10月3日、銀座山野楽器で開催された村治佳織ミニコンサートに行ってきた。
新譜「シネマ」の発売記念のインストア・イベントだ。
会場は7Fのホールで60席。立ち見を含めると100名ぎっしり。
時間は30分ほど。これくらいの規模のコンサートが今の僕にはちょうどいい。(1)
優雅で上質な演奏を間近でじっくり味わうことができた。
↑会場はこんな雰囲気(村治さんのInstagramより写真を借用しました)
2年ぶりの新作「シネマ」は村治佳織デビュー25周年記念アルバムになる。
映画音楽集という案はデッカのプロデューサー、ドミニク・ファイフからだが、
村治さん本人もかねてから映画音楽に思いを寄せていたため賛成したそうだ。
選曲はドミニクからの提案+日本側スタッフの意見で決めたとのこと。
この日は「シネマ」から5曲、生演奏を披露してくれた。
映画「ハウルの動く城」より〈人生のメリーゴーランド〉
映画「ふしぎな岬の物語」 から〈望郷〉
映画「ティファニーで朝食を」 から〈ムーン・リバー〉
映画「第三の男」 から〈テーマ〉
映画「 禁じられた遊び」から〈愛のロマンス〉
どの曲もギターの息づかい(ニュアンス)が伝わり、生音が素晴らしかった。
フォルテッシモは大胆かつ音はふくよか。ピアニッシモは甘く美しい。
ギターの前に小さな立ちマイクがあったが、PAを通した音は薄めだったはず。
後部席まで飛ばすための補完、あるいは観客が多く吸音されデッドな(残響音が
少ない)音響空間になるためリバーブを加えていたのかもしれない。
村治佳織というギタリストには「美学」がある。(2)
フレットボードを縦横無尽になめらかに動く左手の美しさ。ビブラートのかけ方。
力強く、時に繊細に。正確な右手のピッキング。トレモロの美しさ。
開放弦やハーモニクスを弾く時、弧を描くようにゆっくり宙を舞う右手。
ギターを慈しむように丁寧に奏でる姿、心から演奏に心酔している表情。
演奏を終え弦をミュートしてから満足そうに微笑むのがまたチャーミングだ。
曲全体の流れに身を任せるかのように、体で大きくリズムを取り弾く。
時に右足をトンと踏み込む。
足で4拍を刻み弾くことが多いロックやR&Bとクラシックとの違いを実感した。
この日、村治さんが持参したのはポール・ジェイコブスン(1992年製)。(3)
トップは杉材、サイド&バックはハカランダではないかと思う。
村治さんがデビューした頃に愛用していたギターでしばらく使っていなかった
が、また弾いてみたら熟成されたとてもいい音になっていたとのこと。
「ただ置いといただけなんですけどね」と彼女は楽しそうに笑う。
曲の合間にこうしたギター談義を本人の口から聞けるのは嬉しい。
レコーディング秘話も興味深かった。
彼女はトークでも観客の心を魅了する術を身につけている。
↑トーク中の村治さん(トーク中は撮影可。妻がiPhoneで撮った写真)
最近よく着用しているブルーの花柄のきれなワンピース(肩がレース地)の下に
茶系のチェックの薄手のパンツ(ステテコじゃないですよ(^^)、黒のパンプス。
よくお似合いだった。ベストドレッサー賞に選ばれたんですよね。
ギターと一緒に持っているのは膝に敷く滑り止めだと思う。
「シネマ」のレコーディングではこのギターを含め4台使用したそうだ。
そのうちの1台、トーレス(4)は150年前のギター(1859年製)らしい。
表面は波打ってるくらいのヴィンテージもの。
ギターはバイオリンと違って数百年を生き延びる楽器ではない。
音が遠くまで響かなくなる。コンサートには不向きのようだ。
一年前から借りているものの、どう使おうか思いあぐねていたが、今回
レコーディングに持って行ったら思いの他、良かったらしい。
遠くまで音を飛ばすライブと違い、レコーディングは本当に小さな音量で弾くため、
繊細で密度の高い演奏ができる。
トーレスは今回のレコーディングに相性が良かったのだろう。
プロデューサーのドミニクも気に入り「今の曲、トーレスでやってみてくれる?」
みたいな感じで結局、10曲でトーレスを起用することになったという。
↑トーレスを抱える村治佳織さん。
「電子版現代ギター18年10月号」に掲載されらインタビュー記事より。
ライナーノーツによると、デッカ移籍以降メインで愛用してるホセ・ルイス・ロマニ
リョス(舌を噛みそうな名前だな)1972年製と1990年製も使用されている。(5)
レコーディングは水戸のホール(6)を数日貸し切りにして行ったそうだ。
つまり客入れしない状態でホールの自然な残響音を生かして録音するわけだ。
通常はスタジオでデッドな(残響音が少ない)音響空間で演奏し、マイクで拾った
音にその場でリバーブをかける(かけ録り)か、素の音を録音して後からリバーブ、
ディレイ、コンプ、リミッターなどをかける(後録り)ことが多い。
しかしポップスでもサイモン&ガーファンクルやフィフス・ディメンションのように
ボーカルだけは教会で録った、という例もある。
ライブな(残響音が多い)音響空間で得られる音は倍音が豊かで美しいのだろう。
この水戸のホールの音響がすばらしく、プロデューサーのドミニクも「今まで使った
ホールの中で一番いい」と満足していたそうだ。
↑レコーディングに使用した水戸芸術館コンサートホールATM
「シネマ」は聴きやすいアルバムだ。流しておくと部屋の空気に自然に馴染む。
しかも聴くほどに一曲ごとの味わいが深まる。
個人的には1曲目の映画「プライドと偏見」から〈夜明け〉が一番好きだ。
深い森の奥から聴こえてくるようなピアニッシモのギターの音色が美しい。
少し霞がかかってるけど隅々まで見渡せるような、と表現すればいいだろうか。
この曲は弟の村治奏一さんとの合奏。(7)アルペジオと単音のメロディー。
そのためか自然なディレイのように聴こえてくるのかもしれない。
この映画は知らなかった。調べてみたらとても評判がいい。
機会があったらぜひ見てみたいと思う。
映画「ローカル・ヒーロー/夢に生きた男」の〈ワイルド・テーマ〉
が収録されてたのが意外でもあり、嬉しかった。
地味な英国映画だが、とぼけたユーモアと哀愁がツボで何度も繰り返し見ている。
マイケル・J・フォックスも「この映画は僕のバイブル」と言っていた。
曲はマーク・ノップラーが映画のために書き下ろしたもの。
選曲は英国人プロデューサーのドミニクさんのようだ。
映画「ティファニーで朝食を」 挿入歌のヘンリー・マンシーニの名曲〈ムーン・
リバー〉は村治さん自らが編曲をし、新たにイントロ、バリエーションと転調
が加えられ美しい仕上りになっている。
↑モノクロのカヴァー・ジャケット、ブックレット内の写真は繰上和美氏。(8)
撮影を依頼すると、「シネマ」だから女優になってもらうよ、と言われたとか。
写真をクリックすると「ムーン・リバー」が視聴できます。
