2019年3月10日日曜日

ウクレレでジャズはいかが?(ライル・リッツ)<後篇>

<ライル・リッツのもう一つの顔、スタジオ・ミュージシャン>

1960年代にライル・リッツは軍隊時代に築いた人脈を伝手にベース奏者に転身する。
その腕が認められ、レッキング・クルーのメンバーとなり、売れっ子ベーシストと
して活躍するようになる。
(フォートオード基地進駐中アップライトベースを学んだ経験が役立ったわけだ)






レッキング・クルーとはドラムのハル・ブレイン率いるL.A.の腕利きのスタジオ・ミュ
ージシャンの集団で、1960年代〜1970年代のレコーディングを支えてきた猛者たちだ。
彼らは一つのバンドではなく、必要な時に必要なミュージシャンをスタジオに派遣する
流動的なセッションマンのユニットである。(1)


当時の音楽シーンは分業制で、本人たちがツアーに出ている間にスタジオ・ミュージシャ
ンが演奏をレコーディングし、完成したオケにボーカルを重ねることが多かった。
本人たちの演奏力では難しいとプロデューサーが判断した場合、メンバーが忙しくてレ
コーディングに参加できない場合、レッキング・クルーが代役を立てることもあった。

ベンチャーズのメンバーがレコーディングに揃わない時に、代役でトニー・テデスコが

リードギターを弾いたり、ハル・ブレインがドラムを叩くこともあった。


プロデューサーが求める演奏を確実にこなせなくてはならない。

アレンジが固まっていない、スコアが大まかな時は臨機応変にアイディアを出す。
難しい要求に即座に応える必要があった。


フィル・スペクターは自分の頭の中で鳴っている音と一致するまで、同じ箇所を何度も

繰り返し演奏させてOKテイクを録音していく。
フィルが作ってロネッツが歌い大ヒットしたビー・マイ・ベイビーもレッキング・クルー
の仕事で、あの有名なドラムのイントロはハル・ブレインが叩いている。

フィルを敬愛していたブライアン・ウィルソンも(ビーチボーイズのツアーには参加せず)

レッキング・クルーを起用しフィルと同じやり方でレコーディングしている。




↑映画「レッキング・クルー 伝説のミュージシャンたち」の予告篇が観られます。


フランク・シナトラ、ナンシー・シナトラ、ビーチボーイズ、エルヴィス、バーズ、
ソニー&シェール、ママス&パパス、フィフス・ディメンション、ビーチボーイズ、
モンキーズ、サイモン&ガーファンクルのヒット曲もレッキング・クルーの演奏だ。(2)

彼らの名前はレコードにクレジットされることはなかったが、音楽業界では誰もが知る
頼りになる存在だった。困った時の、まさにWrecking Crew(救難作業隊)だ。



ライル・リッツがレッキング・クルーでどのレコーディングに関わっていたか定かでない
が、有名なのはビーチボーイズの名盤「ペットサウンズ」への参加だ。

「ペットサウンズ」ではブライアンに中指を立てたという女傑(^^)キャロル・ケイが
多くの曲でフェンダーのジャズベースをピック弾きしている。

ライル・リッツはウッドベースを弾いてると思われるが、どの曲か分からない。
たぶんラストの「Caroline,No」じゃないかな。




↑左はブライン・ウィルソン。


このセッションでライルはウクレレも弾いたそうだ。
I Know There's an Answer」のベースハーモニカの間奏(1’45”)の時、ウクレレ
伴奏が聴こえるが、それがライルだと思う。

翌年シングルカットされた「Good Vibrations」に参加したという記述もあるが、
エレクトリック・ベースだし、キャロル・ケイのように聴こえる。
でもライルがフェンダー・プレシジョンベースを弾いてる写真があるから、けっこういろ
いろなことをやってたのかも。

記録はないが、ビーチボーイズの1968年のアルバム「フレンズ」収録のインストゥルメ
ンタル曲「Diamond Head」でもウクレレを弾いてると思われる。



↑ビーチボーイズのDiamond Headが聴けます。
2’22”からウクレレのコード・カッティング、まさにライル・リッツじゃないですか?



