2026年1月11日日曜日

ビートルズの妹分シラ・ブラックが歌ったStep Inside Love



シラ・ブラックは親しまれやすいキャラ、ユーモア、会話のアドリブ力を
活かし、歌手活動だけではなく司会者、女優としても人気を博す。



↑STVは
スコットランドの放送局(英国の民放局ITV系列)




<TV番組のオープニング曲、Step Inside Love>

1968年にはBBCで初冠TVバラエティーショー「Cilla」の司会を務める






番組のオープニング曲、Step Inside Loveはレノン=マッカートニー
の書き下ろし曲(ポールが単独でシラのために作曲)であった。





Cilla Black - Step Inside Love (Cilla 1968)



番組では毎回、多彩なゲストを迎え、楽しいトークとデュエットを披露。
トム・ジョーンズ、ヘンリー・マティス、アンディー・ウィリアムズ、ルル、
マット・モンロー、クリフ・リチャード、フィル・エヴァリードノヴァン
リンゴ・スタースコット・ウォーカー、ダドリー・ムーア、 T.レックス
フランソワーズ・アルディ、ダスティ・スプリングフィールド、サンディ・
ショウ、シュプリームスツイッギー、ブライアン・フェリーなど。






Cilla Black & Dudley Moore - If I Fell
↑ダドリー・ムーアのアドリブでシラは笑いすぎて歌えなくなってしまう。





「Cilla」は長寿番組となり、1976年まで放映されている。
シラ・ブラックは英国のお茶の間(って変?)の人気者となった。





その後も「Surprise Surprise」(1)「Blind Date」(2)など超人気
の国民的長寿番組のホストを務め、幅広い層から支持された。
OBE(大英帝国勲章第4位)を受賞したのもこの功績が大きいだろう。






本業の歌手活動も1993年までコンスタントに続けている。
ビートルズの妹分(3)として売り出したシラ・ブラックだが、活動期間と
いう点ではビートルズよりも息の長い歌手・タレントとなった。







<ポールのStep Inside Love作曲術>

ポール・マッカートニーという人は器用な作曲家だなとつくづく思う。
It's For Youもそうだが、このStep Inside Loveもビートルズっぽさが
まるで感じられない。
シラ・ブラックに提供することを前提に、ビートルズ路線とは違うアプ
ローチで作曲されている。

もともとロックだけでなく幅広いポピュラー音楽を好み、ポール自身も
ポップスの作曲家を志していたという。(4)


Step Inside Loveはリズムもコード進行もボサノヴァを取り入れてる
半音ずつ下降するコード進行、テンション・コードの挟み方が巧い。


ポールの演奏(後述)を耳コピしてコード譜にしてみた。
ギター持ってる方は弾いてみてください。
(ポールのデモはキーD、シラの公式録音ではキーG )




特に注目すべきはヴァースのfind you a place後のAm7→G#7(#9)
、smile on your face後のG→Gm→F#7(#9)

#9が入った7thコードが2箇所で効果的に配されている。赤字の
とっておきのコード」でビートルズでは2回しか使わなかったそうだ。(5)




ポールのギター演奏は開放弦の共鳴音をうまく活かしている。
既にアレンジが示唆されており、ジョージ・マーティンの書いたスコアも
ポールのデモに忠実である。




<Step Inside Love 制作過程>

ポールは最初のヴァースとコーラス部をロンドンの自宅で書き上げた。
多重録音のデモテープからスタジオで7インチのアセテート盤を制作。






BBC側からより長い尺を求められ、ポールはBBCシアターに赴き新たなヴァ
ースを加えた。

"You look tired, love"という歌詞は、TVショーのリハーサルを重ね疲れた
様子のシラを見て思いついたという。

フレーズごとの歌詞の韻の含ませ方も職人芸だと思う。



↑ポールが撮影したそうだ。



1967年11月21日にロンドンのチャペル・スタジオでポールのギター演奏
シラが歌うデモを録音。

ポールはシラが歌えるようキーDで作曲している。
それでもシラには少し低すぎたようだ。


Cilla Black and Paul McCartney - Step Inside Love
  (Original Demo)






レコーディング時はシラの音域に合わせて4度上げてキーGに移調。
映像が残されている。(6)

Cilla Black & Paul McCartney - Step Inside Love 
Studio Session (November 21st 1967)






