2016年3月26日土曜日

ロンドンから北極周りでL.A.へ。

映画「ウッドストック」(1)は中学生だった僕にはかなり衝撃的な体験だった。

なにしろ今と違ってテレビやネットで海外のアーティストの動いてる姿を見る機会
なんてめったにない時代である。
(「ヤング・ミュージックショー」(2)放送開始は「ウッドストック」の翌年)


ジミ・ヘンドリックス、ザ・フー、ジョー・コッカー、CS&N、サンタナ、スライ
&ザ・ファミリーストーン、テンイヤーズアフター。。。。
圧巻のパフォーマンスに僕はぽかんと口を開けたまま見入るばかりであった。

しかしその中で飄々とした風貌でギターをかき鳴らし、鼻にかかった癖のある声で
ややぶっきらぼうな感じで歌うアーロ・ガスリーもなぜか心に残ったのだ。



映画の中盤、アーロ・ガスリーは登場する。
曲は「Coming Into Los Angeles」だ。

ヘリコプターの到着、ギターのソフトケース(当時は珍しい)をかついで会場入り
するアーロ、ジョイント(マリファナ)を回し飲みする人々をカメラは追う。
彼の演奏シーンは最後の少しだけである。
ちょっと消化不良な感は否めない。



実はこの時のアーロの演奏の録音状態に問題があったらしい。(3)
そのため他のコンサートの音源を使ったが、演奏している映像とシンクロしない
ため会場のシークエンスを使ったのだろう。

曲の中でドラッグが出てくるためこういうシーンと組み合わせたのだと思う。
ウッドストック・フェスティバルを、そして時代を象徴するために。(4)




↑クリックするとウッドストックでのこの曲のシーンが視聴できます。




Coming into Los Angeles 

(Arlo Guthrie 対訳:イエロードッグ)


Coming in from London from over the pole Flying in a big airliner
Chicken flying everywhere around the plane(5) 
Could we ever feel much finer  
ロンドンから北極周りでやって来たぜ でっかい飛行機に乗ってさ
おねえちゃんもいっぱい乗ってたし 最高の気分じゃないか

Coming into Los Angeles Bringing in a couple of ki's (6)
Don't touch my bags if you please Mister customs man, yeah
大量のブツを持ってロサンジェルスにやって来たぜ
なあ、税関職員さん、俺のバッグに触らないでくれよ

There's a guy with a ticket to Mexico No, he couldn't look much stranger
Walking in the hall with his things and all (7) 
Smiling, said he was the Lone Ranger (8) 
メキシコ行きチケットを持った もうありえないくらい危なそうな奴
お気に入りの格好でホールを歩きながら 俺はローン・レンジャーさと笑顔

Coming into Los Angeles Bringing in a couple of ki's
Don't touch my bags if you please Mister customs man, yeah
大量のブツを持ってロサンジェルスにやって来たぜ
なあ、税関職員さん、俺のバッグに触らないでくれよ

Hip woman walking on the moving floor Tripping on the escalator (9)
There's a man in the line and she's blowing his mind 
Thinking that he's already made her 
エスカレーターを足取り軽く歩くいい女はヤクでぶっ飛んでるみたい
列にいる男はその女に目をつけてて もうモノにしちゃった気分でいる

Coming into Los Angeles Bringing in a couple of ki's
Don't touch my bags if you please Mister customs man, yeah
大量のブツを持ってロサンジェルスにやって来たぜ
なあ、税関職員さん、俺のバッグに触らないでくれよ



この曲はウッドストック・フェスティバル開催の1969年にリリースされたアーロの
3rd.アルバム「Running Down The Road」に収録されている。
つまりウッドストックで披露された時はほやほやの新曲だったということだ。

スタジオ・ヴァージョンでは終盤にザ・バーズのクラレンス・ホワイトと(ギター)
とジェームズ・バートン(10)のアーロを煽るようなギター・バトルが聴ける。



↑クリックするとスタジオ版「Coming Into Los Angeles」が聴けます。



アルバムのプロデュースはヴァン・ダイク・パークス(11)とレニー・ワロンカー(12)
クラレンス・ホワイト、ジェームズ・バートン以外にもライ・クーダー(マンドリン)
を始め錚々たる顔ぶれがアーロをサポートしている。

