2025年8月25日月曜日

ビートルズ Anthology 2025は買いか?検証してみた。



来る・・・きっと来る・・・そう思ってた。
「Rubber Soul」のリミックス盤発売。なんなら「Help」も一緒に。

あれ?でもこのティーザー、「Anthology」みたい。1、2、3...4?



<停滞するビートルズ作品のリミックス作業>

ビートルズのアルバムのリミックスは2017年「Sgt. Pepper's」で始まった
1967年にリリースされたこの革新的なアルバムが起点となるらしい。
オリジナルが発売されて50周年記念という売り方だった。


2017年 Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (1967)
2018年 The Beatles(White Album)(1968)
2019年 Abbey Road(1969)



が、2020年に出るはずのアルバムが翌年に繰り越された。コロナのせい?
Disney+の配信ドキュメンタリー「Get Back」編集のためだろう。


2021年 Let It Be (1970)
2022年 Revolver (1966)

そう来たか。1963〜1965年の6枚のアルバムのリミックスはどうなる?
そしてYellow Submarine、 Magical Mystery Tourは?





たぶん2023年にPlease Please Me、With The Beatlesの2枚。
で、2024年、2025年でRubber Soulまで辿り着くのだろう。


という期待は裏切られた。
集金マシンと化したアップルとユニヴァーサルはベスト盤を選んだ。


2023年 The Beatles 1962-1966 1967-1970(青盤・赤盤)(1973)

2024年はリミックス盤発売はなし。
Disney+の配信ドキュメンタリー「Beatles'64」を優先したらしい。



そして2025年。
「Rubber Soul」発売60周年記念ですよ。





ビートルズの転換期、Revolverへの布石ともなる名曲ぞろいの名盤。
にもかかわらずオリジナル盤は左右泣き別れの残念なミックス。

これはリミックスして欲しい。いや、やるでしょ。
今年は「Rubber Soul」。ファンの多くがそう期待してたはず。

できれば「Help!」も一緒にリミックスしてくれ〜。

と思いつつ、もう8月下旬。2025年もあと4ヶ月。
本当に出るんだろうか・・・・




<「Anthology 2025」の発表>

はい。また裏切られました。
今年はAnthology 2025リミックス。







考えてみたらAnthologyも1995-1996年の発表。
もう30年も経っているのだ。その間リマスターもされていない。
(配信の音源はリマスターされているらしい)




21日(英国時間)、「Anthology 2025」のプロモ映像が公開された。
1995-1996年のAnthologyプロジェクトの最新リメイク版であり、音源・映像
本など一連の商品が発売される。


The Beatles – Anthology 2025 (The music, the book, the series)







<1995年に発売された「Anthology」とは>

スタジオのアウトテイクや別ヴァージョン、未発表曲、ライヴなどを年代順に収録
した2枚組CD×3巻のビートルズのレア音源集。(1995年〜1996年発売)

ビートルズのプロデューサーだったジョージ・マーティンがEMIに保管されていた
録音テープや外部の音源をすべて聴き、選りすぐりの音源を丁寧に編集している。


海賊盤でも聴けなかった驚くようなアウトテイクが満載で、ビートルズがいろいろ
なアレンジを試して曲を完成していく様子が楽しめた。





またジョン・レノンが自宅でカセットテープに録音したデモ音源を元に、ポール、
ジョージ、リンゴが新たに歌と演奏を加え完成させた新曲「Free As A Bird」
と「Real Love」も収録された。
(「Free As A Bird」は全米トップ10入りし、グラミー賞部門賞を受賞した)


ドキュメンタリー・シリーズもTV放送され、10時間に及ぶDVDも発売された。
「Free As A Bird」「Real Love」のメイキング映像も含まれている。







<「Anthology 2025」の”売り”と新しい技術>

1)音源のデジタルリマスター
(アナログ音源をデジタル化し、ノイズ除去、音のバランス調整、音圧の最適化
を行い、よりクリアで迫力ある音に蘇らせる)

2)AIを駆使した音源のリミックス
(AIに特定の声、演奏を学習させ、従来はできなかった混濁した音源テープから、
鮮明な音の分離を行う。
ドキュメンタリー映画「Get Back」の撮影用音声テープ(ナグラ)から4人の
声や楽器を独立して取り出すことに成功。
Revolver 2022リミックス、青盤・赤盤2023リミックスで応用された)