1968年1月30日の番組開始からオープニングで使用された。
シングルの発売は1968年3月8日。

全英シングルチャートで最高位8位を記録。
アイルランド、ニュージーランド、カナダでもチャートインしている。






<Step Inside Love ビートルズ・ヴァージョン>

1996年のAnthology3でこのアウトテイクを聴いた時は驚いた。
録音されたのは1968年9月16日。アビイロード第2スタジオ。

ポール、ジョン、リンゴの3人はポール作I Willのレコーディング中だった。
(ジョージはこのセッションに不参加)

 


ポールはアコースティック・ギター(D-28)を弾きながら歌い、ジョンは
金属片を木片で叩いてパーカッション代わりにし、リンゴがマラカス、ウッ
ドブロックとシンバル、という編成で67テイクを録音。

ポールはアコギを持つと脱線して違う曲を歌い出す奇行(笑)があるらしい。
この日も何度か中断しCan You Take Me Back、Blue Moon、The Way 
You Look Tonight、Los Paranoiasを即興で歌っている。(7)





I Willテイク35の途中でポールはStep Inside Loveを歌い出した
半年前にシラのシングルが発売されているが、ポールはその時のデモと同じ
ギター演奏で歌っている。(8)
(前出のコード譜はこのビートルズのセッション音源から耳コピした)


The Beatles - Step Inside Love (Studio Jam)







実はStep Inside Loveはこのビートルズの音源で初めて聴いた。
ポールがシラ・ブラックに提供したことは知っていたが、彼女の歌もそれ
までは聴く機会がなかった。
今ではシラのStep Inside LoveとIt's For Youもお気に入りである。




<脚注>

2025年12月24日水曜日

ビートルズの妹分として売れたシラ・ブラックとIt’s For You



このところ何度も脳内再生されるシラ・ブラックのIt’s For You。

彼女のファンというわけではない。
Aメロのソフトな歌声は好きだけど、Bメロの力んだ声は苦手かな。
(個人的感想です)


曲やアレンジ、サウンドに惹かれるのだ。1960年代を感じさせる
レノン=マッカートニー作品でジョージ・マーティンがアレンジとプロ
デュースを手がけているせいだろう。



シラ・ブラックとジョージ・マーティン



今回はIt’s For Youを中心に、シラ・ブラックについて。


It's for You (2003 Remaster)
↑曲の前に「僕とポールが書いた」とジョンがコメントしている。







シラ・ブラックという歌手は日本ではあまり馴染みがないかもしれない。

しかしイギリスではOBE(大英帝国勲章第4位)(1)を受賞するくらいで、
人気も実力もあった。
シングル11曲、アルバムも4枚をトップ10入りさせている。

彼女が売れたのは、ビートルズ一派のバックアップのおかげでもある。




<シラ・ブラックとビートルズ>

シラはリヴァプールのキャヴァーン・クラブでクローク係をしていた。
笑い上戸で陽気な性格だった彼女は、キャヴァーンに出演していたデビュー
前のビートルズと親しくなる




歌手志望だったシラは飛び入りでステージに上がり、ビートルズや他の出演
者と一緒に歌うこともあったという。
ロリー・ストーム&ザ・ハリケーンズ(ビートルズ加入前のリンゴが在籍)
の演奏でリンゴとBoysをデュエットしたという記録もある。




シラはビートルズのマネージャー、ブライアン・エプスタインの目に留まる
(たぶんジョンとポールが紹介したのだろう)



シラ・ブラックとブライアン・エプスタイン




↑左からパティ・ボイド、ジョージ・ハリソン、シラ、エプスタイン


エプスタインはシラをジョージ・マーティンに売り込み、ビートルズと同じ
パーロフォン・レコードと契約。レコード・デビューが決まる。
プロデューサーはマーティンが担当することになった。



↑ジョージ・マーティンとシラ


マーティンは著書「耳こそはすべて」で「シラはひどい声だったのでダブル
トラッキング(2)が必要だった」と書いている。ひどい声?(笑)
(2015年にシラが他界した際は「彼女は驚くべき才能を持っていた」とコメ
ントしている。評価が変わった?)



