◆「悪魔のようなあいつ」が制作された経緯
「悪魔のようなあいつ」は1975年6月6日から9月26日までTBS系列で放送された
テレビドラマである。
阿久悠原作、上村一夫作画で講談社ヤングレディに連載された漫画が原作だった。
沢田研二にほれ込んでいたTBSのプロデューサー久世光彦の立案で、コミック、
それを原作としたドラマ、劇中で流れる楽曲と当時としては珍しいメディア連動
型の企画、ドラマ・タイアップによるヒット曲の先駆けであった。
同じく沢田研二と仕事をしたがっていた阿久悠が原作を手掛け、今村昌平の下や
日活で助監督をしていた長谷川和彦が脚本を担当した。
最初は漫画の連載が先行していたが、ドラマの方が進行が早いため途中で追い越
してしまっている。
三億円事件を題材に1975年12月10日に迫る時効に合わせてストーリーが展開
するという設定、犯人の可門良を沢田研二が演じること、若山富三郎、藤竜也、
篠ひろ子、安田道代など豪華なキャスティングが放送前から話題になった。
◆「悪魔のようなあいつ」の内容と反響
横浜山下町のクラブ「日蝕」の専属歌手、可門良は経営者の野々村(藤竜也)
が斡旋で一回10万円で体を売る男娼という裏の顔も持つ。
そして三億円事件の犯人であった。
良に惹かれる女たち、良を追う老刑事(若山富三郎)、三億円に群がる男たち。
末期の脳腫瘍に犯された良は時効まで生き延びるのか。時効は成立するのか。
可門良は交通機動隊指定の自動車修理工で働いていた過去があり、運転技術、メ
カニックに長け、白バイもよく見慣れていた。
また映画のエキストラをやった時に警官の制服を手に入れている。
実際に捜査本部は活動屋(映画関係者)を疑っていて、犯行現場から近い調布の
日活撮影所と大映撮影所、砧の東宝撮影所の美術、衣装、スタントマンの取り調
べを行っていたそうだ。
長谷川和彦は取り調べを受けた現場スタッフから得た情報を脚本に盛り込んだ。
そのため当時まだ捜査情報がすべてオープンになっていなかったにもかかわらず、
犯行の背景と経過については説得力のある出来になっている。
特に三億円強奪の再現はなかなか見応えがあった。
老刑事が脅迫手紙の主と現金強奪犯は別という説を取っている点(捜査本部で指
揮をとった平塚八兵衛(1)は単独犯説を主張した)、公表された500円札以外にも
ナンバーが分かってっている一万円札があった(?)という仮説は興味深い。
三億円事件についての元警視総監、秦野章の新聞寄稿も実名で出てくる。
また可門良が特定の飲食店と関係があり、そのクラブを経営者(藤竜也)がゲイ
であったという設定は、奇しくも最有力視されている犯人(2)と共通している。
こうしたリアリティは時効まで半年を切り焦っていた捜査本部を苛つかせた。
映画畑の長谷川和彦はロケを前提とした脚本を書いたが、メガホンを取る久世光
彦は徹底したスタジオでの作り込みにこだわるタイプであった。
最終回の銃撃戦を含め、ほとんどのシーンがセットを組んでの撮影であり屋外で
のロケは街の風景、海などに限られている。
平均10%程度(最高11.6%)と悪くない視聴率であったが、TBS側の要求水準
に達しなかったため(「時間ですよ」「寺内貫太郎一家」をヒットさせた久世ド
ラマへの期待値は大きかった)数話削り時効の75日前に放送は終了した。
今では考えられないが、ゴールデンタイムにベッドシーン、レイプ、暴力、売春、
同性愛、近親愛など過激でスキャンダラスな内容であり、万人には受け入れらな
かったのではないかと思う。
また提供スポンサー、特に資生堂にとってはこうした題材に加え、妊娠中の女性
に暴力を振るうシーンは決して好ましいものではなかったはずだ。
一方でちゃぶ台を囲む荒木一郎、安田道代、浦辺粂子、若山富三郎とか、悠木千
帆のボケ役など久世光彦ならではのコメディー要素も随所に散りばめられていた。
荒木一郎を初め、デイヴ平尾、尾崎紀世彦、岸部修三、大口広司、などGS出身や
歌手が出演していたのも楽しめる。
どこに行くにもナースの制服か裸しかないという極端な篠ヒロコもよかった(笑)
これは久世光彦の「わかりやすい方がいい」という考えからだそうだ。
彼は登場人物をアイコン化したかったのだろう。
いつも白いピンストライプのスーツで登場するチンピラ役の岸部修三もそうだし、
夏でも黒服の藤竜也も、車椅子の三木聖子、安田道代のエプロン、荒木一郎の
