2022年7月26日火曜日

何度も聴きたくなるデュエット曲10選(2)

 6. バーブラ・ストライサンド&バリー・ギブ「Guilty」

1970年代、バーブラ・ストライサンドといえば、自身の出演映画の主題歌
を歌い、映画も曲もヒットさせちゃう女優さんというイメージがあった。

たとえばロバート・レッドフォードと共演した「追憶」(1973年)
クリス・クリストファーソンとの共演「スター誕生」(1976年)の「愛のテーマ」。
(今はほとんどの人が「スター誕生」=レディ・ガガだろうけど)


しかし彼女の地位を強固なものにしたのは映画のサウンドトラックだけではない。
ドナ・サマーとのデュエット「No More Tears」、ニール・ダイアモンドとの
デュエット「You Don't Bring Me Flowers Anymore」でもチャート1位を獲得。




どちらも意外な相手との共演。バーブラにはこうした企画力と商才があった。
そして歌唱力と演技力。彼女はオスカー女優にしてグラミー受賞歌手となる。

苦戦していたダイアナ・ロスを尻目に快進撃を続け、1970年代の終わりには米国
で最も成功した女性歌手と評されるようになった。

日本ではあまりそういう認識はないかもしれないが、米国でのバーブラのアルバム
のセールスは凄まじく、当時彼女より売れたのはエルヴィスとビートルズだけと
言われ「シナトラ以来最も影響力のある米国ポップ歌手」とも評された。



そのバーブラが1980年のアルバム制作のパートナーに選んだのがバリー・ギブ
1960年代から英国のギブ三兄弟を中心としたボーカルグループ、ビージーズで
数々のヒットを飛ばし、1978年には「サタデー・ナイト・フィーヴァー」「グリ
ース」と立て続けに映画サントラ盤を大ヒットさせ勢いがあった。

バリー・ギブはビージーズの中核メンバーである。作曲とリードボーカルを担当。
艶のあるベルベットのような声ヴィブラートウィスパリングファルセット
唱法で唯一無二のボーカル・スタイルを確立していた。




そのバリーのボーカルに目をつけるところが、バーブラの嗅覚の鋭さである。
しかしバーブラからオファーがあった時、バリーは断ろうと思っていたという。

「スター誕生」の撮影時バーブラが頑固だったという話を聞き、彼女に対して
いい印象を抱いていなかったらしい。
バリーはまずバーブラに会って、その上で仕事を受けるか否か決めることにした。
実際に彼女と話して、バリーは自分の先入観が間違っていたことを知る。
バーブラが人並み外れたプロ根性の持ち主で妥協を許さない人だと分かったのだ。

2人は意気投合し、アルバムはバリー自らがプロデュースを務めることになった。
バリーは当初、収録曲の半分を提供するつもりだったが、結果的に全曲バーブラ
のためのバリー・ギブ書き下ろし作品となった。




アルバム・タイトル曲の「Guilty」と「What Kind of Fool」でデュエット
その他の曲でもバッキングボーカル、アコースティックギターで参加している。

最初にシングルカットされた「Woman in Love」「What Kind of Fool」
「Guilty」の3曲は、日本以外の世界各国のチャートで1位を獲得。
特に「Guilty」はビルボードのチャート1位を3週維持し、グラミー賞ボーカル・
デュオ部門賞を獲得。バーブラの歌手人生で最も成功した曲の一つとなった。



↑バーブラ・ストライサンド&バリー・ギブ「Guilty」が聴けます。



後半バリー・ギブがメイン・ボーカルに変わる時の転調もいい感じだ。
2人のハモり、掛け合いも素晴らしすぎて言うことなし!