<再びウクレレへの回帰>

1970年代後半L.A.ではライ・クーダー、デヴィッド・リンドレー、ザ・セクションなど
個性的な演奏をするセッションマン、バンドが台頭してきた。

N.Y.でもスタッフ、デヴィッド・スピノザ、ヒュー・マックラケンが起用され始める。
そしてTOTO、ラリー・カールトン、リー・リトナー、スティーヴ・ガットなどいわゆる
 AOR、フュージョン系のミュージシャンがひっぱりだこになるにつれ、レッキング・
クルーの活躍の場はしだいに減っていった。


ライル・リッツのウクレレが再び注目されたのは1979年の映画「Jerk(天国から落ち
た男)」だ。
主役を演じるスティーヴ・マーチンがウクレレを弾きながら「Tonight You Belong  
to Me(3)を歌うすてきなシーンがあるのだが、そのウクレレを実際に演奏していたの
ライルだ。

撮影中にウクレレが壊れたため、スティーヴが抱えているのはフェイクらしい。



↑映画「Jerk」でのTonight You Belong to Meのシーンが視聴できます。



1980年代半ばにライル・リッツの人生に転機が訪れる。

ハワイでウクレレスタジオ(教室)を経営し、ウクレレの指導とウクレレ奏者の育成に
心血を注いでいるロイ・サクマ(ハーブ・オオタに師事していた)がライルに電話して
きたのだ。

ロイはウクレレの魅力を多くの人に伝えたいという思いから、1971年より毎年ウクレレ
フェスティバル(無料コンサート)をホノルル市内のカピオラニ公園で開催していた。
そのウクレレ・フェスティバルへの参加要請だった。


ライル・リッツが1950年代終わりにヴァーブから発表した2枚のアルバムは本国ではあま
り売れなかったものの、ハワイでは好評を博し伝説の作品となっていたこと。
そしてハワイのミュージシャンたちに多大な影響を与えていたことを、それまでハワイに
行った経験がないライル本人は知らなかったのだ。


1985年から3年連続でウクレレ・フェスに出演したライル・リッツは大きな決断をする。
ベーシストの仕事を辞め、L.A.の住居を引き払いオアフ島に引っ越すことにしたのだ。

フュージョン系のエレクトリック・ベース、シンセ・ベース、ヒュー・パジャム系のゲー
リバーブ、ブリティッシュ・ファンクがもてはやされる時代になり、ライル・リッツの
ようなベーシストの出番は少なくなっていたことは想像に難くない。

第二の人生は「自分を求めてくれる新天地で本領を発揮」という思いが強くなった。
加えて幼い娘のためにもよりよい環境に移りたい、という考えもあったようだ。



<新生ライル・リッツのディスコグラフィ>

ハワイに移住してきたライルにロイ・サクマはジャズ・ウクレレのCDを作るよう奨める。
現地のミュージシャンがバックを務め、ウッドベースとドラム、曲によってビブラフォンが
加わるラウンジ風ジャズコンボ編成で、ジャズからビリー・ジョエルまで幅広い選曲。
ライル・リッツの新譜「Time...UKULELE JAZZ」が完成した。





1995年Roy Sukama Productionsよりリリース。
ヴァーヴの2枚のアルバムから実に40年近く経った復帰作である。


Lulu's Back In Town、I’m Beginning To See The Light、Blue Hawaiiも再演。
ライルのウクレレ一本で奏でられるHanaは、春のうららの隅田川♪で親しまれている
滝廉太郎作曲の「花」だ。美しい。。。。

Time Has Done A Funny Thing To Meははライルが映画「When the Line Goes Through」
(1973)のために書いたテーマ曲。
原曲は4拍子だが3拍子にリアレンジされている。

内容はともかく、ジャケットのデザインなんとかならないですかね(笑)




次作は2001年。「Ohta-San "Herb Ohta" & Lyle Ritz ‎– Ukulele Duo
日本のビクターエンタテイメントの企画盤でハーブ・オオタとの共演作。
当時のOhta-Sanブームにあやかろうと出された一連の企画モノの一つ。

二人の大御所のウクレレのデュエット、他の楽器は一切なしのシンプルな録音。
悪くない。悪かろうはずがない。




でもプロデュース、レコーディングしてる方が日本人だからなのか。
几帳面で固い。なんか、こぢんまりまとまってるというか。
ゆるさ、おおらかさ、もっと言うと「間」や空気感が感じられない。
Teach Me Tonightでは二人の笑い声が聴けるし、楽しそうなんだけど。

演奏スタイルも違うから時には合ってるような合ってないような箇所もあったり、
だんご状態になってたっり。。。その大雑把さを活かせなかったのが残念、


ジャケットもいかにも日本のレコード会社のデザイン部で済ませた感じ。
カワイイでしょ?女子にも聴いてもらいたいという「あざとさ」が見え隠れする。
(このアルバムに限らず、日本の企画モノってなぜか愛聴盤にならない)