乾いた土の香りがするサウンドだ。
父であるウディ・ガスリーの遺作「Oklahoma Hills」もカヴァーしている。



アーロ・ガスリーはプロテスタント・フォークソングの父と言われたウディ・ガス
リー(13)の息子である。
幼少の頃よりピート・シーガーやジャック・エリオットに音楽の指導を受け、若き
日のボブ・ディランからハーモニカを教わったという。(14)

恵まれた環境でフォークソングを覚える一方ブルーグラスやカントリーにも没頭し、
それらを下地とした独自のフォークロックを創り上げた。

2016年3月20日日曜日

モーグ・シンセサイザーとロックの歴史。

モーグ・シンセサイザーは米国のロバート・モーグ博士が開発した電子楽器だ。
以前はムーグ・シンセサイザーと表記されていることが多かった。

一般的な英語の読み方だとMoog はムーグになるからだと思われる。
だが博士はオランダ系アメリカ人で彼の姓はモウグという発音が正しい。



初期のモーグ・シンセサイザーは複数の音源モジュール(音声生成部)がキャビ
ネットに 組み込まれていて、独立した鍵盤をつないで演奏するようになっていた。

。。。。と言ってもなんのことか分からないですね。


キース・エマーソンがハモンドオルガンの上に乗せていたのがシンセサイザーの
鍵盤で、その後にそびえ立っていた配線むき出しの機材が音源モジュール部。
そこに色々な音色が入っていてケーブルをつなぎを変えることで、違った音色を
出すことができる。。。と言えばなんとなく理解できるのでは?



↑写真をクリックすると当時BBCが制作したモーグ・シンセサイザーについて
解説した映像(なかなかおもしろい)が見られます。


モーグ・シンセサイザーは音色を自在に変えられることに加え、一つの鍵盤にア
サインされた音程を自由に連続で変えることができた。
ビュイ〜ンと低い音から高い音に一気に変わる、シンセ独特のあの音である。

モーグ博士は多くのミュージシャンの意見を聞きその意見を反映しながら、カス
タム・オーダーのモジュールとコントローラーを製品化して行った。



ロック界でいち早くモーグ・シンセサイザーを購入し曲に取り入れたのは、意外
にもモンキーズのミッキー・ドレンツである。
1967年に発売された「スターコレクター(原題:Pisces, Aquarius, Capricorn 
& Jones Ltd. )」に収録された「デイリー・ナイトリー」「スターコレクター」
の2曲で実に効果的に使っている。

こういうのは「やり過ぎない」のが肝心だと思う。
モンキーズとプロデューサーのチップ・ダグラスはさじ加減を心得ていた。



↑ジャケット写真をクリックすると「スターコレクター」が聴けます。
みのもんたの「セイ!ヤング」(1)で使われていたので憶えてる人も多いかも。
これは日本盤のジャケット(2)。 当時の雰囲気がよく分かりますね。



モーグ・シンセサイザーを最も世に知らしめたのは1968年にウェンディ・カル
ロス(3)が発表した「スイッチト・オン・バッハ(Switched On Bach)」だ。
カルロスはモジュール開発についてモーグ博士に協力した一人である。

全編モーグ・シンセサイザーを使ったバッハ作品の演奏という斬新なアルバムは、
新しいバッハ演奏の規範として一世を風靡した。
グレン・グールドも絶賛。高橋悠治、冨田勲、ジョン・ケイジに影響を与えた。
映画「時計じかけのオレンジ」(4)でも主人公の愛聴盤として出て来る。


このアルバムはシンセサイザーによるアルバムで初のミリオンセラーを樹立。
以後大小レコード会社各社から「スイッチト・オン…」系作品の乱立を生んだ。
カルロス自身も「スウィッチト・オン・ベートーベン」など続編を制作している。

僕は中学一年の時、友だちの家で聴かせてもらった。
みんなで「へ〜、ふーん」と感心したものだ。



↑ジャケット写真をクリックするとカルロスのスタイルを再現したもの?が試聴
できます。(カルロス自身の音源は見つからなかった)