3)新たに未発表音源集「Anthology 4」が追加
(1995-1996年のAnthologyで発表されなかったアウトテイクやレア音源)
2枚組CD×4巻(3枚組LP×4巻)ボックス入りで11月21日に発売される。





4) AIリミックスで2024年に完成させたジョンの遺作「Now And Then」収録。
Free As A Bird」「Real Love」もAIでよりクリアな音になった。

5)映像のレストア(修復)とデジタルリマスター
(アナログ素材をスキャンし、ノイズ除去や色調補正、高画質化を行う)

6)AIを駆使した映像作品の音源のリミックス
(配信ドキュメンタリー映画「Get Back」「Beatles'64」で使用された)

7)「Get Back」「Beatles'64」に倣いドキュメンタリー映像がディズニー
+で11月26日から配信される。
(8章構成だったドキュメンタリーシリーズに新たな”エピソード9″を追加。
ポール、ジョージ、リンゴの3人がビートルズ時代を振り返る舞台裏映像との
ことだが、これはDVD化された際のボーナストラックと同じ内容では?)






<「Anthology 2025」は買いか?(1)Free As A Bird 2025>

個人的にはFree As A Birdは好きだけど、Real LoveとNow And Then
は好きではない。
AIリミックスが施されたFree As A Bird 2025は聴く価値ありか?



Free As A Bird 2025の先行配信が21日(英国時間)に始まった。
YouTubeのイイネは凄まじい勢いで増えていく。


Free As A Bird (2025 Mix)



劇的に印象が変わった!
ジョンの声の「加工された感」がなくなって生々しい
ポールとジョージの声も同様。
加工したジョンの声に馴染ませるため濁らせる必要がなくなったのだ。

AIリミックス恐るべし!





ポールとジョージのアコギの音もクリア。
左右それぞれから聴こえるストラミングのクセもよく分かる。
スネアやギターのフランジャーなど、ジェフ・リン臭さが無くなった
ドラムス、5弦ベースの低音が後退して迫力不足なのは残念。

一方、ジョージが歌う2回目のブリッジ(サビ)〜間奏のスライドギターへの
流れは、オリジナルの方がきれい。
その間奏の間、ポールとジョージのAh....のコーラスが入るのだが、オリジ
ナルでAh⤵︎と下降ラインが入ってたのが、2025Mixでは聴こえなくなった。
これも残念。
それとジェフ・リン臭がよかったのに、という人もいるだろう。


全体としてのリアル感は2025版に軍配が上がる。
しかし最初のオリジナルが不完全ヴァージョンというわけではない。
1995年の時点では、あの音がリアルタイムで聴いたビートルズだったのだ。





30年前の発売日の朝、待ちきれなくて開店した銀座の山野楽器に行ったが、
まだ入荷していないとのこと。
青山で1件、仕事を済ませて渋谷のHMVに行くと・・・入荷していた。

購入したばかりのAnthology1をCDウォークマンで聴いた。
あの時、Free As A Birdを聴いて胸が熱くなった感激は忘れられない。
ビートルズが解散して25年後に「新曲」を聴けるなんて(涙


Free As A Bird 1995オリジナル(映像は4Kレストア版)

↑実に手の込んだプロモ・ビデオだ。
ビートルズの曲ゆかりのエピソードを全編にコラージュしている。
インド象はリンゴのリクエストだったという。
ジョージは最後のウクレレ奏者としての出演を申し出たが「現在のビートルズ
は出したくない」とディレクターは断ったらしい。
「ウクレレがジョージ本人の演奏だと知らなかった。(ジョージが他界した)
今となっては悔やまれる」と彼は言っていた。






<「Anthology 2025」は買いか?(1)Anthology 4>

Anthology 2025 1〜3は1995年のジョージ・マーティン編集そのまま
手を加えず、デジタルリマスターで音質を向上させてるだけ。

当時はレア音源に驚き喜んだけど、マーティン卿の創作が加わっている点、
ライヴなどのパフォーマンスが細切れな点が残念だった。
そこを改善して欲しかったが、マーティン卿の意図を尊重し、1〜3は手を加え
ずそのまま、ということだろう。



