ご冥福をお祈りします。
クインシーといえば、多くの人がマイケル・ジャクソンを想起するだろう。
マイケルとクインシーは1979年の「Off The Wall」で初めてタッグを組む。
800万枚を売り上げるロングセラーとなった。
↑クインシーとマイケル。「Off The Wall」制作中の写真と思われる。
この頃のマイケルはよかったなあ。
次作への期待は高まり、マイケルとクインシーはプレッシャーを感じてたそうだ。
しかし1982年に発売された「Thriller」は前作を軽く超え、約7000万枚〜1億枚
という「史上最も売れたアルバム」となった。
Beat Itはエディ・ヴァン・ヘイレンのギターソロが強烈なロックナンバーだ。
↑マイケルのライヴでギターソロを弾くエディ・ヴァン・ヘイレン。
イントロやコーラス部のBeat it〜♫で鳴っているギターのリフ、バッキング、
オブリ、ベースはスティーヴ・ルカサーが弾いている。
あのリフはTOTOのHold The Lineを彷彿させる。
スティーヴ・ルカサーがスタジオで考えたのか?
それともクインシーが渡したスコアに既に書いてあったのか?
ヴァン・ヘイレンの間奏は最初から決まっていたんだろうか?
スティーヴ・ルカサーが弾いた間奏は存在しないのかな?
↑スティーヴ・ルカサーとエディ・ヴァン・ヘイレン。
Beat It - Isolated Guitars - Steve Lukather & Eddie Van Halen
ブラック・ミュージックに白人ロックの要素を取り入れるセンス。
クインシーはこのバランス感覚に優れていた。
ブラザーズ・ジョンソン、パティ・オースティン、ジェームス・イングラムも
都会的で洗練されたAORの黒人版、ブラック・コンテンポラリー路線で売れる。
アフリカ救済のチャリティー・シングル「We Are the World」を制作。
クインシーはそのプロデュースも手がけた。
クインシー・ジョーンズの黄金期は1970年代末〜1980年代前半のブラック・
コンテンポラリー全盛期と重なるが、彼のキャリアは長く1950年代から輝かしい
実績を残している。
クインシー・ジョーンズの黄金期は1970年代末〜1980年代前半のブラック・
コンテンポラリー全盛期と重なるが、彼のキャリアは長く1950年代から輝かしい
実績を残している。
クインシーがキャリアをスタートさせた頃はジャズであった。
多くの人がイメージするクインシー=ブラック・コンテンポラリーとは違う。
クインシーはもともとトランペット奏者であった。
そのせいかアレンジにおいても、ホーン・セクションの使い方に長けていた。
カウント・ベイシー、デューク・エリントン、ヘレン・メリル、サラ・ヴォーン
のアレンジを手がけた。
↑サラ・ヴォーンと。左がプロデューサーのボビー・シャッド。右がクインシー。
↑クインシーとディジー・ガレスピー
↑名盤の誉高いヘレン・メリルのデビュー・アルバム(1955年)もクインシー
がアレンジを手がけている。
Helen Merrill With Clifford Brown - Falling In Love With Love
https://youtu.be/RlAoPW51jjI?si=mq0UICybpbbPUpu1
1960年代からはプロデューサーとしても活躍した。
レスリー・ゴーアのデビュー曲、It's My Partyは全米1位を獲得。(1963年)
大まかに分けると、〜1961年はジャズ、1960年代はポピュラー・ミュージック
、Smackwater Jack (1971年)からはソウル・ファンク。
Sounds... And Stuff Like That!(1978年)からブラック・コンテンポラリー。
The Dude (1981年)は全世界でヒットした。
Quincy Jones - Takin It To The Streets
https://youtu.be/0IYRnC5ngRc?si=ui5UK4aPrE4Nk7nO
↑ドゥービー・ブラザーズのヒット曲。作曲はマイケル・マクドナルド。
ボーカルはルーサー・ヴァンドロスとグウェン・ガスリー。
Quincy Jones - Betcha Wouldn't Hurt Me
https://youtu.be/Xg9esGW_LUE?si=TMRSb_b4EgNW3S5G
↑作曲はスティーヴィー・ワンダー、ボーカルはパティ・オースティン。
