享年69歳。肝臓癌の合併症だそうだ。
昔の刺青処置が不衛生だったことによるC型肝炎、そして肝腫瘍。
肝移植は成功したが、その後も感染症を患っていたようだ。
亡くなる一ヶ月前、グレッグはこんなメッセージを出していた。
Hey everyone.
I just wanted y’all to know that I’m currently home in Savannah
resting on my doctor’s orders.
I want to thank you for all the love that you are sending.
Looking forward to seeing everyone again. Keep Rockin’.
「やあ、俺はサバンナ(ジョージア州)の家で医者の指示どおり療養中なんだ。
みんなの愛に感謝。また会えるのを楽しみにしてるよ。ロックし続けようぜ!」
グレッグ・オールマンはサザンロックの雄、オールマン・ブラザーズ・バンドの
ボーカル、ギタリスト、オルガンプレイヤー。
同バンドで一緒に活躍したスライドギターの名手、デュアン・オールマンは彼の
兄だった。
グレッグが先にギターを始め、兄に教えたという。
兄弟たちはB.B.キングのステージを見たのがきっかけでR&Bに夢中になる。
バンドを結成しリバティ・レコードと契約するもの、持ち味を発揮できず解散。
フロリダに戻ったデュアンはセッション・ギタリストとして名を上げる一方、
ディッキー・ベッツ(g)、ベリー・オークリー(b)、ジェイ・ジョハンソン(ds)、
ブッチ・トラックス(ds)とバンドを組む。
L.A.にいたグレッグを呼び戻し、オールマン・ブラザーズ・バンドを結成した。
サザンロックはR&Bなどアメリカ南部の泥臭さを前面に出した力強いロックだ。
ジョニー・ウィンター、レーナード・スキナード、スティーヴィー・レイヴォ
ーンなどが挙げられる。中でもオールマンは代表格だった。(1)
サザンロックをやる人は長髪、髭面でカウボーイハットをかぶってたりする。
Tシャツの袖を肩までまくり上げタトゥーを見せるのもお約束だ。
ハーレーダビッドソンに跨っている人も多い。とてもわかりやすいのだ(笑)
↑無造作に置かれたバドがいいですね〜(^^)
オールマンのメンバーたちは南部の出身で黒人の音楽を聴きながら育った。
そのせいか白人バンドのブルースとしてはかなり黒っぽい。
1960年代後半に英国でもブルースが一大ブームになった。
オールマンに比べると、ブラインド・フェイスやジョン・メイオールは英国人
のフィルターを通した(僕なんかにとっては)聴きやすいブルースである。
英国ブルース・ロックはリズムがストレート(縦ノリ)だ。
これに対し、オールマンのブルースにはリズムのハネ(横揺れ)がある。
ハネとはブルースのシャッフル、ジャズの4ビート、ファンクの16ビート。
8ビートでもリズムが軽く跳ねているのだ。
ツイン・ドラムで力強いリズムを叩きだしているのだが重くはならない。
グレッグのオルガンもジャズっぽいハネ感がある。
そこにデュアン、ディッキー・ベッツの豪快なギターが絡む。
グレッグの喉の奥でうなるようなヴォーカル(ディープスロートと呼ばれる)
がまた南部っぽくていい。
↑クリックすると「Statesboro Blues」(2)が聴けます。
ライヴの名盤の誉れ高い「At Fillmore East」発表の数ヶ月後、デュアンがバ
イクでトラックに追突し24歳で他界する。
バンドはギタリストを補充せずディッキー・ベッツだけでバンドを継続した。
が、1年後にはベリー・オークリーもバイク事故で亡くなってしまう。
度重なるメンバーの死を乗り越え、グレッグたちは活動を続けた。
「Brothers And Sisters」(1973)は全米アルバム・チャートNo.1を記録。
彼らをアメリカン・ロックの頂点へと押し上げた。
このアルバムはディッキー・ベッツ主導で、カントリー色の強いカラッとした
サウンドに仕上がっている。
ブルース一辺倒ではないので脂っこいのが苦手な人にも聴きやすい。
この直後グレッグは初ソロ・アルバムにして名盤の「Laid Back」を発表。
タイトルどおりリ南部のくつろいだ雰囲気やブルース色は残しつつ、やや都会
的、コンテンポラリーな作品になっている。
攻めのリードギターは後退した。歌をじっくり聴かせてくれる。
「Midnight Rider」「Please Call Home」の再演の他LA時代の旧友ジャクソン
・ブラウンの「These Days」を歌ってたり、カントリーのトラッド「Will The
Circle Be Unbroken」(3)をゴスペル風にアレンジしてたりなかなか楽しめる。
意外なところでは、ポールバターフィールド・ブルースバンド〜ラスカルズ出身
でこの頃ニール・ラーセン(Kb)と共にファンク系フュージョンを先取りしてい
たバジー・フェイトン(g)が参加している。
このアルバムにおけるフェイトンのギター貢献度は大きいと思う。
グレッグによる書き下ろしのR&Bバラード「Queen of Hearts」でのオブリ
〜ソロはまさに絶品だ。
後半インテンポの4ビートになるアレンジがまたいい。
デヴィッド・ニューマンのツボを心得たサックス、転がるような心地よい音色の
フェンダー・ローズ(元マーシャル・タッカー・バンドのポール・ホーンズビー
だろうか?)のソロも聴きどころだ。
↑クリックすると「Queen of Hearts」が聴けます。
デイッキー・ベッツ色が強くなったオールマン・ブラザーズ・バンドとは一線を
画して、グレッグがやりたかっとのはこういう音楽だったんだなあ。
サザンロック云々はさておき、幸せな気分にしてくれるロックだと思う。
現在サザンロックはアメリカ本国でもあまり人気がないのではないだろうか。
どうしても白人至上主義の保守層、レッドネック(4)が好む時代遅れのロックと
いう印象があるのは否めない。
サザンロックは生き残れないのか?
