2022年4月14日木曜日

ベンチャーズは「10番街の殺人」が頂点と断言できる理由。

ドン・ウィルソン追悼、間が空いてしまったが3回目。

今まで何度かライブ・バンドとしてのベンチャーズの凄さを述べてきた。
スタジオ盤とは一味違う、ラウドでワイルドな音、グルーブ感、一体となった
アンサンブルの巧みさに度肝を抜かれた日本人がいかに多いことか。

それはベンチャーズがレコーディング・アーティストとしてもいい作品を出して
来た証であり、逆の見方をすればライブ・パフォーマンス力があるからこそスタ
ジオでも曲を自分たち流にアレンジして演奏できたということだ。





<初期ベンチャーズのレコーディング>

初期ベンチャーズ作品はメンバー全員がレコーディングに参加していないケースも
あったらしい。

ノーキー・エドワーズ加入後も彼が他の仕事で抜け代役(ビリー・ストレンジや
トミー・テデスコなど)が弾いてたり、メル・テイラーの代わりにハル・ブレイ
ンがドラムを叩いてたり、ドン・ウィルソンやボブ・ボーグルがいなかったり。
時には全員まるごといないというレコーディングもあった。

ツアー中にレッキング・クルー(1)がレコーディングを済ませておくのだ。
1960年代のアメリカの音楽ビジネスの分業システムにおいて、これは珍しいこと
ではなかった。


代役云々はともかく、1963年頃からベンチャーズのレコーディングは4人揃って
いても、常に何らかの形でメンバー以外の演奏、たとえばキーボードやコーラス、
パーカッションなどが加えられるようになった

それは4トラック・レコーダーなどスタジオ設備やエンジニアの技術が向上し、
レコード制作の可能性が拡がったためだろう。
4ピースのギター・バンドの「演奏の記録」だけではレコードとしての商品価値
に限界があるが、他の楽器を加えることで新しい音楽性が表現できる。





<「ベンチャーズ 宇宙に行く」で試みたスタジオでの実験>

1964年のアルバム制作では実験的な音創りが行われるようになった。

「ベンチャーズ 宇宙に行く(Ventures in Space)」はデビュー以来のプロデ
ューサー、ボブ・レイゾルフが手がけた作品である。
アメリカが宇宙開発に注力し始め、宇宙人、未知の世界、SFがブームになった
時期に制作された。

オルガン、エレピ、パーカッション、女性コーラス、SEが加えられ、ペダル
スチールをレズリーの回転スピーカーを通して出すなど工夫がされている。
全体に深いリバーブがかけられている。
(今聴くとレトロだが)近未来的な異次元の世界を表現した意欲作である。

1曲目の「アウト・オブ・リミッツ」は人気SFテレビ・シリーズ「アウター・
リミッツ」(2)のテーマ曲。
前年にマーケッツがヒットさせたヴァージョンを踏襲したと思われる。



↑クリックするとベンチャーズのアウト・オブ・リミッツが聴けます。


不穏な気分に駆り立てるイントロは、マーケッツ版ではギター、ベンチャーズ
はオルガンを使用している。
(レッキング・クルーのドキュメンタリー映画でこの曲のイントロが流れるが、
ベンチャーズではなくマーケッツの方。つまりマーケッツの方はレッキング・
クルーが演奏していたということ。上手いと思ったらやっぱり・・・)



最後も人気SFテレビ・シリーズだった「トワイライト・ゾーン(3)テーマ曲。
同じく不安感を煽るようなイントロが有名だが、ベンチャーズはギターで演奏
している。
ライブでもお馴染みの「ペネトレイション」も本作に収録されている。

このアルバムを機にベンチャーズはスタジオでの音作りに入れ込むようになる。





<「ファビュラス・ベンチャーズ」で多彩なアレンジが行われる。>

次作1964年6月リリースの「ファビュラス・ベンチャーズ」は名曲揃い
このアルバムからが5曲がシングル・カットされた。

星への旅路」はアルバム「ベンチャーズ 宇宙に行く」セッションで録音され
次シングル候補とするため収録を見合わせた自信作。
ピンと針」はジャッキー・デ・シャノン、サーチャーズでヒットした曲。
ライブの定番となる「クルーエル・シー」「逃亡者」「オンリー・ザ・ヤング
ピンク・パンサーのテーマ」と選曲から演奏まで充実している。




