<新しいアルバムの概要>
9月9日に世界同時発売される(アナログ盤LPは11月18日発売)ビートルズの
「ライヴ・アット・ザ・ハリウッド・ボウル」は、単に1977年のアルバムの
リマスターではない。
コンサートの模様を収めたオリジナルの3トラックテープまで遡り念入りなリ
ミックスとリマスターを施された、ある意味で新解釈のアルバムと言えるかも
しれない。
嬉しいことに今回は4曲の未発表音源が加えられている。
リミックスとリマスターはグラミーを受賞したプロデューサーのジャイルズ・
マーティン(ジョージ・マーティンの息子)と、やはりグラミーを受賞したエ
ンジニアのサム・オーケルが担当した。
使われたのは、あのアビーロード・スタジオだ。
ジャイルズ・マーティンは1977年の父、ジョージ・マーティンによるミックス
を基調としライヴの興奮を保持しながら、現在望みうる最高の鮮明さと音質で
ライヴ・バンドとしてのビートルズのパフォーマンスを再現した。
プロデューサーのジャイルズ・マーティンは語る。
「何年か前にキャピトル・スタジオから『保管庫でハリウッドボウルの3トラッ
ク・テープが見つかった』という連絡があったんです。
コピーして聞いてみると、ロンドンの保管庫にあるテープよりも音質がいいこと
がわかりました」
「同時に僕はしばらく前から、技術エンジニアのジェイムズ・クラークが率いる
チームといっしょに、デミックスのテクノロジーに取り組んでいました。
これは単一のトラックから音を取りのぞいたり、分離したりする技術です。
サム・オーケルといっしょに僕はハリウッドボウルのテープをリミックスする作
業に取りかかりました」
「何年も前、父があの音源に取り組んだころに比べると技術は長足の進歩を遂げ
ています。
今では音の鮮明さも増していますし、その分かつてないほどの臨場感や生々しい
興奮を感じてもらえるようになったんです」
「今、僕らが耳にできるのは、自分たちを愛してくれる観客に向けていっしょに
プレイする4人の若者のむき出しのエネルギー。
父の言葉は今もその通りだと思います。
このアルバムを聞けば、ビートルマニアの最盛期にハリウッド・ボウルにいた人
たちにもっとも近い経験をすることができるでしょう。
ぜひ、ショウを楽しんでください」
<収録曲>
1. Twist And Shout 1965年8月30日
2. She's A Woman 1965年8月30日
3. Dizzy Miss Lizzy 1965年8月30日(後半は8月29日の演奏)
4. Ticket To Ride 1965年8月29日
5. Can't Buy Me Love 1965年8月30日
6. Things We Said Today 1964年8月23日
7. Roll Over Beethoven 1964年8月23日
8. Boys 1964年8月23日
9. A Hard Day's Night 1965年8月30日(MCは8月29日のもの)
10. Help! 1965年8月30日
11. All My Loving 1964年8月23日
12. She Loves You 1964年8月23日
13. Long Tall Sally 1964年8月23日
14. You Can't Do That 1964年8月23日(未発表)
15. I Want To Hold Your Hand 1964年8月23日(未発表)
16. Everybody's Trying To Be My Baby 1965年8月30日(未発表)
17. Baby's In Black 1965年8月30日(未発表)
<未発表トラック(ブートで聴いた感想)>
「You Can't Do That」は演奏内容が非常にいいものの、1977年のリリース
は収録されなかった。
ポールとジョージの掛け合いで入る最初の「let you dawn」だけオフ気味だっ
たせいだろうが、今回はそこだけレベルを上げることが可能だったのか。
「I Want To Hold Your Hand」も初の全米NO.1ヒットにもかかわらず、
1977年リリース時は外されていた。
ジョンとポールのボーカルの音量バランスが安定しないためかもしれないが、
気になるほどではない。
「次の曲はビートルズ1993から」とジョージが紹介する(本当は「Beatles
’65」に収録されている。アメリカ編集盤に対するのジョージ流の皮肉だろう)
「Everybody's Trying To Be My Baby」は熱のこもったリードギターが
聴ける。
「Baby's In Black」も演奏内容が良く、なぜ1977年のリリース時に収録さ
れなかったのか不思議である。
<今回も収録されなかった曲(ブートで聴いた感想)>
★は1977年リリース時の収録曲。☆は今回追加される4曲。
それ以外の7曲が収録されなかった。
1964年8月23日 演奏曲
1. Twist And Shout
2. You Can't Do That ☆
3. All My Loving ★