では、新しく追加されるAnthology 4はどんな内容なのか?
★は初登場音源。


Disc 7 Anthology 4
1.I Saw Her Standing There(Take 2)★
2.Money(That's What I Want)(RM7 undubbed)★
3.This Boy(Takes 12 and 13)
4.Tell Me Why(Takes 4 and 5)★
5.If I Fell(Take 11)★
6.Matchbox(Take 1)★
7.Every Little Thing(Takes 6 and 7)★
8.I Need You(Take 1)★
9.I've Just Seen A Face(Take 3)★
10.In My Life(Take 1)★
11.Nowhere Man(First version - Take 2)★
12.Got To Get You Into My Life(2nd.ver.-unnumbered mix)
13.Love You To(Take 7)
14.Strawberry Fields Forever(Take 26) 
15.She's Leaving Home(Take 1-instrumental)
16.Baby, You're A Rich Man(Takes 11 and 12)★
17.All You Need Is Love(Rehearsal for BBC broadcast)★
18.The Fool On The Hill(Take 5 - Instrumental)★
19.I Am The Walrus(Take19-strings,brass,overdub)★

1.は海賊盤でも聴ける荒削りな初期テイク。

I Saw Her Standing There (Take 2) [Anthology 4]

2.RM7って何だろう?
3.はFree As A Birdのシングル(1995)に収録されていた。
1.〜11.は初登場音源
12〜15.はRevolver、Sgt.Peppersのリミックスに収録済み。
16〜19.は初登場音源だがオケだけとか、聴いても面白くなさそう。






Disc 8 Anthology 4
1.Hey Bulldog(Take 4 - instrumental)
2.Good Night(Take10 w/a guitar from Take 5)
3.While My Guitar Gently Weeps(3rd.Version-Take 27)
4.(You're So Square)Baby I Don't Care(Studio jam)
5.Helter Skelter(Second version - Take 17)2018
6.I Will(Take 29)2018
7.Can You Take Me Back?(Take 1)
8.Julia(Two rehearsals)
9.Get Back(Take 8)
10.Octopus's Garden(Rehearsal)
11.Don't Let Me Down(First rooftop performance)
12.You Never Give Me Your Money(Take 36)
13.Here Comes The Sun(Take 9)
14.Something(Take 39 - instrumental-strings only)
15.Free As A Bird(2025 mix)
16.Real Love(2025 mix)
17.Now And Then (2024 mix)

1〜14.はWhite Album、Abbey Roadのリミックスに収録済み。
15〜17.は新しいAIリミックス。






結論)目新しいのはDisc 7の11曲目までくらいだろう。
その11曲も今後、1963〜1964年のアルバムがリミックスされれば、
それらのデラックス、あるいはスーパーデラックス盤に収録されるはず。

Free As A Bird(2025 mix)のためだけに買うのね、という感じ。
(ちなみにFree As A BirdとReal LoveはシングルCDも発売される)


ということで、僕は見送るつもりです。ディズニー+も見ません。
「Rubber Soul」その他のリミックス、心待ちです。

2025年8月14日木曜日

デレク&ザ・ドミノスとボビー・ウィットロック。




キーボード奏者のボビー・ウィットロックが亡くなった。享年77歳。

マネージャーのキャロル・ケイ(ってあのベーシストの?違うよね)から
「がん闘病の末、テキサス州の自宅で家族に囲まれ息を引き取りました」
という声明があった。


訃報を受け、エリック・クラプトンが追悼コメントを発表している。

「親愛なる友人ボビー・ウィットロックが77歳で亡くなりました。
悲しみにくれるボビーの妻ココとご家族に心からお悔やみ申し上げます。
ボビー、安らかに眠ってください」






ウィットロックは1970年にエリック・クラプトンと共にデレク&ザ・ドミ
ノスを結成。名作「Layla」を発表した。





ベースのカール・レイドルは1980年にドラッグとアルコールの過剰摂取に
より、37歳という若さで亡くなっている。

売れっ子ドラマー、ジム・ゴードンは統合失調症で演奏できなくなる。
母親を殴打して刺殺。
2023年にカリフォルニア州医療施設で77歳の生涯を終えた。

またゲストとして「Layla」のレコーディングに参加し、見事なスライド・
ギターを披露したデュアン・オールマンは1971年にバイクの事故で死亡。
25歳の誕生日を数週間前にしてのことであった。

