2025年2月16日日曜日

1979年の「沿線地図」と「もう森へなんか行かない」。



BS-TBSで再放送されたドラマ「沿線地図」全15話を見終わった。
脚本家の山田太一さん追悼企画の一環ということらしい。

年末に「岸辺のアルバム」(1977年)をやっていたので、「沿線地図」もやるの
では?ぜひ見てみたい、と期待していのだ。


「沿線地図」は1979年4月〜7月にTBS系列の金曜ドラマ枠で放送された。
リアルタイムでは見てない。今回が初めてだ。
当時は部屋でレコードばかり聴いてたのでTVを見る習慣がなく、このドラマの
こともまったく知らなかった。(TVに関わる仕事をしてたのに)






「沿線地図」を見てみたいと思ったのは、フランソワーズ・アルディの「もう森
へなんか行かない(Ma jeunesse fout l'camp)」が主題歌で使われていること
を知ったからだ。

Francoise Hardy - Ma jeunesse fout le camp
https://youtu.be/pBOncEj8Wt0?si=w-dtB6Q2-_scTlaO


↓昨年「もう森へなんか行かない」について書いた投稿もご参照ください。
https://b-side-medley.blogspot.com/2024/06/f.html




<ドラマの設定>

多少ネタバレになってしまうが・・・・

二人の高校生のドロップアウトと家出、同棲が主題である。
両家の親世代の価値観の崩壊と苦悩、祖父の孤独、と各世代の葛藤が丁寧に
描かれている。




志郎(広岡瞬)は東大も確実と言われる優等生。本ばかり読んでいる根暗くん。
通学の電車で知り合った道子(真行寺君枝)に焚き付けられ、優等生の道を
外れ出すが、何か生きる活力のようなものを感じ始める。

志郎と道子が通学中に会っていたのは田園都市線の車内、二子玉川(当時は
二子玉川園)駅ホーム、自由が丘駅前、等々力駅ホーム。
東急の田園都市線と大井町線が舞台となっている。





志郎の父(児玉清)は一橋大学卒のエリート銀行員で支店次長。
田園都市線・宮崎台の高級マンションに母(河内桃子)と3人で暮らす。





ユニークな造りのマンションは東急ドエル宮崎台ビレジ(1971年竣工)。
現在もヴィンテージ・マンションとして人気が高い。
ドラマの撮影では実際にこの物件のエントランス、廊下、室内が使われた。





道子は大井町線の等々力駅近くの電気屋の一人娘。
優等生だが、奇矯な行動を繰り返す。




父(河原崎長一郎)と母(岸恵子)が店を切り盛りしている。
(三菱電機系列店という設定は、番組提供スポンサーだったためだろう)

岸恵子はパリ居住だったが、このドラマ撮影のために来日したそうだ。
電気屋のおかみに岸恵子はミスキャストと思ったが、けっこうハマり役。




店内・店前はセットを組んでの撮影。劇中では電車の通過音が聞こえる。
踏切近くの用賀仲町通りから横小路に入ると、小さな商店が並んでた。
そんな商店街の一角に小さな店をかまえていた、という設定だろう。



↑等々力駅前、
用賀仲町通りの踏切。
劇中では八百正、喫茶アゼリアの看板が映っていたが・・・



志郎の祖父(笠智衆)は二子玉川のアパートで一人暮らしをしている。
窓からは多摩川が見える。
小津安二郎作品の時と違い、笠智衆の台詞がけっこう長い(笑




等々力駅の反対側にあるスナックの従業員(新井康弘)は、惚れてる弱み
で道子の家出を手伝ったり、金を貸したり情報提供に協力する。
彼が着ているバラクータG9はこの頃流行っていた。




家出した2人の情報を得ようと、両家が頻繁にこのスナックに集う。
壁にはフランソワーズ・アルディのポスターが貼ってあった。



家出した2人は東新宿の青果卸売市場(淀橋市場)で働いていた。
志郎はフォークリフトで積荷を運び、道子は市場内の食堂で給仕をしている。
淀橋市場が面している中央線の脇を志郎が歩くシーンも見られる。