ジョージ・ハリスンもモーグ・シンセサイザーを購入した一人である。
1969年5月にザップル・レーベル(アップル・レコードのサブ・レーベルで実験
的な作品を扱う)から「電子音楽の世界(原題:Electronic Sound)」を発売。
調律していないシンセサイザーの音をそのまま録音した前衛的な内容であった。




↑ジャケット写真をクリックすると「電子音楽の世界」のプロモ映像が見れます。



ビートルズの作品にモーグ・シンセサイザーが初めて使われたのは、同年4月に
レコーディングされた「オールド・ブラウン・シュー」(5)である。
ブリッジではジョージが弾くフェンダーの6弦ベースとユニゾンでモーグ・シン
セサイザーが鳴っているのが聴ける。


シタールの次にジョージがビートルズに持ち込んだのはシンセサイザーだった。
さらに同年8月「アビー・ロード」セッションでは絶妙な使い方をしている。

Maxwell's Silver Hammer → 間奏、後半ヴァースで流れるメロディー
I Want You (She's So Heavy) → 後半のリフの繰り返しと轟音
Here Comes the Sun → イントロ後のヒュ〜、Sun sun sun…の変拍子
Because → 間奏
Mean Mr. Mustard → ベースとユニゾン

ここでもやはり「やり過ぎない」のが成功の秘訣だとつくづく思わされる。



初期のモーグのモジュラー・システムはローリングストーンズ、ザ・バーズ、
サイモン&ガーファンクル、ジミ・ヘンドリックスも購入しているがどういう
使い方をしているのかよく分からない。

1965年には既に「 ペットサウンズ」 でテルミン(6)を使用していたブライアン・
ウィルソンがモーグ・シンセサイザーをビーチボーイズに導入しなかったのが
今思えば不思議である。
彼がシンセを多用したのは1977年リリースの「Love You」だったが、これは
やりすぎで耳障りだった。



「スイッチト・オン・バッハ」を聴きモーグ・シンセサイザーに興味を持った
キース・エマーソンは、音色のプリセット機能を備えたモジュラー・システム
を購入し、新たに結成したELPのレコーディングとステージに導入した。

本来ライブ演奏向けではなかったシンセサイザーという機材をステージに導入す
ことで「演奏者と機械の格闘」という今までにない視覚的要素をステージ・
エンターテインメントに初めて取り入れた。
ケーブルが複雑に入り組んだパネルのつまみを激しく動かし、全身で演奏するエマ
ーソンの姿は当時は衝撃的でさえあった。



↑写真をクリックしてください。
(3:30くらいからエマーソンがシンセと格闘している姿が見られます)



1970年にはポータブルな44鍵の鍵盤一体型ミニモーグが開発された。
初期のモジュラー・システムが各モジュールをパッチ・ケーブルで接続することで
自由度の高い音色合成を行うのに対し、ミニモーグはワンパッケージになっている。

音色合成の自由度は限定されるが、本体のみで音色や機能をコントロールしやすい。
(外部拡張性のための入出力端子も装備されていた)
使い勝手がよくエマーソンの他、リック・ウェイクマン、ヤン・ハマーなど多くの
キーボード・プレーヤーに愛用された。





1975年にはシンセ音色をフルポリフォニックで鍵盤演奏可能(つまり単音だけでは
なく複数音同時に出せるということ)ポリモーグが発売され、クラフトワーク、ゲ
イリー・ニューマン、イエロー・マジック・オーケストラに使用された。



同じ年にヤマハからGX-1(7)が発売されている。
キース・エマーソンは「Works」以降この白い筐体のGX-1を愛用するようになる。
ジョン・ポール・ジョーンズ、スティーヴィー・ワンダーにも使用された名機だ。



↑写真をクリックするとヤマハGX-1を弾くエマーソンの姿が見られます。



ヤマハの音はきらびやかで硬質である。
他のヤマハの楽器と同じく「優等生のいい音だけど面白みに欠ける」と思った。
この辺は好みの問題だろう。

ガンダムより鉄人28号の方が温かみがあっていいと言ってるようなものだ。
「宇宙家族ロビンソン」(8)のロボット、フライデーや「スターウォーズ」のR2-D2
も機械のくせに妙に人間味があって、レトロ・フューチャリスティックなデザイン
も魅力的だった。

