2016年8月17日水曜日

フルーツ=キュート♡はヒットの方程式?<前編>

ナンシー・シナトラといえば「にくい貴方」のヒット(1966年)や「シュ
ガータウンは恋の町」「バンバン」「007は二度死ぬのテーマ」。
ケバくてちょっとエロい姉御キャラ、そしてトレードマークのブーツ。






でもブレイクする5年前にナンシーは一度歌手デビューしているのだ。
フランクは娘のナンシーを溺愛していて、彼女のショービジネス界デビューに
も協力的だったらしい。


1960年3月ナンシーは父の代わりに、除隊しドイツから帰国するエルヴィスを
ニュージャージーのマクガイア空港に出迎え、父からの贈りもの(レースフロ
ント・シャツ)と手紙を届けた。






エルヴィスの除隊後の最初の仕事はABCテレビの「フランク・シナトラ・タイ
メックス・ショー」(1)への出演であった。
「Welcome Home Elvis」というサブタイトルで5月12日に放映されたのこの
特番にはナンシーも出演し、フランクとデュエットし軽妙なトークとダンスも
披露している





翌1961年フランクが設立したリプリーズレコード(2)から歌手デビュー。
アイドル路線で1965年までにシングル盤を9枚リリースしたが売れなかった。

ちょっとオバサンっぽいし(ナンシーはこの時既に結婚していた)そもそもア
イドルという顔立ちじゃないし、どう見ても純情そうじゃないし(笑)
それはともかく、コニー・フランシス(3)やジョニー・ソマーズ(4)の路線を狙っ
たのだろうが、歌唱力の点でもアメリカ市場では受け入れられなかったようだ。






1965年に離婚したナンシーが歌手として再デビューするにあたって、プロデュ
ーサーのリー・ヘイズルウッドは「今さら純情ぶってもしょうがないだろう」
と思い切ってセクシーな悪女路線で売ることにする。

これが当たった。
猫をかぶっていい子のふりをする必要もなく、本来の性悪ぶりを地で行けばい
いわけだから本人もやりやすいし(笑)周囲もホッとしたことだろう。


「にくい貴方」(1966年)から「ドラマーマン」(1968年)までナンシーは
全米ヒットチャートの常連で、’60sガールのアイコン的存在となった。

1965年以前のアイドル路線の頃のナンシーはアメリカではほとんど記憶されて
いないのか、「なかったことにしようね」的な過去として扱われている。
CD化されたのも1965年の再デビュー以降のアルバムだけだ。






本国ではさっぱりだった初期のナンシーだが日本とイタリアでは売れている。
イタリアでの人気はシナトラ家がイタリア系だったせいかもしれない。
一方、日本ではレコード会社の独自の仕掛けがヒットに貢献していたのだ。



その日本ではヒットしたナンシーの初期のシングル曲集がCD化された。
この6月に発売されたばかりだが、7月に気づいた時にはAmazonもHMVも在庫
なしで入荷の見込みがないため受注できない、となっていた。何で?

発売元はオールデイズ・レコードというオールディーズ復刻を専門にしている
インディペンデント・レーベルらしい。
つまり原盤権(5)の保護期限が切れた音源をCD化しているわけだ。



ナンシーの初期作品はアメリカではCD化されておらず数年前からデジタル配信
でのみ販売されている。
その販売元がBoots Enterprises, Inc。おそらく彼女のエージェントだろう。





音源を使用する場合は楽曲の著作権とは別に、その音源マスター(原盤)の所
有者=レコード会社と実演者(アーティスト)に別途許諾を得る必要がある。

ライノ、ワンウェイ、ベアファミリーなど欧米の復刻専門レーベルはレコード
会社の許諾を得て、ジャケットやディスクに元のレーベルも提示している。

だが、このCDにはリプリーズのロゴもBoots Enterprises, Incの記載もない。
日本の法律上問題ないと許諾なしに発売したところクレームが入り一時出荷停
止になっているのではないだろうか。


