2023年12月24日日曜日

知ってるようで知らない?スパイダーズのあれこれ。

スパイダーズのメンバー、全員わかりますか?
田辺昭知、かまやつひろし、井上堯之、大野克夫、堺正章、井上順・・・
あと一人!印象が薄いですよね。ベースを担当していた加藤充です。





<グループ名>

ザ・スパイダーズだと思ってたがザ・スパイダース。スに濁点がない。(1)
でも英語Spidersの発音はスパイダーズ。その方が言いやすい。
メンバーたち自身もスパイダーズと言っている。




<スパイダーズ結成の経緯>

ジャッキー吉川とブルー・コメッツと共に日本のグループサウンズ(GS)
の老舗と見られることが多い。活動歴は長い。GSブームの5年前からだ。

ホリプロ(2)所属のドラマー、田辺昭知は新しいバンドを計画してた。
才能と人柄を見込み、1962年にホリプロ所属のかまやつに参加を求める。


田辺は子役あがりの堺正章(3)、神戸から上京した井上堯之、京都のカントリー
界で名を馳せていた大野克夫、大野の紹介でベーシストの加藤充(4)、六本木野
獣会(六本木で遊ぶ良家の若者たちのグループ)(5)のメンバーだった井上順を
加入させ、1964年2月には7人体勢が整う。

ビートルズがアメリカを初制覇した頃。GSブームが起きる3年前である。




※ホリプロに所属していた加瀬邦彦が事務所の指示でスパイダーズに参加してい
た時期もあるが、3ヶ月足らずで脱退し寺内タケシとブルージンズに加入。
その後、加瀬はワイルドワンズを結成し、渡辺プロに移籍する。(6)




<かまやつひろしの音楽性1:カントリー>

ムッシュかまやつがスパイダーズの音楽の方向性を決めていた。

ムッシュの音楽ルーツはカントリーだ。
最初に買ったレコードはハンク・ウィリアムズだったという。

ワゴンマスター、サンダーバード、キャノンボールでバンド活動を行い、
米軍キャンプで演奏し、日劇ウェスタンカーニバルにも出演した。
田辺昭知や堀威夫とはこの頃からの付き合いらしい。(7)




ロカビリー歌手として日劇ウェスタンカーニバルに出演していたミッキー・
カーチスとは音楽、車、ファッションを通じて旧知の仲である。

エルヴィスの登場は「すごいのが出てきた」と感心したが、ムッシュ自身
はロカビリーは苦手で好きになれず、カントリーが自分の本質に一番合っ
てると思ったそうだ。


なんとなくなんとなく」はムッシュによるカントリー調の牧歌的な曲。
大野克夫のスティール・ギターがいい味を出している。




↓スパイダーズの「なんとなく なんとなく」が聴けます。
https://youtu.be/t-GY1ERBLzQ?si=XqvQtIA2pQR0GDrU




スパイダーズ解散前の1970年、ムッシュかまやつ名義で発表した「どう
にかなるさ」は日本のカントリーの名曲だ。

ハンク・ウィリアムズの「淋しき口笛(I Heard That Lonesome Whistle
にインスパイアされたと言われる。
コード進行もほぼ同じで、カントリー調のこぶしの効いた歌い方も似てる。

故郷を離れて共同体に縛られず、転々と流浪する開拓時代の男の心情を
歌った典型的なカントリー・ワルツである。
若者の文化や価値観(8)が変わり始めた1970年の日本の空気に馴染んだ。




↓かまやつひろしの「どうにかなるさ 」が聴けます。
https://youtu.be/ULNtdtM7m7M?si=nqlJQ2jFq83fQFsL


↓元ネタ?ハンク・ウィリアムズの「淋しき口笛」が聴けます。
https://youtu.be/Iykp8jtxCEo?si=9bH8Lc3u8IqN9rlb




<かまやつひろしの音楽性2:ビートルズ、ビーチボーイズ>





ムッシュはUS盤「Meet The Beatles」を手に入れ、他のメンバーと何度
も聴きながら「こういうのをやりたいんだよね」と力説した。

特に「It Won't Be Long」にはヤラレたそうだ。
「クリアーじゃなくモコモコした音が好きだった」と言っている。

ムッシュの曲はビートルズを始めとするマージービート、キンクスのような
モッズ、ビーチボーイズなどアメリカン・ロックやポップスのいいとこ取り
が絶妙で、うまく和製ロックに昇華されている。






音楽評論家、松村雄策はかまやつを日本初のロック・ミュージシャン
評している。

近田春夫はスパイダーズを「和製ロックの萌芽を有したスター集団」と言う。
「フリフリは日本初のロックンロールだった」と明言した。(9)
「まずエレキありきでしょ、フォークギターってカッコ悪い」とのこと。

デビューシングル「フリフリ」はブリティッシュ・ロックのサウンドを
頭拍の日本的リズムと手拍子三拍子に乗せる、画期的な試みだった。
今聴き直すと「こんなんだっけ?」と拍子抜けするけど。



