2018年12月17日月曜日

クラプトンの名ソロのリハーサル・テイクがあった!

前回1曲だけ外したのは、この曲だけ書きたいことが多すぎるからだった。


日本ではヘイ・ジュードに次ぐシングル盤としてオブラディ・オブラダが1969年
3月10日に発売された(英米ではシングル・カットされていない)が、そのB面
ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープスだった。





ホワイト・アルバムの発売自体、英国は1968年11月22日だったが日本では2ヶ月
も遅れて1969年1月21日に店頭に並ぶ。
2枚組4,000円のLPは中学生の僕には手が出ず、当時ヒットしていたオブラディ・
オブラダ(1)のシングル盤を買った。

B面のホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープスの方が好きで何度も
何度も繰り返し聴いたものだ。



<作曲過程>

ジョージは易経の写しから「万物は関わり合っている」という東洋的思想と、真逆
の「物事は偶発的なものにすぎない」という西洋的思想の両方を感じ取った。

北イングランドに住む両親の家に行った時に、この本をパッと開いた時に目に入った
ものを素材にして曲を書こうと思いつく。
それはきっとその瞬間の自分に深く関わっているものなんだと思ったからだ。


本を開いて最初に見た文字はが「優しく泣く (gently weeps)」だった。
そこでジョージは本を閉じて曲を書き始めた。

この曲はイーシャー・デモで披露されている。
インド滞在中に書かれたのか、その前後に書かれたものかは不明。







ジョージの作曲力は高まっていたが、他のメンバーは認めていなかった。
アルバムでの割り当てが2曲までという暗黙のルールにジョージは不満だった。

センッションでもジョージの曲は常に後回しで、みんな乗り気じゃない、まじめに
やってくれないことにも彼は不満をつのらせていた。
また彼自身、自作曲に納得のいくアレンジを施せない、いいソロを思いつけない
(ポールにその座を奪われることもあった)ことも苦々しく思ってたはずだ。


このセッションで彼が用意したノット・ギルティは102テイクを録音したが、結局
お蔵入りとなった。(アンソロジー3、今回のアウトテイク集に収録された)

サージェント・ペパーズのセッションで録音されたものの、捨て曲としてイエロー
・サブマリンに回されたイッツ・オール・トゥー・マッチ、ノーザン・ソングスと
同じで、他の3人はこれ以上よくならないとやっつけ仕事になっていた。


ジョージがインド哲学やシタールに傾倒し、抹香くさい難解な曲が増え、インドの
ミュージシャンを雇ってジョージ単独で録音する曲が増えたことも一因だと思う。






<レコーディング過程1 アコースティック・ヴァージョン>

セッション開始から2ヶ月、7月25日にやっとジョージの曲が取り上げられる。
この日のホワイル・マイ・ギター〜はジョージの弾き語りによるデモ。
静かな美しいアコースティック・バラードに仕上がっている。

アコースティックギター一本での弾き語りでエンディングをかき鳴らすテイクと、
後半にオルガンがオーバーダブされフェイドアウトで終わるテイクが録音された。
(アンソロジー3に収録されたのは後者の方)

最後のヴァースが、I look from the wings at the play you are staging(君が
演じる劇を舞台袖から見ているよ)As I’m sitting here doing nothing but aging
(ここに座って歳だけとりながら)という歌詞になっている。


今回アウトテイク集に収録されたアコースティック・ヴァージョン テイク2
(1968年7月25日録音)ではポールが全編通してハーモニウムを弾いている。
この日はジョージ一の単独作業と思われていたが、ポールも手伝っていたのだ。
ポールは弾きながら曲の構成とコードを覚えているような感じだ

最初のヴァースを歌った後ジョージが、たぶん彼にもマイクを1本立てた方がいいよ
(Yeah, maybe you’ll have to give him his own mic)と誰かに指示している。



↑ホワイル・マイ・ギター〜アコースティック・ヴァージョン テイク2が聴けます。
ジョージはこのセッションからギブソンJ-200を使用。
ホワイル・マイ・ギターはキーがAmだが5カポでEmを弾いている。



8月16日、アビーロード第2スタジオにてジョージ(g)ポール(b)リンゴ(ds)
ジョン(kb)の編成でリメイクを開始。14テイクを録音しリダクション。

9月3日、アビーロード・スタジオに8トラックレコーダーが導入。
先日のリダクションを8トラックに移し替え、ジョージ一人スタジオに残って
逆回転のギターソロで泣きを表現しようと録音を試みたが断念。


