「スクール・オブ・ロック」は2003年公開のアメリカ映画。
原題も「School of Rock」。ま、和製英語の変な邦題よりはいっか。
<映画のあらすじ>
売れないロックンローラー、デューイ(ジャック・ブラック)はロックをこよ
なく愛する熱〜いギタリスト。
その情熱あふれる過剰なパフォーマンスが空回りでバンドを解雇されてしまう。
家では同居人ネッドとそのガールフレンドから家賃を催促され困り果てる。
そんな中ネッドに名門私立ホレス・グリーン学院の臨時教師の話が舞い込む。
仕事が欲しかったデューイはネッドになりすまして学校へ赴く。
最初は教職に乗り気じゃないデューイだったが、厳格な規律に縛られた生徒た
ちが無気力で元気がないことに気づく。
みんなロックとは縁のないおとなしい生活を送っていた。
どんな音楽を聴いてきた?というデューイの問いかけに、生徒たちはクリステ
ィーナ・アギレラ(1)、パフ・ダディ(2)、ライザ・ミネリを挙げる。
どれもロックじゃない!レッド・ツェッペリンを知らないのか?
ブラック・サバスは?AC/DCは?モーターヘッドは?
デューイは授業と称して子供たちにロックの歴史、いろいろなロックがあること
、ロックのカッコよさを熱心に説き始めた。
担任したクラスの子供たちには音楽の才能があった。
デューイは子供たちとバンドを結成し、バンドバトルに出場することを思いつく。
ロックの名盤を聴かせ、楽器と歌のレッスンを始めた。
暴走する珍教師に最初はついていけなかった子供たちも、しだいにデューイの能
天気なキャラ、一切ブレのないロック道、自分たちの隠れた才能を引き出し認め
てくれる彼に惹かれるようになっていく。
ロックの開放感に目覚めた生徒たちはバンドバトルを目指して猛練習を始めた。
<楽器担当を決めてさっそく練習>
デューイはさっそく生徒の楽器担当を決めバンドの練習を始める。
クラシックギターを習ってる男子にはフライングVを持たせ、ブラックサバスの
「アイアン・マン」、ディープパープルの「スモーク・オン・ザ・ウォーター」、
AC/DCの「ハイウェイ・トゥ・ヘル」のイントロを弾かせ、ギターのアクション
を真似させる。
左右に体をふりながらギブソンSGを弾くデューイはまさにAC/DCのアンガス・
ヤングそのものでノリノリ。「そう、それだ!」とは大はしゃぎ。
↑写真をクリックすると楽器の指導シーンが観られます。
ピアノを弾ける男子はドアーズの「タッチ・ミー」のイントロに挑戦。
チェロをやってるという女子はベーシストに任命された。
デューイはポッシュ・スパイス(スパイスガールズのビクトリア・ベッカム)と
彼女を呼び、ベースの指弾きや弾く時の顔つき(笑)を指導。
ドラム担当の子にタムとシンバルの刻み方を指示。
まず「スモーク・オン・ザ・ウォーター」のセッションが始まった。
コーラス隊の候補を募るが、女の子たちが歌えるのはミュージカル「アニー」
挿入歌の「トゥモロウ」、聖歌「アメイジング・グレイス」、ミュージカル「キ
ャッツ」の「メモリー」などロック色のない歌ばかり。
唯一、黒人の大柄な少女がアレサ・フランクリンの「チェイン・オブ・フールズ」
をアカペラで歌い、デューイを喜ばせる。
彼女は肥満が理由で自信喪失気味だったが、デューイは「アレサ・フランクリン
だってでかい女だ」と励ます。
<ロックの教材>
デューイは「宿題」と称して子供たちにロックの名盤CDを聴かせる。
ギター担当の子にはジミ・ヘンドリックスの「アクシス:ボールド・アズ・
ラヴ」を、キーボード担当にはイエスの「こわれもの」を(特に「ラウンド
・アバウト」のキーボード・ソロを聴くようにと)渡す。
ドラムの子にはラッシュの「西暦2112年」のドラム・ソロを聴けと言う。
バックコーラス志望の子にはブロンディの「妖女ブロンディ」を渡す。
歌唱力のある大柄の少女にはピンクフロイドの「狂気」が渡され、特に「虚空の
スキャット」のヴォーカル・ソロを聴くようにと言われた。
↑写真をクリックするとセッション〜宿題のシーンが観られます。
ビデオ講座では、ザ・クラッシュ、ラモーンズ、キース・リチャーズ、ジミ・
ヘンドリックス、アンガス・ヤング、ザ・フーなどが登場。
破壊的かつ暴力的な故キース・ムーンのドラミング、ピート・タンゼントが
腕をぶん回すウィンドミル奏法は子供たちも真剣に見入っていた。
<「移民の歌」が使われた!>