↑ジャケットには作曲者ムッシュが写っていない。撮影に遅刻したためだ。



バン・バン・バン」「ヘイ・ボーイ」もノリのいいロックンロール。



↑中尾ミエとスパイダーズ
1966年「ビクター 歌うバラエティ」番組宣伝写真。


↓中尾ミエとスパイダーズが歌う「ヘイ・ボーイ」が観れます。
1966年「ビクター 歌うバラエティ」  出演時の映像。画質は悪いが貴重。
https://youtu.be/HRrJAGwqX4k?si=T-McsGF-P0n8vVa7


↓「バン・バン・バン」が観れます(スパイダーズ主演映画より)
https://youtu.be/0zLBTzc0yIs?si=3sZV8_WAAsK2busJ



ノーノー・ボーイ」「あの時君は若かった」「いつまでもどこまでも
はミディアム・テンポの青春ポップス。




↓「あの時君は若かった」が観れます(スパイダーズ主演映画より)
https://youtu.be/jT9zaw08mDM?si=pwSztGoOfeKK-2ef




サマー・ガール」は和製ビーチボーイズの元祖。
イントロはベンチャーズの「Blue Star」を思わせる。




↓「サマー・ガール」 が観れます(スパイダーズ主演映画より)
https://youtu.be/_KrCbwnueSc?si=NPMmZHAE3KWdqTq6




エレクトリックおばあちゃん」はジャンとディーンの「パサディナのおば
あちゃん(The Little Old Lady (From Pasadena)」のパクリか?




↓スパイダースの「エレクトリックおばあちゃん」が聴けます。
https://youtu.be/iYgYI3RccPo?si=ZE5bgVnKnEFF5xHc

↓ジャンとディーンの「パサディナのおばあちゃん(1964)」が聴けます。
https://youtu.be/Yj0CXFi4BUw?si=HyYxSZDPApxJeZeZ





<和製ロックと歌謡曲路線の間で>

浜口庫之助作詞・作曲の「夕陽が泣いている」が大ヒットした時、近田
春夫は「世も末だ」と思ったそうだ(笑




以降「風は泣いている」など「泣き」が入る浜口庫之助の歌謡曲は堺正章、
ムッシュが作った洋楽志向の曲は井上順が歌う、またはフロントの2人、
ムッシュ自身が歌う、という図式が出来上がる。




<楽器や機材へのこだわり>

スパイダーズのメンバーたちは裕福だったため、いち早く欲しい楽器や
機材を買うことができた。

特にムッシュのギターへのこだわりは半端じゃない。
ブライアン・ジョーンズ愛用のVOX ‘Teardrop’は銀座のヤマハで色違いを
見つけて購入。当時の価格で25万円だったという。
他のメンバーもいろいろな楽器を使用していた。(10)



↑ブライアン・ジョーンズ愛用のVOX‘Teardrop’



        ↑ムッシュのVOXギター


ムッシュはファズ・ボックスを取り寄せたら説明書が英語で、誰も使い方
が分からなかったと述懐している。
PA機器やマイクも輸入製品はインピーダンスが違うために使えないこと
も多く、秋葉原で部品を買って自分たちでハンダ付けしてたという。




<スパイダーズの演奏力>

1965年頃はスパイダーズのようなブリティッシュビートを取り入れた洋楽
志向の演奏ができるグループは珍しかった。

そのため来日アーティストの公演に関わる機会が増える。
ピーター&ゴードンのバック、ベンチャーズ、アニマルズ、サファリーズ、
ビーチボーイズの前座(11)を務めた。
ビートルズの日本公演は「客席で見たい」という理由で前座を断った。(12)






欧州に遠征し、TV番組出演、現地のクラブでの演奏を行なっている。
ロンドンではTV番組「Ready Steady Go!」に出演
一緒に出演したスペンサー・デイヴィス・グループはアテふり(口パク)
でやっていたが、スパイダーズはライヴで演奏した。

ムッシュはロンドンのヒースロー空港でキース・ムーンから話しかけられ、
音楽紙がスパイダーズに好意的な記事を書いている、と教えられたそうだ。



音楽紙に掲載された記事。 SAD SUNSETは「夕陽が泣いてる」?


当初ギターテクニックは井上堯之よりムッシュの方が上(13)だった。
加藤充からも指導を受けながら、井上堯之は腕を上げて行ったそうだ。
井上とムッシュはカップスの演奏力、テンプターズの松崎由治の作曲力に
は注目していたらしい。




<ファッション性とコミカルな演出>

モッズスーツやミリタリー・ルックなどの衣装、ダンス、ステップなど
ファッション・センスの良さ(14)もスパイダーズの売りだった。

 




沢田研二は「スパイダーズがカッコよくて、ファッションとか真似してた。
東京ではキャンティ(15)みたいな店に行かないとダメだと教えられたり。
タイガースの4人は同級生で僕だけ違うから、別行動でスパイダーズ
一緒にいる方が多かった」と言っている。


