2025年7月19日土曜日

ワイト島フェスがウッドストックほど伝説にならないのはなぜ?


(1970年第3回目 ザ・フーのステージ。後ろ姿はピート・タウンゼント)



ワイト島フェスティバル(アイル・オヴ・ワイト・フェスティバル)は1968年
から3年連続で、イギリスのワイト島で行われた野外音楽祭である。

バラエティに富んだアーティストが参加するオムニバス・コンサート、野外に
設置された会場、観客動員数、その後の野外フェスティバルの原型になるなど
同時代に開催されたウッドストック・フェスティバルと似ている。


ウッドストックがカウンターカルチャーを語る上で重要なイベントとして広く
記憶されているのに対して、ワイト島の方は語られることが少ない
知る人ぞ知る、または知ってるようで知らない伝説のコンサートである。



<開催場所>

ワイト島フェスティバルはイングランド南岸にあるワイト島で行われた。
温暖な気候、海岸の美しい景色、青々とした野原や丘陵・尾根で知られる行楽
地である。





ロンドンからワイト島へは電車とフェリーで2時間半から3時間かかる。(1)






<第1回目 Isle of Wight Festival 1968>

ワイト島のプール建設のための資金集めが当初の目的だったという。
最初のイベントはかなり粗末なもので、ステージは平べったいトラックの荷台
を並べただけだったらしい。
1968年、ウッドストックの1年前に行われた。




開催日:1968年8月31日-9月1日、2日間
観客数:1万人

出演)アーサー・ブラウン、ザ・ムーブ、ティラノザウルス・レックス(T-REX)、
スマイル、エインズレー・ダンバー・レタリエイション、プラスティック・ペニー、
フェアポート・コンヴェンション、プリティ・シングス。

名が知れたアーティストはジェファーソン・エアプレイン(アメリカから参加)
くらいだった。(T-REXはまだ人気が出る前である)
主催者たちは翌年、きちんとやろうと再挑戦することを決めた。






<第2回目 2nd Isle of Wight Festival 1969>

開催日:1969年8月30日-31日、2日間 
観客数:15万人




出演)ボブ・ディランザ・バンド、ナイス、プリティ・シングス、マーシャ・
ハント、ザ・フー、サード・イアー・バンド、ボンゾ・ドッグ・ドゥー・ダー・
バンド、ファット・マットレス、ジョー・コッカームーディ・ブルース
ペンタングル、フリーキング・クリムゾンリッチー・ヘイヴンズ
(※赤字は2週間前のウッドストック・フェスティバルにも出演している)




(リッチー・ヘイヴンスのステージ。2週間前にウッドストックにも出演した)



第2回目の成功はボブ・ディランの出演に尽きるだろう。
ディランはザ・バンドを伴ってのステージである。

ディランは1966年のオートバイ事故以降、人前で演奏を行っていなかった
マネージャーはディランのカムバックはウッドストックで大々的に(2)と考え
ていた。


主催者たちは数週間にわたって、ディランの説得(3)を試みる。
その際に見たワイト島の文化・文芸を紹介する映像にディランは感銘を受けた。
そしてこの島へ家族旅行を兼ねて訪れることを約束し、出演を決めたそうだ。


 
     (ワイト島に到着したディラン夫妻)



多くの人がディランを見るために、ワイト島に集まって来た。(4)
久々のディランのライヴということで、記者会見には大勢のプレスが詰めかけた。
(ディランの横にロビー・ロバートソン、リック・ダンコの姿も見える)






Bob Dylan at the Isle of Wight Festival 1969

※記録用のフィルムみたいで音声はない。



ディランはザ・バンドとリハーサルを行う。ジョージ・ハリスンが訪ねてきた。
ディラン出演の前日の8月30日には、ジョン・レノンリンゴ・スターも合流。 
キース・リチャーズジミ・ヘンドリックスエリック・クラプトンも現れた。

ディランとビートルズの3人はテニスをしたそうだ(想像できない光景だ!)