「ベンチャーズ 宇宙に行く」での実験的な音作りを踏まえ、ファズの使用
リードギターのオクターブや3度のハモりピックによるトレモロ奏法アコギ
オルガンコーラスを取り入れた多彩なアレンジが聴ける。
また、このアルバムからステレオ定位感がしっかりし聴きやすくなった

選曲、アレンジ、サウンド面で新任プロデューサーのディック・グラッサー
が大きく貢献している。



<強力なバンド・サウンドに帰結した「ウォーク・ドント・ラン Vol.2」>

そして満を辞して1964年10月リリースの「ウォーク・ドント・ラン Vol.2」。
タイトルでもあるデビュー曲「ウォーク・ドント・ラン」のセルフ・カヴァー、
朝日のあたる家」「ダイアモンド・ヘッド」「ラップ・シティ」などビート
の効いた曲から、「ブルー・スター」「白い渚のブルース」とバラードまで。
捨て曲なしの完成度の高さである。音は洗練されている

実験的な音創りは後退し、バンド・サウンドに徹しビシッとキメている。
外部参加ミュージシャンもキーボードくらいではないか。
ボリュームペダル、ファズ、アコギも効果的に使用されていた。





プロデューサーのディック・グラッサーは古い曲をその時代のビート、サウンド
で再現するアイデアに長けていた
そしてアレンジャーとしてクインシー・ジョーンズが参加してる点も大きい。
クインシーはR&Bとポップスのバランス感覚が優れ、そのブレンドが絶妙である。

もちろんベンチャーズのメンバーも試行錯誤しながらアイディアを出し合って
ブラシュアップして行ったのだろう。
アルバムを作るたびにアレンジには何ヵ月も時間を費やしていた」とドン・
ウィルソンは言っている。



日本では「ダイアモンド・ヘッド」がヒット。
その最中、1965年1月に来日公演が行われエレキ・ブームに火がついた。
https://b-side-medley.blogspot.com/2021/04/19652.html


1月公演を収録し日本限定で発売された「ベンチャーズ・イン・ジャパン」は
8月に発売され、50万枚という大ヒットを記録した。
当時は歌謡曲のシングル盤でさえ50万枚を超えるヒットというのは難しかった。
それが洋楽で、しかも歌なしのLPが50万枚とは異例中の異例である。



<黄金期のベンチャーズの最高傑作「ノック・ミー・アウト!」>

日本で空前のエレキ・ブームが起きている中、帰国後ベンチャーズは1965年2月、
最高傑作の誉れ高い「ノック・ミー・アウト!」をリリースする。




まずジャケットがいい。名盤はアートワークも名作と言われるがそのいい例だ。
黒バックに左から突き出したモズライトのネック。驚いた女の子の表情。

これは合成かと思っていたが、アウトテイクがあるので一発影りのようだ。
黒ホリゾントの前にスタンドでモズライト3台のネックを固定させる。
その横に女の子を立たせて一緒に撮影している。
ライティングが一様に当たらないのでベースは反射しているが、それも自然。

ジャケットのタイポグラフィーの組み方もカッコいい。
レコード店で手にしたら、これはそそられて買ってしまうだろう。





「ノック・ミー・アウト!」は黄金時代ベンチャーズの頂点と言っても過言では
ない優れたロック・インスト・アルバムとなった。

前作「ウォーク・ドント・ラン Vol.2」を踏襲し、オリジナル曲とカヴァー曲
をバランスよく配したアルバムには本当に秀逸な演奏しか収録されていない
これまでの数々のレコーディング、実験的な試み、ライブで培ったアンサンブル、
アレンジ力、そのすべてを総結集した力作なのだ。

演奏テクニックの面でもサウンドの面でも、当時のアメリカのロック・グループ
の水準を明らかに超えていた。
このアルバムの完成度が高いのは多分にプロデューサーのディック・グラッサー
とエンジニアのエディ・ブラケットの力量、センスの良さによるところが大きい。
ブランケットは1950〜1960年代インスト・サウンドの影の立役者である。




アイ・フィール・ファイン」のイントロのフィードバックはサンプリングかと
思えるくらい似てるが、ギターのリフの弾き方はビートルズとは違う。
メロディーの崩し方がベンチャーズならではだ。

他にもサーチャーズの「ラヴ・ポーションNo.9」、ゾンビーズの「シーズ・ノッ
ト・ゼア」と全米を席巻していた英国勢(ブリティッシュ・インヴェイジョン)
をカヴァーしてるのが面白い。