劇中ではザ・クラッシュ、クリーム、ザ・フー、ラモーンズ、ザ・ダークネス、
AC/DC、スティーヴィー・ニックス、メタリカ、キッスなどが流れる。
中でもレッド・ツェッペリンの「移民の歌」が流れるシーンは格別だ。
車を運転するデューイ(ジャック・ブラック)がロバート・プラントの雄叫び
「アアア〜ア〜」の度にすごい形相で振り返るのが何度見ても笑える。
↑写真をクリックすると「移民の歌」が流れる映画のトレーラーが観られます。
ツェッペリンは音源使用の権利にかなり厳しく許諾は困難と思われていた。
2000年の「あの頃ペニー・レインと」で初めて5曲が使用されたのは前にも書
いたが、あれはキャメロン・クロウ監督がローリングストーン誌のライターだっ
た頃からのジミー・ペイジとの関係が大きいと思う。
しかも「移民の歌」は大ヒットした彼らの代表的な曲の一つである。
ジャック・ブラックは秘策に出た。
「ロックの神よ、重要なシーンなので是非使わせて欲しい」と終盤のホールの
エキストラ全員とビデオレターで懇願したところ、ペイジ、プラントから許諾
が降りたのだ。
ブラックは「どんな事でも真剣にお願いすれば叶う」と語っている。
<ロック好きは見逃せないネタ>
テストについて他の先生から意見を求められたデューイは、ホイットニー・ヒ
ューストンの全米No.1ヒット「「グレイテスト・ラブ・オブ・オール」の歌詞
「Believe that children are our future. Teach them well and let them
lead way」をそのまま口にする。
ジョーン・キューザックが演じる堅物の女校長が実はスティーヴィー・ニック
スの大ファンであることを知ったデューイ。
校長をバーに誘い「Edge of Seventeen」をかけ、「この曲、大好き!」とほろ
酔いで一緒に歌う彼女に課外授業名目のコンサート参加を認めさせてしまう。
バンドバトルのステージに立ったデューイの衣装(半ズボン、ネクタイ、ジャ
ケット)はまさにアンガス・ヤング(AC/DC)そのもの。
ギターはもちろんギブソンSGだ。
デューイは念願のステージから客席へのダイブをキメる。
デューイがロックの衰退の要因の一つとMTVを激しく非難する(3)シーンがある。
配給元のパラマウントとMTVは共にバイアコム傘下にあり、このシーンはまずい
とカットされると思っていたがそのまま通ってしまった、とジャック・ブラック
は語っている。
<お子さまバンドの実力>
黒板のロック相関図は監督のリチャード・リンクレイターが描いたそうだ。
脚本は同居人ネッド役のマイク・ホワイトで、ジャック・ブラックに主演させ
るためにこの物語を書いた。
ジャック・ブラックは俳優業の傍、テネシャスDというバンドで活躍している。
オルタナティヴ・ロックのソニック・ユースやガスター・デル・ソルに在籍し、
親日家でも知られるジム・オルークが子供たちの演奏を指導した。
子供たちはオーディションやスカウトで集められ、数ヶ月のミュージック・キャ
ンプでロックの演奏技術を習得したらしい。
主演のジャック・ブラックは「子役たちはあっという間に上達して、僕より
うまくなってしまった」と語っている。
バンドバトルで披露されるオリジナル曲「スクール・オブ・ロック」も、クロ
ージングクレジットで流れるAC/DC「イッツ・ア・ロングウエィ・トゥ・ザ・
トップ」のカヴァーも実際に子供たちが演奏している。
「スクール・オブ・ロック」でのジャック・ブラックと太めの女の子とのヴォ
ーカルの掛け合いがすごくいい。
↑写真をクリックすると「スクール・オブ・ロック」演奏シーンが観られます。
Oh,Yea! I’m Alive
やあ、俺は生きてるぜ
Rock got no reason, Rock got no rhyme
ロックには理由なんて要らないし、決まった形も要らない
You better get me to school on time
俺を学校に連れてってくれ 間に合うようにね
あの日のあの曲。お気に入りのアルバム。いろいろな音楽にまつわるエピソードや思い出を、ジャンルを問わず徒然なるままに書きつづります。(ブログのタイトルは故大瀧詠一氏へのトリビュートの意味をこめてつけました)
2018年1月20日土曜日
2018年1月9日火曜日
ロックな青春映画10選(3)1962年の夏、君はどこにいた?
