2024年12月23日月曜日

リトル・フィートの真骨頂。'70年代米国ロック最高のライヴ盤。




ロック通、ロック好きがライヴ・アルバムの名盤(1)について語ると、必ず
名前が挙がるのが、リトル・フィートの「Waiting for a Columbus」だ。

少なくとも1970年代の米国ロックという括りにおいては、いや、個人的には
ロック史上で最高かつ最強のライブ盤ではないかと思う。



フィートが超一流のライブ・バンドだということを再認識させられる。
最も脂が乗っていた時期のライヴ。悪かろうはずがない。

何で今までこんなすごいアルバムを知らなかったのか!と愕然とするはずだ。
とにかく出音がすごい豪快である
うねるようなノリ熱量の高いごきげんな演奏で楽しませてくれる。


イーグルスやドゥービー・ブラザーズのような軽快さ、洒脱さはないが、
どっしりした重いリズムでぐいぐい引っ張って行かれるのは快感だ。

リトル・フィート=泥臭いサザン・ロック、脂っこい、暑苦しい、と敬遠
されがちだが、このアルバムを聴くと認識が変わるのではないだろうか。







<ライヴ・アルバムの聴きどころ>

「Waiting for a Columbus」(1978年発売)は1977年8月にロンドン〜ワシ
トンで行われた7公演(2)からベスト・テイクを集めたものである。

1971〜1977年に発表した6枚のスタジオ・アルバム収録曲で構成されている。
(ライブ用にリアレンジされてパワーアップしている)
彼ら自身もライブの方が自由で生き生きしてる。





出だしからカッコいい。バンドがステージで音出し始める。
ライスナー ・オーディトリアの最前列で見ているような錯覚をしてしまう。

地元ワシントンのDJが「F-E-A-T」と煽ると、聴衆が応える。
「Fat Man In The Bathtub」のイントロに入り、 会場が熱狂する。


Little Feat - Join the Band
https://youtu.be/48P_imCuNiU?si=YSh0ss5pRmFr6bsu

〜Fat Man in the Bathtub
https://youtu.be/PiutmLNt5VI?si=oGm_hcr_Ch8yiVcx
 (Live at Lisner Auditorium, Washington, DC, 8/10/1977)



「Dixie Chicken」はビル・ペインのピアノ・ソロローウェル・ジョージと
ポール・バレアの丁々発止のギター・バトルが堪能できる。





Dixie Chicken (Live at the Rainbow Theatre, London, UK, 8/3/1977)
https://youtu.be/UMJbtFZWWa8?si=TBjueEJFCaz339yy


お馴染みの「Sailin’ Shoes」も重厚なアレンジに書き換えられている。
「Rocket In My Pocket」「Mercenary Territory」ではタワー・オブ・
パワーのホーン・セクションが参加。厚みのあるアンサンブルが聴ける。


Mercenary Territory (Live at the Rainbow Theatre, London, UK, 8/2/1977)
https://youtu.be/qZZ1qvjIYg8?si=upPkevs_VCnmcRaD






「Willin’」はリンダ・ロンシュタットもカヴァーした名曲で、ザ・バンド
の「The Weight」にも通じるスワンプ色の強い曲。
「All That You Dream」も同じくリンダが歌った曲だが、フィートのライヴ・
ヴァージョンは荒々しくハードなロックに仕上がっている。
ギターの音もカッコいい。16ビートの裏打ちリズムがビシッとキマる。


All That You Dream (Live at Lisner Auditorium, Washington, DC, 8/10/1977)
https://youtu.be/yXGOZkej-qY?si=VBH9rFKhZ0NWaVI7





                  ↑恋多き女、リンダはローウェル・ジョージとも恋仲だった。


「Oh Atlanta」は初期のドゥービー・ブラザーズを彷彿させる。
「Don't Bogart That Joint」はフラタニティ・オブ・マン(3)のカヴァー。
ゆるーいマリアッチ風で、ローウェル・ジョージのソロ作品にも通じる。

