<ペイジのアコースティック・ギターの使い方は天下一品>
中学三年の時「ビートルズは終わった。これからはツェッペリンだ」と意気込んでい
た友人が「Led Zeppelin III」を発売初日に買った。
後日、彼に感想を聞くと「あまり良くない」とのこと。
2nd.のようなハードさを期待したのにアコースティックが多く拍子抜けしたらしい。
だが、ツェッペリンはアコースティック・ナンバーこそ肝じゃないかと僕は思う。
ツェッペリンが並み居るハードロック・バンドと一線を画すのは、アコースティック
の曲の奥行きの深さ、ペイジのアコースティック・ギターのセンスが大きい。
ジミー・ペイジのアコースティック・ギターはブリティッシュ・トラッドフォーク、
アイリッシュ、カントリー、インド音楽、アラブ音楽の色合いが感じられ、幻想的か
つどこか翳のある、美しくも不思議な響きを持っている。
エレキと同じくアコギでも変則チューニングを多用している点も特徴的だ。
たとえば「Black Mountain Side」(この曲については次回詳しく書く予定です)
はDADGADチューニングで(レコードではさらに半音下げて)演奏している。
「That's the Way」は DGDGBD(オープンG)チューニング。
「Friends」はECGCAC(オープンC6)チューニング。
「Bron-Yr-Aur Stomp」はDADF#AD(オープンD)チューニング。(1)
「The Rain Song」はDGCGCD(オープンGsus4)チューニング。
美しいインスト曲「Bron-Yr-Aur」はCACGCE(オープンC6)チューニング。
↑写真をクリックすると「Bron-Yr-Aur」が聴けます。
<ジミー・ペイジ使用のアコースティック・ギター>
◆ギブソンJ-200
ツェッペリンの1枚目でペイジが使用しているのはギブソンJ-200。
ペイジの風貌にこのギターはよく似合う。が、本人のものではないそうだ。
1st.アルバムのレコーディングでアコースティック・ギターのサウンドが必要に
なったものの当時を所有していなかっため、ペイジはセッション仲間のビッグ・
ジム・サリヴァンに頼んで1963年製ギブソンJ-200を借りた。
「美しいギターだった。本当にすごいんだ。それまでそんな上質なギターに出会
ったことがなかった。すぐ弾けたよ。とても厚みのある音でね。ヘヴィー・ゲー
ジが張ってあったけど、そういう気分じゃなかった」とペイジは1977年のインタ
ビューで言っている。
近年の音楽雑誌で「『Babe I'm Gonna Leave You』ではアコースティック・
ギターにエレクトリック用の弦を張って弾いた」という記事を読んだことがある。
なるほど。あの緩んだような独特の音はそういうことだったのだ。
ペイジが抱えているJ-200の写真を見ると、確かにブロンズ弦ではなくシルバーの
ニッケル弦もしくはコンパウンド弦を張ってあるようだ。
3弦が巻き弦でないことからもエレキ用のニッケル弦と思われる。
↑クリックすると「Babe I'm Gonna Leave You」のレアなアウトテイクが聴けます。
1st.収録の「Your Time is Gonna Come」「Black Mountain Side」もこの
J-200を使用。
ペイジが1970年にマーティンのD-28を入手するまでJ-200は使用された。
◆マーティンD-28
ジミー・ペイジは1970年にマーティンD-28を手に入れる。
ヴィンテージではなくその当時のサイド&バックがインディアン・ローズウッド、
ピックガードが黒のスタンダード仕様のようだ。
D-28は3枚目〜4枚目のアルバムのレコーディングに、またそれ以降も頻繁に使用
されたと思われる。
前述のインスト曲「Bron-Yr-Aur」もD-28をオープンで弾いているらしい。
(かなり深いエコー処理がされている)
1975年にペイジはD-28にバーカスヴェリーのトランスデューサー型ピックアップ
(Model 1355)をブリッジ取り付け、同社のプリアンプ(Model 1330S)を
通すようになり、巨大スタジアムにおいてもD-28と他の楽器とのアンサンブルが
可能になった。
この頃のステージの写真では、ペイジのD-28にバーカスヴェリーがテープで固定
されてるいるのが確認できる。
1975年にロンドンのアールズ・コートで開催されたライヴではアコースティック
・セットが設けられ「Tangerine」「Going to California」「That's the Way」
「Bron-Y-Aur Stomp」の4曲がバーカスヴェリー装着のD-28で演奏された。
↑クリック!アールズ・コートでの「Bron-Y-Aur Stomp」ライヴ演奏 (1975)が聴けます。
1977年にペイジは2台目のD-28を購入。