1973年公開の映画「アメリカン・グラフィティ」は高校を卒業しそれぞれ
の旅立ちを控えた若者たちの一夜を追う、いわゆるワンナイトもの。
ほろ苦くも甘いエピソードが落書き(グラフィティ)のように描かれる。
ジョージ・ルーカス監督・脚本の2作目で彼の出世作となった。
舞台はカリフォルニア州北部の地方都市モデスト。(1)
ルーカス自身が育った街であり、彼の青春時代がモチーフになっている。
当時は無名だったリチャード・ドレイファス、ハリソン・フォード、ロン・
ハワード、チャールズ・マーティン・スミスなど後のアメリカ映画を代表
する大スター・売れっ子監督が出演している。
↑写真をクリックすると映画のトレーラーが観られます。
<映画のあらすじ>
1962年夏の一夜、高校を卒業した4人を軸に物語は展開する。
カート(リチャード・ドレイファス)は東部の大学に入るため明日出発する。
迷いや未練があるのか夜のモデストの街を彷徨い、不良に絡まれる。
スティーヴ(ロン・ハワード)(2)は優等生の学級委員。
やはり他の地域の大学進学を予定しているが、恋人のローリーを残して街を
去ることをためらっている。
ローリー(3)は高校で主席のチアリーダーを務める人気の女の子。
スティーヴと離れるのが不安でたまらない。
イケてないトード(チャーリー・マーチン・スミス)はスティーヴの車、シ
ボレー・インパラを借りて意気揚々。
遊び慣れたおバカ系キャラのかわいい女の子デビーをナンパ。
酒の調達に苦労して、なんとかセックスにこぎつけたい一心だ。
走り屋のジョン(ポール・ル・マット)は街を流しているうちに、子供のよ
うなポニーテイルの女の子を乗せるはめに。
彼らより年上で大胆無敵なカーレーサー、ボブ(ハリソン・フォード)(4)
はジョンにレースを挑もうと町中探し回る。
スティーヴと口喧嘩したローリーはそのボブの車に同乗していた。
夜明け前にレースはスタート。
ボブの車は横転。ボブとローリーは危機一髪で脱出。
取り乱した彼女をスティーヴは抱きしめ、進学をやめ街に残ることを約束。
一方カートは信号待ちの時、白いティーバード(5)に乗ったブロンドの美女から
微笑まれ、何かことばをかけられる。
一目惚れしたカートは一晩中、その美女を探すが見つからない。
カートは地元のラジオ局に赴き、DJウルフマン・ジャック(本人)(6)にティ
ーバード美女へのメッセージを流してもらうよう頼む。
公衆電話のブースで電話がかかってくることを祈りながら彼は眠ってしまう。
朝、電話のなる音で目を覚ましたカート。あの憧れのブロンドの美女からだ。
彼女は今晩会わないかと誘うが、カートは大学に向けて発つ予定だと伝える。
みんなに見送られて、カートを乗せた飛行機は離陸。
窓から眼下の街を見下ろすとあの白いティーバードが走っているのが見えた。
エピローグでは彼らのその後が語られる。
ジョンは飲酒運転の事故に巻き込まれて死亡。トードはベトナム戦争従軍中に
行方不明に。スティーヴはモデストで保険のセールスマンを。カートは作家に
なりカナダで暮らしていた。
<時代背景>
「アメリカン・グラフィティ」が公開された1973年といえば。。。
この前に紹介した「あの頃ペニー・レインと」の時代設定の年だ。
ツェッペリンが全米を席巻し、続くディープパープル、ブラックサバスも
黄金期を迎えハードロック全盛だった頃である。
オールマン・ブラザーズ・バンドがブレイクしサザン・ロックが人気に。
ジェイムス・テイラー、キャロル・キングなどシンガー&ソングライター。
イーグルス、ドゥービーズなどウエストコースト・ロックも台頭してきた。
そんな1973年から一気にタイムスリップして1962年のアメリカへ。
まさに「バック・トゥ・ザ・フューチャー」の感覚である。
では1962年はどんな時代だったのか?
