ファンにとっては画期的なことだ。
リンダほどの大物でライブ・パフォーマンスに定評があるシンガーが、なぜ今まで
ライブ盤を出していなかったのか?不思議なくらいだ。
キャピトル、アサイラム、いずれのレーベルからもライブ盤リリースの企画はもち
上がったはずだし、収録された音源もあったと思うのだが。。。
今回の未発表ライブ音源はアメリカのTV局HBOの特別番組のために収録されたもの。
1980年4月24日ハリウッドのテレビジョン・センター・スタジオで録音された。
ニューウェーヴ路線を取り入れたアルバム「Mad Love」リリース直後のライブで、
ジャケットのデザインも「Mad Love」を踏襲している。
観客を入れての公開録音のようだ。オーディエンスの声も臨場感がある。
バランスのとれたステレオ音源(1)で音質も非常に良い。
「Live in Hollywood」は以前からブートで出回ってたけど音が悪いと言われてた。
今回は新たに発見されたマスターテープからのリマスターである。
過去にリンダのマネージャーでもあったジョン・ボイラン(2)がマスターテープの
存在を知り、リリースの実現に至ったという。
レーベルはRHINO。大手レーベルがやらない再発ものを得意としている。
RHINO、今回もいい仕事してます!
収録されたのはリンダ・ロンシュタット自身が選んだお気に入りの12曲だ。
キャピトル時代のカントリー・フレーバーから、アサイラム移籍後オールディ
ーズなどを取り入れロック色が強めた時代、そしてアルバム「Mad Love」のニュー
ウェーヴ路線まで、ほぼベストに近い選曲だ。
↑クリックすると1曲目のI Can't Let Goが聴けます。
以下、収録曲を見て欲しい。
( )内はオリジナル収録のアルバム名、発売年、レーベル。
1. I Can't Let Go (Mad Love 1980 Asylum)
2. It's So Easy (Simple Dreams 1977 Asylum)
3. Willin' (Heart Like a Wheel 1974 Capitol)
4. Just One Look (Living in the USA 1978 Asylum)
5. Blue Bayou (Simple Dreams 1977 Asylum)
6. Faithless Love (Heart Like a Wheel 1974 Capitol)
7. Hurt So Bad (Mad Love 1980 Asylum)
8. Poor Poor Pitiful Me (Simple Dreams 1977 Asylum)
9. You're No Good (Heart Like a Wheel 1974 Capitol)
10. How Do I Make You (Mad Love 1980 Asylum)
11. Back In The USA (Living in the USA 1978 Asylum)
12. Desperado (Don't Cry Now 1973 Capitol)
1曲目のI Can't Let Goはホリーズのカヴァー。
ギターのリフもコーラスも原曲に近い。ホリーズがニューウェーヴに合うとは!
It's So Easyはバディー・ホリーのカヴァー。
プロデューサーのピーター・アッシャーの選曲。彼もコーラスで参加している。
Willin' はリトル・フィートのカヴァー。
Just One LookはR&Bシンガー、ドリス・トロイが1963年にヒットさせた。
Blue Bayouはロイ・オービソンのカヴァー。これもリンダの勝ち〜♪
Faithless LoveはJ.D.サウザー(当時リンダの恋人だった)の曲。
Hurt So Badは1960年代インペリアルズという黒人コーラスグループの持ち歌。
Poor Poor Pitiful Meはウォーレン・ジボンの曲。
You're No Goodは1963年のディー・ディー・ワーウィックのカヴァーだが、
今やリンダのヴァージョンの方が有名だろう。
How Do I Make Youはビリー・スタインバーグ(3)による書き下ろし新曲。
Back In The USAはチャック・ベリー。
Desperadoはイーグルスの名曲だが、リンダの定番曲の一つ。
1976年のアルバム「Hasten Down the Wind」収録曲がないのが少し残念。
