2022年10月4日火曜日

空飛ぶ円盤とU.F.O.とユーフォー。

今日は小ネタを。
先日のディスコ歌謡の記事を書いててふと思ったことを書きます。



みなさんは下の写真↓は何?と訊かれたらどう答えますか?





空飛ぶ円盤?
ほとんどの人がユーフォーと答えるのでは?


日本では一般的なユーフォーという呼び方。欧米では通じない。


いったい日本人はいつから、そしてなぜユーフォーと言うようになったのか?
これが今回のお題。戦後の音楽史を読み解きながら深掘りしたいと思う。




<空飛ぶ円盤のイメージ>

上の写真はアダムスキー型という最もよく知られている形状。
帽子型の円盤で底部に3つのドームが付いているのが特徴だ。
U.F.O.といえば即座に連想されるのがこの形だろう。

1950年代にジョージ・アダムスキーが撮影した写真(1)から、この形をアダム
スキー型円盤と呼ぶようになった。

アダムスキーは「宇宙人と遭遇した」と最初に主張した人物である。
着陸した機体から現れたのは金星人だったとか。(2)

この事件から「空飛ぶ円盤=異星人の乗り物」というイメージが定着した。




↑金星人が憑依した謎の美女(若林映子)。
「私は金星人です。地球はキングギドラに滅ぼされます」と警告する。
インタビューしてる後ろ姿は星由里子。
(映画「三大怪獣 地球最大の決戦」1965年 東宝 より)




↑ 地球襲来のためX星人が乗っていた円盤。
ゴジラとラドンもこの円盤でX星に連れて行かれてしまう。
(映画「怪獣対戦争」1966年 東宝 より)





<空飛ぶ円盤 ≠ U.F.O.(Unidentified Flying Object)>

以前、英語圏では「Fflying Saucer」という呼ばれ方をしていたらしい。
日本語の「空飛ぶ円盤」に近いかも。

一方「U.F.O.(Unidentified Flying Object 未確認飛行物体)とは地球で確認
された未知の飛行物体すべてを指すアメリカ空軍・海軍の公語である。

当局で把握できていない他国の航空機やミサイル、気象観測用の気球、人口衛
星の破片、あるいは鳥、流星などの自然現象も含まれる。(3)






<1960年代の呼び方は「空飛ぶ円盤」が主流>

U.F.O.は英語では「ユー・エフ・オー」と読まれる。(4)
日本では1950年代〜1960年代末まで、U.F.O.という呼称はあまり浸透せず、
未確認飛行物体は総括的に「空飛ぶ円盤」と呼ばれれるのが一般的だった。


1960年代は人々の宇宙、宇宙人など未知の世界への関心が高まった。(5)
少年漫画では近未来を描いたSF作品が人気で、宇宙船や宇宙人が登場。
「マグマ大使」(1965年連載開始)の悪役ゴアはコウモリ型円盤に乗って
襲来した。





宇宙から地球侵略のためやってきた異星人の乗り物=空飛ぶ円盤という認識
が一般的だが、地球人の乗り物として描かれた作品もあった。

1966年〜1968年に日本でも放送されたアメリカのテレビドラマ「宇宙家族
ロビンソン(原題:Lost in Space)」では、初の宇宙移民であるロビンソン
一家が軌道を外れ、目的外の惑星に着陸したことで遭遇する事件がテーマ。
ロビンソン一家が乗っていた宇宙船ジュピター2号は円盤型であった。





1970年〜1971年に日本で放送されたイギリスのSFドラマ「謎の円盤UFO
(原題:UFO)」では、タイトルを「なぞのえんばん ユー・エフ・オー」
と読んでいる。
「UFO(ユー・エフ・オー)」という言葉を一般人が知るきっかけとなった。






