2021年1月15日金曜日

ウエストサイド物語は革新的なミュージカルだった。

年末年始のテレビって毎年、本当につまらない。
そんなわけで。ドラマの一挙放送や昔の映画を録画して見ていた。
その中の一つがウエストサイド物語。(1961年公開アメリカ映画)




中学か高校一年の頃に一回見ただけなのに、有名なトゥナイトはもちろん、
マリア、アメリカ、マンボ、クールなどの劇中歌はほとんど憶えていた。 

昔はボーッと見ていたが、この歳になって初めて気づくことも多い。
人種問題、移民、分断、銃、暴力。
今もアメリカが抱える闇は根深く、半世紀以上も続いてるのだ。



<映画「ウエストサイド物語」の概要>

舞台は1950年代のニューヨーク、マンハッタン。
セントラルパークを境に西側が移民が多く住むスラム街だった頃の話だ。
二つの不良グループが縄張り争いで一触即発の状態だった。




地元で幅を利かせていたポーランド系白人の人少年の非行グループ、ジェッツ。
プエルトリコ系移民たちの新興勢力、シャークス。

ジェッツの元リーダーで更生し真面目に働いていたトニーは、初めてのダンス
パーティーに胸を弾ませていたマリアと出会い、二人は恋に落ちる。
が、マリアはシャークスのリーダー、ベルナルドの妹だった。




両グループの決闘を止めようとしたトニーだったが、親友リフを刺殺され激怒。
ベルナルドを刺し、自らも銃殺されてしまう。


お察しのとおり、元ネタはシェイクスピアのロミオとジュリエットだ。
舞台を1950年代のニューヨークに置き換えている
モンタギュー家とキャピュレット家を、ジェッツとシャークスに。
トニー=ロミオ、マリア=ジュリエット、ベルナルド=ティボルトである。

原作との違いは時代と場所だけではない。


ロミオは毒を飲み自殺するが、トニーは銃殺される。
マリアはジュリエットのように自害せず、恨みの言葉を吐き去って行く。

ロミオがバルコニーの下からジュリエットに愛を語る有名なシーンは、
マリアのアパートの外階段をトニーが上り、抱き合い一緒に歌う。
(初めての曲なのに何で一緒に歌える?→ミュージカルですから)




フランコ・ゼフィレッリ監督のロミオとジュリエット(1968年公開)は、
ロミオが木からバルコニーに上り、ジュリエットと一夜を共にする、という
新解釈(オリヴィア・ハッセーの見事なヌードも含め)が話題になった。
今思うと、そのシーンもウエストサイド物語に着想を得たのかもしれない。



<ジェッツとシャークスの環境>

不良グループの片方、ジェッツはポーランド系移民二世で構成されている。
白人とはいえ最下層階級である。仕事もせず集団で非行を重ねている。

2代目リーダーのリフはグループを率いているが、すぐに熱くなり衝動的に
なるメンバーも多く、組織的に統制が取れていないように見受けられる。





今回見て初めて気がついたのだが、リフを演じているラス・タンブリンは
「フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ」(1966年公開 東宝)で
水野久美(東宝怪獣映画ファンのマドンナ)と共演している。(1)

ウエストサイド物語から5年後のラス・タンブリンは少し太り、かつての
不良少年の面影は消え、すっかりオジサン化していた。





リフは初代リーダーのトニーを兄のように慕い頼りにしている。
二人ともジェッツが根城にしているドクの店で育った孤児のようだ。

リフの恋人を含めあばずれ女子3人がジェッツと行動を共にしている。
ジェッツに入りたくて付きまとうボイーッシュな少女がいるが、取り巻きで
はなく「男として認められたい」トランスジェンダーのようである。
(この時代で既にこういう問題に触れている点が興味深い)