↑和気藹々(^^)


A Night of Ukulele Jazz/Live At McCabe's by Lyle Ritz & Herb Ohta
(2001) L.A.サンタモニカの老舗マッケイブス・ギターショップで行われたライル・
リッツとハーブ・オオタのライブ録音これは買い!ですよ。


前作の日本企画盤とは打って変わって、すばらしいスウィング感を聴かせてくれる。
(録音した時期はほぼ同じだが、こうも違うものか)
ウッドベースが加わったことでリズムが安定。低域の厚みが出てドッシリしている。

二人の演奏も絶妙で、楽しそうな雰囲気、臨場感が伝わって来る。
アレンジも練られていて、今まで聴いたウクレレ・デュオの中で最高の演奏だ。


(会場、レコーディング・エンジニアもいいのだと思う。
マッケイブスでは継続的にインストア・コンサートを行っているようで、以前バート
・ヤンシュがここで録音したライヴ盤を持ってるがこれもすばらしい)


ライル・リッツハーブ・オオタ→二人の共演という3構成
Tonight You Belong to Meはライルと娘のエミリーの共演が微笑ましい。

ジャケットはそっけないくらいシンプルだが、かえっていいと思う。
フォントの選び方、色使い、レイアウトも上手い。



↑ライル・リッツ&ハーブ・オオタのFly Me To The Moonが聴けます。


出版元はジム&リズ・ベロフ夫妻が経営するFLEA MUSIC MARKET。
1990年代よりウクレレに特化した活動をしており、全米でイベントやコンサートを開催
したり、ウクレレのCD、DVD、教則本を販売している。

ライルもこのフレア・マーケット・ミュージックから2冊の教則本(+CD)と教則DVD
を出している。


尚、このライヴCDは廃盤のため、日本ではプレミアムが付いてる。
ダウンロードするかアメリカのAmazonで適価のCDを買うのがいいと思う。




ライルは2000年頃ハワイを離れ、オレゴン州のポートランドに居を移す。
2005年にはMacを購入し、DTMソフトGarageBandを使って一人で宅録に挑戦。

完成したアルバム「No Frills」はタイトル通りウクレレとベースだけ、とシンプル。
本人が「自信作」というだけあって、コードソロ、アドリブとも演奏は充実している。
(2006年 FLEA MUSIC MARKET



↑「No Frills」収録のRainforest Waltzが聴けます。


ウクレレはオーディオコンバーター経由でGarageBandにライン録りしたようだ。
ピエゾくささが苦手なのでそこがちょっとが気になる。
ベースもGarageBandの音源モジュールを使った打ち込みなので表情に乏しい。

せっかく本人がウッドベースを弾けるんだから、ウクレレもすべて立ちマイクで録音
ればよかったのに。。。と残念に思う。


が、実はマイキングのテクというのは非常に難しいのだ。
マイクの位置、楽器との距離や向き、環境によってぜんぜん違ってしまう。
一応いい音質で録れたけど楽器の個性やニュアンスまで伝わらない、何を弾いても
同じようないい音、ということに(素人がやると)なりがちである。

それにしてもこの時点で66歳。ライル爺さん、ITまで駆使して頑張ってます!



↑こんな感じで録音してたみたいです。


その後は女性ジャズシンガー、レベッカ・キルゴアとの共演盤を2作発表。
ライル・リッツはボーカルとのコラボをずっとやりたかったようで、その夢が実現した
わけだ。


I Wish You Love - Lyle Ritz Rebecca Kilgore (2007 CD Baby) 
レベッカの深みのあるボーカル、ライルのウクレレ、リズムギター、ウッドベースの
シンプルな編成で、1920年代~1950年代の名曲が13曲聴ける。






Becky & Lyle Bossa Style - Lyle Ritz Rebecca Kilgore (2009 CD Baby) 
レベッカとの共演2作目はボサノヴァがテーマ。
アントニオ・カルロス・ジョビンやカルロス・リラの名曲の他、ビートルズのI Will、
バカラックのWhat The World Needs Nowも出色の出来。
Trisiteのみインストゥルメンタル。やはりピエゾっぽい音が残念だ。





2枚ともジャケットのデザインが秀逸。特にBecky & Lyle Bossa Styleは好きだな。
ちなみに左のはソニー製コンデンサーマイクC-38でしょう。
1966年発売以来NHK、民放で使われ続けてるロングセラーのレトロな立ちマイクです。