バディー・ホリーのThat'll Be the Day、カーラ・ボノフのLose Again(今回の
ライブ盤の前年、日本武道館での1曲目だった)とか。
あとリンダが歌うLove Me Tender、Tumbling Diceも聴きたかった。
人によってストーン・ポニーズ時代が好きとか、ソロ時代、イーグルスを従えて
歌ってた頃がいいとか違うだろうけど、僕は「Hasten Down the Wind」
(1976)から「Get Closer」(1982)までがリンダの最盛期だと思う。
その後はネルソン・リドル・オーケストラをバックにジャズを歌ったり、父親の
ルーツでもあるマリアッチ(メキシコ民謡)、ドリー・パートン、エミルー・ハリス
とトリオ結成、アーロン・ネヴィルとデュエット。。。と迷走し続け、1990年以降
は存在感が薄くなってしまった。(4)
↑エミルー・ハリスと共演。リンダはカブスカウトのコスプレ?(^^)
「Live in Hollywood」はリンダがロックの女王として輝いていた時期のぎりぎり
最後のライブ・パフォーマンス、貴重な音源である。
↑YouTubeのRHINOオフィシャル・チャンネルでYou’re No Goodが観られます。
なるほど、こんな感じでやってたんだ。
↑同じくJust One Look の映像版が観られます。
リンダの思いっきり突き抜けるパワフル・ボイスは健在。
声を張り上げても、セリーヌ・ディオンやホイットニー・ヒューストンみたいに
キーキーうるさくない。(あくまでも個人的好みです)
僕がリンダの声、歌い方を好きなのはカントリーがベースだからなのだろう。
CDの最後に隠しトラックでバンドのメンバーが紹介されている。
ギターとペダル・スティールはお馴染みのダン・ダグモア。
(この人、映画「シャイニング」の少年ダニーに似てる気がするんだけど)
もう一人のギターは前年のワディー・ワクテルからダニー・コーチマーへ。
(ダニー・コーチマーってアル・パチーノに似てません?)
一人ハードロックしてたワディー・ワクテルも好きなんだけど、ダニー・コーチ
マーのR&B色が濃いギターもいい。「長年の友人」とリンダは紹介している。
ドラムはラス・カンケル。
武道館の時と同じく、Blue Bayouではシンセ・タムを効果的に使用。
ダニー・コーチマーと共にザ・セクション(5)から2人参加しているわけだ。
キーボードはドン・グロルニックからビリー・ペイン(リトル・フィート)に。
これは嬉しい。
ベースのケニー・エドワーズが今回ギターに周りボブ・グロウブがベースを担当。
コーラスはピーター・アッシャー(6)とウェンディ・ウォルドマン。
バンドを紹介するリンダの喋り方もとてもチャーミング。
曲間にやってたはずなので、そのままでもよかったような気がする。
僕がリンダを生で見たのは1979年3月。前述の武道館である。
お世辞にも美人とは言えないかもしれないが、ショートカットで赤いホットパンツ
(死語)を履いて微笑みながらステージに現れたリンダは本当に素敵だった。
そして前述のように1曲目のLose Againを歌い出すと、会場は完全にリンダの虜
になってしまった。1時間20分で20曲。
すごい盛り上がりだった。僕が体験したライブ史ベスト10に入る。
↑1979年3月、日本武道館での1曲目、Lose Againが聴けます。
ワディー・ワクテルの弾くD-28がいい音だなーと感心してたけど、写真を見ると
マーティンじゃなくてMark Whitebookですね。
当時はバーカスベリーのコンタクトピエゾから拾ってたはずだけどいい音です。
この写真はリンダの服装が違うから僕が行ったのとは別な日みたい。
実は武道館のライブはFM東京が収録し、後日放送(全曲ではないが)した。
エアチェックしてよく聴き、あの時の感動を思い出していたのだが、デッキは
壊れ、カセットテープももうヘロヘロだろうと昨年思い切って処分した。
FM東京の収録もとてもいい音質だった。セットリストも演奏も歌もいい。
時期的にも「Living in the USA」リリース後でロックの女王絶頂期である。
が、惜しいかな。リンダのピッチが少し狂う箇所があったのだ。
Blue Bayouの最初のコーラス部、I’m gonna…が上ずって外れてしまった。
定番曲にミスがあるため、FM東京収録の武道館ライブは採用されなかったのか?
リンダが「Mad Love」を含むライブを公式盤としたかったのか?