エルヴィスは1960年の除隊後「G.I.ブルース」「今夜はひとりかい?」
くらいしかヒットを放っていない。
ビーチボーイズはデビューしたてでまだブームになる手前である。
ビートルズはこの年の6月にEMIのオーディションを受け10月にデビュー。
英国で人気に火がつくのは翌1963年で、アメリカで「抱きしめたい」が
1位を獲得しビートルズ旋風が巻き起こるたのは1964年初頭。
つまり1962年の音楽シーンは嵐の前の静けさ的な感じだったのだろう。
ジョン・F・ケネディもまだ暗殺されていない。
キューバ危機はこの年の10月。
ベトナム戦争の泥沼にアメリカが入り込んでいくのもまだ先の話だ。
映画の舞台の1962年夏はまだ平和で豊かで楽しいアメリカである。
映画公開時のキャッチフレーズ(7)「Where were you in ’62(1962
年、あなたはどこにいましたか?(8)」は多くのアメリカ人の共感を得た。
<日本公開時の影響>
日本での「アメリカン・グラフィティ」公開は一年遅れの1974年12月。
ロンドンブーツを履いてた友人が髪を撫でつけベースボールジャケット(9)
にLeeのストレートジーンズで遊びに来てびっくりした思い出がある。
「アメリカン・グラフィティ」を見て感化されたらしい。
僕にとってもウッドストック以来のカルチャーショックだった。
1962年のアメリカの高校生はデカいアメ車のベンチシートに彼女を乗せ、
カーラジオからは次々とR&Rやドゥワップ、R&Bが流れてくる。
ドライブインのウエイトレスはローラースケートで注文を取りに来る。
卒業前のダンスパーティーなんてあるんだ!
プロム(10)と呼ばれるらしい。
投票で選ばれたキングとクイーンがみんなの前でチークを踊る。
映画ではスノーボール・ダンスパーティー(11)と言ってた。(夏なのに?)
そしてアイビー・ファッション。
ロン・ハワードの水色のギンガムチェックのプルオーバー半袖BDシャツ
にコットンパンツ、ローファーという正統派コーディネート。
リチャード・ドレイファスがマドラスチェックの半袖BDシャツの裾を
アウトしてるのも(今では一般だが)こういうのもアリか?と驚いた。
足元はネイビーのキャンバス地デッキシューズ。
二人ともBDシャツの下のクルーネックTシャツをしっかり見せている。
クルーカットもさりげなくいい感じ。
ロン・ハワードの彼女役のレタード・カーディガンとチェックのスカート、
ネイビーのソックス、白のキャンバス地のスニーカー。
そのどれもが「こなれ感」があってすごく馴染んでいるのだ。
メンズ・クラブで毎号掲載されていた「街のアイビーリーガーズ」みたい
な「アイビーでキメてみました」的な恥ずかしさはまったくない。
前述のダンスパーティーのシーンもそうだ、
プロムは正装が基本だが、映画では田舎街のせいかみんなカジュアル。
体育館の床を痛めないよう靴を脱いで踊るソックホップ・パーティーだ。
日本では1974年頃にはアイビーは過去のものになりつつあり、メンズビ
ギなどデザイナーズブランド流行の兆しが見えり始めていた。
しかし、そうした流行は長くは続かない。
1976年にはサーファーがもてはやされ、アメリカン・キャンパスカジュ
アルへの回帰が始まった。
ビームスが原宿で開業したのが、この映画公開の2年後の1976年。
6坪の店は「カリフォルニアの学生の部屋」をコンセプトにした、西海岸
から直輸入したカジュアル衣料を置いていた。
雑誌「ポパイ」創刊も1976年。
西海岸やハワイの学生のライフスタイルやファッションを紹介。
1960年代にVANジャケットが流行らせたアイビーよりもルーズでハズシ
を取り入れたプレッピースタイルが注目されるようになる。
アイビーだけではない。
映画に登場すっる不良たちのロカビリーっぽい服装も注目された。
ダックテイル、ジーンズ、ポニーテイル、落下傘(フレア)スカート。
原宿〜渋谷にはシカゴ、サンタモニカ、ハリウッドランチマーケット、
