2024年6月29日土曜日

F・アルディの「さよならを教えて/もう森へなんか行かない」




Comment te dire adieu(さよならを教えて)>

初めて聴いたアルディは「Comment te dire adieu(さよならを教えて)」だ。
1968年発表のアルバム「Comment te dire adieu 」のタイトル曲で、シングル盤
でも発売された。

フランスでは1968〜1969年にかけてヒットしたが、なぜか日本では5年遅れの1973
〜1974年にFMでよく流れていた。何がきっかけで売れ出したんだろう?


↓「Comment te dire adieu(さよならを教えて)」
https://www.youtube.com/watch?v=tINyMbNZytI






原曲はジャック・ゴールド作曲の「It Hurts To Say Goodbye」である。
マーガレット・ホワイティングが1966年に発表。
翌1967年にヴェラ・リンのカヴァーがヒットしている。

いずれも古き良き時代を彷彿させるオーソドックスな3連ロッカバラード(1)だった。
アルディーが聴いても興味を示さなかっただろう。


アルディは本作品のアップテンポのインストゥルメンタル(演奏者不明)をどこかで
聴き、とても「キャッチー」だと感じたという。

彼女が聴いたのは、1967年発表のブラジルのオルガン奏者、ワルター・ワンダレイ
軽快なサンバのズムでハモンドオルガンを弾いてるヴァージョンだと思われる。




↓ワルター・ワンダレイの「It Hurts To Say Goodbye」
https://www.youtube.com/watch?v=py2Kui2ye-I




作曲者のジャック・ゴールドも自身のオーケストラで「It Hurts to Say Goodbye」
でカヴァーしているが、1969年リリース。アルディの「さよなら〜」より後だ。

これはセルジオ・メンデス&ブラジル'66かバート・バカラックのようなラテン調の
イージーリスニングである。
むしろアルディの「さよならを教えて」のインストゥルメンタル版という印象だ。




↓ジャック・ゴールド・オーケストラの「It Hurts to Say Goodbye」
https://www.youtube.com/watch?v=WdE9VkFJ-RY






↑左からゲンスブール、アルディ、右はウォーレン・ベイティ(1967年)



アルディはフランス語の作詞はセルジュ・ゲンスブール(フランスの作詞・作曲家、
歌手、映画監督、俳優)に依頼した。(2)
ゲンスブールは ex の音節を持つ単語(3)の連続でリズムを強調することを思いつく。

Sous aucun prétex.../...te, je ne veux / avoir de réflex.../...es malheureux. / 
Il faut que tu m'ex.../...pliques un peu mieux, / comment te dire adieu.
(Kleenexという商品名も使われている)




フランソワーズ・アルディセルジュ・ゲンスブール



さらに、サビは歌メロではなくモノローグのような語りのパートを付け加えた。
演奏はアップテンポでリズムが強調され、歌と同じライン、歌に呼応するオブリガー
トにスタッカートを効かせた軽快なフレンチホルン(4)が加えられている。


この曲がきっかけでアルディは、ゲンスブールとその妻だったジェーン・バーキン
とも親しくなった。




↑セルジュ・ゲンスブールとジェーン・バーキン




ジェーン・バーキンフランソワーズ・アルディ



↓珍しいジェーン・バーキンとのデュエット。
https://www.youtube.com/watch?v=0xJwTV7jzwU






↑アルバム「Comment te dire adieu 」のレコーディング中。(5)
あの透明感のある歌声はノイマンのコンデンサーマイクで録音されていた。




「さよならを教えて」はヒットし、アルディの代表曲の一つとなった。
日本でも人気が高い曲である。


木之内みどりが「涙が微笑みにかわるまで」というタイトルでカヴァーしている。

ユーミンが三木聖子への提供曲として作った「まちぶせ」も「さよならを教えて」
から翻案された曲だそうだ。(6)