同年のUSツアーでは先代のD-28をスタンダート・チューニング用に、2台目を
変則チューニング用にと使い分けていた。
◆ハーモニー・ソヴリン H1260
ペイジの愛器としてよく知られているのがこのハーモニー社のソヴリン。
「Stairway To Heaven」のあのアルペジオはこのギターでレコーディングされた。
ハーモニー社は1892年創業のアメリカのギター・メーカー。
カタログ販売でアメリカを席巻したシアーズ・ロバック社にOEM供給していた。
シアーズがシルバートーンというブランドで販売していたギター(2)は良質で安価だっ
たため初心者に人気があった。ハーモニー社もその製造メーカーの一つ。
ハーモニー社のギターは安価で二流イメージがあったが、フラグシップ・モデルの
ソヴリンH1260はトップがスプルース単板、サイド&バックがマホガニー単板としっ
かりした造のジャンボ・サイズ。1958〜1971に生産された。(3)
低音がよく響くふくよかな箱鳴りのするギターで中古市場でもいい値が付いている。
こういうギターに目をつけるところにもペイジのセンスの良さが表れている。
◆エコー・レンジャーVI
エコー社はイタリアのギター・メーカーで1964年の創業以来、安価にもかかわらず
その丈夫さと信頼性はヨーロッパで定評があった。
レンジャーVIはトップ材にシトカ・スプルース単板、サイド&バックにマホガニー
合板を使用したドレッドノート・サイズ。
42mm幅の細ネックでボディとの接合はエレキと同じボルト・ジョイント方式。
エレキからの持ち替えでも違和感なく弾けたはずだ。
1960年代のギブソンのようにサドルが可変式で弦高調整が可能であった。
ツェッペリンの2nd.アルバムの「Thank You」はモーガン・サウンドスタジオで
このレンジャーVIでリズム・トラックを録音したという記述がある。
ということはD-28入手の一年前にこのギターを使っていたということか。
◆エコー・レンジャーXII エレクトラ
エコー・レンジャーの12弦ギター。
ギブソンのJ-160Eのように、サウンドホールとネックの間にマグネット・ピックア
ップが仕込まれ、トップにボリュームとトーンのコントロール・ノブが付いている。
エレクトリックとしての使用時のハウリング対策からすべて合板の仕様。
1972年2月のメルボルンでのステージで「Tangerine」を弾いたという記録がある。
「Led Zeppelin III」収録の「Tangerine」のレコーディングにエコー・レンジャー
VIが使用されたという記載もあるが、音を聴く限り12弦ギターだ。
このレンジャーXII エレクトラが仕様されたのではないだろうか。
◆ジャンニーニ・クラヴィオーラ GWSCRA12-P
ジャンニーニはブラジルの大手楽器メーカー。
ペイジはリオ・デジャネイロを訪問した際ジャンニーニからクラヴィオーラという
個性的なデザインのギターを2台プレゼントされた。
1台は6弦でもう1台が12弦ギターのモデルGWSCRA12-P。
スプルース単板のトップにサイド&バックはローズウッド単板。
見た目もさることながら、音も個性的でエキゾチックな響きがある。
1971〜1972年のステージで「Tangerine」がこの12弦ギターで演奏された。
写真を見ると立ちマイクで音を拾っている。
他の楽器とのアンサンブルは難しいのでギター一本の演奏だったようだ。(4)
↑クリックすると1972年LAでの「Tangerine」ライヴ演奏が聴けます。
◆その他
ツェッペリン解散後は1984年のUKツアーでオベーション・エリートを、1995-〜
1996年のツアーではオベーション・アダマス II、その後オベーションのWネック
を使用していたようだ。
また1994年にはルシアのアンディ・メイソンにトリプル・ネックのギター(6弦+
12弦+マンドリン)を特注している。
これはジョンジーがメイソンに作ってもらったトリプル・ネックを参考にしたとか。
エレキもそうだがペイジのアコースティック・ギター・コレクションも相当なもの
で、しかも一癖も二癖もあるギターが多そうだ。
<脚注>
<ジミー・ペイジの演奏の特色>
ジミー・ペイジ奏法については解説本やチュートリアル動画があると思うので、実
際の弾き方はそちらに譲るとして、ここでは簡単にその特色だけ述べよう。
ペイジのギターはブルースを基本としたもので、ソロの際のフレーズはブルーノート
(1)とペンタトニック(2)を応用していることが多い。
それ自体は特色のあるものではない。ただその組み合わせの妙なのだろう。
ペイジはキャッチーなリフを生み出す天才であった。
前回書いたように、ペイジは作曲家、アレンジャー、プロデューサーの視点で楽曲を
最大限に生かすバッキングに務め、ソロもきっちりと曲の中で収束させている。
荒削りなフレーズやミスタッチもあるが、それがペイジの持ち味でもあると思う。