いやいや、オールマンの魂はしっかり現代に引き継がれているのだ。(続く)
※「男は黙ってサザンロック!」(5)というタイトルは「ROCKET RIDE 2 音楽と
日々の雑談」から転用させていただきました。
今回の内容にこれ以上のタイトルはない!オールマンにぴったりでしょ^^v
ヤスバさん、タイトルの使用をご快諾いただきありがとうございます。
<脚注>
(1)サザンロックとスワンプ・ロック
同じアメリカ南部の泥臭さいロックでも、レオン・ラッセル、リトル・フィート、
デラニー&ボニー、J・Jケール、ザ・バンド(カナダ出身だが)、などルイジアナ
とテキサスの州境のケイジャン色の強いものはスワンプ・ロックと呼ばれる。
CCRも日本ではカントリー・ロックと紹介されたがスワンプらしい。
英国でもデイヴ・メイスン、クラプトンらはスワンプの影響を強く受けていた。
ジョージの「All Things Must Pass」も彼流のスワンプであることが(中学生の頃
は分からなかったけど)今なら分かる。
(2)「Statesboro Blues」
ラグタイム・ブルース・シンガー、ブラインド・ウィリー・マクテルの曲。
(3)「Will The Circle Be Unbroken」
フォーク、ブルーグラスの定番曲でアメリカ南部では国歌のように愛されている。
トラディショナル(作者不詳)とされるが、ヴァージニア州南西部出身のカータ
ー・ファミリーのA.P.カーターがこの曲を作ったという説が有力。
母親の死、埋葬、家族の絆、神について歌われている。邦題は「永遠の絆」。
公民権運動が盛んだった1960年代によく歌われた。
ニッティ・グリッティ・ダートバンド、ペンタングル、エルヴィスもカヴァーし
ている。
デュアンの葬儀でもこの曲が歌われたそうだ。
(4)レッドネック
アメリカ南部やアパラチア山脈周辺などの農村部に住む、あるいはその地方出身
の無学で保守的な白人労働階級(アイルランド系、貧困)を指す表現。
侮蔑的意味を含むが、差別語とは異なり(映画などでも)一般に使われる。
ヒルビリー(田舎者)、 ホワイトトラッシュ(白いゴミ)という表現もある。
要するに「アメリカの繁栄から取り残された白人」だ。
(5)男は黙ってサザンロック!
1970年に展開され流行語にもなったサッポロビールの広告キャンペーン「男は
黙ってサッポロビール」のパロディというかオマージュ。
前年の1969年暮れ、コピーライターの秋山晶さんはサッポロビール宣伝部長
からブリーフィング(日本ではオリエンテーションと言われる)を受けた。
「サッポロビールは味ではキリンに負けていない。しかし(当時の)ビールに
不可欠の男らしいイメージが低い。広告で男らしさを出して欲しい」
タレントは三船敏郎を起用することが既に決まっていた。
秋山さんは「男らしさとは何か」と考え続けた。
ある調査データから「寡黙」という言葉を見つける。
プレゼンテーションの日、秋山さんは黒板(ホワイトボードもない時代だ)に
「男は」、間を空け「サッポロビール」、最後に真ん中に「黙って」と書いた。
宣伝部長が立ち上がって握手を求めてきたそうだ。
<参考資料:People Music、ROLLINGSTONE、ニューズウィーク日本版、
ROCKET RIDE 2 音楽と日々の雑談、音楽の杜、TAP the POP、Wikipedia、
秋山晶全仕事、他>
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