2016年7月5日火曜日

ビートルズ来日から50年(楽器の検証・前編)

<ジョンとジョージの新しいギター、エピフォン・カジノが登場>

1966年のツアーでは楽器の面でハイライトがあった。
二人のギタリストが揃ってエピフォン・カジノを使用したことである。


それまではジョンがリッケンバッカー325(1)をジャカジャカかき鳴らし、ジョ
ージは1964年のツアーではグレッチのカントリージェントルマン(2)、1965年
は同じくグレッチのテネシアン(3)でリフを弾くという音の対比が明確だった。


リッケンバッカー325はショートスケールで、ジョンのようにブルースコードの
ポジションで小指を動かして6th、♭7thの音を入れるロックンロールのリズム
ギターには最適だ。
セミホロウボディのためサステインはなく歯切れのいいコード音が得られた。

対してカントリージェントルマンとテネシアンは同じセミホロウ構造でももっと
大型でより深みのあるサウンドで、ジョージのリフの表現幅を広げていた。



それが二人とも同じギターとはどういうことなのだろう?
ピックアップのセレクトやトーンコントロール、アンプ側の調整で音作りはでき
るが、ライブだからこそ音が濁らないよう違うギターを使うのが定石なのでは?





おそらくこの頃はライブの音作りなんてとっくに興味が失せていたのだろう。
どうせ聴こえない。誰も聴いていない。会場の設備・条件も劣悪で限界がある。
ライブでは見世物に徹すればいいのだ。彼らは諦めていたのではないかと思う。

それは武道館初日の後ジョージが言った「もうこんな不毛なことはやめようよ。
スタジオならいくらでも表現の可能性があるのに」からも伺える。



ビートルズは来日直前の6月21日にアルバム「Revolver」のレコーディングを
終えたばかりであった。
デビュー・アルバムではたった1日で済んだレコーディングが「Revolver」で
は4月6日から始まり2か月半に及んだ。

ジェフ・エメリックが新しくエンジニアに就任し、ケン・タウンゼントと共に
次々と4人の突拍子もないアイディアを可能にする技術(4)を開発していた。
エメリックの言葉を借りれば「スタジオは毎日が実験だった」らしい。


4人は新しい音作りに夢中だった。
ビートルズの音楽はロックンロール、ポップミュージックという枠に収まらな
い自由で広大なものになり、もはや当時の技術ではライブで再現できなくなっ
ていた。
ジョンが「僕らを見たければコンサートに。音楽はレコードで」と言ったのは
そういうことだ。彼らは二つを切り離して考えていたのである。





宿泊先の東京ヒルトンホテルのプ最上階レジデンシャルスイート1005号室で
4人は「Revolver」のラフミックスのアセテート盤をかけながら、曲の順番を
どうするか話し合っていた。
ツアー中も心は「Revolver」にあったのではないだろうか。


ドイツ〜極東ツアーの演奏曲を選ぶ際も、誰かが「曲数が足りない」と言うと
他の誰かが「デイトリッパーを2回やればいい」と答えるという適当さだった。

「Revolver」収録曲は武道館でもその後の北米ツアーでも一切やっていない。
ステージで披露された新曲はシングルカットされた「Paperback Writer」のみ
であり、それも手抜き感が否めなかった。


ギターについても「Revolver」で使ったカジノがなかなかいいからステージで
も試してみようか、二人同じになっちゃうけどいいよね、どうせ音なんて誰も
気にしてないしさ、というノリだったのではないかと思う。




<エピフォン・カジノの特徴、なぜ彼らはこのギターを使い出したのか?>




カジノはギブソンがエピフォンを買収した後、1961年にギブソンの工場で製造
しエピフォン・ブランドとして発売したギター(5)の一つである。
モデルの型番はE-230TD。(6)


基本設計はギブソンのES-330と同じだ。
メイプル合板のセミホロウ構造でありながらES-335のようなセンターブロッ
(7)が内部にない。
そのためES-335のようなソリッド感のある音サステインは望めない。


完全空洞のボディ構造によりES-335よりエアー感のある太い音が出せる。
(その代わりフィードバックが起きやすいという欠点はある)
弦のエネルギーがボディの振動によって減衰するためにサスティンは短くなる
ものの、コード演奏においては分離のよいクリアな音が得られた。

空洞のボディで軽量ということも、ステージで動き回る二人にとってはありが
たい事だったに違いない。
デザイン的にもビートルズのスーツ、ポールのヘフナー・ベースとのマッチン
グが良かった。






