もちろん「卒業」の成功は原作と脚本、マイク・ニコルズ監督の手腕、ダスティン
・ホフマンを始めとする出演者たちの魅力に尽きるが、サイモン&ガーファンクル
の歌も準主役と言っていいくらい印象的だった。
前回も書いたがこの映画が一年遅れて制作されていたら、音楽がCSN&Yだったら、
主役が当初キャスティングされていたロバート・レッドフォードだったら・・・・
ぜんぜん別な作品になっていただろう。
「卒業」がアメリカン・ニューシネマ(1)の先駆け、かつ代表作となったこと。
そして従来とは一線を画す映画音楽であったことの意義は大きい。
1966年まではヘンリー・マンシーニ、ジョン・バリー、モーリス・ジャールなど、
いわゆる映画音楽かミュージカル、ロックであればプレスリーなどの青春モノでこ
こぞという時に一曲ご披露、というのがハリウッド映画の定石だった。
「卒業」はシンガー&ソングライターの曲が映画の重要な一役を担った、言葉を変
えるならフォークロックと映画が違和感なく融合した初めての作品だと思う。
これ以降、「イージーライダー」「真夜中のカーボーイ」「いちご白書」とロック
はアメリカン・ニューシネマの一つの特徴になった。
「卒業」のテーマ曲として使われた「サウンド・オブ・サイレンス」はもともとサ
イモン&ガーファンクルの1964年のデビュー・アルバム、「水曜の朝、午前3時」
に収録されていた曲で、伴奏はアコースティック・ギターのみだった。
↑写真をクリックすると「サウンド・オブ・サイレンス」の弾き語りヴァージョン
(スタジオ・ライヴ)が視聴できます。
翌年6月プロデューサーのトム・ウィルソンはボブ・ディランの「ライク・ア・ロ
ーリングストーン」のレコーディングを終え時間が余ったミュージシャンたち(2)
を使って、この曲にエレクトリック・ギター、ベース、ドラムなどを独断でオーヴ
ァーダブした。
そしてサイモン&ガーファンクルに何の断りも無くシングル発売した。
ポール・サイモンは激怒したが、エレクトリック・ヴァージョンの「サウンド・
オブ・サイレンス」は1966年初頭に全米ヒットチャートの1位に輝いた。
1965年はバーズの「ミスター・タンブリンマン」が全米1位のヒットを記録し、
その作曲者のディランもフォークロックへの転身を宣言したくらいだった。
「サウンド・オブ・サイレンス」にその味付けを断行したトム・ウィルソンは
先見の明があった、と言える。
そのエレクトリック・ヴァージョンが「卒業」で使われたわけである。
サイモン&ガーファンクルはニューヨークの都会的かつ知的な色合いが強いフ
ォーク・デュオだが、バーズに通ずるフォークロックの味付けがされたことで、
「卒業」にはうってつけの曲となった。
ダスティン・ホフマン演じるベンジャミンは東部のコロンビア大学の優等生だ
が卒業後、ロサンジェルスの実家に戻り上流階級の停滞した空気の中でミセス
・ロビンソンと情事を重ねる。
東部の引きしまった空気感と知性。西海岸の眩い太陽。
その両方が「サウンド・オブ・サイレンス」から伝わるのだ。
歌詞は知的だが難解だ。
「沈黙の音」は「コミュニケーション不足の社会」「何も見ようとせず、知ろ
うとせず生きていく人々」を表している、とも言われる。
もう一つの印象的な美しい曲「スカボロー・フェア」はイギリス民謡である。
スカーバラの市(中世末期ヨークシャー地方の北海沿岸にあった重要な交易拠
点)に行くなら、そこに住むかつての恋人によろしく伝えてくれと歌っている
が、内容は不可解である。
繰り返される「パセリ、セージ、ローズマリー、タイム」はいずれもハーブ。
魔除けの効果があるとされる香草が歌に織り込まれたとも取れるし、別れた恋
人との間の苦味を取り除き傷を癒すためとも取れる。
ポール・サイモンがイギリスで活動していた時に発表した「ポール・サイモン・
ソングブック」(3)に収録されていた「ザ・サイド・オブ・ア・ヒル」の一部が
主旋律と対をなすように織り込まれ、反戦的な意味合いを持たせてある。
「4月になれば彼女は」も無垢で素敵な曲だ。
伴奏はポール・サイモンの特徴的なスリーフィンガーだけという潔さ。
倒置法と韻を含ませた歌詞の美しさはポール・サイモンならではである。
春に芽生えた恋が相手の女性の死で終わり、秋には懐かしく思い出す・・・・
という内容に思えるが、恋の始まりから終わりを命と捉え、季節の移り変わり