これでデレク&ザ・ドミノスの存命者はクラプトン一人になってしまった



↑左からジム・ゴードン、カール・レイドル、ボビー・ウィットロック、
エリック・クラプトン



ロック通じゃない限り、ウィットロックの名前は知らない人も多いだろう。
クラプトンの「Layla」は知ってるが、デレク&ザ・ドミノスって何?と
という人もいるかもしれない。




<クラプトンとの出会い〜デレク&ザ・ドミノス結成>

ボビー・ウィットロックはメンフィス出身で、同市にあったソウルミュージ
ックの名門、スタックス・レコードのスタジオでキャリアをスタートさせる。
オーティス・レディング、サム&デイヴ、ブッカー・T&ザ・MG'sらと共演
してキーボード奏者としての頭角を現す。

デラニー&ボニー&フレンズのツアーに参加中、クラプトンと意気投合。
ウィットロックは英国のクラプトン宅を訪れ、そのまま居候する。
2人はジャムを行い、後にドミノスで発表することになる曲作りを始めた。





ウィットロックはクラプトンの初ソロ・アルバムのレコーディングにも参加
同じくアルバム制作に加わったカール・レイドル、ジム・ゴードンも加え、
4人でセッションを繰り返す

この辺からバンド結成の機運が生まれたのだろう。
ジョージ・ハリソンの「All Things Must Pass」のレコーディングに
もこの4人で参加している。

デレク&ザ・ドミノスというバンド名はクラプトンの発案だ。
ギタリストとしての名声は前面に出さずに、架空のバンド名のフロントマン
としてやってみたい、という意向らしい。






<アルバム「Layla」でのボビー・ウィットロックの貢献>

1曲目のI Looked Awayはクラプトンとウィットロックの共作。
この曲で始まるでアルバムの世界観に魅了された人も多かったと思う。

ヴァースはクラプトンが歌い、ウィットロックが後追いのボーカル、また
は上にハモる。
ブリッジでは1回目がクラプトン、ウィットロックが2回目を歌う。
この人は圧の高い声質で、当時はまだ渋みがないクラプトンとは対照的。
しかしその2人がハモるとなぜか相性がいい

ウィットロックは「エリックが最初のラインを歌い、次は僕が歌う、僕ら
は一緒に歌う、サム&デイヴのアプローチだよ」と言っている。

レイドバックしたサウンド。ストラトキャスターの枯れた音もいい。





Derek & The Dominos - I Looked Away



Bell Bottom Bluesも共作。クラプトン宅の居間で書いたそうだ。
ドミノスがフランスに行った時、クラプトンが夢中になった女性の
ことを歌った曲。
彼女は英語を話さず、ベルボトムジーンズを履いていた。

ボビー・ウィットロックもカール・レイドルも同じ証言をしてる。
パティ・ボイドは自分に捧げる歌だと主張しているがそうではない。

ブルージーなバラード。歌メロにもギターソロにも「泣き」が入る。
コーラス部のDo you want to see me〜でウィットロックが上に
ハモる。
I don't want to fade away〜に続くギターソロは名演だ。






Derek & The Dominos - Bell Bottom Blues






Keep On Growingも2人の共作名義。16ビートでR&B色が強い。
セッションで生まれたインストゥルメンタルに、ウィットロックが
マイアミでの録音時に歌詞とメロディーを即興で加えた。


Anydayも2人の共作。
R&B色の強いサウンドはスタックス仕込みのウィットロックならでは。
クラプトンの切ないボーカルとギター、ウィットロックの力強いボー
カルにデュアン・オールマンのギターの絡む。





Tell the Truthはダイナミックなブルース・ロック。カッコいい。
ウィットロックが作曲し、クラプトンが最後のヴァースを追加した。
2人でハモリ、ブリッジでは交代でボーカルを取っている。
この曲ではデュアン・オールマンがスライドギターを弾いている。