ES-330(カジノの原型)やES-335、同じエピフォン・ブランドのリヴェラや
シェラトンは19フレットジョイントだったが、カジノだけは16フレットでボデ
ーと接続されていた
ネックがボディーに深く刺さっている分より豊かな低音が得られる。

またナットの位置が弾き手に近くなるため、ハイポジションでの演奏性は劣る
がローコードでの演奏が楽になる。
特にリズムギターとしてオープンコードも多用するジョンには都合がいい。



もう一つの特徴はピックアップ。ES-330と同じP-90が搭載されている点だ。
シングルコイルでありながらファットでウォームな音が得られる。
ジョンが長く愛用していたギブソンJ-160Eも同じP-90を搭載していた。
彼にとっては馴染みのある音だったのかもしれない。

カジノのP-90はドッグイヤーと呼ばれる金属製のカバーで覆われている。
プラスチックで包まれている通常タイプよりも出力と高音域が少し抑えられて
マイルドな音になる。
このこともカジノの独特なサウンドの要因の一つになっている。



ジョンとジョージのカジノは1965年製で同じだが、ジョンのはトラピーズ(ブ
ランコ)テールピース(8)のため弦のテンションが緩やかになる。

ジョージのはビグズビーのトレモロユニットが装着されている。
グレッチのカントリージェントルマンやテネシアンでジョージは慣れ親しんだ
ものであり、弦交換も苦にならなかっただろう。





もともと最初にカジノを手に入れて二人に薦めたのはポールらしい。
その理由は「フィードバックが容易に得られるから」だという。

通常ならフィードバックは弊害である。
ビートルズは「I Feel Fine」レコーディング時に偶然発生したJ-160Eのフィー
ドバックを面白がってイントロに入れた経緯がある。
ポールは自分でもそれを試してみたかったのではないだろうか。

ポールのカジノは1964年製でやはりビグズビーのトレモロユニット搭載だ。
ジョンとジョージの1965年製はヘッドがスリムになりネック幅も細くなった。



これ以降ジョンはカジノをメイン器として長く愛用することになる。

「 White Album」の頃に「鳴りをよくするため」塗装を落としてナチュラル
したカジノ(9)を「Get Back」の屋上シーンでも弾いている。
その際ジョージがオールローズのテレキャスターで切れ味のいいソリッドな音
を出し、ジョンが弾くカジノの野太い音とのコントラストが見事であった。





ポールもビートルズ時代からウィングス、ソロまでカジノを愛用し、今でもレコ
ーディングに当時のカジノを使用するほどの気に入り様だ。



1966年以降のビートルズ・サウンドに置いて重要な役割を果たしたカジノでは
あるが、武道館で二人揃って使ったのは音的に云々ではなく、軽いし弾きやす
い、見栄えがするという理由だったのではないかと思われる。

エピフォン・カジノのことだけで長くなってしまった。続きはまた。

<脚注>

(1)リッケンバッカー325
1958年から製作されだした小型のセミホロウボディーに20-3/4インチのショート
スケールのギター。3個のピックアップとビブラートユニットを有する。

ジョンは1961年にハンブルクで1958年製325を入手。いろいろ改造を加えた。
 ・ナチュラルから黒へとボディーの塗り替え
 (後にハニーブラウンに。ゴールドのピックガードは白に変更される)
 ・コントロール・ノブの交換
 ・トレモロアームをコフマン・バイブローラーからビグズビーに交換
1964年2月のアメリカ進出時まで使用していた。

2本目の325は1964年製。2回目のエド・サリヴァン・ショー出演のためマイアミ
に滞在している時にリッケンバッカー社から届けられた。
ボディーは黒で白ピックガード。ヘッドはスリムに。
より薄いボディーで独自のアクセントビブラート・ユニットが搭載された。
ピックアップのバランス・コントロールが向上しパワフルな音になっている。
2月16日のエド・サリヴァン・ショーで使われ、以降ジョンのメインギターに。
しかしステージから落下してネックが折れてしまったそうだ。



ジョンの最初の1958年製リッケンバッカー325


(2)グレッチ・カントリージェントルマン
チェット・アトキンスとの共同開発によるグレッチの代表機種。
モデルの型番は6122。1958年から製造される。
大型のホロウボディーで深みのある、しかし残響が少なくカラッとした音が出せ
カントリー、ロカビリーを好むジョージに売ってつけだった。
ヴォックス社のアンプとの組み合わせによるコシのあるきらびやかな音は初期の
ビートルズ・サウンドの要にもなっている。