さらに「A Apolitical Blues」では、元ストーンズのミック・テイラーがゲスト
出演し、後半はスライド・ギターを披露している。
そのせいもあって、上手なストーンズに聴こえなくもない(笑




A Apolitical Blues (Live at the Rainbow Theatre, London, UK, 8/3/1977)
https://youtu.be/TkVijd9g_Hk?si=LaipIahlLcwMzXRH
↑ローウェル・ジョージとミック・テイラーが観れます(画質と音質は悪い)
アルバム収録と同じテイク。




また2002年のデラックス・エディション2CD(後述)に収録されている
「Red Streamliner」ではマイケル・マクドナルドとパット・シモンズ
バックコーラスで参加。(4) なるほど、ドゥービーっぽい。




<アルバム・タイトルの意味とカヴァー・アート>

「Waiting for a Columbus(コロンブスを待ってるところ)」というタイト
には、まだまだそれほど有名とは言えなかったリトル・フィートの「多くの
人に聴いて欲しい、発見して欲しい」という願いが込められていたようだ。






2枚目以降のアルバムを担当しているイラストレーター、ネオン・パーク(5)
よるカヴァー・アート、サボテンなどが生える庭園で擬人化したトマト娘が
ハンモックで微笑んでいる絵が印象的である。

背景の庭園に生えるサボテンなどアメリカ原産の植物は、コロンブス以前の
ヨーロッパ人には知られていなかったもの。
トマト娘はコロンブスを待ってる(Waiting for a Columbus)のだろう。

本作以前いかに彼らの実力に相応した評価が得られていなかったかが分かる。







<アルバムの評価と商業的成功>

「Waiting for a Columbus」はリトル・フィートの最も売れたアルバムで、
全米18位を記録。唯一プラチナ認定を受けている。

本作によってリトル・フィートは1970年代を象徴する最高峰のライヴ・バンド
の代表格、という確固たる地位を築いた。

アルバムのリリース後、ローウェル・ジョージが脱退しソロ活動開始、そして
急死(6)してしまったため、彼が在籍中唯一のライヴ作品となってしまった。



(写真:GettyImages)



フィートの願いどおりバンドの知名度は上がり、海外でも聴かれるようになる。
アルバム発表後、初来日(7)を果たしている。
ローウェル・ジョージの調子も悪くなかったらしい。
行っておけばよかったと悔やまれる。






さて、豪快なパフォーマンスとジャムが魅力の本作であるが、ローウェル・ジ
ョージが3週間スタジオに籠り、ギターとヴォーカルのオーヴァーダブを行った
と後日談で明らかにしている。

他のメンバーと音楽の方向性が違って来た、薬物と酒の過剰摂取からローウェル
・ジョージの体調にも斑があった時期だが、彼のライヴ・アルバムへの意気込み
はかなりのものだったらしい。

リトル・フィートの魅力を最大限にアピールするためにオーヴァーダブが必要
と判断したのだろう。
豪放磊落なように見えるが、意外と繊細で完璧主義者だったのかもしれない。



トレードマークのオフホワイトのオーバーオール。(写真:GettyImages)
海外のサイトでは「Fat Angel」と親しみを込めて呼ばれている。




<2LP→1CD→2CD→8CD 発売形態の変遷>


LP3枚分の録音〜ミックスが行われたが、1978年の発売時はセールスのこと
を考慮してLP2枚組でリリースされた。
未使用曲のうち3曲は1981年の未発表曲集「Hoy-Hoy!」に収録された)



初CD化の際、ワーナー・ブラザーズは1枚に収めるため2曲をカット。
「The Last Record Album」にボーナスとして収録。ファンの不評を買う。



2002年にRHINOレーベル(8)から2枚組デラックス エディションCDで発売。
リマスタリングにより音質が飛躍的に向上し、迫力のある演奏が聴ける。
(初CDから買い換えた人の感想)