それは分からないが、「Live in Hollywood」が素晴らしいできのライブ盤で
リンダから我々ファンへのプレゼントであることは確かだ。
一つだけ、ケチをつけさせてもらっていいかな。
リンダが着ているピンクのちょうちん袖の服。似合わない。ロックしてない。
ダイアナ妃じゃないんだから、と言いたい(笑)
見た目は、髪飾り花をつけてジーンズで歌ってた頃のリンダが好き。
手の振り方、足の曲げ方、仕草がすごくチャーミングで。
そうそう、こんな感じ。
↑クリックするとIt's So Easyを視聴できます。1977〜1978年頃のライブ?
<脚注>
(1)テレビのステレオ音源
日本でテレビ音声多重放送(2チャンネルステレオ放送/二重音声放送)が開始され
たのは1979年春である。
アメリカでは既に1975年から一部の局で採用され、徐々に広まって行ったらしい。
日本と同じNTSC規格なので音声はFMステレオ方式だろう。
つまりFMラジオ放送と同じ音質ということだ。
今回使用したマスターテープというのは、ステレオ放送用にマルチトラックから
当時ミックスダウンされたものなのか、ミックスダウン前のマルチトラックがまだ
残っていてそこからリミックスされたのか不明だが、たぶん前者だと思う。
(2)ジョン・ボイラン
カントリー・ロックの隆盛期、裏方として貢献したプロデューサー/マネージャー。
ボイランはデヴィッド・ゲフィンと同様に、新バンドの旗揚げに際して各メンバーの
マネージメントやレーベルとの契約関係を素早く整理して、早期に活動開始できる
ようにする実務能力に長けていたらしい。
ボイランと知り合ったリンダ・ロンシュタットは自分のバック・バンドを集めて
欲しいと頼む。ボイランはリンダと恋仲になり、彼女のマネージャーに専念する。
リンダの新しいバンドは入れ替わりがあったが、最終的にドン・ヘンリー、グレン・
フライ、ランディ・マイズナー、バーニー・レドンの4人(後にイーグルスを結成)
に落ち着く。
リンダをキャピトルからデヴィッド・ゲフィンの振興レーベル、アサイラムに移籍
させたのもボイランの功績である。
アサイラムはジャクソン・ブラウン、J.D.サウザー、リンダのバックから独立した
イーグルスが在籍し、リンダと共にウエストコースト・ロックを完成させて行く。
しかしこの移籍と前後してボイランとリンダの恋愛関係が破綻。
二人の仕事面におけるパートナーシップも解消された。
リンダはJ.D.サウザーと付き合い(恋多き女と呼ばれた)、マネージャーにはジェイ
ムス・テイラーを成功させたピーター・アッシャーが就任。プロデュースも兼務する。
(3)ビリー・スタインバーグ
後にマドンナの Like A Virginの他、シンデイー・ローパー、バングルス、ホイットニー
・ヒューストンなどの楽曲を提供するソングライター。
(4)リンダ・ロンシュタットの栄光と衰退
イーグルスとして独立することをドン・ヘンリーがリンダに告げた際、あなたたちは
リンダ・ロンシュタットのバックバンドなのよ、その手堅い仕事を棒にふる気?と
言われたという。
その時点で既にリンダは成功を収めていたが、イーグルスはまだ無名だった。
リンダの1989年のアルバム、Cry Like a Rainstorm, Howl Like the Windでは一曲、
ブライアン・ウィルソンが多重録音によるバックコーラスで参加している。
それを聞いたヴァン・ダイク・パークスが「あのブライアンがリンダごときのバック
をやるとは」と嘆き、ブライアンを誘いOrange Crate Artを制作したという。
ブライアンは廃人状態でいい仕事をしていなかったし、リンダの方が格下ということ
もないと思うが、アメリカの音楽シーンの浮き沈みは激しいのか。。。。
1990年代半ばリンダは甲状腺の病気を患い、長年闘病生活を送り激太りもした。
2013年にはパーキンソン病を患い、歌手活動をやめたことを表明している。
(5)ザ・セクション
ジャイムス・テイラーのバックを務めていたミュージシャンのユニット。
ダニー・コーチマー(g)、クレイグ・ダーギー(kb)、ラス・カンケル(ds)、ルーランド
・スクラー(b)の4人編成。アルバムも3枚リリースしている。
メンバーのうち何人かがジャイムス・テイラー、リンダ・ロンシュタット、ジャクソン
・ブラウンなどのバックを務めることが多かった。