4. She Loves You ★
5. Things We Said Today ★
6. Roll Over Beethoven ★
7. Can't Buy Me Love
8. If I Fell
9. I Want To Hold Your Hand ☆
10. Boys ★
11. A Hard Day's Night
12. Long Tall Sally ★
1965年8月29日/30日 演奏曲
1. Twist And Shout ★
2. She's A Woman ★
3. I Feel Fine
4. Dizzy Miss Lizzy ★
5. Ticket To Ride ★
6. Everybody's Trying To Be My Baby ☆
7. Can't Buy Me Love ★
8. Baby's In Black ☆
9. I Wanna Be Your Man
10. A Hard Day's Night ★
11. Help! ★
12. I’m Down
「Twist And Shout」「Can't Buy Me Love」「A Hard Day's Night」の3
曲は1965年の演奏が収録されたので、1964年の演奏は外したのはいたし方な
いと思う。
しかし1964年の録音でしか聴けない「If I Fell」、1965年しか演奏してい
ない「I Feel Fine」「I Wanna Be Your Man」「I'm Down」の4曲は入れ
て欲しかった。
「If I Fell」は演奏内容には特に非がない。
ボーカルのレベルが不安定になる箇所があるが許容範囲だと思う。
1曲くらいバラードがあってもいいのに。残念。
曲の前にジョンが「次の曲の前にジョージがギターを交換するから待ってね。
ムムム〜♪(ハミング)」が言ってるのが聴ける。
この頃は4人ともライヴを楽しんでいたんだろうなあ。。
「I Feel Fine」が落ちたのは1965年8月29日収録分はポールとジョージのコ
ーラスがまったく入っていなかったから、1965年8月30日収録分は途中でテー
プがヨレてるのか回転数ムラが起きているからだろう。
この部分だけ8月29日の演奏から持ってきて差し替えることも今の技術では可
能なはずだ。(「Let It Be….Naked」で実践されてる)
今時のライブ盤なんて切り貼りは当たり前で、後日スタジオでボーカルを入れ
直したりオーヴァーダブを加えることも日常茶飯事である。
しかしジャイルズ・マーティンは「演奏についてはいささかも手を加えない、
ダビングは一切行わない」という父、ジョージ・マーティンによる1977年ミッ
クスの方針を遵守したのだろう。
「I Wanna Be Your Man」は懸命に歌うリンゴに好感が持てる。
演奏自体は悪くない。特にジョーがなかなかいいオブリを聴かせてくれる。
1965年8月30日収録分はジョージのリードギターの音量が前半は小さすぎるが、
幸いそのトラックには彼の演奏しか入ってないから部分的にレベルを上げるこ
とも可能だったはずだ。
「I'm Down」の1965年8月29日収録分はポールのボーカルとジョンの掛け合
いコーラスははしっかり録れているが、ジョージの声が聴こえない。
1965年8月30日収録分は最初のブレイクの後、2回目のヴァースが始まってから
しばらく4人の演奏が半拍くらいズレたまま続くの箇所がある。
これは彼らが自分たちの演奏がちゃんと聴こえていなかった証でもある。
ジョージ・マーティンが言った「このレコードは二度と繰り返されることのな
い歴史の一断面」という点を考慮すれば、演奏のズレも当時の状況を語り継ぐ
貴重な記録だと思うのだが。
それにライヴでジョンがオルガンを弾いているのはこの曲だけだ。
そして1965年の演奏が採用されて1964年の演奏が落とされた3曲。
全体を通して言えることだが、1964年の方がオリジナルよりテンポが早く演奏
されていて、1965年の方がオリジナルと同じかややスローテンポの曲が多い。
「Twist And Shout」は1964年、1965年どちらもオープニングに演奏され
たショート・ヴァージョンだが、この曲も1964年の方がテンポが早い。
また1964年の方は演奏が終わるとすぐ2曲目の「You Can't Do That」が始ま
る(これがカッコイイいいんだけどなー)。
そのためジョージが「You Can't Do That」で使う12弦のリッケンバッカー
360/12を1曲目の「Twist And Shout」でも弾いている。
「Can't Buy Me Love」も1964年の方がテンポが早くノリがいい。
ジョージが間奏でちゃんとトレモロを使っているのも確認できる。
「A Hard Day's Night」も1964年の方がテンポが早くノリがいい。
早い分、演奏がやや雑だがかえってワイルドでいいと個人的には思う。
リンゴのドラミングが力強い。
ジョンが歌詞を間違えるのも毎度のご愛嬌。
熱心なファンとしては1964年8月23日の全12曲、1965年8月29日〜30日の