モーグ・シンセサイザーにはそんな魅力があったと思う。



GX-1と同時期、コルグ、ローランド、オーバーハイムなど高機能な競合製品の登場
でモーグ・シンセサイザーの優位性は揺らいでいった。

そして1983年にはヤマハが初のデジタルシンセサイザーDX7(9)を発売したのを皮切
りにコルグ、カシオ、ローランドなど低価格なデジタル製品が登場すると、モーグ
は市場の表舞台から姿を消した。(10)



1990年代にはテクノやハウス系でアナログシンセ再評価の気運が高まる。
モーグ・シンセサイザーはビンテージ・シンセと呼ばれ今でも人気がある。

近年はモーグ・シンセサイザーをはじめ歴代アナログシンセの名機の音がPC上の
ソフトで再現できる(モーグ社は公認していないが)ようになっている。

2016年3月14日月曜日

鍵盤にナイフを突き立てる勇姿を忘れない。

やれやれ。今度はキース・エマーソンの訃報だ。享年71歳。
サンタモニカの自宅において拳銃で頭を撃っての自殺だったという。

難治性の神経系疾患フォーカル・ジストニア(1)のため指が動かず、演奏が困難
になったことを憂い鬱状態だったそうだ。
この病気は手指を酷使する演奏家にとっては職業病とも言える。

日本でもこの世代の音楽関係者が病気から来る鬱で自殺している。
なんともやりきれない気持ちだ。





キース・エマーソンは(説明するまでもないが)’70年代に全盛を極めたプログレ
ッシブ・ロックのバンド、エマーソン、レイク&パーマー(ELP)のキーボード
奏者であり、ロックにおけるシンセサイザーの地位を確立した人である。


従来ロックバンドの最小ユニットは3ピース。ギター、ベース、ドラムだった。
しかしELPはギター不在でキーボード、ベース、ドラムの3ピース構成。
ジャズ・バンドのスタイルである。

ELPが登場した1970年はロックは歪んだ大音量のギターによる派手なリフ、パワ
ーコードを駆使した厚みのある音が主役であった。
しかしELPはギターが担っていたコード、リフなどサウンドの上層部全般をキー
ボードでやってしまうことで「ロックはギターが主役」の定石を覆したのだ。




キース・エマーソンはクラシック、オールドジャズを取り入れた卓越したテクニ
ックで、歪ませた鋭い音のハモンドオルガン(2)と当時まだ脇役のシンセを駆使し、
ギターと同等のロックサウンドを実現した。

( ELP=シンセサイザーのイメージが強いかもしれないが、ELPの特徴的なサウ
ンドのほとんどはハモンドオルガンで作られている。
シンセは音色が自由で連続音階が可能だが、単音しか出せないのでソロ用だ)


さらにベースのグレッグ・レイクはメロディアスなラインでキースのキーボー
ドに絡み、時にはベースにファズやワウもかけギター不在を十分補った。
また曲によって彼はアコースティック・ギターに持ち替え見事なプレイをする。

ドラムのカール・パーマーはどっしり安定したリズムをキープしながらも、手数
が多く歯切れがよいフィルを繰り出し迫力あるサウンドを作っている。





今までステージでは地味な存在になりがちだったキーボードをビジュアル的にも
主役の座に引っ張り上げたこともエマーソンの大きな功績だ。

2台のキーボード(上にモーグ・シンセサイザー(3)が置かれ、その背後には配線
むき出しの大きなモジュールなど機材が段積みされていた)を前後に配し、その
間に立ったまま全身で演奏するというスタイルは斬新であった。


音を鳴りっぱなしにさせるためハモンドオルガンの鍵盤にナイフを突き立てる
パフォーマンスも観客を沸かせ、彼のトレードマークになった。
(ステージ毎に鍵盤を交換していたらしい。使用不能になったものも多いとか)


ハモンドオルガンを傾けたり持ち上げ、上に乗って揺さぶったり、放り投げたり
蹴り飛ばして倒しハウリングを起こさせノイズを出すのも毎回であった。
本人は「ピート・タウンゼントがやっていることと変わらない」と言っている。

