2021年8月12日木曜日

ロックのレジェンドに学ぶ服飾術(3)カート・コバーン



<カート・コバーンが追求したグランジとは何か?>

1990年代前半ロックに「グランジ」という新たなジャンルを確立したニルヴァーナ。
そのボーカル、ギター、ほとんどの作曲を手がけてたのがカート・コバーンである。

カートのグランジ精神はファッションでも一貫している。
グランジ(grunge)とは「汚れた、うす汚い」を意味するグランジー(grungy)
という俗語が名詞化したもの。


1980年代後半ロックは隙のない完成度、煌びやかで派手な音が主流になっていた。
音楽ビジネスも巨大なマネーマシーンになり、ロック・アーティストが豪華に着飾る
ことが当たり前のようになっていた。(1)


シアトルで生まれたグランジ・ロックは着飾らないありのままの自分の表現だ。
商業的成功とは対極を成すアンダーグラウンドなロックである。




ファッションにおいてもカートは自分らしさを表現。「日常着」にこだわった。
彼が愛したのはロックスターが好むブランド品ではなく、その辺で売っているような
安価な服や古着である。

しかもその着こなしセンスはカリスマ性を感じさせ、カッコよかった。


Tシャツの上にネルシャツやパジャマの上、その上にカーディガンを無造作に羽織る
というスタイルを好んでいたカート。
ボロボロの穿き古したジーンズと履き古したスニーカー。
程よく使用感のある服は着古してクタっとした「普段着感」が出ている。



<カート・コバーンが愛用したアイテム -1 ジーンズ>

カートのジーンズは大きな穴が空いてたり、つぎ当てがしてあるものが多い。
現在では当たり前のダメージ・ジーンズの先駆けと言ってもいいだろう。



ジーンズはややオーバーサイズのリーバイス501。希少なヴィンテージではない
写真を見る限り、カートの501はきれいな縦落ち感が出ていない。

初期の赤耳セルヴィッジではなく、1983年以降コーンミルズ社が13.5ozの幅広生地
で生産していた「最も出回ってた」時期のものではないかと思う。
中古も安値で手に入ったはずだ。ましてやこれだけ状態が悪ければ二束三文だ。
カートはそんなことには無頓着で、むしろズタボロ感を楽しんでいた。



↑グランジはいいけど、ちゃんと社会の窓くらいは閉めようよー。
おかげで501とばっちり分かっちゃったけど(笑)
(左は妻のコートニー・ラブ)


<カート・コバーンが愛用したアイテム  -2 スニーカー>

ジャックパーセル(2)か同じコンバース社(3)オールスターのローカットを愛用。
ともに色はブラック。
ジャックパーセルは白のコットン・キャンバス地が基本だが、カートの愛用品は
黒レザーでトウの白地部には落書きがしてある。




オールスターはキャンバス地しか製造されていない。
どちらも魅力的なスニーカーだが、バスケットシューズとして開発され歴史も長い
オールスターの方が1970〜1980年代には人気があったと思う。

ラモーンズは革ジャンにスリム・ジーンズ、オールスターのハイカット黒がトレー
ドマークだった。
カートはラモーンズを好んで聴いていたが、典型的なパンク・ファッションとあえ
て差別化したい意識も働いたのか、それとも単にジャックパーセルのデザインと
履き心地が好きだったのか。そこまで深く考えず手近にあったから履いたのか。



<カート・コバーンが愛用したアイテム -3 アクリル・カーディガン>



1993年11月MTVアンプラグドにニルヴァーナが出演した時にカートが着ていた
カーキ色のカーディガンが2019年のオークションで33万4000ドル(約3630万円)
という高額な価格で落札された。

カートが亡くなる5ヶ月前、映像として残っている最期のパフォーマンスで着用し
ていたという歴史的な一品である。カートのお気に入りで普段からよく着ていた。
カートのグランジ・ファッションの象徴ともいえるアイテムだ。



↑Unplugged出演時のAbout A Girl が視聴できます。
カートの1959年製マーティンD-18E(4)は601万ドル(約6億4000万円)された。



カートが着ていたカーディガンはブランド品でもなければ上質な素材でもない。
アメリカの大衆向け百貨店というか衣料を中心に展開する大型スーパーJCペニー(
J.C.Penney)(5)のストアブランドPenney'sの派生、TOWNCRAFT製