「Live in Hollywood」ではダニー・コーチマー、ラス・カンケルが参加している。
(6)ピーター・アッシャー
学友のゴードン・ウォーラーと共にデュオ、ピーター&ゴードンを結成。
エヴァリー・ブラザース風のコーラスを取り入れ、本国イギリスだけでなくアメリカ
でも多大な人気を得た。
ポール・マッカートニーが彼の妹で女優のジェーン・アッシャーの婚約者であり、
アッシャー家にポールが居候していたことから親しくなる。
A World Without Love、Nobody I Know、Womanとポールに楽曲(ビートルズと
して発表することをジョンに却下された曲)を提供してもらい、ヒットさせている。
「Woman」はバーナード・ウェッブ作となっているがポールの変名。
レノン=マッカートニーの評判なしでもヒットするか試すためにポールが故意に
名前を隠して発表したためである。
解散後ピーター・アッシャーはアップル・レコードのA&Rに就任したが閑職に
追いやられ(ポールが妹ジェーン・アッシャーと別れたせいか、アップル社がアラン・
クレインに乗っ取られポールが関与しなくなったせいか)、LAに渡りジェイムス・
テイラー、リンダ・ロンシュタットのプロデューサーとして成功を収める。
二人にオールディーズのカヴァーを薦めたのもピーター・アッシャーの功績である。
<参考資料:amass、West Coast Rock、HISTORY OF THE EAGLES、
amazon,com、YouTube、Wikipedia、他>
2 件のコメント:
こんばんは。
ゆっくり読ませて頂きましたが素晴らしい内容ですね。
個人的には1969年のSILK PURSEの頃から好きで、このアルバムで
エリアコード615の連中がバックを務めてるのも聞き所でした。
以降長い事ファンをやってましたが(笑)、ゲットクローサーまでが
好きです。
このライブを聞いて、前に出た1976年のドイツライブなども改めて
聞き直しています。
曲によっては他のシンガーも取り上げていたりしますが、
やはりリンダの表現力がひとつ抜けてると感じます。
改めて凄いシンガーだなと......
J.Dサウザーにフラれたあとにステージ上で恋話を始めて泣き出した事も
あったようです。
後ろにJ.Dサウザー本人がいるという状況だったみたいで、
モテ男のサウザーはどんな気持ちでリンダの話を聞いていたんでしょうね。
アップされてるダニー・コーチマーの写真、カッコイイですね。
>proviaさん
コメントをいただきありがとうございます。
Google Bloggerは写真の認証を求められて面倒だったでしょう。
お手数をおかけしました。返信もなかなかうまくいかない(笑)
エリアコード615はレッキング・クルーのナッシュヴィル版ですね。
モンキーズでカントリー畑だったマイク・ネスミスがListen To The Band
の録音でエリアコード615に依頼した話を聞いたことがあります。
615ってナッシュヴィルの局番なんですよね。
Gruen Guitarsに夜中、電話したことがあるので懐かしい番号です。
僕も今回のライブ盤を聴いて、リンダの凄さを痛感しました。
改めて自分の音楽史の中でリンダの存在が大きかったことも再認識。
RHINOの5 Classicを買ってまた聴き直そうと思ってます。
Get Closerは入ってないので実家から持ってきます。
あのジャケット、好きなんですよ。ジョン・コッシュですよね。
あの時代アサイラムのアーティストは関係が深かったみたいですね。
グレン・フライとJ.D.サウザー、ジャクソン・ブラウンは同じアパートに
住んでたそうです。
階下のジャクソン・ブラウンが毎朝Doctor My Eyesを弾くのにうんざり
したJ.D.サウザーは殺してやりたい、と思ってたそうです(笑)
グレン・フライはジャクソン・ブラウンのピアノを聴いて作曲法を覚えた
と言ってました。
ドン・ヘンリーによると、リンダは男並みにテキーラをがぶ飲みするとか。
でもステージで恋話して泣いちゃうような面もあったんですね。
ダニー・コーチマーもラス・カンケルも演奏してる姿がカッコよかった。
目が釘付けになりましたね。
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