カンカン帽と浴衣みたいなシャツ、ねんねこで子供をおんぶしている細川俊之、
長谷直美の赤いジャンプスーツもアイコン化である。
そのアイコン化の最たるものが、沢田研二が演じる可門良のパナマ帽とサスペン
ダーというファッション(3)でこれは当時、若い男性の間で流行した。
沢田のどこか儚げで退廃的でニヒルな表情、男のエロティシズムを漂わせる雰囲
気も評判になった。
◆ドラマから生まれた大ヒット曲
劇中で沢田研二がクラブ「日蝕」で歌う「時の過ぎゆくままに」はドラマの終盤
8月21日に発売され、オリコンで1位、100万枚近いセールスを記録し彼の代表曲
の一つとなった。
この曲はドラマの主題歌として作られた曲で、沢田研二のために阿久悠が書いた
詞に合わせて曲をつける、いわゆる「詞先」だった。
沢田研二のけだるさを秘めた退廃美に魅せらていた久世光彦と阿久悠は「色っぽ
い歌を作りたいね」と意見が一致。
久世は阿久悠と相談してまず「時の過ぎゆくままに」というタイトルを決めた。
映画「カサブランカ」のテーマ曲「As time goes by」が元ネタである。
阿久悠が詩を書き、大野克夫、井上堯之、井上大輔、加瀬邦彦、荒木一郎、都倉
俊一と当時のヒットメーカー6人が競作で曲をつけてもらう。
あなたはすっかり疲れてしまい 生きていることさえ嫌だと泣いた
こわれたピアノで 想い出の歌 片手でひいては ため息ついた
できてきた曲はどれも魅力あるものだったが、阿久悠と久世光彦が一晩聴き比べ
て大野克夫の曲が選ばれた。
↑写真をクリックすると「時の過ぎゆくままに」が視聴できます。
阿久は沢田研二が所属していた渡辺プロから「堕ちてゆくのも」の歌詞を変える
よう要請されたが固辞した。
「堕ちてゆくのも幸せだよと」は沢田研二の退廃美、作画を担当した上村一夫の
美学「傷つけ合うことこそ美しい」にも通ずるこの歌のキモだと思う。
阿久悠+大野克夫のコンビはこれ以降、沢田研二に数々の曲を提供し、ヒットメ
ーカーとしての地位を確立した。
阿久は「ドラマ発じゃない限り沢田研二との出会いはなかった、その後の膨大な
ヒット曲も出なかったかもしれない、得難いチャンスだった」と述懐している。
生涯で作詞した曲が5000以上という阿久悠は自分の作品で好きなものは?という
質問に対して「『時の過ぎゆくままに』だけはどんな場でもどんな機嫌の時でも
あげる曲だ」と語っている。
沢田研二にとってもキャリア最大のヒット曲の誕生、これ以降のヴィジュアル路
線を方向づけ、と大きなステップとなった。
劇中では沢田研二がマーティンD-45(4)を弾きながらクラブ「日蝕」でこの曲を
歌っているが、実際は口パクで井上堯之バンドが演奏している。
ドラマの前半ではGmで演奏されており、これだと沢田にはややキーが高いい。
中盤からキーEmのヴァージョンが多くなり、ぐっと落ち着いた雰囲気になる。
アコースティックギター2台による弾き語りヴァージョンも使われた。
正式なレコーディングではキーEmでゆったりしたテンポで、井上堯之バンドの
演奏にストリングスが加えられよりドラマチックに仕上がった。
作曲家の宮川泰は「沢田研二がコブシをきかせているのが面白い」と評した。
岸部修三にとってははこの曲が井上堯之バンドでの最後のレコーディングとなり、
「悪魔のようなあいつ」を機に本格的に俳優業に転向した。
番組のテーマ曲および劇中流れるBGMはすべて大野克夫の作曲・編曲で井上堯之
バンドが演奏している。(サウンドトラック盤は長らく廃盤になっている)
◆もう一つの隠れた名曲
「悪魔のようなあいつ」にはもう一つ、挿入歌があった。
「時間ですよ」「寺内貫太郎一家」など久世ドラマの「お約束」である出演者の
ギター弾き語りである。
ドラマ後半ではクラブ「日蝕」のバーテンダー香川役のデイブ平尾がホステスたち
(スーザン、立野弓子)と「ママリンゴの唄」を毎回歌った。
作曲は大野克夫で、作詞は市川睦月(久世光彦)のペンネーム。
カルト的な人気をほこる曲ながら、上述のサウンドトラック盤にも収録されず長い
間「幻の曲」となっていたが、後にデイヴ平尾のCD(5)に収録された。
↑写真をクリックすると「ママリンゴの唄」が視聴できます。
<脚注>
ビートルズの「ハリウッドボウル」がCD化されてめでたしめでたしの今日この頃
だが、対抗馬のローリングストーンズの初期のライヴ盤はあるのか?