映画「ラストエンペラー」のテーマ(作曲:坂本龍一)も村治佳織編曲で、
トレモロ奏法が効いている。
ニーノ・ロータ作曲の映画「ロミオとジュリエット」〈愛のテーマ〉もギター・
ソロの楽曲として聴くとまた格別の味わいがある。
僕が村治佳織というギタリストを知ったのは1999年にNHKで放送された「トップ
ランナー」(9)に出演していたのを見たのがきっかけだったと思う。
女子聖学院(10)を卒業しパリのエコールノルマル音楽院(11)に留学していた頃かな。
ロドリーゴ(12)に会いに行き彼の前で演奏した、という話をしていた。
21歳とは思えないくらい大人で、芯がぶれない女の子だなという印象だった。
映画「ディア・ハンター」(1979年)のテーマ曲「カヴァティーナ」をカヴァー
していることを知りCDを買った。(ジョン・ウィリアムス版は既に持っていた)
近年の村治さんはクラシックというジャンルを超え、いろいろな人と共演し、
インプロヴィゼーション(ロックやジャズで行う即興演奏。譜面に沿って演奏
するクラシックにはない)の技も身につけている。
J-WAVEの番組ナビゲーター(13)を務めたり、他のFM番組やテレビ番組にも出演
しているのを見かける。
いろいろな人との会話を楽しんでいるようだ。21歳の時より声が華やいでいる。
ギタリストという芯はぶれない。でもいろいろな役を演じ可能性を広げていく。
まるで女優のように。
村治佳織さんのこれからの活躍に期待したい。
<脚注> ↓続きを読むをクリック
あの日のあの曲。お気に入りのアルバム。いろいろな音楽にまつわるエピソードや思い出を、ジャンルを問わず徒然なるままに書きつづります。(ブログのタイトルは故大瀧詠一氏へのトリビュートの意味をこめてつけました)
2018年10月22日月曜日
2018年9月30日日曜日
ロックな青春映画10選(8)僕の孤独が魚だったら。
「フィッシュストーリー」は、1975年に「逆鱗」という売れないパンクバンド(1)
が残した「FISH STORY」という曲が時空を超えて巡り巡って、地球の危機を救う
という荒唐無稽だがよくつながってるな〜と感心してしまう映画だ。
伊坂幸太郎の短編小説×中村義洋監督が映画化、の第二弾目である。(2009年)
前作の「アヒルと鴨のコインロッカー」(2007年)、第三弾の「ゴールデンスランバー」
(2010年)もとてもよかった。どの作品も見て損はないと思う。
三作品に共通してるのはロックがキーポイントになっている点だ。
「アヒルと鴨」はディランの「風に吹かれて」がストーリーで重要な役割を担っている。
「ゴールデンスランバー」はビートルズの同名楽曲。(2)
「フィッシュストーリー」は「逆燐」という架空のバンドが登場。
楽曲プロデュースは斉藤和義が担当した。
ロック云々は別としても楽しめる映画でお薦めです。
<映画のあらすじ>
1975年、日本に「逆鱗」というパンクバンドが登場した。
セックス・ピストルズがデビューする1年前。(3)
パンクという言葉さえ日本にまだなかった。
早すぎたパンクバンド「逆鱗」はなかなか世間に理解されないが、マイナー・レーベル
の担当者、岡崎(大森南朋)は彼らの可能性を見出しスカウトする。
しかし、一向に売れない。
レコード会社の上層部からは契約を打ち切るよう岡崎に圧力がかかる。
岡崎(大森南朋)が持っていた本に触発され、リーダーでベース担当の繁樹(伊藤淳史)
は彼らの最後のレコーディングのため「フィッシュストーリー」を作曲する。
僕の孤独が魚だったら、 巨大さと獰猛さに、鯨でさえ逃げ出す きっとそうだ
僕の孤独が魚だったら、巨大さと獰猛さに、鯨でさえ逃げ出す
オレは死んでないぜ オレは死んでないぜ 音の積み木だけが世界を救う
(伊坂幸太郎/斉藤和義)
「FISH STORY」というのはホラ話、作り話のこと。
釣り師が獲物を誇張して言いがちなことが語源らしい。(4)
「フィッシュストーリー」という本は印刷後、誤訳でデタラメだったことが発覚しすべ
て回収され、処分された。
その出版社で働いていた岡崎の叔母がこっそり持ち帰った幻の一冊だったのだ。
だから著作権は発生しない、とのことだった。
↑クリックすると逆鱗の「フィッシュストーリー」が視聴できます。
「逆鱗」のメンバーは「これが最後」という覚悟で一発録りに臨む。
曲間でボーカルの五郎(高良健吾)が「岡崎さん、俺たちの歌、誰かに届いているのか
な」と思いをぶつける。
五郎のモノローグが入ったためプロデューサーは録り直しを命じるが、岡崎は「いや、
今のテイクで行こう」と主張する。(5)
五郎の語りの部分は無音にする、その方が謎めいていていい、というのだ。
「逆鱗」は売れないまま、解散した。
時は流れ1982年。
「フィッシュストーリー」の謎の無音部分が一部の若者の間で都市伝説となっていた。
人によっては無音部分に女性の悲鳴が聴こえるというのだ。
弱気な大学生、雅史は深夜、運転中そのカセットテープを聴いたことがきかっかけで、
運命の女性(大谷英子)と巡り会う。
さらに時は流れ2009年。
フェリーで修学旅行へ向かう女子高生の一人、麻美(多部未華子)は眠りこけて下船
できず、シージャックに巻き込まれてしまう。
しかし「正義の味方」と名乗る青年(森山未來)が現れ、傷を負いながらもシージャッ
ク一味を倒し、麻美たち乗客が助かった。
「正義の味方」は雅史の子供。
1982年に雅史が「フィッシュストーリー」を聴いたことにつながっている。
そして2012年。
巨大隕石の地球衝突が迫り、世界中がパニックに陥っている。
荒廃した街の片隅で、いつもと同じように中古レコード店を営む店長がいた。
あの「逆鱗」を手がけた岡崎の子供(大森南朋、一人二役)だ。
レコードを物色する客に、店長は「逆鱗」の「フィッシュストーリー」を聴かせる。
地球の危機は救われるのか・・・・
<逆鱗というバンド>
「逆鱗」のメンバーを演じたのは、俳優の伊藤淳史(ベース)、高良健吾(ボーカル)、
渋川清彦(ドラム)と、ロックバンドDrive Farの大川内利充(ギター)の4人。
劇中で逆鱗が歌う曲は斉藤和義がプロデュースを手がけた。
渋川清彦は高校卒業後、バンドでプロを目指し上京。アートスクールのドラム科を中退。
その後、俳優に転じたがドラムの経験はあった。
伊藤淳史はまったく楽器経験がなく2ヶ月間、必死で練習したそうだ。
楽器の持ち方、弦の押さえ方から習い、泊まりがけの仕事にもベースを持って行き、
毎日どんなに忙しくてもベースに触るようにしていたらしい。
高良健吾はニルヴァーナ、エレファントカシマシ、サンボマスター、東京事変、奥田民生
などを好んで聴いていたロック好きで、ボーカルもサマになっていた。
