2021年7月27日火曜日

ロックのレジェンドに学ぶ服飾術(2)エリック・クラプトン-3


1992年10月NYマディソンスクエア・ガーデンで行われたボブ・ディラン30
周年記念コンサートに出演。ブッカー・T&ザ・MG'sをバックに演奏。
個人的にはクラプトンのベストパフォーマンスの1つである。
クリックするとDon't Think Twice, It's All Rightが聴けます。

初めて短髪を披露。アルマーニのラウンド型メタルフレームの眼鏡。
アルマーニのネイビーのスーツ。インナーは黒のバンドカラーのシャツ。



<迷ったら原点回帰、ブルースに戻る>

1994年発表のアルバムFrom the Cradleは全曲ブルースのカバー
アンプラグドでの成功後「原点回帰」を念頭に製作されたアルバムである。
ほぼ全曲が一発録りで制作された。(2曲のみオーバーダブしている)


From the Cradle発売に合わせて1994~1995年にかけNothing But The 
Bluesツアーを行う。演奏したのは全曲ブルースのカバーだった。


マーティン・スコセッシ監督が1994年11月フィルモアでのコンサートを撮影
したドキュメンタリー作品Nothing But The Bluesはお薦めだ。



Nothing But The Bluesツアーのポスター。クラプトンの愛犬たち。
クリックするとNothing But The Bluesが観れます(字幕付き)



僕は1995年10月武道館公演をアリーナ2列目正面で見ることができた。
ストラトにプラグインするカシャッという音、オフマイクでのメンバー間の
やりとりまで聴こえる。汗まで見えた。
クラプトンは通算9回生で見たが、この日のステージが最高だった。




このツアーでは白のストラト、後半1964年製チェリーレッドのES-335(また
ES-335 1959リシュー)を使用。

アコースティック・セットでは1939年製マーティン000-42にビル・ローレンス
の着脱式マグネット・ピックアップをサウンドホールに装着し、立ちマイクで
拾った生音とブレンドしていた。
(クラプトンはブラッキー、000-42に手を加えるのを嫌がった、とエンジニア
は証言している。この後マーティンが000-28と00-42のシグネチャー・モデル
を作るが、ピエゾ・ピックアップ内蔵だった。新品は気にしないらしい)




↑某セレクトショップの役員に「クラプトン、黒いTシャツでしたね」と言った
ら「アルマーニの3枚パックですよ。間違いない」とのこと。




1996年9月クラプトンはプリンストラスト・コンサートのトリを務める。
ハイドパークの野外ステージで15万人の観衆を前にクリーム時代から1970年代、
1980年代のクラプトン・クラシックスというべき代表曲のオンパレード。
From the Cradleに収録されているブルースのカヴァー曲も多かった。

これもクラプトンのベストパフォーマンスの一つ。(DVD化されている
スティーヴ・ガッド(ds)がクラプトン・バンドに加わった。



↑クリックするとHave You Loved A Womanが観れます。
VネックのTシャツ、リーバイス501にレザーのテイラードジャケット。
チェリーレッドのES-335が映える。



1997年サイモン・クライミーと共同のT.D.F.名義でRetail Therapyを発表。
ブルースとは真逆の打ち込みを駆使したハウス系アンビエント
クラプトンと恋仲だったシェリル・クロウの声もサンプリングされている。

アルマーニのファッションショーで使われる音楽を想定して作られたそうで、
クラプトンがブランドものを買い漁っていたことからRetail Therapy
(ショッピング療法)という皮肉めいたタイトルがつけられた。



↑クラプトンとアルマーニ。服は当然アルマーニでしょ。(写真:gettyimages)



2002年に結婚するメリア・マッケナリー(31歳年下)はアルマーニのセールス
エグゼクティブだった。彼女ともアルマーニのパーティーで知り合ったそうだ。
(写真:gettyimages)