バッキングにおいてはペイジはパワーコードを多用した。
パワーコードとはハイポジションのフォームで低音弦側(6〜4弦のみ、または5〜3
弦のみ)を弾く奏法のこと。(3)
ルート音+5度のみで構成され3度が省かれるため、マイナーコードなのかメジャー
コードなのか分からないまま、ガツン!とダイナミックで重厚感のある音が出せる。
以降ハードロック、メタル系の音作りには欠かせない奏法として定着した。
パワーコードの先駆者はペイジだったのではないかと思う。
またペイジはパワーコードに開放弦を加えることでさらに重厚な響きを出していた。
ハイポジションのEではしばしば6弦の開放弦を、またハイポジションのAでは5弦
の開放弦を活かして共鳴させている。
この際2弦まで弾き、ルート音+3度+5度の和音を出すことも多かった。
ローポジションのAで6弦3フレットのGをAにベンドするのもペイジの得意技だ。
↑写真をクリックするとパワーコードを駆使したペイジ奏法のデモが視聴できます。
<ジミー・ペイジの使用ギター>
当時の写真からジミー・ペイジ=レスポール+マーシャルという思い込みがあった
が、ツェッペリンの1st.はすべてテレキャスターでレコーディングされたそうだ。
2nd.からレスポールが登場するが「Whole Lotta Love」「Stairway to Heaven」の
間奏はテレキャスターを使用したという。
ペイジに言わせると「レスポールに聴こえるだろう?そういう音作りをしてるんだよ
。実はテレキャスターとレスポールの音は似てるんだ」とのことである。
ペイジが使用していたのは1959年製テレキャスター。
ヤードバーズ時代にジェフ・ベックから譲り受けた(ベックがメインギターをエスク
ワイヤーに変更したため)もので、クリーム色のボディにはペイジ本人によるサイケ
デリックなドラゴンのペイントが施されている。指板はローズウッド。
このテレキャスターはヤードバーズからツェッペリンの初期のレコーディングやツア
ーで使用された。
1970年代に友人にペイントを上描きされ、垂れた塗料で回路が破損したため使用不
能となり、ネックのみ1953年製チョコレート色のテレキャスター(パーソンズ製の
ストリングベンダー(4)搭載)に移植された。
ペイジの使用ギターで最も有名なのが1958年製レスポール・スタンダードのチェリ
ー・サンバースト(塗装が褪色しハニー・サンバーストに変化)だろう。(通称No.1)
トップのメイプル材の木目がはっきりしていて左右非対称なのが確認できる。(5)
1969年にジョー・ウォルシュから購入。同年の北米ツアーから使用され始めた。
ネックが削られ薄型のオーバル型になっているのは「テレキャスターから持ち替えて
レスポールの厚みのあるかまぼこ型ネックが弾きにくかったから」という説があるが、
ペイジによると「入手時には既にネックは削ってあった」とのこと。
ペグはゴールドのグローバー製ロートマチック式チューナー交換されている。
サブ・ギターとして使用されたのが1959年製レスポール・スタンダードのチェリー・
サンバースト(通称No.2)で、こちらの塗装も褪色しタバコ・サンバーストに近い。
木目はNo1.ほどはっきりしない。ネックは左右非対称に削られ幅が細くなっている。
ピックアップはセイモア・ダンカンに、ペグはニッケルのグローバーに交換してある。
No.2はバックアップ用として1973年に購入したとのこと。
1975年頃(ツェッペリン後期)から使用しているのが確認されている。
ツェッペリン解散後は回路が大幅に改造されたそうだ。
この他に1968年製レスポール・スタンダード(通称No.3)も使用していた。
元はゴールド・トップだったのをワインレッドにリフィニッシュし、ピックアップは
P-90(シングルコイル)からハムバッキングに交換されている。
ストリング・ベンダーも組み込まれているらしい。
ペイジが最初に手に入れたレスポールは1960年製のレスポール・カスタム・ブラック
ビューティ(3ピックアップ、ビグスビーのトレモロアーム付)だそうだ。
1962年に中古で購入し、セッション・マンとして活躍していた頃から愛用していた。
(前回掲載したセッション・マン時代のペイジの写真にも映っている)
このギターは1970年ツェッペリンのカナダ・ツアー中に盗難に遭ったそうだ。(6)
ペイジの愛器でレスポールの次に有名なのがギブソンSGダブルネックEDS-1275。
ライヴで「Stairway to Heaven」を演奏する際12弦側でコードやアルペジオを奏で、
後半のソロは6弦側と効果的な使い方をしていた。
発売当初は受注生産のカスタムメイド・ギターであり、配線や外観など詳細は発注者
のリクエストにより異なっていたという。
ペイジのEDS-1275は1970〜1972年に製造されたもののようだ。
