田辺昭知、かまやつひろし、井上堯之、大野克夫、堺正章、井上順・・・
あと一人!印象が薄いですよね。ベースを担当していた加藤充です。
<グループ名>
ザ・スパイダーズだと思ってたがザ・スパイダース。スに濁点がない。(1)
でも英語Spidersの発音はスパイダーズ。その方が言いやすい。
メンバーたち自身もスパイダーズと言っている。
<スパイダーズ結成の経緯>
ジャッキー吉川とブルー・コメッツと共に日本のグループサウンズ(GS)
の老舗と見られることが多い。活動歴は長い。GSブームの5年前からだ。
ホリプロ(2)所属のドラマー、田辺昭知は新しいバンドを計画してた。
才能と人柄を見込み、1962年にホリプロ所属のかまやつに参加を求める。
田辺は子役あがりの堺正章(3)、神戸から上京した井上堯之、京都のカントリー
界で名を馳せていた大野克夫、大野の紹介でベーシストの加藤充(4)、六本木野
獣会(六本木で遊ぶ良家の若者たちのグループ)(5)のメンバーだった井上順を
加入させ、1964年2月には7人体勢が整う。
ビートルズがアメリカを初制覇した頃。GSブームが起きる3年前である。
※ホリプロに所属していた加瀬邦彦が事務所の指示でスパイダーズに参加してい
た時期もあるが、3ヶ月足らずで脱退し寺内タケシとブルージンズに加入。
その後、加瀬はワイルドワンズを結成し、渡辺プロに移籍する。(6)
<かまやつひろしの音楽性1:カントリー>
ムッシュかまやつがスパイダーズの音楽の方向性を決めていた。
ムッシュの音楽ルーツはカントリーだ。
最初に買ったレコードはハンク・ウィリアムズだったという。
ワゴンマスター、サンダーバード、キャノンボールでバンド活動を行い、
米軍キャンプで演奏し、日劇ウェスタンカーニバルにも出演した。
田辺昭知や堀威夫とはこの頃からの付き合いらしい。(7)
ロカビリー歌手として日劇ウェスタンカーニバルに出演していたミッキー・
カーチスとは音楽、車、ファッションを通じて旧知の仲である。
エルヴィスの登場は「すごいのが出てきた」と感心したが、ムッシュ自身
はロカビリーは苦手で好きになれず、カントリーが自分の本質に一番合っ
てると思ったそうだ。
「なんとなくなんとなく」はムッシュによるカントリー調の牧歌的な曲。
大野克夫のスティール・ギターがいい味を出している。
↓スパイダーズの「なんとなく なんとなく」が聴けます。
https://youtu.be/t-GY1ERBLzQ?si=XqvQtIA2pQR0GDrU
スパイダーズ解散前の1970年、ムッシュかまやつ名義で発表した「どう
にかなるさ」は日本のカントリーの名曲だ。
ハンク・ウィリアムズの「淋しき口笛(I Heard That Lonesome Whistle
)」にインスパイアされたと言われる。
コード進行もほぼ同じで、カントリー調のこぶしの効いた歌い方も似てる。
故郷を離れて共同体に縛られず、転々と流浪する開拓時代の男の心情を
歌った典型的なカントリー・ワルツである。
若者の文化や価値観(8)が変わり始めた1970年の日本の空気に馴染んだ。
↓かまやつひろしの「どうにかなるさ 」が聴けます。
https://youtu.be/ULNtdtM7m7M?si=nqlJQ2jFq83fQFsL
↓元ネタ?ハンク・ウィリアムズの「淋しき口笛」が聴けます。