スラップ・ベースはルイス・ジョンソンが弾いている。
クインシーはもともとトランペット奏者であった。
そのせいかアレンジにおいても、ホーン・セクションの使い方に長けていた。
10代で盲目のピアノ奏者の少年レイ・チャールズと共にバンド活動を始める。
ライオネル・ハンプトン楽団に参加したクインシーはアレンジャーの才能を
開花させる。
ライオネル・ハンプトン楽団に参加したクインシーはアレンジャーの才能を
開花させる。
カウント・ベイシー、デューク・エリントン、ヘレン・メリル、サラ・ヴォーン
のアレンジを手がけた。
↑クインシーとディジー・ガレスピー
↑名盤の誉高いヘレン・メリルのデビュー・アルバム(1955年)もクインシー
がアレンジを手がけている。
Helen Merrill With Clifford Brown - Falling In Love With Love
https://youtu.be/RlAoPW51jjI?si=mq0UICybpbbPUpu1
1960年代からはプロデューサーとしても活躍した。
レスリー・ゴーアのデビュー曲、It's My Partyは全米1位を獲得。(1963年)
Lesley Gore - It's My Party
https://youtu.be/Xqc-tDSBSbE?si=6hTzVOJQLl0MU12J
「ヒット曲はイントロで決まる」という格言どおり、It's My Partyはたった2音
ながらもキャッチーな仕掛けで曲にインパクトを与えた。
お世辞にも歌が上手いとは言えないレスリー・ゴーアを人気歌手に押し上げた
のは、クインシー・マジックである。
↑レスリー・ゴーアとクインシー
マイルス・デイヴィス、フランク・シナトラのプロデュースも手がけた。
↑シナトラとクインシー
また映画・TVドラマの音楽の分野へも活動の幅を広げる。
シドニー・ポワチエ主演の「夜の大捜査線」やスティーヴ・マックイーン主演
の「ゲッタウェイ」のサウンドトラックも評判となった。
ドラマ「鬼警部アイアンサイド」のテーマ曲は、NTV「テレビ三面記事 ウィ
ークエンダー」で「新聞によりますと」で始まる事件解説の際使われたので
日本でもお馴染みの曲となっている。
(クエンティン・タランティーノ監督の映画「キル・ビル」でも使用された)
↑原題は「Ironside」。鬼警部って・・・(笑
「鬼警部アイアンサイドのテーマ」クインシー・ジョーンズ」
https://youtu.be/qRLO2_EK04o?si=b6jr3z4ey-tq74ZX
1978年公開の映画「ウィズ」(「オズの魔法使い」をベースにした黒人出演者
によるミュージカルに)でマイケル・ジャクソンと出会う。
これがクインシーとマイケルの最高傑作を産むきっかけとなる。
https://youtu.be/Xqc-tDSBSbE?si=6hTzVOJQLl0MU12J
「ヒット曲はイントロで決まる」という格言どおり、It's My Partyはたった2音
ながらもキャッチーな仕掛けで曲にインパクトを与えた。
お世辞にも歌が上手いとは言えないレスリー・ゴーアを人気歌手に押し上げた
のは、クインシー・マジックである。
↑レスリー・ゴーアとクインシー
マイルス・デイヴィス、フランク・シナトラのプロデュースも手がけた。
↑シナトラとクインシー
また映画・TVドラマの音楽の分野へも活動の幅を広げる。
シドニー・ポワチエ主演の「夜の大捜査線」やスティーヴ・マックイーン主演
の「ゲッタウェイ」のサウンドトラックも評判となった。
ドラマ「鬼警部アイアンサイド」のテーマ曲は、NTV「テレビ三面記事 ウィ
ークエンダー」で「新聞によりますと」で始まる事件解説の際使われたので
日本でもお馴染みの曲となっている。
(クエンティン・タランティーノ監督の映画「キル・ビル」でも使用された)
↑原題は「Ironside」。鬼警部って・・・(笑
「鬼警部アイアンサイドのテーマ」クインシー・ジョーンズ」
https://youtu.be/qRLO2_EK04o?si=b6jr3z4ey-tq74ZX
1978年公開の映画「ウィズ」(「オズの魔法使い」をベースにした黒人出演者
によるミュージカルに)でマイケル・ジャクソンと出会う。
これがクインシーとマイケルの最高傑作を産むきっかけとなる。
大まかに分けると、〜1961年はジャズ、1960年代はポピュラー・ミュージック