ダンエレクトロ3021は変則チューニング(7)でスライド用に使っていた。
チープな造りで線の細い芯のないサウンドと評されるが、逆に個性的な人間味のある
音色とも言えるわけで、こういうギターを使うところがペイジならではの目利きだ。
シンプルでレトロな外観もビジュアル重視のペイジのお眼鏡にかなったのだろう。
この他「Thank You」「Living Loving Maid」のレコーディングで使用したという
ヴォックス12弦ギター、フェンダー・エレクトリックXII、ツェッペリン後期に使っ
ていた1956年製ストラトキャスター(メイプルネック、サンバースト)、1966年
製テレキャスター (メイプルネック、ホワイトボディ、パーソンズ製Bベンダー搭
載)などペイジのギターを検証し始めるとキリがない。
<ジミー・ペイジのアンプとセッティング>
レスポールと同じく「ジミー・ペイジといえばマーシャル」のイメージが強い。
しかしツェッペリンの1st.は全編を通してスプロ(Supro)の小型コンボ・アンプ
1624T Dual Toneとテレキャスターという組み合わせだったそうだ。
このアンプの温かみのある音がペイジの言う「レスポールに似た音」を生み出すポ
イントになっていたのかもしれない。
ペイジが使用していたスプロはインプット・ゲインを上げ、スピーカーも入れ替え、
トレモロ用のフットスイッチを加えるなど、かなり改造されている。
↑ペイジの足元にあるのがスプロ1624T Dual Tone。
(後の2台はリッケンバッカーTransonic)
写真をクリックするとスプロ1624T Dual Toneのデモ演奏が視聴できます。
2nd.からはレスポール+マーシャル1959の組み合わせがメインとなる。
が、1969〜1971年にツェッペリンのライヴにおいてメインで使用されていたの
はハイワットのカスタム100Wヘッドでキャビネットはマーシャル1960である。(8)
ジミー・ペイジ特有のあの「歪み」はファズやオーヴァードライヴなどのエフェクタ
ーによるものではなく、ハイワットのゲインを上げて得られたものだ。
ペイジがツェッペリン初期に使用していたエフェクターは、マエストロ社のエコープ
レックスEP-3(テープエコー)(9)とヴォックスのグレー・ワウ(10)のみである。(11)
↑マーシャルの上に置かれたエコープレックスEP-3を調整するペイジ。
ジミー・ペイジのサウンドの要はギター本体とアンプのセッティングにある。
ペイジ本人も絶賛したという米国のツェッペリン・トリビュート・バンドのギタリス
ト、ジミー桜井氏の解説によると・・・・
アンプ側のセッティングはトレブル10、プレゼンス9、ミドル8、ベースは0に設定。
ローカットに徹しているがマーシャルのキャビネットの箱鳴りが低域の迫力を補う。
さらに前述のエコープレックスEP-3をブースターとして通すことで、低音域をカット
し高音域を強調しながらも温かみのある太い音作りをしているらしい。
ギター本体のピックアップはフロント+リアのミックス。
ヴォリューム、トーンのコントロールによって(アンプ側のセッティングを変えるこ
となく)音色に変化を与えている。
ギター本体のヴォリュームを上げれば太く歪んだ甘い音色が得られる。
ヴォリュームを絞った時はきらびやかなクリーントーンが出せるわけだ。
※次回はジミー・ペイジのアコースティック・ギターについて書く予定です。
<脚注>
ジョン・ウェットンが亡くなった。
「結腸癌の治療に専念するため北米で開催するエイジアのツアーに参加できない。
残念だが年内にはステージに戻るつもりだ」と復帰を誓っていたばかりだった。
ウェットンの名前はプログレ・ファン以外にはあまり馴染みがないかもしれない。
第3期キング・クリムゾン(1973〜1974年「太陽と戦慄」〜「レッド」)でヴォ
ーカルとベースを担当し、解散後ユーライア・ヒープに移籍(1975〜1976年)。
1978年にはU.K.を結成。
1980年代にはスティーヴ・ハウ(元イエス)、カール・パーマー(元ELP)、ジェ
フ・ダウンズ(元イエス)と共にプログレ界のスーパーグループ、エイジアを結成。
「プログレッシヴ・ロックのエッセンスをポップスとして鏤めた3分半の楽曲」とい
うスタイルを確立し成功を収めている。
ウェットンは第6期ロキシー・ミュージックに参加していた時期もある。(1976年)
その間はロキシーの新作が制作されていないので、彼の演奏が聴けるのはライヴ盤
「Viva! 」のみであるが。
このロキシー在籍時に一緒だったギタリストのフィル・マンザネラとの連名で一枚
だけ「ウェットン・マンザネラ(Wetton Manzanera)」(1987年)というアル
バムを発表していたのをご存知だろうか。
エイジアのバンド内に軋轢が生まれスティーヴ・ハウが脱退。
3作目の「アストラ」(1985年)が期待したほど売れずエイジアは活動を凍結。