大川内利充はフランス人のボーカル+3ピースの爆音系バンド、Drive Farのギタリスト
で、「逆鱗」のサウンド作りに貢献している。
メンバーたちは週2~3回集合して練習し、その後飲みながら曲や音について話し合った。
そのためか劇中の「逆鱗」のシーンは、ざらっとした生々しさがあった。
理解してもらえない、売れないミュージシャンの哀愁、虚しさも切実に感じられた。
映画公開に先駆け、2009年02月にCD「FISH STORY 逆鱗×斉藤和義」をリリース。
3月にタワーレコード渋谷店、HMV渋谷店でミニライブを開催している。
「FISH STORY」を作曲した斉藤和義自身もセルフカヴァーしているが、この曲に関し
ては僕は「逆鱗」のヴァージョンの方がいいと思う。
<脚注>
が残した「FISH STORY」という曲が時空を超えて巡り巡って、地球の危機を救う
という荒唐無稽だがよくつながってるな〜と感心してしまう映画だ。
伊坂幸太郎の短編小説×中村義洋監督が映画化、の第二弾目である。(2009年)
前作の「アヒルと鴨のコインロッカー」(2007年)、第三弾の「ゴールデンスランバー」
(2010年)もとてもよかった。どの作品も見て損はないと思う。
三作品に共通してるのはロックがキーポイントになっている点だ。
「アヒルと鴨」はディランの「風に吹かれて」がストーリーで重要な役割を担っている。
「ゴールデンスランバー」はビートルズの同名楽曲。(2)
「フィッシュストーリー」は「逆燐」という架空のバンドが登場。
楽曲プロデュースは斉藤和義が担当した。
ロック云々は別としても楽しめる映画でお薦めです。
<映画のあらすじ>
1975年、日本に「逆鱗」というパンクバンドが登場した。
セックス・ピストルズがデビューする1年前。(3)
パンクという言葉さえ日本にまだなかった。
早すぎたパンクバンド「逆鱗」はなかなか世間に理解されないが、マイナー・レーベル
の担当者、岡崎(大森南朋)は彼らの可能性を見出しスカウトする。
しかし、一向に売れない。
レコード会社の上層部からは契約を打ち切るよう岡崎に圧力がかかる。
岡崎(大森南朋)が持っていた本に触発され、リーダーでベース担当の繁樹(伊藤淳史)
は彼らの最後のレコーディングのため「フィッシュストーリー」を作曲する。
僕の孤独が魚だったら、 巨大さと獰猛さに、鯨でさえ逃げ出す きっとそうだ
僕の孤独が魚だったら、巨大さと獰猛さに、鯨でさえ逃げ出す
オレは死んでないぜ オレは死んでないぜ 音の積み木だけが世界を救う
(伊坂幸太郎/斉藤和義)
「FISH STORY」というのはホラ話、作り話のこと。
釣り師が獲物を誇張して言いがちなことが語源らしい。(4)
「フィッシュストーリー」という本は印刷後、誤訳でデタラメだったことが発覚しすべ
て回収され、処分された。
その出版社で働いていた岡崎の叔母がこっそり持ち帰った幻の一冊だったのだ。
だから著作権は発生しない、とのことだった。
↑クリックすると逆鱗の「フィッシュストーリー」が視聴できます。
「逆鱗」のメンバーは「これが最後」という覚悟で一発録りに臨む。
曲間でボーカルの五郎(高良健吾)が「岡崎さん、俺たちの歌、誰かに届いているのか
な」と思いをぶつける。
五郎のモノローグが入ったためプロデューサーは録り直しを命じるが、岡崎は「いや、
今のテイクで行こう」と主張する。(5)
五郎の語りの部分は無音にする、その方が謎めいていていい、というのだ。
「逆鱗」は売れないまま、解散した。
時は流れ1982年。
「フィッシュストーリー」の謎の無音部分が一部の若者の間で都市伝説となっていた。
人によっては無音部分に女性の悲鳴が聴こえるというのだ。
弱気な大学生、雅史は深夜、運転中そのカセットテープを聴いたことがきかっかけで、
運命の女性(大谷英子)と巡り会う。
さらに時は流れ2009年。
フェリーで修学旅行へ向かう女子高生の一人、麻美(多部未華子)は眠りこけて下船
できず、シージャックに巻き込まれてしまう。
しかし「正義の味方」と名乗る青年(森山未來)が現れ、傷を負いながらもシージャッ
ク一味を倒し、麻美たち乗客が助かった。
「正義の味方」は雅史の子供。
1982年に雅史が「フィッシュストーリー」を聴いたことにつながっている。
そして2012年。
巨大隕石の地球衝突が迫り、世界中がパニックに陥っている。
荒廃した街の片隅で、いつもと同じように中古レコード店を営む店長がいた。
あの「逆鱗」を手がけた岡崎の子供(大森南朋、一人二役)だ。
レコードを物色する客に、店長は「逆鱗」の「フィッシュストーリー」を聴かせる。
地球の危機は救われるのか・・・・
<逆鱗というバンド>
「逆鱗」のメンバーを演じたのは、俳優の伊藤淳史(ベース)、高良健吾(ボーカル)、
渋川清彦(ドラム)と、ロックバンドDrive Farの大川内利充(ギター)の4人。
劇中で逆鱗が歌う曲は斉藤和義がプロデュースを手がけた。
渋川清彦は高校卒業後、バンドでプロを目指し上京。アートスクールのドラム科を中退。
その後、俳優に転じたがドラムの経験はあった。
伊藤淳史はまったく楽器経験がなく2ヶ月間、必死で練習したそうだ。
楽器の持ち方、弦の押さえ方から習い、泊まりがけの仕事にもベースを持って行き、
毎日どんなに忙しくてもベースに触るようにしていたらしい。
高良健吾はニルヴァーナ、エレファントカシマシ、サンボマスター、東京事変、奥田民生
などを好んで聴いていたロック好きで、ボーカルもサマになっていた。
大川内利充はフランス人のボーカル+3ピースの爆音系バンド、Drive Farのギタリスト
で、「逆鱗」のサウンド作りに貢献している。
メンバーたちは週2~3回集合して練習し、その後飲みながら曲や音について話し合った。
そのためか劇中の「逆鱗」のシーンは、ざらっとした生々しさがあった。
理解してもらえない、売れないミュージシャンの哀愁、虚しさも切実に感じられた。
映画公開に先駆け、2009年02月にCD「FISH STORY 逆鱗×斉藤和義」をリリース。
3月にタワーレコード渋谷店、HMV渋谷店でミニライブを開催している。
「FISH STORY」を作曲した斉藤和義自身もセルフカヴァーしているが、この曲に関し
ては僕は「逆鱗」のヴァージョンの方がいいと思う。
<脚注>
2018年9月1日土曜日
ロックな青春映画10選(7)ドブネズミみたいに美しくなりたい。
ロックな青春映画10選、後半は邦画をご紹介したい。
一発目は「リンダ、リンダ、リンダ」。(2005年公開)
タイトルでピンと来た方もいるだろう。
1980年代後半に活躍した日本のパンクロック・バンド、ザ・ブルーハーツのメジャー・
デビュー曲「リンダ リンダ」がこの映画のフックになっている。
文化祭でバンド出演。夏に教室や屋上で練習をした思い出。あるよね?
