2025年12月24日水曜日

ビートルズの妹分として売れたシラ・ブラックとIt’s For You



このところ何度も脳内再生されるシラ・ブラックのIt’s For You。

彼女のファンというわけではない。
Aメロのソフトな歌声は好きだけど、Bメロの力んだ声は苦手かな。
(個人的感想です)


曲やアレンジ、サウンドに惹かれるのだ。1960年代を感じさせる
レノン=マッカートニー作品でジョージ・マーティンがアレンジとプロ
デュースを手がけているせいだろう。



シラ・ブラックとジョージ・マーティン



今回はIt’s For Youを中心に、シラ・ブラックについて。


It's for You (2003 Remaster)
↑曲の前に「僕とポールが書いた」とジョンがコメントしている。







シラ・ブラックという歌手は日本ではあまり馴染みがないかもしれない。

しかしイギリスではOBE(大英帝国勲章第4位)(1)を受賞するくらいで、
人気も実力もあった。
シングル11曲、アルバムも4枚をトップ10入りさせている。

彼女が売れたのは、ビートルズ一派のバックアップのおかげでもある。




<シラ・ブラックとビートルズ>

シラはリヴァプールのキャヴァーン・クラブでクローク係をしていた。
笑い上戸で陽気な性格だった彼女は、キャヴァーンに出演していたデビュー
前のビートルズと親しくなる




歌手志望だったシラは飛び入りでステージに上がり、ビートルズや他の出演
者と一緒に歌うこともあったという。
ロリー・ストーム&ザ・ハリケーンズ(ビートルズ加入前のリンゴが在籍)
の演奏でリンゴとBoysをデュエットしたという記録もある。




シラはビートルズのマネージャー、ブライアン・エプスタインの目に留まる
(たぶんジョンとポールが紹介したのだろう)



シラ・ブラックとブライアン・エプスタイン




↑左からパティ・ボイド、ジョージ・ハリソン、シラ、エプスタイン


エプスタインはシラをジョージ・マーティンに売り込み、ビートルズと同じ
パーロフォン・レコードと契約。レコード・デビューが決まる。
プロデューサーはマーティンが担当することになった。



↑ジョージ・マーティンとシラ


マーティンは著書「耳こそはすべて」で「シラはひどい声だったのでダブル
トラッキングが必要だった」と書いている。ひどい声?(笑)
(2015年にシラが他界した際は「彼女は驚くべき才能を持っていた」とコメ
ントしている。評価が変わった?)



(写真:gettyimages)



1963年レノン=マッカートニー作Love of the Lovedでシラはデビュー。
(全英35位を記録)

共作名義(2)であるが、実質ポールがデビュー前に書いた作品だ。
不合格となったデッカのオーディション(3)で演奏した1曲でもある。
(ジョンとポールはビートルズとして発表するほど完成度が高くないと判断
した曲は他の歌手やグループに提供していた)

まあ、ポールにしてはイマイチだと思う。
デッカの苦い思い出もあってビートルズとしては捨て曲扱いなのかも(笑



↑Love of the Lovedシングル
(英国ではシングルはジャケットなしで販売されることも多かった)




1963年末から1964年初頭にかけてロンドンで開催されたビートルズ・
クリスマス・ショーにシラはゲストとして出演。

ビートルズ(主にポール)による全面的にバックアップは売りになる。
マスコミにも音楽業界にも、ビートルズのファンに対しても。





シラ・ブラック=ビートルズの妹分という文脈で語られるようになった。

エプスタインのマネジメントでレノン=マッカートニー作品を提供され
ていたEMIの他のグループからも可愛がられる。
ひいてはマージービートの妹分的な存在でもあった。



↑ビリー・j・クレイマー&ザ・ダコタス、ジェリー&ザ・ペイスメイカ
ーズと(1964年EMIスタジオ前)



マージービートの売れっ子たちが勢揃い。中央がビートルズとシラ。




<全英チャートにヒット曲を連発する歌手に>

2曲目のAnyone Who Had a Heartで初の全英1位を獲得。
ヒットメイカー、バート・バカラック=ハル・デイヴィッドがディオンヌ・
ワーウィックのために書いた曲である。
流麗で緩急の変化がいかにもバカラックらしい。