、Smackwater Jack (1971年)からはソウル・ファンク。
Sounds... And Stuff Like That!(1978年)からブラック・コンテンポラリー。
The Dude (1981年)は全世界でヒットした。
Quincy Jones - Takin It To The Streets
https://youtu.be/0IYRnC5ngRc?si=ui5UK4aPrE4Nk7nO
↑ドゥービー・ブラザーズのヒット曲。作曲はマイケル・マクドナルド。
ボーカルはルーサー・ヴァンドロスとグウェン・ガスリー。
Quincy Jones - Betcha Wouldn't Hurt Me
https://youtu.be/Xg9esGW_LUE?si=TMRSb_b4EgNW3S5G
↑作曲はスティーヴィー・ワンダー、ボーカルはパティ・オースティン。
スラップ・ベースはルイス・ジョンソンが弾いている。
<参考資料:CNBC TITANS、JAZZ MUSIC SMALL LIBRARY、
JET SET ONLINE SHOP、Wikipedia、YouTube、他>
4 件のコメント:
もしも1985年に戻れたら…父にあらためてクインシー・ジョーンズの話しをしたいと感じました。…というのは私の父がクリフォートブラウンの大ファンだったので…こちらでご紹介されているヘレン・メリルwith クリフォード・ブラウンのアルバムは父の希望で復刻版プレスをプレゼントし それは今父の形見として私の手元にあります。こちらのブログを読まなければ思いだしませんでした。(解説書もあるのに読んでなくて…)まさかあのWe are the worldやスリラーのクインシーがアレンジ指揮をしていたんですね!…ジャンルを超えたアメリカの音楽の奥深さとクインシージョーンズという方の偉大さをあらためて感じました。
>kanaria _san さん
お父様はセンスのいい洒落た方だったんですね。
私の父はクラシック以外は音楽じゃない、ロックやジャズは不良という偏見の持ち主で堅物。
ことごとく否定され、レコードは割られ、友人が貸してくれたギターも叩き壊されました。
が、めげずに聴き続けバンドをやってました。
高校生の頃はジャズ喫茶でJBLのスピーカーの前で煙草をふかしながら難しそうな顔をするのがカッコいいのだろうと思ってましたよ。
実はジャズって何がいいのかさっぱり分からん、と思ってました(笑
社会人になってからロックだけでなくフュージョン、ジャズも聴くようになりました。
ジャズコード理論を知らないとついていけないので勉強しました。
その頃、このヘレン・メリルの名盤をも買って聴いてました。
クリフォード・ブラウンのなめらかで豊かなトランペットの音色、出過ぎずにここぞという場で絶妙なフレーズを繰り出す絶妙さ。
アルバム・タイトルにクレジットされるくらいだですが、この頃まだ20代前半。
この人、25歳で交通事故で他界してるんです。
クインシーは1970年代ブラコンから聴き出したんですが、時代を遡ると1960年代ポップスのアレンジャー、さらにジャズ畑の人だったんですね。
私の父は戦中の軍隊ラッパ係からトランペットをはじめたそうで独身の頃はアマチュア楽団に入っていたんです。 私が子供の頃は日曜は家でトランペットを吹いてました。音が大きくて子供的にはただうるさかったです…😅クリフォードブラウンのレコードも父の形見で数枚持ってます。ヘレン・メリルの来日公演のチケットをプレゼントしたらとても喜んでくれた思い出もあります。クインシージョーンズを辿ると幅広い音楽知識が身につきそうですね。 色々聴いてみたいと思います。
>kanaria _san さん
子供の頃からジャズが身近にある環境で育たれたんですね。
もしかしたらご自身で意識されてなくても、スイング(横揺れ)のリズム感があるのかもしれませんよ。
ヘレン・メリルは親日家で何度か日本で公演を行なっているようです。
1963年の2度目の来日公演はHelen Merrill In Tokyoとしてレコード化されてます。
私はあまりジャズ、特にボーカルは聴きませんが、近年だとダイアナ・クラール(ピアニストでもあります)、ノラ・ジョーンズ(ジャズとロックの中間?)がよかったです。
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