<映画のあらすじ>
とある地方都市の高校(撮影は群馬県の前橋工業高校で行われた)が舞台。
文化祭を数日後に控えたある日、軽音楽部所属の5人組ガールズバンドのギター担当
(湯川潮音)が指を骨折してしまった。
高校生活最後の文化祭にどうしても出たいキーボードの恵(香椎由宇)。
オリジナルメンバーでやらなきゃ意味がないというボーカルの凛子(三村恭代)。
二人は対立し、バンドは空中分解。
恵がギターに転向し、ドラムスの響子(前田亜)、ベースの望(関根史織)とバンド
を続け、文化祭に出ることにする。。。。が、何をやるか決まらない。
軽音の部室で古いLPやカセットをひっくり返しているうち、ザ・ブルーハーツの「
リンダ リンダ」を聴き、3人はノリノリ。
問題はボーカルだ。恵はギターを弾くのに精一杯。
文化祭の準備で慌しい校内でどうしようか悩む3人。
じゃあ、あそこを最初に通った子にしようよ、といい加減な提案をする恵。
最初にやってきたのは、よりによってバンドを抜けたばかりの凛子だった。
次に韓国の留学生ソン(ペ・ドゥナ)に恵が声をかける。
「バンドやんない?ボーカルでいいよね?やるのブルーハーツだから」
ソンは適当に返事をする癖があり、意味も分からないまま引き受けてしまう。
2日後の本番まで時間がないため、さっそく練習を始めるが4人の音はバラバラ。
特に恵は慣れないギターがうまく弾けない。
夜の部室に忍び込んで、体育会座りで練習する4人。屋上で一人ギターを弾く恵。
一人カラオケで歌うソン。気持ちが一つなり、音も良くなってきた。
前日からスタジオに泊まり込みで猛練習するが、4人は疲れて寝てしまう。
軽音の部員からの電話で恵は目がさめる。出番の時間に間に合わない。
どしゃぶりの中バスに乗る4人。体育館に着いた時、残り時間は10分足らず。
雨を避けて集まって来た生徒たちを前に、4人は裸足のまま壇上に上がる。
「私たちはパーランマウム(파란 마음、韓国語でBLUE HEARTS)です」と名乗り、
「リンダ リンダ」「終わらない歌を歌おう」を熱演した。観客は総立ち。
4人は力を出し切り満足そうな笑みを浮かべていた。
舞台の袖で見ていた凛子でさえも。
↑クリックすると「リンダ、リンダ、リンダ」の予告編が観られます。
<映画の見どころ>
大きな盛り上がりもなく、まったりとした高校生活にリアリティがある。
古い教室、廊下、体育館、下足入れが並ぶ玄関、部室、文化祭の準備風景。
高校生バンドらしい大雑把でまとまりのない演奏。そうそう、こんな感じ。
この映画を見てると、遠い昔の空気感や匂いが蘇ってくるようだ。
監督の山下敦弘はわざとらしい盛り上げを極端に嫌う人らしい。
唯一のハイライトはどしゃぶりの雨の中、文化祭に駆けつけるバンドと、演奏
シーンだが、それも淡々と描かれている。
長回しの多用、ロングショット、移動カメラ、そして間の取り方が上手い。
<キャストのキャラが絶妙>
気が強い恵は当所は木村カエラがキャスティングされていたらしいが、結果的に
香椎由宇が適役だったと思う。
クールな凛子(三村恭代)との確執、反りの合わない所もリアルだった。
前田亜季演じるおっとりしたドラムスの響子。
無口な望役の関根史織はBase Ball Bearというバンドのベーシストでもあり、
3人のプレイヤーの中で一番、音楽的にしっかりしている。
そして韓国から来た留学生ソン(ペ・ドゥナ)はたどたどしい日本語といい加減な
返事、絶妙の「間」で笑いを誘う。
ペ・ドゥナは韓国でファッション雑誌のモデルやCMモデル、テレビタレント、映画
女優として活躍。シリアスな作品からコメディーまでこなす実力派・個性派である。
個人的には脱退したボーカルの凛子(三村恭代)の冷めた感じも良かった。
だいうじょうぶ?がんばってね、と声をかけるが最後まで恵と和解しなかった。
屋上で漫画喫茶やってた一つ年上の留年生(どこの学校にもいたよなあ)は山崎優子
(me-ism)が演じている。
けだるい雰囲気とハスキーな声。恵のギターでブルースを奏でるがこれが上手い!
パーランマウムの4人が遅れているため、指を骨折したギターの萠(湯川潮音)がアカ
ペラで「The Water Is Wide」を歌い穴埋めするシーンがある。
湯川潮音はシンガーソングライターで実際にギターも弾ける。
さらに時間稼ぎのため上述の山崎優子が奥田民生「すばらしい日々」を弾き語りし、
山崎優子のギターで湯川潮音が細野晴臣の「風来坊」を歌うがこれもよかった。
<使用楽器>
ギターはESP、アンプはRoland、ドラムスはPearlが提供している。
恵(香椎由宇)が弾いてるのはセミホロウボディーのレトロなデザインのギターだが、
これはESPのオリジナルだっろうか?(知ってる方、教えてください)
望(関根史織)の水色のベースは一見プレシジョンっぽいがヘッドが違う。
たぶんこれもESPのオリジナルなのだろう。
ちなみに関根史織はBase Ball BearではフェンダーUSAプレシジョンベース、
ムスタングベース、プレシジョンベース、Freedom Custom Guitar Research
製のジャズベース、ギブソン・SGベースなどを愛用しているようだ。
高校生のロックっていいよね。ガールズバンドっていいな!
<参考資料:Amazon、Wikipedia、YouTube、シネマトゥデイ、他>
一発目は「リンダ、リンダ、リンダ」。(2005年公開)
タイトルでピンと来た方もいるだろう。
1980年代後半に活躍した日本のパンクロック・バンド、ザ・ブルーハーツのメジャー・
デビュー曲「リンダ リンダ」がこの映画のフックになっている。
文化祭でバンド出演。夏に教室や屋上で練習をした思い出。あるよね?
<映画のあらすじ>
とある地方都市の高校(撮影は群馬県の前橋工業高校で行われた)が舞台。
文化祭を数日後に控えたある日、軽音楽部所属の5人組ガールズバンドのギター担当
(湯川潮音)が指を骨折してしまった。
高校生活最後の文化祭にどうしても出たいキーボードの恵(香椎由宇)。
オリジナルメンバーでやらなきゃ意味がないというボーカルの凛子(三村恭代)。
二人は対立し、バンドは空中分解。
恵がギターに転向し、ドラムスの響子(前田亜)、ベースの望(関根史織)とバンド
を続け、文化祭に出ることにする。。。。が、何をやるか決まらない。
軽音の部室で古いLPやカセットをひっくり返しているうち、ザ・ブルーハーツの「
リンダ リンダ」を聴き、3人はノリノリ。
問題はボーカルだ。恵はギターを弾くのに精一杯。
文化祭の準備で慌しい校内でどうしようか悩む3人。
じゃあ、あそこを最初に通った子にしようよ、といい加減な提案をする恵。
最初にやってきたのは、よりによってバンドを抜けたばかりの凛子だった。
次に韓国の留学生ソン(ペ・ドゥナ)に恵が声をかける。
「バンドやんない?ボーカルでいいよね?やるのブルーハーツだから」
ソンは適当に返事をする癖があり、意味も分からないまま引き受けてしまう。
2日後の本番まで時間がないため、さっそく練習を始めるが4人の音はバラバラ。
特に恵は慣れないギターがうまく弾けない。
夜の部室に忍び込んで、体育会座りで練習する4人。屋上で一人ギターを弾く恵。
一人カラオケで歌うソン。気持ちが一つなり、音も良くなってきた。
前日からスタジオに泊まり込みで猛練習するが、4人は疲れて寝てしまう。
軽音の部員からの電話で恵は目がさめる。出番の時間に間に合わない。
どしゃぶりの中バスに乗る4人。体育館に着いた時、残り時間は10分足らず。
雨を避けて集まって来た生徒たちを前に、4人は裸足のまま壇上に上がる。
「私たちはパーランマウム(파란 마음、韓国語でBLUE HEARTS)です」と名乗り、
「リンダ リンダ」「終わらない歌を歌おう」を熱演した。観客は総立ち。
4人は力を出し切り満足そうな笑みを浮かべていた。
舞台の袖で見ていた凛子でさえも。
↑クリックすると「リンダ、リンダ、リンダ」の予告編が観られます。
<映画の見どころ>
大きな盛り上がりもなく、まったりとした高校生活にリアリティがある。
古い教室、廊下、体育館、下足入れが並ぶ玄関、部室、文化祭の準備風景。
高校生バンドらしい大雑把でまとまりのない演奏。そうそう、こんな感じ。
この映画を見てると、遠い昔の空気感や匂いが蘇ってくるようだ。
監督の山下敦弘はわざとらしい盛り上げを極端に嫌う人らしい。
唯一のハイライトはどしゃぶりの雨の中、文化祭に駆けつけるバンドと、演奏
シーンだが、それも淡々と描かれている。
長回しの多用、ロングショット、移動カメラ、そして間の取り方が上手い。
<キャストのキャラが絶妙>
気が強い恵は当所は木村カエラがキャスティングされていたらしいが、結果的に
香椎由宇が適役だったと思う。
クールな凛子(三村恭代)との確執、反りの合わない所もリアルだった。
前田亜季演じるおっとりしたドラムスの響子。
無口な望役の関根史織はBase Ball Bearというバンドのベーシストでもあり、
3人のプレイヤーの中で一番、音楽的にしっかりしている。
そして韓国から来た留学生ソン(ペ・ドゥナ)はたどたどしい日本語といい加減な
返事、絶妙の「間」で笑いを誘う。
ペ・ドゥナは韓国でファッション雑誌のモデルやCMモデル、テレビタレント、映画
女優として活躍。シリアスな作品からコメディーまでこなす実力派・個性派である。
個人的には脱退したボーカルの凛子(三村恭代)の冷めた感じも良かった。
だいうじょうぶ?がんばってね、と声をかけるが最後まで恵と和解しなかった。
屋上で漫画喫茶やってた一つ年上の留年生(どこの学校にもいたよなあ)は山崎優子
(me-ism)が演じている。
けだるい雰囲気とハスキーな声。恵のギターでブルースを奏でるがこれが上手い!