<アルマーニから裏原ブランドへ>

1998年サイモン・クライミーと共同プロデュースでアルバムPilgrimを発表。
今までと毛色が違うソリッドなサウンドだが時々聴きたくなる。
以降サイモン・クライミーによるプロデュース作品が続く。


1999年Pilgrimツアーの一環で14回目の来日。
横浜アリーナでのコンサートをNHKが収録しBSで放送した。
登場シーン、手元や足元のアップなどファンの見たい所をうまく撮っている。



↑クリックすると1999年の武道館コンサートが観れます。


この映像でも分かるが、クラプトンのファッションの傾向が変わった
リーバイス501(シルエットが太いのは体型のせいでサイズアップした?
1960年代のヴィンテージだから?)、スケーター愛用のステューシーの
シャツなどカジュアル路線へ



↑レッドウィングのブーツ。
来日の際も渋谷店で購入している。
スーパーソール#204はFrom The Cradleの内ジャケにも写ってる。




↑珍しい?後ろ姿。デニムジャケットはリーバイス506。
針なしシンチバックとプリーツは1946〜1953年の戦後モデルの特徴。
(写真:mushroom)





クラプトンは藤原ヒロシ(1)と懇意になり裏原ブランドを好むようになる。
藤原氏の紹介で中村ヒロキが手がけるヴィズヴィム(2)のシューズやウェア、
原宿のインディアンアクセサリーの老舗ゴローズ(goro's)(3)のブレスレット
やネックレス、藤原氏プロデュースのヘッドポーターのバッグを愛用。










公演以外プライベートでも来日している。原宿にマンションまで購入。
一時は日本の某女優を愛人に。。。おっと、やめておこう(笑)

とんかつ福よしのチキンカツは大のお気に入りで、来日の際は必ず行くという。
「世界で最も美味しい食べ物の一つ」とクラプトンは言っている。



↑福よしの前で。クラプトンさんもちゃんと並んで入店してるそうだ。
ジャケットと靴はヴィズヴィム。バッグはヘッド・ポーター。




↑お買い上げはすべてヴィズヴィム。


Riding with the King(2000年)はB.B.キングと競演。再度ブルース回帰。


2001年のReptileはアルバム・タイトル曲のインストゥルメンタルが秀逸。
他はカバー曲が多くよく言えば多様で楽しめるが、悪く言えば散漫な印象。
(以降のアルバムもこんな感じ)

2001年のツアーではReptile、Somewhere Over The Rainbowの2曲で
1948年製ギブソンL-5Pを弾いている。
(音的にも絵的にもストラトとうまい使い分けだ)
ビリー・プレストンのハモンドオルガンもブルージー。

翌年One More Car One More RiderとしてCDとDVDが発売された。
(NHKが収録した2001年の武道館の方がいい絵が撮れてたが)



↑クリックするとReptileが観れます。(2001年のツアー)



2004年3月リリースのMe and Mr. Johnsonは再々度ブルース回帰
しかも全曲、敬愛するロバート・ジョンソンのカバーである。

同年12月に付随企画で映像版のSessions for Robert J が発売された。
ロンドン、ロサンジェルス、ダラスで収録されたMe and Mr. Johnsonの
レコーディング・セッション2004年ツアーに向けたリハーサルの模様
を収録したDVD+CDだ。

スティーヴ・ガッド、ネーザン・イースト、ビリー・プレストン、ドイル・
ブラムホールIIといった実力派を従え、クラプトンが奏で歌うブルースは
どっしり安定感があり、温かみがある。それを(目と耳で)堪能できる。


最後のダラス・ホテルは1937年にロバート・ジョンソンがレコーディング
を行った場所で、クラプトンにとっては感慨深い聖地巡礼となった。
その歴史的な部屋でドイル・ブラムホールIIのスライド・ギターとクラプトン
の2人のセッション、クラプトンのソロで旅は終わる。これは買いですよ!