(写真:gettyimages)



1963年レノン=マッカートニー作Love of the Lovedでシラはデビュー。
(全英35位を記録)

共作名義(3)であるが、実質ポールがデビュー前に書いた作品だ。
不合格となったデッカのオーディション(4)で演奏した1曲でもある。
(ジョンとポールはビートルズとして発表するほど完成度が高くないと判断
した曲は他の歌手やグループに提供していた)

まあ、ポールにしてはイマイチだと思う。
デッカの苦い思い出もあってビートルズとしては捨て曲扱いなのかも(笑



↑Love of the Lovedシングル
(英国ではシングルはジャケットなしで販売されることも多かった)




1963年末から1964年初頭にかけてロンドンで開催されたビートルズ・
クリスマス・ショーにシラはゲストとして出演。

ビートルズ(主にポール)による全面的にバックアップは売りになる。
マスコミにも音楽業界にも、ビートルズのファンに対しても。





シラ・ブラック=ビートルズの妹分という文脈で語られるようになった。

エプスタインのマネジメントでレノン=マッカートニー作品を提供され
ていたEMIの他のグループからも可愛がられる。
ひいてはマージービートの妹分的な存在でもあった。



↑ビリー・j・クレイマー&ザ・ダコタス、ジェリー&ザ・ペイスメイカ
ーズと(1964年EMIスタジオ前)



マージービートの売れっ子たちが勢揃い。中央がビートルズとシラ。




<全英チャートにヒット曲を連発する歌手に>

2曲目のAnyone Who Had a Heartで初の全英1位を獲得。
ヒットメイカー、バート・バカラック=ハル・デイヴィッドがディオンヌ・
ワーウィックのために書いた曲である。
流麗で緩急の変化がいかにもバカラックらしい。



↑バート・バカラック(左)ハル・デヴィッド(右)(写真:gettyimages)


※シラは1966年にもバカラック=デイヴィッド作品、Alfie(同名映画
の主題歌)をヒットさせた。
ディオンヌ・ワーウィックのヴァージョンもヒットしている。



↑ディオンヌ・ワーウィックと


↓アビイロード・スタジオでAlfieをレコーディング中のシラ・ブラック。
ピアノを弾きながら指揮をしてるのがバート・バカラック。
コントロールルームにジョージ・マーティンがいるのも確認できる。




↑Alfieのレコーディング
ピアノを弾いてるのがバカラック、右はジョージ・マーティン
 


3枚目のシングルYou're My Worldも全英1位(5)に輝き、シラ・ブラ
ックはデビューから半年でヒットシンガーとしての地位を確立する。






<レノン=マッカートニーの隠れた名曲、It's for You>

4曲目は再びレノン=マッカートニー作品。
ポールはヒットしたAnyone Who Had a Heartをモデルにジャズの
スイング感たっぷりのワルツ、It's for Youを書きシラに提供した。
全英7位を記録するヒットとなる。



       ↑It's for You シングル



シラは「It's for YouはAnyone〜とは別物」と解釈してるという。
ポールによると「映画ウエストサイド・ストーリー挿入歌、A Boy Like 
Thatからヒントを得た」そうだ。
ポールは「レノン=マッカートニーの最高作の一つ」と自信を見せる。





物憂げな美しいメロディはポール節だが、ジョンっぽい切なさも感じる。
クレジットだけでなく、ジョンも手伝ったのではないだろうか。

1965年に放送されたTV特番The Music Of Lennon and McCartney
では、ポールが「素晴らしい、才能ある・・・あと何だっけ?」とボケを
かまし、ジョンは「素敵な娘、おバカさんで」と嬉しそうにシラを紹介。
笑い上戸のシラとビートルズとの仲の良さを垣間見ることができる。



↑TV特番The Music Of Lennon and McCartneyより。



Cilla Black - It's For You (Live)




<It's for Youの曲構成、コード進行、アレンジ>

マイナー調の分数コード(6)で下降し、一時転調で変化を加えている。

ポールのデモ(7)(キー=Am)、シラのヴァージョン(キー=Cm)から
コードを拾ってみた。


(Verse) Aメロ
Am  Am/G D/F# Dm/F
I'd say      some day
C                  F         B♭6    E♭             Dm7  G7/D
I'm bound to give my heart away When I do
           Am  
It's for you  (repeat)