翌日ディランはザ・バンドと一緒に、Mr. Tambourine Man、Like a Rolling 
Stoneなど、17曲を歌った。(5)







観客席にはジョン・レノン夫妻、ジョージ・ハリスン夫妻(パティー・ボイド)、
リンゴ・スター夫妻、キース・リチャーズ、ジミ・ヘンドリックス、フランソワー
ズ・アルディ、女優のジェーン・フォンダもいた。









3人のビートルたちは一般客に混じって地べたに座って観覧している。
ヨーコの右にいるのはローディーのニール・アスピノール



ビートルズはアビーロードのレコーディングを終えた直後(6)だった。
彼らはウッドストック出演のオファーも受けていたが、8月15日-17日はレコー
ディングと重なるため断っていた。

ポール&リンダの姿が見えないのは、マネージャー選びで他の3人と決裂したた
めか?と思えるが、それが理由ではないようだ。(7)
8月28日にリンダがポールとの間の最初の娘、メアリーを出産した直後だった。



フランソワーズ・アルディは1966年にディランと会っている。(8)
ワイト島で再会を試みたたが、大混雑に巻き込まれて諦めたそうだ。






Rare Photos of the 1970 Isle of Wight Festival

※1970と記載されているが、1969年の映像も混ざっている。
AIで白黒の写真をカラー化し動画にしたもの。ちょっと気持ち悪い。




 (フリーのステージ。後ろ姿はボーカルのポール・ロジャース)



ザ・フー、ジョー・コッカー、リッチー・ヘイヴンズはワイト島の2週間後に
ウッドストック・フェスティバルにも出演している。

ザ・フーは5月にリリースされた「Tommy」をほぼ全曲演奏
全米ツアーの途中でウッドストック・フェスティバルに出演し、映画でも観られ
るあのど迫力のパフォーマンスを行い、イギリスにもどってきたところだった。





ディランのようなビッグネーム、ザ・フー、フリー、ムーディ・ブルース、キング
・クリムゾンなどのロック・バンドの出演によって、ワイト島フェスティバルは
注目されるようになった。




<第3回目 3rd Isle of Wight Festival 1970>

開催日:1970年8月26日-30日 
観客数:50万人〜60万人




出演)ジミ・ヘンドリックスザ・フードアーズジェスロ・タルシカゴ
マイルス・デイヴィス(チック・コリア、キース・ジャレットが参加)、フリー
テン・イヤーズ・アフター、ライトハウス、、エマーソン・レイク&パーマー
ムーディー・ブルースジョーン・バエズジョニ・ミッチェルドノヴァン
レナード・コーエン、クリス・クリストファーソンジョン・セバスチャン、テリ
ー・リード、テイスト、ショーン・フィリップス、ジェイムス・テイラー、ファ
ミリー、プロコル・ハルム、アライバル、フェアフィールド・パーラー、カクタス
スライ&ザ・ファミリー・ストーンメラニーリッチー・ヘイヴンズ
(※赤字は前年のウッドストック・フェスティバルにも出演したアーティスト)


第2回目の成功で主催者は、多数のスターをブッキングできるようになった。
出演者のラインナップも前年のウッドストックに匹敵するくらい豪華である。





ザ・フーのパフォーマンスは圧巻で、ジョニ・ミッチェルは見事な演奏を披露
ジョニは前年のウッドストック出演を断念している(9)ので、ワイト島にはぜひ
出演したかったのではないかと思う。







The Who - Pinball Wizard(The Isle Of Wight Festival 1970)

Joni Mitchell - Both Sides Now(The Isle Of Wight Fes.1970)


保釈中のジム・モリソンは不安定で精彩を欠き、全盛期のドアーズのような最高
のステージではなかったが、その陰鬱さも印象的であった。
その後、1年もしないうちにジム・モリソンは亡くなってしまった。





ポールマッカートニーは「ワイト島フェスティバルにジミ・ヘンドリックスを
出演させるべき」と発言。(10)そのおかげか1970年にジミは出演する。

ジミ・ヘンドリックスが炎上するステージで演奏したというのは都市伝説で、
実際は花火だった。
これがジミ最後の英国公演となり、18日後に彼は亡くなった。
2人とも27歳である。(11)





Blue Wild Angel: Jimi Hendrix Live At The Isle Of Wight

※ジミ・ヘンドリックス1970年ワイト島コンサートのトレーラー。




1970年の第3回でワイト島フェスティバルは大規模になった。
この時代の才能ある大物ミュージシャンたちが一堂に会することは稀である。

ウッドストックと同時期にキャンプを特徴とする現代のフェスティバルの原型を
創り上げたという点でも、ワイト島フェスの意義は大きい。



(ジョン・セバスチャンのステージ。ウッドストックにも出演している)



イベントに問題がなかったわけではい。
一部の観客の暴徒化、無料化(12)を望む過激派とのトラブル、また騒音やゴミの
問題、フリーセックス、ドラッグなどウッドストックと同じような苦情が挙がった。
市議会は規制を設け、翌年以降フェスティバルの再開は不可能になった。(13)




<ワイト島フェスティバルがウッドストックほどメジャーではない理由>

では、なぜワイト島フェスティバルはウッドストックほどカウンターカルチャー
のシンボルとして広く認知されていないのだろう?

