中学三年の時「ビートルズは終わった。これからはツェッペリンだ」と意気込んでい
た友人が「Led Zeppelin III」を発売初日に買った。
後日、彼に感想を聞くと「あまり良くない」とのこと。
2nd.のようなハードさを期待したのにアコースティックが多く拍子抜けしたらしい。
だが、ツェッペリンはアコースティック・ナンバーこそ肝じゃないかと僕は思う。
ツェッペリンが並み居るハードロック・バンドと一線を画すのは、アコースティック
の曲の奥行きの深さ、ペイジのアコースティック・ギターのセンスが大きい。
ジミー・ペイジのアコースティック・ギターはブリティッシュ・トラッドフォーク、
アイリッシュ、カントリー、インド音楽、アラブ音楽の色合いが感じられ、幻想的か
つどこか翳のある、美しくも不思議な響きを持っている。
エレキと同じくアコギでも変則チューニングを多用している点も特徴的だ。
たとえば「Black Mountain Side」(この曲については次回詳しく書く予定です)
はDADGADチューニングで(レコードではさらに半音下げて)演奏している。
「That's the Way」は DGDGBD(オープンG)チューニング。
「Friends」はECGCAC(オープンC6)チューニング。
「Bron-Yr-Aur Stomp」はDADF#AD(オープンD)チューニング。(1)
「The Rain Song」はDGCGCD(オープンGsus4)チューニング。
美しいインスト曲「Bron-Yr-Aur」はCACGCE(オープンC6)チューニング。
↑写真をクリックすると「Bron-Yr-Aur」が聴けます。
<ジミー・ペイジ使用のアコースティック・ギター>
◆ギブソンJ-200
ツェッペリンの1枚目でペイジが使用しているのはギブソンJ-200。
ペイジの風貌にこのギターはよく似合う。が、本人のものではないそうだ。
1st.アルバムのレコーディングでアコースティック・ギターのサウンドが必要に
なったものの当時を所有していなかっため、ペイジはセッション仲間のビッグ・
ジム・サリヴァンに頼んで1963年製ギブソンJ-200を借りた。
「美しいギターだった。本当にすごいんだ。それまでそんな上質なギターに出会
ったことがなかった。すぐ弾けたよ。とても厚みのある音でね。ヘヴィー・ゲー
ジが張ってあったけど、そういう気分じゃなかった」とペイジは1977年のインタ
ビューで言っている。
近年の音楽雑誌で「『Babe I'm Gonna Leave You』ではアコースティック・
ギターにエレクトリック用の弦を張って弾いた」という記事を読んだことがある。
なるほど。あの緩んだような独特の音はそういうことだったのだ。
ペイジが抱えているJ-200の写真を見ると、確かにブロンズ弦ではなくシルバーの
ニッケル弦もしくはコンパウンド弦を張ってあるようだ。
3弦が巻き弦でないことからもエレキ用のニッケル弦と思われる。
↑クリックすると「Babe I'm Gonna Leave You」のレアなアウトテイクが聴けます。
1st.収録の「Your Time is Gonna Come」「Black Mountain Side」もこの
J-200を使用。
ペイジが1970年にマーティンのD-28を入手するまでJ-200は使用された。
◆マーティンD-28
ジミー・ペイジは1970年にマーティンD-28を手に入れる。
ヴィンテージではなくその当時のサイド&バックがインディアン・ローズウッド、
ピックガードが黒のスタンダード仕様のようだ。
D-28は3枚目〜4枚目のアルバムのレコーディングに、またそれ以降も頻繁に使用
されたと思われる。
前述のインスト曲「Bron-Yr-Aur」もD-28をオープンで弾いているらしい。
(かなり深いエコー処理がされている)
1975年にペイジはD-28にバーカスヴェリーのトランスデューサー型ピックアップ
(Model 1355)をブリッジ取り付け、同社のプリアンプ(Model 1330S)を
通すようになり、巨大スタジアムにおいてもD-28と他の楽器とのアンサンブルが
可能になった。
この頃のステージの写真では、ペイジのD-28にバーカスヴェリーがテープで固定
されてるいるのが確認できる。
1975年にロンドンのアールズ・コートで開催されたライヴではアコースティック
・セットが設けられ「Tangerine」「Going to California」「That's the Way」
「Bron-Y-Aur Stomp」の4曲がバーカスヴェリー装着のD-28で演奏された。
↑クリック!アールズ・コートでの「Bron-Y-Aur Stomp」ライヴ演奏 (1975)が聴けます。
1977年にペイジは2台目のD-28を購入。
同年のUSツアーでは先代のD-28をスタンダート・チューニング用に、2台目を
変則チューニング用にと使い分けていた。
◆ハーモニー・ソヴリン H1260
ペイジの愛器としてよく知られているのがこのハーモニー社のソヴリン。
「Stairway To Heaven」のあのアルペジオはこのギターでレコーディングされた。
ハーモニー社は1892年創業のアメリカのギター・メーカー。
カタログ販売でアメリカを席巻したシアーズ・ロバック社にOEM供給していた。
シアーズがシルバートーンというブランドで販売していたギター(2)は良質で安価だっ
たため初心者に人気があった。ハーモニー社もその製造メーカーの一つ。
ハーモニー社のギターは安価で二流イメージがあったが、フラグシップ・モデルの
ソヴリンH1260はトップがスプルース単板、サイド&バックがマホガニー単板としっ
かりした造のジャンボ・サイズ。1958〜1971に生産された。(3)
低音がよく響くふくよかな箱鳴りのするギターで中古市場でもいい値が付いている。
こういうギターに目をつけるところにもペイジのセンスの良さが表れている。
◆エコー・レンジャーVI
エコー社はイタリアのギター・メーカーで1964年の創業以来、安価にもかかわらず