(Bridge) Bメロ
E                    Am             
They said that love was a lie Told me that I
Am7                      D
Never should try to find
Dm7                       Am     Bm7(-5)      E7
Somebody who'd be kind   Kind to only me   (repeat)






サビでは音数が増え、急かされるようなメロディで駆け上がる。
ブレイクしてまたAメロ(ヴァース)へ。繋ぎ方が巧い
間奏でスピードアップし、シンコペーションを多用するのもカッコいい。
テンション・コード(8)も効いてる。

ざっくりしたアレンジはポールが考え、オーケストレーションはジョージ
・マーティンが担当しスコアを書いたのだろう。
ジョージ・マーティンのオーケストラが演奏している。





1964年7月の録音、つまりYesterdayの1年前に既にビートルズというバ
ンドと別に、オーケストラを採用した楽曲制作を行なっていたわけだ。
ポピュラー音楽の作曲家を目指していたポールにとっては節目となる作品
で、実験的な試みとなった。



映画「Family Way(1966年12月公開 邦題:ふたりだけの窓)の音楽
担当への布石とも言える。


Love In The Open Air'The Family Way'P. McCartney 1966
↑哀愁のあるメロディはIt's For Youに通じるものがある。




↑Family Wayのサウンドトラック



↑地味だけど味わい深い、何度でも見たくなる英国映画だ。



↑Sgt.Peppers制作開始前の1966年11-12月に作曲〜録音された。




次回はポールがシラに提供した3作目、Step Inside Loveについて。



<脚注>

2025年9月29日月曜日

なぜか日本だけヒットした「マンチェスターとリバプール」

忘れかけていた曲が頭の中で何度もリピートされることがある。
マンチェスターとリバプール♪・・・って、誰が歌っていたんだっけ?


ピンキーとフェラス/マンチェスターとリヴァプール(1968年)






<歌っていたのは・・・>

ピンキーとフェラスという英国のグループらしい。


1968年というばピンキーとキラーズの「恋の季節」が大ヒット。
オリコンチャート17週1位、売り上げ枚数207万枚という記録を達成した。

ピンキーと〜の命名はこの英国のグループからか?と思いきや。
逆だったという説がある。


英国ではフェラス(The Fellas)(1)と名乗っていたらしい。
スコットランド出身のグループでメンバーは女性1名、男性5名という構成。
男性5名は演奏を担当していた。
ボーカルの女性はキャロライン・ガードナー。





フェラスはDecca(デッカ)という英国のレーベル(2)に所属していた。
デッカはアメリカや日本ではロンドンレコードというレーベルを使用。
日本ではキングレコードが配給元であった。

キングレコードといえば、ピンキーとキラーズの所属レーベル。
洋楽担当は大ヒットしたピンキラにあやかって、勝手にピンキーとフェラス
というグループ名をでっちあげた?
「売れればいい」の何でもありの時代。あり得る話だ。


その甲斐があってか?ピンキーとフェラスの「マンチェスターとリバプール」
は1968年10月の30万枚を売り上げ、オリコン・チャート5週連続1位という
ヒット曲となった

本国の英国でもアメリカでも鳴かず飛ばず。日本だけのヒットだった。(3)
そのせいか、英国圏ではこのグループのデータがほとんど出てこない。



 

しかし1968年4月の英国レコード・ミラー紙の記事では、Pinky and the
Fellasと紹介。Pinky and her Fellasという言い方もしている。

ということは、1968年7月20日にデビューしたピンキーとキラーズの方が後?
ピンキラの方が名前を拝借したのかもしれない。


またDiscogsには英国デッカからリリースされたシングル盤の写真が掲載
されており、レーベルにはPINKY & THE FELLAS と刻印されている。(4)






<原曲はフレンチ・ポップスだった>

「マンチェスターとリバプール」は「恋はみずいろ」(5)などイージーリスニ
ング(6)の第一人者として知られるフランスのアンドレ・ポップの作品である。

フランスの女優で歌手のマリー・ラフォレ(7)が1966年に歌っている


Marie Laforet - Manchester et Liverpool 1967




↑他に写真なかったのかな?なんかこわい。きれいな女性なのに残念。



イギリスのマンチェスターとリヴァプールを舞台に、失恋した女性の悲しみが
描かれている。(なぜフランス人の失恋の地が英国の工業都市なのか?は謎)

Manchester et Liverpool
Je me revois flânant le long des rues
Au milieu de cette foule
Parmi ces milliers d'inconnus

マンチェスターとリバプール
通りをぶらついていたことを思い出す
この人ごみの中を たくさんの見知らぬ人々の中を

(中略)

Je t'aime, je t'aime
Que j'aime ta voix Qui me disait
Je t'aime, je t'aime
Et moi j'y croyais tant et plus 

あなたが好き、あなたが好きよ あなたの声が大好き
君が好き、君が好き と言ってくれたのは誰なの?
私はその言葉をすっかり信じきっていた
※ 2番目のje t'aime,je t'aimeは相手が言った言葉 

                                (拙訳:イエロードッグ)




↑1967年のスペイン盤。4曲入り。ドイツでも発売されていた。




メロディーはシャンソンらしいメランコリックで叙情的な響きを持っている。
一方で2拍目と4拍目にアクセントを置く跳ね感のあるリズムはラテン音楽の
ようでもあり、軽快でどこかコミカル、エキゾチックな雰囲気がある。

1960年代に日本で流行したドドンパ(8)や「ワシントン広場の夜はふけて」
のようなフォーク・ディキシー(9)にも通じるものがある。




このアンバランス感が魅力とも言える。
哀愁のあるメロディーを軽快なリズムを融合させる手法は、当時のフレンチ・
ポップスやシャンソンではよく使われたらしい




<ピンキーとフェラスの英語ヴァージョン>

改めてピンキーとフェラスによる英語カヴァーを聴いてみると、曲調やアレン
ジはマリー・ラフォレのフレンチ・ポップスに近いことが分かる。


Manchester and Liverpool. 
May not seem cities for romantic fools. 
Bustling feet and dusty streets, 
And people living for each day. 
But behind the smoke and grind, 
A great big city's beating heart you'll find. 
You may roam but it's still home, 
Although you travel far away.

A city, city may not so very pretty
But to be back, a smokestack
Can be a welcome sight to see

マンチェスターとリバプール。
ロマンチックな愚か者には不向きの街かもしれない。
賑やかな足音と埃っぽい通り、そして日々を懸命に生きる人々。

でも煙と喧騒の裏には、大都市の鼓動が息づいている。
遠くへ旅をしたら彷徨うかもしれないけど、やはり故郷だ。

街はそれほど美しくはないかもしれない。
でも帰ってくると、煙突が歓迎してくれるように見える。

                                (拙訳:イエロードッグ)


マリー・ラフォレ版ではサビでJe t'aimeと繰り返され、いかにもシャンソン
であるが、フェラスの英語カヴァーではA Cityと歌われ、メランコリックさは
後退している。

失恋ソングではなく、自分と街、街への思い入れがテーマになっている。
その分、工業都市、港湾都市(10)の描写が多い。



↑後に再発されたシングル盤と思われる。このセンス・・・





<「マンチェスターとリバプール」が日本だけでヒットした理由>(11)

まず、日本人が大好きなマイナー調の(泣きのある)親しみやすいメロディー
だったことが挙げられる。

そして1960年代にシルヴィ・バルタン、フランス・ギャル、ダニエル・ヴィダル
が日本でヒットし、日本人にシャンソンが身近で合ったこと。
ドドンパが流行った後で、この曲独特のリズムに共鳴できたことも大きい。

マリー・ラフォレのオリジナルがヒットしなかったのは、メランコリックすぎ
、ウェット(感情的)すぎたせいではないだろうか。
ピンキーとフェラスの英語ヴァージョンは適度に哀愁を帯び、適度に明るく軽や
かで当時の日本人の気分で合っていたのかもしれない。



<ピンキーとフェラスのその後>





ピンキーとフェラスは翌1969年、ポリドールに移籍。
Let The Music Startという、やはりフレンチ・ポップス的な曲を発表。

1970年4月に来日して東京公演を果たす。
同年アルバム「Waterloo Road」を発表するがヒットせず、英国では無名の
まま終わったということだ。

タイトル曲の「Waterloo Road」は英国のサイケデリックロックバンド、
ジェイソン・クレストが1968年にリリースした曲で、「オー・シャンゼリゼ」
の元歌。何かとフランスに縁があるグループ?だったみたいだ。


<脚注>