全12曲を演奏順に完全収録して欲しかった、というのが正直なところだ。
しかしより多くの人にビートルズのライヴを楽しんでもらうのに耐えうるク
オリティが優先されたのだろう。
<ミックスについての考察>
ジョージ・マーティンが口をはさめなかったと言った「妙なミックス」だが、
トラック1にベースとドラム、トラック2にボーカルすべてとジョンのリズム
ギター、トラック3にジョージのリードギターが録音されている。
「妙な」と指摘したのはトラック2にボーカルとジョンのギターを一緒に録音
したことだと思われるが、これは2トラック・ステレオにした際ジョージのギ
ターの音と混ざらないようにという配慮ではないかと思う。
リズムギターであればボーカルと一緒でもそれほど処理に困らない。
3トラックという制約でステレオ・ミックスを作る前提なら妥当かと思う。
「All My Loving」ではジョンの3連早弾きのリズムギターがボーカルの邪魔に
なると判断したらしく、ジョージのリードギターと一緒にまとめてトラック3
に録音されている。
「Long Tall Sally」も同じくギター2台がトラック3にまとめられている。
1964年の録音は4日後の8月27日アメリカのキャピトル・スタジオでステレオ
・ミックスとモノラル・ミックスが作られた。
イコライザー、リヴァーブ、リミッター処理が施されたという記録がある。
ジョージ・マーティンもビートルズも立ち会っていない。
1965年の2日間の録音もジョージ・マーティン不在でステレオ・ミックスが作
られている。
いずれもトラック1(ベースとドラム)が左、トラック2(ボーカルとジョン
のリズムギター)がセンター、トラック3(ジョージのリードギター)が右に
定位されていた。
1977年のジョージ・マーティンのミックスでは左右の音をややセンターに寄せ
不自然さを解消しながら程よいステレオ感が味わえるようになった。
リヴァーブもいい感じで、サラウンドかと錯覚しそうな音の拡がりでライヴの
臨場感たっぷりである。
客席の悲鳴が大きすぎて演奏やボーカルと一緒に録音されてしまっている。
それがかえって当時のビートルズのライヴの興奮、熱狂ぶりを再現してくれる。
いや、今時のオーディエンス用マイクを立てて客席の音を収録するやり方じゃ
ないからこそ、リアリティーがあるのだろう。
おそらくこの時期には16チャンネル・マルチトラックが導入されていたはずで、
各トラックのコピーを別なチャンネルに配し少しズラして再生する、という手
法も採っていたのではないかと思う。
今回はジャイルズ・マーティンの言う「デミックス」で同じトラックに入った
複数の音(たとえばボーカルとギター、ベースとドラム)を個別に取り出すこ
とが可能になったのではないだろうか。
3トラックからマルチトラックを作成し、そこからミックスダウンするわけだか
ら今までよりはるかにセパレーションのいいクリアーな音が楽器ごとに得られ、
臨場感と拡がりのあるステレオになっているのではないかと期待している。
<参考資料:ユニヴァーサル・ミュージック、ビートルズ・レコーディング・
セッション、他>
タイトルでピンと来た人はかなりのビートルズ好きだと思う(笑)
7月20日についに発表されたのだ。
ビートルズの唯一の公式ライヴ・アルバム「ライヴ・アット・ザ・ハリウッド
・ボウル」が9月9日に世界同時発売されます、と。
ビートルズのオリジナル・アルバムがCD化され出したのが30年前の1986年。
その後BBCの音源、未発表音源、リミックス、マッシュアップ、ベストなどが
発売され、オリジナル・アルバムも2009年にリマスターされた。
なのに「ハリウッドボウル」だけがずっとCD化されていなかったのである。
1977年5月にリリースされたこのアルバムは、1964年8月23日、1965年8月29日
と30日の3日間ハリウッドボウルで録音されたライブ演奏である。
<公式ライヴ盤リリースまでの経緯>
1964年に商魂たくましい米国キャピトル・レコード(1)はハリウッドボウル公演を
録音し米国内で発売したいとビートルズ側に要請。
ビートルズ側はオリジナル・アルバムでもっと良い音が聴けるし既発曲のライヴは
魅力がないと考え、それまでライヴ・アルバムの企画には至らなかった。(2)
依頼を受けたジョージ・マーティンが立会い、アメリカのスタッフによって1964
年8月23日の演奏が3トラックレコーダー(3)に録音された。
プロデューサー名義ではあるものの、外国人であるマーティンは口をはさめなかっ
たそうである。
3トラックレコーダーは当時アメリカでライヴ録音に使用されていたようで、通常
2トラックに演奏をステレオ録音して3番目のトラックはボーカル専用にする。
しかしこの時は「アメリカのスタッフたちがギターとボーカルを同じトラックに入
れる妙なミキシング(4)をしてた」マーティンは証言している。
この日の録音は米国キャピトル・スタジオでステレオ用2トラックにミックスダウ
され、イコライザー、リヴァーブ、リミッター処理がされたがボツになった。