↑クリックするとThey're Red Hotのリハーサルが観れます。


この企画はクラプトンが藤原ヒロシに依頼し実現したものだ。
藤原氏は最初、映像作品を手がけた経験がないため断ったが、クラプトンの
「これはヒロシにやってもらいたい」という熱意に押され承諾したという。

ありきたりの音楽ドキュメンタリーとは別格の、すばらしい出来である。
クラプトンのロバート・ジョンソン愛を理解してるからこそできたのだろう。





2004年6月クロスロード・ギター・フェスティバルの記念すべき第1回を開催。
クラプトンがアンティグア島に設立したアルコール中毒患者救済施設、クロス
ロード・センターを支援するためのコンサートで、多くのギタリストが参加。

2001年からニューヨークのグラフィック・アーティストCrashによるストリート
アートっぽいペイントが施されたストラト(3種類)をメインで使い始める。
これはフェンダーが新たに開発したノイズレス・ピックアップを搭載したクラプ
トンのシグネチャーモデルで、他にメルセデス・ブルー、ミッドナイト・ブルー、
ブラックが作られ現在もクラプトンは愛用している。






2005年5月クリームの再結成ライブがロンドンのロイヤル・アルバート・ホール
で行われた。これもクラプトンのベスト・パフォーマンスの1つだ。



↑クリックするとクリーム再結成のI'm So Glad が観れます。
ロックマウントのウエスタンシャツ、ジーンズはシルエットから察するにリー
バイス501XXまたはヴィズヴィム、靴もヴィズヴィム、
眼鏡はサヴィルロウのリムレス。


アンプラグド後、眼鏡はアルマーニのボストン型メタルフレーム、横長リムレス、
エルメスの黒セルフレーム、シルバーのオーバル型、ペルソールのセルフレーム、
を経て、1999年以降しばらくサヴィル・ロウ(Alga Works)のリムレスを愛用。
2014年のツアー以降はウェリントン型のブラウンのセルフレームをかけている。






時計はロレックスのコレクションが多数。パテック・フィリップも好みらしい。(4)

クラプトンは世界有数のスーパーカー・コレクターとしても知られている。
10台以上のフェラーリとランボルギーニ、ポルシェ、メルセデスを所有している。(5)



↑クラプトンの愛車、4億円(!)の特注フェラーリSP12EC。


2003年に藤原ヒロシがマーティン社にオールブラックとオールホワイトの000-42
を特注し、クラプトンにプレゼントした。
喜んだクラプトンはエルメスにこのギター用にクロコダイルのケースを特注。
Back Home(2005年)のジャケットに写っている。成金の悪趣味〜(汗)



↑2002年に結婚したメリア・マッケナリーとの間に子供もでき、クラプトンは
幸せいっぱい。なんか夫婦というより親子と孫って感じですな。
(写真:gettyimages)



2006年には敬愛する故JJ・ケイルとThe Road to Escondidoを発表。
ひさしぶりでレイドバックしたクラプトンが帰ってきた
僕はこのアルバムが大好きで夏になるとよく聴く。461の次に好きかな。



↑Two dirty old menだけどやっぱカッコいい。こんな格好してても。


2007年3月JJ・ケイルが特別出演したサンディエゴ公演は白眉の出来だ。
個人的にはクラプトン史上最高のパフォーマンスではないかと思う。

なにしろ前半のJ.J.の入らないセットではTell The Truth、Key To The 
Highway、Got To Get Better In A Little While、Little Wing、Anyday、
Laylaとデレク&ザ・ドミノス時代の曲のオンパレードなのだ。

デュアン・オールマンのスライド奏法を継承しそれ以上のテクを持つデレク・
トラックス(6)の参加がこれらの曲の再現に大きく貢献している。



↑クリックするとTell The Truthが観れます。(2016年にCD・DVD化)