↑LPのレーベル(ワーナーのバーバンク・スタジオ前の道)もピクチャー・
ディスクで再現された。


初CD化でカットされた2曲が復活。
アウトテイク10曲は本編に遜色のない出来で、オリジナルLP編集時に収録を
断念した未使用曲源であることが分かる。(「Hoy-Hoy!」収録の3曲も含む)

「Cold, Cold, Cold」「Rock And Roll Doctor」「Skin It Back」、アラン・
トゥーサンのカヴァー「On Your Way Down」は、本編収録曲と同等の出来。
1978年のリリース時、これらを外したのは当時は苦渋の決断だっただろう。



2022年には同じRHINOからスーパー・デラックス・エディション8CDが発売。
アルバム未収録だった1977年夏の3公演の音源が追加された。



<リトル・フィートの音楽性>

フィートの音楽はスワンプ・ロックブルースカントリー、がベースだが、
この時期はニューオリンズ・ファンクテックス・メックスクロスオーバー
(9)、何でもありのごった煮。シンセ・ベースも駆使している。

この辺が同じスワンプでも職人気質のザ・バンドとは異なる。
またレイドバック感、いろいろなジャンルの音楽を融合させている点はグレイト
フル・デッドに通ずるが、フィートはそこまでゆるくないしもっと上手い。



(写真:GettyImages)


リトル・フィートのライヴにおける醍醐味の一つが、変幻自在なジャム・セッ
ションとアドリブだ。

1975年頃からローウェルは薬物の影響でスタジオに遅刻、来ないということ
が度々起きるようになる。
他のメンバーは待ち時間にジャム・セッションをして時間を潰していたという。
そんな無駄とも言える時間が、リトル・フィートを世界屈指のライヴ・バンド
へと押し上げていった。



↑ビル・ペインはフィートの音楽性をコンテンポラリーなものにした。



そのライヴ力が評判となり、リトル・フィートはミュージシャンが選ぶバンド
共演したいバンドとなる。

「Waiting for a Columbus」には収録されていないが、ボニー・レイット、
エミールー・ハリス、リンダ・ロンシュタット、ニコレット・ラーソンも
リトル・フィートのライヴにゲスト出演(10)している。



↑ボニー・レイット(左)とエミールー・ハリス(右)



↑ボニー・レイット(左)(写真:GettyImages)



↑エミールー・ハリスとニコレット・ラーソン(写真:GettyImages)


リトル・フィートはミュージシャン受けするバンドなのだろう。
そういえば、ロバート・プラントやミック・ジャガーが「Waiting for a 
Columbus」を愛聴盤と発言している。

日本でもリトル・フィートの影響を受けたミュージシャンは多い。
はっぴいえんど(11)、ムーンライダース、サザン・オールスターズなど。




<ローウェル・ジョージのスライド・ギター>

リトル・フィートのサウンドを特徴づけてた一つが、ローウェル・ジョージの
スライドギターであった。
気怠くルーズさがありつつ甘くエレガントな音色は独特で、とても心地よく
聴けば聴くほど癖になる。



(写真:GettyImages)


メインで使用していたのは、1972年製ラージヘッド、チュラルフィニッシュ、
メイプル指板のフェンダー・ストラトキャスターだ。

リア・ピックアップはテレキャスター用に交換され、アレンビック製のブースタ
ー(Strato Blaster)が内蔵されている。




ボディーに直角にプラグインできるよう改造し、トグルスイッチも追加された。




弦はフェンダーのF-50セット13-54のフラットワウンド弦の表面が平なので、
ノイスが少なくスムーズなスライドがができる)。弦高は高めのセッティング。





たたでさえテンションがきついはずだが、オープンAチューニングだったそうだ。
オープンGチューニングより弦の張りがあり、クリーンで明るい音が得られるから
、と本人は言っている

スライド・バーの代わりにシアーズ・クラフツマン(12)のスパーク・プラグ・ソ
ケット(13/16 inch)を愛用していたという。
重さとか、感内側のギザギザ(指が滑らない)のがいいんだろうか?





