ジョニ・ミッチェルのトレードマークともいえるのがマーティンD-28だ。
1969年頃から使用しているD-28は何年製だろうか?
このD-28は黒ピックガード(1966年以降)、グローヴァー製チューナー
であることから1966〜1968年製と思われるが、ロングサドル(1965年に
ショートサドルに変更になったはず)なのである。(1)
レンジの広い音を得るため、あえてロングサドルに変えた?(2)
そこまでこだわるだろうか?
1960年代前半のD-28の鼈甲柄ピックガードを黒に変えた可能性もある。
私見だが、1965年か1966年の過渡期でロングサドルのままで黒ピック
ガードのモデルも一部製造されていたのではないだろうか。
いずれにしても1969年以前でサイド&バックがハカランダ材の上物だ。
鼈甲柄ピックアップ、ロングサドル、スクエアでなく少し角の丸いヘッド、
チューナーはクルーソンのオープンバックではなくデラックス。
ジョニは初期4枚のアルバムでこの1956年製D-28を弾いたと言っている。
ジョニは1967年1月ノースカロライナ州のフォートブラッグ基地でベトナム
帰還兵の慰問コンサートに出演した際、艦長からこの1956年製D-28を格安
で譲り受けたそうだ。
ヴィンテージのD-28は飛行機での移動時にトップにクラックが入ってしまい、
リペアしたが音はもう元に戻らなかった( It just died)と彼女は言っている。
この特別なD-28は1974年にマウイ島の空港で盗まれてしまったらしい。
↑写真でジョニが抱えているのは1956年製のD-28。
スタンドに立てかけてあるのがメイン器の1965〜1966年製のD-28。
2本ともサウンドホールにコードをガムテープで固定しているのが見える。
1970年代前半でバーカスベリーのコンタクト型ピエゾ・ピックアップを
トップまたはブリッジの裏に貼り付けてあるのではないかと思われる。
<変則チューニング>
ジョニの変則チューニングはスティーヴン・スティルスとデヴィッド・
クロスビーの影響だろうと思っていたが、そうではなかった。
デトロイトでジョニ&チャック・ミッチェル名義で音楽活動をしていた
ジョニはフォーク・シンガー&ソングライターのエリック・アンダーセン
(3)から変則チューニングを教わった。
様々な変則チューニングを用い、独自の弾き語りや作曲を始めたという。
ジョニが変則チューニングを用いるようになった理由は2つある。
9歳の時に患ったポリオ(急性灰白髄炎)の影響で左手が弱っていたため、
通常のコードフォームを押さえるのが難しかったのだ。
オープンチューニングは開放弦を活かし少ない押弦で豊かな響きを出せる。
彼女はキーの調整、押弦のしやすさのためカポタストも利用した。
今回ジョニ・ミッチェルのオフィシャル・サイトを参考にさせてもらった
が、非常によくできた充実したサイトである。
ファンの誰かが投稿していくTAB譜も閲覧できるようになっている。
(PDFではなくテキストなので読みにくいが、参考にはなる)
それによると、何種類かの変則チューニングを使用しているようだ。
Both Sides NowとCircle Gameは両方ともオープンD(D-A-D-F#-A-D)
で、4フレットにカポをして弾いている。(実際のキーはF#になる)
ストラミング(コードストローク)の時はフラットピック、アルペジオの
時はサムピックを使用している。
ジョニが変則チューニングを好んだもう一つの理由は彼女の楽器遍歴に
も由来してると思う。
民族音楽的な共鳴弦の響きが好きだったのだろう。
母方の祖先がスコットランド人とアイルランド人、父親がノルウェー先住
民族の血統であることも、少なからず関係してるかもしれない。
<ジョニ・ミッチェルの楽器遍歴>
ジョニは少女期にクラシックピアノの初歩を学んだ。
高校生の頃、彼女はギターを弾きたくなる。
母親がギター(=カントリー・ミュージック)の田舎くささに偏見があり、
ジョニは最初ギターではなくウクレレから入る。
ジョニが手に入れたのはハーモニーのバリトンウクレレであった。
ウクレレの中では最も大きいサイズでスケールは19インチ(48cm)。
ギターの高音側4弦と同様に D-G-B-E にチューニングされる。