スタークラブ、バックドロップ、クリームソーダ、ピンクドラゴンなど
古着やオールディーズ・ファッションを扱う店が出現した。
<サウンドトラックは珠玉のオールディーズ集>
当時ラジオでよくかかったヒット曲、現在ではオールディーズと称される
楽曲が全編に散りばめられる。
使用された41曲はすべてルーカス本人の好みで選ばれたらしい。
サウンドトラックだけでも楽しめるコンピレーション・アルバムだ。
「アメリカン・グラフィティ」で流れた曲の数々は1974年時点でまだ
10代だった僕はリアルタイムで聴いた記憶がない。
ハードロックやプログレで慣れた耳にオールディズは新鮮だった。
原体験がないのになぜか懐かしい。古き良き時代のアメリカへの憧憬。
印象的だったのは冒頭のシーン。
ビル・ヘイリー&ザ・コメッツの「Rock Around the Clock」が流れ、
夕刻のメルズ・ドライブイン(12)に若者たちが次々と集まる。
↑写真をクリックすると映画のオープニングが観られます。
スティーヴは白の1958年製シボレー・インパラ(13)の横に佇んでいる。
ベスパに乗ったトードが現れるが、止まり切らずに壁に激突(笑)(14)
カートはシトロエンの2CV。(15)不調なのか軽く蹴りを入れている。
ローリーは水色の1958年製エドセル・コルセア(16)で登場。
ジョンはホットロッド仕様にカスタマイズされた黄色の1932年製フォ
ード・デュースクーペ。(17)
もう一つはスノーボール・ダンスパーティーでスティーヴとローリーが
みんなの前でチークを踊るシーン。
投票の結果クイーン(映画ではジュリエットと呼んでいる?)はローリーと
発表され、体育館の隅で口喧嘩をしていた二人にスポットライトが当たる。
プラターズの「Smoke Gets In Your Eyes」が流れ、二人はとりつくろい
ながら中央に進み出て踊るが、まだ小声で言い争っている。
ローリーはスティーヴの肩に顔を埋め涙を流す。この心理描写が絶妙だ。
↑写真をクリックするとスノーボールダンスのシーンが観られます。
他にもバディ・ホリーの「That’ll Be The Day」「maybe baby」、
デル・シャノンの「Runaway」、プラターズの「Only You」、
チャック・ベリー「Johnny B. Goode」などが全編に流れる。
1962年夏のヒット曲、フォーシーズンズの「Sherry」は入っていない。
エルヴィスが1曲も使用されなかったのは著作権の問題だろうか。
前年の1961年にヒットした「Are You Lonesome Tonight?」なんかは
いい感じだと思うのだが。
これだけ多くのヒット曲が映画に使用された前例はなく、配給会社は楽曲
使用料が多額になることを渋っていたそうだ。
長いエンドロール(18)で流れるビーチボーイズの「All Summer Long」
は1964年発売の曲で、本作で描かれる1962年にはまだ登場していない。
ルーカスのお気に入りということで起用されたらしい。
この映画のテーマの最後をしめるにはぴったりの選曲だと思う。
また劇中で流れるビーチボーイズの「Surfin’ Safari」も1962年10月発表
で、1962年の夏にラジオでオンエアされるのは早すぎる。
でも初期のビーチボーイズといえばカリフォルニア、女の子、サーフィン、
ホットロッド(車)だから外せないよね(^^v)
細かい粗捜しついでに言うと、スノーボール・ダンスでバンドのギタリスト
が弾いてるフェンダー・ストラトキャスターはCBSに買収された1965年
以降のラージヘッド・モデルでこの時代にはまだない。
些細なことだけどギター弾きとしてはいささか気になる(笑)
「バック・トゥ・ザ・フューチャー」でもそうだったけど。
とにかくこの映画を見ていると、1962年の夏にカーラジオから流れるオー
ルディーズを聴きながら青春していたような錯覚にとらわれる。
1962年の夏、君はどこにいた?