にかけて書かれた曲とも解釈できる。
July, she will fly and give no warning of her flight は「飛ぶだろう」では
なく、「何の予告もなしに彼女はいなくなってしまうだろう」という意味。
August, die she must は「死んでしまうはず」ではなく、恋の終わりが迫っ
てきたことの比喩と解釈できる。
アメリカでは学年の区切りが9月に始まり8月に終わるため、学生時代の恋が
終ることもよくあるらしい。
そんな季節的な感傷も歌の背景にあるのだろう。
September, I'll remember A love once new has now grown old の
grow oldは「年をとる」の他に「成長して大人になる」という意味がある。
「愛が生まれて成長し今、終わりを迎えたことを忘れない」ということだ。
「ミセス・ロビンソン」は「卒業」のために書かれた曲である。
翌1968年2月に録音された新ヴァージョンがアルバム「ブックエンド」に収
録されたが、映画用に録音されたのはポール・サイモンのギター一本でコー
ラス部のみが歌われるややスローなショート・ヴァージョンだった。
アルファロメオ・スパイダーがガス欠で止まるシーンでは、アコースティック
ギターのカッティングが遅くなって行くのが効果的に使われている。
ョンが聴けます。
この曲は当初はミセス・ロビンソンの曲ではなかった。
古きよき時代を懐かしむ内容で、ミセス・ルーズベルトとジョー・ディマジオ
(4)について歌われている。
ポール・サイモンが「映画用ではないけれど」とマイク・ニコルズ監督に聴か
せたところ気に入られ、ミセス・ロビンソンの歌に流用することになった。
映画で使われたショート・ヴァージョンにはないが、後に再録音されて「ブッ
クエンド」に収録されたヴァージョンでは、歌詞にジョー・ディマジオが登場
する箇所(5)がある。
Where have you gone, Joe DiMaggio A nation turns its lonely eyes to you
What's that you say, Mrs. Robinson Joltin' Joe has left and gone away
ジョー・ディマジオ どこへ行ってしまったんだい? 国中が寂しがってるよ
何てすか?ミセス・ロビンソン ジョルティン・ジョー(6)はもういないんですよ
また2番目のヴァースの歌詞は意味深な内容になっている。
Hide it in a hiding place where no one ever goes
Put it in your pantry with your cupcakes
It's a little secret, just the Robinsons' affair
Most of all, you've got to hide it from the kids
誰にも分らないところに隠しておきなさい
カップケーキと一緒に食品棚にしまっておくんです
ちょっとした秘密ですね ロビンソン家の裏事情ってところかな
子供達には見つからないようにしなくては それが一番大事
ミセス・ロビンソンはドラッグ(コカインかヘロイン)でもやってるのだろう。
(映画ではそういう話は出てこないが)
あるいは秘めごとを隠しておくべきドラッグに例えてるのかもしれない。
「卒業」のサウンドトラックを依頼された際、ポール・サイモンが提供しよう
としたのは「オーバース」と「パンキーのジレンマ」だったが、マイク・ニコ
ルズ監督の判断で使われなかったそうだ。
両方ともいい曲だが、地味であまりキャッチーではない。
もし「サウンド・オブ・サイレンス」と「スカボロー・フェア」でなかったら、
この映画はぜんぜん別物になっていたのではないかと思う。
<脚注>
(1)アメリカン・ニューシネマ
1960年代後半から1970年代にかけてアメリカで製作された反体制的な人物(
主に若者)の心情を綴った映画作品群を指す日本での名称。
米国ではこの時代を「Hollywood Renaissance」と呼ぶ。
アメリカン・ニューシネマはアメリカの内包していた暗い矛盾点と世相(ベト
ナム戦争、人種差別、若者の反体制と保守層の偏見、暴力)に目を向けた。
多くの作品は若者が体制に闘いを挑む、もしくは刹那的なことに情熱を傾け最