その丈夫さと信頼性はヨーロッパで定評があった。
レンジャーVIはトップ材にシトカ・スプルース単板、サイド&バックにマホガニー
合板を使用したドレッドノート・サイズ。
42mm幅の細ネックでボディとの接合はエレキと同じボルト・ジョイント方式。
エレキからの持ち替えでも違和感なく弾けたはずだ。
1960年代のギブソンのようにサドルが可変式で弦高調整が可能であった。
ツェッペリンの2nd.アルバムの「Thank You」はモーガン・サウンドスタジオで
このレンジャーVIでリズム・トラックを録音したという記述がある。
ということはD-28入手の一年前にこのギターを使っていたということか。
◆エコー・レンジャーXII エレクトラ
エコー・レンジャーの12弦ギター。
ギブソンのJ-160Eのように、サウンドホールとネックの間にマグネット・ピックア
ップが仕込まれ、トップにボリュームとトーンのコントロール・ノブが付いている。
エレクトリックとしての使用時のハウリング対策からすべて合板の仕様。
1972年2月のメルボルンでのステージで「Tangerine」を弾いたという記録がある。
「Led Zeppelin III」収録の「Tangerine」のレコーディングにエコー・レンジャー
VIが使用されたという記載もあるが、音を聴く限り12弦ギターだ。
このレンジャーXII エレクトラが仕様されたのではないだろうか。
◆ジャンニーニ・クラヴィオーラ GWSCRA12-P
ジャンニーニはブラジルの大手楽器メーカー。
ペイジはリオ・デジャネイロを訪問した際ジャンニーニからクラヴィオーラという
個性的なデザインのギターを2台プレゼントされた。
1台は6弦でもう1台が12弦ギターのモデルGWSCRA12-P。
スプルース単板のトップにサイド&バックはローズウッド単板。
見た目もさることながら、音も個性的でエキゾチックな響きがある。
1971〜1972年のステージで「Tangerine」がこの12弦ギターで演奏された。
写真を見ると立ちマイクで音を拾っている。
他の楽器とのアンサンブルは難しいのでギター一本の演奏だったようだ。(4)
↑クリックすると1972年LAでの「Tangerine」ライヴ演奏が聴けます。
◆その他
ツェッペリン解散後は1984年のUKツアーでオベーション・エリートを、1995-〜
1996年のツアーではオベーション・アダマス II、その後オベーションのWネック
を使用していたようだ。
また1994年にはルシアのアンディ・メイソンにトリプル・ネックのギター(6弦+
12弦+マンドリン)を特注している。
これはジョンジーがメイソンに作ってもらったトリプル・ネックを参考にしたとか。
エレキもそうだがペイジのアコースティック・ギター・コレクションも相当なもの
で、しかも一癖も二癖もあるギターが多そうだ。
<脚注>
(1)Bron-Yr-Aur
ブロン・イ・アーはウェールズ、グウィネズにあるコテジ。18世紀の建築。
ウェールズ語で「黄金の胸」または「黄金の丘」の意。
近隣の丘が朝日を浴びて金色に輝くのにちなんで名づけられたとされる。
1969年から1970年にかけて、レッド・ツェッペリンのメンバーがここで休暇を過し、
彼らの作風、特に「「Led Zeppelin III」」に強い影響を与えたことで知られる。
このアルバム収録の「Bron-Y-Aur Stomp」、1975年のアルバム「Physical Graffiti」
収録の「Bron-Yr-Aur」はこのコテジが題材になっている。
(2)シアーズのシルバートーン・ブランドのギター
シアーズ ・ローバック社は1915年から1972年まで自社が販売する楽器や音響機器
に「シルバートーン」ブランドを使用していた。
シルバートーンのギターはダンエレクトロ、ナショナル・ギター、ハーモニー、ケイ、
テスコがOEM供給していた。
良質で安価だったギターシルバートーンのギターは1940年代以降マディ・ウォータ
ーズらブルース歌手たちに愛用された。
1960年代にフェンダーがアコースティック・ギターを手がけていた頃は、その一部
を製造もハーモニー社で請け負っていた。
また初めて手にしたギターがシルバートーンだったミュージシャンも多い。
たとえばハンク・ウィリアムズ、チェット・アトキンス、ボブ・ディラン、トム・フ
ォガティ、ジェリー・ガルシア、ジミ・ヘンドリックス、ジョン・フォガティ、マー
ク・ノップラーなど。
(3)ハーモニー社のソヴリンH1260
ハーモニー社は、1960〜1970年代にフェンダーがアコースティック・ギターを手が
けていた頃その製造を請け負っていた。
ハーモニー社が製造したフェンダー・ソヴリンというモデルもあるが、ハーモニー・
ブランドのH1203に相当する機種で、ハーモニー・ソヴリンH1260とは異なる。
(4)「Tangerine」のライヴ演奏
1971〜1972年当時はアコースティック・ギターの音を増幅する優秀なピックアップ
がまだ開発されていないため、立ちマイクで拾うのが一般的だった。
その場合ドラムやエレクトリック・ギター、ベースとのアンサンブルでは、アコース
ティック・ギターは音量的に負け音像もクリアーではない。
バーカス・ヴェリーのピックアップを使われるようになったのは1973年頃だと思うが
、ペイジがD-28に取り付けたのは1975年から。
1975年のアールズ・コートではSGダブルネックの12弦を使用しバンドで演奏している。
おそらくライヴではその方がきれいな響きが得られるとペイジは判断したのだろう。
<参考資料:Guitar Player magazine in 1977、Song Meanings at Songfacts
Finding Zoso: Discovering the Music of Jimmy Page、Pro Guitar Shop、
Harmony Guitar Database、Wikipedia他>
0 件のコメント:
コメントを投稿