パーランマウムの4人が遅れているため、指を骨折したギターの萠(湯川潮音)がアカ
ペラで「The Water Is Wide」を歌い穴埋めするシーンがある。
湯川潮音はシンガーソングライターで実際にギターも弾ける。
さらに時間稼ぎのため上述の山崎優子が奥田民生「すばらしい日々」を弾き語りし、
山崎優子のギターで湯川潮音が細野晴臣の「風来坊」を歌うがこれもよかった。
<使用楽器>
ギターはESP、アンプはRoland、ドラムスはPearlが提供している。
恵(香椎由宇)が弾いてるのはセミホロウボディーのレトロなデザインのギターだが、
これはESPのオリジナルだっろうか?(知ってる方、教えてください)
望(関根史織)の水色のベースは一見プレシジョンっぽいがヘッドが違う。
たぶんこれもESPのオリジナルなのだろう。
ちなみに関根史織はBase Ball BearではフェンダーUSAプレシジョンベース、
ムスタングベース、プレシジョンベース、Freedom Custom Guitar Research
製のジャズベース、ギブソン・SGベースなどを愛用しているようだ。
高校生のロックっていいよね。ガールズバンドっていいな!
<参考資料:Amazon、Wikipedia、YouTube、シネマトゥデイ、他>
2018年8月19日日曜日
待・ち・ど・お・しいのは〜夏休み!
ずいぶんご無沙汰してしまった(反省)
今年は異常なくらいの暑さで、ギラつく太陽を見ると恨めしくなる。
若い頃は暑さなんてなんのその、夏休みがまちどおしかったのにね。
そんな夏だからこそ聴きたいのがコニー・フランシスの「ヴァケーション」だ。
先日BS-TBS「SONG TO SOUL」で「ヴァケーション」コニー・フランシスを
見て、取り上げてみたくなった。
「V-A-C-A-T-I-O-N in the summer sun!」というキャッチーなコーラス
とR&Rの弾けるリズムに乗った楽しいヴァースは今でも鮮烈だ。
1962年当時、僕は小学生低学年でこの曲も弘田三枝子のカヴァーで知った。
「V-A-C-A-T-I-O-N !楽しいな」
弘田三枝子のパンチの効いた(死語?)歌声もインパクトがあった。
今思えば、女性が歌うR&R初体験だったと思う。
↑写真をクリックすると弘田三枝子の「ヴァケーション」が聴けます。
弘田は子供の頃から立川の進駐軍キャンプでポップスやジャズを歌っていた。
当時、同じように立川のキャンプで歌っていた少女が伊東ゆかりである。
1962年7月にコニー・フランシスの「ヴァケイション」が発売。
同年に弘田三枝子、青山ミチ、伊東ゆかり、金井克子、弘田三枝子、安村昌子
がカヴァーしたが、弘田三枝子盤が20万枚で圧勝だった。
テレビから流れていたのも弘田三枝子の「ヴァケーション」しか憶えてない。
その頃は彼女のためのオリジナル曲だと思っていたし、コニー・フランシスの
存在も知らなかった。
(後にコニー本人が日本語で歌ったレコードも発売された)
コニー・フランシス本人の話をしよう。
彼女はニュージャージー州出身のイタリア系の歌手で1955年に、17歳の時に
MGMから歌手デビューした。
彼女はいろいろな歌い方ができる器用な歌手で守備範囲が広かった。
しかしヒット曲に恵まれず、次の10作目がヒットしなければ契約を打ち切ると
MGMレコードから伝えられていた。
レコーディングが順調に進み、スタジオの残り時間があと16分と告げられた時、
コニーは父親から「Who's Sorry Now?」を最後に歌ってくれと頼まれる。
それまでも彼女は父親からなぜ「Who's Sorry Now?」を歌わない?と言われ
ていたが、30年以上も前の古臭い曲は嫌よと渋っていたそうだ。
1958年2月に発売された「Who's Sorry Now?」はビルボード最高4位を獲得。
コニー初のミリオンセラーとなり、彼女は歌手を続けることになった。
「それまでの曲は誰風に歌おうと考えて歌っていたが、この曲では誰の真似でも
なく自然に歌えた」と後にコニーは語っている。
コニー・フランシスが自分の歌い方を見つけた大きな転換点となる曲であった。
↑クリックするとコニー・フランシスの「Who's Sorry Now?」が聴けます。
この後コニーは「ボーイ・ハント」「カラーに口紅」「可愛いベイビー」など
ヒット曲を連発し、アメリカンポップスを代表する女性シンガーとなった。
コニーがデビューした1950年代半ば以降、ロックンロールが大流行していたが、
ヒットチャートを賑わせていたのはエルヴィス、ポール・アンカ、ニール・セダカ
などの若手の男性シンガーだった。
一方、女性で人気を博していたのはローズマリー・クルーニー、ドリス・デイ、
ペギー・リー、パティ・ペイジ、ダイナ・ショアなどジャズ系シンガーだった。
そこにエルヴィスみたいな歌い方をする女性シンガーが現れたのだ。
「女エルヴィス」といえばロザリー・アレンでしょ、と言う方もいると思うが
ロザリー・アレンは1955年デビュー当時の荒削りなエルヴィスの女性版、なお
かつカントリー寄りのロカビリーという印象だ。
これに対して、コニー・フランシスは幅広いロック、ポップス・シンガーとして
成長していった1950年代後半〜除隊後の1961年のエルヴィスのような女性シン
ガーだと思う。
コニーは「チャート入りパスポートを持ったシンガー」と呼ばれ、彼女の曲は
毎週のようにチャートに登場していた。
彼女に歌ってもらいたいと多くの作曲家が曲を提供したがった。
後に大御所となるバート・バカラックもその一人である。
コニーの父親は屋根葺き職人であったが、毎日新聞を片隅まで熟読するような
堅実派であり、MGMとの契約の際、2年間で10枚のシングル盤を出す、楽曲の
決定権はコニー自身にある、という破格の条件を取り付けていた。
レコード会社が選んだ楽曲を歌うのが慣例だった1950年代では異例のことだ。
またコニーは提供された曲や詩にも手を加え、納得がいくまで曲をブラッシュ
アップしていた。(何曲かはコニーの名前も作曲クレジットに入っている)
↑クリックするとコニー・フランシスの「ヴァケーション」が聴けます。
日本での「ヴァケイション」の発売、弘田三枝子盤の大ヒットを受けコニー自身
が日本語でレコーディングしたレコードも発売された。
コニーは日本語で25曲もレコーディングしている。
これも父親のアドヴァイスだった。
世界の人の心をつなぐのはワシントンでもペンタゴンでもない。歌なんだ。
コニー、おまえがそれをやるんだよ」と言われたそうだ。
コニーは15ヶ国語でレコードを出している。
日本語は彼女の母国語であるイタリア語に似てるため、やりやすかったとか。
一つ一つの単語に英語でその訳を書き、言葉の意味を考えながら歌ったという。
ただ「ヴァケイション」のような曲が日本で売れるとは思っていなかったらしい。
彼女自身は「ボーイ・ハント」「カラーに口紅」などの曲の方が、日本の女性にも
共感が得られる気がしていたそうだ。
「可愛いベイビー」は本国ではシングルカットされていない。
日本独自のヒット曲である。
中尾ミエ、森山加代子、沢リリ子、後藤久美子の競作で中尾ミエ盤が一番売れた。
「ロリポップ・リップス」も日本独自のヒット。九重佑三子がカヴァーした。
「大人になりたい」も本国より伊東ゆかり、後藤久美子のカヴァーがヒットした。
コニー・フランシスはアメリカで女性ポップス・シンガーの新しい境地を築き上げた
ヒット・メイカーであったが、彼女が日本に与えた影響も大きい。
こうしたアメリカのポップスを日本語にローカライズすることで、伊東ゆかり、