クラプトンは2019年春までに通算22回も来日。
日本武道館公演は外国人アーティストとしては最多の96回である。

2014年発売のPlanes, Trains And Ericはクラプトン来日時のライブ映像
交えながら、関係者のインタビューや移動の様子などを撮影したドキュメンタリ
作品で、オフステージのクラプトンが見れてなかなかおもしろかった。
(がっつりフル・コンサートを堪能したいという人には不向きだと思うが)
クラプトンはもうツアーをやめると言ってるが周囲は誰も信じてないとか。






2017年には気管支炎のためLA公演を中止し車椅子で帰国する様子が報じられた。
2018年クラプトンは末梢神経障害のため聴覚障害、背中や足の痛み、指が動かず
以前のようにはギターが弾けないいことを明かした。

2016年の来日時はデニムのウエスタンシャツの下にアディダスのジャージ姿。
新しいファッションなのか?と驚いたが、足の疼痛のためらしい。




2018年にはこの人が何で?と思うまさかのクリスマス・アルバムを発表。
あいかわらずのクラプトン節ではあるが。
子供も3人でき、幸せな毎日なのだろう。クラプトンも後期高齢者である。
それでも2021年は全米ツアー、来日を予定してるという。

昔のようには弾けないから、レジェンドを見にくるつもりで来てくれ、と
クラプトンは言ってる。



多くのミュージシャンが加齢で残念な感じになっていく中、クラプトンは
歳をとっても渋く、カッコいいジジイであり続けた




クラプトンみたいに・・・は無理だけど、彼のセンスを少しだけ取り入れ、
歳に抗うことなく自分なりの工夫をしてみたいものだ。


<脚注>

2021年7月14日水曜日

ロックのレジェンドに学ぶ服飾術(2)エリック・クラプトン-2


↑半袖デニムシャツにベレー帽。似合っちゃうんだなーこれが。
(写真:gettyimages)



<アメリカ南部テイストからの脱却>

1980年代に入ってからもクラプトンは土臭い路線を踏襲していた。
Another Ticket(1981)とワーナー移籍後第一弾のMoney and Cigarettes
(1983)はやや退屈な作品であった。
クラプトンらしいと言えばらしいが、時代に取り残された感は否めない。

なにしろ英国ではMTVの申し子、デュランデュランを筆頭にニューロマンテ
ィック旋風が巻き起こっていた時期である。
またフィル・コリンズらジェネシス一派が編み出したゲートリバーブ・サウ
ンド、バリライトを駆使した新しいステージ演出が主流になっていた。

アメリカではデヴィッド・フォスターやジェイ・グレイドンが手がける洗練
されたブラック・コンテンポラリーやAORがチャートを席巻し、クインシー・
ジョーンズ+マイケルが大成功を収めていた頃である。



↑1982年シークレット・ポリスマン・コンサートでジェフ・ベックと共演。
(写真:gettyimages)



Money and Cigarettesではパティの飲酒を非難した曲がある一方でパティ
捧げるラヴ・ソングがあったり。憎相半ばする、といったところか。
人も羨む理想のカップルだったが、結婚生活は争いに満ち泥沼だった。

クラプトン本人がアルコール中毒で、パティを殴ったこともあり、酷い
接し方をしていた、と後に語っている。



↑1983年アームズ・コンサートで三大ギタリスト共演が実現。
ベックは永遠のギター小僧。ペイジはヘロヘロ。クラプトンはシブかった。
(写真:gettyimages)



また浮気癖もパティを傷つけた。
イヴォンヌ・ケリーとの間に娘ができるが、6年間公表しなかった。
(以前クラプトン・バンドにいたイヴォンヌ・エリマンとの間に隠し子が
いると言われていたが、イヴォンヌ・ケリーと混同された可能性がある。
イヴォンヌ・エリマンが愛人だったことはクラプトン自身認めてるが)



次に(おいっ!)イタリア女優、ロリー・デル・サントと付き合い、息子
のコナーが生まれると、クラプトンはパティに認知を強要した。
子供を授かることがなかったパティにとっては残酷な仕打ちだったろう。