あるんです、ちゃんと。と言うか一応。
1966年リリースのストーンズ初のライヴ盤「Got Live If You Want It!」だ。
一応と書いたのは、ビートルズの「Live At The Hollywood Bowl」が「演奏には
一切手を加えていない」正真正銘のライヴ音源であるのに対し、ストーンズのは
正真正銘と言えない「手を加えまくったライヴ盤もどき」だからだ。
ストーンズもその内容に満足せず、このアルバムを認めていない。
1970年の「Get Ya Ya’s Out」を最初の公式ライブ・アルバムとしている。
その点も踏まえて「一応」という表現にした。
「Got Live If You Want It!」はアメリカでの販売元ロンドン・レコード(1)の
の要請により編集され1966年11月にリリースされたライブ・アルバムだ。
ジャケットにはロイヤル・アルバート・ホールでのライヴとクレジットされている
が、実際は1966年10月のニューカッスル・アポンタインとブリストルでの演奏が
納められている。
ロイヤル・アルバート・ホールと記載されているのはプロデューサーのアンドリュ
ー・ルーグ・オールダム(2)が「その方が箔がつく」と考えたからだ。
収録曲はオリジナル7曲とカヴァーが5曲。
4作目のアルバム「Aftermath」がリリース(アメリカでは6枚目、収録曲が異なる
)された半年後で、同アルバム収録曲の「Under My Thumb」「Lady Jane」の
他、「19th Nervous Breakdown」「Get Off of My Cloud」「Satisfaction」
などの代表曲が収められている。
Side A
1. Under My Thumb
2. Get Off of My Cloud
3. Lady Jane
4. Not Fade Away (Norman Petty/Charles Hardin)
5. I’ve Been Loving You Too Long (Otis Redding/Jerry Butler)
6. Fortune Teller (Naomi Neville)
Side B
1. The Last Time
2. 19th Nervous Breakdown
3. Time Is on My Side (Norman Meade)
4. I’m Alright (Ellas McDaniel)
5. Have You Seen Your Mother, Baby, Standing in the Shadow?
6. (I Can't Get No) Satisfaction
↑クリックすると「Got Live If You Want It!」の試聴ページに飛びます。
ほとんどの曲はヴォーカルが録り直しされている。
ミックの手拍子(歌いながらだろう)のボコボコ言うノイズをがマイクが拾って
たり、やけにヴォーカルやタンバリンが近くに聴こえたり不自然さを感じる。
「I’ve Been Loving You Too Long」「Fortune Teller」の2曲に至っては、ス
タジオ・テイクに歓声をオーヴァーダビングした擬似ライヴである。
収録曲数が足りなかったため、アメリカのロンドン・レコードがストーンズに無
断で加工したものだった。
ヴォーカルの録り直し自体はミックも納得してやったことだろうが、あまりにも
不自然な出来に怒り心頭だったのではないかと思う。
編集されまくりで純粋なライヴ盤とは言いがたいものの、若き日のストーンズの
エネルギッシュな演奏が楽しめる貴重な音源であることに変わりはない。
「Get Ya Ya’s Out」以降のライヴとは違い、どの曲もスタジオ・テイクよりア
ップテンポで演奏され迫力がある。
冒頭の「Under My Thumb〜〜Get off of my cloud」メドレーのスピードとワ
イルド感にはワクワクしてしまう。
「Not Fade Away」は後年のライヴよりも勢いがある。