Derek & The Dominos - Tell the Truth



Why Does Love Got To Be So Sad?も2人の共作。
スピード感のある16ビートのブルースロック。
デュアン・オールマンとクラプトンのツインギターが堪能できる。






Thorn Tree In The Gardenはアルバムの最後に静かに幕を
閉じる、美しいアコースティック・バラード。
大作Laylaの熱をチルアウトしてくれるようで心地よい。
庭にある棘のある木(バラやヒイラギなど)に向かって話しかける
ような、穏やかな曲である。

この曲はウィットロックがギターで作曲したという。
失恋の歌と思われることが多いが、飼っていたペットについて歌った
ものだ、とウィットロックは明かしている。





プロデューサーのトム・ダウドによると完璧なステレオ録音らしい。
メンバーたちがスタジオで輪になって座り、ウィットロック、クラプ
トン、オールマンがギターを弾き、ウィットロックが歌った。
マイクをその中央にセットして録音が行われた。


Derek & The Dominos - Thorn Tree In The Garden








他はブルースのスタンダードのカヴァーが多く、クラプトンがボーカル
をとっているが、ウィットロックはオルガンやピアノでサポートしてる。
ジミ・ヘンドリックスへのオマージュ、Little Wingも印象的だ。

タイトル曲Laylaの最後のコーダ部は、ジム・ゴードンが作曲者と
してクレジットされているが、リタ・クーリッジ作曲のTimeの盗用
だということが分かっている。
主メロはピアノで奏でられるが、ゴードンはピアノが上手ではないので、
レコーディングではウィットロックがもう1台のピアノを弾いている。






<短命に終わったデレク&ザ・ドミノス>

アルバム「Layla」は音楽誌からは批判され、商業的にも失敗だった。
その反応はクリームでのスーパー・ギタリストとしてのクラプトンに
期待してたが、バンドのシンガーやフロントマンとしては魅力がない
ということだったのだろう。少なくともその時点では。

レスポールをマーシャルに繋いだ攻撃的な長いギターソロを望んでた
人たちは、ストラトキャスターの乾いた音で拍子抜けした
またバンドにクラプトンがいることさえ知らなかった人も多かった。






僕はアルバム「Layla」はリアルタイムで聴いてない。
まず2枚組レコードを買えるお小遣い事情じゃなかったことが大きい。
それとクラプトンの初ソロ・アルバムを買ってあまり良くなかった経
験から、デレク&ザ・ドミノスは敬遠していた

「Layla」を聴いたのは「461 Ocean Boulevard」の後である。
順番が逆だが、そのおかげで自分的には「クラプトンのレイドバック
時代の最初期アルバム」としてすぐ好きになった。愛聴盤である。



↑ジャケット見開き写真コラージュ。
マイアミのクライテリア・スタジオで行われたセッションはコカインと
ヘロインとアルコール三昧だったそうだ。



「Layla」は後になってから評価され、名盤と言われるようになった。
デレク&ザ・ドミノスは2枚目のアルバムのレコーディング中に、ジム
・ゴードンとクラプトンの激しい口論から解散してしまう。

アルバム「Layla」の評価が高まっても、デレク&ザ・ドミノスが
殿堂入りしないのは、あまりにも活動期間が短いこと、クラプトン
の作品として認識されてることが理由ではないかと思う。





(写真:gettyimages)



デレク&ザ・ドミノスの映像が見れるのは、ジョニー・キャッシュ・
ショー出演時のパフォーマンスくらいではないかと思う。
It's Too Lateを演奏している。

若き日のクラプトンの歌声、ボビー・ウィットロックの黒っぽさ、
2人のボーカルの掛け合い、ジム・ゴードンの多彩なドラミングなど
を見ることができる貴重な映像だ。



Derek & The Dominos - It's Too Late
(Johnny Cash Show 1/6/1971)





(写真:gettyimages)




ドミノスでコケたクラプトンは落ち込み、彼の麻薬中毒・アルコール
中毒と鬱病のスパイラルは加速した。
1985年のインタビューでクラプトンは「偽りのバンドだった」と回想
している。

