2014年11月26日水曜日

アンダンテ・カンタービレ。


学生の頃ウダウダと夜中まで無意味に起きていることが多かった。
そんな時、真夜中のラジオで美しい曲がかかって感動したことがある。

チャイコフスキーの「アンダンテ・カンタービレ」という曲。
(弦楽四重奏曲第1番 第2楽章 Andante cantabile 変ロ長調 2/4拍子)

チャイコフスキーがウクライナで聴いた民謡に題材を得ているそうだ。


演奏はアーサー・フィドラー指揮、ボストン・ポップス管弦楽団。





レナード・バーンスタイン&ニューヨーク・フィルの演奏も手堅いが、
やはりあの時聴いたフィドラー+ボストン・ポップスの方が好きだ。


ところでこの曲を聴いてエイコーラ♪と歌ってしまう方もいるのでは?
おそらく昔ボニージャックスが歌ってた「ヴォルガの舟歌」でしょう。




エイコラ、エイコラ、もうひとつエイコラ ♪

ロシアの舟歌で、ヴォルガ川の船曳き人夫たちが歌っていたらしい。

エイコーラ♪の節は確かに「アンダンテ・カンタービレ」と似ている。
でもチャイコフスキーが聴いた民謡がこれなのかは?

2014年11月21日金曜日

汽車は行っちまった。後にライトが二つ。


「Love in Vain」はローリングストーンズの中でもかなり好きな曲だ。
アルバム「Let it Bleed」(1969年)の2曲目に入っている。

オリジナルは伝説のブルースマン、ロバート・ジョンソン。
ストーンズはテンポを落として南部くさいブルージーでけだるいバラード
に仕上げている。




「Let it Bleed」の制作途中でブライアン・ジョーンズが脱退。
後任のミック・テイラーは2曲しか参加していない。
この曲のスライドギターはキース・リチャーズが弾いてると思われる。

チャーリー・ワッツのブラシを使った重いドラミングもいい。
マンドリンはあの職人気質のライ・クーダーだ。



ロバート・ジョンソンのオリジナルは無骨なブルースだった。




これは1995年のストーンズのセルフカバー。
ロン・ウッドがリゾネーターでボトルネックを奏で、ミックもブルース
ハープを聴かせてくれる。




エリック・クラプトンのカバー(2004年)はオリジナルに近い。




この曲は歌詞もいい。
ゆっくりなので僕でも聴き取れ一緒に口ずさむことができた。

(拙訳を載せました↓)

2014年11月17日月曜日

もう一枚の木綿のハンカチーフ。


「木綿のハンカチーフ」といえば太田裕美の代表曲だ。

この曲で、太田裕美=「都会に旅立つ彼を待つ田舎の純情な女の子」という
イメージができあがったのではないだろうか。

でも彼女は荒川区の生まれで春日部育ちだ。
けっこう酒豪らしい。

あ、荒川の酒豪の女の子が純情じゃないとか言ってるんじゃーないですよ(笑)
でも曲のイメージとギャップはありますよね?


ところでこの曲に別テイクがあるのをご存知だろうか。

「心が風邪をひいた日」というアルバムに収録された「木綿のハンカチーフ」
はラジオでよくかかっていたシングル盤とはアレンジが違うのだ。

1)イントロとオブリが12弦エレキではない。弾いてるリフも違う。
2)全体にあっさりしている
3)太田裕美の歌い方もあっさり。シングルほど情感がこもっていない
4)エンディングがおおげさでやや強引
5)イントロのストリングスの駆け上がりフレーズがない
6)シングルで随所に入る木管楽器のオブリがない
7)シングルの方がベースの音数が多くウォーキングベースになっている


↓アルバム・ヴァージョン(写真をクリックすると試聴できます)


どっちがいいかというとやはり慣れ親しんだシングルの方に軍配が上がる。
このテイクの12弦エレキのリフは絶品だと思う。


↓シングル・ヴァージョン(写真をクリックすると試聴できます)

2014年11月11日火曜日

急がば廻れば曲も当る?


