1970年代、バーブラ・ストライサンドといえば、自身の出演映画の主題歌
を歌い、映画も曲もヒットさせちゃう女優さんというイメージがあった。
たとえばロバート・レッドフォードと共演した「追憶」(1973年)
クリス・クリストファーソンとの共演「スター誕生」(1976年)の「愛のテーマ」。
(今はほとんどの人が「スター誕生」=レディ・ガガだろうけど)
しかし彼女の地位を強固なものにしたのは映画のサウンドトラックだけではない。
ドナ・サマーとのデュエット「No More Tears」、ニール・ダイアモンドとの
デュエット「You Don't Bring Me Flowers Anymore」でもチャート1位を獲得。
どちらも意外な相手との共演。バーブラにはこうした企画力と商才があった。
そして歌唱力と演技力。彼女はオスカー女優にしてグラミー受賞歌手となる。
苦戦していたダイアナ・ロスを尻目に快進撃を続け、1970年代の終わりには米国
で最も成功した女性歌手と評されるようになった。
日本ではあまりそういう認識はないかもしれないが、米国でのバーブラのアルバム
のセールスは凄まじく、当時彼女より売れたのはエルヴィスとビートルズだけと
言われ「シナトラ以来最も影響力のある米国ポップ歌手」とも評された。
そのバーブラが1980年のアルバム制作のパートナーに選んだのがバリー・ギブ。
1960年代から英国のギブ三兄弟を中心としたボーカルグループ、ビージーズで
数々のヒットを飛ばし、1978年には「サタデー・ナイト・フィーヴァー」「グリ
ース」と立て続けに映画サントラ盤を大ヒットさせ勢いがあった。
バリー・ギブはビージーズの中核メンバーである。作曲とリードボーカルを担当。
艶のあるベルベットのような声とヴィブラート、ウィスパリング、ファルセット
唱法で唯一無二のボーカル・スタイルを確立していた。
そのバリーのボーカルに目をつけるところが、バーブラの嗅覚の鋭さである。
しかしバーブラからオファーがあった時、バリーは断ろうと思っていたという。
「スター誕生」の撮影時バーブラが頑固だったという話を聞き、彼女に対して
いい印象を抱いていなかったらしい。
バリーはまずバーブラに会って、その上で仕事を受けるか否か決めることにした。
実際に彼女と話して、バリーは自分の先入観が間違っていたことを知る。
バーブラが人並み外れたプロ根性の持ち主で妥協を許さない人だと分かったのだ。
2人は意気投合し、アルバムはバリー自らがプロデュースを務めることになった。
バリーは当初、収録曲の半分を提供するつもりだったが、結果的に全曲バーブラ
のためのバリー・ギブ書き下ろし作品となった。
アルバム・タイトル曲の「Guilty」と「What Kind of Fool」でデュエット。
その他の曲でもバッキングボーカル、アコースティックギターで参加している。
最初にシングルカットされた「Woman in Love」「What Kind of Fool」
「Guilty」の3曲は、日本以外の世界各国のチャートで1位を獲得。
特に「Guilty」はビルボードのチャート1位を3週維持し、グラミー賞ボーカル・
デュオ部門賞を獲得。バーブラの歌手人生で最も成功した曲の一つとなった。
↑バーブラ・ストライサンド&バリー・ギブ「Guilty」が聴けます。
後半バリー・ギブがメイン・ボーカルに変わる時の転調もいい感じだ。
2人のハモり、掛け合いも素晴らしすぎて言うことなし!