そんなことはない。デレク&ザ・ドミノスの存在意義は大きかった。
アルバム「Layla」はクラプトンの最も優れた業績の一つである。



後年、クラプトンもデレク&ザ・ドミノスを自分のキャリアとして再
認識するようになったようだ。







2000年にはBBCのジュールズ・ホランドの番組にボビー・ウィットロ
ックと一緒に出演し、Bell Bottom Bluesを演奏した。


Bobby Whitelock with Eric Clapton (BBC 2000)




2008年のライヴではデレク&ザ・ドミノス時代の6曲を披露し、ファン
を喜ばせた。(知らなかった。行きたかったなー)
デュアン・オールマンの再来と言われるデレク・トラックスがスライド
ギターを弾いていることも、ドミノス再現を可能にした一因である。
個人的にはクラプトン史上最高のライヴの一つだと思っている。






Eric Clapton - Tell The Truth (Live In San Diego)




<参考資料: Neverending Music、Music and others、amass、
Wikipedia、Google Gemini、YouTube、gettyimages、他>

尚、ジム・ゴードンについては以前の記事をご参照ください。

2025年7月19日土曜日

ワイト島フェスがウッドストックほど伝説にならないのはなぜ?


(1970年第3回目 ザ・フーのステージ。後ろ姿はピート・タウンゼント)



ワイト島フェスティバル(アイル・オヴ・ワイト・フェスティバル)は1968年
から3年連続で、イギリスのワイト島で行われた野外音楽祭である。

バラエティに富んだアーティストが参加するオムニバス・コンサート、野外に
設置された会場、観客動員数、その後の野外フェスティバルの原型になるなど
同時代に開催されたウッドストック・フェスティバルと似ている。


ウッドストックがカウンターカルチャーを語る上で重要なイベントとして広く
記憶されているのに対して、ワイト島の方は語られることが少ない
知る人ぞ知る、または知ってるようで知らない伝説のコンサートである。



<開催場所>

ワイト島フェスティバルはイングランド南岸にあるワイト島で行われた。
温暖な気候、海岸の美しい景色、青々とした野原や丘陵・尾根で知られる行楽
地である。





ロンドンからワイト島へは電車とフェリーで2時間半から3時間かかる。(1)






<第1回目 Isle of Wight Festival 1968>

ワイト島のプール建設のための資金集めが当初の目的だったという。
最初のイベントはかなり粗末なもので、ステージは平べったいトラックの荷台
を並べただけだったらしい。
1968年、ウッドストックの1年前に行われた。




開催日:1968年8月31日-9月1日、2日間
観客数:1万人

出演)アーサー・ブラウン、ザ・ムーブ、ティラノザウルス・レックス(T-REX)、
スマイル、エインズレー・ダンバー・レタリエイション、プラスティック・ペニー、
フェアポート・コンヴェンション、プリティ・シングス。

名が知れたアーティストはジェファーソン・エアプレイン(アメリカから参加)
くらいだった。(T-REXはまだ人気が出る前である)
主催者たちは翌年、きちんとやろうと再挑戦することを決めた。






<第2回目 2nd Isle of Wight Festival 1969>

開催日:1969年8月30日-31日、2日間 
観客数:15万人




出演)ボブ・ディランザ・バンド、ナイス、プリティ・シングス、マーシャ・
ハント、ザ・フー、サード・イアー・バンド、ボンゾ・ドッグ・ドゥー・ダー・
バンド、ファット・マットレス、ジョー・コッカームーディ・ブルース
ペンタングル、フリーキング・クリムゾンリッチー・ヘイヴンズ
(※赤字は2週間前のウッドストック・フェスティバルにも出演している)




(リッチー・ヘイヴンスのステージ。2週間前にウッドストックにも出演した)



第2回目の成功はボブ・ディランの出演に尽きるだろう。
ディランはザ・バンドを伴ってのステージである。

ディランは1966年のオートバイ事故以降、人前で演奏を行っていなかった
マネージャーはディランのカムバックはウッドストックで大々的に(2)と考え
ていた。


主催者たちは数週間にわたって、ディランの説得(3)を試みる。
その際に見たワイト島の文化・文芸を紹介する映像にディランは感銘を受けた。
そしてこの島へ家族旅行を兼ねて訪れることを約束し、出演を決めたそうだ。