中尾ミエ、、弘田三枝子、ザ・ピーナッツ、後の黛ジュンなどの女性ポップス路線
が日本に定着したのである。
↑クリックすると、コニー・フランシスの主演映画「ハートでキッス」(1964)より
挿入曲の「レッツ・パーティ」が聴けます。
<参考資料:Connie Francis The Official Site、BS-TBS 「Song To Soul」、
Wikipedia他>
今年は異常なくらいの暑さで、ギラつく太陽を見ると恨めしくなる。
若い頃は暑さなんてなんのその、夏休みがまちどおしかったのにね。
そんな夏だからこそ聴きたいのがコニー・フランシスの「ヴァケーション」だ。
先日BS-TBS「SONG TO SOUL」で「ヴァケーション」コニー・フランシスを
見て、取り上げてみたくなった。
「V-A-C-A-T-I-O-N in the summer sun!」というキャッチーなコーラス
とR&Rの弾けるリズムに乗った楽しいヴァースは今でも鮮烈だ。
1962年当時、僕は小学生低学年でこの曲も弘田三枝子のカヴァーで知った。
「V-A-C-A-T-I-O-N !楽しいな」
弘田三枝子のパンチの効いた(死語?)歌声もインパクトがあった。
今思えば、女性が歌うR&R初体験だったと思う。
↑写真をクリックすると弘田三枝子の「ヴァケーション」が聴けます。
弘田は子供の頃から立川の進駐軍キャンプでポップスやジャズを歌っていた。
当時、同じように立川のキャンプで歌っていた少女が伊東ゆかりである。
1962年7月にコニー・フランシスの「ヴァケイション」が発売。
同年に弘田三枝子、青山ミチ、伊東ゆかり、金井克子、弘田三枝子、安村昌子
がカヴァーしたが、弘田三枝子盤が20万枚で圧勝だった。
テレビから流れていたのも弘田三枝子の「ヴァケーション」しか憶えてない。
その頃は彼女のためのオリジナル曲だと思っていたし、コニー・フランシスの
存在も知らなかった。
(後にコニー本人が日本語で歌ったレコードも発売された)
コニー・フランシス本人の話をしよう。
彼女はニュージャージー州出身のイタリア系の歌手で1955年に、17歳の時に
MGMから歌手デビューした。
彼女はいろいろな歌い方ができる器用な歌手で守備範囲が広かった。
しかしヒット曲に恵まれず、次の10作目がヒットしなければ契約を打ち切ると
MGMレコードから伝えられていた。
レコーディングが順調に進み、スタジオの残り時間があと16分と告げられた時、
コニーは父親から「Who's Sorry Now?」を最後に歌ってくれと頼まれる。
それまでも彼女は父親からなぜ「Who's Sorry Now?」を歌わない?と言われ
ていたが、30年以上も前の古臭い曲は嫌よと渋っていたそうだ。
1958年2月に発売された「Who's Sorry Now?」はビルボード最高4位を獲得。
コニー初のミリオンセラーとなり、彼女は歌手を続けることになった。
「それまでの曲は誰風に歌おうと考えて歌っていたが、この曲では誰の真似でも
なく自然に歌えた」と後にコニーは語っている。
コニー・フランシスが自分の歌い方を見つけた大きな転換点となる曲であった。
↑クリックするとコニー・フランシスの「Who's Sorry Now?」が聴けます。
この後コニーは「ボーイ・ハント」「カラーに口紅」「可愛いベイビー」など
ヒット曲を連発し、アメリカンポップスを代表する女性シンガーとなった。
コニーがデビューした1950年代半ば以降、ロックンロールが大流行していたが、
ヒットチャートを賑わせていたのはエルヴィス、ポール・アンカ、ニール・セダカ
などの若手の男性シンガーだった。
一方、女性で人気を博していたのはローズマリー・クルーニー、ドリス・デイ、
ペギー・リー、パティ・ペイジ、ダイナ・ショアなどジャズ系シンガーだった。
そこにエルヴィスみたいな歌い方をする女性シンガーが現れたのだ。
「女エルヴィス」といえばロザリー・アレンでしょ、と言う方もいると思うが
ロザリー・アレンは1955年デビュー当時の荒削りなエルヴィスの女性版、なお
かつカントリー寄りのロカビリーという印象だ。
これに対して、コニー・フランシスは幅広いロック、ポップス・シンガーとして
成長していった1950年代後半〜除隊後の1961年のエルヴィスのような女性シン
ガーだと思う。
コニーは「チャート入りパスポートを持ったシンガー」と呼ばれ、彼女の曲は
毎週のようにチャートに登場していた。
彼女に歌ってもらいたいと多くの作曲家が曲を提供したがった。
後に大御所となるバート・バカラックもその一人である。
コニーの父親は屋根葺き職人であったが、毎日新聞を片隅まで熟読するような
堅実派であり、MGMとの契約の際、2年間で10枚のシングル盤を出す、楽曲の
決定権はコニー自身にある、という破格の条件を取り付けていた。
レコード会社が選んだ楽曲を歌うのが慣例だった1950年代では異例のことだ。
またコニーは提供された曲や詩にも手を加え、納得がいくまで曲をブラッシュ
アップしていた。(何曲かはコニーの名前も作曲クレジットに入っている)
↑クリックするとコニー・フランシスの「ヴァケーション」が聴けます。
日本での「ヴァケイション」の発売、弘田三枝子盤の大ヒットを受けコニー自身
が日本語でレコーディングしたレコードも発売された。
コニーは日本語で25曲もレコーディングしている。
これも父親のアドヴァイスだった。
世界の人の心をつなぐのはワシントンでもペンタゴンでもない。歌なんだ。
コニー、おまえがそれをやるんだよ」と言われたそうだ。
コニーは15ヶ国語でレコードを出している。
日本語は彼女の母国語であるイタリア語に似てるため、やりやすかったとか。
一つ一つの単語に英語でその訳を書き、言葉の意味を考えながら歌ったという。
ただ「ヴァケイション」のような曲が日本で売れるとは思っていなかったらしい。
彼女自身は「ボーイ・ハント」「カラーに口紅」などの曲の方が、日本の女性にも
共感が得られる気がしていたそうだ。
「可愛いベイビー」は本国ではシングルカットされていない。
日本独自のヒット曲である。
中尾ミエ、森山加代子、沢リリ子、後藤久美子の競作で中尾ミエ盤が一番売れた。
「ロリポップ・リップス」も日本独自のヒット。九重佑三子がカヴァーした。
「大人になりたい」も本国より伊東ゆかり、後藤久美子のカヴァーがヒットした。
コニー・フランシスはアメリカで女性ポップス・シンガーの新しい境地を築き上げた
ヒット・メイカーであったが、彼女が日本に与えた影響も大きい。
こうしたアメリカのポップスを日本語にローカライズすることで、伊東ゆかり、
中尾ミエ、、弘田三枝子、ザ・ピーナッツ、後の黛ジュンなどの女性ポップス路線
が日本に定着したのである。
↑クリックすると、コニー・フランシスの主演映画「ハートでキッス」(1964)より
挿入曲の「レッツ・パーティ」が聴けます。
<参考資料:Connie Francis The Official Site、BS-TBS 「Song To Soul」、
Wikipedia他>
2018年6月6日水曜日
ロックな青春映画10選(6)何が何でも見たい!少女たちの執念。
今回ご紹介するのはお気楽な青春コメディ映画。
「抱きしめたい」(原題:I Wanna Hold Your Hand) 。(1)
1978年公開のアメリカ映画。
後に「バック・トゥ・ザ・フューチャー」をヒットさせたロバート・ゼメキスの
初監督作品である。(製作はスティーヴン・スピルバーグ)