アルコール依存症の治療に取り組まないクラプトンの元をパティは去る。
パティはジョージと別れたことを後悔し、戻りたいと思ったそうだ。
そのジョージにも裏切られ冷たくされたにもかかわらず。
ジョージとは魂でつながっていた、とパティは言っている。何、それ?
どうもこの人、スピリチュアル系みたい。

とにかくロックのミューズもいろいろ苦労したのだ。



↑女は取っ替え引っ替えでも、変わらぬベスト愛(笑)
(写真:gettyimages)




<ハイテク・サウンドとイタリア高級ブランド>

そんなすったもんだの中、クラプトンの音楽とファッションにも変化が。
Behind the Sun(1985)ではフィル・コリンズをプロデューサーに起用。
ゲートリバーブを効かせた力強いリズムとポップなサウンドになった。

ドラムにはフィルの他、TOTOのジェフ・ポーカロを起用。
この後、長くクラプトンをサポートすることになるネイザン・イースト(b)
とグレッグ・フィリンゲインズ(kb)も初参加。

数曲はテッド・テンプルマンとレニー・ワロンカーがプロデュースを行い、
クリス・スティントン(kb)ドナルド・ダック・ダン(b)など以前の面子
がバックを務めている。
つまり、このアルバムがターニングポイントだったと言える。


ファッションも(当時としては)コンテンポラリーに変わった。
アルマーニなどデザイナーズ・ブランドのスーツ2タックのパンツにオー
バーサイズの無地Tシャツや白か黒のシャツというスタイルが増えた。



↑1984年ロンドンのアールズコートで。ダブルのスーツはアルマーニだろう。
もしくはヒルトンタイムかエルメネジルド・ゼニアか。
マーガレット・ハウエルご愛用という記事があったがそれらしき写真はない。
(写真:gettyimages)




↑1985年ライヴ・エイド出演。ライト・グレーの2タック・パンツに白シャツ。
ブラッキーを弾くのはこの年が最後。ストラップはアーニーボールの赤。
後ろに見えるのがこの年導入したバリライト(コンピューター同期の照明)。



オンライン・チケットサイトTicketSourceが2021年2月にアーティストの
ライヴ・パフォーマンスをGoogleとYouTubeの年間検索数、YouTubeの
再生回数を集計・採点し上位50を発表している。
(The World's Most Popular Live Performances Top 50)

それによると1985年ライヴ・エイドでのクラプトンが30位に入っている。
伝説的なベーシストのドナルド・ダック・ダンの姿が見られること、フィル
・コリンズがロンドン会場に出演した後コンコルドでフィラデルフィア会場
に駆けつけクラプトンのバックを務めたこと、クリーム時代のWhite Room
を演奏し会場を沸かせたこと、が人気の要因なのかもしれない。



↑クリックするとShe's Waitingが観れます。


カッコよかったのは認める。僕は音的には浮いてた(好きだけど)印象。
(ちなみに1位は同じライヴ・エイドでのクイーン。これは異議なし)
クラプトン本人も他の出演者と比べて自分のバンドの音が古いと実感したの
ではないだろうか。



1986年のツアーはメンバーを一新
ネイザン・イースト(b)グレッグ・フィリンゲインズ(kb)フィル・コリ
ンズ(ds)による4人編成でシンプルでタイトな音作りになった。
White Room、Sunshine Of Your Love、Crossroadなどクリーム時代の曲も
この強力バンドによってアップデートされファンを歓喜せさた。



↑1986年。ポップなギンガムチェックのスーツはどこのだろう?
(写真:gettyimages)




↑この年からレースセンサー・ピックアップ搭載のフェンダーがクラプトンの
ために開発したシグネチャー・モデルのストラトを使用。
ガンメタ、レッドなど今までにない色も新鮮だった。
(写真:gettyimages)




この年にリリースされたアルバムAugustはフィル・コリンズを全面的に起用。
土臭さは消え、ハイテク・クラプトンになった。
アルバム・タイトルは息子コナーが8月に生まれたのにちなんでいる。