アルバムも世界の主要国でチャート1位を獲得。(日本ではオリコン9位)
全世界で1200万枚のセールスを記録している。

参加したミュージシャンはスティーヴ・ガット、リチャード・ティー、コーネル
・デュプリー、リー・リトナー、デヴィッド・ハンゲイト、ピート・カーなど。
フュージョン界を代表する一流どころが結集。AORの名盤でもある。




7. ホイットニー・ヒューストン&ジャーメイン・ジャクソン
「Take Good Care Of My Heart(邦題:やさしくマイ・ハート)」


ホイットニーの母シシー・ヒューストンはエルヴィスやアレサ・フランクリンの
ツアーにバック・コーラスとしても参加していたソウルシンガーだった。
(ホイットニーのデビュー時に一部の音楽誌に「テルマ・ヒューストンの娘」と
紹介されていたが間違いである)


ホイットニーの歌唱は母シシー直伝である。
従姉にはディオンヌ・ワーウィックなどゴスペル、R&B、ポップ、ソウルのジャ
ンルの歌手がいる。そういう血統なのだろう。




10代の頃からモデルとして活躍する傍ら、チャカ・カーンらのバックボーカルを
務めるなど、歌手として頭角を現した。20歳でアリスタ・レコードと契約。

1984年テディ・ペンダーグラスと「Hold Me in Your Arms」をデュエット。
彼のアルバムに収録され、シングルとしてリリースされヒット。 (1)

翌1985年に発表されたホイットニーの1st.アルバム「Whitney Houston(邦題:
そよ風の贈りもの→オリビア・ニュートンジョンみたいな題だな」にも収録。




このアルバムはクライヴ・デイヴィスの下、ナラダ・マイケル・ウォルデン、
マイケル・マッサー、カシーフなど複数のプロデューサーが起用された。

その一人、ジャーメイン・ジャクソン(マイケルのお兄さんです)が10曲中
3曲をプロデュース。

「Take Good Care Of My Heart」ではデュエットも披露している。
同曲はジャーメインのアルバムにも収録され、シングルカットされた。
ホイットニーのアルバムからはシングルカットされていないが1番好きな曲だ。



↑クリックするとホイットニー・ヒューストン&ジャーメイン・ジャクソン
「Take Good Care Of My Heart」が聴けます。




ホイットニーのデビュー・アルバムは全米1位に輝き、ビルボードの年間チャー
トでも1位を記録する大ヒットとなった。
アメリカレコード協会はゴール、プラチナディスクに認定している。
その後の快進撃は言うまでもないだろう。

ホイットニーの歌唱力は認めるが、正直言って声を張り上げる歌い上げ系は好
みではない。
「Take Good Care Of My Heart」は程よく抑え気味で、コンテンポラリー感
があってで黒っぽさが薄められていると僕には心地よい。





8. マイケル・ジャクソン&ミック・ジャガーの「State Of Shock」。

1982年12月に発売されたマイケルのアルバム「Thriller」は全米チャートで通算
37週に渡って1位を記録しプラチナ・ディスクに認定。他7ヶ国でも1位を獲得。
「史上最も売れたアルバム」「モンスター・アルバム」と称されている。

収録曲10曲中7曲がシングルカットされ、その全てが全米トップ10入りを果たす。
「Billie Jean」「Beat It」の2曲は全米1位に輝く。

MTVブームに乗り、ミュージック・ビデオでダンスを披露したことも大きい。
特に14分に及ぶホラー映画風ショート・フィルムとして制作された「Thriller」
は世界中に衝撃を与え、ミュージック・ビデオの最高傑作と賞賛されている。




エンターテイメント界の頂点に登りつめたマイケルに世界中の期待が高まる中、
マイケルとジャーメインも含めたジャクソンズとしてアルバムをリリースし、
ツアーを行うことが記者会見で発表される。


当初マイケルはジャクソンズでの活動を並行させることは難しいと感じていた。
ソロで桁外れの成功と評価を得てスーパースターとなったマイケルと他メンバー
との間では音楽面だけでなく、価値観においても乖離が生じていたはずだ。

しかし両親の「マイケルの大成功、三男ジャーメインのソロ活動も順調という
この時期こそ力を結集すべき、ジャクソンズあってのソロ活躍」という思いが
強く、マイケルも「ファミリーへの恩返し」という考えに至った。




1984年7月ジャクソンズとしてアルバム「Victory」を発表。
初回出荷分だけで200万枚のセールスを記録。
北米での大規模な「Victoryツアー」は55公演で200万人を動員した。
「Thriller」後のマイケルにファンがいかに期待を寄せてたかが分かる。