彼が痛めつけていたのはハモンドL-100である。(4)
ハモンド社は修理に応じていたが、扱い方を知ってからは断り続けたという。





こうしてELPはピンクフロイド、キングクリムゾン、イエスと並んでプログレッ
シブ・ロックの4大バンドになった。
ELPの名前を広く世に知らしめたのは「展覧会の絵」だろう。

19世紀のロシアの作曲家ムソルグスキーのピアノ組曲「展覧会の絵」をモーリス
・ラベルが管弦楽用に編曲したスコアを元に大胆なアレンジを施している。
ELP版「展覧会の絵」は組曲の全てではなく抜粋で、一部は歌詞を加え、また新
たにオリジナル曲を加えている。


重厚なハモンド・オルガンが響く「プロムナード」で始まりスピード感のある曲
からヘビーな曲とインストが続き、グレッグ・レイクがアコースティックギター
一本で美しいオリジナル曲「賢人」を歌う。
再びエマーソンの卓越した演奏とレイクのベース、パーマーのドラムが絡み合う
力強い楽曲が続き、最後はレイクが歌う「キエフの大門」で大作は幕を閉じる。

アンコールはチャイコフスキーの組曲「くるみ割り人形」の「行進曲」をこれま
た歯切れ良いロックにアレンジした「ナットラッカー」。



↑写真をクリックすると「展覧会の絵」が視聴できます。
(デビュー年の1970年­12月ロンドン、ライシアムで行ったコンサート)


ELPの「展覧会の絵」は1971年3月にイギリスのニューキャッスル・シティー・
ホールでライブ録音されたものである。
しかし5月には2枚目のアルバム「タルカス」が発売されることになっていて、
「展覧会の絵」は未定のままだった。

9月のメロディー・メーカー誌の人気投票では、前年のレッド・ツェッペリン
に代わってELPが首位になり「タルカス」もアルバム部門で首位を獲得。
ELP人気が高まる中、憂慮すべき事態も起きた。


「展覧会の絵」を含む2枚組の海賊盤が出回るようになったのだ。
その対処としてELP側は公式盤「展覧会の絵」(1枚)を11月に発売した。

そんな不本意な経緯で発表された作品だったが、売れ行きはすさまじく英国オ
フィシャルチャートで3位、米国ビルボードチャートで10位、日本のオリコン
チャートで2位を記録している。



翌1972年にはワールドツアーが行われ、7月には初来日。
後楽園球場と甲子園球場で野外コンサートが実現した。

後楽園球場では台風のため機材の調子が悪く、甲子園球場では観客がステージ
になだれ込み、途中で中止になるというアクシデントがあった。


後楽園球場のライブは10月にNHKの「ヤング・ミュージック・ショー」で放送
され(5)、エマーソンが鍵盤にナイフを突き立てるシーンも見ることができた。
「いいぞー!エマーソン」の野次まで聴こえた。

グレッグ・レイクがギブソンJ-200を弾きながら歌う「賢人」では、彼の手元
を凝視しながら自分のコピーが完璧であったことを確認し喜んだものだ。


↑写真をクリックすると1972年日本公演の「ホウダウン」が視聴できます。


1973年にリリースされた4枚目の「恐怖の頭脳改革」はELPの最高傑作と評価
も高い。友人に聴かせてもらったけど僕はあまりいいとは思わなかった。
その頃からだんだんELPから離れて行く。

ELP自体その後は活動休止状態が続き1977年に「ELP四部作(Works Vol.1)」
「作品第2番(Works Vol.2)」を発表するが、翌年3人は解散に合意。
(正式に解散が発表されたのは2年後の1980年2月だった)


僕が最後にELPの新譜を聴いたのは1979年10月に発売された「イン・コンサ
ート」(1977年のモントリオールでのライブ)だった。



ELPのアルバムでどれがいいか?と言われるとやはり「展覧会の絵」だと思う。
が、2枚目の「タルカス」も完成度が高く捨てがたい。

A面が想像上の怪物タルカスをモチーフにした組曲、B面はプログレ・ロック、
ホンキートンク・ジャズ、ロックンロール、賛美歌で構成されている。
このアルバムで「ELPっぽい音」が確立したと思う。