9月5日、非公式に脱退していたリンゴが戻ってきた。
8トラックにリダクションしたテイク16にジョージのボーカル、マラカス、ギター
をオーバーダブするが、ジョージは「サウンドに納得いかない」と今までのテイク
を全て破棄。

再リメイクを開始し17〜44テイクを録音。テイク25をベストと判断する。
「ジョンとポールとリンゴとこの曲に取り組んだけど彼らは全く興味がないみたい
った。僕はいい曲だって自信はあったんだけどね」とジョージは言っている。



翌9月6日、同じサリー州に住むエリック・クラプトンの車に便乗し、ジョージは
ロンドンに向かうが、車中で「レコーディングに参加してソロ弾かないか」と提案。
クラプトンは「ビートルズのセッションで演奏するなんて無理だよ」と断る。

ジョージは「僕の曲で、僕が弾いてほしいと頼んでるんだ。手ぶらで来くればいい。
ギターならいいのがあるからね」とクラプトンを説得







<チェリーレッドのレスポール、ルーシー>

「いいギター」とはクラプトンがジョージにプレゼントしたレスポールのことだ。
1957年製(PAF搭載の最初の年)のゴールドトップを大幅にモデファイしたものだ。

ラヴィン・スプーンフルのジョン・セバスチャン所有していたこのレスポールをリック
・デリンジャーが入手。


塗装が傷んでいたためデリンジャーは1967年にギブソンのカラマズー工場でチェリー
レッド(SGと同じ染料)にリフィニッシュ
その際ネックがやや細めに削られたらしい。(1957年製レスポールのネックは太め)

リアPUの出力が弱めになっているようで、独特のサウンドを生み出す。
チューナーはクルーソンからグローバーのロートマチック式に変更。
一時ビグズビーのトレモロアームを装填していたようで、外した跡が残っている。


リック・デリンジャーはリフィニッシュ後のレスポールを弾きにくくなったと感じ、
N.Y.の楽器店で他のギターとトレードしてしまう。
その楽器店を訪れたクラプトンが見つけ購入。
自分自身ではあまり使わないまま、ジョージに寄贈したのだった。






ジョージはクラプトンからもらったチェリーレッドのレスポールに、コメディアンの
ルシル・ボール(2)が赤毛だったことにちなんで「ルーシー」と名付けた。

ルーシーはホワイト・アルバム、ゲット・バック・セッションで使用された。
レボリューションのプロモ・ビデオ、映画レット・イット・ビーでもジョージが「ル
シー」を弾いてるのが確認できる。



ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープスではこの「ルーシー」でクラプ
トンがロック史上最高のソロを弾いている

ジョージはクラプトンのためにマーシャルのアンプも用意していた。
クラプトンにとってレスポールとマーシャルはペアであり、ブルース向きの分厚い音
がするのを彼が気に入ってることを考慮しての上だった。
(ジョージもジョンもポールもマーシャルは使っていない。だから別途用意したもの)


「ルーシー」はジョージとクラプトンの間を行ったり来たりしていたようだ。
クラプトンが周囲の友人たちの助けにより、どん底から再起をかけ出演したレインボ
・コンサートでもこのギターを弾いている。





クラプトンから贈られた「ルーシー」は1970年代初めに盗難に遭ってしまう。(3)
ジョージは失われた「ルーシー」を時間と金をかけて探し出し、手元に取り戻した。




<レコーディング過程2 クラプトンがスタジオにやって来た!>

ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープスでのクラプトンの見事な泣きの
ソロは1テイクで弾かれたもの、と言われていた。
また既にビートルズが録音したベーシック・トラックに後からクラプトンがソロを
オーバーダブした、という記述もある。


しかしジョージは「エリックが来たとたん、みんなお利口さんになって真面目に
やり出したんだ、だってビートルズはちゃんとやってなかったなんて言われたくない
だろ?」と言っている。


ジョージの目論見の一つはクラプトンに泣きのソロを弾いてもらうことで曲を魅力的
にすること、む一つはクラプトンの参加で他のメンバーたちを引き締めること。
二つともジョージの狙い通りとなった。