 
     (ワイト島に到着したディラン夫妻)



多くの人がディランを見るために、ワイト島に集まって来た。(4)
久々のディランのライヴということで、記者会見には大勢のプレスが詰めかけた。
(ディランの横にロビー・ロバートソン、リック・ダンコの姿も見える)






Bob Dylan at the Isle of Wight Festival 1969

※記録用のフィルムみたいで音声はない。



ディランはザ・バンドとリハーサルを行う。ジョージ・ハリスンが訪ねてきた。
ディラン出演の前日の8月30日には、ジョン・レノンリンゴ・スターも合流。 
キース・リチャーズジミ・ヘンドリックスエリック・クラプトンも現れた。

ディランとビートルズの3人はテニスをしたそうだ(想像できない光景だ!)



翌日ディランはザ・バンドと一緒に、Mr. Tambourine Man、Like a Rolling 
Stoneなど、17曲を歌った。(5)







観客席にはジョン・レノン夫妻、ジョージ・ハリスン夫妻(パティー・ボイド)、
リンゴ・スター夫妻、キース・リチャーズ、ジミ・ヘンドリックス、フランソワー
ズ・アルディ、女優のジェーン・フォンダもいた。









3人のビートルたちは一般客に混じって地べたに座って観覧している。
ヨーコの右にいるのはローディーのニール・アスピノール



ビートルズはアビーロードのレコーディングを終えた直後(6)だった。
彼らはウッドストック出演のオファーも受けていたが、8月15日-17日はレコー
ディングと重なるため断っていた。

ポール&リンダの姿が見えないのは、マネージャー選びで他の3人と決裂したた
めか?と思えるが、それが理由ではないようだ。(7)
8月28日にリンダがポールとの間の最初の娘、メアリーを出産した直後だった。



フランソワーズ・アルディは1966年にディランと会っている。(8)
ワイト島で再会を試みたたが、大混雑に巻き込まれて諦めたそうだ。






Rare Photos of the 1970 Isle of Wight Festival

※1970と記載されているが、1969年の映像も混ざっている。
AIで白黒の写真をカラー化し動画にしたもの。ちょっと気持ち悪い。




 (フリーのステージ。後ろ姿はボーカルのポール・ロジャース)



ザ・フー、ジョー・コッカー、リッチー・ヘイヴンズはワイト島の2週間後に
ウッドストック・フェスティバルにも出演している。

ザ・フーは5月にリリースされた「Tommy」をほぼ全曲演奏
全米ツアーの途中でウッドストック・フェスティバルに出演し、映画でも観られ
るあのど迫力のパフォーマンスを行い、イギリスにもどってきたところだった。





ディランのようなビッグネーム、ザ・フー、フリー、ムーディ・ブルース、キング
・クリムゾンなどのロック・バンドの出演によって、ワイト島フェスティバルは
注目されるようになった。




<第3回目 3rd Isle of Wight Festival 1970>

開催日:1970年8月26日-30日 
観客数:50万人〜60万人




出演)ジミ・ヘンドリックスザ・フードアーズジェスロ・タルシカゴ
マイルス・デイヴィス(チック・コリア、キース・ジャレットが参加)、フリー
テン・イヤーズ・アフター、ライトハウス、、エマーソン・レイク&パーマー
ムーディー・ブルースジョーン・バエズジョニ・ミッチェルドノヴァン
レナード・コーエン、クリス・クリストファーソンジョン・セバスチャン、テリ
ー・リード、テイスト、ショーン・フィリップス、ジェイムス・テイラー、ファ
ミリー、プロコル・ハルム、アライバル、フェアフィールド・パーラー、カクタス
スライ&ザ・ファミリー・ストーンメラニーリッチー・ヘイヴンズ
(※赤字は前年のウッドストック・フェスティバルにも出演したアーティスト)


第2回目の成功で主催者は、多数のスターをブッキングできるようになった。
出演者のラインナップも前年のウッドストックに匹敵するくらい豪華である。





ザ・フーのパフォーマンスは圧巻で、ジョニ・ミッチェルは見事な演奏を披露
ジョニは前年のウッドストック出演を断念している(9)ので、ワイト島にはぜひ
出演したかったのではないかと思う。