<1960年代に「空飛ぶ円盤」を歌った曲>

NHK「みんなのうた」放送開始の1961年4月〜5月に放送された「誰も知らない」
(谷川俊太郎 作詞、中田喜直 作曲)では「空飛ぶ円盤」と歌われている


谷川俊太郎の詞はシュールでおもしろい。


  お星さまひとつ プッチンともいで こんがり焼いて急いで食べたら
  お腹こわした オコソットノ ホ 誰も知らないここだけのはなし
 
   父ちゃんの帽子 空飛ぶ円盤 三日月めがけ 空へ投げたら
   返ってこない エケセッテネ ヘ 誰も知らないここだけのはなし




↑下が1961年版、上が1965年版の絵。どちらもアニメーションは和田誠。(8)
クリックすると「誰も知らない」(1965年版)が視聴できます。



曲はラグタイム・ジャズ調でテンションコードが効果的に使われている。
イントロにA aug(オーギュメント)(6)を分解して弾いてる点がミソ。

ヴァース(主メロ)のブリッジはD→D dim(ディミニッシュ)(7)を繰り返す。
これまた不思議感を醸し出すのに役立っている。


楠トシエのユーモラスな歌い方も楽しい。
そして和田誠によるアニメーションが温かみがあっていい。

子供向けの番組で子供向けの歌なのに、こんなに質の高いものを作るとは!
テレビ創世記、1960年代のNHKは本当にいい仕事してます。
評判がよかったせいか、1965年にリメイクして再放送されている。




<1970年代前半、空飛ぶ円盤→ユー・エフ・オーと変化>



1974年、日本のプログレッシブ・ロック・バンドの最高峰であった四人囃子(9)
が「一触即発」というアルバムを発表。(和製プログレの名作と評価が高い)


翌年、「空飛ぶ円盤に弟が乗ったよ」がシングルカットされる。

ギターとボーカルの森園勝敏が作曲、末松康生が作詞の才気溢れる曲。
シュールすぎる歌詞とダイナミックな曲構成とサウンドが当時は衝撃的だった。


 星も出ていない夜に 弟と手をつないで 丘の上に立っていると
 音もなく静かに 銀色の円盤が空から 降りてきたのさ 

 空飛ぶ円盤に弟が乗ったよ 空飛ぶ円盤に弟が乗った
 いつか映画で見たように 後はすすきが揺れるだけ (歌詞より抜粋)





↑クリックすると四人囃子の「空飛ぶ円盤に弟が乗ったよ」が聴けます。
「空飛ぶ円盤」としっかり歌っている。




1975年、沢田研二がアルバム「いくつかの場面」を発表。(10)

       


A面の最後に「U.F.O.」という曲が収録されている。
作詞は及川恒平(「面影橋から」の作者)、作曲はミッキー吉野。


 見よ!あの空 U.F.O.の隊列 見よ!あの空 夢の反乱だ
 飛べ!おまえも U.F.O.の隊列 飛べ!おまえも 夢の革命だ
                      (歌詞より抜粋)


この歌詞もシュールだ。
最後のリフレインで転調を繰り返しどんどんキーが上がっていくアレンジも
不思議な高揚感があってU.F.O.の雰囲気にぴったりだ。



アルバム「いくつかの場面6曲目の「U.F.O.」が聴けます。(18'50"〜)


この曲で沢田研二はU.F.O.をちゃんと「ユー・エフ・オー」と歌っている
おそらくこの頃、U.F.O.という文字情報も浸透し、「ユー・エフ・オー」
と読むのが一般的だったのだろう。




<1970年代後半、ユーフォーという呼称があっという間に拡がる>


U.F.O.をユーフォーと呼ぶようになったのはピンクレディーのあの曲のせい。
その後、日清焼そばUFOが発売・・・
と思っていたが、調べてみたら順番が逆だった。


日清焼そばUFO発売は1976年5月でピンクレディ・デビュー前。
呼称は「にっしんやきそばユーホー」。ユーフォーじゃなくユーホーですよ。





発売当時、日清食品はカップ焼そばジャンルでは後発だった。
差別化を図るため、業界初の丸い皿型容器を採用。
形状を想起しやすい「UFO」というネーミングを付け、未確認飛行物体
(U.F.O.)を意識した広告を行い、若者を中心に広い層を捉えた。





前年から永井豪作原作のテレビ・アニメ「UFOロボ グレンダイザー」が放送
されていた。
このタイトルで既にUFOを「ユーフォー」と読ませている。

当時、報道番組では「ユー・エフ・オー」と発音しているが、ワイドショー
やバラエティー番組では「ユーフォー」と呼ぶこともあったらしい。
U.F.O.の神秘性は剥ぎ取られて通俗化していた