シュレルズ、マン・フレッド・マンでヒットした「シャ・ラ・ラ」、ロイ・オー
ビソンの「オー・プリティ・ウーマン」、ジャッキー・デシャノンの「ウォーク・
イン・ザ・ルーム」、エヴァリー・ブラザーズの「ゴーン・ゴーン・ゴーン」。
こうした曲もギター・インストにリアレンジして違った魅力を引き出している。

そしてオリジナルの楽曲も粒が揃ってる。
抑えめの「トゥモロウズ・ラヴ」はノーキーのカントリーらしい弾き方がいい。
他にも「夢のマリナー号」「ロンリー・ガール」「バード・ロッカーズ」。


極め付けは何と言っても「10番街の殺人」である。



<「10番街の殺人」が特別である理由>

「10番街の殺人」の原曲をベンチャーズと結び付けられる人は少ないだろう。
ロックとは程遠い雰囲気の曲調で、聴いたら驚くに違いない。

原曲は1936年に初演されたミュージカル「オン・ユア・トゥーズ(On Your 
Toes)」の中で演奏される、ゆったりとしたテンポの静かな曲。
ストーリーはバレー・ダンサーとギャングを主人公にしたコメディである。

作曲者のリチャード・ロジャースとニューヨーク・フィルによって演奏された。
後に映画化されている。

           

↑3'40"〜5'48"で「10番街の殺人」の原曲が聴けます。


後にアーサー・フィドラー&ボストン・ポップス・オーケストラも演奏した。


ディック・グラッサーがこの曲を持って来た時、ベンチャーズの4人はどう反応
したのだろう。唖然としてどうすればいいか見当も付かなかったのではないか。

しかしディック・グラッサーにはおそらく描いている音があったはずだ。
この曲に関してはプロのアレンジャーがスコアを書いてるのでは?と思われる。

ロック・バンドからはこういう曲の構成は生まれないのではないだろうか。
緻密に計算されつくし無駄がない。起承転結が明確。完璧なのだ。


以下のコード譜を見ていただきたい。(アサインされたコードは間違っている)



                          (コード進行さくら)


A:ディミニッシュコード(これがキャッチーだった)〜ドラム・ソロ
B:ベースとギターがDの1度と5度の音を繰り返す(キーはD)
C:ヴァース1(原曲の主旋律)
D:ヴァース2(原曲の主旋律)
E:ブリッジ(キーDからE♭に転調)
F:キーボードによる別なメロディー(最後は3度上のGから次につなげる)
G:ヴァース3(キーCに転調、低音弦でダイナミックな演奏)
H:ヴァース4(2拍3連でタメを作って、さらにこれでもかとD♭に転調)


Dで始まった曲が転調を繰り返し最後はD♭というのも珍しい展開である。
派手なエンディングに見せかけフェイドアウトして余韻を持たせる贅沢さ。
わずか2'14"の尺だが、ダイナミックに変化しいくのに驚くばかりである。


ドン・ウィルソンは「曲の展開が目まぐるしく変わっていく。セクションを
一回しするたびにキーが上がっていき、そのたびにポジションを変えてしっか
りとプレイしなくてはならない」と言っている。

そのドンのワイルドなコード・カッティングがこの曲を支えているわけだが、
小説の頭で16拍かき鳴らす♬♬ ♫ -  ♪♪のパターンである。



↑クリックするとベンチャーズの「10番街の殺人」が聴けます。



<「10番街の殺人」の楽器編成にも注目したい>

イントロからヴァースにかけベースと同じラインを弾いてるギター。
2回目の転調から地味に低音弦をミュートしたリフを繰り返すギター。
ヴァースの終わりで主メロのオクターブ下を弾いてるギター。
これらはノーキーによるオーヴァーダヴか?
外部ギタリストを呼んで一気に録ってる可能性もある。

ドンのコード・カッティングも含め、エレキギターだけで4本聴こえる
左チャンネルからはアコギのカッティングが聴こえる箇所もある。

イントロのディミニッシュ・コードに続くボブのベースによるグリッサンド
奏法も時代を先取りしている。

オルガンは2台聴こえる。
キーボードはレオン・ラッセル(彼もレッキング・クルーの一員だった)
が担当しているそうだ。

メルのドラムはオーヴァーダヴしていないと思うが。




これらの重厚な楽器編成がうまく2チャンネルに定位され、音像がクリア
で聴きやすいステレオに仕上げられている。
(メルのドラムはセンターにすべきだったと思うが)