アルバムも世界の主要国でチャート1位を獲得。(日本ではオリコン9位)
全世界で1200万枚のセールスを記録している。
参加したミュージシャンはスティーヴ・ガット、リチャード・ティー、コーネル
・デュプリー、リー・リトナー、デヴィッド・ハンゲイト、ピート・カーなど。
フュージョン界を代表する一流どころが結集。AORの名盤でもある。
7. ホイットニー・ヒューストン&ジャーメイン・ジャクソン
「Take Good Care Of My Heart(邦題:やさしくマイ・ハート)」
ホイットニーの母シシー・ヒューストンはエルヴィスやアレサ・フランクリンの
ツアーにバック・コーラスとしても参加していたソウルシンガーだった。
(ホイットニーのデビュー時に一部の音楽誌に「テルマ・ヒューストンの娘」と
紹介されていたが間違いである)
ホイットニーの歌唱は母シシー直伝である。
従姉にはディオンヌ・ワーウィックなどゴスペル、R&B、ポップ、ソウルのジャ
ンルの歌手がいる。そういう血統なのだろう。
バリー・ギブはビージーズの中核メンバーである。作曲とリードボーカルを担当。
艶のあるベルベットのような声とヴィブラート、ウィスパリング、ファルセット
唱法で唯一無二のボーカル・スタイルを確立していた。
そのバリーのボーカルに目をつけるところが、バーブラの嗅覚の鋭さである。
しかしバーブラからオファーがあった時、バリーは断ろうと思っていたという。
「スター誕生」の撮影時バーブラが頑固だったという話を聞き、彼女に対して
いい印象を抱いていなかったらしい。
バリーはまずバーブラに会って、その上で仕事を受けるか否か決めることにした。
実際に彼女と話して、バリーは自分の先入観が間違っていたことを知る。
バーブラが人並み外れたプロ根性の持ち主で妥協を許さない人だと分かったのだ。
2人は意気投合し、アルバムはバリー自らがプロデュースを務めることになった。
バリーは当初、収録曲の半分を提供するつもりだったが、結果的に全曲バーブラ
のためのバリー・ギブ書き下ろし作品となった。
アルバム・タイトル曲の「Guilty」と「What Kind of Fool」でデュエット。
その他の曲でもバッキングボーカル、アコースティックギターで参加している。
最初にシングルカットされた「Woman in Love」「What Kind of Fool」
「Guilty」の3曲は、日本以外の世界各国のチャートで1位を獲得。
特に「Guilty」はビルボードのチャート1位を3週維持し、グラミー賞ボーカル・
デュオ部門賞を獲得。バーブラの歌手人生で最も成功した曲の一つとなった。
↑バーブラ・ストライサンド&バリー・ギブ「Guilty」が聴けます。
後半バリー・ギブがメイン・ボーカルに変わる時の転調もいい感じだ。
2人のハモり、掛け合いも素晴らしすぎて言うことなし!
アルバムも世界の主要国でチャート1位を獲得。(日本ではオリコン9位)
全世界で1200万枚のセールスを記録している。
参加したミュージシャンはスティーヴ・ガット、リチャード・ティー、コーネル
・デュプリー、リー・リトナー、デヴィッド・ハンゲイト、ピート・カーなど。
フュージョン界を代表する一流どころが結集。AORの名盤でもある。
7. ホイットニー・ヒューストン&ジャーメイン・ジャクソン
「Take Good Care Of My Heart(邦題:やさしくマイ・ハート)」
ホイットニーの母シシー・ヒューストンはエルヴィスやアレサ・フランクリンの
ツアーにバック・コーラスとしても参加していたソウルシンガーだった。
(ホイットニーのデビュー時に一部の音楽誌に「テルマ・ヒューストンの娘」と
紹介されていたが間違いである)
ホイットニーの歌唱は母シシー直伝である。
従姉にはディオンヌ・ワーウィックなどゴスペル、R&B、ポップ、ソウルのジャ
ンルの歌手がいる。そういう血統なのだろう。
10代の頃からモデルとして活躍する傍ら、チャカ・カーンらのバックボーカルを
務めるなど、歌手として頭角を現した。20歳でアリスタ・レコードと契約。
1984年テディ・ペンダーグラスと「Hold Me in Your Arms」をデュエット。
彼のアルバムに収録され、シングルとしてリリースされヒット。 (1)
翌1985年に発表されたホイットニーの1st.アルバム「Whitney Houston(邦題:
そよ風の贈りもの→オリビア・ニュートンジョンみたいな題だな」にも収録。
このアルバムはクライヴ・デイヴィスの下、ナラダ・マイケル・ウォルデン、
マイケル・マッサー、カシーフなど複数のプロデューサーが起用された。
その一人、ジャーメイン・ジャクソン(マイケルのお兄さんです)が10曲中