↑いかにもアルマーニですーって感じのアンコン・ジャケット。
(マイアミ・バイスにヤク密輸の大物役で出演してもおかしくない)




<サウンドもファッションもリッチ&ゴージャスへ>

1989年11月に発売されたJourneymanはラス・タイトルマンをプロデュース
に迎え、1986年ツアーの4人編成バンドに多彩なゲストを加え制作された。
1980年代を締めくくるクラプトンの力作となる。

シングルカットされたBad Loveは、往年のLaylaやBadgeを彷彿させる
キャッチーなリフとメリハリのあるサウンドで、1990年代に向けてクラプトン
の健在ぶりを見せつけた。

カヴァー曲もPretending、Running on Faith、Before You Accuse Me、
Hard Times(レイ・チャールズ)など名演が聴ける。
Old Loveをクラプトンと共作した若手ブルース・ギタリスト、ロバート・
クレイが4曲で参加している。




この後のツアーでロバート・クレイの演奏を実際に見て思ったのは。。。
確かに巧い。しかしあまりにも正確で洗練されすぎ、ブルース・ギターとして
はかえって面白みがない、温かみがない、黒っぽさがないのだ。

その点クラプトンは手癖と勢いで行っちゃうし、たまにミスるのもご愛嬌。
本場のブルースより、イタリア製スーツを着た青い目の人が英国風ロックに
料理した方が聴きやすい。



↑この時期のファッションは一言で表すとリッチ&ゴージャスだろうか。
スーツもギター・ストラップもジャン=ポール・ゴルチエ。ちょっと苦手。
(写真:gettyimages)



1990年〜1991年にロイヤル・アルバート・ホールで24回行なったライブ音源
が24 Nightsとして発売された。(2CD、1991)

Disc1の1-4曲は小編成の4ピース・バンド。クリームを3曲演奏している。
Track5以降バディ・ガイ、ロバート・クレイなどR&Bのゲストが参加している。

Disc2の前半は女性コーラスも入った9ピース・バンド。
後半はナショナル・フィルハーモニック管弦楽団との共演が収められている。

Disc1の1-4、Disc2の1-4しか聴かなかったな。



(写真:gettyimages)



<アコースティックという新境地+アルマーニ>

ロリ・デル・サントと間に生まれた息子コナーをクラプトンは溺愛してた。
しかし1991年3月、悲劇が起こる。
当時4才半のコナーが母親のロリ(結婚はしてなかった)と暮らしていたニュ
ーヨークのアパートメントの53階の階段の窓から転落死したのだ。

クラプトンは大きなショックを受け引きこもってしまう。
再びドラッグと酒の世界に舞い戻ってしまうと多くのファンや友人が心配した。


クラプトンはコナーに捧げるTears In Heavenの作曲で悲しみを乗り越える。
この曲が1992年に全米シングルチャート第2位を記録。
翌1993年にはグラミー賞の最優秀レコード賞、他2部門の最優秀に選ばれた。

1991年12月にはジョージ・ハリスンと一緒に来日しコンサートを行う。
ジョージは1974年の全米ツアーが不評に終わって以来、ゲスト参加以外ステ
ージに立たなくなっていたが、クラプトンに「日本の観客の質はいい、僕の
バンドがバックを務めるから君は歌うだけでいい」と背中を押され実現した。



↑Tears In HeavenのPVは来日に向けてジョージとリハーサルを行なっていた
スタジオで撮影されている。
クラプトンの後ろに並んでいるのはクラプトンとジョ
ージのギター


1992年1月にはMTVアンプラグドに出演
アコースティックのバンド編成で観客の前でパフォーマンスを行う。
MTV放送後、8月にはアルバムと映像作品が発売。
アルバムが全米1位、グラミー賞でアルバム・オブ・ザ・イヤー等に選ばれる。