ユーミンはフランソワーズ・アルディのファンだったそうで、「私のフランソワーズ」
という曲も作っている。 (1974年のアルバム「MISSLIM」に収録)

  たそがれどき ひとりかけるレコード 4年前にはじめてきいた曲を(中略)
  あなたの顔 写真でしか知らない 私はただ遠く憧れるだけ

と歌われている。






ユーミンは「さよならを教えて」からフランソワーズ・アルディを聴くようになっ
たと言っている。(7) フランスで流行った1968年頃だろう






アルディはデビュー時のイエイエから、ジョニ・ミッチェルにも通じるようなシン
ガー&ソングライターになっていた(8)が、そこはフランス。どこかオシャレだ。


アンニュイな歌声にも、写真からも、フランスのエスプリが感じられた
ユーミンが憧れを抱いたのはそこなのだろう。


小林麻美もアルディのファンで「どことなく翳があって、不健康な美しさがある、
不安定な愛を歌っているのが魅力」と語っている。(「話の特集」1976年5月号)








Ma jeunesse fout l'camp(もう森へなんか行かない)>

1970年代末に再度、日本でフランソワーズ・アルディが話題になる。

1979年4月〜7月にTBS系列で放送された金曜ドラマ枠「沿線地図」のテーマ
として、アルディの1967年の曲「Ma jeunesse fout l'camp(もう森へなんか
かない)」が使用されたのがきっかけだった。





1967年発表のアルバム「Ma jeunesse fout l'camp」のタイトル曲である。


↓Ma jeunesse fout l'camp(もう森へなんか行かない)」
https://www.youtube.com/watch?v=pBOncEj8Wt0







ドラマは山田太一の脚本で、東急田園都市線沿線に住む家族が抱える問題(思春期
のドロップアウト、親世代の価値観と苦悩、老人の孤独)が丁寧に描かれている。
(自分はこのドラマを見ていない。放送されてたことも後から知った)





ドラマ全編でアルディの「もう森へなんか行かない」と「Si mi caballero(私
の騎士)」(1971年作品)の2曲が繰り返し流れ、切なくメランコリックな雰囲
が演出されていたらしい。(選曲のセンスがすばらしい!)



↓「Si mi caballero(私の騎士)」
イントロの口笛、同じメロで歌われるハミングがもの悲し気でいい。
https://www.youtube.com/watch?v=8iEi4F-5nkE






「私の騎士」は1971年のアルバム「La Question(私の詩集)に収録された。

このアルバムはほとんどの曲が、ブラジルの女性シンガー&ソングライター、トゥ
ーカとの共作で、彼女がギターとアレンジでも参加。
アルディのアンニュイな歌声とトゥーカのギター伴奏が見事に融合。名盤である。




↑トゥーカとフランソワーズ・アルディ



ドラマの中で繰り返し流れたことで話題を呼び、この2曲を収録した日本編集の
ベスト盤「もう森へなんか行かない」(1979年エピックソニー)が発売された。
(ジャケットのカバーアートはシングル盤のものを流用)

(ちなみに私が1974年に買ったベスト盤「Francoise」には「森へなんか〜」は
っていたが、「私の騎士」は入ってなかった)







「Ma jeunesse fout l'camp(もう森へなんかかない)」に話を戻そう。


原題を直訳すると「私の青春が逃げて行く」というニュアンスだろうか。

私の青春が去って行く 一篇の詩をたどり 韻を踏み 手をふりながら
私の青春が去って行く 枯れた泉へ 柳の枝のように私の二十歳は刈り取られる

私たちはもう森へなんか行かない 詩人の歌 安っぽい節まわし 下手な詩
夢見心地で歌った 祭りで出会った男の子たち 名前さえ忘れてしまった






二番の歌詞に「もう森へは行かない(Nous n'irons plus au bois)」が出て来る。

フランスには「Nous n'irons plus au bois」という童謡があるそうだ。
厭世的な響きのタイトルとは裏腹に「みんなで森で楽しく踊りましょう、跳んで
踊って気に入った子にはキスしましょう」という内容である。