ジャクソンズの前作「Triumph」(1980年)はほぼ全曲マイケルがリードボ
ーカルで、マイケルのソロアルバムに近い作品だった。
当然ファンは今回もそれを期待する。ジャーメインとのデュエットも。



                          (写真:gettyimages)



が、「Victory」は8曲という少なさ。マイケルが参加したのは3曲だけ
メンバーが自作曲を持ち寄りそれぞれがボーカルをとる(ジャーメインの提供曲
はなし)、とファンは肩透かしを食らったようなアルバムだった。(全米4位)

アルバムからの先行シングルとして「State Of Shock」が発売された。
マイケルの楽曲でなんと!ゲストのミック・ジャガーとのデュエット曲である。


ハードなファンク・ロック・ナンバーで打ち込みによる単調なドラムのループ。
同じくベース、ハードロック調のヘビーなギター・リフが繰り返され、マイケル
ミックが交互にリードをとり激しく絡み合う、という異色の曲である。
プロデュースもドラム・プログラミングもマイケル自身が手がけた。

ジャクソンズの他メンバーで参加しているのはジャッキーとマーロンのみで、
機械音のような「State Of Shock」というバックボーカルの箇所だけ。




↑マイケル&ミック・ジャガーの「State Of Shock」が聴けます。



想像だが、デビュー時のデュラン・デュランの「ファンクとロックの融合」と
いうコンセプト、ニューウェイブに触発されたのではないだろうか。
「Thriller」でクインシー・ジョーンズが起用したエドワード・ヴァンヘイレン
のギターソロが思いがけず効果的だったことも念頭にあったかもしれない。

1990年代に出現するレニー・クラヴィッツの「Are You Gonna Go My Way」
にも通じるところがあるし、ポスト・ディスコのクラブ・ミュージックヒップ
ホップを予見しているような実験的な曲だ。(全米3位)


話を持ちかけたのはたぶんマイケル側だろう。
「Thriller」で大成功を収めたマイケルとの共演話はミックにとってもおいしい
話だったはずだ。





ミックはこの時期ストーンズとは一線を引き、ソロ活動を始動していた。
(この翌年、初のソロアルバムが「She’s the Boss」。
またデヴィッド・ボウイとのコラボ曲「Dancing in the Street」でMTV最優秀
パフォマンスビデオ賞を受賞している)



もともと「State Of Shock」は「Thriller」セッション期の曲で、フレディ・
マーキュリーとのデュエット曲として実際にレコーディングもされている。
しかし最終的にアルバム「Thriller」には収録されなかった。

「Thriller」に「Beat It」というロック色の強い曲が既に収録されていること。
ポール・マッカットニーとのデュエット曲が収録されていること。
そしてアルバム全体のトーン、流れと違和感がある、などバランスを考えて
断念したのではないだろうか。



↑マイケル&フレディ・マーキュリーの「State Of Shock」が聴けます。



マイケルは実験的で意欲的なこの曲を何らかの形で発表したいと考えていた。
そこでジャクソンズ名義で出すことにしたのだろう。


だが、当の2人はお互いのボーカル・スタイルの違いに当惑したという。
まあ、フレディを相方に想定した作った曲だし、既にフレディと歌った後だけ
にマイケルがそう思ったのかもしれない。

マイケルのファンも、フレディー版とミック版を聴き比べると、フレディの方
がパワフルでキレがある、フレディー版に軍配が上がる、と評している。
僕は逆で、フレディーとマイケルの声は馴染みすぎる、その点ミックのワイルド
な声と歌い方がマイケルとの違いが際立っていい、と思うが。




9. ジョージ・マイケル&メアリー・J. ブライジの「As」。

英国ブルーアイド・ソウルの雄、ジョージ・マイケル。
クイーン・オブ・ヒップホップ・ソウルと称され、ニュー・チャカ(チャカ・
カーン)、ニュー・アレサ(アレサ・フランクリン)とも言われるヒップホッ
プ系のR&Bシンガー、メアリー・J. ブライジとのデュエット。(1998年)




↑ジョージ・マイケル&メアリー・J. ブライジの「As」が聴けます。



取り上げた曲「As」はスティーヴィー・ワンダーの名曲中の名曲(2)