ウッドストックが世界中で知られるようになったのは映画化されたからである。
ワーナー・ブラザースが制作した「ウッドストック/愛と平和と音楽の三日間」
(原題:Woodstock)は3日間の野外コンサートの模様を3時間強のドキュメン
タリー映画として公開された。(13)




北米興行収入は5,000万ドル、1970年の映画興行収入ランキングの5位を記録。
アカデミー賞長編ドキュメンタリー映画賞を受賞した。



音楽と平和をテーマにしたフェスティバルの熱狂と興奮を捉えた映画は、当時の
若者文化を象徴する作品として、世界中で大きな反響を呼んだ





YouTubeもMTVもない当時、洋楽ロックの動く姿を見られる機会は稀だった
当時、日本のロック・ファンの多くがこの映画で初めて、ジミヘン、サンタナ、
ザ・フー、CSNY、ジョー・コッカーの強烈な演奏シーンを見て衝撃を受けた。



一方ワイト島フェスティバルはアーティストによっては1970年の音源や映像が
あるが、音楽イベント全体の記録としての形を成していない
ドキュメンタリー映像が公開されたのも1996年になってからである。



<商品化されているワイト島フェスティバルの音源・映像作品>

一部のアーティストがワイト島フェスティバルに出演した際のパフォーマンスを
ライブ盤としてリリースしている。

ボブ・ディラン: 1969年 4曲が翌年リリースの「Self Portrait」に収録。
2013年発売のブートレッグシリーズ Vol.10 Another Self Portrait
 (1969–1971)デラックス・エディションにライヴの完全版が収録されてた。

ザ・フー: 1969年(DVD)
     1970年(CD2枚組+DVD/Blu-ray)

ジョニ・ミッチェル: 1970年8月29日(DVD/Blu-ray)
ジミ・ヘンドリックス: 1970年8月30日(CD2枚組+DVD/Blu-ray)
エマーソン・レイク&パーマー: 1970年(CD)
フリー: 1970年(CD)
テイスト(ロリー・ギャラガーのバンド):1970年(Blu-ray+CD)
ジェスロ・タル: 1970年(CD+DVD)
ムーディー・ブルース: 1970年(CD)
ドアーズ:1970年(CD+DVD)
スライ&ザ・ファミリー・ストーン: 1970年 4CD「Higher!」に収録











<脚注>

2025年6月29日日曜日

「太陽がいっぱい」と「リプリー」



Netflixで映画「リプリー(The Talented Mr. Ripley)」を観た。

アラン・ドロンの出世作、1960年の「太陽がいっぱい(Plein Soleil)」(1)
のリメイクと話題になったが、より原作に忠実なプロットになっている。




<「太陽がいっぱい」では描かれなかった経緯>

主人公トム・リプリーはニューヨークで暮らす貧しく孤独な青年。
時代は1950年代終わり頃。この設定は同じ。


トムはピアノ弾きの代役を務めたパーティーで、大富豪グリーンリーフに「息子
のディッキーと同じプリンストン大学の卒業生」と勘違いされる。
着ていた借りもののジャケットがプリンストンのエンブレム入りだったせいだ。





トムは「ディッキー(「太陽が」ではフィリップ)を知ってる」と話を合わせる。
グリーンリーフはトムを気に入り「地中海で遊び呆けているディッキーを連れ戻
してくれないか」と頼む。報酬が高額だったため、トムは引き受けてしまう。

ジャズ好きというディッキーと話を合わせるために、トムはジャズを猛勉強し、
イタリアに向かう。





ディッキーを見つけたトムは「同窓生だ。憶えてないか」と話しかける。
初めは疎ましく思ったディッキーだが、ジャズの話で意気投合し、周りにいない
タイプという物珍しさもあり、トムを連れ回して遊ぶようになる。

この辺のくだりが「太陽がいっぱい」では省略されていた。(2)





<「リプリー」のあらすじ、「太陽がいっぱい」との違い>

ディッキーにはマージという恋人(「太陽が」ではマルジュ)がいる。
マージとディッキー、トムの3人は、南イタリアで贅沢なバカンスを楽しむ。






ディッキーは傲慢で身勝手で奔放だが、上流階級のエレガンスを身につけた
気前よく陽気な男であった。当然モテるから他の女にも手を出す。
トムは彼の優雅な生活に憧れるが、いつしかディッキーに愛情を抱き始める。

「太陽がいっぱい」では描かれなかったが、トムはゲイだった(3)






トムの物珍しさにも飽きたディッキーは徐々に彼の存在が疎ましくなる。
激しい罵りで別れを告げられたトムは、発作的にディッキーを撲殺してしまう
漂うボートの上で愛しそうにディッキーの死体に寄り添うのだった。







「太陽が」のトム(アラン・ドロン)は虐られた怒りから、フィリップを殺して
彼になりすまし財産を奪う、という冷酷で大胆な殺人計画を緻密に練っていた。
しかも、手口をフィリップに暴露してから実行している。

一方「リプリー」のトム(マット・デイモン)はホテルのフロントでディッキー
と間違われたことから、なりすましを思いつく。計画的ではなかった




トムとディッキーを巧みに使い分け、悠々自適な生活を続けるトムだったが、
ディッキーの旧友フレディが訪ねて来て詰め寄り、窮地に立たされる。



↑右手前の頭像が凶器になる😱



トムの嘘に気付き階段を上がり部屋に入って来たフレディを撲殺するシーン、
泥酔した友人を介抱するふりして、死体を車に乗せるシーンは「太陽が」でも
お馴染みのシーンだ。

そしてディッキーがフレディを殺し、それを苦に自殺したと偽装する。








マージはトムを怪しむ。
ディッキーの父親は息子が過去に暴行事件を起こしているため「フレディ殺しを
悔やんで自殺」というトムの話を信じ、内密にする条件でディッキーへの仕送り
をトムが受け取るようにする。

「太陽が」と違うのは、トムがマージに対して恋愛感情がないことだ。
遺産強奪に彼女を利用する、という発想もない。
そもそもディッキーからすべてを奪うという野心はなく、突発的な殺人だった








トムはゲイの青年ピーターと恋仲になり、船旅に出かける。
しかし、船上で名家の令嬢メレディスと出会ってしまう。
彼女はトムをディッキーと信じ、愛していた。そこをピーターに見られる。
嘘をつき続けることに苦しむトムは、愛するピーターをも手にかける。


この2人とのエピソード、3人目の殺人は「太陽が」では描かれていない
そして「太陽が」のあのドラマチックなエンディング↓とはだいぶ異なる。(4)








<キャストとキャラクター設定、ファッション>

主人公トム・リプリー役はマット・デイモン(5)
孤独で冴えない青年を演じている。野暮ったさもいい塩梅だ。

トムはネイビーのブレザー、カーキ色のチノパン、ボタンダウン・シャツに
ニットタイ、ブローグシューズ、ウェリントンの眼鏡(アメリカン・オプチカル
の1950年代ヴィンテージ)と典型的なアメリカ東部の学生といった服装





美しいイタリアのアマルフィ海岸には不釣り合いで、浮きまくっている。
コーデュロイのジャケットも夏の地中海では場違いである。






ディッキー役のジュード・ロウの服飾術ははそれと対照的に洗練されている。
彼のワードローブはすべてイタリアで完璧に仕立てられた、粋でクラシカル
なものばかり。
上流階級しか醸し出す事ができない優雅さと上質さを感じさせる。


しかもそれが自然にライフスタイルになっているのだから素敵だ。
たとえ殺されても仕方ないないと思えるくらいサイテーな男だとしても。





↑無造作にロールアップされた白いパンツ、素足に白のローファー。
左のマット・デイモンはボトムが重い。せめてソックスと靴は明るい色に。



「イングリッシュ・ペイシェント」も手がけたゲイリー・ジョーンズ衣装
担当している。

ジャケットはすべてイタリア製で肩のラインを強調しないソフトなデザイン
時代考証の上でディッキーのシャツはジャストサイズにデザインされている。
ヴィンテージの服も参考にしたそうだ。




劇中の衣装の色合いは、タンやグリーン、深みのあるブルーなど地中海的な
色みで仕上げたそうだ。



↑水色のタイ、ネイビーのジャケットと白いパンツのコーデが絶妙。
一見レジメンタル・ストライプのようだけど、やっぱりイタリアだなー。



ディッキーの恋人マージは、「太陽が」のマルジュ(マリー・ラフォレ)の
ような惹きつける魅力、存在感がまったくない。



↑マリー・ラフォレは目力があった。アラン・ドロンもだけど。






その代わり「太陽が」には出てこない富豪の令嬢役で、ケイト・ブランシェット
が出演している。
彼女はトムを自分と同じ上流階級のグリーンリーフの子息ディッキーであると
信じ込み、好意を寄せる。