この童謡は18世紀、グレゴリオ聖歌の旋律に詞を乗せて作られた曲らしい。(9)
ドビュッシーの作品にも「もう森へは行かない」が使われている。(10)







アルディの「もう森へなんか行かない」は、「瞬く間に過ぎ去って行った青春」に
思いを馳せもうあの頃へは戻れない」と感傷的になっている歌だと思う。


直訳ではないが、「もう森へなんか行かない」はすてきな邦題だ。
「なんか」という、どこか拗ねたような言い回しがいい。








実は「森へなんか〜」はアルディのオリジナルではなくカヴァー曲である。
フランスのギイ・ボンタンペリ(男性)の作曲で、ミッシェル・アルノー(女性)
が先に歌っていた。

いずれも古典的なシャンソンっぽい歌唱だ。
アルディの内省的でメランコリックな歌の方が曲とうまく共鳴している。









私は近年、港区を席巻しているなんとかヒルズなど、森ビルだらけの威圧的な街
並みを憂いて、「もう森へなんか行かない」と呟く。


時々フランソワーズ・アルディの「もう森へなんか行かない」が聴きたくなる。
今にも空が泣き出しそうな日は特に。


<脚注>


(1)3連ロッカバラード
4/4拍で1が3連符。タタタ・タタタ・・・という感じ。
パーシー・フェイスの「夏の日の恋(The Summer Place)がそうです。


(2)作詞はセルジュ・ゲンスブールに依頼
アルディはこの曲の詞を書く気になれなかった。
エージェントの薦めで、セルジュ・ゲンスブールに作詞を委ねることにした。
この時点ではまだアルディとゲンスブールは面識がなかったのではないか。


(3) ex の音節を持つ単語
フランス語は原則として単語の最後の子音は発音しない。
しかし「ex」の時は「iks」と発音する。
この「ex」の連続が、韻を踏むような感覚を生む。


(4)歌メロと同じラインやオブリガートにフレンチホルン
ゲンスブールはバート・バカラックのアレンジを参考にしたのではないか。


(5)アルバム「Comment te dire adieu 」のレコーディング中
アルバム収録曲「Des ronds dans l'eau」のボーカルを録音している。
(短編映画「Françoise et Udo」1968年より)


(6)「まちぶせ」
松任谷正隆氏はこの曲は歌謡曲っぽいので嫌いだと言っている。
(歌い出しからE7→Amと典型的な歌謡曲のコード進行)
アレンジでなんとか遠ざけようとしたとか。
確かに「まちぶせ」と「いちご白書をもう一度」はユーミンにしては捻りがない。


(7)ユーミンが聴いた「さよならを教えて」
ユーミンは「フランス人のサンへの感覚が好き」と言っている。
「ブラジルのサンバが強烈な太陽の下で肉食的なのに対し、フランス人のサンバ
海岸で赤い夕暮れの中、熱い身体を冷たい風が包む時の倦怠感、さりげなさがある」
とのこと。(私のフランソワーズ 荒井由実テープ・インタビュー 1975年より)

Kontaの歓びの毒牙 ユーミンが語る’私のフランソワーズ・アルディ’より一部
抜粋して引用させていただきました。感謝です。↓原文はこちらのリンクから。


(8)ジョニ・ミッチェルについて
ユーミンとっては、西のフランソワーズ・アルディ、東のジョニ・ミッチェルという
存在だったそうだ。
しかしアルディ本人はジョニ・ミッチェルのことは名前だけで、あまり知らない」
と言っている。つまり、聴いてない。聴いたとしても彼女の琴線は動かなかった。
FRaU 1996年10月22号 ユーミン 私のフランソワーズ・アルディ 対談
バフィ・セントメリーとかジャニス・イアンはカヴァーしてるのに、ジョニ・ミッ
チェルは聴いてない、というのが不思議。