スパイダーズは堺正章と井上順の軽妙な掛け合いを中心に、コミカルな
演出も得意とし人気を博す。






1964〜1968年に13本の映画に出演している。
ほとんどスラップスティック・コメディ的な青春ドラマ+歌であった。






<解散後>

ほぼ同時期に解散したスパイダーズ、テンプターズ、タイガースの元メ
ンバー数人で新しいグループ、PYGが結成される。
ムッシュは「絶対に俺にも話が来る」と思ってたそうだ。

PYGは沢田研二、萩原健一のツインボーカルが話題にはなるが、ロック・
ファンからは「GSの寄せ集め」と揶揄される。




萩原健一が俳優業で忙しく音楽活動が難しくなり、PYGは自然消滅。
残ったメンバーが井上堯之バンドとして沢田研二のバック・バンドとなる。
ドラマのテーマ曲をヒットさせ、音楽業界での存在感が大きくなる。
大野克夫は作曲家としての才能を開花させ、沢田研二のヒット曲を生む。





堺正章と井上順は映画・ドラマ・バラエティ・司会とマルチで活躍。





かまやつひろしはマイペースでソロ活動を続ける。
GAROオレンジ(山本達彦が在籍)、アルフィーはムッシュのバック
バンドを経て成功している。



かまやつひろし&オレンジ(1974年郡山ワンステップ・フェスティバル)


ユーミンのデビュー・シングルを手がけ、吉田拓郎との共演でヒット。
ミッキー・カーチス、内田裕也とともに日本の音楽シーンのに関わり、
少なからぬ影響を与え続けた。



↑キャンティで。2代目オーナーの川添象郎氏、ムッシュ、ミッキー・カーチス。



スパイダーズはGSの先輩格として語られることが多い。
はっぴいえんどのように和製ロックの開拓者として再評価されてもいい
のではないか。


                            (写真:GettyImages)


<脚注>

2023年12月12日火曜日

ベック・ボガート&アピス1973日本公演/1974未発表ライブ発売。



ロック史上、クリーム以来の最強トリオとも言われるベック・ボガート&アピス。
1973年にアルバムを発表し、同年の来日時の名演がライヴ・アルバムとし発売され、
翌年には解散、という短命のバンドだったが、強烈なインパクトを残した。


そのライヴ・イン・ジャパン1973発売50周年記念として、同ライヴ・アルバムに
未発表の1974年1月ロンドンのレインボー・シアター公演のライヴ音源を加えた
4枚組CDボックス・セットが発売された。





1950〜1970年代の作品のリシューで定評のあるライノ・レーベルからの発売だ。
ライノ(Rhino)は現在ワーナー・ミュージック傘下のレーベルとなっているが、
あいかわらずいい仕事をしている。(1)

ボックスにはライヴ・イン・ジャパンのCD2枚、未発表のライヴ・イン・ロンドン
のCD2枚、ライナーノーツや写真を掲載したハードカバー・ブック、1973年来日
公演ツアー・パンフの復刻、ポスターが同梱されている。




<収録曲>

LIVE IN JAPAN 1973
CD 1:
1. Superstition
2. Lose Myself With You
3. Jeff’s Boogie
4. Going Down
5. Boogie
6. Morning Dew
CD 2:
1. Sweet Sweet Surrender
2. Livin’ Alone
3. I’m So Proud
4. Lady
5. Black Cat Moan
6. Why Should I Care
7. Plynth / Shotgun (Medley)

LIVE IN LONDON 1974
CD 3:
1. Satisfied
2. Livin’ Alone
3. Laughing Lady *
4. Lady *
5. Solid Lifter
6. Jizz Wizz
CD 4:
1. Name The Missing Word (Prayin’)
2. (Get Ready) Your Lovemaker’s Coming Home
3. Superstition *
4. Blues De Luxe / You Shook Me *
5. (Rainbow) Boogie *

(CD3-4の*印は海賊盤で発売された音源。それ以外は初登場の音源)


↓LPのボックスセットも発売されている。





<1973日本公演の録音、ライヴ盤発売へ>

生演奏で本来の手腕を発揮する3人は、スタジオ録音のアルバムよりはるかに
強力でキレのある自由奔放な演奏を繰り広げている。
そのパワフルな演奏は現在でも語り草になっている。





来日公演は、5月14日 日本武道館、5月16日 名古屋市公会堂、5月18日&19日 
大阪厚生年金会館で行われた。

当初は初日の武道館をライヴ録音する予定だったが、機材トラブルのため断念。
大阪厚生年金会館がライヴ録音され、2日間の音源からいいとこ取りされている。
8トラック・レコーダーが使用されたという。

このライヴ盤は日本のみで限定発売。
ベックの意向で廃盤となり、1989年にCD化されるまで入手困難だった。





カーマイン・アピスは8トラックでの録音であること(当時は既に16トラック
がスタンダードだった)、曲の順番が変えられていること(2枚組LPの4面に
長尺な曲を収録するため大幅な編集を余儀なくされた)が残念と言っている。
ベックも同じ意向だったのだろう。