個人的には1972年に発売された4枚目の「トリロジー」もお気に入りだ。
「展覧会の絵」の成功の後で期待が高まった作品だったがやや散漫な印象だ。
でもA面はけっこう好きでよく聴くことが多い。(CDだと6曲目まで)


中でも一番好きなのが「フロム・ザ・ビギニング(From the Beginning)」
グレッグ・レイクの作品で、彼の透明感あるアコースティック・ギター演奏と
森の奥から聴こえるようなボーカル、穏やかなエレクトリック・ギター。
カール・パーマーはドラムを離れボンゴを叩いている。静かな作品だ。

主役のキース・エマーソンはお休みか?と思ってしまうが、最後の3分辺りか
ら絶妙なモーグ・シンセサイザーのソロで盛り上げてくれる。

シンセでこんな歌心のあるリフを弾くキーボード奏者って他にいただろうか。


↑写真をクリックすると「From The Beginning」が聴けます。

Rest in peace Keith Emerson.
Deepest respects.

2016年3月9日水曜日

偉大すぎた5人目のビートルの死を悼んで。

ビートルズのプロデューサーで「5人目のビートル」とも呼ばれるジョージ・マー
ティン(1)が8日夜(英国時間)に自宅で亡くなった。90歳だったそうである。

世界中のアーティストたちが彼の死を悼むメッセージを寄せている。
ブログで取り上げる方も多いと思うので、サー・マーティンの偉大なる功績に
ついては詳しい方たちにお任せするとして、ここではあまりスポットが当たる機
会が少ない1960年代の彼自身による録音を紹介したいと思う。敬意を表して。



◆「A Hard Day's Night」 (United Artists) 1964 
アメリカのユナイテッド・アーティスツ編集盤。
英国EMIパーロフォン・オリジナル盤と違い、A面7曲はビートルズの演奏(映画
でも演奏される)で、B面6曲(選曲自体はパーロフォン盤と同じ)はジョージ・
マーティンのスコアによるオーケストラ演奏のインストゥルメンタル。

<ジョージ・マーティン・オーケストラの演奏曲>
Any Time at All  
I'll Cry Instead
Things We Said Today
When I Get Home
You Can't Do That  
I'll Be Back


↑ジャケット写真をクリックすると「And I Love Her」が試聴できます。


もともとユナイテッド・アーティスツはサウンドトラックの権利が欲しいために
映画「"A Hard Day's Night」を制作したのである。
サウンドトラック盤で儲ける気だったユナイテッド・アーティスツは端から映画
に予算をかけるつもりはなく(むしろ興行失敗を恐れていた)、モノクロで制作
された。
そのことが功を奏しかえって斬新なアーティスティックな作品に仕上がり、結果
は大ヒットとなった。

アメリカ盤に収録されなかったB面6曲は商魂たくましいキャピトル・レコードが
独自編集した「Something New」(1964)というアルバムに収められた。



このユナイテッド・アーティスツ編集盤には収録されなかったが、ジョージ・マ
ーティンのスコアによる「This Boy」のインストゥルメンタルが僕は好きだ。
映画の中ではリンゴが一人で街を彷徨うほのぼのとした心温まる(それでいて
ちょっと寂しい)シーンに流れる。
リンゴの飄々としたちょっとトボけた憎めないキャラによく合ってると思う。


↑写真をクリックすると「This Boy」が試聴できます。



◆「Off the Beatle Track」 (Parlophone) 1964  
全曲ジョージ・マーティン・オーケストラによるインストゥルメンタル。
このアルバムはマーティンの功績へのEMIからのご褒美だったそうである。
EMI社員であった彼自身の報酬はたいしたことがなかったため。

前述の「This Boy」もめでたく収録(録音し直してるはず)された。
意外なのは「Don't Bother Me」を取り上げている点。
ジョージの初作品でまだ曲としても詰めが甘い気がするのだが。
「Little Child」もそんなにいい曲か?と個人的には思う。

<収録曲>
She Loves You
Can't Buy Me Love
Don't Bother Me
All I've Got to Do
I Saw Her Standing There
All My Loving
Please Please Me
I Want to Hold Your Hand
From Me to You
Little Child
This Boy
There's a Place