シャークスのベルナルドの恋人、アニタがドクの店にマリアからトニーへの
伝言を届けに来ると、ジェッツは集団レイプしようとする民度の低さである。







一方シャークスはプエルトリコ系移民でアメリカに来て日が浅いらしい。
アメリカでの待遇への不満を口にしている。低賃金で働いているのだ。




ベルナルドの恋人、アニタが率いる女子グループもお針子の仕事をしている。
マリアもその一人。ベルナルドは妹のマリアを気にかけている。
同郷人としての結束感からか、女子グループはシャークスと親密である。





シャークス自体もベルナルドの指示に従い統制が取れている。


シャークスも女子も顔を塗っているがヒスパニック系の顔立ちではない。
役者で本当にプエルトリコ人なのはアニタ役のリタ・モレノだけである。




ベルナルド役のジョージ・チャキリスはギリシャ系の二世。(2)
マリア役のナタリー・ウッドにいたってはロシア系移民の娘。
本名もロシア名。どちらかというとジェッツの側にいる方がしっくり来る。
チコちゃんに「何であんたがそっちにいんのよ」と叱られそうだ(笑)



<映画「ウエストサイド物語」誕生の背景>

「ウエストサイド物語」は1957年ブロードウェイ初演のミュージカルである。
その構想が持ち上がったのは8年前、第二次世界大戦後間もない1949年だった。

ニューヨーク・フィルハーモニーの指揮を弱冠25歳で任された天才音楽家、
レナード・バーンスタイン
クラシックバレエ・ダンサーとして活躍した後に、新進気鋭の振付家として
ブロードウェイの寵児となっていたジェローム・ロビンス


2人は当時30歳そこそこで既に一流の仕事をして認められていた。
若い世代の2人だからこそ、繁栄と恐慌、戦後を経験したアメリカの空気を
敏感に捉え「ロミオとジュリエット」を下敷きとした、移民、貧困、人種差別、
銃、暴力などの問題を織り込んだ今までにない新しいミュージカルを作ろう、
という発想が生まれたのだ。

2人は劇作家・脚本家のアーサー・ロレンツ(後に「追憶」「ロープ」「愛と
喝采の日々」を手がける)に台本を依頼する。



↑左からスティーヴン・ソンドハイム(作詞)アーサー・ロレンツ(脚本)、2人
挟んでレナード・バーンスタイン(作曲)ジェローム・ロビンス(演出・振付)


構想8年7ヶ月をかけ開幕した作品は全米にセンセーションを巻き起こす。
それまでのミュージカルはハッピーエンドのラブコメが主流だったのに対して、
この作品の舞台は荒みきったスラム街

描かれていたのはタブー視されていた人種間の差別や対立といった社会問題
台詞や歌詞には俗語や卑猥な表現が使われ、リアリティと生々しさがあった。

不良少年を演じる若者たちが歌い、自身で大胆な踊りを披露するスタイルも、
シンガーとダンサーの分業制が一般だったミュージカル界では革新的だった。


この大ヒットしたブロードウェイ・ミュージカルを映画化したのが本作だ。
(1961年公開、配給:ユナイテッド・アーティスツ)
監督はロバート・ワイズ(4年後「サウンド・オブ・ミュージック」でも受賞)





映画版「ウエストサイド物語」は批評家、観衆からの絶大な支持を得て1961年
のアメリカ国内第2位の興行成績を記録。
アカデミー賞11部門中10部門を受賞、という快挙を成し遂げた。


クールな演技と大胆なダンスを披露したベルナルド役のジョージ・チャキリス
が助演男優賞、その恋人アニタ役のリタ・モレノが助演女優賞を受賞。

主演の2人はダンスの見せ場もそれほどないせいか受賞していない。
映画で歌われる曲も人々を魅了。サウンドトラック盤も空前の売り上げとなる。




<「ウエストサイド物語」で生まれた数々の名曲>

音楽を手がけたレナード・バーンスタインはアメリカが生んだ最初の国際レベル
の指揮者、作曲家、ピアニスト、20世紀後半のクラシック音楽界のスターである。
バーンスタインで初めてアメリカはクラシック音楽家を生んだとも言われた。(3)