この人は裕福で上品な女性の役がよく似合う
まだ30歳くらいのケイト・ブランシェットは本当に美しい。



↑これは撮影中の写真。この人は所作が素敵。フォトジェニックだ。



トムと恋仲になるゲイの青年ピーターも「太陽が」には出てこない人物だ。


ディッキーの友人フレディフィリップ・シーモア・ホフマン)は「太陽が」
の時と風貌も、陽気だけど横柄な態度もそっくりだった。



                          (写真:bridgeman images)


<車、バイク>

フレディの愛車は赤い1956年製アルファロメオ・ジュリエッタ・スパイダー。
映画好きの方なら分かると思うが、「卒業」でダスティ・ホフマンが乗って
いたものと車種も色も同じだ。
この車はしばしばディッキーも借りて乗り回している。





ディッキー役のジュード・ロウがピンク色のショーツに上半身裸で島の女
(ディッキーが孕ませて投身自殺する)と話をするシーンがある。
この時、彼が乗っているスクーターはベスパである。





トム役のマット・デイモンがランブレッタの後ろにケイト・ブランシェット
を乗せて街を走るシーンもあった。




ベスパとランブレッタは人気を2分するイタリア製スクーターであった。(6)



<音楽>

音楽のブログなのに最後になってしまった(笑

「太陽がいっぱい」はニーノ・ロータによるテーマ曲が印象的だった。
あの映画が世界的なヒット作となり、愛され続けるのはアラン・ドロンの魅力
とニーノ・ロータ(7)の音楽があってこそ、と言っても過言ではない。



アラン・ドロンは煙草の吸い方もカッコよかった・・




「リプリー」の音楽はガブリエル・ヤレドというフランスの作曲家が担当
この人は作曲家・アレンジャー・オーケストレーターとしてジャック・デュ
トロン(8)、フランソワーズ・アルディ、ミレイユ・マチューなどフランスの
歌手のレコーディングに携わっていたらしい。


劇中の音楽は、前半は明るくジャズやイタリアの大衆音楽に彩られている。

トム(マット・デイモン)が歌う「My Funny Valentine」は弱々しい声で抑揚
を抑えた歌唱だが、あえてチェット・ベイカー風に歌った(9)のだろう。




トムはディッキーに会う前にジャズを片っ端から聴き、頭に叩きこんでいた。
声色を真似るのは、トムにとっては朝飯前だったはずだ。
映画のタイトル、The Talented(多才な、器用な) Mr. Ripleyのとおり。



My Funny Valentine ~ The Talented Mr. Ripley (OST)


My funny valentine, Sweet comic valentine
You make me smile with my heart
Your looks are laughable, Unphotographable
Yet you're my favorite work of art

私の愉快なバレンタイン 優しくて面白いバレンタイン
私を心から笑顔にしてくれる
見た目は笑えるし 写真映えしない
でも、あなたは私のお気に入りの芸術作品


トムが歌うと自虐的にも聴こえるが、ディッキーはどう思ってたのか。









後半はトムの心象風景を反映したかのような、ヤレドによる沈鬱なオリジナル・
スコアが続く。
下降旋律と不協和音を含むコードは不安な気持ちにさせる。





シニード・オコナー(10)が歌うLullaby For Cainもヤレドの作曲で耽美な曲だ。

「カインのための子守唄」というのは、旧約聖書に登場するアダムとイヴの息子
たち、カインとアベルの兄弟の兄カインのことらしい。
カインはアベルを殺してしまう。人類最初の殺人と言われる。
ディッキーを殺したトムをカインに準えているのではないかと思われる。







監督のアンソニー・ミンゲラが歌詞のコンセプトを考え、シニード・オコナー
が詞を書き歌ったようだ。

Lullaby For Cain ~ The Talented Mr. Ripley (OST)



この曲の旋律が、他のインストゥルメンタルでバリエーションとして使われる。
個人的にはこのオリジナル・スコアが耽美で魅力的だと感じた。


OST(オリジナル・サウンドトラック)盤も発売されている。
サウンドトラックあるあるで、ジャズ、イタリア大衆音楽、オペラなどいろい
ろな音楽とオリジナル・スコアが一緒くたで散漫な印象は拭えない。



 
<脚注>