2人が同棲しているのは東中野の木賃アパート




※貧乏な同棲が話題になったのは同棲時代、赤提灯が流行った1973年。
1977年に雑誌ポパイが創刊、SHIPSとBEAMSが開店、1979年に村上春樹
の「風の歌を聴け」、翌年に田中康夫の「なんクリ」。
1979年はAORが流行り「ライトで都会的で洗練された」が良しとされた。
この頃の若者が「決められたレールの上を歩きたくない」と言うだろうか。
ちょっと時代感覚がズレてる?という気がしなくもない。





<「もう森へなんか行かない」の使われ方>

「もう森へなんか行かない」はオープニングで流れる
原曲はA-B-B'-A-B-B'の構成で3'07"だが、尺の関係で2分弱に編集してある。

まずエピソードのさわりから始まり、イントロのギター抜きで歌が入る。


↓これは最終回。エピソードがいつもより長く、1'26"〜歌が始まる。
https://youtu.be/sLx32h_W3bg?si=4kB2PxZwJeNDtTgc






二子新地を出て多摩川を渡り、二子玉川に入る田園都市線の空撮をバックに
「沿線地図」のタイトル、脚本、制作スタッフなどのテロップが入る。
(この頃のドラマや映画はオープニングにクレジットが入るのが一般的だった)

横に246と二子橋も見える。二子玉川を過ぎて右に弧を描いてるのは大井町線。

(2年前に新玉川線・二子玉川〜 渋谷間が開通し、田園都市線が渋谷まで直通
で乗り入れるようになった。
これによって沿線の梶ヶ谷、宮前平、宮崎台、鷺沼、たまプラーザ、青葉台など
整備された郊外の都会的な街として人気が高まって行く)



(1979年の東急電鉄路線図に志郎と道子の家、会っていた場所を追記)




大井町線の運転席から撮った前方の風景が流れる。
(東京急行の許可を取って撮影しているそうだ)

大岡山トンネルを出たところで、配役のクレジットが入る。
等々力のホームを過ぎ、上野毛の待避線?に緑色の旧型車両がいるのが見える。



(丸っこい顔がかわいく芋虫電車と呼んでいたが、鉄道ファンの間では青ガエル
という呼称で親しまれているそうだ。
目蒲線、池上線でよく使われていた。国鉄の払い下げ車両らしい。床は木製。
井の頭線でも一部あった。クーラーがないので夏は窓を開けて走っていたっけ)



「もう森へなんか行かない」は最初の数回はエンディングでも流れた
さらに短く1分弱に編集してある。後半はオープニングだけで流れた。




<バリエーション>

フランソワーズ・アルディのこの歌は、フランス語の歌詞を「ささやくように」
にメロディに乗せている。詩を謳っている、という感覚かもしれない。

1拍内に3連符が続いだかと思うと、他の箇所では間を取ったり、緩急と
抑揚があり、フランス語ならではのイントネーションが心地いい。


(出典:musée sasem)


レコーディングも予め録音したオケに合わせて歌うのではなく、アルディの
歌にギターが合わせて行くやり方で、コーラスやストリングスは後からオー
ヴァーダヴしたのではないだろうか。





劇中では「もう森へなんか行かない」のバリエーションが頻繁に流れる。
シーンに合わせてテーマ曲のバリエーションを作る、という手法はよくある。

しかし、そのバリエーションが日本人歌手によるスキャットなのだ。
ルルルルル〜♪と8分音符を並べた単調な曲になってしまっている

さらに中盤から、メジャー・キーに転調したルルルルル〜♪も使われる。
前向きな、明るいイメージを出したかったのだろうか。ありえない!