ウェットン・マンザネラはその直後の単発プロジェクトであった。
エイジアのようなプログレ感、ドラマ性や重厚さはなく、メロディアスでノリがよ
く程よくライト。
AORに通じるような聴きやすさ。円熟した大人ロックなのだがそこは英国流。
全編を通して微かな翳りと憂いが感じられ、独特の雰囲気を漂わせている。
連名ではあるがすべてウェットンの作品でミディアム〜スローな曲が続く。
「It's Just Love」「Round In Circles」はキレのいいリズムに乗せた哀感漂う
メロディと仕立てのいい服のような上質なサウンドが魅力で癖になりそう。
「Suzanne」はバラードの名曲中の名曲と言っても過言ではない。
この3曲はカセットのコンピレーションに入れて車でもよく聴いた。
↑クリックするとウェットン・マンザネラの「It's Just Love」が聴けます。
エイジアのプレッシャーから解放されたかのようなリラックスしたウェットンの
のびのびした(良い意味でまったりした)ヴォーカルとメリハリの効いたベースが
堪能できる。
全編にまぶされたフィル・マンザネラのギターは煌びやかで浮遊感があり、さり気
ないが小粋な味付けになっている。
ロキシーの「アヴァロン」のサウンドは大好きだけど、ブライン・フェリーの変態
っぽい歌い方が苦手、という人にも聴きやすいと思う。
アラン・ホワイト(イエス)がドラムで、ケヴィン・ゴドレイ(10CC、ゴドレイ
&クリーム)がコーラスで参加している点も見逃せない。
そのせいか「It's Just Love」は10CCのアルバムに入っていてもおかしくないよ
うな気がする。
キング・クリムゾンはデビユー作の「クリムゾン・キングの宮殿」だけ、エイジア
もほとんど聴かなかった、という僕だがなぜかこの地味なアルバムは思い出深い。
ジョン・ウェットンの訃報を受けフィル・マンザネラが追悼コメントを発表した。
Very sad to hear about the death of my good friend and fellow musical
explorer John Wetton.
We had so many fun times together
its difficult to comprehend that he wont be around to share our experiences.
His extraordinary talent as bass player, singer and composer was a wonder
to behold .
it was a joy and privilege to know him. We will all miss him. RIP.
Phil Manzanera
良き友であり音楽を探求してきた仲間であるジョン・ウェットンの死を知りとても
悲しんでいます。
私たちは一緒にすばらい時間を過ごしました。
もうそばにいていろいろなことを共にできないのがうまく受け入れられません。
彼のベーシスト、シンガー、作曲家としての並外れた才能は本当にみごとでした。
ジョンと知り合えたことは大きな喜びであり特権もあります。
彼がいなくなってとても寂しくなりますね。ご冥福をお祈りします。
注)「RIP.」は「rest in peace」の略語で「安らかに眠れ」の意味。
<参考資料:BARKS、amass、Wikipedia他>
僕が高校の頃、ロック・ギタリストの最高峰といえばジミー・ペイジだった。
レッド・ツェッペリンが4枚目のアルバム(1)を出した頃で、ディープ・パープル黄金
期のリッチー・ブラックモアと人気を二分していたと思う。(2)
巷のアマチュア・バンドのギタリストたちは猫も杓子もジミー・ペイジの真似をして、
レス・ポールを腰下の低い位置にかまえて弾いていた。
当時グレコのエレキギターを購入すると成毛滋の教則カセットテープがもらえた(3)
そうだが、その成毛滋の弾き方、服装もまんまジミー・ペイジだった。
時代は変わり1970年代後半にはウエストコースト・ロック、AOR、パンク、ニュー
ウェーブと新しいムーヴメントが生まれ、ツェッペリンはダイナソー(恐竜=時代遅
れ)・ロック、オールド・ウェイヴというレッテルを貼られるようになる。
スティーヴ・ルカサーやエディ・ヴァン・ヘイレンなど超絶テクのギタリストたちが
台頭する中、ジミー・ペイジは下手だったのではないか?と囁かれるようになった。
確かに「Heartbreaker」の間奏など、早弾きになると隣の弦に触れてかなり雑な
(左手の運指と右手のピッキングがシンクロせず一音一音の粒が揃っていない)印象
はある。
ジミー・ペイジは下手だったのか?
かつてセッション・ギタリストとしてその名を轟かせていたというが、本当に下手だ
たっらスタジオの仕事なんて務まらなかったのではないか?