The Who - Pinball Wizard(The Isle Of Wight Festival 1970)

Joni Mitchell - Both Sides Now(The Isle Of Wight Fes.1970)


保釈中のジム・モリソンは不安定で精彩を欠き、全盛期のドアーズのような最高
のステージではなかったが、その陰鬱さも印象的であった。
その後、1年もしないうちにジム・モリソンは亡くなってしまった。





ポールマッカートニーは「ワイト島フェスティバルにジミ・ヘンドリックスを
出演させるべき」と発言。(10)そのおかげか1970年にジミは出演する。

ジミ・ヘンドリックスが炎上するステージで演奏したというのは都市伝説で、
実際は花火だった。
これがジミ最後の英国公演となり、18日後に彼は亡くなった。
2人とも27歳である。(11)





Blue Wild Angel: Jimi Hendrix Live At The Isle Of Wight

※ジミ・ヘンドリックス1970年ワイト島コンサートのトレーラー。




1970年の第3回でワイト島フェスティバルは大規模になった。
この時代の才能ある大物ミュージシャンたちが一堂に会することは稀である。

ウッドストックと同時期にキャンプを特徴とする現代のフェスティバルの原型を
創り上げたという点でも、ワイト島フェスの意義は大きい。



(ジョン・セバスチャンのステージ。ウッドストックにも出演している)



イベントに問題がなかったわけではい。
一部の観客の暴徒化、無料化(12)を望む過激派とのトラブル、また騒音やゴミの
問題、フリーセックス、ドラッグなどウッドストックと同じような苦情が挙がった。
市議会は規制を設け、翌年以降フェスティバルの再開は不可能になった。(13)




<ワイト島フェスティバルがウッドストックほどメジャーではない理由>

では、なぜワイト島フェスティバルはウッドストックほどカウンターカルチャー
のシンボルとして広く認知されていないのだろう?

ウッドストックが世界中で知られるようになったのは映画化されたからである。
ワーナー・ブラザースが制作した「ウッドストック/愛と平和と音楽の三日間」
(原題:Woodstock)は3日間の野外コンサートの模様を3時間強のドキュメン
タリー映画として公開された。(13)




北米興行収入は5,000万ドル、1970年の映画興行収入ランキングの5位を記録。
アカデミー賞長編ドキュメンタリー映画賞を受賞した。



音楽と平和をテーマにしたフェスティバルの熱狂と興奮を捉えた映画は、当時の
若者文化を象徴する作品として、世界中で大きな反響を呼んだ





YouTubeもMTVもない当時、洋楽ロックの動く姿を見られる機会は稀だった
当時、日本のロック・ファンの多くがこの映画で初めて、ジミヘン、サンタナ、
ザ・フー、CSNY、ジョー・コッカーの強烈な演奏シーンを見て衝撃を受けた。



一方ワイト島フェスティバルはアーティストによっては1970年の音源や映像が
あるが、音楽イベント全体の記録としての形を成していない
ドキュメンタリー映像が公開されたのも1996年になってからである。



<商品化されているワイト島フェスティバルの音源・映像作品>

一部のアーティストがワイト島フェスティバルに出演した際のパフォーマンスを
ライブ盤としてリリースしている。

ボブ・ディラン: 1969年 4曲が翌年リリースの「Self Portrait」に収録。
2013年発売のブートレッグシリーズ Vol.10 Another Self Portrait
 (1969–1971)デラックス・エディションにライヴの完全版が収録されてた。

ザ・フー: 1969年(DVD)
     1970年(CD2枚組+DVD/Blu-ray)

ジョニ・ミッチェル: 1970年8月29日(DVD/Blu-ray)
ジミ・ヘンドリックス: 1970年8月30日(CD2枚組+DVD/Blu-ray)
エマーソン・レイク&パーマー: 1970年(CD)
フリー: 1970年(CD)
テイスト(ロリー・ギャラガーのバンド):1970年(Blu-ray+CD)
ジェスロ・タル: 1970年(CD+DVD)
ムーディー・ブルース: 1970年(CD)
ドアーズ:1970年(CD+DVD)
スライ&ザ・ファミリー・ストーン: 1970年 4CD「Higher!」に収録











<脚注>