<脚注>
の旅立ちを控えた若者たちの一夜を追う、いわゆるワンナイトもの。
ほろ苦くも甘いエピソードが落書き(グラフィティ)のように描かれる。
ジョージ・ルーカス監督・脚本の2作目で彼の出世作となった。
舞台はカリフォルニア州北部の地方都市モデスト。(1)
ルーカス自身が育った街であり、彼の青春時代がモチーフになっている。
当時は無名だったリチャード・ドレイファス、ハリソン・フォード、ロン・
ハワード、チャールズ・マーティン・スミスなど後のアメリカ映画を代表
する大スター・売れっ子監督が出演している。
↑写真をクリックすると映画のトレーラーが観られます。
<映画のあらすじ>
1962年夏の一夜、高校を卒業した4人を軸に物語は展開する。
カート(リチャード・ドレイファス)は東部の大学に入るため明日出発する。
迷いや未練があるのか夜のモデストの街を彷徨い、不良に絡まれる。
スティーヴ(ロン・ハワード)(2)は優等生の学級委員。
やはり他の地域の大学進学を予定しているが、恋人のローリーを残して街を
去ることをためらっている。
ローリー(3)は高校で主席のチアリーダーを務める人気の女の子。
スティーヴと離れるのが不安でたまらない。
イケてないトード(チャーリー・マーチン・スミス)はスティーヴの車、シ
ボレー・インパラを借りて意気揚々。
遊び慣れたおバカ系キャラのかわいい女の子デビーをナンパ。
酒の調達に苦労して、なんとかセックスにこぎつけたい一心だ。
走り屋のジョン(ポール・ル・マット)は街を流しているうちに、子供のよ
うなポニーテイルの女の子を乗せるはめに。
彼らより年上で大胆無敵なカーレーサー、ボブ(ハリソン・フォード)(4)
はジョンにレースを挑もうと町中探し回る。
スティーヴと口喧嘩したローリーはそのボブの車に同乗していた。
夜明け前にレースはスタート。
ボブの車は横転。ボブとローリーは危機一髪で脱出。
取り乱した彼女をスティーヴは抱きしめ、進学をやめ街に残ることを約束。
一方カートは信号待ちの時、白いティーバード(5)に乗ったブロンドの美女から
微笑まれ、何かことばをかけられる。
一目惚れしたカートは一晩中、その美女を探すが見つからない。
ーバード美女へのメッセージを流してもらうよう頼む。
公衆電話のブースで電話がかかってくることを祈りながら彼は眠ってしまう。
朝、電話のなる音で目を覚ましたカート。あの憧れのブロンドの美女からだ。
彼女は今晩会わないかと誘うが、カートは大学に向けて発つ予定だと伝える。
みんなに見送られて、カートを乗せた飛行機は離陸。
窓から眼下の街を見下ろすとあの白いティーバードが走っているのが見えた。
エピローグでは彼らのその後が語られる。
ジョンは飲酒運転の事故に巻き込まれて死亡。トードはベトナム戦争従軍中に
行方不明に。スティーヴはモデストで保険のセールスマンを。カートは作家に
なりカナダで暮らしていた。
<時代背景>
「アメリカン・グラフィティ」が公開された1973年といえば。。。
この前に紹介した「あの頃ペニー・レインと」の時代設定の年だ。
ツェッペリンが全米を席巻し、続くディープパープル、ブラックサバスも
黄金期を迎えハードロック全盛だった頃である。
オールマン・ブラザーズ・バンドがブレイクしサザン・ロックが人気に。
ジェイムス・テイラー、キャロル・キングなどシンガー&ソングライター。
イーグルス、ドゥービーズなどウエストコースト・ロックも台頭してきた。
そんな1973年から一気にタイムスリップして1962年のアメリカへ。
まさに「バック・トゥ・ザ・フューチャー」の感覚である。
では1962年はどんな時代だったのか?