幸い山野楽器本店に在庫があったので、僕は買うことができた。
もし入手できるチャンスがあるなら早めに抑えておくことをお薦めする。






さて、そのナンシーのシングル曲集CD「レモンのキッス」の内容だが。
まず曲目を見ていただきたい。


1.   カフス・ボタンとネクタイ・ピン (Cuff Links And A Tie Clip)
2.   お友だちじゃイヤ (Not Just Your Friend)
3.   レモンのキッス (Like I Do)
4.   逢ったとたんに一目ぼれ (To Know Him Is To Love Him)
5.   ジューン、ジュライ・アンド・オーガスト (June, July And August)
6.   シンク・オブ・ミー (Think Of Me)
7.   イチゴの片想い (Tonight You Belong To Me)
8.   かわいいボーイ・キラー (You Can Have Any Boy)
9.   フルーツ・カラーのお月さま (I See The Moon)
10. 肩にもたれて (Put Your Head On My Shoulder)
11. 青い片道切符 (One Way)
12. 戦場に消えたジョニー (Cruel War)
13. バラのほほえみ (Thanks To You)
14. タミー (Tammy)
15. 涙はどこへ行ったの (Where Do The Lonely Go)
16. レモンの思い出 (Just Think About The Good Times)
17. 別れのウェディング・ベル (There Goes The Bride)
18. 心の中の恋 (This Love Of Mine)
19. ピンクのキッス (The Answer To Everything)
20. トルー・ラブ (True Love)



レモンのキッス、イチゴの片想い、レモンの思い出、フルーツ・カラーのお月さ
ま。。。とやたらフルーツがらみの邦題が多いことにお気づきだろうか。

「シンク・オブ・ミー」もシングル発売時は「リンゴのためいき」だった。
リンゴのためいきって。。。何だ?(笑)


いずれも英題にも歌詞にも果物は一切出てこない。
ナンシーを売り出すにあたって日本ビクターは、日本人受けしそうな曲をA面に
持って来て(それは正しい選択)、乙女チックなフルーツの邦題をつけたのだ。

それはただの思いつきではなく、それなりの理由があった。



1958年にスペインでグロリア・ラッソ(6)の「Corazon De Melon」がヒットし、
アメリカでもローズマリー・クルーニー(7)がカバーしてヒットした。
日本では1960年に「メロンの気持ち」という邦題で森山加代子が歌いヒット。

デメロン、デメロンメロンメロン・・・♪の連呼を覚えてる人も多いだろう。
この曲は原曲にもちゃんとメロンが出てくる。





次に1960年にアメリカでアネット(8)が歌う「パイナップル・プリンセス」がヒ
ットし、日本では翌1961年に田代みどりのカヴァーが大ヒット。
これも原曲はまんまパイナップル・プリンセスである。





深く考えるのが苦手な日本のレコード会社はヒットの方程式をここに見出した。

洋楽の女性歌手の歌はフルーツのタイトルをつければ売れる、と短絡的に思って
しまったのである。

まさに柳の下の3匹目のドジョウを狙う発想に至ったわけだが、まだそれほど浸
透していな洋楽を売るためには何でもアリの時代だったのだ。


復刻CD「レモンのキッス」の収録曲については次回。


<脚注>


(1)フランク・シナトラ・タイメックス・ショー
1959〜1960年にアメリカのABCテレビで不定期に放映された音楽番組。
サミー・デイヴィスJr.やディーン・マーティンなど、いわゆるシナトラ・ファミ
リーが出演。演奏はネルソン・リドル・オーケストラが担当していた。
提供スポンサーは時計のタイメックスであった。





1950年代後半にはエルヴィス出現でロックンロールの人気が高まったが、シナト
ラの音楽指向は変わらなかった。
そのシナトラがエルヴィスをゲストに迎え「ラヴ・ミー・テンダー」をデュエッ
トする姿は感慨深い。ちなみに二人ともイタリア系である。
後にナンシーは映画「スピードウエイ」(1968年)でエルヴィスと共演している。


(2)リプリーズレコード
1960年フランク・シナトラとワーナーブラザーズ・レコードの共同出資で設立。
当初はシナトラの作品と彼の音楽仲間であるサミー・デイヴィス・ジュニアやディ
ーン・マーティンらの作品を発売する為の会社であった。
後にシナトラがレコード会社の経営に興味を失ったことにより、ワーナーブラザー
ズ・レコードが株を買い取り吸収合併。
ドアーズ、ニール・ヤング、ジョニ・ミッチェル、ジミ・ヘンドリックス、シカゴ
など若者向けのロックを扱うようになる。