メジャー・キーのバリエーション(スキャット)1'37"〜
https://youtu.be/PTLnJyYHI-g?si=-4lrZsX246uTYsAh





さらにさらに「森へなんか〜」とは無関係の、ありがちなボサノヴァ調の
ルルル〜♪も終盤で登場。なんか、やりたい放題だなー。


音楽担当の小川よしあき氏はフォーク歌謡でデビューしたものの鳴かず飛ばず
で、作曲・編曲に転身したがヒット作なし、という人物。
フランソワーズ・アルディを好むようなセンスがあったとは思えない。



1979年の都市に生活する各世代を描くための装置として東急線沿線を使う
そこにフランソワーズ・アルディのメランコリーな歌でやや鬱な色彩を配し、
子供たちの自立を「もう森へなんか行かない」で表現したい。
これが脚本家の山田太一さんと大山勝美プロデューサーの意図だったはずだ。





山田太一さんはこの後の「ふぞろいの林檎たち」では、サザンオールスター
ズの曲を多用しているが、選曲、曲を使うシーン、どこでフェイドアウトする
かなど、細かい指示を脚本に記していたという。

もしかしたら「沿線地図」で意図しない音楽の使われ方をしたことが反面教師
になっていたのかもしれない(勝手な推測ですが)




<フランソワーズ・アルディの他の曲>

私の騎士(Si mi caballero)」が後半に少しだけ流れた。
口笛が印象的で哀しげな曲。すばらしい選曲!もっと聴かせて欲しかった。

Francoise Hardy - Si mi caballero
https://youtu.be/8iEi4F-5nkE?si=Ize94hEce5u7t0Ja




↑Si mi caballero収録のアルバム「La Question」は名盤です!



人生は風のように(Au fil des nuits et des journees)」も1回だけ流れた。

Francoise Hardy - Au fil des nuits et des journées
https://youtu.be/2HPxRlkg-TQ?si=C90p73VkDxZ1BsLW




<参考資料:TBSチャンネル、Wikipedia、乗りものニュース、YouTube、
mogref せっかくなので昔の東急の路線図を作る、musée sasem
こんな街があったらね「沿線地図」~TVがつくる都市の記憶、
いいマンション ヴィンテージマンションを紹介、townphoto.net、他>

追記:私は鉄オタでもマンション・オタでもありません(笑

8 件のコメント:

kanaria _san さんのコメント...

東急線沿線のロケ地や駅名がよくわかりよりドラマのリアリティが増し勉強二なりました。志郎の実家マンションもヴィンテージ的な人気なんですね。 アクセスも良くオシャレとされている人気のエリアばかり。 当時だってある程度そうだったと思いますが…そんな沿線で恋に落ちた普通の家庭の2人が受験→進学→就職というルートをあえて外れていく根拠の描き方が今ひとつ腑に落ちない気がしました。そこが人の頭脳の複雑さで共に暮す親子や夫婦であっても全く違う事を思っているということ ?(アパートの不思議ポスターはそれを示唆しているのか)
 岸恵子さんの演技力には驚きました。 児玉清さんとの組み合わせでこの2人の方が危うくて恋に落ちるのでは…?とハラハラさせておいてそうでない組合わせが勢い不倫する…という山田監督の作戦。一般家庭での録画はほとんどできない頃 ドラマを見る為に帰宅を急ぐ人が多かったと思います。私が「もう森へなんかいかない」を勉強の合間のラジオで聞いたのが確かにこの頃で…ラジオ
リクエストも多かったのでしょうね。山田監督がこのドラマの曲の使い方にあまり納得してなかった可能性は確かにありますね ジャニス・イアンが使われていたドラマの方はいかかでしたか?

イエロードッグ さんのコメント...

>kanaria _sanさん

読んでくださってありがとうございます。ドラマの舞台の説明が長かったですね。
城南〜横浜港北区の東急沿線を知らないとイメージしにくいんじゃないかと思ったんです。
東京でも城東・城北の人はあまり馴染みがないかもしれませんよね。
関西だったら阪急神戸線みたいな感じが近いのかな。

この後、同じTBSの金曜ドラマ枠で「金曜日の妻たちへ」も東急田園都市線沿線の新興住宅地が舞台。
(脚本 鎌田敏夫)大ヒットしましたが、このドラマも見てません。
そしてバブル景気が始まり、田園都市線沿線は高騰します。

ジャニス・イアンが使われたのは1977年の「岸辺のアルバム」ですよね。
これも山田太一さんで、従来のホームドラマの常識を覆すような辛口の問題作でした。
それでいて、ちゃんと家族の絆と明日への希望があります。
だから救われる。
「沿線地図」はなんとなく曖昧なままですよね。
このドラマは翌年、深夜に再放送されてたのを見てました。