この曲を選んだジョージ・マイケルの目利きもすばらしい。
客演デュエットの相方にメアリー・J. ブライジを選んだのも正解だった。
プロデューサーを務めたベイビーフェイスの意向もあったのかもしれない。


ジョージ・マイケルとメアリー・J. ブライジの「As」はスティーヴィーの
オリジナルを凌駕したと言われるくらいカッコいい出来である。

ジョージ・マイケルは突き抜けるようなよく通る声で、ポップ・ロック感も
持ち合わせながら、白人で黒人のR&Bのグルーヴ感を表現させたらピカイチ。
メアリー・J. ブライジのバリバリのヒップホップ・ソウルとの掛け合わせ
で攻めてる感が出てていい。




2人の歌う「As」はマイケル名義でシングル化され英国でチャート4位を記録。
アメリカでもR&Bチャート・インのヒットとなる。
またベスト・アルバム「Ladies & Gentlemen」にも収録された。

メアリー・J. ブライジも同曲を翌年1999年、自身のアルバム「「Mary」の
1曲目に収録。シングルカットもしている。




10. フー・ファイターズ&ノラ・ジョーンズ「Virginia Moon」

異種格闘技じゃないけど、ジャンルを超えた音楽のコラボレーションにおいて、
この20年間(たぶん)ノラ・ジョーンズほど共演相手に選ばれている人はいな
いのではないだろうか。

彼女のストライクゾーンがジャズ、R&B、フォークロック、カントリーと幅広く
そのすべてについて奥行きが深く、演奏も歌も抜群に上手く、ノラ・ジョーンズ
ならではの唯一無二のクセ(絶対個性)が強いからだと思う。(3)
だからスパイスを求めて、いろいろなアーティストが共演オファーをしてくる。




その中にはレイ・チャールズ、ハービー・ハンコック、ドリー・パートン、ウィリー
・ネルソンのような大御所もいれば、ヒップホップ、ロック、と多様なジャンルの
ミュージシャンがいる。

2010年には10年の間に数々のアーティストとコラボレーションした曲からノラ・
ジョーンズ本人選曲によるアルバム「...Featuring Norah Jones(邦題:ノラ・
ジョーンズの自由時間)」を発表。


今回取り上げるのは、その収録曲にして1曲目。
フー・ファイターズとのデュエット「Virginia Moon」だ。



↑フー・ファイターズ&ノラ・ジョーンズの「Virginia Moon」が聴けます。



フー・ファイターズといえば元ニルヴァーナのデイヴ・グロールが率いるポスト
・グランジのハードなオルタナティブ・ロック・バンドである。
ニルヴァーナ時代ドラムを叩いていたデイヴ・グロールがギターを弾き歌う。
そのフー・ファイターズとノラ・ジョーンズ? 意表を突かれる組み合わせだ。




想像がつかなかったが。。。
蓋を開けてみれば月の輝く夜を想わせるような、静かで美しいボサ・ノヴァ

フー・ファイターズの2枚組のアルバム「In Your Honour」(2005年)の2枚目、
全編アコースティック盤(というのも驚きだった)に収録された。





ノラ・ジョーンズはこんなコメントを残している。

「私は長年フー・ファイターズのデイヴのファンだったの。
オファーをもらって『ようやく私もロックできるのね!』と思ったら、送られて
きたデモはこの美しいボサノヴァのバラード。
デイヴが私に声をかけてくれた理由を悟ったわ。
コード進行が複雑で、しっくりくるハーモニーを探すのに少し時間がかかった
けど、デイヴと一緒に見つけ出すことができた」




本当に心地いいサウンドとハーモニー。ノラ・ジョーンズらしさも出てる。


<脚注>

2022年7月16日土曜日

何度も聴きたくなるデュエット曲10選(1)

あくまでも個人的な好みです。一般受けしないからお薦めはしません(笑)
それから1-10.は好きな順位ではなく、ざっくり年代順に並べただけです。




1. フランク・シナトラ&ナンシー・シナトラ「Somethin' Stupid」
 (邦題:恋のひとこと)