3曲をプロデュース。
「Take Good Care Of My Heart」ではデュエットも披露している。
同曲はジャーメインのアルバムにも収録され、シングルカットされた。
ホイットニーのアルバムからはシングルカットされていないが1番好きな曲だ。
↑クリックするとホイットニー・ヒューストン&ジャーメイン・ジャクソン
「Take Good Care Of My Heart」が聴けます。
ホイットニーのデビュー・アルバムは全米1位に輝き、ビルボードの年間チャー
トでも1位を記録する大ヒットとなった。
アメリカレコード協会はゴール、プラチナディスクに認定している。
その後の快進撃は言うまでもないだろう。
ホイットニーの歌唱力は認めるが、正直言って声を張り上げる歌い上げ系は好
みではない。
「Take Good Care Of My Heart」は程よく抑え気味で、コンテンポラリー感
「Take Good Care Of My Heart」は程よく抑え気味で、コンテンポラリー感
があってで黒っぽさが薄められていると僕には心地よい。
8. マイケル・ジャクソン&ミック・ジャガーの「State Of Shock」。
1982年12月に発売されたマイケルのアルバム「Thriller」は全米チャートで通算
37週に渡って1位を記録しプラチナ・ディスクに認定。他7ヶ国でも1位を獲得。
「史上最も売れたアルバム」「モンスター・アルバム」と称されている。
収録曲10曲中7曲がシングルカットされ、その全てが全米トップ10入りを果たす。
「Billie Jean」「Beat It」の2曲は全米1位に輝く。
MTVブームに乗り、ミュージック・ビデオでダンスを披露したことも大きい。
特に14分に及ぶホラー映画風ショート・フィルムとして制作された「Thriller」
は世界中に衝撃を与え、ミュージック・ビデオの最高傑作と賞賛されている。
エンターテイメント界の頂点に登りつめたマイケルに世界中の期待が高まる中、
マイケルとジャーメインも含めたジャクソンズとしてアルバムをリリースし、
ツアーを行うことが記者会見で発表される。
8. マイケル・ジャクソン&ミック・ジャガーの「State Of Shock」。
1982年12月に発売されたマイケルのアルバム「Thriller」は全米チャートで通算
37週に渡って1位を記録しプラチナ・ディスクに認定。他7ヶ国でも1位を獲得。
「史上最も売れたアルバム」「モンスター・アルバム」と称されている。
収録曲10曲中7曲がシングルカットされ、その全てが全米トップ10入りを果たす。
「Billie Jean」「Beat It」の2曲は全米1位に輝く。
MTVブームに乗り、ミュージック・ビデオでダンスを披露したことも大きい。
特に14分に及ぶホラー映画風ショート・フィルムとして制作された「Thriller」
は世界中に衝撃を与え、ミュージック・ビデオの最高傑作と賞賛されている。
エンターテイメント界の頂点に登りつめたマイケルに世界中の期待が高まる中、
マイケルとジャーメインも含めたジャクソンズとしてアルバムをリリースし、
ツアーを行うことが記者会見で発表される。
当初マイケルはジャクソンズでの活動を並行させることは難しいと感じていた。
ソロで桁外れの成功と評価を得てスーパースターとなったマイケルと他メンバー
との間では音楽面だけでなく、価値観においても乖離が生じていたはずだ。
しかし両親の「マイケルの大成功、三男ジャーメインのソロ活動も順調という
この時期こそ力を結集すべき、ジャクソンズあってのソロ活躍」という思いが
強く、マイケルも「ファミリーへの恩返し」という考えに至った。
1984年7月ジャクソンズとしてアルバム「Victory」を発表。
初回出荷分だけで200万枚のセールスを記録。
北米での大規模な「Victoryツアー」は55公演で200万人を動員した。
「Thriller」後のマイケルにファンがいかに期待を寄せてたかが分かる。
ジャクソンズの前作「Triumph」(1980年)はほぼ全曲マイケルがリードボ
ーカルで、マイケルのソロアルバムに近い作品だった。
当然ファンは今回もそれを期待する。ジャーメインとのデュエットも。
が、「Victory」は8曲という少なさ。マイケルが参加したのは3曲だけ。
メンバーが自作曲を持ち寄りそれぞれがボーカルをとる(ジャーメインの提供曲
はなし)、とファンは肩透かしを食らったようなアルバムだった。(全米4位)
メンバーが自作曲を持ち寄りそれぞれがボーカルをとる(ジャーメインの提供曲
はなし)、とファンは肩透かしを食らったようなアルバムだった。(全米4位)