ロック・アーティストの来日が続いたこの時期(2)において、BB&Aの来日公演
は名演の誉が高い
1972年のディープパープルの大阪厚生年金会館と並び「ライヴ・イン・ジャパン」
伝説を世界に知らしめることになった。






<BB&A LIVE IN JAPAN 1973 CD化〜DSDリマスターCD発売>

1989年のCD化では、LPの曲順を踏襲した2枚組で発売された。
CD創世記のため、音も貧弱でBB&Aのパワフルなサウンドを再現できていない。

2006年にリマスター盤が発売された。
ソニー最新のDSDリマスタリング(3)が施され、飛躍的に音質が向上。
レコードコレクターズのレビューの言葉を借りると「野太いのに隅々まで見渡
せる音」である。(巧い表現だ)




2013年に発売された40周年記念盤もDSDリマスタリングである。
曲順が実際のセットリスト順(演奏曲順通り)に改められた。(4)
1枚のディスクでコンサートを通しで聴け、もう1枚でアンコールが聴ける。
終盤へ向かうほど3人の演奏のテンション、観客の盛り上がりが感じられる。

左右に定位していたギターとベースが中央寄りにリミックスされ、アンサンブル
感が増した。個々の演奏も埋もれずクリアに聴こえる。






<BB&A LIVE IN JAPAN 1973 50周年記念盤>

50周年記念はオリジナルのマルチトラック音源から新たにミキシングされた。
ワーナー傘下のライノではソニーのDSDサンプリング方式のリマスター音源を
使えない(DSDに否定的で使いたくない?)という事情もあるのかもしれない。

DSDリマスリング盤が手元にないので比較できないが、高音質で迫力がある。
全体の音圧を上げる一昔前のリマスターと違い、音の強弱のメリハリ、各楽器の
音像や粒立ちがしっかりしている
圧倒的な音圧のリズム・セクションの中でもベックのギターが埋もれていない。



                             (写真:gettyimages)


↓1973日本公演のSuperstition(2023リマスター)が聴けます。



今回の50周年記念盤は1973年発売時のミックスを踏襲している。
右にベックのギター、左にボガードのベース。
アピスのドラムが中央でタムやシンバルが左右に広がる。

あくまでも1973年のリイシュー(復刻盤)だから、当時LPレコードを聴いた
ファンが違和感を持たないように、という配慮だろうか。

左右に分けることで、ベック対ボガードの丁々発止のせめぎ合い、2人がそれ
ぞれ何をやってるかがよく分かる
3人とも攻めている。すごいトリオだったんだと改めて認識させられた。



                            (写真:gettyimages)


曲順も1973年発売時と同じ「編集された曲順」に戻された
これは賛否両論だろう。

セットリスト通り(実際に演奏された曲順)の方がいいという意見も多い。
しかし、Superstition→Lose Myself With You→Jeff’s Boogieの流れは、脳内
再生できるくらい何度も聴いたので、違和感がなく耳に馴染む。



<使用機材と演奏スタイル>

ベックのレスポールは1954年製ゴールドトップをオックスブラッド(牛の血の
ような濃い赤)リフィニッシュしたモデル。深い茶色にも見える。
1973年、BB&Aのツアー中にメンフィスの楽器店で見つけたという。

ピックアップはP-90からオープン・ハムバッカーに交換、チューナーはシャーラ
ーに交換、ネックはスリムにリシェイプしてある。
入手した時からこの仕様になっていたとのこと。
力強く噛み付くような迫力のある音は、この時期ならではのベックともいえる。





カラーサウンド社のオーヴァードライブ、ジェンのクライベビー(ワウペダル)、
サンのコロシアムのヘッドアンプ+ユニヴォックスの6x 12キャビネットを使用。
フェンダーのプリンストン・リバーブをリバーブ・アンプにしているらしい。
マジックバッグ・トークボックス(トーキングモジュレータ)も使用された。



ロック界一の荒くれベースと言われるティム・ボガードはナチュラルのプレシジ
ョン・ベースのボディーにテレキャスター・ベースのネックを付けた愛器を使用。

ベックと同じサンのコロシアムのヘッドアンプ+ユニヴォックスのキャビネット。
モズライトのファズ・ボックスで歪ませている。
ディストーションはビートルズの「Think For Yourself」から着想を得たそうだ。



                           (写真:gettyimages)


戦車のように重いドラム、大音量で破天荒なプレイが売りのカーマイン・アピス
のドラムセットはラディックの26インチ・ツーバス、ツータム、ツーフロア。
シンバルはパイステ、チャイナシンバルを両側に1枚ずつ、後にチャイナゴング。

キックの音をマイクで拾いベースアンプから出す、スネアにワウペダルを繋ぐ、
などこのライヴでもアピスの自由な発想による音が聴ける。



                         (写真:gettyimages)


ボガード、アピスという強力なリズム隊とベックの縦横無尽でキレのあるギター
ライヴではスタジオ録音盤をはるかに超える圧倒的なパフォーマンスが聴ける。
技量といい、パワーといい、クリーム以来の最強トリオと言われるのも納得。


