2020年11月22日日曜日

ジョニ・ミッチェルのフォーク時代(1)ヴィレッジからLAへ。



<フォーク歌手に提供した名曲ができるまで>

1970年の大阪万博公演で来日したメリー・ホプキン(1)が「一番好きな曲は?」
と訊かれて「Both Sides Now(青春の光と影)」(2)と答えていた。

1968年にジュディ・コリンズがヒットさせたヴァージョンが有名だ。
デビュー前に作曲家として活動していたジョニ・ミッチェルの提供曲である。



ジュディ・コリンズ(左)とジョニ・ミッチェル(右)


ジョニ本人も1969年、2枚目のアルバムClouds でカヴァーしている。



↑ジョニが歌うBoth Sides Nowが観れます。(1969年ママ・キャス・ショー)
Martin D-28は1966-1968年製と思われる。



メリー・ホプキンはジョーン・バエズのようなフォーク歌手になりたいと
言っていたが、ジョニの作品も好んで取り上げていた。
高音部の美しいファルセット、小刻みなヴィブラートもジョニの影響か。
万博公演ではBoth Sides Nowともう1曲、Night In The Cityを歌っている。


Night In The Cityはシャッフルの明るく軽快な曲だ。
(万博公演でメリーは彼女のB面曲を手がけたギャラガー&ライル(3)をコー
ラスに従え歌っていたので、この曲もこのコンビの作品かと勘違いしてた)

これはジョニのデビュー・アルバムSong to a Seagullに収録された。
スティーヴン・スティルスがベースを弾いている。



↑Night in the Cityを歌うジョニが観れます。この頃はMartin 00-21を使用。
(1966年カナダのTVショーLet's Sing Out出演時の映像)



The Circle Gameもジョニの代表作の一つで人気が高い。
ジョニはカナダのフォーククラブに出演していた1965年頃、ロックバンドを
辞めフォークに転向したニール・ヤングと出会う。(二人ともカナダ人)

ニールのSugar Mountainという曲(21歳を越えたら10代の子が騒ぐような
クラブには戻れない、と失われた青春に対する嘆きが込められた曲)への
アンサーソングとして、ジョニはニールと自分に希望を持たらすように
The Circle Game(サークルゲーム)(4)を書いた。



↑ジョニとニール・ヤング(1975年の映画「LAST WALTZ」の頃だと思う)



この曲は1967年カナダのフォークデュオ、イアン&シルヴィアが初録音。
同年7月バフィー・セントメリーがカヴァーしたヴァージョンが、1970年
公開の映画「いちご白書」(5)の主題歌として使用されヒットした。


ジョニのセルフカヴァーは3枚目のアルバムLadies of the Canyonに収録。
アコースティック・ギターに乗せてジョニー本人が歌うThe Circle Game
はバフィー・セントメリーのソフトロックよりスローテンポで、やさしく
ナチュラルな味わいがある。

デヴィッド・クロスビー、スティーヴン・スティルス、グラハム・ナッシュ
の3人がコーラスで参加している点も見逃せない。



↑写真をクリックすうとジョニのThe Circle Gameが聴けます。



<カナダからニューヨーク、グリニッチ・ヴィレッジへ>

カナダ西部の小さなナイトクラブやトロントの路上で歌っていたジョニは、
1965年にチャック・ミッチェルというフォークシンガーと出会い結婚。

デトロイトに移りジョニ&チャック・ミッチェル名義で音楽活動を続ける。
が、二人は1967年初めに離婚。





彼女が移り住んだのはニューヨーク市マンハッタンのチェルシーだった。
フォーク歌手が集うグリニッチ・ヴィレッジから徒歩10分の場所にある。

Chelsea Morning(チェルシーの朝)はこの頃に書かれた曲だ。
若き日のディランも憧れたというデイヴ・ヴァン・ロンクがこの曲を
気に入り、自身のアルバムに収録。

翌1968年フェアポート・コンヴェンションやジェニファー・ウォーンズ
デビュー・アルバムにも収録された。
1969年4月ジュディ・コリンズがシングルとして発表しヒット。(6)
ジョニ本人も2枚目のアルバムClouds でカヴァーしている。



↑1969年ディック・キャベット・ショーでのChelsea Morningが聴けます。
ジョニはマネージャーの意向でTV出演を優先し、ウッドストック・フェ
ティバルに参加できなかった。(後述)