ミックのヴォーカルに絡むブライアンのブルースハープが黒っぽくていい。
「Satisfaction」と思わせてから入る「The Last Time」のアレンジもなかなか。
「Lady Jane」でのミックの丁寧なヴォーカル、ブライアンの奏でるエレキシタ
ール、スタジオ版とニュアンスの違うキースのギターも聴きどころ。
「Time Is on My Side」はスタジオ・テイクよりもずっとかっこいい。(3)
「Got Live If You Want It!」は異なるミックスが乱造されている。
フェイドアウトしたりしなかったり(途中でふっと切れたり)、MCの尺が違っ
たり、歓声と演奏が左右泣き別れになっているものと歓声もステレオになって
いるもの、など。
CD化された後は曲が終わるごとにフェイドアウトしライヴ気分を萎えさせる。
アルバム・タイトルはストーンズが敬愛するブルース・シンガー、スリム・ハ
ーポ(4)のデビュー曲「Got Love If You Want It」をもじったもの。
実は英国ではその前年の1965年6月デッカから同じ「Got Live If You Want It!」
というタイトルでEP盤が発売されているが、内容は前述のLPとは全くの別物。
1965年3月リヴァプールとマンチェスターのステージを収録したもので、手が加
えられていない生々しい演奏とヴォーカルが聴ける。
オリジナルのヒット曲は収録されずカヴァー曲だけで構成された。
Side A
1. We Want The Stones (Nanker Phelge)
2. Everybody Needs Somebody to Love (S. Burke, J. Wexler, B. Russell)
3. Pain in My Heart (Naomi Neville)
4. Route 66 (Bobby Troup)
Side B
5. I'm Moving On (Hank Snow)
6. I'm Alright (Ellas McDaniel)
ハンク・スノウ(5)の「I’m Moving On」をR&Bにアレンジしブライアンのスラ
イドギターをフューチャーした演奏と、 ボー・ディドリー(6)の「I’m Alright」
のカヴァーは特に出来がいい。
「I'm Alright」はLPにも収録されているが、LPの方はこの演奏トラックを使用し
ヴォーカルのみ録り直したものと思われる。
アメリカではこのEP盤は発売されず前述のLPが独自に(勝手に)編集された。
この辺が英国デッカと米国ロンドン・レコードのストーンズの解釈の違い、とい
うか英国市場と米国市場の違い(=ファンの質の違い)なのだろう。
ストーンズの原点であるR&Bが聴ける、若き日の野獣のような激しさといかが
わしさが感じられるという点ではこのEP盤に軍配が上がる。
しかし僕のようなミーハーなファンにとっては、慣れ親しんだナンバーが聴ける
LP「Got Live If You Want It!」の方が楽しる。
実際に「Love You Live」(1977)や「Still Life」(1982)より「Got Live If You
Want It!」と「Get Ya Ya’s Out」の方が聴く機会が多い。
まあ、ブライアン・ジョーンズかミック・テイラーがいた頃のストーンズが好き
ということになるのかもしれないけど。
「Got Live If You Want It!」は初期のストーンズの貴重なライヴ音源だ(7)。
たとえ過剰に手が加えられたいあざとい編集盤であったとしても。
こんなレコード会社のやりたい放題のいい加減なアルバム(8)が許されてたなんて、
ある意味ありがたいことかもしれない(笑)
<脚注>
鉄腕アトムが誕生したのは2003年4月7日という設定だった。
この漫画の連載が始まった1952年(1)には半世紀後、21世紀の2003年なんて本当
にそんな時代が来るんだろうか?と思うような遠い「未来」だった。
今は2016年。その「未来」も既に13年前の過去になっている。