↑ローウェル・ジョージは小指にバーを付けてスライドさせていた。



コンプレッサーはMXRのダイナコンプ(13)
独特のアタック感で、粒の揃った綺麗なクリーントーンからサスティンの伸びた
パワフルなドライブトーンまで音作りができる。




アンプはカスタムメイドのダンブル・アンプ(14)
クリーミーで1音1音がしっかりと聴こえてくる上質なオーバードライブ、太くて
抜けが良いクリーンサウンド が特徴。



↑右後にダンブル・オーヴァードライヴ・スペシャルが見える。



いかにローウェル・ジョージがスライド・ギターの音作りにこだわっていたか
が分かる。



<脚注>

2024年11月10日日曜日

半世紀もアメリカ音楽界に君臨したクインシー・ジョーンズ。



アメリカのポピュラー音楽の巨匠、クインシー・ジョーンズが91歳で亡くなった。

ご冥福をお祈りします。


クインシーといえば、多くの人がマイケル・ジャクソンを想起するだろう。

マイケルとクインシーは1979年の「Off The Wall」で初めてタッグを組む。
800万枚を売り上げるロングセラーとなった。



↑クインシーとマイケル。「Off The Wall」制作中の写真と思われる。
この頃のマイケルはよかったなあ。




次作への期待は高まり、マイケルとクインシーはプレッシャーを感じてたそうだ。
しかし1982年に発売された「Thriller」は前作を軽く超え、約7000万枚〜1億枚
という「史上最も売れたアルバム」となった。

Beat Itはエディ・ヴァン・ヘイレンのギターソロが強烈なロックナンバーだ。




↑マイケルのライヴでギターソロを弾くエディ・ヴァン・ヘイレン。



イントロやコーラス部のBeat it〜♫で鳴っているギターのリフ、バッキング、
オブリ、ベースはスティーヴ・ルカサーが弾いている。

あのリフはTOTOのHold The Lineを彷彿させる。
スティーヴ・ルカサーがスタジオで考えたのか?
それともクインシーが渡したスコアに既に書いてあったのか?

ヴァン・ヘイレン間奏は最初から決まっていたんだろうか?
スティーヴ・ルカサーが弾いた間奏は存在しないのかな?



スティーヴ・ルカサーとエディ・ヴァン・ヘイレン


Beat It - Isolated Guitars - Steve Lukather & Eddie Van Halen




ブラック・ミュージックに白人ロックの要素を取り入れるセンス
クインシーはこのバランス感覚に優れていた

ブラザーズ・ジョンソン、パティ・オースティン、ジェームス・イングラムも
都会的で洗練されたAORの黒人版ブラック・コンテンポラリー路線で売れる。
彼らは「クインシーの秘蔵っ子」と呼ばれた。



↑クインシーとブラザーズ・ジョンソン


1985年には大物アーティストが結集し(参加アーティストは45人に及んだ)、
アフリカ救済のチャリティー・シングル「We Are the World」を制作
クインシーはそのプロデュースも手がけた。

クインシー・ジョーンズの黄金期は1970年代末〜1980年代前半のブラック・
コンテンポラリー全盛期と重なるが、彼のキャリアは長く1950年代から輝かしい
実績を残している。
クインシーがキャリアをスタートさせた頃はジャズであった。
多くの人がイメージするクインシー=ブラック・コンテンポラリーとは違う。




クインシーはもともとトランペット奏者であった
そのせいかアレンジにおいても、ホーン・セクションの使い方に長けていた




10代で盲目のピアノ奏者の少年レイ・チャールズと共にバンド活動を始める。
ライオネル・ハンプトン楽団に参加したクインシーはアレンジャーの才能を
開花させる。




カウント・ベイシー、デューク・エリントン、ヘレン・メリル、サラ・ヴォーン
のアレンジを手がけた。



サラ・ヴォーンと。左がプロデューサーのボビー・シャッド。右がクインシー。




↑クインシーとディジー・ガレスピー





↑名盤の誉高いヘレン・メリルのデビュー・アルバム(1955年)もクインシー
がアレンジを手がけている。



Helen Merrill With Clifford Brown - Falling In Love With Love
https://youtu.be/RlAoPW51jjI?si=mq0UICybpbbPUpu1