世界一のギタリストが僕の曲で弾いてくれるんだぜ、と他のメンバーにアピールする
ジョージならではやり方だった、とジャイルズ・マーティンは言っている。

ジョージの話から察すると、クラプトンと一緒にビートルズは演奏していたようだ。



クラプトンは「ルーシー」をマーシャルに繋ぎあのソロを弾いた。
プレイバックを聴いたクラプトンは「やっぱり駄目だ、ぜんぜんビートルズっぽく
ない」と言ったそうだ。
ADTでギターの音を少し揺らす処理をしてやっとクラプトンも納得した。
だからあのエフェクトはミキシングコンソールでの後がけである。



さて、クラプトンは一発であのソロを弾いたというのは本当なのだろうか?
もし別テイクがあるとしたら、今回のアウトテイク集で明らかにされるのでは?とい
うのが最大の関心事であった。



やっぱり・・・あったのだ。
アウトテイク集には前述のアコースティック・ヴァージョンの他に3rd.ヴァージョン、
テイク27が収録されている。

ジョージのアコースティック・ギターとボーカル、ポールのピアノ、ジョンのオルガン、
リンゴのドラム、それにクラプトンがレスポールで奏でるオブリ&ソロという編成だ。


ジャム・セッションでラフではあるが、だいぶ完成形に近い。
最後はジョージがスモーキー・ロビンソン風のファルセットを出し切れず中断。
ジョージは「スモーキーみたいに歌ってみたけどスモーキーになれないってことだね
(It’s okey , I sang I tried to do Smokie, and I just ain’t Smokie)と言っている。


オブリと間奏はいかにもクリーム時代のクラプトンっぽくてカッコいい
前述のようなADT処理はされてないが、クラプトンならではの演奏が味わえる。
ヴァースでのハモりはポールがやっているがこれも張りがあってカッコいい。





ベーシック・トラックでクラプトンのギターとポールのゴリゴリ・ベース丁々発止で
が攻め合うセッションかと思っていたが、ベースは後からオーバーダブされたようだ。
使用したのはフェンダー・ジャズベースだろう。
弦下にスポンジを挟んで音をミュート(ポールがよくやる手)しているかもしれない。


クラプトンは近年のインタビューでこう言っている。
「ジョージ、ジョンも優れたミュージシャンだが、特にポールの演奏力に驚いた」と。

クラプトンが言うポールの演奏力とはあの力強いベースのことだと思うが、というこ
とはクラプトンは自分のソロを入れた後も残り、ベーシック・トラックにポールが
ベースをオーバーダブするのをその場で見ていた、ということになる。

そういうのを想像するだけでも楽しくなるなあ。その場にいたかったなあ。
この日のセッションをエンジニアのケン・スコットは憶えていないそうだが(笑)



↑ホワイル・マイ・ギター〜のクラプトンの別ソロ入りのテイク27が聴けます。




<2009リマスターvs.2018リミクス聴き比べ>

2009リマスターでは左からポールによるピアノのイントロ、クラプトンのオブリ、
右からポールのベースとリンゴのドラム、ジョージのアコースティック・ギターと
ジョージのボーカルはセンターから聴こえてくる。
2nd.ヴァースから入るパーカッション、ジョンが弾いたと思われるオルガンも左。

ジョージの繊細な声質を最優先するために、センターはボーカルとアコギだけにして
残りは左右に振り分けたのだろう。
クラプトンの間奏(左)と同時にセンターにタンバリンが入る。


2018リミックスも基本的にはこの定位を踏襲している。
ポールのピアノは左からややセンターに寄せられ美しく響く。
が、歌が始まると後退しほとんど聴こえなくなるが、クラプトンの間奏でまた復活
し、薄く鳴っている。

そのクラプトンのギターは左。ややセンター寄りになった。
クリアーなので以前より演奏内容が鮮明に分かる


右でポールが弾くゴリゴリのベースは前にも増して力強く迫力満点だ。
オクターブ上の音をうまく入れたり、時にはコード弾きしてるのがよく分かる。

ドラムはベースとセットで右だがタムの音はセンターまで広がって来る。

2nd.ヴァースから入るパーカッションは左のまま。
サビのI don’t know why…から入るオルガンはセンターよりやや右に変えられた。


どセンターはジョージのボーカルとアコギのためにキープされている。
あとは間奏から入るタンバリンだが、以前より涼やかでやさしい音になっている
ため、邪魔にならない。