1982年公開のSF映画「ブレードランナー」の舞台は2019年のロサンゼルスだった。
地球環境の悪化により人類の大半は宇宙に移住し、残った人々は高層ビル群が立ち
並ぶ人口過密の退廃した都市部での生活を強いられていた。
酸性雨が降りしきる近未来のロサンゼルスには眩い太陽もパームツリーもない。
アジア的で猥雑なサイバーパンクの街と化していた。
宇宙開拓の前線では遺伝子工学により開発された「レプリカント」(2)と呼ばれる
人造人間が奴隷として過酷な作業に従事していた。
彼らは外見上は本物の人間と見分けがつかない。が、寿命は4年しかなかった
レプリカントの中にも反乱を起こす者が現れ人間社会に紛れ込むようになった。
そんなレプリカントたちを処刑する専任捜査官が「ブレードランナー」(3)である。
ハリソン・フォード演じるデッカード(4)は自らの職に疑問を抱きつつ、人間を殺害
し脱走し密かに地球に帰還し潜伏していた最新レプリカント「ネクサス6型」の男女
4名(5)を狩るべく追う。
そしてそのリーダー格との死闘でやっと彼らの真意を知る。
レプリカントたちは「もっと生きたかった」のだ。
そのレプリカント「ネクサス6型」たちが製造された年が2016年(6)であった。
1982年の公開時は2016年なんて遠い遠い「未来」と誰もが思っただろう。
鉄腕アトムの時と同じだ。
この映画はフィリップ・K・ディック(7)のSF小説「アンドロイドは電気羊の夢を
見るか?」を原作とし、英国人のリドリー・スコット監督によって制作された。
リドリー・スコットは「エイリアン」(1979年)に次ぐ本作でも、卓越した映像セ
ンスと美学を発揮し、SF映画にありがちだったクリーンな未来都市のイメージを打
ち破り、環境汚染にまみれた酸性雨が降る退廃的近未来都市像を描いた。
カオス的な未来都市はフランスの漫画家メビウスの作品をイメージしており、デッ
カードの役は「混沌とした未来社会でのフィリップ・マーロウ(8)的な探偵」とい
う設定になっている。
荒んだ街並、降り続ける酸性雨、煙と光、噴きあげる炎、そびえ立つ不気味な高層
ビル、空を飛び交うクルマ、様々な人種が入り乱れる薄汚れた雑踏。
「強力わかもと」「コルフ月品」「日本の料理」など漢字やカタカナのネオン看板、
コカコーラや芸者が映る大型ヴィジョン広告が印象的だった。
日本語が多い理由は、リドリー・スコットが来日した際に訪れた新宿歌舞伎町の様
子をヒントにしたとという話だ。
日本語の店主が切り盛りする露店、日本語のガヤ(話し声)が多用されている。
膨れ上がる予算と何度も遅延するスケジュール。
完璧主義者のリドリー・スコットは妥協しない。
疲労と不満、緊迫した撮影現場でアメリカ人スタッフとの関係も最悪だった。
この作品が製作されたのはCGなどまだ存在しなかった時代である。
最後のアナログSF映画とも言われる。デジタル処理が一切施されていないのだ。
気が遠くなるような繊細な模型やセット作り、入念に計算されたカメラワーク、根
気強いテイクの積み重ね、手間のかかるオプティカル処理、といった人力だけで仕
上げた奇跡的な作品である。
SFとフィルムノワールを融合させたSF映画の金字塔とも言われる。
1982年公開時は「E.T.」の大ヒットの陰に隠れて興業成績は全く振るわなかった。
心温まる健全なSFファンタジーが支持されていた時代に、暗く退廃的な「ブレード
ランナー」は受け入れられなかった。評論家たちも酷評した。
日本でも公開時は極端な不入りで早々に上映が打ち切られてしまった。
当時の配給会社が作った宣伝用キャッチコピーは「2020年、レプリカント軍団、
人類に宣戦布告!」と宇宙SF映画的なもので内容とギャップが大きかった。
その後、名画座での上映からしだいにカルトムービー的な評価を得て、ビデオが
発売・レンタル化されてからは記録的なセールスとなる。
「ブレードランナー」ではシド・ミード(9)の美術デザイン、リドリー・スコット
の撮影センスに加え、ヴァンゲリスによるシンセサイザー音楽も独特な美学と世