タイトルはビートルズの楽曲より。邦題の「抱きしめたい」ものそまま。
日本では公開されず、ジョンの暗殺直後の1981年にやっと封切られた。
映像作品は長らく廃盤になっていたが、Blu-ray+DVDで8月8日発売されるよう
なので、ビートルズ・ファンは見てみてください。
↑写真をクリックすると「抱きしめたい」のトレーラーが観られます。
舞台は1964年2月、ビートルズが初めて米国を訪れることになった時のこと。
ビートルズ観たさに大騒ぎし奔走するニュージャージーの男女6人の若者たち。
なんとかエド・サリヴァン・ショーのチケットを入手することができた。
ニューヨークへ向かう珍道中。が、肝心のチケットを無くしてしまう。
はたして彼女たちはビートルズを観ることができるのか?
プラザホテル(2)のビートルズが滞在している部屋に潜り込む女の子はナンシー
・アレンが演じている。僕はけっこう好きな女優だ。
映画「キャリー」(1976年)で同級生の主人公をいじめるチアリーダー役、
「ロボコップ」(1987年)ではサイボーグ警官の相棒役を好演していた。
彼女はポールの愛器ヘフナーを見て感極まり、ベースにキスしてしまう。
その気持ち、分かるよね(^^)
三人娘の一人、スーザンケンダル・ニューマンはポール・ニューマンの実娘。
当初はキャリー・フィッシャー(レイア姫)がこの役の候補だったそうだ。
さて、ロージーが忍び込んだ部屋にビートルズの4人が戻って来てしまう。
焦った彼女はとっさにベッドの下に隠れる。
ベッドの下で息を殺してるロージーからは、話しながら部屋を歩きまわる4人の
ビートル・ブーツが見える。
ジョン、ポール、ジョージ、リンゴの声、しゃべり方がまたそっくりで笑える。
そしてなんとかもぐりこんだCBSのエド・サリヴァン・ショーのスタジオ。
女の子たちは客席でビートルズを観ることができる。
このシーンだけで見る価値あり!だ。
カメラ・モニターに映る本物のビートルズの映像とロングショットで捉えた代役
動きがみごとにシンクロしているのがすごい。
コーラスの際マイクに近寄るジョージの足の動き、リンゴのスティックの返し
に至るまで、放映された映像の分析とその念入りな再現に尋常じゃない手間暇
をかけているのだ。
まるで本物のビートルズがそこで演奏しているかのような錯覚にとらわれる。
エド・サリバンのそっくりさんも秀逸(笑)
さすが、ロバート・ゼメキス!
「バック・トゥ・ザ・フューチャー」でのマイケル・J・フォックスの演奏
シーンも、彼のロック愛があふれていた。
この映画はビートルズの初アメリカ上陸の熱狂、視聴率70%を記録した伝説の
エド・サリヴァン・ショーに狂喜するファンの姿を描いた青春コメディーだ。
アンチ・ビートルズ、バリケードを張る警官も登場する。
この作品と、ビートルズ側からの視点で描かれたドキュメンタリー・フィルム
「The Beatles The First U.S. Visit」(1991年製作)と対比しながら見ると
面白いのではないかと思う。
↑写真をクリックすると「The First U.S. Visit」のトレーラーが観られます。
話は逸れるが。。。。
エド・サリヴァン・ショーの1曲目はなぜ「All My Loving」だったのだろう?
まず一発目は「Twist And Shout」でもぶちかましそうな気がするのだが。
おまけに続く2曲目は「Till There Was You」。これも控えめだ。
レコードコレクターズでどなたか評論家の方が「アメリカでのお披露目なので
優等生のポールの歌を2曲続けて、というブライアン・エプスタインの意向だ
ったのではないか」と書かれていた。
僕はそうではないと思う。
デッカのオーディションで失敗してから、エプスタインは「あんたは選曲に口
を出すな」とジョンから釘を刺されていた。
「ヒット曲を中心に、間奏でアドリブはやらない」というのがエプスタインの
精一杯の要求だったが、それも4人に無視されることが多かった。
エド・サリヴァン・ショーの演奏曲は4人が決めたことで「All My Loving」
をオープニングに持ってきたのも彼らの思惑があったからだ。
「All My Loving」は演奏なしの「Close your」2拍から、いきなりF#m→B7
→E→C#m→A→F#m→D→B7と演奏に入る。
曲のキーはEで、いきなりF#m→B7(IIm→V7)から始めるのも意表をつく。
リズムギターはジョンの3連の早弾き。(真似してみるとかなり難しい)
ポールは歌いながらその歌メロと対位法の4ビートのウオーキングベース。
リンゴのドラムは右手でハイハットを8ビートを刻み、左手でスネアをシャッ
フル気味に叩く、という難しい技を披露している。
きわめつけは間奏のジョージのチェット・アトキンス奏法。
チェットはサムピックを使うが、ジョージは知らなかったのかもしれない。
この時代、カントリーの演奏を英国で映像で見る機会は少なかったはずだ。
ジョージはフラットピック+中指、薬指でチェットらしさを出している。
後半のヴァースではポールとのハモりも披露。
「All My Loving」は曲としての完成度はもちろん、楽器ごとに複雑なリズム
感を組み合わせながら盤石のグルーヴ感を構築している。
コーラスの組み立ても完璧だし、アレンジも演奏力もみごとだ。
ビートルズはアメリカでの1曲目で「俺たちはそんじょそこらのロックバンド
とは違うぜ」と実力を見せたかったんじゃないかと思う。
多少なりとも楽器をかじってる連中、いや、プロもビートルズの想定以上の
演奏力にガツンとやられたはずだ。
そして2曲目の「Till There Was You」。
ブロードウェイ・ミュージカル「ミュージック・マン」の劇中で使用された曲
だが、ビートルズはラテン調バラードにうまくリアレンジしている。
maj7、m7、m9、9th、aug、dimなどテンションコードを多用。
ジョージの間奏、ジョンのリズムギターと重なる所などうまく練られている。
そして間奏の最後のコード、F#7(+#9)の響き。
ポールによるとこの隠し玉は「Michelle」でも使ったそうである。
「All My Loving」「Till There Was You」の2曲で文句をつけたがるうるさ型
を黙らせてしまったビートルス。
英国から来た4人組は一発屋のアイドルではなく、幅広い音楽性を身につけた
洗練されたバンドであることを証明したのだ。
エド・サリヴァン・ショーでまずこの2曲を披露したのは正解だったと思う。
「抱きしめたい」(原題:I Wanna Hold Your Hand) 。(1)
1978年公開のアメリカ映画。
後に「バック・トゥ・ザ・フューチャー」をヒットさせたロバート・ゼメキスの
初監督作品である。(製作はスティーヴン・スピルバーグ)
タイトルはビートルズの楽曲より。邦題の「抱きしめたい」ものそまま。
日本では公開されず、ジョンの暗殺直後の1981年にやっと封切られた。
映像作品は長らく廃盤になっていたが、Blu-ray+DVDで8月8日発売されるよう
なので、ビートルズ・ファンは見てみてください。
↑写真をクリックすると「抱きしめたい」のトレーラーが観られます。
舞台は1964年2月、ビートルズが初めて米国を訪れることになった時のこと。
ビートルズ観たさに大騒ぎし奔走するニュージャージーの男女6人の若者たち。
なんとかエド・サリヴァン・ショーのチケットを入手することができた。
ニューヨークへ向かう珍道中。が、肝心のチケットを無くしてしまう。
はたして彼女たちはビートルズを観ることができるのか?