Urge For Goingは1966年に既にジョニによって歌われている。
1968年にフォーク歌手のトム・ラッシュが録音した。
クロスビー&ナッシュも1971年に録音したが発表には至らなかった。

ジョニ本人の録音も未発表だったが、レア・トラックを集めたアルバム
Songs of a Prairie Girl(2005年)で初めて発表された。



<CS&Nとの関係、ウッドストック、3枚のフォーク・アルバム>

フォーク・シーンでのジョニの作曲力と歌唱力は広く知られ、リプリーズ
レコードとの契約、1968年のデビュー・アルバム発表に結びついた。




ジョニのメジャー・デビューにはデヴィッド・クロスビーが関わっている。
マイアミのクラブで歌っていたジョニを見たクロスビーは、彼女の才能に
魅せられ、LAに連れ帰り友人たちに紹介したのだ。

1968年7月ハリウッド・ヒルズ近郊のローレル・キャニオンにあるジョニ
の家で元バッファロー・スプリングフィールドのスティーヴン・スティルス
と元バーズのデヴィッド・クロスビーは一緒に歌っていた。

そこへホリーズ脱退間近だったグラハム・ナッシュがハーモニーで加わり、
歌い終わったときにCS&N結成の構想が生まれたという。



↑ジョニ、スティルス、クロスビー、ナッシュの共演が観られます。
1969年のライブ。左にジョン・セバスチャンの姿も。




CS&Nは1968年8月に開催されたウッドストック・フェスティバルに参加。
この模様を記録したドキュメンタリー映画「ウッドストック」(1970年)
のテーマ曲、CSN&YのWoodstockもジョニの提供作品だ。

この時点ではニール・ヤングを加えたCSN&Yの編成で、ロック色の強いア
レンジが施されている。Woodstockはヒットし時代を代表する曲となった。


ジョニのオリジナルはもっとテンポが遅く哀愁を帯びた曲調である。
その時々でアレンジを変わるが、3枚目のアルバムLadies of the Canyon
ではピアノの弾き語りが収録されている。




↑ジョニが歌うWoodstockが観られます。(1970年BBCコンサート)


ジョニは同棲していたグラハム・ナッシュ(7)からウッドストック・フェス
ティバルについて聞いた話をもとにこの歌を作った。
彼女自身は参加できなかったという喪失感から作曲したらしい。(8)


Ladies of the Canyonには環境問題を歌ったBig Yellow Taxも収録。
この曲もWoodstockと同じく時代の空気を捉え人気を博した。



↑ジョニが歌うBig Yellow Taxiが観られます。(1970年BBCコンサート)


ジョニ・ミッチェルが1968〜1970年に発表した3枚のアルバムはクロスビー、
スティルス、ナッシュの3人が全面的にバックアップしている。

といっても、3枚ともジョニのギターまたはピアノの弾き語りというミニマム
な編成がほとんどで、静謐な中に凛とした空気が感じられる。


溢れ出すように豊かなジョニの才能が伝わる楽曲の数々。
鈴鳴りのファルセットが繊細で美しい
メゾソプラノからアルトまで広い声域を活かした情感たっぷりの歌が聴ける。




その魅力は過剰なアレンジやバンド編成より、ジョニが奏でる美しいピアノ、
または変則チューニングのギターだけの方が伝わる。


巷では1971年に発表した4枚目のアルバムBlueが名盤として評価が高い。
しかし、僕はBlue以前の3枚の方が好きだ。

捨て曲一切なしの初期3枚はフォーク時代のジョニの名盤だと思う。
ジャケットはいずれもジョニ自身が描いた絵で味わいがある。







ジョニ・ミッチェルはとても個性的な(クセのある)歌手だと思う。
狼の遠吠えのような高音のファルセットは人によって好き嫌いが分かれる。
顔が岸田今日子に似ててちょっと、という人もいるかもしれない(笑)

僕も昔はそれほど好きなわけではなかったけど、この歳になって、コロナ渦
の今、ジョニの初期3枚のフォーク・アルバムは心に響く。
  
                         
<続く> ※次回はジェイムス・テイラーとの蜜月、名盤ブルーについて。
ジョニの1968-1979年をまとめて聴ける決定盤10枚組CDセットの紹介も。

<脚注>