界観の構築に大きく貢献している。
リドリー・スコットもヴァンゲリス(10)の音楽のおかげで想像力を膨らませること
ができた、ヴァンゲリスなしではこの映画は成立しなかった、と認めている。
実際に彼は撮影中の現場で雰囲気を出すために大音量でヴァンゲリスの音楽を鳴
り響かせたいたそうだ。
エンドロール中にサウンドトラックが発売される旨が書かれているが実際には発
売されず、正式にリリースされたのは1994年である。
ヴァンゲリスは「炎のランナー」のサウンドトラックで商業的成功を収めた直後
で、映画音楽家と思われる事を嫌ったためらしい。
台詞や効果音がコラージュされていて映画の雰囲気が味わえる。
映画を観ていない人でもこのサウンドトラックをヘッドフォンで聴きながら夜の
歌舞伎町や道頓堀(11)を歩けば、近未来のサイバーパンク都市のハードボイルド
気分に浸れるのではないかと思う。
↑写真をクリックすると「Love Theme」が聴けます。
中でも秀逸なのが「Love Theme」と「Blade Runner Blues」だ。
レプリカントを製造するタイレル社の秘書レイチェル(実は彼女もレプリカント
だった)のテーマ曲「Rachael's Song」でのメリー・ホプキンのスキャットも
聴きどころ。
尚2003年には1994年のサウンドトラック盤に収録されなかった曲、映画で使わ
れなかった作品を網羅した25周年記念の3枚組のCD発売されている。
今夏「ブレードランナー」の続編が2017年11月に全国公開されることが決定。
製作総指揮はリドリー・スコット、監督はドゥニ・ヴィルヌーヴが務める。
脚本は前作の脚色を手掛けたハンプトン・ファンチャーとマイケル・グリーン。
デッカード役はハリソン・フォードが続投するそうだ。
2019年から数十年後の話らしいがいったいどんな世界を見せてくれるんだろう?
そこに描かれる「未来」が実際に訪れた時(僕らの世代はもういないが)この続
編を若い頃に見た数十年後の大人たちは何を思うのだろうか?
<脚注>
今回もカントリーロックの名盤を紹介したい。
バースの「ロデオの恋人(Sweetheart Of The Rodeo)」だ。
まずタイトルがいい。そしてジャケットがすごく素敵なのだ。
秀逸なジャケットに駄作なしと言うが、まさにその見本のようなアルバムだ。
1968年発表の通算6作目のこのアルバムは、カントリーとロックを融合させる
新しい試みでバーズにとって大きな転機であると同時に後のポコ、イーグルスに
繋がるカントリーロックの源流とも言える重要な作品である。
僕の好みから言うと、この「ロデオの恋人」こそバーズの最高傑作だ。
バーズと言えば「ミスター・タンブリンマン」。それには異論はない。
ものすごく乱暴な言い方をすると、ボブ・ディランやピート・シーガーにビー
トルズのアプローチを加えることで、バーズは「フォークをロック風に演奏す
る」いわばフォークロックというスタイル(1)を確立した。
バンドとは変革し進化していくのが常だが、バーズほどメンバーがころころ入れ
替わりその度に音楽性がガラッと変わったグループも珍しいかもしれない。
1965年にロサンゼルスでロジャー・マッギン、ジーン・クラーク、デヴィッド・
クロスビー、クリス・ヒルマン(b)、マイケル・クラーク(ds)の5人でスタートし
たバーズはフォークの柔らかい雰囲気とロックのリズム感、美しいハーモニーを
融合させた独特のサウンド(2)が持ち味であった。
ロジャー・マッギンはビートルズの映画「A Hard Day’s Night」を観てジョージ
・ハリソンが弾いていたリッケンバッカーの12弦ギターに魅せられ、同じモデル
(360/12)を入手しバーズを結成する。
ジョージのリッケンバッカー12弦はイントロ、オブリ、間奏のメロディーや曲
間のアルペジオなどに使われ、初期のビートル・サウンドの要になった。
ロジャー・マッギンの場合は曲を通してずっと鳴っている、いわゆるジングル
ジャングル・サウンドが特徴だ。