アルバムからの先行シングルとして「State Of Shock」が発売された。
マイケルの楽曲でなんと!ゲストのミック・ジャガーとのデュエット曲である。
ハードなファンク・ロック・ナンバーで打ち込みによる単調なドラムのループ。
同じくベース、ハードロック調のヘビーなギター・リフが繰り返され、マイケル
とミックが交互にリードをとり激しく絡み合う、という異色の曲である。
プロデュースもドラム・プログラミングもマイケル自身が手がけた。
ジャクソンズの他メンバーで参加しているのはジャッキーとマーロンのみで、
機械音のような「State Of Shock」というバックボーカルの箇所だけ。
↑マイケル&ミック・ジャガーの「State Of Shock」が聴けます。
想像だが、デビュー時のデュラン・デュランの「ファンクとロックの融合」と
いうコンセプト、ニューウェイブに触発されたのではないだろうか。
「Thriller」でクインシー・ジョーンズが起用したエドワード・ヴァンヘイレン
のギターソロが思いがけず効果的だったことも念頭にあったかもしれない。
1990年代に出現するレニー・クラヴィッツの「Are You Gonna Go My Way」
にも通じるところがあるし、ポスト・ディスコのクラブ・ミュージック、ヒップ
プロデュースもドラム・プログラミングもマイケル自身が手がけた。
ジャクソンズの他メンバーで参加しているのはジャッキーとマーロンのみで、
機械音のような「State Of Shock」というバックボーカルの箇所だけ。
↑マイケル&ミック・ジャガーの「State Of Shock」が聴けます。
想像だが、デビュー時のデュラン・デュランの「ファンクとロックの融合」と
いうコンセプト、ニューウェイブに触発されたのではないだろうか。
「Thriller」でクインシー・ジョーンズが起用したエドワード・ヴァンヘイレン
のギターソロが思いがけず効果的だったことも念頭にあったかもしれない。
1990年代に出現するレニー・クラヴィッツの「Are You Gonna Go My Way」
にも通じるところがあるし、ポスト・ディスコのクラブ・ミュージック、ヒップ
ホップを予見しているような実験的な曲だ。(全米3位)
話を持ちかけたのはたぶんマイケル側だろう。
「Thriller」で大成功を収めたマイケルとの共演話はミックにとってもおいしい
話だったはずだ。
話を持ちかけたのはたぶんマイケル側だろう。
「Thriller」で大成功を収めたマイケルとの共演話はミックにとってもおいしい
話だったはずだ。
ミックはこの時期ストーンズとは一線を引き、ソロ活動を始動していた。
(この翌年、初のソロアルバムが「She’s the Boss」。
またデヴィッド・ボウイとのコラボ曲「Dancing in the Street」でMTV最優秀
パフォマンスビデオ賞を受賞している)
もともと「State Of Shock」は「Thriller」セッション期の曲で、フレディ・
マーキュリーとのデュエット曲として実際にレコーディングもされている。
しかし最終的にアルバム「Thriller」には収録されなかった。
「Thriller」に「Beat It」というロック色の強い曲が既に収録されていること。
ポール・マッカットニーとのデュエット曲が収録されていること。
そしてアルバム全体のトーン、流れと違和感がある、などバランスを考えて
断念したのではないだろうか。
↑マイケル&フレディ・マーキュリーの「State Of Shock」が聴けます。
マイケルは実験的で意欲的なこの曲を何らかの形で発表したいと考えていた。
そこでジャクソンズ名義で出すことにしたのだろう。
そしてアルバム全体のトーン、流れと違和感がある、などバランスを考えて
断念したのではないだろうか。
↑マイケル&フレディ・マーキュリーの「State Of Shock」が聴けます。
マイケルは実験的で意欲的なこの曲を何らかの形で発表したいと考えていた。
そこでジャクソンズ名義で出すことにしたのだろう。
だが、当の2人はお互いのボーカル・スタイルの違いに当惑したという。
まあ、フレディを相方に想定した作った曲だし、既にフレディと歌った後だけ
にマイケルがそう思ったのかもしれない。
マイケルのファンも、フレディー版とミック版を聴き比べると、フレディの方
がパワフルでキレがある、フレディー版に軍配が上がる、と評している。
僕は逆で、フレディーとマイケルの声は馴染みすぎる、その点ミックのワイルド
な声と歌い方がマイケルとの違いが際立っていい、と思うが。
9. ジョージ・マイケル&メアリー・J. ブライジの「As」。