1960年代からはプロデューサーとしても活躍した。
レスリー・ゴーアのデビュー曲、It's My Partyは全米1位を獲得。(1963年)





Lesley Gore - It's My Party
https://youtu.be/Xqc-tDSBSbE?si=6hTzVOJQLl0MU12J



「ヒット曲はイントロで決まる」という格言どおり、It's My Partyはたった2音
ながらもキャッチーな仕掛けで曲にインパクトを与えた。
お世辞にも歌が上手いとは言えないレスリー・ゴーアを人気歌手に押し上げた
のは、クインシー・マジックである。



↑レスリー・ゴーアとクインシー




マイルス・デイヴィス、フランク・シナトラのプロデュースも手がけた。




↑シナトラとクインシー



また映画・TVドラマの音楽の分野へも活動の幅を広げる。
シドニー・ポワチエ主演の「夜の大捜査線」やスティーヴ・マックイーン主演
の「ゲッタウェイ」のサウンドトラックも評判となった。

ドラマ「鬼警部アイアンサイド」のテーマ曲は、NTV「テレビ三面記事 ウィ
ークエンダー」で「新聞によりますと」で始まる事件解説の際使われたので
日本でもお馴染みの曲となっている。
(クエンティン・タランティーノ監督の映画「キル・ビル」でも使用された)




       ↑原題は「Ironside」。鬼警部って・・・(笑



「鬼警部アイアンサイドのテーマ」クインシー・ジョーンズ」
https://youtu.be/qRLO2_EK04o?si=b6jr3z4ey-tq74ZX



1978年公開の映画「ウィズ」(「オズの魔法使い」をベースにした黒人出演者
によるミュージカルに)でマイケル・ジャクソンと出会う。
これがクインシーとマイケルの最高傑作を産むきっかけとなる。



    ↑クインシーとマイケル



クインシーは37枚のリーダー・アルバムも残している。

大まかに分けると、〜1961年はジャズ1960年代はポピュラー・ミュージック
、Smackwater Jack (1971年)からはソウル・ファンク

Sounds... And Stuff Like That!(1978年)からブラック・コンテンポラリー
The Dude (1981年)は全世界でヒットした。


Quincy Jones - Takin It To The Streets
https://youtu.be/0IYRnC5ngRc?si=ui5UK4aPrE4Nk7nO

↑ドゥービー・ブラザーズのヒット曲。作曲はマイケル・マクドナルド。
ボーカルはルーサー・ヴァンドロスとグウェン・ガスリー。






Quincy Jones - Betcha Wouldn't Hurt Me
https://youtu.be/Xg9esGW_LUE?si=TMRSb_b4EgNW3S5G

↑作曲はスティーヴィー・ワンダー、ボーカルはパティ・オースティン。
スラップ・ベースはルイス・ジョンソンが弾いている。






<参考資料:CNBC TITANS、JAZZ MUSIC SMALL LIBRARY、
JET SET ONLINE SHOP、Wikipedia、YouTube、他>

2024年11月2日土曜日

CSN&Y 未発表ライヴ Live At Fillmore East, 1969が発売。



太田裕美が歌う「青春のしおり」(1)という曲がある。ファンに人気の高い。
歌詞は女性の視点で、学生時代につき合っていたと思われる男子学生(たぶん
年上なのだろう)を追想している。

CSNYなど聞き出してからあなたは人が変わったようね。髪をのばして授業
をさぼり自由に生きてみたいと言った」と歌われる。(2)
さらに「ウッドストック」という言葉も使われ、1970年代のカウンターカル
チャーの空気を感じさせる。