<晩年のライル・リッツ>

ライル・リッツは2007年にウクレレの殿堂入りを果たしし、さらに同年レッキング・
クルーの一員としてミュージシャンの殿堂入りも果たした。
晩年はウクレレの指導をしたり、ポートランドのウクレレ・フェスティバルに出演した
り、大好きなウクレレ三昧しながらのんびり過ごしたようだ。



↑2008年にオレゴン州のTV局OPB で放送されたライル・リッツのドミュメンタリー。
娘のエミリーも25歳になり、ライルと一緒に演奏している。



2017年ライル・リッツはオレゴン州のポートランドで亡くなった。享年87歳。

ライルは自分のスタイルを「polite jazz」と言っていた。
洗練された、優雅な、上品な、丁寧な、相手の気持ちを思いやるジャズということか。
まさしくライル・リッツは不世出の「polite jazz」のウクレレ・マスターである。



※今回も飯塚英さんのライル・リッツ (Lyle Ritz) 研究を参考にし、内容を転用させて
いただきました。飯塚さん、感謝です。
http://hide.g.dgdg.jp/lyle_ritz/index.html

<脚注>


(1)レッキング・クルーのメンバーたち
女性ベーシストのキャロル・ケイ、同じくベースのジョー・オズボーン、
そしてライル・リッツ。
ピアノのラリー・ネクテル、レオン・ラッセル、キーボードのドン・ランディ。
ギターはトニー・テデスコ、グレン・キャンベル、ビリー・ストレンジ、アル・ケイシ、
ビル・ピットマン、デヴィッド・ゲイツ(ベースも担当)。
サックスのプラス・ジョンソン、ドラムのアール・パーマーなどが名を連ねていた。


(2)レッキング・クルーの演奏によるヒット曲
ビー・マイ・ベイビー(ロネッツ)
ジョニー・エンジェル(シェリー・フェブレイ)
夜のストレンジャー(フランク・シナトラ)
アイ・ゲット・アラウンド、サーフィンUSA、アイ・ゲット・アラウンド、
グッド・バイブレーションズ(ビーチボーイズ)
恋の終列車、アイム・ア・ ビリーバー、プレザント・バレー・サンディ、デイドリーム
、スター・コレクター、すてきなバレリ(モンキーズ)
にくい貴方、シュガー・タウンは恋の町、恋のひとこと(ナンシー・シナトラ)
イエスタディ・ワンス・モア(カーペンターズ)
明日に架ける橋、ミセス・ロビンソン、ボクサー(サイモン&ガーファンクル)
カリフォルニアの青い空(アルバート・ハモンド)
ビートでジャンプ、輝く星座/アクエリアス(フィフス・ディメンション)
夢のカリフォルニア、マンデー・マンデー(ママス&パパス)
悲しき初恋(パートリッジ・ファミリー)
追憶(バーブラ・ストライサンド)
ミスター・タンブリン・マン(バーズ)


(3)Tonight You Belong to Me 
1956年ペイシェンス&プルーデンス姉妹(14歳と11歳)が歌ってヒットした。
1961年にナンシー・シナトラがシングルB面でカヴァーしたが、B面の方が売れる
と踏んだ日本ビクターはA面とB面を入れ替える。
「イチゴの片想い」で発売した。歌詞にイチゴは出てこない。

ローズマリー・クルーニーでヒットした「Corazon De Melon」を1960年に
「メロンの気持ち」という邦題で森山加代子がカヴァーしヒット。
アネットの「パイナップル・プリンセス」を1961年に田代みどりが歌いヒット。
日本のレコード会社は洋楽の女性歌手の歌はフルーツのタイトルをつければ売れる、
と短絡的に思ってしまったらしい。

ナンシー・シナトラもこの他、レモンのキッス、レモンの思い出、フルーツ・カラー
のお月さま。。。と千疋屋の宣伝か?(笑)と思うくらい果物邦題が続いた。
https://b-side-medley.blogspot.com/2016/08/blog-post_17.html


<参考資料:飯塚英のホームページ ライル・リッツ (Lyle Ritz) 研究、
レッキング・クルーのいい仕事、レッキング・クルー 伝説のミュージシャンたち、
OPB Oregon Art Beat Lyle Ritz、 Jazz Ukulele Master、RoySakuma.net、 
Ukulele Hall of Fame Museum、FLEA MUSIC MARKET STORE、Wikipedia、他>

0 件のコメント: