三人娘の中で歌が上手いのは小柳ルミ子という印象が強かったが、実は天地真理の
歌唱力もかなりのものである。
↓天地真理と小柳ルミ子のデュエットによる「四月の雨」。
(1973年4月TBS「となりの真理ちゃん」出演時の音源)
二人とも上手いしきれいな声ですね。聴いてて安心感があります。
天地真理は小学生の頃買ってもらった88鍵のアップライト・ピアノに親しみ腕を上げ、
国立音楽大学附属中学校〜高校ピアノ科に進学。後に声楽科へ転科。
しっかりした音楽教育を受け基礎ができているのだ。発声法もクラシックっぽい。
<出典:レコード・コレクターズ>
在学中からジョーン・バエズ等のフォークソングを愛好していたそうだ。
卒業後はヤマハのボーカルコースに入る。
その頃レッスン室にあった本(1)に載っていた「小さな私」という曲と出会う。
これがデビュー曲「水色の恋」の原曲である。
天地真理はこの曲が気に入り持ち歌のように好んで歌うようになる。
CBS・ソニーのオーディションでも「小さな私」を歌った。
デビュー曲を決める際、CBS・ソニーの中曽根ディレクターはいくつかの候補の中から
「やっぱりこれがいい、一番合ってる」と「小さな私」を選んだ。
題名を「水色の恋」変え、メロディーも少し原曲から変更されている。
↓デビュー前TBS「ヤング720」に出演し「小さな私」を歌った時の音源。
デビューのきっかけはTBS系人気番組「時間ですよ」の「松の湯」従業員役のオーディ
ション(2)を受けたことであった。
森光子が彼女の不合格を惜しみ、台本にない新登場人物として出演させることを演出
の久世光彦に提案。
健ちゃん(堺正章)が憧れる「隣のまりちゃん」役で出演し、「松の湯」隣家2階の
窓辺で白いギターを爪弾きながら「水色の恋」「恋は水色」「この広い野原いっぱい」
を歌い(3)注目を浴びた。
<出典:Wikipedia>
↓TBS「時間ですよ」の1シーン。「この広い野原いっぱい」を歌う天地真理。
天地真理がデビューした1971年は、五つの赤い風船、赤い鳥、などのフォークソング
が人気を博し、歌謡曲もそのムーヴメントを受けていた頃(4)である。
「水色の恋」はフォークソングと歌謡曲の橋渡し的な曲だった。
この曲を歌っていた頃の彼女は爽やかだった。
天地真理はポップスよりフォークシンガーが似合っていたと思う。
その路線のままだったら息の長い歌手になったのではと残念である。
(1)レッスン室にあった本
天地真理はヤマハ’70作曲コンクール(後のポプコン)に「斉藤マリ」で出場。
「OTHERWISE」と言う曲をを歌った。
この時、他の参加曲も入った楽譜集も渡される。
その中にあった「ちいさな私」と言う曲が好きになりたびたび自分で歌っていた。
(2)銭湯「松の湯」従業員役
川口晶の次のレギュラーのオーディションを受け、西真澄と一緒に最終審査まで
残ったが、合格したのは西真澄であった。<出典:Wikipedia>
(3)窓辺で白いギターを爪弾きながら
最初の頃はちゃんと歌える歌は「水色の恋」、「恋は水色」、ジョーン・バエズ
の「ドナドナ」、「サニー」の4曲ぐらいしかなかったそうだ。
<出典:天地真理 GOLDEN☆BEST セルフ・ライナーノーツ>
(4)フォークソングの影響
それ以前もトワ・エ・モワ、千賀かほる、中山千夏、マルメン・マキ、新谷のり子、
ベッツィ&クリス、森山良子、ヒデとロザンナなど立ち位置をフォークソングと
歌謡曲の中間に置く歌手がいた。
4 件のコメント:
天地真理さん、懐かしいですね。
私が高校生の頃のデビューだったでしょうか?
クリクリッと可愛いらしい表情に弟が夢中だったような記憶があります。
当時のアイドルの中では、抜きんでた歌唱力でしたね。
国立音楽学校付属高校を卒業したのでしたっけ?
>Mary Ppmさん
天地真理のデビューは1971年ですからMary Ppmさんは大学生かな?
弟さんがファンだったのですね(^_^)
歌手が歌が上手いのが当たり前だったのは天地真理が最後だった気がします。
その後出てきた浅田美代子とか風吹ジュンとか思いっきり下手でしたよね(笑)
天地真理はきれいな声だったのに途中から高音で声が割れるようになりました。
スケジュールが過密で十分休めなかったんじゃないかと思います。
そうです。
国立音楽大学附属中学校・高校〜ヤマハのボーカルコース出身です。
ヤマハのポプコンやライトミュージックって登竜門でしたよね。
Heartstreamは地区大会とか出場しなかったのですか?
>ヤマハのポプコンやライトミュージックって登竜門でしたよね。
Heartstreamは地区大会とか出場しなかったのですか?
実は、あとから聞いた話ですが、うちのバンドのポールさんは密かに
この九州大会に出る予定にしていたそうなんです。
「赤い鳥」と同じ年でした。
でも、進学校のまじめなポールさんですから、学期末?中間テストかなんかと
重なったので、出場を断念したんだとか。
可能だったら、そんな大きなコンテスト出場の経験もしてみたかったですね。
でも、分不相応なことをしても、自分たちの実力を思い知ることになったことと思います(汗)
>Mary Ppmさん
赤い鳥がヤマハのライトミュージック・コンテストで優勝した時は
オフコースとチューリップも出場していたそうです。
チューリップの財津和夫はオフコースを聴いて「負けた」と思い、
オフコースの小田和正は赤い鳥を聴いて「負けた」と思ったとか。
すごい人たちばかりの年だったんですね。
そういう大会に出てみるのも刺激になっていいかも。
高校の時、級友のお兄さんのバンドが地区大会に出場していて見に
行きました。
ビートルズの「Getting Better」をやってて上手でした。
その時ゲストで赤い鳥が最後に出演して歌ったんですよ。
「紙風船」を歌ったのを覚えてます。
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