プロデューサーのディック・グラッサーとエンジニアのエディ・ブラケット
がいい仕事をした、ということである。

尚、コレクターの方によると「ノック・ミー・アウト!」はできれば1st.
プレスのモノラル盤で聴いた方がいいそうである。 
音がぶつかり合ってゴーンと塊で出てくる方がダイナミックなのだろう。 



<レコーディング・アーティストとしての進化もあり得たかもしれない。>

「ノック・ミー・アウト!」後、「アクション」「ア・ゴー・ゴー」を発表。
プロデューサーはマーケッツやルーターズなどギター・インスト・バンドを
得意とするジョー・サラシーノに変わった。2枚ともあまり「惹き」がない。

しかしサラシーノが手がけた「クリスマス・アルバムは名盤である。
お馴染みのクリスマス・ソングをベンチャーズならではのアレンジで聴ける。




確か萩原健太氏だったと思うが、ポップスの4大クリスマス・アルバム
ベンチャーズ、ビーチボイーイズ、フィル・スペクター、エルヴィスを挙げ
ていたが同感だ。



1965年には「オン・ステージ」というアルバムも発表された。
ディック・グラッサー+エディ・ブラケットが手がけてるので音はいい。
が、残念ながらスタジオでの演奏に観客の声をかぶせた擬似ライブだった。

ベンチャーズとしては実際のライブ盤を主張したが、ドルトン・レコード側
の強い要望に押し切られたそうだ。
アメリカのレコード会社としては現場でミキサーから2トラックか3トラック
のレコーダーに録音するという一発勝負よりスタジオでコントロールでき
る方を好んだのであろう。(4)




日本での爆発的人気の影響でベンチャーズの活動はしだいに日本市場に重点
を置いたものになって行く。
恒例の全国ツアーもそうだが、歌謡曲のカヴァー、そしてベンチャーズ歌謡。

その結果アメリカでは時代遅れの音楽と見られるようになって行った。
1967年のサイケデリック、1968年のはスワンプとトレンドも取入れていたが。
1969年の「ハワイ・ファイブ・オー」がアメリカでの最後のヒットだろう。


日本で大人気となり国民的に長く愛されるバンドにならなかったら、ベンチャ
ーズは別な道を歩んでいたかもしれない。
レコーディング・アーティストとして進化して行った可能性だってある。




天国で再会したメル、ボブ、ジェリー、ノーキー、ドンは「いや、俺たちは
日本で愛されるバンドになって良かったよ」と声を揃えて言うだろうが。


<脚注>

2022年3月29日火曜日

サーフロックの起源/日米で違うベンチャーズの捉え方。

ドン・ウィルソン追悼、2回目はインスト・サーフロックの誕生とベンチャーズ、
アメリカと日本で異なるベンチャーズの位置付け、について深掘りしようと思う。




<サーフロックの起源>

サーフロック、サーフミュージックという言葉が使われるようになったのは1960
年代に入ってからである。
それまでのサーファーたちラジオから流れるロックンロールやポップスをふつうに
聴いていたのだろう。サーファーのための特別な音楽というジャンルはなかった。


1978年公開の映画「ビッグ・ウェンズデー」は1960年代初め、カリフォルニア
を舞台としたサーファーの物語である。

挿入歌は1960年前後にヒットしたR&Bばかりだった。
ビーチボーイズやベンチャーズ、アストロノウツなどのサーフロックが一世風靡
する前という設定なのだろうか。(1)





最初のサーフロックは1960年ベンチャーズがヒットさせた「ウォーク・ドント
ラン」だと言われている。
本人たちが意図したわけではないだろうが、彼らはインストのサーフロック、また
はサーフミュージックとカテゴライズされることになる。

ベンチャーズを起源とするインストのサーフロックとは、1950年代後半に流行した
ロックンロールを基調としたスピード感のあるロックで、多くの場合エレクトリック
・ギターを主役とした演奏である。


サーフロックは1960年から流行り出したツイスト(チャビー・チェッカーがヒット
させた「ザ・ツイスト」がきっかけ)を踊りやすいこともあり全米に広まった。
(1960年代半ばにツイストからゴーゴーが主流になる)





インストのサーフロックはいくつかのグループが出現しブームとなる。
波の音を彷彿させるサウンドを表現するために、フェンダー・アンプに搭載された
「ウェット」というスプリング式リヴァーブが用いられた。