リプリーズの当初の社長は後にワーナーブラザーズ・レコードの社長・会長を歴任
することになるモー・オースティン。(シナトラがヴァーヴから引き抜いた)
オースティンの下でリプリーズを若者向けロックに進出させたのが、A&R担当のレ
ニー・ワロンカーでバーバンク・サウンドの立役者となった。


(3)コニー・フランシス
1950年代末〜1960年代前半に人気を博したアメリカの女性歌手。
陽気で親しみやすい彼女の歌は世界各国でカヴァーされ、アメリカンポップスの
女性シンガーの草分け的存在である。
日本でも1962年に「可愛いベイビー」が中尾ミエが歌いヒットした。
同年に青山ミチ、伊東ゆかり、金井克子、弘田三枝子が「ヴァケイション」をカヴ
ァーし、弘田三枝子盤はヒットした。



(4)ジョニー・ソマーズ
ツンと鼻にかかった甘いハスキーな声が売りだったアメリカの女性歌手。
1960年にデビュー曲「 内気なジョニー 」 がヒット。
「 すてきなメモリー 」は本人が日本語で歌いヒットした。




(5)原盤権
音楽を録音〜編集して完成した音源(原盤、マスター音源)に発生する権利。
著作隣接権の一つである。(楽曲に対して発生する著作権とは別)
原盤権は多くの場合、レコード会社、音楽出版社やプロダクションが所有する。





日本の著作権法では「レコード製作者の権利」(第96条~第97条の3)として規定
されている。
原盤権の保護期間は、最初に録音し発行してから50年後まで。
また許諾を得ないレコードの複製に対して、レコード製作者の保護に関する国際
条約が存在する。




(6)グロリア・ラッソ 
スペイン出身のフランスで活躍したシャンソン歌手。
「ボンボヤージュ」「恋人よ、おやすみなさい」「ハネムーン」などフランス語で
歌った曲が多いが、「メロンの気持ち」は母国語で歌いスペインでヒットした。
「Corazón De Melón」のCorazónはハート、気持ち。なので邦題は直訳である。


(7)ローズマリー・クルーニー
1945年〜1951年代に活躍した美アメリカの貌のジャズシンガー、女優。
「酒とバラの日々」「テンダリー」など艶のある低音が魅力的だった。
映画「ホワイトクリスマス」ではビング・クロスビーと共演した。
日本では江利チエミが「家へおいでよ」、雪村いづみが「マンボ・イタリアーノ」
をカヴァーしている。




(8)アネット(アネット・ファニセロ)
アメリカの歌手・女優。
ディズニーの秘蔵っ子としてミッキーマウス・クラブの草創期メンバーデビュー。
多くのディズニー作品に出る一方でアイドル歌手としても活躍していた。





<参考資料:Wikipedia他>

2 件のコメント:

provia さんのコメント...

こんばんは。

私はこのCD発売のお知らせを頂いてからすぐにネットで調べました。
するとHMVのオンラインショップに在庫有りの表示があり、
翌日いちばん近いHMV店舗に行って取り寄せを依頼しましたところ
数日で入荷しました。

発売後すぐに在庫無しとはどういう事なんでしょうね。

事情は良く分かりませんが、製造枚数も相当に少ないと
思われるので、そこに何かの問題が加われば完全にアウトですね。

でもお陰様で無事に入手出来ました。
ありがとうございます。

イエロードッグ さんのコメント...

>proviaさん

入手できましたか。よかったです。

Amazonでは取り扱い自体やめてしまったみたいですよ。
在庫なし、ならともかく。
ビートルズの輸入海賊盤まがいは堂々と売ってるのに。
ディスクユニオンでは取り寄せになってました。
メーカーのカタログに載ってますね。

例のチェットのSolid Gold '68 / Solid Gold '69と
Yestergroovin' / Lover's Guitarもマーケットプレイス
で買おうと思ってたらすぐ無くなってしまって。
AmazonやHMVの取り寄せは当てになりません。
結局イギリスのメーカーから直接買いました。

いろいろなレーベルから思い出したようにポツポツと
出るのが不思議です。