米国キャピトルは翌年、再びハリウッドボウル公演の録音を試みる。
今度はジョージ・マーティン不在でアメリカのスタッフによって1965年8月29日、
30日のライヴ演奏が3トラックレコーダーに録音された。
しかし結局、録音状態が悪かったためリリースには至らなかった。
当時はステージに返し(モニター)がないため、ビートルズは自分たちの演奏が
ほとんど聴こえない状態で演奏していた。
「ビートルズのライブよりも18,700人の観客の金切り声を主眼に録音したような
感じだった」とマーティンは言っている。
ハリウッドボウル公演のテープは10年以上放置されていたが、1976年キャピトル
の社長が発見しジョージ・マーティンに再プロデュースを依頼。
1977年1月18日ロンドンのAIRスタジオで、ジョージ・マーティンとジェフ・エメ
リック、ナイジェル・ウォーカーがテープをクリーンアップし再処理を施す。
1964年8月23日、1965年8月29日と30日の3日間からのベストテイク13曲(5)が
1977年5月に「The Beatles at the Hollywood Bowl(邦題:ザ・ビートルズ・ス
ーパー・ライヴ!」として発表された。
<収録曲>
Side A
1. Twist And Shout 1965年8月30日
2. She's A Woman 1965年8月30日
3. Dizzy Miss Lizzy 1965年8月30日(後半は8月29日の演奏)
4. Ticket To Ride 1965年8月29日
5. Can't Buy Me Love 1965年8月30日
6. Things We Said Today 1964年8月23日
7. Roll Over Beethoven 1964年8月23日
Side B
1. Boys 1964年8月23日
2. A Hard Day's Night 1965年8月30日(MCは8月29日のもの)
3. Help! 1965年8月30日
4. All My Loving 1964年8月23日
5. She Loves You 1964年8月23日
6. Long Tall Sally 1964年8月23日
↑写真をクリックすると「The Beatles at the Hollywood Bowl」が聴けます。
演奏は荒削りだがライヴ・バンドとしてのグルーヴ感が伝わるし、音も臨場感があ
り1964〜1965年のライヴ音源と思えないくらい迫力がある。魅力的なライヴだ。
<未CD化の理由>
ジョージ・マーティンは1977年に当時すでに製造中止になっていた3トラックレ
コーダーを探しレストアして使ったが、動作が安定せず苦労したそうである。
前述のようにギターとボーカルが同じトラックに録音されていてバランスが取れ
ない点も彼を悩ませたらしい。
「この作業は二度とやりたくない」とマーティンは言っていた。
1977年のミックスダウンをリマスターすれば一応CD化はできそうなものだが。
その辺は1990年代以降、入念なマーケティング計画で丁寧にビートルズという
ブランドを売っていこう、というアップル社の思惑がいろいろあったのだろう。
なにしろ1996年の「アンソロジー」の際ジョージ・マーティンが商品化したい
意向を語っていたプロモ・ビデオ集の発売が作年やっと発売されたくらいだ。
CD化が実現することになったのは、今年9月に公開される新作ドキュメンタリー
映画「The Beatles: Eight Days A Week - The Touring Years」のサウンドト
ラックとして、という意味合いがあるようだ。
ハリウッドボウルのCD化と映画の相乗効果を狙っているのだろう。
ロン・ハワード監督によるこの映画はビートルズが精力的にライヴ活動をこなし
ていた1962年~1966年にスポットを当て、貴重なライヴの映像も見られる。
CD化が遅れた分、技術は進歩したわけで音質的にはかなり期待できそうだ。
その内容については次回、書きます!
<使われなかったジョンのオルガン>
5回のステージではヴォックスのコンティネンタル・オルガンが用意されていた。
「I’m Down」でジョンが弾くためである。
1965年のシェイ・スタジアムではノリノリのジョンが肘で弾く様子が見られる。
しかし武道館では一度も使われることがなかった。
初日はギターとベースのチューニングを半音下げていたので当然だが、他の回も
その気になれなかったのか。
<リンゴのドラムセット>
リンゴのドラムはお馴染みのラディック社のブラックオイスター・パールのセッ
ト(1)であるが、1965年から一回り大きくなっている。
バスドラムは20インチから22インチへ、それに合わせてタムタム、フロアタム
の口径も大きくなっている。
シェルはマホガニー/ポプラ/マホガニーの柔らかい材質を使った3プライ構造
で、補強のためにレインフォースにメイプルが使用されている。
コシがあるけど温かみのあるソフトな音、豊かな低音が特徴的だ。
遠くに音を飛ばすより近くで鳴るドラムでレコーディングには最適である。