英国ブルーアイド・ソウルの雄、ジョージ・マイケル。
クイーン・オブ・ヒップホップ・ソウルと称され、ニュー・チャカ(チャカ・
カーン)、ニュー・アレサ(アレサ・フランクリン)とも言われるヒップホッ
プ系のR&Bシンガー、メアリー・J. ブライジとのデュエット。(1998年)
9. ジョージ・マイケル&メアリー・J. ブライジの「As」。
英国ブルーアイド・ソウルの雄、ジョージ・マイケル。
クイーン・オブ・ヒップホップ・ソウルと称され、ニュー・チャカ(チャカ・
カーン)、ニュー・アレサ(アレサ・フランクリン)とも言われるヒップホッ
プ系のR&Bシンガー、メアリー・J. ブライジとのデュエット。(1998年)
↑ジョージ・マイケル&メアリー・J. ブライジの「As」が聴けます。
取り上げた曲「As」はスティーヴィー・ワンダーの名曲中の名曲。(2)
この曲を選んだジョージ・マイケルの目利きもすばらしい。
客演デュエットの相方にメアリー・J. ブライジを選んだのも正解だった。
プロデューサーを務めたベイビーフェイスの意向もあったのかもしれない。
ジョージ・マイケルとメアリー・J. ブライジの「As」はスティーヴィーの
オリジナルを凌駕したと言われるくらいカッコいい出来である。
ジョージ・マイケルは突き抜けるようなよく通る声で、ポップ・ロック感も
持ち合わせながら、白人で黒人のR&Bのグルーヴ感を表現させたらピカイチ。
メアリー・J. ブライジのバリバリのヒップホップ・ソウルとの掛け合わせ
で攻めてる感が出てていい。
2人の歌う「As」はマイケル名義でシングル化され英国でチャート4位を記録。
アメリカでもR&Bチャート・インのヒットとなる。
またベスト・アルバム「Ladies & Gentlemen」にも収録された。
アメリカでもR&Bチャート・インのヒットとなる。
またベスト・アルバム「Ladies & Gentlemen」にも収録された。
1曲目に収録。シングルカットもしている。
10. フー・ファイターズ&ノラ・ジョーンズ「Virginia Moon」
異種格闘技じゃないけど、ジャンルを超えた音楽のコラボレーションにおいて、
この20年間(たぶん)ノラ・ジョーンズほど共演相手に選ばれている人はいな
いのではないだろうか。
彼女のストライクゾーンがジャズ、R&B、フォークロック、カントリーと幅広く、
そのすべてについて奥行きが深く、演奏も歌も抜群に上手く、ノラ・ジョーンズ
ならではの唯一無二のクセ(絶対個性)が強いからだと思う。(3)
だからスパイスを求めて、いろいろなアーティストが共演オファーをしてくる。
・ネルソンのような大御所もいれば、ヒップホップ、ロック、と多様なジャンルの
ミュージシャンがいる。
2010年には10年の間に数々のアーティストとコラボレーションした曲からノラ・
ジョーンズ本人選曲によるアルバム「...Featuring Norah Jones(邦題:ノラ・
2010年には10年の間に数々のアーティストとコラボレーションした曲からノラ・
ジョーンズ本人選曲によるアルバム「...Featuring Norah Jones(邦題:ノラ・
ジョーンズの自由時間)」を発表。
今回取り上げるのは、その収録曲にして1曲目。
フー・ファイターズとのデュエット「Virginia Moon」だ。
今回取り上げるのは、その収録曲にして1曲目。
フー・ファイターズとのデュエット「Virginia Moon」だ。
↑フー・ファイターズ&ノラ・ジョーンズの「Virginia Moon」が聴けます。
フー・ファイターズといえば元ニルヴァーナのデイヴ・グロールが率いるポスト
・グランジのハードなオルタナティブ・ロック・バンドである。
ニルヴァーナ時代ドラムを叩いていたデイヴ・グロールがギターを弾き歌う。
そのフー・ファイターズとノラ・ジョーンズ? 意表を突かれる組み合わせだ。
想像がつかなかったが。。。
蓋を開けてみれば月の輝く夜を想わせるような、静かで美しいボサ・ノヴァ。
フー・ファイターズの2枚組のアルバム「In Your Honour」(2005年)の2枚目、
全編アコースティック盤(というのも驚きだった)に収録された。
ノラ・ジョーンズはこんなコメントを残している。
「私は長年フー・ファイターズのデイヴのファンだったの。
オファーをもらって『ようやく私もロックできるのね!』と思ったら、送られて
きたデモはこの美しいボサノヴァのバラード。
デイヴが私に声をかけてくれた理由を悟ったわ。
コード進行が複雑で、しっくりくるハーモニーを探すのに少し時間がかかった
けど、デイヴと一緒に見つけ出すことができた」
<脚注>