↓BB&Aについてはこちらの投稿をご参照ください。
https://b-side-medley.blogspot.com/2020/05/2bba.html





<来日当時のBB&A評価>

1973年当時の来日公演記念ポスターはジェフ・ベック・グループとされている。
Beck Bogert Appiceのロゴは目立たない。
ベックの写真を大きく中央に配し、ボガート、アピスは脇役。
ジェフ・ベック+バックバンド的な扱いである。
(活動開始時に5人編成のジェフ・ベック・グループ名義だった時期がある)(5)





バニラファッジの名前はロック・ファンに浸透していたが、ボガート、アピスの
名前はそれほど知られていない、とプロモーターが判断したのだろうか。

BB&A結成の経緯はレコードのライナーノーツも書いてあっただろうし、音楽誌
を読んでるようなロック小僧ならボガート、アピスを知ってただろう。
ジェフ・ベック・グループという告知にかえって混乱したのではないか?



ミュージックライフには同時期に来日したハンブルパイとの比較が載っている。
「BB&Aは演奏は上手いが、ハンブルパイの方がバンドとしてのまとまりがある」
とハンブルパイ支持の読者が多かったことが記されている。





インタビューではジェフ・ベックだけがクローズアップ。
他にスティーヴ・マリオット(ハンブルパイ)、アルヴィン・リー(同時期に
来日したテン・イヤーズ・アフター)のインタビューが載っていた。(6)

(ミュージックライフならビジュアル系のピーター・フランプトンに食いつきそ
うだが、この時期にはフランプトンはハンブルパイを脱退してた)



僕らの周りはBB&A来日で持ちきりでハンブルパイは話題にならなかった。
Wikipediaでも「ハンブルパイは不運にも同時期に来日したBB&Aに話題をさら
われてしまった」とある。
ハンブルパイ>BB&Aはミュージックライフの読者特性ではないかと思う。(7)




↑来日時ホテルの中庭で。ボガードは本場、英国製ロンドンブーツを履いてる。



<BB&A LIVE IN LONDON 1974について>

BB&Aの2枚目のアルバムのセッションは1974年1月に行われたが、ベックと
ボガートの確執もあって完成に至らず。その後バンドは自然消滅となった。


1974年1月26日にBB&Aはヨーロッパツアーの一環としてロンドンのレインボー
シアターでコンサートを行う。
この模様は録音され、9月にアメリカのラジオ局で「Rock Around the World」
として放送された。



                            (写真:gettyimages)


これが結果的にBB&A最後の録音となる。
2nd.アルバム制作中のコンサートだったこともあり、まだ未発表のアルバム収録
予定だった曲が演奏されている貴重な音源である。
「At Last Rainbow」のタイトルで海賊盤が出回った。(8)





公式音源がリリースされるのは今回が初めてだ。
(音源の一部はベックのボックスセット「BECKOLOGY」(1991)に収録)


Satisfied、Laughing Lady、Solid Lifter、Jizz Wizz、Name The Missing 
Word (Prayin’)、(Get Ready)Your Lovemaker's Coming Home
の6曲がその未発表曲である。


↓BB&A 2nd.アルバムに収録予定だった6曲のライヴ演奏が聴けます。

https://youtu.be/iqOYilA-VBQ?si=TczC68gNR9mnZ-9u
https://youtu.be/CwGtd5D8tk8?si=nQ8I064ldMMFOiMn
https://youtu.be/j8A7yo7jkyo?si=52LgTxLBqNvfeTpc
https://youtu.be/RIHx1rteDgQ?si=DLGzz1a8tzeuSEyG
https://youtu.be/aP7yJUs_m1c?si=175YiDW5X-DRRtR2
https://youtu.be/rkokoTr1dYI?si=W2VfOcXJ2bf7ArRe





                          (写真:gettyimages)


Laughin' Ladyは美しいスローバラード。ベックのソロも冴えてる。
Solid Lifter、Jizz Wizzはインストゥルメンタル
後のベックのフュージョン路線への布石かもしれない。

Blues De Luxe / You Shook Meではベックのブルースが堪能できる
ツェッペリンもカヴァーしたYou Shook meをトーキングモジュレーターで
演奏しているのが面白い。


Superstitionは大阪厚生年金会館の方がベックのトリッキーなギター、3人
の息の合ったブレイクなど、出来がいい。
レインボーシアターの時はボガートが風邪をひき声が出なかったらしく、
後にボーカルを録音し直したという。この曲は特に不自然に聴こえる。

Livin’ Alone、Ladyは大阪厚年とレインボーシアター、甲乙つけ難い。
Boogieはレインボーシアターの方が3人の演奏も客席のノリもよく、演奏
時間も大阪厚年の2倍。
ベックもディープパープルのLazyのフレーズを入れるなど遊んでいる。




                 (写真:gettyimages)


LIVE IN LONDON 1974はベックのギターとボガートのベースをセンター
に寄せて、塊で聴かせるミックスとなっている。
アピスのドラムはキックとスネアが中央、タムやシンバルが左右に広がる
客席の声も左右に分かれ臨場感がある。