初期のビートルズではタンタンと小気味好く鳴るスネアの音とハイハット開きっ
ぱなしのシャンシャンがサウンドの要だったが、中期以降はしだいに重い音に
なって行く。
リンゴはスネアドラムの底面にテープを貼って響きを抑えていた。
武道館で使われたのもこの2代目のラディック社のブラックオイスター・パール
のドラムセットだった。
集音は正面上方に立てたマイク1本のみ。
よくこれで拾ってるものだと思うが、この頃はこれがスタンダードだったのだ。
マイクは分からないがボーカル用と同じシュアーSM-58のように見える。
ドラムの音はおそらくボーカルと共に専用アンプで増幅したものを(当時はコン
ソールでミックスする技術もなく)ステージ上のギター・アンプの音とバランス
を取っていたのではないかと思われる。
<ボーカル・マイク>
前述のようにシュアーSM-58で間違いないだろう。
ビートルズのツアーではお約束のダイナミック・マイクロオフォンであるが、
日本側で用意したのではないだろうか。
初日グラグラ安定しなかったお粗末なマイクスタンドは会場側で手配したものだ。
2回目以降は黒いガムテープのようなものでしっかり固定されていた。
初日はリンゴのボーカル・マイクがかなり低い位置にセットされていて、それを
直そうともせず淡々と「I Wanna Be Your Man」を歌うリンゴの姿が見られる。
彼らはそれまでも劣悪な条件を体験していて、主催者が用意した状態を受け入れ
自分たちの仕事をその環境で全うする、という諦めにも似た融通無碍の境地だっ
たのかもしれない。
アンプのスピーカーキャビネットの前に立ちマイクが置かれているのは放送用の
収録のためだろう。
当時NHKなど各局で標準使用されていたソニーの単一指向性コンデンサーマイク
ロフォンC-38Bだと思う。
<途中で交換されていたアンプの謎>
武道館のステージではヴォックス社のAC-100 Supere Deluxeが使用された。
ヴォックス社がビートルズのために開発したアンプ(2)で、それまでのAC-30や
AC-50(3)よりも大音量の100Wの真空管アンプである。
スピーカーキャビネットは30cm口径アルニコスピーカー(4)を4個搭載していた。
ポールのベースはヘッドは同じAC-100だが、スピーカーキャビネットは30cm口
径アルニコスピーカーに加え38cm口径スピーカーを搭載したベース用T60を組み
合わせている。
T-60は本来60Wのトランジスタアンプ・ヘッドを載せるのだが、用途に応じて組
み替えられるのがスタック・アンプ(5)の利点だ。
写真を見て気付かれた方もいると思うが、縦長のAC-100が使われたのは1回目の
6月1日夜と2回目の7月1日昼の部のみで3回目以降は横長のヴォックス7120が使
用されている。
なぜアンプが変更されたのか?実に興味深い。
初日にアンプの1台が故障し翌日同じものが航空便で届いた、という記録がある。
「同じもの」ということは7120ではなくAC-100なのだろう。
6月30日の映像を確認するとジョージのアンプから時々ノイズが発生している。
また出力も不安定な気がする。
ギターは常にチェックされているはずだし、シールドの問題であれば交換すれば済
む話だ。ということは、原因はアンプと考えていいのではないかと思う。
どうやらこのAC-100は日本側で手配したものだったようだ。
今でこそ照明から音響まで機材一式、ステージ造形もすべて持ち込みが当たり前だ
が、この時代は各国の会場がそれぞれステージを設営し照明を準備し、アーティス
トの要望に従ってアンプやマイクなどの音響機材をそろえるのが普通だった。
主催側で用意したアンプだからこそ不具合が本番まで分からなかったのだろう。
ビートルズがリハーサルをやらなかったという点も準備不足の一つである。
初日のステージ終了後ロードマネージャーが急遽、本国に代替のAC-100を手配。
AC-100は翌7月1日の昼の部開演の12:30までにエアーで届けられた。
その日の夜に放送された7月1日昼の部の演奏を聴くと、ジョージのアンプからの
ノイズは解消され出力も安定している。
さて、これで問題は解決したはずだが7月1日の夜の部(3回目の公演)からはAC-
100ではなく7120(ベースアンプは430)を使用しているのだ。
7120は直前のドイツ公演で使用していたアンプで日本にも持って来たらしい。
「Revolver」のレコーディングで初めて使用され、1966年のドイツ公演、日本公
演の後半、「Sgt.Peppers」の前半のレコーディングで使用された。
7120はソリッドステート(トランジスタ)のプリアンプ部とチューブ(真空管)
パワーアンプ部を組み合わせたハイブリッド型であった。
チューブアンプは温かみのある太い音が特徴だが、ソリッドステートはジャキジ
ャキした硬質で攻撃的な音が出る。
出力は120Wで2チャンネルの入力が可能(1つはビブラート用)であった。
一方ベース用の430は出力は120W、4個の30cm口径アルニコスピーカーと43cm
口径のスピーカーを2個搭載している。