↑ウッドストック・フェスティバル会場へ向かう若者の車の列



太田裕美は作詞を手がけた松本隆に「CSNYってなあに?」と尋ねたという。
松本は怒ったように「CSNYはCSNYだよ」と答えたそうだ。
彼女は「分からないから訊いてるんじゃないの」と思ったという。

同世代の太田裕美がCSNYを知らなかったことがちょっと驚きであった。
上野学園で音楽を学び、シンガー&ソングライターという触れ込みでプロと
して活動していた人がCSNYを知らないって・・・・
松本隆がイラっとしたのもそこだったのだろう。





しかし考えてみれば中学・高校の頃、CSNYを聴いてる女子はいなかった。
GAROは好きという娘は多いけど、元ネタのCSNYの存在を知らない。

ウッドストックでCSNを知り「Déjà Vu」を聴いて、その後デビューした
GAROは和製CSNだなと思った僕たちとはストーリーが違うのだ。

そもそも洋楽ロックに夢中になっていたのは、クラスでも一部の男子だけ。
髪をのばして授業をさぼってたしね。




閑話休題。

クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤング (CSN&Y) の1969年 未発表
ライヴアルバム「Live At Fillmore East, 1969」が公式リリースされた。




1969年9月20日、ニューヨークのフィルモアイースト公演を収録したものだ。
フィルモアイースト公演は以前からブートレッグで出回っていたが、音質が悪く、
テープがヨレる、など評判が悪かった。


公式発売された音源は、新たに発掘された8トラックテープから、スティーヴン
・スティルスとニール・ヤングがLAのサンセットスタジオでレストア&ミックス
を施したものだそうである。

この二人、バッファローの頃から何度もぶつかっているが。
なかよくやれたんでしょうか(笑

それはともかく、非常にいい状態で録音されている。


Crosby, Stills, Nash & Young - Live At Fillmore East, 1969 (2024 Mix)
https://youtu.be/sy_ACh-R1-o?si=gumIV8N17Uv4NvmJ








この4ヶ月前の5月29日、クロスビー、スティルス&ナッシュ(CS&N)の3人が
デビュー・アルバムを発表したばかりであった。(3)

変則チューニングを多用したアコースティクギターの響きと3声ハーモニーの妙
で、それでにない新しいロックの境地を開いた。
イーグルスを初めとするウエストコースト・ロックの礎となっている。



↑スティーヴン・スティルスはモンキーズのオーディションを受け落ちている。
歯並びが悪いという理由だった。確かに・・・



ロック色を強めたいスティルスの意向で、バッファロー解散後ソロで活動していた
ニール・ヤングがギタリストとして加わりCSN&Yの4人体制となった。


ウッドストック・フェスティバルの最終日、8月17日にCSN&Yの4人が出演。
こも歴史的なロック・コンサートのハイライトの1つとなる。

ニール・ヤングは客を前で演奏することは了承したが、映像作品は頑なに拒否。
映画ではニール・ヤング抜きの3人しか写っていない。
とはいえ、世界中の音楽ファンが動くCS&Nの姿を見て衝撃を受けた。





1970年3月にクロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤングの4人名義でアルバム
Déjà Vu」を発表。
ビルボード1位を記録する大ヒットとなり、商業的にも知名度的にもCSN&Yは
頂点を極め、時代を象徴するロックとなった。


フィルモアイースト公演はウッドストック出演の1ヶ月後
ニール・ヤングを加えた4人による2回目のコンサート出演ではないかと思う。




まさにCSN&Yとして上昇気流に乗った一番勢いがある時期のライヴである。
翌1970年6〜7月のライヴを収録した「4 Way Street」(1971年4月発売)より
まとまりがよく聴きやすい。4人が和気藹々と楽しそうなのが伝わる。


前半がアコースティック・セット、後半がエレクトリック・セット
圧倒的な「Suite: Judy Blues Eyes」で始まり、3声にアレンジしたビートルズ
の「Blackbird」、「Helplessly Hoping」と聴く者を虜にして行く。