つまりギターの5〜6弦を取っ払った4弦のミニギターとして使えるのだ。
あるいはテナーギター(4弦ギター)の代用ともなる。
テナーギターが23インチでスチール弦なのに対して、バリトンウクレレ
は19インチでナイロン弦なのでより弾きやすく温かみのある音が得られる。
ハーモニー社は1892年創業のアメリカのギター・メーカー。
カタログ販売のシアーズ・ロバック社にOEM供給していたメーカーの一つ。
良質で安価だったため初心者に人気があった。
(あのジミー・ペイジもハーモニー社のギターを愛用していた)
1963年頃からジョニはマーティンのティプルT-18(4)を使い始める。
ティプルとは戦前のアメリカの民族音楽で使われた楽器である。
17インチ・スケールのテナーウクレレサイズで4コース10弦の複弦楽器。
ストラミング(コードストローク)で鈴鳴りのような効果が得られる。
スチール弦でオープンチューニングかテナーウクレレと同じ調弦がされる。
1980年代までマーティン社のカタログに載っていたが現在は入手困難。
この複弦の響きも後の変則チューニング志向に影響してるかもしれない。
同1963年秋ジョニは初めてのギター、エスパナのSL-11を購入する。
エスパナ社はスウェーデンのメーカーで製品はカナダの百貨店で販売してた。
SL-11は1961年に発売されたモデルで、トップにスプルース、サイド&バック
はメイプル、ネックはマホガニーとフラメンコギター仕様(スケール630cm)
で、初心者向けのフォーク・ナイロン弦ギターという位置付けだったようだ。
ジョニは2年間このエスパナのSL-11を使用している。
カナダのテレビ番組Let's Sing Outにもこのギターを持って出演している。
↑Let's Sing OutでエスパナSL-11を弾き歌っているジョニが観れます。
ジョニはピート・シーガーの歌集からギターを独学で学習したそうだ。
エディット・ピアフなどシャンソンからマイルスのようなジャズを好んで
聴いていたことも、後の音楽性の幅広さにつながっているだろう。
またジョニはアートに情熱を注いでいた。
抽象表現主義に傾倒していたことも、彼女の音楽に反映されてるはずだ。
1966年にジョニは初めて本格的なギター、マーティン00-21を購入する。
カナダからデトロイトに移りジョニ&チャック・ミッチェル名義で音楽活動
していた時期〜離婚後ソロで活動し1967年に前述のD-28を手に入れるまで、
この00-21を使用していた。
マーティンのほとんどのモデルが14フレット・ジョイントになっていたが、
0-16NYとこの00-21は12フレット・ジョイント、47mmのやや幅広ネック、
スロッテッド・ヘッド、と伝統的なデザインを守り続けて来た。 (5)
小ぶりなボディーと幅広ネックはローコード中心のフィンガーピッカーには
最適で、マーティンでもフォークギターという位置付けであった。
ただし激しいストラミング(コードストローク)には不向きだ。
ドリー・パートンが愛用していたことでも知られる。
ジョニの00-21は鼈甲柄ピックガード、ロングサドルなので、1965年以前に
製造されたものである。
ジョニはこの00-21で既に変則チューニングで演奏している。
カナダのテレビ番組Let's Sing Outでも00-21を弾きながら歌っている。
<ダルシマー>
ジョニは4枚目のアルバムBlue(1971年)でダルシマーを弾いている。
また前年の英国BBCコンサートでもダルシマーを弾くジョニが見れる。
彼女が使用していたのはアパラチアン・ダルシマーであり、打弦楽器のハン
マー・ダルシマーとは別の楽器である。
アパラチアン・ダルシマーは19世紀初頭にアパラチア山脈のスコッチ・アイ
ルランド系移民のコミニュティで使われていた。
スウェーデン、ノルウェーなど北欧の類似した楽器が起源という説もある。
ジョニの母方の祖先がスコットランド人とアイルランド人で、父親は祖先が
ノルウェー人だという背景も彼女がこの楽器に惹かれた一因だろうか。
ティプル、ギターの変則チューニングの響きを好むから、ダルシマーにも
入りやすかったのかもしれない。
アパラチアン・ダルシマーは3本または4本の弦を持つフレット付きの弦楽器。
