2015年10月29日木曜日

あなたの心の隣にいる白雪姫(2)


三人娘の中で歌が上手いのは小柳ルミ子という印象が強かったが、実は天地真理の
歌唱力もかなりのものである。



↓天地真理と小柳ルミ子のデュエットによる「四月の雨」。
(1973年4月TBS「となりの真理ちゃん」出演時の音源)

二人とも上手いしきれいな声ですね。聴いてて安心感があります。



天地真理は小学生の頃買ってもらった88鍵のアップライト・ピアノに親しみ腕を上げ、
国立音楽大学附属中学校〜高校ピアノ科に進学。後に声楽科へ転科。
しっかりした音楽教育を受け基礎ができているのだ。発声法もクラシックっぽい。
                    <出典:レコード・コレクターズ>

在学中からジョーン・バエズ等のフォークソングを愛好していたそうだ。
卒業後はヤマハのボーカルコースに入る。


その頃レッスン室にあった本(1)に載っていた「小さな私」という曲と出会う。
これがデビュー曲「水色の恋」の原曲である。

天地真理はこの曲が気に入り持ち歌のように好んで歌うようになる。
CBS・ソニーのオーディションでも「小さな私」を歌った。

デビュー曲を決める際、CBS・ソニーの中曽根ディレクターはいくつかの候補の中から
「やっぱりこれがいい、一番合ってる」と「小さな私」を選んだ。
題名を「水色の恋」変え、メロディーも少し原曲から変更されている



↓デビュー前TBS「ヤング720」に出演し「小さな私」を歌った時の音源。




デビューのきっかけはTBS系人気番組「時間ですよ」の「松の湯」従業員役のオーディ
ション(2)を受けたことであった。
森光子が彼女の不合格を惜しみ、台本にない新登場人物として出演させることを演出
の久世光彦に提案。

健ちゃん(堺正章)が憧れる「隣のまりちゃん」役で出演し、「松の湯」隣家2階の
窓辺で白いギターを爪弾きながら「水色の恋」「恋は水色」「この広い野原いっぱい」
を歌い(3)注目を浴びた。 
                     <出典:Wikipedia>



↓TBS「時間ですよ」の1シーン。「この広い野原いっぱい」を歌う天地真理。




天地真理がデビューした1971年は、五つの赤い風船、赤い鳥、などのフォークソング
が人気を博し、歌謡曲もそのムーヴメントを受けていた頃(4)である。

「水色の恋」はフォークソングと歌謡曲の橋渡し的な曲だった。
この曲を歌っていた頃の彼女は爽やかだった。


天地真理はポップスよりフォークシンガーが似合っていたと思う。
その路線のままだったら息の長い歌手になったのではと残念である。

2015年10月20日火曜日

あなたの心の隣にいる白雪姫(1)

寒くなってくると天地真理の「想い出のセレナーデ」を思い出すことがある。
この曲が流行ってた頃、ガールフレンドと別れた友人が涙ぐみながら口ずさんで
いて、こいつにも純な所があるんだなあと妙に感動したものだ。

「想い出のセレナーデ」は11枚目のシングル(1974年9月発売)だった。
この曲を最後に天地真理はベスト10から消えて行く。







彼女のヒット曲の大半を手がけた森田公一の作曲で、ヴァースの「今もそうよ〜
聞こえてく〜る〜の〜」やコーラス(サビ)の「あなたのもと〜へいそいそと〜
季節の花〜をかかえては 訪ねたの〜あれは〜まるで 遠い〜夢の〜ようね〜」は
いかにもの森田公一節だ。(1)

個人的にはヴァース4小節目・3拍の裏から入る(「二人言った〜さよな〜らが」
の後)エレピのフィル、ファレドシ♭〜が好きだったりする。
この経過音のおかげでDm → B♭のつなぎがとてもきれいに聴こえるのだ。



天地真理はデビュー曲「水色の恋」(1971年10月)が43万枚を超えるヒット。
その後も飛ぶ鳥落とす勢いでヒットを飛ばしオリコン連続1位を達成。
翌1972年には日本歌謡大賞放送音楽賞、日本レコード大賞大衆賞を受賞。
NHK紅白歌合戦には3回連続出場。(出典:Wikipedia)

真理ちゃんスマイル(2)が 人々の心を掴み一躍国民的アイドルになった。

ブロマイド年間売上枚数は女性部門でトップ。
女子高生たちはこぞって真理ちゃんカット(3)を真似したものだ。
テレビで冠番組の「真理ちゃんシリーズ」(4)が放送され、文房具や玩具などキャラ
クターグッズ、さらにブリヂストンからは「ドレミまりちゃん」という自転車まで
発売される一大ブームだったのである。