↑右端のピアノに寄りかかっている人がバーンスタイン。歌の指導をしている。


1957年ニューヨーク・フィルの常任指揮者就任の前年、39歳だったバーンスタ
インが書いた「ウエストサイド物語」の音楽は彼の代表作となった。
クラシックの手法を用いながら、ラテン、ジャズの要素を取り入れ、音楽で各
シーンの雰囲気や緊張感、高揚感を演出している

以下、印象的だった劇中曲の解説。


プロローグ(演奏のみ)
映画の冒頭、ジェッツとシャークスの対立が少年たちの動きと指を鳴らす音で
表現されるが、音楽でも不協和音を巧みに使いその不和を暗示させている。
その不協和音はトライトーン(三全音)と呼ばれ、ルート音に対し増4度(半音6
つ分)の不安定な和音となり、不安感を醸し出すのに効果的である。(4)

後半、動きに合わせて音楽もリズムが加わりスピード感が出てくる。
ストリングスとブラスでトライトーンを加えたドミナント7thコード、ディミニ
ッシュ・コード(5)を使いながら、派手な演出をしている。
ジョージ・チャキリスが足を高く上げる有名なシーンもここで登場する。



↑クリックするとプロローグのダンス・シーンが観られます。


体育館でのダンス(演奏のみ)
ラテンのリズムを基調とした組曲になっている。
マリアッチ調のプロムナードから一転してマンボへ、トニーとマリアの出会いの
シーンではスローなチャチャチャに。ここでもフィンガー・スナップが効果的だ。


アメリカ
プエルトリコ系の女性たちがアメリカでの暮らしの豊かさを、シャークスの男たち
はアメリカでの待遇の悪さを、応酬のように掛け合いで歌い踊る。
ヘミオラと呼ばれるラテンの混合リズム(8分の6拍子と4分の3拍子の組み合わせ)
で、タタタ・タタタ・タン・タン・タンが小気味好い。



↑クリックするとアメリカの歌とダンスが観られます。


トゥナイト 
トニーとマリアがアパートの外階段で愛を語り合う最も有名なシーン。
2人が交互に、後半は一緒に歌う。繰り返す転調が高揚する気持ちを表している。
このテーマは後半の五重唱でも出てくる。


トゥナイト(五重唱)
リフとベルナルドが決闘に掛ける意気込みを不穏なメロディで歌い、ジェッツと
シャークスの合唱が加わり、さらにアニタの歌も入る。
その後トニー、マリアによるトゥナイトのリフレインが入り、最後は全員の合唱
になる。(トニー、マリアのパートはカウンターメロディーとなる)



↑マリア役ナタリー・ウッドとアニタ役リタ・モレノと監督のロバート・ワイズ。
クリックするとトゥナイト(五重唱)が観られます。


すてきな気持ち
マリアが働いているブライダル店で、素敵な人に愛される喜びを歌う。
ラテン調ワルツでI feel prettyと上昇メロディが繰り返され高揚していく。
マリアッチ(メキシコ民謡)風のアレンジが楽しい。
同僚の女子たちがフラメンコ調の手拍子で歌いながらマリアを茶化す。

この映画でマリア役のナタリー・ウッドの一番の見せ場だと思う。




↑クリックするとナタリー・ウッドのI Feel Prettyが観られます。


クール
リーダーを刺殺され殺気立つジェッツにメンバーの一人が落ち着けと呼びかける。
半音進行のメロディ弱音でスイングするリズムがまさにbe coolである。
後半テンポアップしブラスを効かせた派手なインストゥルメンタルに合わせ、
暗い駐車場でジェッツの狂気を帯びたダンスになる。掛け声と手拍子が効果的





俳優たちの歌は大部分が吹き替えである。(6)
ナタリー・ウッドは本人が歌ったものの、より完璧な歌にしたいMGM側の意向で、
ゴーストシンガーの歌に差し替えられた。
撮影終了後に初めて自分の声が使われないと知ったウッドは激怒したそうだ。



<革新的だった振り付けとダンス>

前述のように、この映画の演出・振付担当はクラシックバレエ・ダンサー出身の
ジェローム・ロビンスである。



↑役者たちに振付指導するジェローム・ロビンス。すごい跳躍力!


僕は基本的にミュージカルをあまり好まない。
ミュージカルの大前提、突然、登場人物が歌い踊り出すことに違和感を持つから。

人が死んでるのに歌ってる場合かよ、救急車呼べ、と突っ込みを入れたくなる。
(妻にそーゆー人はミュージカルを見ない方がいいと言われた。確かに)


そういう意味では、ストリートにたむろする不良グループが突然踊り始める、
しかもそのステップにクラシックバレエが取り入れられているのだから、異様な
光景ともいえる。




しかし赤いシャツを無造作に着たジョージ・チャキリス演じるベルナルドを中心
にシャークスの3人が左脚のバットマン(脚を大きく上げる動き)を見せた瞬間、
その違和感も吹っ飛んでしまう。それくらいインパクトがあり惹き込まれた。



↑手前に穴を掘りカメラを設置。下から煽るように撮影し迫力を出している。



特にジョージ・チャキリスはクールでナイフの切っ先のようにシャープだった。
(劇場で70mmワイドのスクリーンで見ると本当に迫力があった)

シャークスの3人は黒のローカットのバスケットシューズを履いていた。
(中学の同級生が真似して履いてたっけ)
あれはコンヴァースのオールスターだろうと思ってたが、日本ゴム製だった。
後に逆輸入されて、日本の若者にも愛用されるようになったそうだ。




↑ジョージ・チャキリスたちに振付の指導をするジェローム・ロビンス。


「ウエストサイド物語」はミュージカルの新たな境地を切り開いたと言える。
それまで歌の添え物だったダンスが表現の中核を担うようになった。
若者たちは生き生きと、たぎる思い、苦悩、切なさ、刹那的衝動を表現した。
だからこそ、メッセージがダイレクトに観客に伝わり感動を生んだのだと思う。



プロローグでジェッツのリフが、失せろ(Beat It)という台詞を何度か使う。
そう、マイケル・ジャクソンの名曲、今夜はビート・イットのプロモーション・
ビデオは「ウエストサイド物語」のオープニングを模して制作されているのだ。

ストリートギャングの抗争という設定、ボス同士が決闘しそうになる描写、マイ
ケルの赤いジャケット、フィンガーナッピングしながら歌い踊るのも同じだ。



↑マイケル・ジャクソンの今夜はビート・イットが観られます。


振付師はマイケル・ピータース。本人もこのPVに出演している。
ギャングの一方のボス役としてサングラスと白いジャケットを身につけ、相手
のボスとの決闘をマイケルに制止され、群舞に入るがキレの良さは抜群である。
(スリラーのゾンビ・ダンスもマイケル・ピータースが振付を担当している)

1969年にジャクソン・ファイヴでデビューしたマイケルもウエストサイド物語
を少年時代に見ているはずで、その影響が大きい(7)ことは容易に想像できる。



<「ウエストサイド物語」の音楽への違和感>

「ウエストサイド物語」の音楽とダンスは素晴らしい。完成度が高い。
その一方でどこか腑に落ちない部分がある。

1957年ブロードウェイで公開された際、観客層はミドルクラス〜アッパーミドル
層中心だったはずだ。荒んだスラム街の不良たちの抗争は別世界の出来事である。



↑ジェッツとシャークスの抗争シーンの撮影風景。



変な例え方だが、気球の上からサバンナの猛獣たちを見下ろしていた的な、
あるいは苗場プリンスでガラス越しに外のブリザードを眺めていたみたいな。

だから不良たちを演じる役者が、バーンスタインの音楽に合わせてクラシック
バレエを取り入れたダンスを踊ることに斬新さを覚えたが違和感はなかった。


しかし1961年映画公開の時はどうだろう。
劇場に足を運んだのはロウアーミドル〜ロウアークラスのマス層まで広がる。
描かれている当の不良たち、貧困層はこの演出に共感を覚えただろうか



当時の音楽の流行を振り返ってみよう。




ミュージカル公開の前年、1956年はエルヴィスがチャートを席巻していた。
1957年もエルヴィスだ。ポール・アンカやバディー・ホリーもヒットした。

1958〜1960年にエルヴィスは徴兵されるが、未発表曲で人気は衰えなかった。
フランキー・アヴァロン、ボビー・ダーリン、プラターズ、ブレンダ・リー、
コニー・フランシス、レイ・チャールズなどがチャートで1位を獲った。
1961年でもエルヴィスは強い。デル・シャノン、 マーヴェレッツが登場。


この辺の曲を当時、一般大衆は好んで聴いていた。
カーラジオからも聴こえてくるし、スラム街でも流れていたはずだ。

街の不良たちがスクリーンの中に等身大の自分を投影できるとしたら、そこに
流れる音楽はロックンロール、ロカビリー、ポップスではないだろうか




実は映画「ウエストサイド物語」のキャスティングで主人公のトニー役は、最初
エルヴィスがオファーを受け、本人もやる気充分だった。

マネージャーのパーカー大佐が「ギャングをナイフで刺し殺す役は除隊後のエル
ヴィスのクリーン路線に合わない」と断ったため実現に至らなかった。(8)


もしトニー役をエルヴィスが演じてたらどうだったろう?
エルヴィス中心の映画になってしまったかもしれない。
音楽はエルヴィス向きにロック色が強いものに書き換えられただろうか?




ナタリー・ウッドは恋多き女優として有名で、エルヴィスとも浮名を流している。
1956年エルヴィスの映画「ラヴ・ミー・テンダー」のセットで初めて出会い、
恋仲になるが長続きしなかった。

エルヴィス版トニーとナタリー・ウッドのデュエットも見てみたかった。





<「ウエストサイド物語」の舞台と社会環境/当時と現在>

1950年代のアメリカはメキシコやプエルトリコなど中南米から移民が入ってきて
先に入植して来た白人から蔑視・危険視(職住域を侵すと)されていた。
「ウエストサイド物語」はこうした社会的背景を基に描かれている。

物語の舞台はニューヨーク、マンハッタンのセントラルパーク西側の地区。
もとは高級住宅地であったが、第二次世界大戦後スラム化が急速に進んだ。
黒人居住地区ハーレムに隣接している。



映画の大部分はロサンゼルスに作られたセットで撮影された。
冒頭の一連のダンス・シーンはアッパー・ウエストサイドのリンカーン・スクエア
付近で、取り壊し予定のビルの解体を延期してもらい撮影が行われた。
(当時リンカーン・センター建設のため再開発中だった)



↑アッパー・ウエストサイドでの撮影風景。


なので聖地巡礼に行きたくても、既に当時の名残りはない。


製作総指揮を務めたウォルター・ミリッシュは映画化を決めた理由について「アメ
リカにおける人種問題を語る絶好の機会になる。観客に作品から学び取ってもらえ
るのではないかと考えた」と語っている。


「ウエストサイド物語」でマリアはジュリエットのように後追い自殺していない。
立ち去ろうとするジェッツとシャークスの少年たちにマリアは激しい口調で言う。

You all killed him. And my brother and Riff.
Not with bullets and guns. With hate!
みんなが彼(トニー)を殺したのよ、私の兄もリフも。
銃弾ではなく、憎しみで。