7120もハイブリッドとはいえ従来のヴォックスのチューブアンプと比べるとソリ
ッドな音のようだ。
7120を使用したドイツ公演とAC-100使用の日本公演を比べると違いが分る。
前者は高域が立ったシャープな音なのに対し、後者はややこもった感じの音である。
↑手前のテスコのアンプは前座が使用したもの。後方にVOX 7120が見える。
ビートルズが3回目のステージから7120に替えたのは武道館特有の吸い込まれるよ
うな音響特性から、AC-100では高域がクリアーでないと判断したためか。
ライブへの情熱を失ってたとはいえ少しでもいい音を届ける努力はしていたのだ。
この年の8月、最後となる全米ツアーではAC-100をバージョンアップした Super
Beatle(台形のソリッドステートアンプで3チャンネルを有しパワーは120W)が
使用された。
<1曲だけ使用されたリッケンバッカー360/12>
1966年のツアーで一貫してエピフォン・カジノを使用した二人であったが、ジョ
ージは1曲だけ「If I Needed Some One」でリッケンバッカー360/12を弾いた。
この曲では7フレットにカポをつけて12弦ならではの美しい響きを奏でている。
初日だけカポが6フレットにつけられていたのは他の楽器が半音低くチューニン
グされていたためだ。
通常12弦ギターは複弦が下に配されるが360/12は複弦が上にセットされる。
そのため弾いた瞬間、繊細な美しい響きが広がるのだ。
リッケンバッカー360/12は1964〜1965年のビートルズ・サウンドにおいて重要
な役割を担うことになる。
ビジュアル的にもジョンの325と共にビートルズのアイコンの一つになった。(1)
1本目の360/12は1963年12月に製造されたプロトタイプ。
リッケンバッカーがビートルズのため試作し、1964年2月の初渡米の時にニュー
ヨークのプラザホテルでジョージに手渡された。(2)
ジョージが弾いていたのは2本目の1963年製360/12である。
1965年ミネアポリスで記者会見中に地元のラジオ局からプレゼントされたもの。
全体に丸みを帯びたボディーにモデルチェンジされている。アールがついたエッ
ヂで、カッタウェイの先も丸くなった。(個人的にはこっちの方が好み)
トップのバインディングは無くなり、バックにのみチェッカーバインディング、
特徴的なキャッツアイ・サウンドホールの周りにも白のバインディングが入る。
ポジションマークは乳白色からクラッシュパールに変更され大きくなり、テール
ピースがR型に、コントロールノブはメタルトップとなった。
メイプル3ピースのセミホロウボディー、メイプルとウォルナットの3ピースネッ
ク、トースタートップ・ピックアップが2個、スロッテッドヘッドにクルーソンの
チューナーという基本構造は継承され、色も同じファイヤーグロー・フィニッシ
ュである。
「If I Needed Someone」のレコーディングで初めて使用された。
1966年8月キャンドルスティック・パークでの最後の公演の後に紛失している。
<ポールはお馴染みの1963年製ヘフナー500-1>
ヘフナー500-1はドイツのヘフナー社が1955年から製造しているベースである。
トップがスプルース、サイド&バックがメイプルのホロウボディで小型であるた
め非常に軽量で、ステージで動き回るポールには最適であった。
またショートスケールなので弾きやすい。
音域は狭いが独特の温かみがあり、丸みのあるモコモコした音から中音域を鋭角
的に強調した音まで出すことができた。
ポールは左利き用のヘフナー500-1を1961年製と1963年製の2本を所有している。
1961年製は同年ハンブルグ巡業中にスタインウェイ楽器店で購入したもの。(3)
キャバーン時代から「She Loves You」のレコーディングまで使用している。
リア・ピックアップがフロント寄りに配され、ヘッドにはバーチカル・ロゴと呼
ばれる縦書きの「Hofner」文字が見られる。
2本目は1963年製で同年ヘフナー社からプレゼントされた。
「I Want To Hold You’re Hand」のレコーディングから1966年8月ビートルズ最
後の北米ツアーまで使用していて、よく目にするビートル・ベースはこれだ。
日本武道館でもこの1963年製500-1が使用された。
コンサート活動の終焉で1963年製500-1は封印されたが、1989年「Flowers In
The Dirt」で共演したエルヴィス・コステロに薦められレコーディング、ライブ
で使用するようになる。
その500-1には北米ツアーのセットリストのメモが貼ったままだたったそうだ。
1961年製500-1は「Revolution」のプロモ・ビデオで見られる。(4)
原点に戻るのを意図したGet Backセッションでも1961年製500-1が使用された。
(屋上シーンで弾いているのは1963年製500-1の方)
<日本に持って来たその他のギターとベース>
ステージでは使用されないもののスペアで用意してあったギターとベースもある。