その一つがディック・デイル&ヒズ・デルトーンズの「ミザルー」(1962年)。
この人は全米ではたいしたヒットがないが、西海岸では毎週末2000人を集める
ローカルヒーローだったらしい。
タランティーノ監督の「パルプ・フィクション」(1994年)でも使用された。



西海岸のサーフロック・バンド、シャンテイズの「パイプライン」(1963年)は
エレピとエレキによるghostly(幽霊のような、ほんやりした)サウンドが特徴。
(Pipelineとはオアフ島のノースショアにあるサーフポイントで、6~9m級の波の
きさや質が世界一とも称される)



↑クリックするとシャンテイズの「パイプライン」が聴けます。




↑ベンチャーズの「パイプライン」と聴き比べてみてください。



同じく西海岸からサーファリーズの「ワイプ・アウト」がヒット(1963年)。
(ちなみに原題のWipe Outはサーフィン用語で「波乗り中こけること」)



↑クリックするとサーファリーズの「ワイプ・アウト」が聴けます。





↑ベンチャーズの「ワイプ・アウト」と聴き比べてみてください。



シャンテイズもサーファリーズも西海岸のハイスクール・ガレージバンド。
演奏は良くも悪くもチープである。
2曲とも翌年ベンチャーズがカヴァー。実力の差は歴然で持って行かれてしまう。
今では完全に「ベンチャーズの代表曲の1つ」になっている


アストロノーツはRCAがサーフロックの波に乗って売り出したグループである。
リー・ヘイズルウッド作曲の「太陽の彼方に(Movin') 」が1963年にヒット。

深いリバーブをかけビンビン鳴るギターと駆り立てるドラムビートが特徴。
8小節からなるメロディを転調しながら延々と反復し続ける構成。
何も考えない人が踊るにはうってつけだった。翌年、日本でも発売されヒット。



↑クリックするとアストロノーツの「太陽の彼方に(Movin') 」が聴けます。



そんな中、ベンチャーズの実力と存在感は頭一つ抜けていた
上述のグループは消えていくが、ベンチャーズの人気は衰えなかった。


大西洋を挟んでイギリスではシャドウズがギター・インストの4ピース・バンド
としてベンチャーズと対峙する存在になっていた。
(この人たちはサーフロックとは呼ばれなかった)

ベンチャーズとかぶるカヴァー曲も多い。サウンドはクリーン+リバーブ。
(ギターはバーンズ、フェンダーのストラトキャスター。 アンプはVOX AC-30)





<ボーカル・サーフの登場>

ベンチャーズを筆頭とするインスト・バンドが人気を博す一方、ダイレクトに
サーフィンのことを歌うボーカル主体のグループも現れ人気を博した。
インストと同じくロックンロールを基調としながらもより明るく軽快で楽しい曲
感傷的なバラードが中心である。

1962年にはビーチボーイズがデビュー。
サーフィン、ホットロッド(改造車)、海、女の子、サウス・カリフォルニアを
題材にした(2)美しいコーラスワークで、次々ヒットを飛ばした。





ビーチボーイズもサウンド的にはフェンダーのギター、フェンダーのアンプの
リバーブを効かせたペケぺケ・サウンドで波の音を表現していた。
(もっともビーチボーイズはライブでは本人たちが演奏しているが、レコーディ
ングではレッキング・クルーが演奏したオケに歌だけ入れることが多かった)


先にデビューしていたジャン&ディーンも、ビーチボーイズに刺激を受けサーフ
ロック路線になる。(3)






<ベンチャーズがアメリカのロック・シーンで果たした役割>

ベンチャーズは1964年頃からレコーディングで実験的なサウンドを試みるよう
になり(次回、深掘りする予定)、アニマルズやビートルズ、サーチャーズ、
ゾンビーズといった英国勢のカヴァーなど、レパートリーを広げる。


1965年にはサーフロックという形容は後退し、ベンチャーズは幅広い曲をエレキ
インストにアレンジして演奏するバンドとして認識されるようになって行く。






ベンチャーズがアメリカのロック史の中で果たした重要な役割は、エレキギター
のみで編成されたインスト・バンドの草分けだったということである。
エレキギター2台、エレキベース、ドラムによる最小単位のコンボ編成で、それまで
の歌の添え物としての演奏ではなく、バンドの演奏自体を主役として聴かせた点が
斬新であった。

つまりベンチャーズは、エルヴィス、バディ・ホリー、エディ・コクラン、チャック
ベリーなど1950年代のロックンロールから1960年代の多様なロックへの橋渡し
的役割を担ったといえる。