エルヴィスは1960年の除隊後「G.I.ブルース」「今夜はひとりかい?」
くらいしかヒットを放っていない。
ビーチボーイズはデビューしたてでまだブームになる手前である。
ビートルズはこの年の6月にEMIのオーディションを受け10月にデビュー。
英国で人気に火がつくのは翌1963年で、アメリカで「抱きしめたい」が
1位を獲得しビートルズ旋風が巻き起こるたのは1964年初頭。
つまり1962年の音楽シーンは嵐の前の静けさ的な感じだったのだろう。
ジョン・F・ケネディもまだ暗殺されていない。
キューバ危機はこの年の10月。
ベトナム戦争の泥沼にアメリカが入り込んでいくのもまだ先の話だ。
映画の舞台の1962年夏はまだ平和で豊かで楽しいアメリカである。
映画公開時のキャッチフレーズ(7)「Where were you in ’62(1962
年、あなたはどこにいましたか?(8)」は多くのアメリカ人の共感を得た。
<日本公開時の影響>
日本での「アメリカン・グラフィティ」公開は一年遅れの1974年12月。
ロンドンブーツを履いてた友人が髪を撫でつけベースボールジャケット(9)
にLeeのストレートジーンズで遊びに来てびっくりした思い出がある。
「アメリカン・グラフィティ」を見て感化されたらしい。
僕にとってもウッドストック以来のカルチャーショックだった。
1962年のアメリカの高校生はデカいアメ車のベンチシートに彼女を乗せ、
カーラジオからは次々とR&Rやドゥワップ、R&Bが流れてくる。
ドライブインのウエイトレスはローラースケートで注文を取りに来る。
卒業前のダンスパーティーなんてあるんだ!
プロム(10)と呼ばれるらしい。
投票で選ばれたキングとクイーンがみんなの前でチークを踊る。
映画ではスノーボール・ダンスパーティー(11)と言ってた。(夏なのに?)
そしてアイビー・ファッション。
ロン・ハワードの水色のギンガムチェックのプルオーバー半袖BDシャツ
にコットンパンツ、ローファーという正統派コーディネート。
リチャード・ドレイファスがマドラスチェックの半袖BDシャツの裾を
アウトしてるのも(今では一般だが)こういうのもアリか?と驚いた。
足元はネイビーのキャンバス地デッキシューズ。
二人ともBDシャツの下のクルーネックTシャツをしっかり見せている。
クルーカットもさりげなくいい感じ。
ロン・ハワードの彼女役のレタード・カーディガンとチェックのスカート、
ネイビーのソックス、白のキャンバス地のスニーカー。
そのどれもが「こなれ感」があってすごく馴染んでいるのだ。
メンズ・クラブで毎号掲載されていた「街のアイビーリーガーズ」みたい
な「アイビーでキメてみました」的な恥ずかしさはまったくない。
前述のダンスパーティーのシーンもそうだ、
プロムは正装が基本だが、映画では田舎街のせいかみんなカジュアル。
体育館の床を痛めないよう靴を脱いで踊るソックホップ・パーティーだ。
日本では1974年頃にはアイビーは過去のものになりつつあり、メンズビ
ギなどデザイナーズブランド流行の兆しが見えり始めていた。
しかし、そうした流行は長くは続かない。
1976年にはサーファーがもてはやされ、アメリカン・キャンパスカジュ
アルへの回帰が始まった。
ビームスが原宿で開業したのが、この映画公開の2年後の1976年。
6坪の店は「カリフォルニアの学生の部屋」をコンセプトにした、西海岸
から直輸入したカジュアル衣料を置いていた。
雑誌「ポパイ」創刊も1976年。
西海岸やハワイの学生のライフスタイルやファッションを紹介。
1960年代にVANジャケットが流行らせたアイビーよりもルーズでハズシ
を取り入れたプレッピースタイルが注目されるようになる。
アイビーだけではない。
映画に登場すっる不良たちのロカビリーっぽい服装も注目された。
ダックテイル、ジーンズ、ポニーテイル、落下傘(フレア)スカート。
原宿〜渋谷にはシカゴ、サンタモニカ、ハリウッドランチマーケット、
スタークラブ、バックドロップ、クリームソーダ、ピンクドラゴンなど
