1966年のビートルズ来日から60年。未公開写真が見つかったという。
海外でも1963年に録音されたビートルズの未発表デモ音源やライヴ音源(1)が発掘さ
れている。
行方不明だったポールのベース(ハンブルクで最初に購入したヘフナー社の500/1、
ビートルズ最初期のサウンドを創った)が発見され、ポールの手元に戻った。
出尽くした感のあるビートルズ・ネタだが、まだまだ期待できそう?だ。
<ビートルズ来日時の未公開写真が見つかった>
日本武道館の事務所内から、1966年のビートルズ来日公演時に撮影された未公開写真の
ネガフィルム102枚(モノクロ)が発見された。
フィルムに「読売新聞 資料室」などと書かれた紙が巻かれていたという。
★未公開写真(撮影者不明)
メンバーの服装などから(日付の特定ができない2枚を除き)100枚の写真は公演2日目
の7月1日の午後に撮影されたものと推定(2)(ビートルズ研究家の大村亨さんが鑑定)
武道館のステージでの演奏、楽屋で準備してる様子、宿泊先の東京ヒルトンホテルなど
が写っているという。その一部が公開された。
↑故・内田裕也氏、尾藤イサオ氏の証言どおり、ステージ前の「特等席」(プレス席)
で見ていたことも写真で確認できる。
(セキュリティのため前座は出番が終わったら楽屋に戻らなければならないことになっ
ていたが、二人はプレス関係者のふりをして5回の公演中4回そこで見たという)
内田裕也氏は「すごい音を出していた」と言っていた。
尾藤イサオ氏は「ビートルズはR&Rの不良的なカッコよさがないと軽視していたけど、
4人がそろった瞬間には『本物だ!』って圧倒され感動した。こんな音楽が実際に
あったんだ、すごいと思った」
「日本公演がチャック・ベリーの『ロックン・ロール・ミュージック』からスタート
したのが嬉しかった。一生忘れない」と語っている。
<Sgt.Peppersの福助人形は来日中にジョンが買ったもの>
公開された写真の中に、ジョンが福助人形を笑顔で眺めている写真があった。
ビートルズ・ファンならすぐピンと来るだろう。
この福助人形は1年後に発表された「Sgt.Peppers Lonely Hearts Club Band」
のジャケット写真に使われたものと思われる。
では、深掘りします。(ビートルズ・ファン以外にはどーでもいい話)
<福助人形はいつ、どこで買ったのか?>
ジョンがホテルを抜け出し(3)骨董品を買いに行ったのは7月1日午前。
原宿のオリエンタル・バザーに行ったいうのが通説だったが、六本木の朝日美術で
あった可能性が高い。
朝日美術の店員がその日の午後、ジョンが買った商品をホテルに届けている。
福助人形とジョンの写真が7月1日の午後撮影ということであれば合致する。
↑当時の朝日美術 (麻布材木町、現在の六本木ヒルズ付近)
↑当時のオリエンタル・バザー (神宮前、現在も同じ場所で営業)
(写真:ビートルズ完全日本盤レコード・ガイド ビートルズが日本で買った骨董品)
この包の大きさから推定すると、福助人形は午後届けてもらったと思える。
7月2日午後、オリエンタル・バザーと北川象牙店(青山南町)もホテルまで販売に来て
(プロモーターであった協同企画の故・永島逹司氏がアレンジしたらしい)、4人は骨董
品や美術品や着物を買ったという。
この時に福助人形を購入したのであれば、7月1日午後撮影には間に合わない。
ポールの着物姿はこの年の12月発売のコンピレーション・アルバム、A Collection
of Beatles Oldies (But Goldies)のジャケット裏写真でも確認できる。
<撮影者は誰?という謎>
1)武道館のステージ周り、楽屋、ホテルの室内と一部の関係者しか入れなかった場所
で、メンバーたちを至近距離で撮影している。
2)撮影されている4人が構えていない。おそらく彼らと気が置けない間柄と思われる。
それらを考慮すると、同行していた専属カメラマンのロバート・ウィテカー、あるいは
広報担当のトニー・バーロウが撮影者として有力ではないか。(4)
羽田にビートルズが到着した時の写真(5)を確認してみよう。
↑羽田にビートルズが到着した時の写真。ビートルズの上に5人いる(パイロットを除く)
口に手を当てているのがマネージャーのブライアン・エプスタイン。
すぐ右のネクタイをしてない男性がロバート・ウィテカー。カメラを手にしている。
エプスタインとウィテカーの後のスーツ姿の人はプロモーターの協同企画の代表、故・
永島達司氏である。
エプスタインの左の男性2人もカメラを構えている。
手前の人はビートルズの広報担当のトニー・バーロウ。
一番左の日本人はカフスボタンのシャツを着ている。カメラマンとは思えない。
手にしてるのはコンパクトカメラのようだし。この人は除外していいだろう。
↑別な写真ではウィテカーがエプスタインの左で撮影している。
トニー・バーロウが左手で掲げているのはフラッシュ?右手のカメラも不思議な形状だ。
ロバート・ウィテカーはブライアン・エプスタインに才能を認められ、1964年から1966
年にかけてビートルズの公式カメラマン(専属写真家)を務めた。
ツアーの舞台裏、レコーディングスタジオ、プライベートなど、4人の自然で飾らない姿
を写真に遺し、ビートルズのアイコン的イメージ作りに深く関わっている。
ロバート・ウィテカーは来日中のビートルズも撮影している。
(撮影:ロバート・ウィテカー)
ということは、プレス席で見ている故・内田裕也氏、尾藤イサオ氏が写ってる未公開写真
もロバート・ウィテカーが撮影したのでは・・・?