<日本のベンチャーズ・ブームと音楽史に与えたインパクト>

1965年の2度の来日で日本に一大ムーヴメントを巻き起こしたベンチャーズ。


      

                            (1965年 週刊明星)


彼等が日本の音楽シーンに残した影響力は、いくら評価してもし過ぎることはない。
ベンチャーズが現れなかったら、日本の音楽の歴史は全く違うものになっていたろう。

今日この国でこれほどまでにロックが聴かれ、広く演奏されるようになった経緯は
ベンチャーズ抜きでは語ることが出来ない。

ロックに関する情報が少なく誰もがビギナーであった当時の日本において、ベンチャ
ーズはエレキギターへの大きなモチベーション、最高の入門テキストであった

       (山下 達郎「ザ・ヴェンチャーズ・フォーエヴァー」より引用および加筆)

渡辺香津美、鈴木茂、高中正義、Charも最初はベンチャーズと言っている。




          (「ザ・ベンチャーズ '66 スペシャル~愛すべき音の侵略者達」より)



<日本/アメリカにおけるベンチャーズの評価>

これだけ大きな足跡を残しているにもかかわらず、今の日本でベンチャーズに対する
音楽史的評価は必ずしも正当とはいえない

ブームがあまりにも凄まじかったため、ベチャーズがロック史上最も傑出したインス
トゥルメンタル・バンドの一つであるという認識がある時点から抜け落ちてしまった


当時、日本におけるべンチャーズ人気は、アメリカやイギリスでのそれをはるかに上回
る、熱狂的なものであった。

なぜ日本だけあれほどの大ブームを巻き起こしたのか?そして今も続く根強い全国的な
人気を保持し続けているのか?考えてみれば不思議だ。
要因はいくらでも挙げられるが、今だに決定打となる答えを探すことは難かしい。

       (山下 達郎「ザ・ヴェンチャーズ・フォーエヴァー」より引用および加筆)






ブームが日本だけの特殊なケースであったことから、ベンチャーズの日本での活動は
次第にアメリカ本土とは異なったものとなって行く

日本のマーケットを狙ったシングルやアルバムが発売されるようになり、日本全国を
回るツアーが毎年行われるようになる。
加山雄三ら日本の歌手のヒット曲のカヴァーや、「二人の銀座」「京都の恋」などの
オリジナル作品、いわゆるベンチャーズ歌謡が生まれた。







日本受けするアプローチが成功すればするほど、本来のアメリカのロック・バンドと
しての存在感は逆に低下して行った

アメリカにおいては、べンチャーズが一時期に人気があり、ロック史上重要な役割を
果たしたことは評価されてるものの、今もって人気があるとは言い難い。
日本の歌謡史の中でのべンチャーズの役割は語られるが、アメリカ・ロック史での
位置付けは未整理のまま現在に至っている。


これが災いして、日本においても間違った認識が生まれた。
ベンチャーズは1960年代当時の日本の未成熟な音楽シーンにうまくハマっただけで、
アメリカ本国では本当はたいしたバンドではない、という偏見。
さらに、毎年日本に出稼ぎに来る時代遅れの懐メロ・バンドみたいな捉え方だ。

       (山下 達郎「ザ・ヴェンチャーズ・フォーエヴァー」より引用および加筆)



夏だ!エレキだ!ベンチャーズ・・・ってこれじゃオッサンの夏祭りだ。



<サーフ・ロックは終わったか?>

1967年の6月モンタレー・ポップ・フェスティヴァルでジミ・ヘンドリックスがステー
ジで「サーフィン・ミュージックは終わった」と言ったことで、サーフロック=ダイナ
ソー・ロック(時代遅れのロック)のレッテルが貼られてしまう。





ジミの発言には理由があった。
当初メインアクトとして参加予定だったビーチボーイズが、フリー・コンサートに
なることが決定し、ギャラがもらえないこと、ヒッピーの集まりになりそうなことを
理由に出演を辞退した。
そのビーチボーイズを揶揄してのことだった。(4)




この発言はベンチャーズを指したものではないが、巻き添えを食って一緒くたにダイ
ソー・ロック視されてしまった感は否めない。

実際にこの頃サージェント・ペパーズを発表したビートルズ、ジミ・ヘンドリックス
やクリーム、翌年にデビューするツェッペリンと比べると、ベンチャーズのサウンド
はいささか時代遅れに聴こえてしまうのも事実だ。