↑バート・バカラック(左)ハル・デヴィッド(右)(写真:gettyimages)


※シラは1966年にもバカラック=デイヴィッド作品、Alfie(同名映画
の主題歌)をヒットさせた。
ディオンヌ・ワーウィックのヴァージョンもヒットしている。



↑ディオンヌ・ワーウィックと


↓アビイロード・スタジオでAlfieをレコーディング中のシラ・ブラック。
ピアノを弾きながら指揮をしてるのがバート・バカラック。
コントロールルームにジョージ・マーティンがいるのも確認できる。




↑Alfieのレコーディング
ピアノを弾いてるのがバカラック、右はジョージ・マーティン
 


3枚目のシングルYou're My Worldも全英1位(4)に輝き、シラ・ブラ
ックはデビューから半年でヒットシンガーとしての地位を確立する。






<レノン=マッカートニーの隠れた名曲、It's for You>

4曲目は再びレノン=マッカートニー作品。
ポールはヒットしたAnyone Who Had a Heartをモデルにジャズの
スイング感たっぷりのワルツ、It's for Youを書きシラに提供した。
全英7位を記録するヒットとなる。



       ↑It's for You シングル



シラは「It's for YouはAnyone〜とは別物」と解釈してるという。
ポールによると「映画ウエストサイド・ストーリー挿入歌、A Boy Like 
Thatからヒントを得た」そうだ。
ポールは「レノン=マッカートニーの最高作の一つ」と自信を見せる。





物憂げな美しいメロディはポール節だが、ジョンっぽい切なさも感じる。
クレジットだけでなく、ジョンも手伝ったのではないだろうか。

1965年に放送されたTV特番The Music Of Lennon and McCartney
では、ポールが「素晴らしい、才能ある・・・あと何だっけ?」とボケを
かまし、ジョンは「素敵な娘、おバカさんで」と嬉しそうにシラを紹介。
笑い上戸のシラとビートルズとの仲の良さを垣間見ることができる。



↑TV特番The Music Of Lennon and McCartneyより。



Cilla Black - It's For You (Live)




<It's for Youの曲構成、コード進行、アレンジ>

マイナー調の分数コード(5)で下降し、一時転調で変化を加えている。

ポールのデモ(6)(キー=Am)、シラのヴァージョン(キー=Cm)から
コードを拾ってみた。


(Verse) Aメロ
Am  Am/G D/F# Dm/F
I'd say      some day
C                  F         B♭6    E♭             Dm7  G7/D
I'm bound to give my heart away When I do
           Am  
It's for you  (repeat)

(Bridge) Bメロ
E                    Am             
They said that love was a lie Told me that I
Am7                      D
Never should try to find
Dm7                       Am     Bm7(-5)      E7
Somebody who'd be kind   Kind to only me   (repeat)






サビでは音数が増え、急かされるようなメロディで駆け上がる。
ブレイクしてまたAメロ(ヴァース)へ。繋ぎ方が巧い
間奏でスピードアップし、シンコペーションを多用するのもカッコいい。
テンション・コード(7)も効いてる。

ざっくりしたアレンジはポールが考え、オーケストレーションはジョージ
・マーティンが担当しスコアを書いたのだろう。
ジョージ・マーティンのオーケストラが演奏している。





1964年7月の録音、つまりYesterdayの1年前に既にビートルズというバ
ンドと別に、オーケストラを採用した楽曲制作を行なっていたわけだ。
ポピュラー音楽の作曲家を目指していたポールにとっては節目となる作品
で、実験的な試みとなった。



映画「Family Way(1966年12月公開 邦題:ふたりだけの窓)の音楽
担当への布石とも言える。


Love In The Open Air'The Family Way'P. McCartney 1966
↑哀愁のあるメロディはIt's For Youに通じるものがある。