プラザホテル(2)のビートルズが滞在している部屋に潜り込む女の子はナンシー
・アレンが演じている。僕はけっこう好きな女優だ。
映画「キャリー」(1976年)で同級生の主人公をいじめるチアリーダー役、
「ロボコップ」(1987年)ではサイボーグ警官の相棒役を好演していた。
彼女はポールの愛器ヘフナーを見て感極まり、ベースにキスしてしまう。
その気持ち、分かるよね(^^)
三人娘の一人、スーザンケンダル・ニューマンはポール・ニューマンの実娘。
当初はキャリー・フィッシャー(レイア姫)がこの役の候補だったそうだ。
さて、ロージーが忍び込んだ部屋にビートルズの4人が戻って来てしまう。
焦った彼女はとっさにベッドの下に隠れる。
ベッドの下で息を殺してるロージーからは、話しながら部屋を歩きまわる4人の
ビートル・ブーツが見える。
ジョン、ポール、ジョージ、リンゴの声、しゃべり方がまたそっくりで笑える。
そしてなんとかもぐりこんだCBSのエド・サリヴァン・ショーのスタジオ。
女の子たちは客席でビートルズを観ることができる。
このシーンだけで見る価値あり!だ。
カメラ・モニターに映る本物のビートルズの映像とロングショットで捉えた代役
動きがみごとにシンクロしているのがすごい。
コーラスの際マイクに近寄るジョージの足の動き、リンゴのスティックの返し
に至るまで、放映された映像の分析とその念入りな再現に尋常じゃない手間暇
をかけているのだ。
まるで本物のビートルズがそこで演奏しているかのような錯覚にとらわれる。
エド・サリバンのそっくりさんも秀逸(笑)
さすが、ロバート・ゼメキス!
「バック・トゥ・ザ・フューチャー」でのマイケル・J・フォックスの演奏
シーンも、彼のロック愛があふれていた。
この映画はビートルズの初アメリカ上陸の熱狂、視聴率70%を記録した伝説の
エド・サリヴァン・ショーに狂喜するファンの姿を描いた青春コメディーだ。
アンチ・ビートルズ、バリケードを張る警官も登場する。
この作品と、ビートルズ側からの視点で描かれたドキュメンタリー・フィルム
「The Beatles The First U.S. Visit」(1991年製作)と対比しながら見ると
面白いのではないかと思う。
↑写真をクリックすると「The First U.S. Visit」のトレーラーが観られます。
話は逸れるが。。。。
エド・サリヴァン・ショーの1曲目はなぜ「All My Loving」だったのだろう?
まず一発目は「Twist And Shout」でもぶちかましそうな気がするのだが。
おまけに続く2曲目は「Till There Was You」。これも控えめだ。
レコードコレクターズでどなたか評論家の方が「アメリカでのお披露目なので
優等生のポールの歌を2曲続けて、というブライアン・エプスタインの意向だ
ったのではないか」と書かれていた。
僕はそうではないと思う。
デッカのオーディションで失敗してから、エプスタインは「あんたは選曲に口
を出すな」とジョンから釘を刺されていた。
「ヒット曲を中心に、間奏でアドリブはやらない」というのがエプスタインの
精一杯の要求だったが、それも4人に無視されることが多かった。
エド・サリヴァン・ショーの演奏曲は4人が決めたことで「All My Loving」
をオープニングに持ってきたのも彼らの思惑があったからだ。
「All My Loving」は演奏なしの「Close your」2拍から、いきなりF#m→B7
→E→C#m→A→F#m→D→B7と演奏に入る。
曲のキーはEで、いきなりF#m→B7(IIm→V7)から始めるのも意表をつく。
リズムギターはジョンの3連の早弾き。(真似してみるとかなり難しい)
ポールは歌いながらその歌メロと対位法の4ビートのウオーキングベース。
リンゴのドラムは右手でハイハットを8ビートを刻み、左手でスネアをシャッ
フル気味に叩く、という難しい技を披露している。
きわめつけは間奏のジョージのチェット・アトキンス奏法。
チェットはサムピックを使うが、ジョージは知らなかったのかもしれない。
この時代、カントリーの演奏を英国で映像で見る機会は少なかったはずだ。
ジョージはフラットピック+中指、薬指でチェットらしさを出している。
後半のヴァースではポールとのハモりも披露。
「All My Loving」は曲としての完成度はもちろん、楽器ごとに複雑なリズム
感を組み合わせながら盤石のグルーヴ感を構築している。
コーラスの組み立ても完璧だし、アレンジも演奏力もみごとだ。
ビートルズはアメリカでの1曲目で「俺たちはそんじょそこらのロックバンド
とは違うぜ」と実力を見せたかったんじゃないかと思う。
多少なりとも楽器をかじってる連中、いや、プロもビートルズの想定以上の
演奏力にガツンとやられたはずだ。
そして2曲目の「Till There Was You」。
ブロードウェイ・ミュージカル「ミュージック・マン」の劇中で使用された曲
だが、ビートルズはラテン調バラードにうまくリアレンジしている。
maj7、m7、m9、9th、aug、dimなどテンションコードを多用。
ジョージの間奏、ジョンのリズムギターと重なる所などうまく練られている。
そして間奏の最後のコード、F#7(+#9)の響き。
ポールによるとこの隠し玉は「Michelle」でも使ったそうである。
「All My Loving」「Till There Was You」の2曲で文句をつけたがるうるさ型
を黙らせてしまったビートルス。
英国から来た4人組は一発屋のアイドルではなく、幅広い音楽性を身につけた
洗練されたバンドであることを証明したのだ。
エド・サリヴァン・ショーでまずこの2曲を披露したのは正解だったと思う。
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