https://youtu.be/Iykp8jtxCEo?si=9bH8Lc3u8IqN9rlb
<かまやつひろしの音楽性2:ビートルズ、ビーチボーイズ>
ムッシュはUS盤「Meet The Beatles」を手に入れ、他のメンバーと何度
も聴きながら「こういうのをやりたいんだよね」と力説した。
特に「It Won't Be Long」にはヤラレたそうだ。
「クリアーじゃなくモコモコした音が好きだった」と言っている。
ムッシュの曲はビートルズを始めとするマージービート、キンクスのような
モッズ、ビーチボーイズなどアメリカン・ロックやポップスのいいとこ取り
が絶妙で、うまく和製ロックに昇華されている。
音楽評論家、松村雄策はかまやつを日本初のロック・ミュージシャンと
評している。
近田春夫はスパイダーズを「和製ロックの萌芽を有したスター集団」と言う。
「フリフリは日本初のロックンロールだった」と明言した。(9)
「まずエレキありきでしょ、フォークギターってカッコ悪い」とのこと。
デビューシングル「フリフリ」はブリティッシュ・ロックのサウンドを
頭拍の日本的リズムと手拍子三拍子に乗せる、画期的な試みだった。
今聴き直すと「こんなんだっけ?」と拍子抜けするけど。
↑ジャケットには作曲者ムッシュが写っていない。撮影に遅刻したためだ。
「バン・バン・バン」「ヘイ・ボーイ」もノリのいいロックンロール。
↓中尾ミエとスパイダーズが歌う「ヘイ・ボーイ」が観れます。
1966年「ビクター 歌うバラエティ」 出演時の映像。画質は悪いが貴重。
https://youtu.be/HRrJAGwqX4k?si=T-McsGF-P0n8vVa7
↓「バン・バン・バン」が観れます(スパイダーズ主演映画より)
https://youtu.be/0zLBTzc0yIs?si=3sZV8_WAAsK2busJ
1966年「ビクター 歌うバラエティ」 出演時の映像。画質は悪いが貴重。
https://youtu.be/HRrJAGwqX4k?si=T-McsGF-P0n8vVa7
↓「バン・バン・バン」が観れます(スパイダーズ主演映画より)
https://youtu.be/0zLBTzc0yIs?si=3sZV8_WAAsK2busJ
「ノーノー・ボーイ」「あの時君は若かった」「いつまでもどこまでも」
はミディアム・テンポの青春ポップス。
↓「あの時君は若かった」が観れます(スパイダーズ主演映画より)
https://youtu.be/jT9zaw08mDM?si=pwSztGoOfeKK-2ef
「サマー・ガール」は和製ビーチボーイズの元祖。
イントロはベンチャーズの「Blue Star」を思わせる。
はミディアム・テンポの青春ポップス。
↓「あの時君は若かった」が観れます(スパイダーズ主演映画より)
https://youtu.be/jT9zaw08mDM?si=pwSztGoOfeKK-2ef
「サマー・ガール」は和製ビーチボーイズの元祖。
イントロはベンチャーズの「Blue Star」を思わせる。
↓「サマー・ガール」 が観れます(スパイダーズ主演映画より)
https://youtu.be/_KrCbwnueSc?si=NPMmZHAE3KWdqTq6
「エレクトリックおばあちゃん」はジャンとディーンの「パサディナのおば
あちゃん(The Little Old Lady (From Pasadena)」のパクリか?
