ドゥービー・ブラザーズの1982年フェアウェル・ツアー最終日、LAのグリークシアター でパトリック・シモンズは「解散して元のドゥービー・スモーカーに戻る」と言った。 「ドゥービー」とはカリフォルニアでマリファナの俗語である。 彼らがガレージで練習していながらマリファナを回しのみしている様子を、リーダーの トム・ジョンストンの同居人が「ドゥービー・ブラザーズ」と呼んだのがバンド名の由来 らしい。 当初はヘルス・エンジェルス(1)が出入りするバーなどで演奏しバイカー達の支持を集め、 やがて北カリフォルニア地区で評判になっていったようだ。 ワーナーブラザーズ・レコードと契約し「The Doobie Brothers」(1971年)でデビューする が鳴かず飛ばす。 マイケル・ホサックが加入しジョン・ハートマンとのツイン・ドラムになり、ベースが タイラン・ポーターに替わった新体制でリリースした2枚目の「Toulouse Street」 (1972)からのシングル「Listen To The Music」「Jesus Is Just Alright」がヒット。
その後「Long Train Runnin' 」「China Grove」(1973)をヒットし「Black Water」 (1974)は初の全米No.1を獲得し、アメリカン・ロックを代表する人気バンドになった。 ドゥービーズの成功はプロデューサーのテッド・テンプルマン(2)の功績も大きい。 テンプルマンは迫力ある分厚いギター・サウンドとクリアーなヴォーカル・ハーモニー を聴きやすく処理することに長けていた。 また自身がミュージシャン出身であるためバンドと良い関係を築け人脈も広い。 リトル・フィートのキーボード奏者ビル・ペインをドゥービーズに紹介したのも彼である ドゥービーズのファンはだいたい二分される。 初期のトム・ジョンストン中心の野性味あふれる豪放磊落なロックやパット・シモンズ によるフォーク色の強い楽曲、ツイン・ドラムと黒人のベーシストが生み出すファンキ ーなリズムとR&B色、西海岸ならではの美しくキレのあるハーモニーこそドゥービーズ の真骨頂と言う人。 トム・ジョンストン脱退後、マイケル・マクドナルド中心に洗練された都会的なAOR(3) バンドに変貌したドゥービーズが好きだと思う人。 個人的な好みとしてはその中間の変革期がドゥービーズの一番魅力的な時期だ。 スティーリーダンからジェフ・スカンク・バクスター、次いでマイケル・マクドナルド が加入して、まだトム・ジョンストンも在籍していた。 アルバムでいうと「Stampede」(1975)「Takin' It to the Streets」(1976) 「Livin' on the Fault Line」(1977)の3枚の頃である。 音楽の幅が一気に広がった。泥臭さは消えたがワイルドさは残っていた。 僕がドゥービー・ブラザーズを見たのは2回目の来日、1979年2月の日本武道館公演だ。 「Minute by Minute」 (1978)からのシングルカット「What A Fool Believes」が全米 1位を獲得した後で、トム・ジョンストンは既に脱退していたがまだワイルドさも残し つつドライブ感があり、演奏は油が乗り切っていて完璧だった。 僕が今まで見たライブの中でベスト10に入るすばらしパフォーマンスだったと思う。 ジョン・ハートマンの「We came from Los Angeles, California. Now here’s a little bit of Rock n’ Roll !」で始まる「Jesus Is Just Alright」が1曲目だった。 ステージの縁に腰掛けて足をバタバタさせながらのけぞってすごいフレーズを弾く ジェフ・バクスターと、体全体でリズムをとりながらゴリゴリしたベースを聴かせて くれるタイラン・ポーターが印象的だった。 この公演はフジテレビが収録し深夜枠で放送している。 YouTubeで探したら一曲だけあった。かなり画像は悪い。
後日フジテレビの関係者からこの時のサウンドボード音源をダビングさせてもらった。 エフェクトもかかっていないラフミックスのモノラル音源(4)だが、パーフェクトな 演奏とハーモニーに改めて感動した覚えがある。 その音源も1曲だけYouTubeにアップされていた。 「What A Fool Believes」はお馴染みのイントロの前に8小節のフィルが入っている のが新鮮だ。