写真手前左から、ジョンのエピフォン・カジノ、ジョージのエピフォン・カジノ、
ジョージのギブソンSG、ポールのヘフナー500-1、後左からポールのリッケンバ
ッカー4001S、ジョージのリッケンバッカー360/12、ジョンのギブソンJ-160E。
ギブソンSG、ギブソンJ-160E、リッケンバッカー4001Sは予備の楽器である。
ジョージの1964年製ギブソンSGスタンダードは「 Revolver」のレコーディン
グで使用していたもの。
来日直前の5月ウェンブリーで行われたNME Poll Winnersコンサートで、また6
月にはミュンヘン公演でジョージがこのSGを弾いてるのが確認できる。
ギブソンJ-160Eはジョンが常にツアー用のスペアとして携行していた。
P-90ピックアップを搭載したJ-45型のドレッドノート・ギターであるがハウリン
グを抑えるためにボディーはオール合板。そのため箱鳴りがしにくい。
ジョンは強いストロークでアタック感のある独特のサウンドを作っていた。
またP-90を通すとウォームでファットな音が得られた。(5)
「I Feel Fine」「She’s A Woman」のイントロでそのP-90が聴ける。
ジョンは1本目のJ-160Eを1962年にリバプールでジョージとお揃いで購入した。
が、1963年12月に盗難に遭う。ジョンは1964年製のJ-160Eを新たに購入。
2本目の1964年製J-160Eは1966年にピックアップをサウンドホールのブリッジ
側に移動、1967年にピックガードが剥がされサイケデリック・ペイントを施され、
1968年には塗装を剥がしてナチュラルにし新たにピックガードが付けられた。
(その際ピックアップの位置は戻されている)
ジョンは1962年製J-160Eにも愛着があったらしくジョージの愛器をレコーディン
グやステージでもよく使っていた。(6)
このJ-160Eもピックアップをサウンドホールのブリッジ側、ブリッジ近くのトッ
プの2個所に移動させていた時期がある。
日本に持って来たJ-160Eが1962年製のジョージ所有のものか、ジョンの2本目の
1964年製なのか、ピックアップを移動させていたのか写真を見る限り判らない。
ポールが予備に持ってきたのはリッケンバッカー4001S。
1961年から製造されている4弦エレクトリックベースで、メイプルのソリッドボ
ディにメイプル1ピースのスルーネック構造。(7)
2本のトラスロッドを有し、フロントにトースター・ピックアップ、リアにホース
シュー・ピックアップを搭載。
硬質で抜けの良い、芯のある図太い音色が得られる。
ポールのー1964年製4001Sはファイヤーグロー・フィニッシュ。
1967年にはサイケデリックペイントが施され後に塗装を剥がしてナチュラルにし、
ウィングス時代はボディー上部の長いツノを削るなど改造が重ねらた。
1964年2月の初渡米の際、ジョンの新しい325、ジョージの360/12と共にリッケ
ンバッカー社が用意した4001Sだが、この時ポールは受け取らなかった。
前年にヘフナーから2本目となる5001をもらったばかりで気兼ねしたのか、ヘフナ
ーとの間でエンドースメント契約があったのかもしれない。
1965年3回目の全米ツアーでLA滞在中に再びリッケンバッカー社はポールを訪問。
ポールはさっそく試奏してみて受け取る。
「Rubber Soul」のレコーディングから使用するが、ツアーではヘフナー500-1を
使い続け(軽量のためステージで動きやすい、ビートルズのイメージとして定着
しているからか)リッケンバッカー4001Sをステージで弾いたことはないようだ。
1965年のツアーまではスペアに1961年製ヘフナー500-1を用意していたが、19
66年のツアーではこの1964年製リッケンバッカー4001Sを同行させている。
次回は使用したアンプ、マイク、リンゴのドラムセットについて。
<ジョンとジョージの新しいギター、エピフォン・カジノが登場>
1966年のツアーでは楽器の面でハイライトがあった。
二人のギタリストが揃ってエピフォン・カジノを使用したことである。
それまではジョンがリッケンバッカー325(1)をジャカジャカかき鳴らし、ジョ
ージは1964年のツアーではグレッチのカントリージェントルマン(2)、1965年
は同じくグレッチのテネシアン(3)でリフを弾くという音の対比が明確だった。
リッケンバッカー325はショートスケールで、ジョンのようにブルースコードの
ポジションで小指を動かして6th、♭7thの音を入れるロックンロールのリズム
ギターには最適だ。
セミホロウボディのためサステインはなく歯切れのいいコード音が得られた。
対してカントリージェントルマンとテネシアンは同じセミホロウ構造でももっと
大型でより深みのあるサウンドで、ジョージのリフの表現幅を広げていた。
それが二人とも同じギターとはどういうことなのだろう?
ピックアップのセレクトやトーンコントロール、アンプ側の調整で音作りはでき
るが、ライブだからこそ音が濁らないよう違うギターを使うのが定石なのでは?