歌ってる時に「真理ちゃ〜ん」と合の手を入れる親衛隊も彼女が最初だと思う。
アイドルお約束の振り付けも天地真理から始まった。

振り付け師の三浦亨氏によると、「恋する夏の日」は女の子にジュリーの真似を
させる発想で作った振付だが、あまりにも彼女のノリが悪くステップが出来ない
ためディスコで訓練したそうである。(出典:TBS「マツコの知らない世界」)



天地真理のデビュー時のキャチフレーズは「あなたの心の隣にいるソニーの白雪姫」。


かつての白雪姫は現在は川崎市の高齢者向け住宅で暮らしている。
まだ年金が支給されず、月の家賃14万円、食費4万円はファンクラブの人が出してく
れているそうだ。(持つべきものはファンですね)
その他に渡辺音楽出版との契約で3カ月に1回、5万円が振り込まれるらしい。

19歳でデビューしてすぐブレークし月給300万円(5)もらっていたそうで、
その頃からの浪費癖でお金が残らないのだとか。(出典:週刊新潮)


華やかな芸能生活は白雪姫の毒リンゴだったということでしょうか。

2015年10月14日水曜日

俺たちはドゥービー・スモーカーに戻るのさ。

ドゥービー・ブラザーズの1982年フェアウェル・ツアー最終日、LAのグリークシアター
でパトリック・シモンズは「解散して元のドゥービー・スモーカーに戻る」と言った。

「ドゥービー」とはカリフォルニアでマリファナの俗語である。
彼らがガレージで練習していながらマリファナを回しのみしている様子を、リーダーの
トム・ジョンストンの同居人が「ドゥービー・ブラザーズ」と呼んだのがバンド名の由来
らしい。

当初はヘルス・エンジェルス(1)が出入りするバーなどで演奏しバイカー達の支持を集め、
やがて北カリフォルニア地区で評判になっていったようだ。
ワーナーブラザーズ・レコードと契約し「The Doobie Brothers」(1971年)でデビューする
が鳴かず飛ばす。

マイケル・ホサックが加入しジョン・ハートマンとのツイン・ドラムになり、ベースが
タイラン・ポーターに替わった新体制でリリースした2枚目の「Toulouse Street」
(1972)からのシングル「Listen To The Music」「Jesus Is Just Alright」がヒット。






その後「Long Train Runnin' 」「China Grove」(1973)をヒットし「Black Water」
(1974)は初の全米No.1を獲得し、アメリカン・ロックを代表する人気バンドになった。



ドゥービーズの成功はプロデューサーのテッド・テンプルマン(2)の功績も大きい。
テンプルマンは迫力ある分厚いギター・サウンドとクリアーなヴォーカル・ハーモニー
聴きやすく処理することに長けていた。
また自身がミュージシャン出身であるためバンドと良い関係を築け人脈も広い。
リトル・フィートのキーボード奏者ビル・ペインをドゥービーズに紹介したのも彼である



ドゥービーズのファンはだいたい二分される。

初期のトム・ジョンストン中心の野性味あふれる豪放磊落なロックやパット・シモンズ
によるフォーク色の強い楽曲、ツイン・ドラムと黒人のベーシストが生み出すファンキ
なリズムとR&B色、西海岸ならではの美しくキレのあるハーモニーこそドゥービーズ
真骨頂と言う人。

トム・ジョンストン脱退後、マイケル・マクドナルド中心に洗練された都会的なAOR(3)
バンドに変貌したドゥービーズが好きだと思う人。



個人的な好みとしてはその中間の変革期がドゥービーズの一番魅力的な時期だ。

スティーリーダンからジェフ・スカンク・バクスター、次いでマイケル・マクドナルド
が加入して、まだトム・ジョンストンも在籍していた。
アルバムでいうと「Stampede」(1975)「Takin' It to the Streets」(1976)
「Livin' on the Fault Line」(1977)の3枚の頃である。

音楽の幅が一気に広がった。泥臭さは消えたがワイルドさは残っていた。



僕がドゥービー・ブラザーズを見たのは2回目の来日、1979年2月の日本武道館公演だ。

「Minute by Minute」 (1978)からのシングルカット「What A Fool Believes」が全米
1位を獲得した後で、トム・ジョンストンは既に脱退していたがまだワイルドさも残し
つつドライブ感があり、演奏は油が乗り切っていて完璧だった。
僕が今まで見たライブの中でベスト10に入るすばらしパフォーマンスだったと思う。