古着やオールディーズ・ファッションを扱う店が出現した。
<サウンドトラックは珠玉のオールディーズ集>
当時ラジオでよくかかったヒット曲、現在ではオールディーズと称される
楽曲が全編に散りばめられる。
使用された41曲はすべてルーカス本人の好みで選ばれたらしい。
サウンドトラックだけでも楽しめるコンピレーション・アルバムだ。
「アメリカン・グラフィティ」で流れた曲の数々は1974年時点でまだ
10代だった僕はリアルタイムで聴いた記憶がない。
ハードロックやプログレで慣れた耳にオールディズは新鮮だった。
原体験がないのになぜか懐かしい。古き良き時代のアメリカへの憧憬。
印象的だったのは冒頭のシーン。
ビル・ヘイリー&ザ・コメッツの「Rock Around the Clock」が流れ、
夕刻のメルズ・ドライブイン(12)に若者たちが次々と集まる。
↑写真をクリックすると映画のオープニングが観られます。
スティーヴは白の1958年製シボレー・インパラ(13)の横に佇んでいる。
ベスパに乗ったトードが現れるが、止まり切らずに壁に激突(笑)(14)
カートはシトロエンの2CV。(15)不調なのか軽く蹴りを入れている。
ローリーは水色の1958年製エドセル・コルセア(16)で登場。
ジョンはホットロッド仕様にカスタマイズされた黄色の1932年製フォ
ード・デュースクーペ。(17)
もう一つはスノーボール・ダンスパーティーでスティーヴとローリーが
みんなの前でチークを踊るシーン。
投票の結果クイーン(映画ではジュリエットと呼んでいる?)はローリーと
発表され、体育館の隅で口喧嘩をしていた二人にスポットライトが当たる。
プラターズの「Smoke Gets In Your Eyes」が流れ、二人はとりつくろい
ながら中央に進み出て踊るが、まだ小声で言い争っている。
ローリーはスティーヴの肩に顔を埋め涙を流す。この心理描写が絶妙だ。
↑写真をクリックするとスノーボールダンスのシーンが観られます。
他にもバディ・ホリーの「That’ll Be The Day」「maybe baby」、
デル・シャノンの「Runaway」、プラターズの「Only You」、
チャック・ベリー「Johnny B. Goode」などが全編に流れる。
1962年夏のヒット曲、フォーシーズンズの「Sherry」は入っていない。
エルヴィスが1曲も使用されなかったのは著作権の問題だろうか。
前年の1961年にヒットした「Are You Lonesome Tonight?」なんかは
いい感じだと思うのだが。
これだけ多くのヒット曲が映画に使用された前例はなく、配給会社は楽曲
使用料が多額になることを渋っていたそうだ。
長いエンドロール(18)で流れるビーチボーイズの「All Summer Long」
は1964年発売の曲で、本作で描かれる1962年にはまだ登場していない。
ルーカスのお気に入りということで起用されたらしい。
この映画のテーマの最後をしめるにはぴったりの選曲だと思う。
また劇中で流れるビーチボーイズの「Surfin’ Safari」も1962年10月発表
で、1962年の夏にラジオでオンエアされるのは早すぎる。
でも初期のビーチボーイズといえばカリフォルニア、女の子、サーフィン、
ホットロッド(車)だから外せないよね(^^v)
細かい粗捜しついでに言うと、スノーボール・ダンスでバンドのギタリスト
が弾いてるフェンダー・ストラトキャスターはCBSに買収された1965年
以降のラージヘッド・モデルでこの時代にはまだない。
些細なことだけどギター弾きとしてはいささか気になる(笑)
「バック・トゥ・ザ・フューチャー」でもそうだったけど。
とにかくこの映画を見ていると、1962年の夏にカーラジオから流れるオー
ルディーズを聴きながら青春していたような錯覚にとらわれる。
1962年の夏、君はどこにいた?
<脚注>
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