膝の上やテーブルの上に寝かせて演奏することが多い。
標準的な調弦はないが、1960年代以降の一般的なチューニングはD3-A3-A3、
D3-A3-D4、D3-G3-D4が多い。
ジョニがどのように調弦していたか定かではないが、左手の人差指と中指、
または親指一本を寝かせるようセーハ(バレー)して和音を出していること
から、D3-A3-D4かD3-G3-D4にしていたのではないかと思う。
開放弦では前者ならD、後者ならGになる。
1度と5度だけの音構成で3度がない。
そのためメジャーコードとしてもマイナーコードとしても通用する中性的な
響きが得られる。CS&Nが好んで使ったD-A-D-D-A-Dと同じ効果がある。
セーハ(バレー)の位置変更だけでコードチェンジができるメリットもある。
ジョニはサムピックかフラットピックを用い、手前からすくい上げるように
アップ、ダウンのストラミング(ストローク)で弾いている。
アパラチアン・ダルシマーには形状、材料などバリエーションがある。(6)
ジョニトップとサイド&バックが違う木材のダルシマーを愛用していた。
<ジャズへの傾倒とエレクトリック・ギター>
1980年代にはジョニはD-28にサンライズ社のサウンドホール・マグネット
・ピックアップを装着するようになる。
バンド・サウンドが多くなったため、ライブで他の楽器に埋もれないように
バランスを取るためだろう。
J-45やギブソンJ-200でもサンライズを使用している。(7)
ジャコ・パストリアスやパット・メセニーと供にジャズ志向になったジョニ
は、アイバネズ( Ibanez)GB10を愛用するようになる。
GB10は1977年に日本のアイバネズ( Ibanez)がジョージ・ベンソンの
シグネチャー・モデルとして開発したフルアコのエレクトリックギターだ。
ギブゾンのジョニー・スミス・モデルを愛用していたベンソンはアイバネズ
に小柄な自分向きの小ぶりなフルアコ、ツアーに耐えうる頑丈な造りを要求。
ベンソンはプロトタイプを床に落として壊れないのを確認したという。
彼の要望でピックアップはボディーからフロートして設置されている。
トップ材の共振を拾わない工夫らしい。
ベンンソンのように早いパッセージを弾くのに適してるのだろう。
ベンソン本人のGB10を彼のエンジニアに頼んで弾かせてもらったが、全然
鳴らなかった(笑)アタックの強い弾き方じゃないとダメみたい。
ジョニはGB10をローランドのジャズコーラスで鳴らしていた。
サステインがない分コントロールしやすく適度なエア感も得られるGB10を
選び、ジャズコーラスで音作りをするとはセンスがいい。
ナチュラルとサンバーストの2色持っていたようだ。
2000年代にはソリッド・ギターも使用している。
写真のユニークなギターはParker Fly Mojoというモデルだそうだ。
<脚注>
(1) D-28の仕様変更
D-28は1931年に試作機が作られ、1934年から14フレット・ジョイントの
ドレッドノート・ギターとして80年以上生産されてきた。
アコースティック・ギターの究極的モデルとして君臨し続けている。
完成度の高さゆえ、今日すべてのフラットトップギターの手本となっている。
基本的なスタイルは踏襲しているが、細部の仕様変更は頻繁に行われている。
代表的な点を挙げると。
トップ(表板)→1946年アディロンダックスプルースからシトカスプルースへ
サイド&バック(側・裏板)→1969年ハカランダがインディアンローズウッドに
ブレイシング(表板の補強材)→1944年スキャロップからスタンダードへ
トリム(トップの縁飾り)→1947年ヘリンボーンからストライプへ
ピック・ガード→1966年 トータスシェル(鼈甲柄)から黒へ
指板のインレイ→1944年 スロテッド・ダイアモンドからスモールドットへ
チューナー→1947年クルーソン・オープンバックからデラックスへ
1958年クルーソンからグローヴァー・ロトマティックへ
1979年グローヴァー・ロトマティックからシャラーへ
サドル→1965年ロング・スロットからショート・スロットへ
ブリッジ・プレート→1968年メイプルからローズウッドへ
1988年ローズウッドからメイプルへ
(2)ロングサドルの利点と欠点
