン7Aを使用。



↑クリックすると2005年再結成時のN.S.U.が観られます。




結果に満足したクラプトンは、今後のコンサートの予定も考えていると語った。

10月にはニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンでも3夜連続で実施


次は東京公演は?期待に胸が膨らむ。
1960年代クリーム現役時代には来ていないから、実現すれば初来日となる。

なにしろ日本びいきのクラプトンのことだ。
1991年にはジョージの17年ぶりのコンサート・ツアーを日本で行うことを提案し、
一緒に来日し自分のバンドで全面サポートしたくらいだ。
消極的なジョージを「日本のオーディエンスは素晴らしいから」と説得したらしい。

ジャック・ブルースの体調を考えると全米ツアーは厳しい。
東京と大阪なら充分、可能性がある。





しかし、その夢は実現しなかった。

後にジャック・ブルースが再結成コンサートが続かなかった理由を述べている。
「ジンジャーがまたやっちゃって、エリックを怒らせたんだよ」と。

ベイカーの性格の気難しさゆえか、本人が告白した「過去に金のためにクリームを
利用したこともある」的なことをまた勝手にやってしまったのか。。。。



ジャック・ブルースは肝臓の病気により2014年10月25日死去。
クラプトンは自身のフェイスブックで「彼は素晴らしいミュージシャンであり、
ソングライターだった。私に非常に大きなインスピレーションを与えてくれた」
とコメントを発表。ブルースに捧げた曲「For Jack」を公開している。


ジンジャー・ベイカーは2019年10月6日に80歳で亡くなった。
この数年、健康面で様々な問題を抱えていたらしい。
慢性閉塞性肺疾患、変形性関節症な。2016年に心臓疾患で開胸手術を受けていた。


故ジャック・ブルースの家族は「二人は愛憎関係を乗り越え、ジンジャーはジャック
にとって兄のような存在で、二人のケミストリーは本当に壮観でした。史上最も偉
なドラマーの一人だったジンジャー、安らかに」と追悼メッセージを発表。

ポール・マッカートニー、ミック・ジャガー、リンゴ・スター、ブライアン・メイ、
デヴィッド・カヴァーデイル、キンクスのデイヴ・デイヴィスらも追悼の意を表明。


クラプトンは盟友ジンジャー・ベイカーの功績を讃える一夜限りのトリビュート・コン
サートを2020年2月17日ロンドンのハマースミス・アポロで行うこと発表した。




<脚注>