1994年にOne Way RecordsよりCD化されている。


↑ジャケット写真をクリックすると試聴できます。



◆「Help! 」 (Columbia) 1965  
映画「Help!」では監督のリチャード・レスターが劇中使われるBGMのアレンジを
ジョージ・マーティンではなくケン・ソーンに一任した。
このことにジョージ・マーティンは強い不満を抱き、自費で「Help!」のインスト
ゥルメンタル・アルバムをリリース。
自分ならこうやるぞ!という意地だったのか。

<収録曲>
Help!
Another Girl"
You're Going to Lose That Girl
I Need You
You've Got to Hide Your Love Away"
The Night Before"
Ticket to Ride
Bahama Sound  (George Martin)
I've Just Seen a Face
It's Only Love
Tell Me What You See
Yesterday


英国EMIパーロフォン盤「Help! 」はA面が映画で演奏された7曲。
B面7曲もすべてビートルズの演奏であるが、米国キャピトル編集盤 「Help! 」は
純粋なサウンドトラック盤様に仕上げられている。(2)
ビートルズの楽曲は実際に映画で使用された7曲のみで、他は映画で使用されたケン
・ソーン・オーケストラによるインストゥルメンタル。

ジョージ・マーティン版「Help! 」はインストゥルメンタル作品だがサウンドトラ
ックではない。
選曲はパーロフォン盤に準じているがDizzy Miss Lizzy、Act Naturally、You Like
 Me Too Muchの3曲がなく、にマーティンのオリジナル作品Bahama Sound
(南米リゾートっぽいサロンミュージック)が入っている。

このアルバムは未CD化。僕も持っていない。


↑ジャケット写真をクリックすると試聴できます。



◆「Salutes the Beatle Girls」 (United Artists) 1966  
再び全曲ジョージ・マーティン・オーケストラのインストゥルメンタル。
選曲が「Rubber Soul」「Revolver」中心であることもありサロンミュージック
として馴染みがよく聴きやすい。
僕は「Off the Beatle Track」よりもこのアルバムの方が好きだ。

尚「Woman」はポールがバーナード・ウェッブ名義でピーター&ゴードンに
提供した曲である。

<収録曲>
Girl
Eleanor Rigby
She Said, She Said
I'm Only Sleeping
Anna (Go to Him)
Michelle
Got to Get You into My Life
Woman
Yellow Submarine
Here, There and Everywhere
And Your Bird Can Sing
Good Day Sunshine

1994年にOne Way RecordsよりCD化されている。

(残念ながらこのアルバムはYouTubeにもアップされていなかった)




◆「Yellow Submarine」 (Apple) 1969  
アニメ映画「イエロー・サブマリン」のサウンドトラック・アルバム。
A面6曲は映画で使用されたビートルズの演奏で、B面7曲は映画で使用された
ジョージ・マーティンのオリジナル作品(インストゥルメンタル)。

映画はアートの領域と評価が高い。
アニメーションの素晴らしさだけではなく、ビートルズの曲はもちろんである
がジョージ・マーティンのインストゥルメンタルも大きく貢献している。
中でもB面1曲の Pepperland はとても美しく大好きな曲だ。

<ジョージ・マーティン・オーケストラの演奏曲>

Pepperland (Martin)
Sea of Time (Martin)
Sea of Holes (Martin)
Sea of Monsters (Martin)
March of the Meanies (Martin)
Pepperland Laid Waste (Martin)
Yellow Submarine in Pepperland


↑写真をクリックすると「Pepperland」が試聴できます。


サー・ジョージ・マーティンのご冥福を心よりお祈りいたします。
すてきな音楽をいっぱいありがとう。

2016年3月4日金曜日

カリフォルニアのDNAをもつ娘たち。

ウィルソン・フィリップスはカーニー・ウィルソン、ウェンディ・ウィルソンの
姉妹とチャイナ・フィリップスによって1990年に結成されたアメリカの女性コー
ラスグループである。