↑Family Wayのサウンドトラック



↑地味だけど味わい深い、何度でも見たくなる英国映画だ。



↑Sgt.Peppers制作開始前の1966年11-12月に作曲〜録音された。




次回はポールがシラに提供した3作目、Step Inside Loveについて。



<脚注>


(1)OBE(大英帝国勲章第4位)
シラは1997年に大英帝国勲章第4位のOBE(オフィサー)を受賞。
1965年にビートルズが受賞したMBE(メンバー)は第5位だった。


(2)共作名義
ビートルズ時代にジョン・レノンとポール・マッカートニーが作詞・作曲
した楽曲に用いられるパートナーシップのクレジット名。
二人は10代で作曲を始めた頃、アメリカのソングライティング・チームに
憧れていた。
バート・バカラック&ハル・デイヴィッド、ジェリー・リーバー&マイク・
ストーラー、バリー・マン&シンシア・ワイル、キャロル・キング&ジェ
リー・ゴフィンなど。
ビートルズの楽曲の大部分(約213曲中144曲)を占め、2人の異なる作風
が融合した名曲を多く生み出した。
ジョンによると、ポールが“明るさ”や“楽天性”を提供し、ジョンが
“悲しみ”や“不和”“ブルーな感じ“を提供していたという。
共作ではなくそれぞれ単独で作曲した曲にもこの名義が使われている。


(3)不採用となったデッカのオーディション
1962年1月1日、ビートルズがデッカのオーディションを受ける。
キャヴァーン出演後、ジョン、ポール、ジョージ、ピートの4人は、ロー
ディーのニール・アスピノールが運転するヴァンでロンドン北部へ向う。
だが吹雪のための交通渋滞などで到着が遅れ、スタジオに着いたのは
開始時間(11時)ぎりぎりだった。


寝不足と寒さによる体調不良で、彼らの演奏は最高とは言えなかった。
ジョンとポールの声も上擦っている。
エプスタインが「幅広い音楽性を持つバンド」とアピールすべく選んだ
15曲は、R&Rバンドとしての荒々しい魅力を損なってしまった。
(15曲仲Love Of The Lovedを含む3曲がレノン=マッカートニー作)


地元のトレモローズが選ばれ、ビートルズは不合格という結果だった。
エプスタインに「ギター・グループは消えゆく運命」と告げられた。
デッカのA&Rディック・ロウは「ビートルズを逃した男」という悪名を
背負うこととなった。


(4)You're My Worldも全英1位
全米チャートでも26位にランクインする。
ジョン・レノンによれば、1965年にビートルズがエルヴィス邸を訪問
した際、セッションで最初に演奏したのはシラ・ブラックのYou're 
My Worldだったという。


(5)分数コード 
コード名/ベース音名(例: C/G、Am/E)で分数のように表記されたコード。
分子がコード(和音)で、分母がベース音(和音の構成音や非構成音)。
通常はコードの最低音(ルート)がベース音だが、別の音に変更されている。
コードの響きを変えずにベース音を変化させることで、なめらかなコード進
行や独特のサウンドを生み出すためのテクニックでジャズでよく使われる。
オンコード(On-chord) と呼ばれ、C on G と表記されることもある。 



(6)ポールのデモ
2016年、ポールが1964年にシラに渡したデモ音源(アセテート盤)が発
見され、オークションに出品された。
公開された20秒の音源ではポールがピアノを弾きながら歌うのが聴ける。





It's For You [Paul McCartney piano demo]


(7)テンション・コード
基本的なコード(3和音や4和音)に9度、11度、13度などのテンション
ノート(拡張音)を加えた、響きに深みや色彩感、独特の緊張感を与える
コードのこと。
テンションノートは数字(例:C9, CM7(11))で表記される。
ジャズ、ボサノヴァ、ポップスで幅広く使われ楽曲に豊かな彩りをもたらす。 


<参考資料> amass、サードペディア百科事典、YouTube、Wikipedia、
ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログ、フロム・ビーのブログ、
まいにちポップス(My Niche Pops)、TAP the POP、Sound Quest、
甲虫楽団ブログ、大人の♪ミュージックカレンダー、gettyimages、他>

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