フランクとナンシーのシナトラ父娘の仲睦まじいデュエットが聴ける。
作者のカーソン・パークスはヴァン・ダイク・パークスの兄。

編曲はレッキング・クルーのセッション・ギタリスト、ビリー・ストレンジ
ナンシーのヒット曲「バン・バン」のトレモロを効かせたギターもこの人だ。
ベンチャーズの代役から12弦アコースティックまでこなす。
本作のようなマリアッチ(メキシコ民謡)風の演奏も得意とする。




1967年2月に録音。和気藹々で歌われたのだろう。
シングル盤で発売されると、4月には4週連続でビルボード1位を獲得した。
ビルボードのイージーリスニング・チャート、全英シングルチャートでも1位。



↑フランク&ナンシー・シナトラの「Somethin' Stupid」が視聴できます。
ゆるーいダンスもいいですな(笑)




                             
↑同年、弟のフランク・シナトラ Jr.(写真右)とTV出演し同曲をデュエット。
声の相性はいい。写真をクリックすると視聴できます。(写真:gettyimages)




↑2001年にはニコール・キッドマンと英国のポップシンガー、ロビー・ウィ
リアムズがデュエットしてヒットさせている。




大滝詠一は娘が歌手になったら、この曲をデュエットするつもりだったらしい。
しかし娘が歌手にならなかったため断念。
2003年に竹内まりやをデュエットの相手に選び録音した。

竹内まりやが自身のルーツ、1960年代の米・英・伊・仏の曲をカバーした
アルバム「Longtime Favorites」に収録されている。
大滝詠一が生前最後に参加した公式の楽曲となった。
ストリングスの編曲は井上鑑と思いきや、服部克久が手がけている。



↑竹内まりや&大滝詠一「恋のひとこと」(2003年)が聴けます。


二人ともうまいなあ。声の相性も最高。
この曲は3小節ぶっ通しで16分音符の歌メロが続きブレスが難しい。
英語に長けていないと歌詞を追うのもきつい。

ナンシーもニコール・キッドマンも竹内まりやと大滝詠一もさらっと歌ってる
けど、それだけ歌唱力があるってことです。

※細野晴臣もカヴァーしてるけど圧倒的に竹内まりや&大滝詠一の勝ち〜。




2. バート・ヤンシュ&メリー・ホプキン
「The First Time Ever I Saw Your Face(邦題:愛は面影の中に) 」


1973年に発表されたバート・ヤンシュの8作目となるアルバム「Moonshine」
に収録されている。
ヤンシュはスコットランド出身のトラッドフォークのシンガー、ギタリストで
ジミー・ペイジ、ニール・ヤング、ポール・サイモンに多大な影響を与えた。





アルバムはダブルベース奏者のダニー・トンプソンがプロデュースしている。
アレンジを担当したトニー・ヴィスコンティは当時メリーと結婚していたため、
引退して主婦業に専念してたメリーに声をかけたのだろう。

鈴鳴りの美しい高音は衰えていなかった。
もともとフォークシンガー志向のメリーはこの曲に向いている。声の相性もいい。
ヤンシュの歌にハモるというより、タイミングをややずらしカウンターメロディ
のように絡むメリーのパートは難易度が高いはず。さすがの歌唱力だ。



↑バート・ヤンシュ&メリー・ホプキンの「The First Time〜 」が聴けます。
(写真:gettyimages   右はトニー・ヴィスコンティ)



「The First Time Ever I Saw Your Face」は英国伝統音楽の復興活動の中心
人物でもあったイワン・マッコールの作品。

ヤンシュは1966年のアルバム「Jack Orion」でこの曲をインストゥルメンタル
として取り上げている(ライヴでもよく披露している)
歌付きヴァージョンは2回目のカヴァーで、インストとは違った魅力がある。





この曲はロバータ・フラックによるカヴァー(1969年)が一番ヒットした。
(この人は白人フォークシンガーの曲も好んで取り上げている。
ロリ・リーバーマンのKilling Me Softly with His Song(邦題:やさしく
歌って 1973年)も大ヒットとなった)


「The First Time〜 」はPP&Mもカヴァーしている。
ふつうに3声ハーモニーであまり面白みがない。(ファンには申し訳ないが)