チャイナは1960年代に活躍したママス&パパスのジョン・フィリップスとミシェル
・フィリップスを両親に、カーニーとウェンディはビーチボーイズのブライアン・
ウィルソンを父に持つ。


つまり3人とも西海岸のソフトロックの2世アーティストなのだ。
透き通るように美しく甘いハーモニーは当然かもしれない。


デビューアルバム「Wilson Phillips」は全世界で800万枚のセールスを記録した。

そのジャケットがこちら↓



左手前のショートカットの子がチャイナ、右がウェンディ。
後ろに立ってる太めの子がカーニー。
ママス&パパスの太った女性を思い出す人もいるかもしれないが、あれはキャス
・エリオット。太めの体質はブライアンゆずりではないだろうか。



翌年2枚目のアルバム「Shadow & Lights」を出した後は自然消滅の状態(1)だった
が、2004年には「California」で数年ぶりの復活を遂げた。

そのジャケットがこちら↓


左からウェンディ、カーニー、チャイナ。
カーニーは徹底したダイエットと胃バイパス手術まで受けて、見違えるくらいに
痩せてきれいになった。
チャイナがロングヘアーになったこともあって誰が誰なのか分からなくなる。
メンバーが入れ替わったのか?と思ったほどだ。




「California」では1960年代後期〜1970年代初期に流行ったウエストコースト
ロックのナンバーをカヴァーしている。
彼女たちが幼少期のヒットソングばかりだがどの曲も愛され続けている。
ティーンエイジャーになってからもラジオで聴く機会は多かったはずだ。


この時代の音楽を聴いてた人なら曲目を見ただけで嬉しくなってしまうだろう。

1. You’re No Good(リンダ・ロンシュタット)
2. Old Man(ニール・ヤング)
3. California(ジョニ・ミッチェル)
4. Already Gone(イーグルス)
5. Go Your Own Way(フリートウッドマック)
6. Turn! Turn! Turn! (To Everything There Is A Season)(バーズ)
7. Monday Monday(ママス&パパス)
8. Get Together(ヤングブラッズ)
9. Doctor My Eyes(ジャクソン・ブラウン)
10. Dance Dance Dance(ビーチボーイズ)
11. In My Room(ビーチボーイズ)
12. Already Gone (Acoustic Demo)(イーグルス)



プロデューサーは前回紹介した元ピーター&ゴードンのピーター・アッシャー。
ピーターはジェイムス・テイラーとリンダ・ロンシュタットにもバディー・ホリー
やモータウン系などのオールディーズをカヴァーさせて成功している。

その方式を取り入れたわけだが「California」ではリンダがカヴァーした時代から
10年後、そしてカリフォルニアにフォーカスされている。


どの曲も清涼感のある美しい3声のハーモニーが広がり、アコースティックギター、
キレのいいトゥワンギーなエレクトリックギター、ほどよくアレンジされたオーケ
ストラが溶け合った心地よいソフトロックに仕上がっている。









3人の娘たちとピーター・アッシャーはどの曲にも最大の敬意を払っている。
オリジナルの清々しさ、時代の空気を損なうことなく現代的な切れ味も加えられた。

チャイナの父ジョン・フィリップス作、マス&パパスの「Monday Monday」では
バングルズ風のバップを取り入れている。
カーニーとウェンディの父であるブライアン・ウィルソンが書いたビーチボーイズ
の「Dance Dance Dance」も今っぽくテンポアップされ楽しくなった。



アルバムはピアノと3声だけによるビーチボーイズの「In My Room」で終わる。
ピアノとサビの歌声はブライアン・ウィルソンだ。

かつてあんなに美しい声で「In My Room」を歌っていたブライアンが低いダミ声
になっているのは複雑だが、歌い終えて「That sounds great! I love you,son(2)
(すごくいいい!みんな大好きだよ)」と言っているのを聴いて嬉しくなった。






↓こちらはビーチボーイズ版「In My Room」



ウィルソン・フィリップスは最近では2012年に「Dedicated」をリリース。
タイトル通りビーチボーイズとママス&パパスのヒット曲の数々をカヴァーした
トリビュート・アルバムになっている。

激やせしたカーニーはリバウンドでまた太った(笑)

<参考資料:Amazon.co.uk、Wikipedia>