後は体制側に圧殺されるか、あるいは個人の無力さを思い知らされ幕を閉じる
不条理なものが多い。
ほとんどの作品が低予算で制作された。
ベトナム戦争の終結とともにアメリカ各地の反体制運動も下火となり、それを
反映するかのようにニューシネマの人気も下降していく。
ニューシネマのメッセージの殆どは「個人の無力」であったが、1970年代後
期になると「ロッキー」のように「個人の可能性」を打ち出した映画が人気を
博すようになる。
また「スターウォーズ」のような夢とロマンのSF大作がヒットした。
(2)ディランの「ライク・ア・ローリングストーン」のミュージシャンたち
その中にはマイク・ブルームフィールドとアル・クーパーもいた。
ブルームフィールドは最初ディランのギターが下手なので教えてやるつもりで
参加したらしい。
クーパーはギターをやるつもりで志願し飛び入り参加だったが、ブルームフィ
ールドの卓越した演奏に恐れをなして断念。
隅で見ていたところオルガン奏者がいないので、ほとんど経験がなかったにも
かかわらず申し出たという。
彼のオルガンは荒削りだが力強く、「ライク・ア・ローリングストーン」では
この曲の顔とも言える印象的なフレーズを弾いている。
ディランも彼の演奏をすぐに気に入り「オルガンの音をもっと大きく」と言っ
たそうだ。
(3)ポール・サイモン・ソングブック
サイモン&ガーファンクルのデビュー・アルバム「水曜の朝、午前3時」が不振
だったためサイモンはアメリカを離れてロンドンを拠点とし音楽活動を続ける。
その頃BBCのラジオ番組で彼の曲が放送されて好評を博したため、急遽このアル
バムが作成されることになりイギリスで発売された。(1965年)
全ての曲は自身のギターによる伴奏のみ。
収録曲の多くはサイモン&ガーファンクルのアルバムでセルフカヴァーされた。
(4)ジョー・ディマジオ
MLBのプロ野球選手(外野手)。
華麗で優雅なプレーで知られ、グラウンドでの振舞いやファンへの誠実な対応
は野球選手の鑑とされている。
ベーブ・ルースの引退後の1936年ヤンキースからメジャーリーグにデビュー。
ルースの穴を埋めて余りある成績を残した。
ルー・ゲーリッグがシーズン途中で引退した1939年には初のMVPと首位打者
に輝き、両雄の居なくなったヤンキースのナンバーワン・プレイヤーとなる。
1936年から1939年までのチームのワールドシリーズ4連覇に大きく貢献した。
1941年には56試合連続安打を達成。
その後も本塁打王や打点王を獲得するなど活躍。
1951年に現役引退。ディマジオの背番号5はヤンキースの永久欠番である。
1954年にはマリリン・モンローと結婚し同年、二人で来日している。
しかし喧嘩が絶えなく、わずか274日で離婚した。
(5)歌詞にジョー・ディマジオが登場
歌詞にミッキー・マントルでなくジョー・ディマジオが出てくるのは「単に
音節の問題」とポール・サイモンは説明している。
ジョー・ディマジオは当初「自分は消え去っていない」とクレームをつけた。
しかしポール・サイモンとレストランで会う機会があり、その後撤回した。
ポール・サイモンは、ディマジオがアメリカの英雄であると考えて名前を出
したこと、あの歌詞は正真正銘の英雄が不足していることを意味していると
語ったそうだ。
この歌詞は自分を誇大して見せることなく控えめであり続けたジョー・ディ
マジオへの心からの賛辞だったのだ。
1999年にジョー・ディマジオが死去しヤンキー・スタジアムで行われた追悼
試合ではポール・サイモンがゲストで招かれ、献歌として「ミセス・ロビン
ソン」をギター一本で歌った。
(6)ジョルティン・ジョー
ジョー・ディマジオのニックネーム。驚異的なジョーという意味。
56本連続ヒットに感激したレス・ブラウンが自身のオーケストラでジョー・
ディマジオに捧げる曲として「ジョルティン・ジョー」を演奏した(歌はベ
ティ・ブーニー)のがきっかけでこう呼ばれるようになった。
ヤンキー・クリッパーと呼ばれることもあった。
クリッパーとは当時ニューヨーク〜ボストン間を走っていた特急列車の名前。
ディマジオの俊足と守備範囲の広さからそう例えられるようになった。
<参考資料:nikkeiBPnet、Wikipedia他>
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