ロバート・ジョンソンやマディ・ウォーターズのブルース、自身のこれまでの
レパートリーをアコースティックにアレンジし新しい側面を見せた。
特にLaylaのアコースティック・バージョンは話題となり、Tears In Heaven
も前年のスタジオ録音盤の時以上の反響を得る。

(以降のツアーでもアコースティックギターによるTears In HeavenとLayla
は人気で、長い間セットリストに入っていた)


映像作品では改めてアコースティックギターでも神がかりで巧いクラプトンに
多くのロック・ファン、ギター・ファンたちは感嘆したわけだが、同時に彼の
服の着こなし、座って弾いてもカッコいいビジュアル面の魅力にも心酔した。



↑ワーナーの宣伝担当の女性に「アンプラグドで着てたクラプトンのグレンチェ
ックのシャツがカッコいい」と言ったら、「ああ、アルマーニですよ、日本店
でも76,000円で売ってます」と事も無げに言われた。
帰りにアルマーニに寄ったら本当に売ってた! 無理っす。一桁違う(汗)

微妙な色合いのネイビーのスーツもアルマーニだそうである。
ボストン型の眼鏡はGIORGIO ARMANIロゴが確認できる。色はチェスナット。
Tears In HeavenのPVでは同型で色違いのブロンドの方をかけている。
レンズに境界線があるのを見て、クラプトンが老眼鏡!と当時は驚いたものだ。




↑リハーサルで着てた薄いオリーブ色のスーツと同色系チェックのシャツ。
これもアルマーニ。写真をクリックするとLonely Strangerが観れます。




<アンプラグドでのクラプトンの使用ギター>


↑メインで弾いていたのは461〜で使用した1939年製マーティン000-42。
いわゆるpre-warモデル。クルーソン・オープンバック・チューナー、
アバロン・ロセット、スノーフレーク・インレイ(1フレットにはない)が
美しい。バーチカル・ロゴではなく通常の横書きのMartinロゴ。




↑12弦のマーティンD-12-18は黒ピックガードなので1966年以降のもの。



↑Tears In Heavenを弾いたクラシック・ギター。
ホセ・ラミレスのエステューディオ4Eと音楽誌に書いてあったが間違い。
1977製ホアン・アルバレスのエステューディオである。
トップ材とネックはシダー、サイド&バックはローズウッド。



↑リゾネーター・ギターは1970年代に入手したリーガル社製。
スプルース・トップにローズウッドのサイド&バック。
下の写真はリーガルの通常モデルだが、クラプトンはカスタムオーダーで
マーティンのネックに交換し指板に豪華なインレイを付けさせたという。





(横でネーザン・イーストが弾いてる大きなギター型ベースはギルドB-30E。
ポールのアンプラグド、ニルヴァーナのアンプラグドでも使用された名器)




<アンプラグドの成功の余波>

クラプトンのアンプラグドは音楽業界に新たなトレンドを生み出した。
これ以降、アコースティック音楽、とりわけロック・アーティストのアンプラ
グド・アルバムが1990年代前半に流行する。





またその余波で、一時は瀕死寸前だったアコースティックギターの売上げが
急伸し、苦境にあったマーティンやギブソンなど高級ギターがバカ売れした。


もう一つ着目すべきなのは、アコースティックギターを弾き歌うスタイリッシュ
なクラプトンに惚れ込んだ女子にまでファン層が広がった点である。
(1970年代からの女性ファンとは違う新しい層)

Tears In HeavenとLaylaしか知らない女性ファンが見に行くようになったため、
別にクラプトン・ファンでもない業界人や提供スポンサーにいい席が流れるため、
武道館のチケットは年々獲りにくくなって行った。

<続く>


<参考資料:エリック・クラプトン 12小節の人生、Rollingstone、クロサワ楽器、
エリック・クラプトン自伝、、パティ・ボイド自伝 ワンダフル・トゥディ、
groundguitar、MONOCHROME、Wikipedia、gettyimages、他>