Kontaの歓びの毒牙 ユーミン 私のフランソワーズ・アルディ対談その2より一部
抜粋して引用させていただきました。感謝です。↓原文はこちらのリンクから。


(9)童謡「Nous n'irons plus au bois」
作詞者はフランス王ルイ15世の公妾、ポンパドゥール夫人説が有力だとか。
夫人が年齢や体力を理由に王の愛妾の座を若い女性たちに譲った時期に書いた
で、表向きは童謡の体をとりながら、実は暗に大人の艶めかしい事情を綴った?
という見方もあるらしい。
アルディの「もう森へなんか行かない(Ma jeunesse fout l'camp)」は物憂げ
歌われるが、そこまで深い意味はない・・・たぶん。


(10)ドビュッシーと「もう森へは行かない」
ドビュッシーの作品「忘れられた映像」に「いやな天気だから『もう森へは行か
ない』の諸相」という曲がある。
この『もう森へは行かない』というのはフランスの童謡のこと。
しかも童謡のメロディが転用されているのがおもしろい。
さらに「いやな天気だから」は「版画」の中の「雨の庭」の元にもなってる。



<参考資料:WWD JAPAN、THE RAKE、Wikipedia、Amazon、YouTube、
マーメイド号の紙ジャケだけじゃ生きてゆけない!本日の中古盤 FRANCOISE 
HARDY/FRANCOISE、僕らの日々 フランソワーズ・アルディの思い出@1991
アデュー・ロマンティーク~恋とか、音楽とか、映画とか、アートとか、LIFEとか
No.0332 【60年代をつかまえて】イエイエで踊ろう~ Paris , Tokyo、産經新聞、
Kontaの歓びの毒牙 ユーミンが語る’私のフランソワーズ・アルディ’、ユーミン 
私のフランソワーズ・アルディ対談、読売新聞オンライン、 AFPBB News、
GettyImages、Françoise et Udo(1968)、他>


8 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

 やはり日本でアルディといえば“さよならを教えて"と“もう森へなんか…“につきますね。私がアルディの曲をアルディと認識して聞いたのはアルバム“GinTonic"からなんですが、 その後買い集めたLPに"もう森へなんか…“が入っていて この曲は高校生の頃、深夜ラジオで1度だけ耳にしていて タイトルと不思議な言葉が印象に残り覚えていたので大変驚きました。タイトルの“森"からイメージしノルウェー語の曲だろうと勝手に決めていました。(Beatles:ノルウェーの森) “森“にも色々ありますよね。港区だと森ビル(笑)Beatlesのは森というより"木材"でしたけど! “アルディの森"は本当に深くもう戻れませんね from kanaria_san

イエロードッグ さんのコメント...

>kanariya_sanさん

「Gin Tonic」は持ってないんですよ。アルディから離れてた時期です。
この頃はAORやブラコン、そしてユーロビートに移行した頃かな。
10代の頃「さよなら」を聴いてベスト盤を買って「森へ」も知りました。
森というのはなんか鬱な感じがして惹かれますよね。闇もあるし。

グリム童話の森が出てくる話もそういう中世の怖い慣習だったりします。
そして「ノルウェーの森」は世紀の誤訳です(笑
森だったらNorwegian Woodsと複数形になるはずですよね。
ご存知のようにNorwegian Woodはパイン材の家具のこと。
つまり歌の中で泊めてもらった女の部屋は中流以下だったわけです。

しかし「ノルウェーの森」だと鬱蒼とした深い森を連想させますよね。
この邦題がなければ、村上春樹の小説も生まれなかったでしょう。

匿名 さんのコメント...

こんにちは 村上春樹さんは村上Radioなど 音楽にもこだわりがある作家さんなのでそこらも含んでのネーミングなんでしょうか?昔読んだけど内容は忘れてしまいました(笑)
 アメブロで「アルディさんとの対談時のユーミンとのお写真」をブログに載せている方を発見しました。雑誌の現物は入手困難なのでホントにありがたいです。対等な感じでさすがユーミンと思いました。kanaria_sanより
https://ameblo.jp/yahimon-2021/entry-12856069607.html

イエロードッグ さんのコメント...