この曲はあくまでジョージのボーカルが主役、次はクラプンの名演奏とポールの
ベースのバトル、という優先度が伝わって来る。


最後のジョージのAh…Ah…という切ない声のバックでWoo….とヴィブラートを
効かせたファルセットがセンターやや右寄りからよく聴こえる(3’54”〜)ように
なったが、これはポールの声ではないかと思う。


ジョージのヴォーカルはADTによるダブルトラック処理だと思っていたが、実際
に2回歌っているのではないか、という気がしてきた。
たとえば3’15”のgently weepsはわずかにタイミングがずれる。

であれば3度で上にハモる部分も自分で重ねているはずだが、今回のリミックスを
聴いて、いや、待てよ、ポールかもしれないと思った。
1’48”のwe must surely be learningの上のパートなんかはポールっぽい声質だ。



↑ホワイル・マイ・ギター〜2018リミックスが聴けます。



今回のリミックスで一番時間がかかったのは、ホワイル・マイ・ギター・ジェント
リー・ウィープスだったことをジャイルズ・マーティンは明かしている。

「この曲はあまりにも美しいサウンドだから重々しくならないように気をつけた
ミックスというのはすべての作業がすべてのことに影響を与える。ベースを重くし
てしまうと、天から降りてきたような美しいサウンドが損なわれてしまう」


<脚注>


(1)オブラディ・オブラダのヒット
英国、米国ではこの曲はあまり人気がなかった。
またビートルズはアルバムからシングル・カットすることはなく、ホワイト・アル
バムのセッションからリリースされたシングルはヘイ・ジュード(1968年8月30日)
のみであった。
マーマレードのカヴァーが英国で1位を獲得。日本でもヒットしたため、東芝音楽
工業は本家ビートルズのオブラディ・オブラダをシングル盤として発売した。
同時期に出たザ・カーナビーツによる日本語詞カヴァーもよくラジオでかかった。


(2)ルシル・ボール
アメリカのコメディアン、モデル、映画・テレビの女優。
1950年代〜1960年代に「アイ・ラブ・ルーシー」「ザ・ルーシー・ショー」など
シチュエーション・コメディの先駆けとなるドラマで主演のルーシーを演じた。
当時アメリカで最も人気があった女優の1人である。
日本では「ルーシー・ショー」のタイトルで1963〜1966年、4シリーズがTBS系列
で放映された。


(3)盗難に遭った「ルーシー」を取り戻すまで
ジョージはマル・エヴァンスの助けを借り、盗まれたレスポールがハリウッドの楽器店
に売られていたこと、それをメキシコ人のミュージシャン購入したことを突き止める。
大切なギターを買い戻させてほしいと購入者に交渉した。1973年のことだ。

購入者はジョージに「ルーシー」返すことに理解を示したものの、代替品として同等の
品質の1950年代後半のレスポール・サンバーストを要求。
ジョージとマルはL.A.でNorman's Rare Guitarsを営むノーマン・ハリス(ヴィンテー
・ギターの取引で定評があった)を紹介してもらい、彼の店を訪れる。

ノーマン所有の1959年製レスポールのフレイムトップを見初めたジョージは、これこそ
「ルーシー」を取り戻す取引にふさわしいと決めた。
またネックの細い1960年製レスポールのフレイムトップ、1956年製ストラトキャスター
も気に入り自分用に欲しいと、合わせて3台を$3,750で買い取った。

当時にしても安すぎる価格だったが、自分がジョージ・ハリソンに楽器を売っいるとい
事実が信じらずにいた、ぜひ彼に優れた楽器を所有してもらいたい、と商売抜きの
取引だった、とノーマンは自伝で述懐している。

「ルーシー」はジョージは亡くなるまで彼女と一緒に過ごした。
今もジョージ・ハリソン・エステートが保管している。

それから40年後の2013年、L.A.のギター・センターが「ルーシー」のレプリカをギブ
ソン社に特注。ネジ痕や細かい傷まで再現してた「ルーシー」は100本限定の販売。
価格は約200万円だった。


↑Harrison-Clapton "Lucy" Les Paulを試奏するクラプトン。
この日はフェンダー・ツイードチャンプに繋いでいますがいい音してますねー♪


<参考資料:ジョージ・ハリソン「I ME Mine」、THE BEATLES Anthology、
THE BEATLES 楽曲データベース、THE BEATLES RECORDING SESSIONS、
ビンテージ・ギターをビジネスにした男 ノーマン・ハリス自伝、Guitar Center、
George Harrison-Living In The Material World、RollingStone、TAP the POP、
Wikipedia、他>

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