これを聴くと、まだまだやれそうだったのに・・・と非常に残念である。
そして、このバンドこそ再結成して欲しかった。


<脚注>

2023年11月16日木曜日

ビートルズ最後の新曲「Now And Then」を深掘り。<後篇>

 <「Now And Then」の仕上がりは?デミックス効果、追加された演奏>

スピーカーで、次にステレオ・イヤホンで聴いてみた。

ああ、ジョンだな〜と思う。
声はクリアーで。本当にアビイロード・スタジオで録音したみたいだ。


デモテープに一緒に録音されていたジョンのピアノ(随所でつまずき、リズムも
一定ではない)、生活音、ビーという電気製品か何かのハムノイズは見事に消え、
ジョンの声だけが抽出されている。しかも音質もいい。

音声や映像はオリジナルよりクオリティを上げることができない、というのが
従来の常識だが、AIの登場で不可能が可能になった。魔法のようだ。




ジョンの声を主役に据えるミックスに仕上がっている。

Aメロ(ヴァース)2番まではポールが新たに録音したピアノ+ジョンのボーカル
がメインで大きく響く。
ベース音+アルペジオ+歌メロと同じライン、とポールお得意の演奏スタイル。

ピアノには2本以上のマイクを立てて録音したらしい。
鍵盤の左右への広がりが感じられる。





アコギは後で鳴ってる。
1994年にポールとジョージが弾いたトラックだろうか。

ミュージックビデオでは完全にシンクロしてないが、Am、G6、Eとこの曲で使う
コードを弾いてるように見える。
(「Free As A Bird」「Real Love」でもAm、Eの箇所があるのでその時の映像
の可能性もある)

なぜか2人とも1フレットにカポをしてる理由が不明。





Aメロ2番からリンゴのドラムとポールのベースが入る。
ドラムはリムショットがタイトで、キックの音は抑えめ





ポールのベースも音量は控えめだが、随所で凝った演奏をしている。
ミュージック・ビデオではヘフナーのベースが映る。
(1994年のセッションではワーウィックの5弦ベースを使っていたが)
ベースの音量が低く判別しにくいが、エンディングでヘフナーらしい音を確認。





ドンカマ(テンポを共有するためのるクリック音)をモニターしながら演奏し、
ジョンの声はデュレーションやタイムを調整し、そこに乗せたのだろう。
(MacやiPadにバンドルされてるGarageBandでも簡単にできる編集作業だ)


Aメロ2番の最後から入るストリングスは左右から聴こえ、センターに寄せた
演奏、ボーカル、コーラスとは対照的に拡がりを感じさせる





ポールはジョンに寄り添うように同じラインを歌い、ハモり、また一部ジョン
歌詞を完成させていない箇所(後述)は代わりに歌っている
よく聴かないと気が付かないだろう。あえてファジーにしたと思われる。

ボーカルもコーラスもアコギもセンターに集め、少しボカしたような音作り
なっていて、近年のリミックスと傾向が違う。(1)



その理由の1つは、前述のようにジョンがいい加減に歌ってるパートを補うため。
もう1つは「声の年齢差」を感じさせないための工夫(ごまかし)だと思う。

1978年に録音した38歳のジョンの声、1994年に52歳だったポール、51歳のジョ
ージの声が混在し、2022年に80歳になったポールが歌ってるわけである。
現役で頑張ってるとはいえ、80歳のポールの声はやはり年齢を感じさせる。




ジャフ・リンによると、1994年にこの曲に取り組んだ時は、少しやってみて半日
でやめてしまったそうだ。
作品として仕上げることは困難と考えたジョージが作業の継続を拒否。
その際、録音したのはポールとジョージのアコギ、リンゴのドラムくらいだった
のではないか。コーラスにまで作業は至らなかったと思う。





「Now And Then」を聴いても、いかにもジョージという声は確認できない
もしかしたらAh.....と歌うバックコーラスは、ジョージの声をAIに学習させ、ボ
ーカロイドのように歌わせて、ポールの声と重ねている?と邪推してしまう。
ジョン以外の歌声をボカしておけば不自然には聴こえない
リンゴも歌ったそうだが。。。





ギター・ソロも実はポールがジョージっぽくスライド奏法で弾いている
ジョージへのオマージュだが、本当に器用な人だなーと感心する。

とにかくポールは4人が揃うことにこだわったんだと思う。


コーラス部の後、3回目のAメロのI know it's trueで左から聴こえるエレキのコー
ド・カッティング(1'41"〜)はジョージの演奏の可能性がある。
(「Free As A Bird」で同じ演奏が聴かれるが、ハイポジでF#m7を弾いている。
1音下げてEm7にしてテンポを合わせれば「Now And Then」転用も可能だ)