おそらくこの頃はライブの音作りなんてとっくに興味が失せていたのだろう。
どうせ聴こえない。誰も聴いていない。会場の設備・条件も劣悪で限界がある。
ライブでは見世物に徹すればいいのだ。彼らは諦めていたのではないかと思う。
それは武道館初日の後ジョージが言った「もうこんな不毛なことはやめようよ。
スタジオならいくらでも表現の可能性があるのに」からも伺える。
ビートルズは来日直前の6月21日にアルバム「Revolver」のレコーディングを
終えたばかりであった。
デビュー・アルバムではたった1日で済んだレコーディングが「Revolver」で
は4月6日から始まり2か月半に及んだ。
ジェフ・エメリックが新しくエンジニアに就任し、ケン・タウンゼントと共に
次々と4人の突拍子もないアイディアを可能にする技術(4)を開発していた。
エメリックの言葉を借りれば「スタジオは毎日が実験だった」らしい。
4人は新しい音作りに夢中だった。
ビートルズの音楽はロックンロール、ポップミュージックという枠に収まらな
い自由で広大なものになり、もはや当時の技術ではライブで再現できなくなっ
ていた。
ジョンが「僕らを見たければコンサートに。音楽はレコードで」と言ったのは
そういうことだ。彼らは二つを切り離して考えていたのである。
宿泊先の東京ヒルトンホテルのプ最上階レジデンシャルスイート1005号室で
4人は「Revolver」のラフミックスのアセテート盤をかけながら、曲の順番を
どうするか話し合っていた。
ツアー中も心は「Revolver」にあったのではないだろうか。
ドイツ〜極東ツアーの演奏曲を選ぶ際も、誰かが「曲数が足りない」と言うと
他の誰かが「デイトリッパーを2回やればいい」と答えるという適当さだった。
「Revolver」収録曲は武道館でもその後の北米ツアーでも一切やっていない。
ステージで披露された新曲はシングルカットされた「Paperback Writer」のみ
であり、それも手抜き感が否めなかった。
ギターについても「Revolver」で使ったカジノがなかなかいいからステージで
も試してみようか、二人同じになっちゃうけどいいよね、どうせ音なんて誰も
気にしてないしさ、というノリだったのではないかと思う。
<エピフォン・カジノの特徴、なぜ彼らはこのギターを使い出したのか?>
カジノはギブソンがエピフォンを買収した後、1961年にギブソンの工場で製造
しエピフォン・ブランドとして発売したギター(5)の一つである。
モデルの型番はE-230TD。(6)
基本設計はギブソンのES-330と同じだ。
メイプル合板のセミホロウ構造でありながらES-335のようなセンターブロッ
ク(7)が内部にない。
そのためES-335のようなソリッド感のある音やサステインは望めない。
完全空洞のボディ構造によりES-335よりエアー感のある太い音が出せる。
(その代わりフィードバックが起きやすいという欠点はある)
弦のエネルギーがボディの振動によって減衰するためにサスティンは短くなる
ものの、コード演奏においては分離のよいクリアな音が得られた。
空洞のボディで軽量ということも、ステージで動き回る二人にとってはありが
たい事だったに違いない。
デザイン的にもビートルズのスーツ、ポールのヘフナー・ベースとのマッチン
グが良かった。
ES-330(カジノの原型)やES-335、同じエピフォン・ブランドのリヴェラや
シェラトンは19フレットジョイントだったが、カジノだけは16フレットでボデ
ィーと接続されていた。
ネックがボディーに深く刺さっている分より豊かな低音が得られる。
またナットの位置が弾き手に近くなるため、ハイポジションでの演奏性は劣る
がローコードでの演奏が楽になる。
特にリズムギターとしてオープンコードも多用するジョンには都合がいい。
もう一つの特徴はピックアップ。ES-330と同じP-90が搭載されている点だ。
シングルコイルでありながらファットでウォームな音が得られる。
ジョンが長く愛用していたギブソンJ-160Eも同じP-90を搭載していた。
彼にとっては馴染みのある音だったのかもしれない。
カジノのP-90はドッグイヤーと呼ばれる金属製のカバーで覆われている。
プラスチックで包まれている通常タイプよりも出力と高音域が少し抑えられて
マイルドな音になる。
このこともカジノの独特なサウンドの要因の一つになっている。
ジョンとジョージのカジノは1965年製で同じだが、ジョンのはトラピーズ(ブ
ランコ)テールピース(8)のため弦のテンションが緩やかになる。
ジョージのはビグズビーのトレモロユニットが装着されている。
グレッチのカントリージェントルマンやテネシアンでジョージは慣れ親しんだ
ものであり、弦交換も苦にならなかっただろう。
もともと最初にカジノを手に入れて二人に薦めたのはポールらしい。
その理由は「フィードバックが容易に得られるから」だという。
通常ならフィードバックは弊害である。
ビートルズは「I Feel Fine」レコーディング時に偶然発生したJ-160Eのフィー
ドバックを面白がってイントロに入れた経緯がある。
ポールは自分でもそれを試してみたかったのではないだろうか。
ポールのカジノは1964年製でやはりビグズビーのトレモロユニット搭載だ。
ジョンとジョージの1965年製はヘッドがスリムになりネック幅も細くなった。
これ以降ジョンはカジノをメイン器として長く愛用することになる。
「 White Album」の頃に「鳴りをよくするため」塗装を落としてナチュラルに
したカジノ(9)を「Get Back」の屋上シーンでも弾いている。
その際ジョージがオールローズのテレキャスターで切れ味のいいソリッドな音
を出し、ジョンが弾くカジノの野太い音とのコントラストが見事であった。
ポールもビートルズ時代からウィングス、ソロまでカジノを愛用し、今でもレコ
ーディングに当時のカジノを使用するほどの気に入り様だ。
1966年以降のビートルズ・サウンドに置いて重要な役割を果たしたカジノでは
あるが、武道館で二人揃って使ったのは音的に云々ではなく、軽いし弾きやす
い、見栄えがするという理由だったのではないかと思われる。
エピフォン・カジノのことだけで長くなってしまった。続きはまた。