日本でいえばイトーヨーカドーのオリジナル・ブランドみたいな感じだろうか。
JCペニーは全米でも1000を超える店舗を持つチェーン店である。



↑アメリカの各地で見かけるJCペニーの店舗。庶民の心強い味方だった。





↑「バック・トゥ・ザ・フューチャー」でデロリアンが1955年にタイムスリップ
するのもJCペニーの駐車場である。



カートが着ていたTOWNCRAFTのカーディガンはアクリル製である。
1960年代〜1970年代に製造されたものではないかと思われる。
ウールのようにチクチクしないのでTシャツの上に羽織れるし洗濯機で洗える。
シャギー加工が施され、モヘアのような毛羽立ちでふっくらしている。
カートのカーディガンは程よく着込んでヨレっとしたいい風合いが出ている。

カートはTシャツの上にネルシャツやパジャマのシャツの前をはだけて着て、その
上にこのカーディガンを無造作に羽織っていた。このだらしなさがグランジだ。


 
↑Unplugged出演時のThe Man Who Sold The Worldが視聴できます。


アクリル製カーディガンという発想は合理性重視のアメリカならではだろう。(6)
Penney'sブランドでもアクリル・カーディガンを出しているが、こちらはシャギー
加工ではなく比較的さらっととした生地感である。
カートはPenney'sのカーディガンも愛用していた。




↑Penney'sのウェアの多くは胸にFOX(キツネ)のマークが入っている。

キツネの色は青か緑か赤である。




<カート・コバーンが愛用したアイテム -4 ネルシャツ、パジャマシャツ>



カートはオンブレ ・チェックのくたっとしたネルシャツをこよなく愛した。
これらの多くも1970年代TOWNCRAFT製の古着らしい。
TOWNCRAFTのオンブレ ・チェックのネルシャツはオープンカラーが多い。

オンブレ・チェック(ombre check)とは徐々に色の濃淡が変化し、他の色が染み込
んだように格子柄が交差するデザイン・パターン。(7)単色系または2色が多い。
古き良きアメリカを感じる。探しても古着以外あまり見つからない。
(これに目をつけレプリカを製造販売して成功したのが裏原のナンバーナインだ)



↑いかにもピックアップに乗ったアメリカの労働者が着てそうな感じだ。
このシャツは珍しいバンドカラー(襟がない)。色合いが微妙でいい。
カートはTシャツの上にネルシャツを羽織るだけでフロントは開けっ放し。
袖口のボタンも留めていない。



↑ジップアップというのも珍しい。シャツジャケット感覚で着られる。



パジャマシャツ(パジャマの上)もカートは好んで着ていた。
Tシャツの上にひっかけ、さらにカーディガンをだらしない感じで羽織る。
まさに寝起きのまま来てそのままステージに上がりました、みたいな感じだ。
袖口は広いのでだらんとしている。
パジャマシャツについてカートは「楽だから」と言っている。



↑ユニボックス製モズライトのコピーギター、ハイ・フライヤー。
(ピックアップがシングルコイルからハムバッカーに交換されている)



<カート・コバーンが愛用したアイテム -5 グラフィックTシャツ>

カートはいろいろなTシャツを着ているが最も有名なのはこのシャツだろう。
ダニエル・ジョンストンという売れないミュージシャン兼イラストレーター(カー
トはファンだった)の作品で、宇宙人なのかカエなのか不思議な生き物がモチーフ
のTシャツである。HI, HOW ARE YOUというメッセージが添えられている。





このTシャツはカートのお気に入りでオフステージでもオンステージでもよく見ら
れるが、上にシャツやカーディガンを羽織っているため半袖か長袖か分からない。
最近インタビュー映像でやっと袖口が見え、長袖であることが判明した。

いろいろなレプリカ(海賊版)が売られているが、イラストが大きすぎる、線が
カートのものより太い、位置が違う、目玉とHI, HOW ARE YOUの間隔が狭い、
などの相違点が見られビミョーにダサい。



↑WORNFREE社のオフィシャル製品がカートのTシャツを忠実に再現している。
フォルムも着心地もいいし、皺のより方も似ている。
(現在は製造されていないようで、カタログには載っていない)




FLIPPERという文字とクジラなんだかサメなんだか分からない雑なイラストの
Tシャツもよくお目見えするが、これはカート本人による手描き。
FLIPPERというパンクバンドのファンらしい。




↑音楽雑誌「サウンドマガジン」のロゴがプリントされたTシャツ。
ギターは1965年製フェンダー・ジャガー。かなり手を加えてある。(8)

カートは1990年当時フェンダーでははあまり人気がなかったムスタングや
ジャガーを自分仕様に改造して使用している。



<カート・コバーンが愛用したアイテム -6 ボーダーシャツ&セーター>


ボーダーの長袖Tシャツもよく着ていた。


ダークオリーブに鮮やかな黄緑と黄色のラインが入るニット地の半袖シャツは
ニルヴァーナの出世作となったSmells Like Teen Spiritのプロモーションビデオ
で着ていたもの。(現在はシアトルの博物館に展示されている)