↑マリア役のナタリー・ウッドに演技指導する監督のロバート・ワイズ。
横たわっているのは銃殺されたトニー役のリチャード・ベイマー。



人種間の対立と分断、銃暴力が激化する現在のアメリカを見るにつけ、本作が今も
大きな意味を持っている気がする。


2021年スピルバーグ監督が長年の夢だった「ウエストサイド物語」のリメイク版
を公開するそうだ。
1961年版でアニタを演じたリタ・モレノが制作総指揮を担当し出演もするらしい。
今回は設定に忠実に、ラテン系の俳優たちを起用する意向と言われている。




登場人物が突然、歌い踊り出すミュージカル仕立てになるのだろうか。
個人的には、エルヴィスやバディー・ホリーなど当時の若者が夢中になったロック
が流れる、アメリカン・グラフィティのようなワンナイト・ムービーにして欲しい。

一向に無くならない人種の壁、分断、憎しみ、偏見、差別、暴力。
そしてコロナ禍の不安と抑鬱感。
今だからこそ、スピルバーグ監督は人々に問いかけたいのだろう。
「ウエストサイド物語」は世代を超えて受け継がれるべきメッセージである。


<脚注>

(1)ラス・タンブリンの「フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ」出演
スチュワート博士を演じたラス・タンブリンは、撮影後は妻とホテルへ直帰し、
食事などの交歓の誘いも一切断わるなど、スタッフや俳優たちと交流し溶け込もう
という姿勢がまったくなかったようだ。
撮影現場でも演技を合わせようとせず、共演した水野久美はタンブリンの態度に
怒ってヒステリーを起こしたこともあったという。
「ウエストサイド物語」に出演したスター俳優の自分が何で日本くんだりまで来て
、と見下していたのだろう。
しかし後年、タンブリンは本作を見て、いい作品だと評価している。

↑科学者というより銀座7丁目のホステスに見える水野久美(笑)


(2)ベルナルド役のジョージ・チャキリス
ジョージ・チャキリスは映画より前にミュージカルにも出演していて、その際
はシャークスではなくジェッツのリーダー、リフの役であった。
ちなみにリフ役のラス・タンブリンは当初トニー役の候補になっていた。


(3)バーンスタインはアメリカ初のクラシック音楽家
歴史が浅いアメリカには文化がないという欧州へのコンプレックスがあった。
特にクラシック音楽の分野では欧州の作曲家に匹敵する音楽家がいなかった。
レナード・バーンスタインはヘルベルト・フォン・カラヤンやゲオルク・ショルティ
と並んで、20世紀後半のクラシック音楽界をリードしてきたスター音楽家だった。
バーンスタインの登場で初めてアメリカは世界に誇れる音楽家を生んだと言わる。
しかし1920年代にポピュラー・クラシック音楽の両面で活躍したジョージ・ガー
シュウィンもいるし、1930-1940年代にアーサー・フィドラーとボストンポップス
が好んで演奏したリロイ・アンダーソンだって優れた作曲家である。
19世紀のスティーブン・フォスターも多くの名曲を残した立派な作曲家だろう。


(4)トライトーン 
バロック時代は悪魔の音程と避けられたが、近代音楽以降は使われるようになる。
ブラックサバス以降メタル系ロックでも用いられるようになった。

(5)ドミナント7thコード、ディミニッシュ・コード
たとえばC7では3音のミと短7度のシ♭がトライトーンで不安定になり、4度上の
Fに帰結しやすい習性を持つ。
C dimではルートのドとソ♭、ミ♭とラ、と2つのトライトーンを持ち不安定に。
ディミニッシュ・コードは次のコードに帰結しやすく、他のテンション・コード
の代理コードとしても用いられる。