3. エリック・クラプトン&ボブ・ディラン「Sign Language」

クラプトンのレイドバック3部作最後のアルバム「No Reason to Cry」
(1976年)に収録されている。





このアルバムはザ・バンド所有のシャングリ・ラ・スタジオで録音された。
ザ・バンドのメンバー全員の他、ディラン、ロン・ウッド、ビリー・プレストン
、など多くのミュージシャンが参加
ザ・バンドの影響で前2作よりもスワンプロック色が強くなっている

この「Sign Language」はディランによる提供曲。
ディラン自身とクラプトンと2人で歌っている。



↑クラプトン&ディランの「Sign Language」が聴けます。



10小節の歌メロを繰り返すだけで何の展開もない
いかにもディランらしい曲。
歌詞の意味もよく分からない。でもディランのこういう曲は絶品である。


ディランとクラプトンの歌もハモってるんだかハモってないんだか、歌の
タイミングもきっちり合っていない。それぞれ自由に歌っているというか。
なんだかリハーサル・テイクをそのままいただきましたみたいなラフさだ。
このゆるーい感じがたまらない。




しかし演奏はザ・バンドがどっしり構えている。抜群の安定感と余裕だ。
間奏の枯れたしぶーいギターはロビー・ロバートソン
スライド・ギターはロン・ウッド




4. ケニー・ロギンス&スティーヴィー・ニックス
「Whenever I Call You "Friend"(邦題:二人の誓い)」

1978年に発表されたケニー・ロギンスのソロ名義2作目となるアルバム、
「Nightwatch」のB面1曲目に収録されていた。




曲はケニー・ロギンスとメリサ・マンチェスターとの共作。
本来はメリサ・マンチェスターとのデュエット曲として作られたが、契約上
の問題によりスティーヴィー・ニックスが相方を務めることになった。
(メリサ・マンチェスターも後年セルフ・カヴァーしている)



↑ケニー・ロギンス&スティーヴィー・ニックスの「Whenever I Call 
You "Friend"」が聴けます。




僕はスティーヴィー・ニックスの声も容姿も好きではない。
しかし、このデュエットは大好きだ。

ケニー・ロギンスの張りのあるボーカルとスティーヴィー・ニックスのやや
ハスキーで鼻にかかった声、そして気だるい歌い方のマッチングがいい。
この曲はシングルカットされ全米5位のヒットとなった。




アルバムもソロ名義になってから初のトップ10入りを果たしている。
マイケル・マクドナルドとの共作「What a Fool Believes」も収録されて
いるが、シングルカットはされなかった。
曲の原型を作っていたマクドナルドの家を訪れたロギンスのアイディアでブリ
ッジ部が完成したらしい。

半年後に発表されたドゥービー・ブラザーズのアルバム「Minute by Minute」
がビルボード・アルバムチャート1位を獲得。
収録されていた「What a Fool Believes」はシングルカットされ、こちらも
ビルボードのポップ・シングルチャートの1位に輝き、グラミー賞最優秀
レコード賞、最優秀楽曲賞を受賞した。

この曲がケニー・ロギンスとの共作と知らない人の方が多いかもしれない。
(ロギンスにもがっぽり印税が入ったから御の字だろうが)




5. ジェイムス・テイラー&J.D.サウザー「Her Town Too」
(邦題:憶い出の町)




ジェームス・テイラー10枚目のアルバム「Dad Loves His Work」(1981年)
の2曲目に収録された曲である。
シングルカットされビルボード・チャート11位のヒットを記録した。


JTの艶やかなゴールデンボイスと、ソフトなウィスパーボイスで切ない高音
部を歌うJ.D.サウザーが対照的この2人の声が重なるとマジックが起きる

JTが歌う同じメロに対してJ.D.サウザーは下にハモる時もあれば上にハモる時
もあり、その使い分けが絶妙。サビの掛け合いも素晴らしい。




↑ジェイムス・テイラー&J.D.サウザーの「Her Town Too」が視聴できます。


※YouTubeには当時のプロモーションビデオしか公開されていない。
2人の歌い方がオフィシャル音源とは少し違う。
ドン・グロルニック(kb)ワディ・ワクテル(g)ダン・ダグモア(g)ルーランド・
スクラー(b)リック・マロッタ(ds)とレコーディング時と同じミュージシャン。
が、演奏はオケを流用してると思われる。音声はモノラルで音質もよくない。