<セッション・ギタリストで磨かれたバッキングとソロの妙>
ジミー・ペイジは1963年頃からアートスクールに通うかたわら、セッション・ギタリ
ストとして活躍していた。
その演奏力は評判になり、ジェフ・ベックやエリック・クラプトンとの交遊も始まる。
1963年~1965年にペイジが参加したレコーディングは、ザ・フー、ローリング・ス
トーンズ、キンクス、ドノヴァン、ジョー・コッカーなど多数。売れっ子だったのだ。
当時はセッションマンがクレジットされない、公表されないのが通例。
プロデューサーが保険の意味でセッションマンを雇うケースもあり、その演奏が最終
的に使われないこともあった。
ペイジ自身も自分の演奏がどこで使用されたか知らされないことも多かったらしい。
スタジオでセッション・ギタリストに求められたのは、歌をひき立てるバッキング、
簡潔でインパクトのあるイントロ、オブリ、間奏である。
ペイジは数々のセッションをこなすことで鍛えられ、どんな楽曲のどんな要求にも対
応できるギタリストになったのだ。
ドノヴァンの「Sunshine Superman」やジョー・コッカーの「With A Little Help
From My Friends」でペイジが弾いたリフ(4)は特徴的で曲を強く印象づけている。
↑ジョー・コッカーの「With A Little Help From My Friends」が聴けます。
<ヤードバーズ加入からレッド・ツェッペリン誕生まで>
ペイジはクラプトン脱退後のヤードバーズへの参加を要請されるが辞退。
代わりに旧知のジェフ・ベックを推薦する。
が、そのベックに誘われ、ペイジはヤードバーズにベーシストとして加入。
直接的な動機は「スタジオから抜け出てライブ演奏がやりたかった」という。
目立ちたがりで我が強いベックとしては「ジミーなら出しゃばらず、卓越したバッキ
ングで俺の演奏をサポートしてくれそう」という読みがあったのかもしれない。
ベックが扁桃腺炎で療養中にギターに転向し、ベックの復帰後はツイン・ギターのス
タイルがヤードバーズの売りとなる。
↑映画「欲望」(5)にカメオ出演したヤードバーズの「Stroll On」が視聴できます。
ギターを壊すベックと対照的にクールにビートを刻むペイジに注目!
が、ベックは脱退。音楽性を巡る不仲からヤードバーズは1968年に解体。
ペイジはバンド活動存続を望み新メンバー集めを試みる。
ロバート・プラント、同じセッションマンとして親交のあったジョン・ポール・ジョー
ンズ、ジョン・ボーナムと最強のメンバーが揃いレッド・ツェッペリンが誕生した。
<計算され尽くしたセンスのいい演奏>
ジミー・ペイジは思うままに延々とアドリヴ(インプロヴィゼイション)を続ける
ようなギタリストではない。
予め作り込んだ(独創的かつ曲の根幹を成すような)フレーズを弾く。
あくまでも楽曲重視、ヴォーカル重視、バンド・アンサンブル重視のバッキングとソ
ロに徹する、いわばアレンジ型のギタリストなのである。
たとえば1枚目のアルバムの「Good Times Bad Times」の間奏を聴いて欲しい。
左右のトラックからソロが聴こえるが、テープ・ディレイによるダブル・トラッキン
グではなく同じフレーズを2回弾いているのだそうだ。アドリヴではできない技だ。
ペイジが練りに練ったソロでテイクを重ねていることがよく分かる。
↑クリックすると「 Good Times Bad Times」が聴けます。
そういう意味ではジミー・ペイジは(ちょっと乱暴な括り方だが)ジョージ・ハリソン
と同じタイプのギタリストと言えるかもしれない。
二人とも天性のセンスの良さ、タイム感、リズム感、アレンジ型という点で共通する。
ジョージの場合は二人の天才、ジョンとポールの楽曲力と演奏力のおかげで鍛えられ、
ペイジはスタジオ・セッションを繰り返すことで、曲を魅力的にするバッキングやフレ
ージングを生み出す技を身につけたのだと思う。
なので、ペイジのギターの評価は細かい演奏テクニック云々、正確にピックが当たって
いるかどうか、ミスノートやノイズがどうのこうのという粗探しではなく、バッキング
の的確さやリフのカッコよさ、ソロにおけるフレイジングの妙に向けられるべきである。
リッチー・ブラックモアがペイジを「頭のいい(Clever)ギタリスト」と評したのも、
その辺を言い当てているのだろう。
前述の成毛滋はジミー・ペイジ・フォロワーだったが、後年「ジミー・ペイジは2枚目
までは上手かったが3枚目以降は下手になった。ヴァン・ヘイレンと比べるとお粗末」と
発言している。
ではその成毛滋はどうかというと、確かに早く正確に弾く、凄い音を出せるという点で
は巧いけど、すべてどこかで耳にしたリフでオリジナリティーがない。
すごいなーと曲芸師を見るような驚きはあるが、音楽的にはおもしろみが無かった。
<むしろプロデューサーとしての特出した才能>
ジミー・ペイジの凄いところは、単にギタリストではなく優れた作曲家であり、アレン
ジャー、プロデューサーであり、サウンド・クリエイターでもあった点にある。
ペイジは徹底的に「音」にこだわっていた。
自らのギターだけでなく、ボンゾの破壊的なドラムのど迫力、ジョンジーの流れるよう
なベースランニング、プラントの孤高のヴォーカルをバランスよく配し、それでいてガツ
ンと塊になって攻めて来るような力強い音作りを実現していた。
以降のハードロック〜メタル系のお手本となったわけだが、ツェッペリンとピンク・フ