↑クリックするとSmells Like Teen Spirit(1991)のPVが視聴できます。
カートが弾いてるのはトレードマークの1969年製フェンダー・ムスタング。(9)


赤と黒の太いボーダーのプルオーバー・ニット(これまた肩と袖が破れてボロ
ボロ)もカートのトレードマークである。
(これもナンバーナインからレプリカが出ていた)





<カート・コバーンが愛用したアイテム -7 コーデュロイ・ジャケット>

ブラウンのコーデュロイ・ジャケットもTOWNCRAFT製
1960年代〜1970年代の中古と思われる。

胸のヨーク、前身頃のプリーツ、フラップ付きアウトポケット、クルミ調の
ボタンなど、ウエスタン色を感じさせるランチコートにも似たデザイン。
ボディー裏地はアクリルの起毛、袖はキルティング仕様になっているようだ。
(これもナンバーナインがレプリカを製造していた)






レスリー・ジョーダンのワールドマップ・タイベックジャケット(米国製)。
紙のような素材から通称ペーパージャケットと呼ばれるが、デュポン社が開発
した軽量で透湿性に優れた化学繊維で作られている。

発色性の良い素材の特性を活かし様々な柄があるがが、この世界地図の柄が
このジャケットでは一番メジャーな柄である。
カートはステージでも着用している。





ステージで着ている黒のベルベット地に金ボタンのジャケットも古着らしい。

                                                                 (写真:gettyimages)

↑1993年シアトルでのライブからCome As You Areが視聴できます。



<カート・コバーンはなぜボロボロの中古を好んで着てたのだろう>

まず単純に「お金がなかった」という事情がある。

カートは1967年にシアトルの南西の寂れた小さな町、アバディーンで生まれた。
ビートルズが大好きで、絵の上手な明るい子供だったという。

8歳の時に両親が離婚。カートは内向的になり引きこもるようになる。
カートは最初は母親に引き取られ、次に父親とトレーラーハウスで暮らす。
手に負えないほど荒れ始めたカートを父親は友人家族に預けた。
叔父、祖父母、そして再び母親、とカートの引き取り手は転々とした。




↑カートはねずみのキティ、猫のメルヴィン、亀など数多くのペットを飼っていた。


「棄てられた」という感覚をずっと拭い去ることができなかった。
一番好きな映画はヴィム・ヴェンダース監督の「パリ・テキサス」と言ってる。
自分の境遇と重ね合わせていたのか。映画の心温まる展開に憧れていたのか。


高校を退学すると母親の家からも追い出され、友人の家やアバディーンの橋の下
で寝泊まりする日々が続く。服を買う金もなかったはずだ。



↑カートが寝泊まりした橋の下。カート・コバーン・ブリッジと呼ばれる。
カート本人や多くのファンの落書きが多く残されている。



またカートの薄汚れた格好は母親への反抗心の表れではないかと思う。
母親は幼少期のカートにきれいな服装をさせていたという。その反動だろう。


そして一番大きな理由は、着古して擦り切れた普段着がカートにとっては心地よく、
彼の音楽思想と相まって自己表現になっていたからではないだろうか。





<カート・コバーンがこだわったグランジとは>

カートは思春期にパンク・ムーヴメントの影響を受けている。(10)
しかし、そのパンクもしだいに形骸化して行く。

髪をツンツン立てて、鼻や耳に安全ピンを刺して、革ジャンを着て爆音でわめき
散らし暴れるのがパンク。そんな型ができてしまった。
やがてパンクはニューウェーブとなり、MTVでビデオクリップが流される。
まさにパンクが登場した頃、彼らが嫌っていた商業主義のメジャーな音楽と同じ
道筋を辿っていたわけである。

パンクが本来持っていた「負け犬の屈折した思い」や「反抗心」は後退した。
歌ったとしても既に説得力は失せ、弱者である若者の代弁者ではなくなっていた。




一方でアメリカでは、アンダーグラウンドに籠る新たな潮流も生まれていた。
メジャーには属さない。小さなライブハウスで自分たちのやりたい演奏をやる。
シアトルでグランジと呼ばれる一大ムーヴメントを作ったのがニルヴァーナであり、
パールジャムである

カート・コバーンがやりたかったのはパンク精神に根付いた音楽であるが、世間が
固定概念を持っていたパンクではない。メタルでもない。独自のスタイルだ。(11)