しかしベンチャーズの影響はアメリカでも次世代にしっかり受け継がれていた。
1970年代後半に隆盛を極めたフュージョン、AORの名うてのミュージシャンたち
もベンチャーズがルーツだと公言している。

その中にはスティーヴ・ガット、ウィル・リー、デヴィッド・スピノザ、ジョン・
トロペイといったニューヨークの売れっ子のミュージシャンもいた。
後にハイパー・ベンチャーズというユニットでアルバムを発表している。(1992年)



↑クリックするとハイパー・ベンチャーズの「キャラバン」が聴けます。



<ベンチャーズは人々の記憶に生き残れるか?>

ベンチャーズ最盛期のメンバーが一人もいなくなり、リアルタイムでベンチャーズ
体験をした人たちが高齢者となっている昨今。
これからベンチャーズはどのように語り継がれて行くのだろうか。

若いミュージシャン、リスナーにもベンチャーズを聴いてもらいたいものだ。
パクるもよし。サンプリングに使うもよし。ビニール盤懐古趣味から入ってもいい。
きっと得るものがあるのではないかと思う。


<続く>


<脚注>

2022年3月22日火曜日

サイドマンとしてリズムを刻み続けたドン・ウィルソンが他界。

 ベンチャーズの創設メンバーで最後の存命者、ドン・ウィルソンが亡くなった。
享年88。死因は老衰。4人の子供たちに見守られ安らかに息を引き取ったそうだ。
ご冥福をお祈りします。



ドンはリズムギター担当。
ノーキー・エドワーズのリードギターを支える、いわば名バイプレーヤーだった。

ドンと一緒にベンチャーズを結成しベースを担当をしてたボブ・ボーグルはリンパ腫
の闘病の末、2009年他界している。


圧倒的なテクニックを誇ったリードギターのノーキー・エドワーズは2018年に術後
の合併症により死去。
鉄壁のドラムのメル・テイラーは1996年来日中に肺癌が発覚。帰国後、他界。

ノーキー脱退後、代わりにリードギターとして加入し、幅広い音楽性とベンチャーズ
歌謡という新ジャンルをもたらしたジェリー・マギーは、2019年ソロで来日中に心臓
発作を起こし死亡。都内の桐ヶ谷斎場で荼毘に付された。


これでベンチャーズ黄金期のメンバーは1人もいなくなった。そう思うと寂しい。
天国で5人は再会しまた演奏しているのだろうか。


ベンチャーズは1959年のデビュー以来、何度もメンバーが入れ替わっている。
その中で創設メンバー、ドンとボブの2人は一度もバンドを離れることはなかった。
メンバーの変遷があってもドンとボブがいる限りベンチャーズなのだ。

    



ボブ他界後もドンはベンチャーズを支え続けた。
(2015年の来日を最後にツアー参加を引退したがレコーディングは継続してた)


    
<ベンチャーズ・サウンドはリードギター+リズムギターが中核>

ドン・ウィルソンとボブ・ボーグルの出会いがベンチャーズの始まりである。
中古車のセールスマンだったドンの店にレンガ職人のボブが車を探しに来た。
2人はすぐ仲良くなり、お互いにギターを弾くことを知る。
一緒に何か始めてみないか?とすぐ意気投合。

ギター2人というシンプルなデュオを組んだ。1958年のことである。
ベンチャーズ・サウンドの中核はリードギター+リズムギターの組み合わせだ。




2人は地元タコマのナイトクラブに出演し腕を磨いて行く。
ドンはチェット・アトキンスのウォーク・ドント・ラン(原曲はジョニー・スミス)
を弾いてみようと試みるが難しすぎて断念。2台で弾いているように聴こえたという。
そこで分解しドンがコード、ボブがメロディと分担。アップテンポにリアレンジした。
この分かりやすさとスピード感からクラブで演奏すると受けるようになる。

ドラマーとベーシストが加わり4ピースのインスト・バンドとなった。
(ノーキーは当初ベース担当として参加した)

バック・オウエンスのバンドでキャリアを積み多彩なテクニックを持つノーキーなら
ジョニー・スミス風もチェット・アトキンス風もモノにできたはずだ。
しかしボブ+ドンのシンプルなロック・ヴァージョンだからこそ、1960年発売の
ウォーク・ドント・ランは全米2位を記録するヒットとなったのだと思う。



<ドン・ウィルソン奏法-1 ストラミング(コード・カッティング)>

ドンのリズムギターは独特でパワフルである。
リズム・セクションがなかったため、ドラムの役割もできないかいう試みから、
コードを叩きつけ時にかきむしるるようなハードなストラミングになったそうだ。