<カットされたサビと追加されたギター・ソロ、未完成だった歌詞の補填>

ジョンのデモは、Aメロ→Aメロ→Bメロ(サビ)→コーラス→Aメロ→Bメロ
(サビ)という曲構成だった。

このBメロ(サビ)、I don't wanna lose youの部分がかなり強引な転調
その後も強引なコード進行で引っ張る。

転調と変拍子はジョンの十八番だ。本人は意図してやってるわけではない。
そこが天才たる所以でもある。
歌もコード進行に乗せて成り行き任せで取り留めない感はある。


1994年にポール、ジョージ、リンゴ、ジェフ・リンで、このBメロ(サビ)
はカットした方がいいのではないか、という話になったらしい。




このBメロ(サビ)からコーラス部のNow and then〜に入るのと、Aメロから
入るのではだいぶ印象が違う。

Now and then〜のリフレインがこの曲の肝、一番おいしい部分だが、ジョンは
なぜか1回目のBメロ(サビ)の後に1回しか歌っていない。



2023年版ビートルズの「Now And Then」はBメロ(サビ)をカット
Aメロ→Aメロ→コーラス→Aメロ→コーラス→間奏→Aメロと構成を変えた。
すっきりした分、Aメロと曲のコアでもあるコーラス部が印象に残りやすい。

強引な転調のBメロこそジョンらしさ、と惜しむ声も挙がっているが。
僕はBメロ(サビ)をカットしたのは英断だったと思う。


ポールもBメロ(サビ)を捨てるのは忍びなかったようで、なんとか活かしたい
ギター・ソロのパートにそのコード進行を転用している。

コーラス部の最後のコードDからDmへと転調したように見える(ビートルズが
よく使う手だ)が、キーはCで5度のGからAメロ(ヴァース)の頭、Amにきれ
いに繋がる。
ポールのこの曲への思い入れと忍耐強さ、そしてアレンジ力を感じる一面だ。






さらに部分的にコードも変更されている。
Aメロ(ヴァース)でジョンのデモはAm→Emと弾いているが、ビートルズ版は
Am→G6に変えられた。
G6はEm7 on Gと構成音が同じである。
Am→EmからAm→G6にすることで、陰鬱さが払拭され淡い広がりのある音
なった。

ヴァースの最後、because of you でジョンはAm add9→Am(歌メロを使っ
いる)が、ビートルズ版はAsus4→Am に変更された。
これも陰鬱さの払拭になっている。
同時に前のコードE7の7thの音がAのsus4の音になるため流れがスムーズ。
最後のAmにも帰結しやすい。

エンディングではAm→G6→ Eを繰り返し、スライドギターを乗せ、最後の
Am→G6→Fmaj7→ Eは2拍3連の繰り返しで Amで終わらせた。
この変拍子はジョージが好んで使ったパターンでアクセントになる。
これもジョージへのオマージュのように思える。






ジョンのデモは歌詞が完成していない部分があり、いい加減に歌われている。
そこはポールが加筆し、ポールの歌に差し替えられている
注意して聴かないと分からないが。

全編でジョンに寄り添うようにユニゾンあるいは3度でハモっていたのは、
部分的にポールのボーカルに変わっても違和感を抱かせない伏線だった。
センターに音を集めてボカしていたのもそのためだろう。


ジョンの声が消え、ポールだけに変わっているのは以下の箇所だ。

Aメロ(ヴァース)2回目。最後の「will love you」。
コーラス部の最後。
I want「you to be there for me Always to」return to meの「」の部分。


では、比較してみてください。
↓ジョンのデモテープ〜2023年ビートルズ版「Now And Then」
https://youtu.be/BnEeMXY81Cs?si=EPXVxSzUDvgFATwR







Now And Then /John Lennon

(イントロ)
Am   Em  Em7   Fmaj7   F6   E

Aメロ (ヴァース1  key in Am)
Am           Em     Am         Em
I know it's true    It's all because of you

Am       Fmaj7                        E         E7        Am add9    Am
And if I make it through    It's all because of you


Aメロ (ヴァース1  key in Am)
Am                 Em     Am            Em
And now and then    If we must start again 

Am               Fmaj7                     E     E7   Am add9  Am  Asus4  
Well, we will know for sure  that I will        love          you

Am  Am on G


Bメロ=サビ (ヴァース2  key in E) ←強引な転調
F#m                                    E
I don't wanna lose you, oh no, no   

F#m                                            E 
Lose you or abuse you    oh no, no, sweet darlin'

                G#m          D    ←強引なコード進行            
But if you have to go away 
          E                 C   ←ここも強引     B      B on A
If you have to go,   Da-da-doo-doo-doo-doo ←歌詞が未完成



コーラス部   ←曲の美味しい所でリフレインされる
G                               Bm            Em
Now and then  I miss you    Oh, now and then 

Am                       D                   Am                 D
I want da-doo doo, doo for me  I know,Return to me ←歌詞が未完成

Aメロ (ヴァース1  key in Am)
Am           Em     Am         Em
I know it's true    It's all because of you

Am           Fmaj7           E                E7        Am add9    Am
And if you go away,    I know you'll never   stay


Bメロ=サビ(ヴァース2  key in E)
F#m                                    E
I don't wanna lose you, oh no, no  
 
F#m                                            E 
Abuse you or confuse you    oh no, no, sweet darlin'

                G#m          D                
But if you have to go,  well I'll stop you there.