ニール・ヤングはこの時点ではまだCSN&Yとしてのレパートリーがないようで
「On the Way Home」「I've Loved Her So Long」「Down by the River」
とソロ作品を歌っている。これがとてもいい。

スティルスは「4+20」、ナッシュは「Our House」とこの後「Déjà Vu」に
収録されることになる曲を披露している。
「4+20」は既に完成形。
「Déjà Vu」収録ヴァージョンとのギターのニュアンス違いも楽しめる。





「Long Time Gone」からエレクトリック・セットで5曲続く。
アコースティックの時はあんなに上手いのに、エレキギターのアンサンブル
である。余計な音が多く、ぶつかり合う。
スティルスもニール・ヤングもリードギターは上手いとは言えない。

誰か分からないけどピッチが甘い、つまりチューニングがビミョーに合ってい
なくて気持ち悪い。しかもそういう曲に限って長尺。

まあ、グレイトフル・デッドやディランは日常茶飯事だし、ザ・バンドでさえ
リック・ダンコのチューニングが合ってない時があった。





クリップチューナーもなくて、ステージで正確なチューニングを保つのが難しい
時代だったのかもしれない。
こういうことにシビアーな人と大雑把な人っているし、ガサツな方がバンドら
しくて好きという人もいる。この辺は好みが分かれるところだろう。

しかしCSN&Yの真骨頂はアコースティック・ギターとハーモニーの美しさだ。
個人的にはエレクトリック・セットの分マイナスでお薦め度は★★★★かな。
最後のアカペラ「Find the Cost of Freedom」はお口直しか。ホッとする。






さて、最後にCSN&Yの使用ギターについて少し触れておこう。
CSN&Yといえば、4人全員がマーティンの最高峰D-45を所有していたことでも
有名で、当時のギター・ファンは羨望の眼差しで見ていた。

D-45はCSN&Yのトレードマークであり、CSN&YによってD-45伝説が生まれた、
CSN&Yの影響で多くのミュージシャンが「いつかはD-45」と憧れるようになっ
た、と言っても過言ではないだろう。




D-45は当時の価格で100万円くらいだったと思う。
しかも生産本数が少なく、日本に入ってきたのは4本だけだったと言われる。

日本で最初にD-45を手に入れたのが加藤和彦だそうだ。(4)
次が石川鷹彦、そしてGAROのマークとトミー。





CSN&Yが使用していたD-45は1968年に再生産され出した直後のもので、サイド
&バックにハカランダ(ブラジリアンローズウッド)が使用されている。(5)
4人揃ってカリフォルニア州バークレーの楽器店で購入したそうだ。





尚、スティーヴン・スティルスはD-45以外にも、スロテッドヘッドで12フレット
ジョイントの000-45、ヴァーティカル・ロゴのD-28を所有している。
ニール・ヤングはD-45の他、ヴァーティカル・ロゴのD-28、D-18、ギブソン
J-200を愛用していた。



ヴァーティカル・ロゴ(縦型ロゴ)のD-28



フィルモアイースト公演の写真を見る限り、ニール・ヤングはD-45、スティルス
はD-28、クロスビーはD-18を12弦に改造したもの(6)を使用している。



D-18を12弦に改造してある。チューナーが増える分ヘッドストックが長い。



エレクトリック・セットの写真はないが、クロスビーはグレッチ・ナッシュビル、
ギブソンのセミアコを12弦に改造したモデル、スティルスはギブソンのセミアコ、
SG、グレッチ・ホワイトファルコン、グレッチ・カントリージェントルマン辺り
ではないか。

グラハム・ナッシュは不明(エレキを抱えている写真を見かけない)、ニール・
ヤングはレスポール・ブラックビューティ、グレッチ・ホワイトファルコン、
ギブソンのフライングVのいずれかを使用していたと思われる。





<脚注>