ロイドほど深み、陰影や妖しさを秘めた美しいロックはないと僕は思う。
ペイジはツェッペリンのライヴもすべて録音して、自分で管理していたと言われる。
新宿や渋谷のブート店にペイジが来店した際、店主と仲良く記念撮影した写真が飾ってあ
るのを見かけたことがある。
彼は来日する度に足繁くブート店を回り、ツェッペリンのライヴ音源を収集していた。
摘発するためでもあったが、完璧なライヴ盤リリース(6)の参考にしていたらしい。
<ビジュアル、アートであることへのこだわり>
ペイジのこだわりは当然のことながらギターにおいても徹底している。
使用ギターについては次回まとめるつもりだが、冒頭に記したような「極限まで低い位置
までギターを下げて弾く」あのスタイルがなぜ生まれたのか?には触れたいと思う。
明らかに弾きにくい。あれではミスタッチが出るのは当たり前だ。
ペイジによると「ほんの遊び心でギターをどれだけ低くして弾くことができるか試してい
たところ、あのような形で定着してしまった」という話だ。
彼はビジュアル面でも唯一無比であることを模索していたのだのではないか。
ヴァイオリンの弓で弾くボウイング奏法、ダブルネック・ギター、テルミンを使ったパフ
ォーマンスなども音楽的な必然性だけでなく、視覚的なアピール力も狙っていたはずだ。
ヒプノシス(7)によるジャケットのカヴァー・アート、四人のシンボルマーク以外は一切の
文字情報が記されない(題名すらない)ジャケット(8)など、レコード会社の反対に屈する
ことなく、妥協することなくペイジはグラフィック・デザインにも徹底的にこだわった。
彼にとっては「レッド・ツェッペリン」というイメージこそが重要であった。
ツェッペリンは単に大金を稼ぐ商業的バンドではなく、芸術そのものだったのだ。
そういう意味で、バンドの「ブランド」をしっかりマネジメントできた世界初の例であっ
た(ビートルズですら現役時代はできていなかった)のではないだろうか。
<まとめ>
ジミー・ペイジの才能はむしろ作曲力、プロデュース、アレンジ力にある。
ギターはその表現方法の一つで、ペイジは楽曲を最大限に魅力的にするバッキング、リフ、
ソロを作り出すということにかけては天才だった。
だから演奏技術において「下手だったのか?」という論議は不毛だと僕は思う。
最後に1983年のロニー・レーンARMSコンサート(9)で共演が実現した三大ギタリストの
演奏を聴いてもらいたい。
クラプトンは余裕たっぷりで渋く決めている。
ベックはやんちゃなギター小僧といった風情であいかわらずトリッキーなプレイ。
ペイジはラリってるのか終始ヘロヘロだったけど。。。。ま、いっか。
これを見ると三者三様でいいなあ、と僕はうれしくなってしまう。
↑クリックすると三大ギタリスト共演の「Layla」が視聴できます。
<脚注>
高校の頃よく授業をサボって名画座で映画を観た。悪友が誘うのだ。
映画は行き当たりばったり。西部劇やB級サスペンスが多かった。
二本立てを観て外に出るとまだ明るい。「つまんなかったな」と彼はいつも言う。
だが数日後また僕を誘った。「よう、午後からふけて映画観に行こうぜ」
どの映画を観たのかほとんど憶えてない。
だが三つだけ、なぜか鮮烈に記憶に残っている映画がある。
その一つが「課外教授」(1)というアメリカのB級学園ミステリー(1971)。
アメリカの田舎町の高校で起きた女生徒連続殺人事件を描いた作品だ。
フットボールのコーチも担当している教頭のタイガー(ロック・ハドソン)は
野生的で、女子学生たちから人気がある。が、彼には裏の顔があった。
心理テストと称して部屋を締め切り、何人もの女子生徒と関係を持っていたのだ。
タイガーに疑いの目を向ける腕きき刑事にテリー・サバラス。
まだ初体験がない男子学生ポンセに手ほどきをする色っぽい代理教師をアンジー・
ディキンソンが演じていた。
ポンセはチアリーダーの死体を発見。学園内の殺人は続く。。。
原題は「Pretty Maids All In A Row」。
かわいいチアリーダーたちがずらっと一列に並んだ光景を想像してしまう。
この映画の「Pretty Maids」は次々タイガーの生贄になる女子学生たちだった。
名盤の誉れ高いイーグルスのアルバム「Hotel California」のB面3曲目に
「Pretty Maids All In A Row」という、映画の原題と同じ曲名がある。
ジョー・ウォルシュによる静かで壮大なスローワルツだ。
ギタリストのジョーがピアノを弾き、ヴォーカルもとっている。
曲の内容を見てみよう。
Pretty Maids All In A Row (Joe Walsh 拙訳:イエロードッグ)(2)
Hi there, How are ya? it's been a long time
やあ、元気かい? ひさしぶりだな
Seems like we've come a long way
俺たちもえらくなったもんだ
My, but we learn so slow
俺は、いや、俺たちは学ぶのに時間がかかるからな
And heroes, they come and they go
いろんなやつらが現れては消えていった
And leave us behind as if we're supposed to know why
俺たちは置いてけぼりさ どうしてそうなるのが分かってたみたいにね
Why do we give up our hearts to the past?