ジョージの1本目のカントリージェントルマンは1962年製。
ダブルカッタウェイ・ボディに2基のフィルタートロン・ピックアップを搭載。
ネックはミディアムスケール。
ゼロフレットを有し、1〜3弦と4〜6弦にミュートがかけられるダブルミュート、
音が出なくなるスタンバイスイッチと新しい機能が設けられている。
1本目のカントリージェントルマンは車で輸送中に落下して大破。
2本目は1963年製。前回はブラウンだったが黒にした。


(3)グレッチ・テネシアン
同じくチェット・アトキンスと共同開発したグレッチのギターで型番は6119。
1959年から製造される。当初は6120ナッシュビルの基本構造を継承しながら装飾
を排した廉価版という位置付けだったようだ。
ホロウボディーにハイロートロン・ピックアップを2基搭載。
フィルタートロンの片側コイルからポールピースを抜き取ってもう片方のコイル
からのみ音を拾うように改造したもので、ノイズを除去するというハムバッカー
の役割は残しつつシングルコイルのサウンドが得られる。
カントリージェントルマンより細く中高音域の立った、ちょっと鼻に詰まった
ような音が特徴的だった。

ジョージのテネシアンは1963年製。
1964年1月のパリ公演で使われた後はスペア扱いだったが、1964年10月のイギリ
ス〜翌1965年のアメリカ・ツアーまでメイン器になった。
「For Sale」「Help!」のレコーディングでも使われている。



ジョージのグレッチ。左から1本目の1962年製カントリージェントルマン、2本目の1963年製カントリージェントルマン、1963年製テネシアン。



(4)4人の突拍子もないアイディアを可能にする技術
・ジョンの「チベットの山頂でダライ・ラマがお経を読んでるような声」という
 要望を受けて、レスリーの回転スピーカーから音を出した。
・「モータウンレコードのような迫力あるベース音に」というポールの希望を叶
 えるたアンプ集音マイクの代わりにウーファーを使用した。
・ギターのリフのテープ逆回転、ピッチを遅くするなどドローン効果を作った。
・ボーカルのダブルトラッキングを人為的に処理するADTの開発。
・ギターをコンソールに直接つなぎ録音するダイレクトボックスの開発など。


(5)ギブソンによるエピフォン買収、エピフォン・ブランドの位置付け
1957年にギブソンは老舗のライバル会社、エピフォンを買収した。
この際、何人かの職人たちがエピフォンを辞め立ち上げたのがギルドである。
当時のギブソンにおけるエピフォン・ブランドの位置付けは現在のような廉価版
ではなく、ギブソンの設計図を基に独自の味付けを加えたギターをギブソンの工
場で製造し別ラインで売る、という同レベルの扱いだった。


(6)エピフォン・カジノE-230TD
P-90を1基しか装着していないE-230Tというモデルも存在した。
ES-330→カジノ、ES-335→リヴィエラ、ES-355→シェラトンに相当するが本家
ES-330よりビートルズが愛用したカジノの方が人気がある。


(7)セミホロウボディーのセンターブロック
ホロウボディーモデルが全面板で中は空洞であるのに対し、セミホロウボディー
はピックアップやブリッジを搭載する部分は空洞ではなくブロック状の木材が配
されている。
空洞部が少なくソリッドな構造も併せ持っているため、音的にもソリッドに近い
サステインがかかったシャープな音からホロウボディーのような甘く太い音まで
幅広く使える。


(8)トラピーズ(ブランコ)テールピース
ブリッジからボディの端(エンド)に向かって弦を張る形式。
ブリッジからの距離があるため角度が緩やかになり、結果的に弦のテンションが
弱くなり押弦が楽になりる。角度調整ができないという欠点もある。
ホロウボディ(いわゆるフルアコなど)モデルによくに採用される。
ソリッドギターやES-335のようにセンターブロックがあるホロウボディならス
トップテールピースをマウントできるが、完全空洞では剛性に不安がある。


(9)鳴りをよくするため塗装を落とす
「ギターの塗装を剥がすと振動しやすくなり音が良くなるらしい」とジョージが
誰かから聞いてきた話にインスパイアされ、ジョンはカジノと一度はサイケデリ
ックペイントを施したJ-160Eの塗装を剥がしナチュラルにした。
ポールもリッケンバッカー4001Sのサイケデリックにペイントを落としてナチュ
ラルにしたがラッカー塗装はしていたようだ。
「White Album」からジョンはギブソンJ-200を使い出すが、これは最初からナチ
ュラル・フィニッシュのモデルである。


<参考資料:ザ・ビートルズ・サウンド 最後の真実ージェフ・エメリック、
ビートルズギア、Wikipedia、読売新聞:ビートルズ日本公演50周年記念特集、
大人のロック!ビートルズ来日公演40年目の新証言、エレキギター博士、他>

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