ピンクレディーの6枚目のシングル「UFO(ユーフォー)」が発売されたのは、
日清焼そばU.F.O.発売から1年半後、1977年12月である。

デビュー以来続く阿久悠/都倉俊一コンビの曲で、翌年には155万枚を達成。
ピンクレディーのシングルとしては最大のヒット作品となった。(11)



↑都倉俊一と阿久悠。


阿久悠の作詞家稼業においてピンクレディーは最大の功績となる。
彼が詞を書いたシングル盤の売上げベスト10中5曲がピンクレディーなのだ。

「UFO」155万枚、「サウスポー」146枚、「ウォンテッド」120万枚、「モ
ンスター」110万枚、「渚のシンドバッド」100万枚。
特に「UFO」は阿久悠が作詞した6000曲弱の作品中、最も売れた曲である。





阿久悠がU.F.O.を歌詞の題材にしようと思ったのは、1977年8月に横尾忠則ら
とイースター島を旅行した際「空をよぎる不思議なモノを見た」からだ。
ピンクレディーの「UFO(ユーフォー)」発売はその4ヶ月後である。


既に発売されていた日清焼そばUFOのCMソングが作られ、ピンクレディー
自身も出演していた。。。タイアップだったのだろう。
CM露出量も多かったはずだ。相乗効果があったことは間違いない。



↑日清焼きそばU.F.O.のピンクレディーが出演してるCM(1978年)。
CMソングは新たに作られているが「ユーフォー」の決めポーズは流用してる。
(見た記憶がまったくない)




「UFO」がヒットしてる最中、1978年2月に映画「未知との遭遇」が、6月に
スター・ウォーズ」が日本公開されたこと、さらにこの年、インベーダー
ゲームがブームになったことも追い風になったと思われる。

1978年のレコード大賞は山口百恵の「プレイバックPart2」を破り、ピンク
レディーの「UFO」が勝ち取った。(12)



↑1997年、阿久悠とピンクレディー。



1978年を境に日本人の大半は宇宙から飛来する乗り物を「ユーフォー」と呼ぶ
ようになり、「ユー・エフ・オー」は絶滅危惧種となる。
さらにU.F.O.のピリオドも省略され、UFOと表記されるようになった。
「空飛ぶ円盤」は使われなくなり、レトロな言葉と化した。




<1980年以降も日本ではユーフォーという呼び方が主流>

1979年に映画「エイリアン」、1982年に映画「E.T.」が公開。

1985年UFOキャッチャー(ユーフォー・キャッチャー)の初代機が発売される。
景品を鷲づかみにするクレーン部分が「空飛ぶ円盤」のようだったことから
命名されたらしい。



1991年、原由子がピンクレディーの「UFO」をリメイク。
オリジナルの歌詞を加えて「UFO〜僕らの銀河系〜」として発表した。

1996年に映画「インデペンデンス・デイ」が公開。
1997年に映画「メン・イン・ブラック」が公開。
2005年に映画「宇宙戦争」(主演:トム・クルーズ)が公開。


2002年、ミスター・チルドレンが「UFO(ユーフォー)」をリリース。

2013年、クレイジーケンバンドが「円盤 - Flying Saucer -」を発表。
歌詞はフライング・ソーサー、謎の円盤、黒い円盤と懐かしい言葉が並ぶ。



空飛ぶ円盤とか、謎の円盤とか。
僕はこっちの方がしっくり来るんだけどなあ。



↑2020年4月、米国防総省は海軍機パイロットが撮影したU.F.O.映像を公開。


<脚注>

(1)アダムスキーが撮影した空飛ぶ円盤

ランタンを細工した物らしい(笑)写真も加工してる可能性がある。


(2)アダムスキーが宇宙人と遭遇したという話

宇宙人と一緒に宇宙船で月や火星、金星を訪れた、月や金星、土星にまで
人が住んでいる、というアダムスキー証言は荒唐無稽。今では笑い話だ。
が、ニュースは世界中に拡がり20世紀の三大謎の一つと騒がれた。
(ちなみに他の二つは、ネス湖の恐竜〔ネッシー〕、ヒマラヤの雪男)