俺たち、どうして昔の気持ちに浸っちゃうんだろう?
and why must we grow up so fast?
どうして大慌てで成長しなければならないんだろう?
And all you wishing well fools with your fortunes
幸せになりたい、と君はいつも願っていたっけ
Someone should send you a rose with love from a friend,
誰かが君にバラを贈ればいいのかな 友より愛をこめってってね
it's nice to hear from you again and the storybook comes to a close
また連絡してくれてうれしいよ じゃあ、この話しはもうおしまい
Gone are the ribbons and bows Things to remember places to go
プレゼントをあげたのは遠い昔のこと 大切なのはどこへ向かうかってこと
Pretty Maids all in a Row...
愛しき日々よ
↑クリックするとイーグルスの「Pretty Maids All In A Row」が聴けます。
「Pretty Maids All In A Row」という一節は最後に出てくるだけだ。
この曲を書いた時ジョー・ウォルシュは30歳になるかならないかくらい。
一年前にイーグルスの正式メンバーとなったばかりだ。
ジェイムス・ギャング、バーンストーム、ソロと活動して来てイーグルスのメン
バーまで登りつめたジョーが、それまでの人生に想いを馳せているかのようだ。
ジョーが青春を過ごした1960年代、アメリカが豊かで輝いていた時代への憧憬、
とも取れる。
われわれ日本人にはあまり馴染みがないが「Pretty Maids All In A Row」は、
マザー・グース(3)の「へそ曲がりのメリー(Mary, Mary, Quite Contrary)」
に出てくる一節である。
Mary, Mary, quite contrary, How does your garden grow?
メリー、メリー、本当にへそ曲がりさん、あなたのお庭はどんな感じ?
と訊かれ、ひねくれ者のメリーは花の名を答えるかわりにこう返す。
With silver bells and cockleshells, And pretty maids all in a row.
銀の鈴や貝殻や かわいい女の子たちが並んでいるの
(Mother Goose 拙訳:イエロードッグ)
↑クリックすると「Mary, Mary, Quite Contrary」が聴けます。
実際はスズラン、カイガラソウ。女の子たちというのは何の花だろう?
この童謡を描いた絵の中には、花の中に女の子の顔ついてるちょっと怖い、
シュールなものもある。
また、奥に「黒い歴史」が隠されている、という解釈もある。
メリーとは、即位後にプロテスタントを迫害し300人以上処刑したといわれる
イングランド女王のメアリー1世(4)のことで、庭とは処刑された人たちの墓地を
指している、というのだ。
その真偽はともかく「Pretty Maids All In A Row」は愛しい大切なものを表す
メタファー(隠喩)なのだろう。
ひねくれ者のメリーにとっては庭のかわいい花であり、ジョー・ウォルシュがそ
う感じたのは(歌詞の流れから察すると)過去の日々なのではないかと思う。
僕はかねてから「ジョー・ウォルシュ加入前のカントリーロックの頃のイーグル
スが好き」とことあるごとに言ってきた。
しかし、ジョーの加入でイーグルスの音に厚みが増しパワーアップしたこと、
よりコンテンポラリーな音楽を聴かせるバンドになったことは認める。
そしてジョーがファンキーかつワイルドなギタリストであるだけでなく、優れた
ソングライターであり、イーグルスの音楽性を広げたのも事実だ。
脱退したバーニー・レドンの曲について、ドン・ヘンリーとグレン・フライは「
歌詞がでたらめ」と辛辣な評価をしていた。
ドンとグレンが「楽曲の質こそバンドの要」と考えていたからだと思う。
ドン・フェルダーは自分が過少評価されている、後から入ったジョーの曲は採用
されヴォーカルも任されるのに自分にその場が与えられないのは不公平だ、と
不満を述べしばしばグレンと衝突していた。
それはジョーのソングライティング力、歌唱力がドンとグレンのお眼鏡にかなっ
たからであり、残念ながらドン・フェルダーの場合はその域に達していなかった
ということなのだろう。(ギタリストとしての腕は最高だったが)
グレン、ドンとジョーとの付き合いは1974年に遡る。(5)
プロデューサーのビル・シムジク(6)とイーグルスの出会いはジョーがきっかけ。
ジョーをイーグルスに誘ったのはドン・フェルダーだった。
「Pretty Maids All In A Row」はそんな日々に想いを込めた曲ではないか。
そしてこの曲の後もジョー・ウォルシュの友情物語は続くことになる。
1994年イーグルス再結成の話が持ち上がった時、ジョー・ウォルシュはドラッグ
とアルコールの中毒から抜け出せず苦しんでいた。
ドン・ヘンリーとグレン・フライはよれよれだったジョーに手を差し伸べ、「君
が必要だから」とジョーの復活を辛抱強く待ってくれたという。
<脚注>