力強いダウンピッキングで8ビートを刻み、1拍は16ビートというパターンが多い。
1970年代半ばから隆盛を極めたフュージョンやAORで多用されたお上品な16ビート
とは違い、もっと荒々しくかき鳴らすジャカ弾きである。
ドン・ウィルソンは頻繁に弦を切った、と言っている。そりゃそうだ。


たとえばウォーク・ドント・ランのイントロ。

♬ ♪  -   ♬ ♪   -   ♬♬♪ - 
↓↓↓     ↓↓↓       ↓↓↓↓
Am      G          F    E



10番街の殺人のイントロ。

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D



↑こんな教則レコードも出ていた。
ベンチャーズがきっけでエレキという若者はアメリカでも多かったようだ。







<ドン・ウィルソン奏法-2 トレモロ・グリッサンド(テケテケテケ)>

ベンチャーズのトレードマークともなった連続ピッキングで6弦を降下する奏法
日本ではテケテケテケで親しまれてるが、トレモロ・グリッサンド(スライド
グリッサンド)という。波のうねりを表現するための奏法らしい。




ベンチャーズは曲によってノーキーがやる場合とドンがやる場合がある。
このトレモロ・グリッサンド。人によってやり方が違う


ギター・マガジンのインタビューと萩原健太氏がドン本人に訊いた話をまとめると、
ドン・ウィルソンのトレモロ・グリッサンドのコツは。。。

・6弦のブリッジあたりを右手の掌でミュートし、ボディに腕をくっつけて弾く。
低音弦のミュートのさせ方はとても大切なテクニック。
厚めのピックを使用。まっすぐでは駄目で45度の角度で斜めにピックを当てる
・ピックを自由に動かしまくりながら左手の人差し指を6弦上でスライドさせる。
・リバーブをたっぷり効かせる。アンプのリバーブのノブは半分くらいまで回す
(リバーブのかかり具合は会場ごとに音が異なるので、リハーサル時メンバーの誰
 かが客席まで降りてサウンドを確認していた)




※ベンチャーズのトレモロ・グリッサンドの迫力はモズライトの大出力ピック
アップとフェンダーのアンプに搭載されてたリバーブによるところが大きい。




これに対して加山雄三は薄いピック、太い弦でやっていた。
寺内タケシは左手の人差し指と中指を交互に動かしながら6弦の上を滑らせた方が
きれいに音が出る、と言っている。

テケテケテケもいろいろあって奥深いのだ。


ベンチャーズのトレモロ・グリッサンドは頭にタメというか半拍くらい間がある
(ん)テケテケテケ・・・・という感じ、といえばいいだろうか。

そして野太い音で一気に降下して行くが、拍で割り切れない長さがある。
だんだん音が消えて行くのがまた哀愁。余韻があっていい。






<ドン・ウィルソンが語ったベンチャーズのこと>

ギター・マガジン2018年6月号に掲載された記事が公開されてる。必見です!

追悼 ドン・ウィルソン(ベンチャーズ)ギター・マガジン最後のインタビュー
https://guitarmagazine.jp/interview/2022-0124-rip-don-wilson/



ボブ・ボーグルとの出逢い、ジャズマスターとストラトを選んだ理由、初来日、
フェンダーのアンプを使うようになった経緯、モズライトの音、音作りの方法、
アレンジについて、リズムギターの重要性、ノーキーのこと、などなど。
興味深いエピソードがたっぷり載っている。





インタビューの最後でドンはこう語っていた。

「日本の各地にベンチャーズのコピー・バンドがいることを誇らしく思う。
京都ベンチャーズ、広島ベンチャーズ、東京ベンチャーズ、札幌ベンチャーズ。
これってすごいことだ」と。

いやいや、そんなの序の口ですよ、ドン・ウィルソンさん。
池袋ベンチャーズ、荻窪ベンチャーズ、春日部ベンチャーズ、鎌倉ベンチャーズ。
もっともっとディープに細分化してます。
僕は転職を重ねたけど、どの会社にも取引先にも1人くらいは「ベンチャーズの
コピバンやってます」という人がいた。
しかもリアルタイム世代だけでなく追体験した若い人たちまでいる。
これって本当にすごいことだと思う。


<続く>


<参考資料:ギター・マガジン、ミュージックライフ・クラブ、 BS音盤夜話、
Wikipedia、他>