黄金期のヴィンテージ・マーティンではロングサドルが採用されている。
サドルとブリッジがニカワで接着された一体感(音の伝道が良い)が特徴。
スロットの左右が開放されている点も、ブリッジが末端まで効率よく振動する
ためレンジの広い音が得られる。
サドル溝が割れやすい、サドルとブリッジの接合に手間がかかる欠点もあった。
そのため1965年頃から手間が少なく破損しにくい、弦高の調整が容易なショ
ートサドルへと仕様変更された。
サドル下トランスデューサーの仕込みもショートサドルなら簡単である。
(3)エリック・アンダーセン
アメリカのフォークシンガー&ソングライター。
1960年代、NYCのグリニッジヴィレッジのフォークシーンで活躍した。
ジョニー・キャッシュ、ディラン、ジュディ・コリンズ、グレイトフルデッド
リンダ・ロンシュタットなど、多くのアーティストに曲を提供している。
(4)マーティン ティプルT-18
1910年代に大流行したタンゴブームを背景に生まれた民族楽器。
テナーウクレレサイズで4コース10弦。
マーティン社は1923年に初のティプルとなるT-18を発表。
スプルーストップにマホガニーサイド&バックの18仕様。
1924年にはスプルーストップにローズウッドサイド&バックのT-28、
1926年にオールマホガニーのT-17、1949年にその廉価版T-15を発売。
T-18は1980年代までマーティン社のカタログに載っていた。
(5)マーティン00-21
1800年代後半より存在しマーティンの小ぶりのモデルの中でも人気がある。
00サイズは0と000の中間くらいの大きさ。
多くのモデルが14フレットジョイントになるが、00-21は昔ながらの瓢箪型
で12フレットジョイント・モデルとして残っていた。
48mm幅広ネックとスロッテッドも特徴でフォークの弾き語りに適している。
1980年代まで12フレットジョイントのギターは0-16NY、5-18、00-21のみ
カタログに載っていたが、少数生産あるいは受注生産で数は少ない。
D-28と同じく1966年からピックガードが鼈甲柄から黒へ、サイド&バック
が1969年にハカランダからインディアン・ローズウッドに変更された。
ボディのバインディングは18シリーズと同じ鼈甲柄だったが、これもピック
ガードの変更時に黒になった。
(6)アパラチアン・ダルシマーのバリエーション
1960年代にはロックにも取り入れられエレクトリック版も製造された。
ちなみにストーンズのブライアン・ジョーンズが1966年にLady Janeで
弾いていたのは、エレクトリック・アパラチアン・ダルシマーである。
(7)サンライズのサウンドホール・ピックアップ
余談だが2016年にキューバの首都ハバナで120万人にも及ぶ観衆を集めて
行なわれたストーンズのライヴ、ハバナ・ムーンではキースがジョニも
愛用していたマーティン00-21にサンライズを付けて弾いていた。
00-21はキースの弾き方には不向きなのに何で?と思ったが、それはとも
かく40年前に開発されたサンライズが、依然としてアコースティックギター
用ピックアップの最高峰なんだなあ、と感心した。
ロンもJ-200にサンライズを付けていた。音作りがしやすいのだろう。
<参考資料:jonimitchell.com、アコースティックギター博士、Qsic、
余談だが2016年にキューバの首都ハバナで120万人にも及ぶ観衆を集めて
行なわれたストーンズのライヴ、ハバナ・ムーンではキースがジョニも
愛用していたマーティン00-21にサンライズを付けて弾いていた。
00-21はキースの弾き方には不向きなのに何で?と思ったが、それはとも
かく40年前に開発されたサンライズが、依然としてアコースティックギター
用ピックアップの最高峰なんだなあ、と感心した。
ロンもJ-200にサンライズを付けていた。音作りがしやすいのだろう。
<参考資料:jonimitchell.com、アコースティックギター博士、Qsic、
Wikipedia、 My Guitar Gently Weeps C.F.Martin D-28LAST GUITAR、他>
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