↓スパイダースの「エレクトリックおばあちゃん」が聴けます。
https://youtu.be/iYgYI3RccPo?si=ZE5bgVnKnEFF5xHc
↓ジャンとディーンの「パサディナのおばあちゃん(1964)」が聴けます。
https://youtu.be/Yj0CXFi4BUw?si=HyYxSZDPApxJeZeZ
<和製ロックと歌謡曲路線の間で>
浜口庫之助作詞・作曲の「夕陽が泣いている」が大ヒットした時、近田
春夫は「世も末だ」と思ったそうだ(笑
以降「風は泣いている」など「泣き」が入る浜口庫之助の歌謡曲は堺正章、
ムッシュが作った洋楽志向の曲は井上順が歌う、またはフロントの2人、
ムッシュ自身が歌う、という図式が出来上がる。
<楽器や機材へのこだわり>
スパイダーズのメンバーたちは裕福だったため、いち早く欲しい楽器や
機材を買うことができた。
特にムッシュのギターへのこだわりは半端じゃない。
ブライアン・ジョーンズ愛用のVOX ‘Teardrop’は銀座のヤマハで色違いを
見つけて購入。当時の価格で25万円だったという。
他のメンバーもいろいろな楽器を使用していた。(10)
↑ブライアン・ジョーンズ愛用のVOX‘Teardrop’
↑ムッシュのVOXギター
ムッシュはファズ・ボックスを取り寄せたら説明書が英語で、誰も使い方
が分からなかったと述懐している。
PA機器やマイクも輸入製品はインピーダンスが違うために使えないこと
も多く、秋葉原で部品を買って自分たちでハンダ付けしてたという。
<スパイダーズの演奏力>
1965年頃はスパイダーズのようなブリティッシュビートを取り入れた洋楽
志向の演奏ができるグループは珍しかった。
そのため来日アーティストの公演に関わる機会が増える。
ピーター&ゴードンのバック、ベンチャーズ、アニマルズ、サファリーズ、
ビーチボーイズの前座(11)を務めた。
ビートルズの日本公演は「客席で見たい」という理由で前座を断った。(12)
ムッシュはファズ・ボックスを取り寄せたら説明書が英語で、誰も使い方
が分からなかったと述懐している。
PA機器やマイクも輸入製品はインピーダンスが違うために使えないこと
も多く、秋葉原で部品を買って自分たちでハンダ付けしてたという。
<スパイダーズの演奏力>
1965年頃はスパイダーズのようなブリティッシュビートを取り入れた洋楽
志向の演奏ができるグループは珍しかった。
そのため来日アーティストの公演に関わる機会が増える。
ピーター&ゴードンのバック、ベンチャーズ、アニマルズ、サファリーズ、
ビーチボーイズの前座(11)を務めた。
ビートルズの日本公演は「客席で見たい」という理由で前座を断った。(12)
欧州に遠征し、TV番組出演、現地のクラブでの演奏を行なっている。
ロンドンではTV番組「Ready Steady Go!」に出演。
一緒に出演したスペンサー・デイヴィス・グループはアテふり(口パク)
でやっていたが、スパイダーズはライヴで演奏した。
ムッシュはロンドンのヒースロー空港でキース・ムーンから話しかけられ、
音楽紙がスパイダーズに好意的な記事を書いている、と教えられたそうだ。
ロンドンではTV番組「Ready Steady Go!」に出演。
一緒に出演したスペンサー・デイヴィス・グループはアテふり(口パク)
でやっていたが、スパイダーズはライヴで演奏した。
ムッシュはロンドンのヒースロー空港でキース・ムーンから話しかけられ、
音楽紙がスパイダーズに好意的な記事を書いている、と教えられたそうだ。
↑音楽紙に掲載された記事。 SAD SUNSETは「夕陽が泣いてる」?
当初ギターテクニックは井上堯之よりムッシュの方が上(13)だった。
加藤充からも指導を受けながら、井上堯之は腕を上げて行ったそうだ。
井上とムッシュはカップスの演奏力、テンプターズの松崎由治の作曲力に
は注目していたらしい。
<ファッション性とコミカルな演出>
モッズスーツやミリタリー・ルックなどの衣装、ダンス、ステップなど
ファッション・センスの良さ(14)もスパイダーズの売りだった。
沢田研二は「スパイダーズがカッコよくて、ファッションとか真似してた。
東京ではキャンティ(15)みたいな店に行かないとダメだと教えられたり。
タイガースの4人は同級生で僕だけ違うから、別行動でスパイダーズと
一緒にいる方が多かった」と言っている。
スパイダーズは堺正章と井上順の軽妙な掛け合いを中心に、コミカルな
演出も得意とし人気を博す。
スパイダーズは堺正章と井上順の軽妙な掛け合いを中心に、コミカルな
演出も得意とし人気を博す。
PYGは沢田研二、萩原健一のツインボーカルが話題にはなるが、ロック・
ファンからは「GSの寄せ集め」と揶揄される。
萩原健一が俳優業で忙しく音楽活動が難しくなり、PYGは自然消滅。
残ったメンバーが井上堯之バンドとして沢田研二のバック・バンドとなる。
ドラマのテーマ曲をヒットさせ、音楽業界での存在感が大きくなる。
大野克夫は作曲家としての才能を開花させ、沢田研二のヒット曲を生む。