>kanariya_sanさん

対談の写真、拝見しました。教えてくださってありがとうございます。
こんな感じだったんですね。いかにも'90年代のユーミンって感じです。
それにしてもフランソワーズ・アルディはでかい!という印象です。
手前なので、大きく映るというのはありますけど。
ユーミンだってけっこう長身の方だったはずですが。。。

「ノルウェーの森」は飛行機のBGMで「ノルウェーの森」が流れ、
主人公が自殺した直子に想いを馳せるところから始まります。
確か心を病んでいた直子について、鬱蒼とした森の中で・・・という
記述があったような気がしますが。忘れました。

この小説は「蛍」という短編をリバイスして長編にしたものです。
個人的にはこの「蛍」が儚くて、たまらなく好きでした。

「ノルウェーの森」は確かギリシャ滞在中に執筆されたような。。。
書いてる間、ビートルズのホワイトアルバムを繰り返し聴いたそうです。
でも特にビートルズに思い入れがあるわけではないと書いてました。

村上Radio、よくご存知ですね!
芸術新潮の別冊に寄稿していたデニス・ウィルソンの死についての
エッセイは本にする予定はないんですか?と質問したら、1ヶ月後に
ご本人からちゃんと返事が来て、ひっくり返りそうになりました。
ロックについてのエッセイをいつかまとめて本にしたいと思ってる、
とのことでした。(いまだに刊行されてません)

実家が村上春樹さんのご自宅の近所です。
犬を散歩させてる時、3回お見かけしました。
メールでだけでやり取りした人とすれ違うのは妙な感覚ですね。

ちなみに生前の安西水丸さんの青山のオフィスは伺ったことがあります。
簡単そうに見えるけど、このレモンを「よく冷えて美味しそうに」見せ
るために何度も書き直してるんだ、と力説されてました。

匿名 さんのコメント...

安西水丸さんお亡くなりになってたのですね…涙。 村上春樹さん。ただ聴くという作業で終わらせない…やはり天才作家とはさすが 村上Radio楽しみですね。フランソワーズアルディとユーミンの写真 確かに(笑)私はコラかと最初思いましたよ。kanariya_san より

イエロードッグ さんのコメント...

kanariya_sanさん

フランソワーズ・アルディとご主人との身長差は10cmあるそうです。
海外では女性の方がおおきいカップルはいくらでもいますけどね。
日本では「大きい娘は売れない」と言われてました。
小林麻美や浅野温子が売れ出したのも、JJで女性に人気が出てからです。
1970年代の日本では長身でカッコいい女性は受けなかったのでしょう。


マーメイド号 さんのコメント...

”さよならを教えて”の記事、大変興味深く拝見させて頂きました。知らないことだらけで勉強になりました。
なかでも、木之内みどりのカヴァー・ヴァージョンは知らなかっただけに大変驚きました。

邦題が”涙が微笑みにかわるまで”では、一生気付かず聴かないままだったかもしれませんでした。

イエロードッグ さんのコメント...

>マーメイド号さん

フランソワーズ・アルディの追悼投稿の際はお世話になりました。

「涙が微笑みにかわるまで」→西田佐知子が歌いそうなタイトルですね(笑
美岐陽子という人も同じ曲を歌ってたみたいです。YouTubeにはありませんでした。
https://muuseo.com/jac-rec1925/items/1397

木之内みどりとどちらが先だったんでしょうね。
美岐陽子の情報はほぼゼロ。この1曲しか持ち歌がないのか?
写真から察するに、この当時で木之内みどりよりキャリアが長そうです。

尚、訳詞:万里村ゆき子になってますが。
ゲンスブールの詞とはだいぶ違います。 
https://note.com/nyamnyam3/n/n7b8a2d7425ed