これを聴いたビートルズは「If I Needed Someone」でリッケンバッカー12弦
をバーズのように使う(もっと抑えめだが)試みをしている。
しかしこの一回だけだ。彼らは「やりすぎは良くない」ことを心得ていた。
初期のバーズはどの曲もジングルジャングルでやや食傷気味なのも事実。
ロジャー・マッギンのワンマン体制が音にも表れていると思う。
1966年初頭にジーン・クラークが脱退。
3枚目のアルバム「霧の5次元(Fifth Dimension)」はサイケデリック・ロッ
ク、アシッド・ロック的なアレンジが試みられた。
1967年の「昨日よりも若く(Younger Than Yesterday)」ではデヴィッド・
クロスビーの存在感が増し、フォークロックに立ち返る。
1968年の「名うてのバード兄弟(The Notorious Byrd Brothers)」はフォー
ク、カントリー、サイケデリックが渾然一体となり、曲も切れ目もなく全体で
一つの作品(バーズ版Sgt.Peppers?)といった趣。
メンバー間の確執が顕在化し、クロスビーが脱退。
レコーディングが終わる頃はロジャーとクリスの二人だけになっていた。
そこでクリス・ヒルマンはメンバー探しを行う。
ロジャー・マッギンはジャズ的なサウンドを考えていたため、ピアニストを探し
て欲しいと頼んでいたらしい。
が、ヒルマンが連れてきたのは頑固一徹のカントリー・ボーイ、グラム・パーソ
ンズ(ピアノも弾けた)とドラマーのケヴィン・ケリーだった。
グラム・パーソンズはナッシュヴィルでカントリー路線のレコーディングをする
ようロジャーをなんとか口説き落とそうと執拗な説得にかかる。
自分が考えていた音楽とは正反対の方向性ではあったが根負けしたのかロジャー
も決意し、新体制のバーズの4人とセッション・ギタリストのクラレンス・ホワイ
ト(3)はナッシュビルに向かう。
現地ではカントリー畑の腕利きミュージシャンもレコーディングに参加した。
さて、そのアルバムの内容であるが。
当然のごとくマンドリン、バンジョー、ペダルスティールを導入し、サウンドは
完全にカントリー寄りになった。
ロジャー・マッギンとクリス・ヒルマンが作曲に関わった曲はない。
1曲目の「You Ain't Going Nowhere」はディランの作品。
ペダルスティールがカントリーっぽい雰囲気を出している。
ロジャー・マッギンがヴォーカルだが、歌詞を入れ替えている箇所(4)がある。
↑写真をクリックすると「You Ain't Going Nowhere」が聴けます。
2曲目はギャロッピング奏法でチェット・アトキンスに多大な影響を与えたカント
リー・ギターの名手であり、シンガー&ソングライターでもあるマール・トラヴィ
スの「I Am A Pilgrim」。ヴォーカルはクリス・ヒルマン。
そしてカントリー・デュオ、ルーヴィン・ブラザーズの「The Christian Life」。
グラム・パーソンズはまさにカントリーを歌うために生まれてきたようなハリの
ある艶やかな、いい声をしている。
(後に一緒に歌うエミールー・ハリスとの相性も最高だった)
続く「You Don't Miss Your Water」はウィリアム・ベル作でオーティス・
レディングやタジ・マハールもカヴァーしているソウルのスタンダードだが、カン
トリー・ワルツにうまくアレンジされている。
この辺がグラム・パーソンズが目指したカントリーとR&Bの融合なのだろう。
当初グラム・パーソンズのヴォーカルで録音されたが、彼の契約の問題(4)から
ロジャーの歌に差し替えられた。
CDのボーナストラックに収録されたが、この曲はグラムの歌の方がいい。
「You're Still On my Mind」はカントリー・シンガー、ジョージ・ジョーン
ズのカヴァーでグラム・パーソンズがヴォーカル。
LP盤ではA面ラストだった「Pretty Boy Floyd」はプロテスタント・フォーク
の父、ウディ・ガスリーの名曲。
ブルーグラスにアレンジされロジャー・マッギンが歌っている。