(6)俳優たちの歌の吹き替え
吹替歌手の名前は映画でもサウンドトラック盤でもクレジットされなかった。
当時はそれが慣習であったが、後にいくつかの問題が起きた。
ナタリー・ウッドは歌に自信があり、自分の声が使われると信じ撮影に臨んだ。
しかし裏ではマーニ・ニクソン(マイフェア・レディでヘップバーンのゴースト・
シンガーも務めている)による吹替が決められていた。
撮影終了後に自分の声が使われないと知ったウッドの落胆は大きかっただろう。


ニクソンはウッドの歌い間違いの修正に苦心(こういう場合アップショットを撮り
直すが、ウッドの協力が得られなかった)した上、最後のシーンのマリアの台詞
吹替まで行うことになった。
このためニクソンはサウンドトラックの売上の一部を要求したが、配給会社もレコ
ード会社も応じず、結局バーンスタインが報酬の一部をニクソンに回し解決した。
アニタの吹替を担当したワンドが訴訟を起こし、サウンドトラックの売上の一部
を受け取ることで和解している。


(7)マイケル・ジャクソンへの影響
バッドのプロモーション・ビデオでも「ウエストサイド物語」のプロローグの
ダンスを参考にしているそうだ。ギャング団のダンスという設定も同じ。
マイケルはジェームス・ブラウンなどソウルはもちろん、フレッド・アステアや
ジーン・ケリーなど古いミュージカルのダンスも取り入れている。


(8)パーカー大佐がエルヴィスの出演を断った理由
除隊後のエルヴィスはやんちゃなロックンロールのカリスマではなく、ソフト
でもの分かりのいい保守的な南部の好青年にイメージチェンジしていた。
楽曲も野卑でエネルギッシュなR&Bやビートを効かせた刺激的なロックンロール
から、カンツォーネやメロディアスな懐メロ的な作品が増えた。
エルヴィスに聴かせる前に、パーカー大佐が選曲するようになったためである。
彼は自分の利益が増えるよう関連会社や仲間内からの楽曲を優先していた。
監獄ロックやハウンドドッグなど名曲を生んだリーバー&ストーラーは、印税
の一部を譲度しろという理不尽な要求に嫌気がさし、作品を提供しなくなった。

パーカー大佐が「ウエストサイド物語」へのエルヴィス出演オファーを断った
のは、イメージの問題だけでなく、バーンスタインの楽曲では印税の旨味がない
と判断したからではないだろうか。
また彼はこの映画の内容のメッセージ性、作品の完成度も見抜けなかった。
物語の脈絡に関係なくエルヴィスが新曲をご披露という他愛もない映画を年3
も作り、その楽曲が入ったLPを売るワンパターンを5年も続けたのだから。


1963年にはディラン、ビートルズを始めとする英国勢と新しい波が押し寄せ、
エルヴィスは過去の人になってしまう。
1961年の「ウエストサイド物語」に出演していたら、エルヴィスの今までにない
側面を見せることができて状況は変わっていたかもしれない。
かつて恋仲だったナタリー・ウッドとの共演はNGではなかったと思う。
プリシラとの結婚は1967年で、この時エルヴィスはまだ独身であった。


<参考資料:CINEMORE、劇団四季 ウエストサイド物語 誕生秘話、YouTube
、名画プレイバック、Cinema Notes、コトバンク、Wikipedia、 TAP the POP、
東京大学教育学部報 「ラテンアメリカ、異文化と出会う」、DTM音楽理論講座、
FLIPPERS、Jazz Piano Practice、ミュージカルへの招待、洋楽まっぷ、ew.com
エルヴィス・プレスリーは永遠!!、Billboard 1956-1960 Year End Charts、他>

2 件のコメント:

Unknown さんのコメント...

この映画の隠れた面を知り余計に楽しく見られます。

イエロードッグ さんのコメント...

コメントをありがとうございます。
スピルバーグ監督のリメイク版も見たいのですが、まだなんです。
でも本家の「ウエストサイド物語」は永遠の名作でしょうね。