ジョン・ハートマンの「We came from Los Angeles, California. Now here’s a 
little bit of Rock n’ Roll !」で始まる「Jesus Is Just Alright」が1曲目だった。

ステージの縁に腰掛けて足をバタバタさせながらのけぞってすごいフレーズを弾く
ジェフ・バクスターと、体全体でリズムをとりながらゴリゴリしたベースを聴かせて
くれるタイラン・ポーターが印象的だった。


この公演はフジテレビが収録し深夜枠で放送している。
YouTubeで探したら一曲だけあった。かなり画像は悪い。






後日フジテレビの関係者からこの時のサウンドボード音源をダビングさせてもらった。
エフェクトもかかっていないラフミックスのモノラル音源(4)だが、パーフェクトな
演奏とハーモニーに改めて感動した覚えがある。

その音源も1曲だけYouTubeにアップされていた。
「What A Fool Believes」はお馴染みのイントロの前に8小節のフィルが入っている
のが新鮮だ。





この年(1979年)は3月にリンダ・ロンシュタットが初来日。
翌1980年11月にはジャクソン・ブラウンが2回目の来日。
二人とも武道館ですばらしいパフォーマンスを見せてくれた。

一方、1979年(何月か失念)のイーグルスの2回目の来日公演はまとまりが悪く、
完全に期待はずれだった。(武道館1階の最前列を取ったのに・・・)

この時期がウエストコースト・ロックの頂点だったように思える。
1980年代に入るとAOR色が強く画一的になってしまいつまらなくなっていった。

2015年10月6日火曜日

ハワイ5-0!

先週からテレビ東京の昼枠で「ハワイ5-0(ハワイファイブオー)」が始まった。
ハワイの特別捜査チームの活躍を描くドラマである。
アメリカのCBSで2010年から放送されたリメイク版だ。






オリジナル版はCBS系で1968〜1980年に12シーズンも放送された長寿番組だった。
日本では1970年にフジテレビで「(秘)指令ハワイ5-0」というタイトルで放送された。

「ハワイ5-0」とは州知事直属の4人の特別捜査班のことだ。
4人なのに何で5-0?と思うが、ハワイが50番目の州であるこから命名されたらしい。


オリジナル版ではリーダーのスティーブをジャック・ロードが演じていた。
激しいアクションにも微動だにしないズラのようなコッテリした髪型(笑)が印象
に残っている。
リメイク版はイケメンのアレックス・オローリンがこの役を演じている。

メンバーのチンが中国系なのは同じだが、オリジナル版でネイティブ・ハワイアン
だったコノがリメイク版ではアジア系女子(日系という設定らしい)になった。
演じているのは韓国系女優のグレイス・パーク。

本部のあるハワイ州庁舎の外観がイオラニ宮殿(ハワイ王朝の宮殿)なのは同じ。
1968年当時はハワイに撮影スタジオがなかったため、このドラマのために作った
という逸話もある。



オープニング・テーマはリメイク版もオリジナル版と同じく、モートン・スティー
ブンス作曲のあの曲だ。
今でもこの曲を聴くとワクワクする。かっこいい!

映画「トワイライトゾーン」(1983)のプロローグで、深夜に車を走らせながら
2人の男が退屈しのぎに昔のテレビ番組のテーマの当てっこを始めるシーンがある
が、「ハワイ5-0」では2人ともノリノリだった。
アメリカ人にはとても馴染みの深い曲なのだろう。


僕が昔よく聴いていたのは番組で使われていたチャキート楽団の演奏である。
ベンチャーズのカバー(ややスロー)もヒット(1969年にビルボード・シングル・
チャートで4位)したのでそちらの方が馴染みが深い人もいると思う。

この頃のベンチャーズはノーキー・エドワーズが脱退してジェリー・マギーが
リード・ギターを弾いている。
個人的にはこのメロディーはギターよりチャキート楽団のブラスの方が雰囲気が
出ていると思うのだが、その辺は好みが分かれるところだ。

2005年リメイク版はブライアン・タイラーという映画音楽作曲家が出がけている
が、テンポもオリジナル版と同じでよりすっきりしたアレンジになっている。


では、聴き比べてみてください♫



1968年オリジバル版「HAWAII FIVE-O O.S.T.」


1969年ベンチャーズ版「HAWAII FIVE-O 」


2005年リメイク版「HAWAII FIVE-O O.S.T.」