金の匂いがする商業主義ロックではない、メジャーでなくアンダーグラウンドで
あること、自分を飾らずに表現することが大事だった。
それがグランジと呼ばれるロックであり、ファッション。カートの生き方なのだ。





<カート・コバーンの矛盾と苦悩>

バンドを始めたカートがやりたかったのはパンクだが、他のメンバーはメタル志向。
それに演奏レベルも低い。カートを苛立たせた。

1989年にニルヴァーナはインディーズでデビュー。
翌年クリス・ノヴォセリック(b)デイヴ・グロール(ds)と強力な3人体制へ。



↑カートは身長175cmと欧米人にしては小柄。
巨体201cmのクリス・ノヴォセリックと並ぶとその差は歴然とする。
デイヴ・グロールは183cmと標準。



1991年にゲフィン・レコードに移籍しメジャー・デビューを果たす。
先行シングルSmells Like Teen Spiritは強烈で挑発的な歌詞、シンプルかつパワ
フルなリフで、若者の心を捉え驚異的な売り上げを記録

新時代の若者のアンセム(賛歌)と言われ、ローリングストーン誌が選ぶ「史上最
も偉大な500曲」で9位に選ばれた。
グランジの代表曲1990年代で最も偉大な曲と評されることも多い。
この曲のヒットでオルタナティブ・ロックがメインストリームになった。

アルバムNevermindもビルボードNo.1を達成。
当時のロックシーンに、そしてバンドとカート自身にも大きな影響を与えた。



↑クリックするとLithiumのPVが視聴できます。


メジャーデビューでの大成功にカートは矛盾と葛藤を感じていた
アンダーグラウンドなシーンをルーツとしていたのに、図らずも売れてしまった
ことでメジャーなバンドになる。自身の信念を裏切ってしまったわけだ。
メディアの伝える彼の姿と本来の自分との乖離に大きな戸惑いを感じてもいた。

またNevermind作時にある程度メジャー市場を意識して曲作りを行っていた自身
にも強い憤りを感じていた。

次作のIn Utero(1993)はアンダーグラウンド回帰をテーマに1週間で制作された。
評価は分かれセールス的には前作には及ばないが、ニルヴァーナの名声は高まる。


カートはますます苛立つ。自身のイメージや思い通りに曲が作れないことにも。
慢性気管支炎と原因不明の腹痛、うつ病(または双極性障害)にも苦しんだ。
鎮痛剤として使用し出した薬物依存症(ヘロインやコカイン)が酷くなり、
1994年4月シアトルの自宅で薬物を服用しショットガンで頭部を撃ち抜いて自殺。




享年27歳。
ロバート・ジョンソン、ジミ・ヘンドリックス、ジム・モリソン、ブライアン・
ジョーンズ、ジャニス・ジョプリンが亡くなった年齢と同じであった。

カート・コバーンの遺書には、ニール・ヤングのHey Hey, My Myの歌詞の引用、
It’s better to burn out than to fade away(だんだん消えていくより燃え尽きたい
と強烈な筆跡で遺されていた。



↑grunge is dead.(グランジはもう古い、ダサい)とプリントされたTシャツ。
かつてのパンクと同じようにグランジも形骸化している、という皮肉か自虐か。
レプリカが出回っているが、カートのはgrungeのuがやや下、deadのaが上。
フラットな印字より遊びが出ていい。神は細部(ディテール)に宿る。




<カート・コバーンに学ぶべき服飾術とは>

カート・コバーンが貫き通したグランジ精神は後のオルタナティブ・ロックに
大きな影響(11)を与え、ファッションも世代を超えて支持され続けている。
ダメージ・ジーンズや古着を取り入れたミックス・スタイルは今日トレンドにも
なっている。

カートのグランジ・ファッションは、わざわざダメージ加工した高価なブランド・
ジーンズやプレミアム付きのヴィンテージ・デニムを買うことではない。
身近で手に入る安価な服をボロボロになるまで着古すという、いわばチープシック
にも通じる精神だと思う。




とはいえカートはイケメン。そして若かった。だからズタボロでもカッコいい。
我々がそのまま真似したら、それこそ橋の下のホームレスに見えそうだ。
中高年はただでさえ嫌われる(しくしく)下手したらオヤジ狩りに合うかも(恐)

まあ、アクリル製シャギー・カーディガンならお爺ちゃんっぽくて似合うかな。
そのまま老人ホームでも着れるし(苦笑)
オンブレ ・チェックのシャツも僕は昔から好き。
中古はどうしても汚く見えるので新品を探しましょう。清潔感は大事ですよ。




<脚注>