B面1曲目、グラム・パーソンズのオリジナル曲「Hickory Wind」はペダルステ
ィールとハーモニーが美しいスローワルツ。
(後にグラムはソロになってからエミルー・ハリスとデュエットしている)
↑写真をクリックすると「Hickory Wind」が聴けます。
続く「One Hundred Years From Now」もグラム・パーソンズの曲。
当初はグラムのヴォーカルで録音されが、ロジャー・マッギンのヴォーカルに差
し替えられている。
ロジャー版はバーズらしいソフトなフォークロック・ナンバーだが、グラムが歌
うと力強い初期イーグルスを彷彿させるようなカントリーロックに聴こえる。
クラレンス・ホワイトのストリングベンダー・ギターのソロが堪能できる。
女性カントリー・シンガー、シンディ・ウォーカー作の「The Blue Canadian
Rockies」はジム・リーヴス、ジーン・オートゥリー、ウィルフ・カーターも
カヴァーしたカントリー・ワルツ。
グラム・パーソンズがヴォーカルをとっている。
「Life in prison」は先日他界した伝説のカントリー・シンガー、マール・ハガ
ードの曲。軽快なテンポにリアレンジされ、グラム・パーソンズが歌っている。
ラストを飾るのは再びディランの曲で「Nothing Was Delivered」。
ロジャー・マッギンのヴォーカルでバーズらしい爽やかなハーモニーが聴ける。
アルバム全編を通してグラム・パーソンズ主導で制作されたのがよく分かる。
当然リーダーで今までワンマン全開だったロジャー・マッギンは面白くない。
二人はことあるごとに対立していたようだ
グラム・パーソンズはリーダーのロジャーを差し置いて好き放題やったあげく、
アルバムが発表される2ヶ月前にバーズを脱退(6)してしまう。
彼がバーズに在籍していた期間はわずか5ヶ月。
しかもクリス・ヒルマンを引き抜きフライング・ブリトー・ブラザーズを結成。
ロジャーにとってはひょっこり入ってきたグラムに主導権を握られ、結果的には
「庇を貸して母屋を乗っ取られた」みたいな感じだったのかもしれない。
うがった見方をすれば、もともとマンドリン奏者であったクリス・ヒルマンがグ
ラム・パーソンズを誘い、バーズでカントリーロックを試みたとも思える。
このアルバムが発表された時、カントリー界からは総スカン、ロック界(特に旧
バーズ・ファン)からは裏切り者扱いをされたようだ。
セールス的にも振るわなかった。
ウエストコースト・ロックが開花してからやっと評価されるようになったのだ。
僕のようにイーグルスから遡ってこのアルバムを聴いた者にとっては、カントリ
ーロックの瑞々しい出発点であり、時代を経ても褪せることのない完成度の高い
サウンドの本作はまさにロックの金字塔と呼べるアルバムだ。
そしてその最大の功労者は皮肉なことにロジャー・マッギンではなく、疾風ごと
くバーズを駆け抜けて行ったグラム・パーソンズであった。
ケヴィン・ケリーも脱退し、ロジャー・マッギン一人だけになってしまったバー
ズはクラレンス・ホワイトを正式メンバーとし、ジーン・パーソンズ(ds)、ジョ
ン・ヨーク (b)を加えることでライヴ・バンドとしての演奏力を高める。
だが音楽の内容としては、グラムの敷いたカントリーロックの路線を惰性で続け
ているだけだった。バーズは1973年に解散。
グラム・パーソンズが立ち上げたフライング・ブリトー・ブラザーズの2枚目の
アルバムでは後にイーグルスを結成するバーニー・レドンが参加している。
グラムはこのバンドも脱退し、1973年からソロ活動を始める。
後にカントリーの歌姫となるエミルー・ハリスとの黄金色のハーモニーは絶品。
リンダ・ロンシュタットもコーラスで参加している。
「ロデオの恋人」に始まりグラム・パーソンズが極めようとしたカントリーロッ
クはこの後、ウエストコースト・ロックに昇華されて行った。
グラムはソロ2弾「グリーヴァス・エンジェル」発売前の1973年9月に麻薬の過剰
摂取により死去している。26歳という若さであった。
<脚注>