                 E              C                              B     B on A
And if you have to go, Da-da-doo-doo-doo-doo ←歌詞が未完成

(アウトロ)コーラス部とAメロ・ピアノのみ
G         Bm       Em      Am      D       Am       D
Am        Em     Am       Em     Am     Fmaj7      E    Am



※赤字はビートルズ版でカットまたは修正された箇所。








Now And Then / The Beatles

(イントロ)
Am    G6    Am    G6

Aメロ (ヴァース key in Am)
Am           G6      Am         G6    ←EmをG6に変え暗さが解消
I know it's true    It's all because of you

Am       Fmaj7                        E        E7          Asus4←変更    Am
And if I make it through    It's all because  of  you


Aメロ (ヴァース key in Am)
Am                G6        Am           G6
And now and then    If we must start again

Am              Fmaj7                      E   E7       Asus4   Am
Well we will know for sure    that I         will  love     you



Bメロ(サビ)を丸ごとカット



コーラス部 (key in G)   
G                                   Bm
Now and then    I miss you

      Em                    Am                   D
Oh now and then    I want  you to be there for me

Am               D
Always to   return to me


Aメロ (ヴァース key in Am)
Am            G6     Am          G6
I know it's true    It's all because of you

Am            Fmaj7          E                E7       Asus4    Am
And if you go away    I know you'll never   stay


コーラス部 (key in G)
G                               Bm
Now and then    I miss you
      Em                      Am                    D
Oh now and then    I want you to be there for me


(ギター・ソロ  key in C)  転調スライド・ギター&コーラス

Dm    C    Dm    C    Em    Am    D     Dm    G
↑カットしたBメロ(サビ)のコード進行を転用している



Aメロ  (ヴァース key in Am)
Am           G6      Am         G6
I know it's true    It's all because of you

Am       Fmaj7                        E       E7          Asus4    
And if I make it through    It's all because of You  ↑スライド・ギター

(アウトロ)エンディング
Am G6  E   Am G6  E   Am / G6 / Fmaj7 / E    Am ←2拍3連の繰り返し


※赤字が変更、新たに加えられた箇所。

(歌詞とコードは耳コピです。間違ってたらごめんなさい)








<歌詞に込められたジョンのメッセージとは>

タイトル(2)であり、印象的なコーラス部で繰り返される「Now And Then」。
元は「今もあの時も」という意味だが、every now and thenという使われ方
が転じて、now and thenで「ときどき、折りにつけ」となる。

Now and then I miss you で「時々あなたが恋しくなる、時々あなたがいない
のが寂しくなる」という意味。
Now and then I want you to be there for meは「時々そばにいて欲しくなる」。




I know it's true    It's all because of you
And if I make it through    It's all because of you

because of youは「あなたのせい」と相手を責めるニュアンスがある。
一方で、And if I make it through(乗り越えられたら)、It's all because 
of you(あなたのおかげ)とも言っている。
二重の意味を持たせるジョンお得意の言葉遊びだ。



さて、この曲は誰に向けて歌われているのか?

「ときどき君がいないのが寂しくなる」とポールに言ってるようにも取れる。
1970年代半ばにはジョンとポールの仲は改善していた。(3)



↑ヨーコと別居中のジョン宅(LAの)を訪れたポール。
リンダ、メイ・パンが写っている。
最近、出版された故マル・エヴァンスの自伝にこの写真が載ってる。


少なくともポールは自分へのメッセージと捉えているようで、同時に自分の
ジョンに対する気持ちを重ねているようだ。



ヨーコへのメッセージ説もあるが、このデモを録音した1978年はヨーコと
よりを戻し、ショーンが生まれ主婦業に専念していたジョンがI miss you と
ヨーコに言わないだろう。
昔書いた曲だった、あるいは昔の思いを曲にした、という可能性はあるが。





亡くなった母親ジュリアへの思いを歌った、という解釈もあり得る。
幼少期に母親と離別してる。思春期に会うようになった母親は事故死する。
ジュリアの死はジョンに心的外傷を残した。

ジョンの音楽の才能、意気盛んで直情的な性格、強烈なユーモアセンスは
母親譲りである。
ジュリアはジョンにバンジョーとウクレレの演奏を手解きした。


ジョンの曲は喪失感、行き場のない寂しさが歌われているものが多い。

I know it's true    It's all because of you
And if I make it through    It's all because of you
Now and then I Miss you Return to me

という歌詞はジュリアを対する喪失感を引きずっている。
そう考えて聴くと、しっくり来る。






「Now And Then」は母親ジュリア、ヨーコ、ポール、亡くなった友人スチ
ュアート・サトクリフ、過去の自分、いろいろな相手に向けて歌われた曲
なのかもしれない。
ジョンがよく言ってるように「曲に特別な意味はない」のかもしれない。

しかしこの曲を聴けば聴くほど、ジョンらしいなあ、と懐かしくも寂しい、
そして少しだけ心の芯が温かくなるような気がする。
これもジョン・レノン・マジック、ビートルズ・マジックだろうか。






<脚注>