「岸辺のアルバム」は八千草薫さんですが、当初は岸恵子さんの予定だったそうです。
堀川プロデューサーの反対で八千草薫さんに決まりました。
たぶん岸さんでもいい演技してくれたと思いますが、あの役はやっぱり八千草さんです。
ジャニス・イアンの「Will You Dance?」をテーマ曲に選んだのも堀川プロデューサー。
劇中でもいいタイミングでこの曲がかかります。使い方がうまかったです。

ジャニス・イアンはこの前年「Love Is Blind」がTBSドラマ「グッドバイ・ママ」に使われました。
2枚アルバムを持っててよく聴きましたよ。
余談ですが、その頃知り合った女の子が「ジャニス・イアンしか聴いてないわ」と言ってました。
山口小夜子を小さくしたみたいな娘で、友達がえらく気に入ってしばらく付き合っていたようです。

kanaria _san さんのコメント...

 ジャニス・イアンはフランソワーズアルディ同様に小林麻美さんが大好きな歌手として著者で紹介されてたので 確か90年頃?に中古レコードで「Between the line」を購入したんです。すごく気に入り 来日記念盤の「愛の翳り」と「STARS」 その後もCDを数枚買い足して聴いています。StarsはアルディもStar(単数形)としてフランス語で詞を書いてカヴァーしてたのには驚きました。そのドラマでは編曲などされてなかったのはよかったですね(笑)ジャニスの楽曲は素晴らしいですよね。 声も好きです。 その山口小夜子さん似の方はとてもセンスがいいと思います(笑)
 不思議な事にWill you dance?はなぜか持っているレコードやCDには入ってなくて でも YouTubeで確認したら 聞き覚えがありました。流行っていてきっとラジオなどで聞いていたんでしょうね。 

イエロードッグ さんのコメント...

>kanaria _san さん

「Between the line」(1975)と「Aftertones」(1976)を持ってました。
リアルタイムで聴いてます。
その前の「Stars」 (1974年)も含めた3枚がジャニス・イアンの名盤だと思います。
3枚ともカヴァーアートがとてもいい。
いいアルバムはジャケットが語りかけてくるんです。

「Will You Dance?」は1977年のアルバム「Miracle Row」に入ってます。
このアルバムはジャケットに惹かれなかったので買いませんでした。
この年はマイケル・フランクス、ボズ・スキャッグス、スタッフ、ジェントル・ソウツ、スティーリー・ダンなんかを聴いてたんじゃないかな。

その1977年にフランソワーズ・アルディがアルバム「Star」を発表しましたね。
タイトル曲はジャニス・イアンが1974年に歌った「Stars」をフランス語で歌ったもの。
原曲よりキーを下げてますが、ギターのアルペジオをバックに同じようなアレンジになってます。

あれ?と思ったのは、ジャニス・イアンの原曲が「Stars」と複数形のsが付くのに、フランソワーズ・アルディの方は「Star」でsがない点。
うろ覚えですが、フランス語も名詞の複数形はsが付きますよね?
(ただし最後の子音は原則的に発音しない・・・でしたっけ?)

ジャニスの歌は私(I live from day to day)とスターになった人たち(Stars, they come and go,They come fast or slow)を対比してますよね。

一方、フランソワーズ・アルディは、スターになることは美しい物語(Devenir star,Ciest une belle historie)と言いながらも、流行が過ぎると忘れ去られる、自分のものでなくなった名前を担う、とスターであることの哀しさ憂鬱さなど内省的な歌になってますよね?
つまり、ここでのスターは彼女自身。

英語は不得手だし、仏語は第二外国語でやったもののぜんぜんダメ。
なので私の解釈は間違ってるかもしれません。
kanaria _san さんのご意見をお聞かせいただけるとありがたいです。

kanaria _san さんのコメント...