作曲はジェームス・テイラー、J.D.サウザー、ワディ・ワクテル(ギターでも
参加している)3人の名前がクレジットされている。


以前は彼女の街だった」と恋に破れ街の噂話に傷つく女性を気遣う歌だ。
最後のリフレインでは「君の街だったのに。僕の街でもあった」とも。



↑カーリー・サイモンとジェイムス・テイラー、2人の子供、ベンとサリー


JTは当時の妻、カーリー・サイモンとの間に問題を抱えていた。
妻と2人の子供を残したまま年中ツアーで不在のJTにカーリーは不満を抱き、
もっと家族に時間を割くように要求していた。

アルバム・タイトル「Dad Loves His Work」はJTから妻へのメッセージ。
カーリー・サイモンは長年JTのバックを務めてきたドラマー、ラス・カンケル
と恋仲になり、このアルバム発売前に11年間の結婚生活に終止符を打った。



↑ウエストコースト・ロックの売れっ子ドラマー、ラス・カンケル。

                      (写真:gettyimages)


その後ジェームス・テイラーは再びドラッグに浸かり長い期間スランプに陥る。
4年後にアルバム「That's Why I'm Here」で復帰したJTは、フュージョン系
のミュージシャンでバックを固め、曲調もラテン系中心の大人の音楽に変貌。
ロックではなくなったJTは「成熟した退屈な音楽」になって行く。


「Dad Loves His Work」は日本の音楽誌で選ぶAORの名盤に必ず挙げられる。
だが僕はこのアルバムが好きではない。
まだロック色は残しているものの、それまで大好きだったJTと明らかに違う。






大きな要因はミュージシャンの入れ替えによるサウンドの変化だと思う。
プロデューサーは以前と同じピーター・アッシャーだが、前作から参加するよ
うになり以降JTサウンドの要となるドン・グロルニック(kb)色が強い。

そしてダニー・コーチマーの代わりにディ・ワクテル(g)ダン・ダグモア(g)
が参加。この2人はリンダ・ロンシュタット黄金期のバックも務めている。
ワクテルはヘビーな音からアコースティックまでこなし、ダグモアはペダル・
スティールもこなし器用。いいコンビネーションである。
2人がJTと組んだのはこの時期だけなのが残念。



↑左からワディ・ワクテル(g)ルーランド・スクラー(b)ダン・ダグモア(g)
JTがセサミ・ストリートに出演した時のショット


ドラムがラス・カンケルからリック・マロッタに替わったのは、上述のカーリー
・サイモンとの三角関係のせいかもしれない。

デビュー以来JTを支えて来たザ・セクションのメンバーはルーランド・スクラー
(b)だけになってしまった。
どちらかというとリンダ・ロンシュタットの黄金期のバンドの顔ぶれに近い。



↑JTの右がJ.D.サウザー、隣がワディ・ワクテル(g)ルーランド・スクラー(b)。



そして致命傷はコーラス隊が変わったことだ。
グラハム・ナッシュ、デヴィッド・クロスビー、ヴァレリー・カーターによる
素晴らしいハーモニーが肝だったのに。



↑デヴィッド・クロスビーとグラハム・ナッシュ。この2人がハモると最高。


たかがコーラスくらい誰がやっても、という人も多いだろう。
しかし、ガラッと印象が変わってしまうのだ。
新しく加わったデヴィッド・ラズリーの甲高い声とアーノルド・マカラーの
黒人特有の歌い回しはどうしても受け入れ難かった。
(差別ではなく好みの問題です)

その好きではないアルバムにおいて、J.D.サウザーとのデュエット曲である
「Her Town Too」は唯一大好きな曲であり、何度も繰り返し聴いている。




※次回は6-10、1980年以降のAOR、ブラコン寄りの曲を取り上げます。


<参考資料:Wikipedia(英語版)、YouTube、gettyimages、他>