(3)軍事用語としてのU.F.O.
自然現象(流星、鳥の集団、蜃気楼による遠方のサーチライト、星、雲の誤認
)は「U.A.P.(Unidentified Aerial Phenomena 未確認空中現象)」という。

発見または回収されたU.F.O.の所有・運行者の確認が取れれば、U.F.O.ではな
く「I.F.O.(確認済飛行物体 Identified Aerial Phenomena)」となる。
(アダムスキーの遭遇が本当なら、所有・運転者の身元が金星人だと判って
いるわけで、その円盤はU.F.O.ではなくI.F.O.ということになる)



(4) U.F.O.の読み方
アメリカ空軍の公式用語として採用された当時は「ユーフォー」という読み方
も一部で行われていたらしい。


(5)宇宙、宇宙人への関心が高まる。
1961年4月にソ連の宇宙飛行士ユーリ・ガガーリンが史上初の有人宇宙飛行を
成功させ、同年アメリカ航空宇宙局(NASA)がアポロ計画(月への有人飛行
計画)を開始。人々の宇宙への関心が高まる。
1969年7月にはアポロ11号が人類初の月面着陸を成功させた。


(6)オーギュメント・コード
ルート音から長3度(半音4個)の間隔で音を重ねたコード。
コードがCの場合、1オクターブ(12音)内の構成音はドミソ#の3つになる。


続けて弾くとドミソ#ドミソ#と続き、不思議な浮遊感が出る。
(「鉄腕アトム」のイントロもオーギュメント)
ドミナント7コードの代理としても使われる。
この曲ではA7(♭13)と近い響きを持ち、キーであるDに帰結しやすい。


(7)ディミニッシュ・コード
ルート音から短3度(半音3個)の間隔で音を重ねたコード。
コードがCでは、1オクターブ(12音)内の構成音はド#レファ#ラの4つになる。


ドミナント7コードと近い性質を持つ。
この曲ではD dimがG7(♭9)on Dと同じ構成音である。


(8)「みんなのうた」のアニメーション
和田誠、久里洋二、藤城清治など優れたイラストレーターを起用していた。


(9)四人囃子
圧倒的な演奏力と音楽的センスを持ち、「ピンクフロイドの大曲"Echoes"
を完璧に演奏できるバンド」と評判だった。



学園祭で四人囃子の演奏を生で聴いたが、本当にピンクフロイドしてた。
森園勝敏のストラトキャスターはデイヴ・ギルモアそのものだった。
アンプはマーシャルとオレンジだったと記憶している。
ベースのフレーズもロジャー・ウォーターズっぽかった。
1976年にはアルバム「ゴールデン・ピクニックス」を発表。
「泳ぐなネッシー」がシングルカットされた。なんか同じ路線のような。


(10)沢田研二「いくつかの場面」
大ヒットした「時の過ぎゆくままに」が収録されている。
大野克夫、阿久悠、加瀬邦彦といった沢田研二作品の常連の他、松本隆、
大瀧詠一、河島英五、及川恒平、ミッキー吉野、西岡恭蔵が作曲または
作詞で参加しており、名曲が多い。ジャケットのアートワークも秀逸。




(11)ピンクレディー最大のヒット曲となる。
1978年に155万枚のセールスを記録。
「渚のシンドバッド」100万枚、「ウォンテッド (指名手配)」120万枚に続く
三度目のミリオンセラーを達成。
オリコン1978年度年間1位を記録し、日本レコード大賞・大賞、FNS歌謡祭・
最優秀ヒット賞を受賞した。
この後「サウスポー」146万枚、「モンスター」110万枚とヒットが続く。


(12)レコード大賞における山口百恵 vs.ピンクレディー
阿久悠/都倉俊一は阿木燿子/宇崎竜童を仮想敵と見做していた。
宇崎がダウンタウン・ブギウギ・バンドで「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」
を発表した時、阿久悠は自分がこういう詞を書くべきだったと悔しがった。


<参考資料:UFO事件簿、VICE UFOオカルト伝説の謎、東京中日スポーツ、
ミドルエッジ、ポップス・ロック作曲のうちやま作曲教室、Jポップの日本語、
NHK、WIRED、RollingStone、Wikipedia、1食100円生活、YouTube、他>

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