こんにちは ジャニスのStarsとアルディさんのカヴァーStar本当にどちらも素敵です。
 早すぎた名声と結婚 離婚 ブランクの間に考えていた事を正直に切々と歌うジャニスイアン…胸を打たれますね。 
 アルディさんがこの曲をジャニスが発表した'74年にすぐ聞いたとしたら '73年にトマくんを出産して (デュトロンとはまだ籍を入れないまま)音楽活動はお休みして子育てに専念していた頃になるのでしょうか。
 私の勝手な想像ですが…この時期にこの曲
を聞いて歌詞にものすごく共感したのではないかと思います。
 なので77年にまたアルバムをリリースした時にはカヴァーを必ずいれようと思ったかもしれません。
その思いなのか歌詞が切々と個人の思いとして吐露するような歌詞になっていて フランス語のシンプルさがあいまってより胸に響きます 本名で有名になっているけど その名前がSTARとして脚光をあびてしまい 今の…というか本来の自分とは距離間がある…そんな風にも感じていたのかもしれませんね 例えば
「Mais savez-vous ce que c'est que porter un nom qui n'est plus à soi 
 もはや自分の名前ですらなくなっている名前を抱えてるいうこと(あなた達に)わかるかしら? 」など
 後年アルディさんはできれば自分の作詞作曲でアルバムを作り続けたかったけどトマくんの教育とか影響を考えてある程度控えなくてはいけなくなった と話ていたそうです。 でもこの曲だけは自分で詞を解釈し自分の言葉として歌詞を書いて「Star」のタイトルとしたのではないかと思いました。今回じっくり聴いていたらすっかりジャニスブーム復活してしまいました(笑)LGBTとか世間が騒ぐ前に女性パートナーとの暮らしをを公表したり ホントに正直なジャニスですね  椎名林檎さんの「シドと白昼夢」の歌詞に
 ♪昔 描いた夢で あたしは別の人間で
ジャニス・イアンを自らと思い込んでいた
現実には本物が居ると理解っていた♪と歌ってます。 (シドはピストルズの人らしいのです)
 あとアンジェラアキさんもジャニスのwill you dance?を日本語カヴァーしてますがジャニスは日本で特に愛されていますよね

イエロードッグ さんのコメント...

>kanaria _san さん

詳しく教えてくださってありがとうございます。
本当によくご存知ですね。そういう背景があったのですか。奥が深い。。。

フランソワーズ・アルディもジャニス・イアンもプライベートなことはほとんど知りませんでした。
この二人に限らず、アーティストの音楽性、楽曲や演奏、音作りについては深掘りするけど、本人の生き方まではさほど関心がなかったのかもしれません。

でも作曲や作詞、あるいは誰かの曲をカヴァーするということは、いろいろな思いが込められているわけで。
その人の生き方が反映されてるんですよね。
フランス語も聴いてると「心地よい響きの音」で、何を言ってるかあまり考えてませんでした。
浅かったな>自分(恥 と思います。

ロバータ・フラックが亡くなりましたね。
この人もジャニス・イアンのファンで、「Jesse」をカヴァーしています。
次次回はロバータ・フラックのことを書いてみたいと思ってます。

kanaria _san さんのコメント...

いえ Starの日本版ライナーノーツとかは読んでないので あくまで私の想像なんです。ロバータフラックさん亡くなられたのですね(涙)♪killing me softly with his songが有名ですがネスカフェのCMでは他の人が歌っていたか?
あまり詳しくないので ブログ楽しみにしております

イエロードッグ さんのコメント...

>kanaria _san さん

想像だとしても、そこまで考察ができるのはアーティストにシンパシーを抱いてるということでしょう。
ロバータ・フラックの代表曲といえば、Killing Me Softly〜ですよね。
多くの日本人がネスカフェのCMでこの曲を知ったんじゃないでしょうか。
お察しのとおり、CMではマデリン・ベルという歌手が歌ってます。歌詞も違います。
しかし、その後何回か別ヴァージョンが作られてて、中にはロバータ・フラックじゃないか?と思えるものもあるんです。
クレジットが入ってないので謎ですが。
1982年には「世界中どこでもネスカフェ」のテーマをジャニス・イアンが歌ってるCMもありますよ。