ベンチャーズの代表曲の一つ、「Walk, Don't Run(邦題:急がば廻れ)」は
もともとジャズ・ギタリスト、ジョニー・スミスの曲(1955年)だった。






それを1957年にチェット・アトキンスがカバー。
すばらしいフィンガーピッキング・ギターを聴かせてくれている。






ベンチャーズのギタリスト、ボブ・ボーグルはチェットの演奏を聴き弾いて
みたいと思ったが、自分には難しすぎるので複雑な部分を簡略化した。

これがヒットする。サーフロックという言葉が生まれた。(1960年)






この時ノーキー・エドワーズはベースだが後にボブの申し出でパートを交代。

ノーキーをリードギターに据え、ドラムにメル・サッチャーを迎えパワーアップ
したベンチャーズは1964年に「Walk, Don't Run」を新たに録音し直す。

これがまたヒット。






最初の演奏と比べてドライブ感がぐんと増しているのが分るだろうか。
ノーキーが奏でるモズライトのギターのダイナミックな音。
それを支えるボブのベース、メルのドラム、ドン・ウィルソンのリズムギター。
いわゆる鉄壁のリズム隊。

翌1965年にベンチャーズは来日(2回目)。
日本の若者たちをとりこにしエレキ・ブームを巻き起こした。



加山雄三主演の「Black Sand Beach」は「Walk, Don't Run」のコード進行を
逆にしたものだそうだ。
曲名は茅ヶ崎海岸の黒い砂に由来している。
モズライトはノーキー・エドワーズにプレゼントされたものらしい。





といろいろ廻り廻っておもしろいですね♪

2014年11月6日木曜日

ゴジラが始まりだった。


僕の世代だと、ゴジラとか怪獣映画を見に行く→同時上映だった加山雄三の
若大将を見てカッコイイと思う→タイガース→モンキーズ→ビートルズ。。。
というパターンが多い。

ゴジラといえばあの音楽はものすごいインパクトだった。
ゴジラが歩くシーンを思い浮かべると重々しいテーマ音楽もセットで蘇る。





作曲したのは伊福部昭。
レコード店ではクラシックの現代音楽に分類されていた。

伊福部昭は西洋音楽に雅楽を持ち込んでいる。
日本的美意識。そして日本の音階。

モチーフの反復〜展開、変拍子の多用も特徴的だ。

ゴジラのドシラ・ドシラ・ドシラソラシドシラ♪は4拍子と5拍子の繰り返し。
変拍子は不安感を募らせる効果がある。

同じ音階を管楽器と弦楽器が奏で厚みを出している。
そしてテーマの反復により観客の心理もどんどん盛り上がっていく。


伊福部昭は行進曲も得意だ。(そのため戦時中は軍歌の作曲も強要された)
怪獣映画で自衛隊が出動するシーン、殺獣光線車が活躍するシーンのマーチ
では大胆なフーガが展開される。






ちなみにゴジラの鳴き声はコントラバスの低音弦に松ヤニを付け、革手袋を
した手でしごくように引っ張って録音。
その音を変調してスピードを落としたものだが、これも伊福部昭のアイディア。



伊福部昭がいなかったらゴジラは生まれなかった。
そうしたら僕らの音楽との出会い方はもっと違っていたかもしれないのだ。

今年は伊福部昭生誕百年だそうです。(↓これ、何のマークだろう?)





2014年11月1日土曜日

もう森へなんか行かない。


時々フランソワーズ・アルディが聴きたくなる。
たいてい今にも空が泣き出しそうな日だ。

ラジオで流れていた「さよならを教えて(Comment te dire adieu)」という曲が
気に入ってフランソワーズ・アルディの日本盤を買ったのは18才の秋だった。

「もう森へなんか行かない(Ma jeunesse fout l'camp)」が一番好きだった。
内省的でメランコリックな歌だ。





原題を直訳すると「私の青春が逃げて行く」というニュアンスだろうか。

私の青春が去って行く 一篇の詩をたどり 韻を踏み 手をふりながら
私の青春が去って行く 枯れた泉へ 柳の枝のように私の二十歳は刈り取られる

私たちはもう森へなんか行かない 詩人の歌 安っぽい節まわし 下手な詩
夢見心地で歌った 祭りで出会った男の子たち 名前さえ忘れてしまった


二番の歌詞に「もう森へは行かない(Nous n'irons plus au bois)」が出て来る。

フランスには「Nous n'irons plus au bois」という童謡があるそうだ。
森で楽しく踊って好きな相手にキスしましょうという内容らしい。


「もう森へなんか行かない(Ma jeunesse fout l'camp)」はそんな「楽しかった
青春」との別れの切なさを歌っているのだと思う。