↑武道館のステージに上がるビートルズを後方から捉えた有名な写真。
天井に吊るされた大きな日の丸との対比が見事だ。(撮影:ロバート・ウィテカー)
あれ?ジョージは司会のE.H.エリックと何か言葉を交わしてますね。
ステージ前で見ていた尾藤イサオ氏も「ジョージが手を振ってくれた」と証言してるし。
愛想のいい人だったのかな。
(撮影:ロバート・ウィテカー)
トニー・バーロウはデッカ(7)でライナーノーツを書いていたが、エプスタインに引き抜
かれビートルズの広報担当となった。
記録としての写真は撮れるが、プロのカメラマンのような力量はないのではないか。
日本武道館、ヒルトンホテル(ビートルズが宿泊した部屋と同じフロアに読売新聞社の控
え室があった)に出入りできたことを考慮すると、読売新聞関係者の可能性もあり得る。(8)
しかし前述のように、被写体の4人はリラックスしていて他所行き顔をしていない。
ということは、近しい間柄で頻繁に撮影してる人物。
つまりロバート・ウィテカーかトニー・バーロウ。
どの写真も撮影のタイミング、4人の表情や動きの捉え方、構図、光の使い方などが巧み
であることを鑑みると、センスのいいプロのカメラマンではないだろう。
つまりロバート・ウィテカーが有力だと僕は思う。
★未公開写真(撮影者不明)↑警備に誘導され武道館の階段を上がるビートルズ。(2)
★未公開写真(撮影者不明)↑楽屋の姿見で衣装チェックをするリンゴ。(2)
横にいるのはロード・マネージャーのマル・エヴァンズ。
ロバート・ウィテカーが撮りそうなカットだと思いませんか?
ビートルズ来日時の公認カメラマンとして約100時間の滞在に密着した浅井慎平氏は、
「撮影現場ではロバート・ウィテカーと一緒になり、『今、露出いくつだ?』と訊いて
くることもあった」と語っている(当時はオートのカメラはなかった)
未公開写真についても「楽屋で撮影された暗めの写真は、ロバート・ウィテカーが慣れ
ない環境でうまく露出を合わせられずに撮影した可能性もある。バンド専属カメラマン
のネガフィルムがなぜ日本にあるのかという疑問は残るが」と浅井氏は言う。
60年目の未公開写真、撮影者は誰?問題・・・謎は残る。
<脚注>
(1)ビートルズの未発表デモ音源やライヴ音源
Love Of The Loved: 1963年にポールが単独で録音したデモ音源
(デッカのオーディションでも演奏。
後にシラ・ブラックに提供されるが、ビートルズとしての公式録音はない。
Misery: 1963年1月27日 キャバーン・クラブでの録音。
ヘレン・シャピロへのデモ音源として演奏された。
シャピロはMisery(惨め)というタイトルを好まず却下された。
ビートルズは2月11日に同曲をレコーディング。
デビューアルバム「Please PleaseMe」に収録された。
What Goes On:1963年 ジョンとポールによるデモ
2年後にリンゴが歌いRubber Soulに収録されるが、このデモ・ヴァージョンは
ヴァースの歌詞・メロディがRubber Soulヴァージョンとは違う。
Don't Bother Me:1963年8月 英国ボーンマスのパレスホテルでのデモ
ジョージ初の作曲で苦労して探っている様子が窺える。
Live In Bournemouth - August 21st 1963
英国ボーンマスでのライヴ音源。オーディエンス録音だが貴重である。
(セットリスト)
Roll Over Beethoven、Thank You Girl、Chains
From Me To You、Taste Of Honey、I Saw Her Standing There
Baby, It's You、Boys、She Loves You、Twist And Shout
BBCでは演奏されているが、ライヴ音源としては珍しい曲が多い。
Chainsを演奏しているのには驚いた。
(2)服装などから公演2日目の7月1日の午後に撮影されたものと推定
主に5回のステージ衣装(スーツ、シャツ)から推定したのではないか。
(大村亨さんはホテルの部屋での服装も研究されていると思うが)
<5回のステージ衣装>
1回目 6月30日 夜の部
スーツ上下: 濃いモスグリーン(ラペルの下半分のみ明るい色)
シャツ: 赤
靴: 黒
2回目 7月1日 昼の部
ジャケット: ライトグレーにオレンジのストライプ
パンツ: 黒
シャツ: 赤
靴: 黒
3回目 7月1日 夜の部
スーツ上下: : ライトグレーにオレンジのストライプ
シャツ: 赤
靴: 明るいベージュ(ジョージだけ黒)
4回目 7月2日 昼の部
ジャケット: ライトグレーにオレンジのストライプ
パンツ: 黒
シャツ: 淡い花柄
靴: 黒
5回目 7月2日 夜の部
ジャケット: ライトグレーにオレンジのストライプ
パンツ: 黒
シャツ: 淡い花柄
靴: 黒
※このステージのみジョンはサングラスを着用
1回目(6月30日)に着用した濃いモスグリーンのスーツは6月24日〜26日の
ドイツ公演のために用意されたものである。
極東ツアー(日本〜フィリピン)ではライトグレーにオレンジのストライプ
の上下を着用することになっていた。
ところがライトグレーのスーツは日本公演の初日に間に合わず、1回目はドイ
ツ公演で着用した濃いモスグリーンのスーツを着用。
翌7月1日午前中に航空便でライトグレーのジャケットのみ先に届いた。
昼の部(2回目)はこのジャケットに黒いパンツ、赤いシャツを合わせる。
午後に遅れてライトグレーのパンツが到着。
夜の部(3回目)は上下で着用。
7月2日は昼の部(4回目)夜の部(5回目)共にまたライトグレーのジャケッ
ト+黒のパンツを着用。
ビートルズ来日から50年(衣装で分かる事実)
(3)ジョンがホテルを抜け出す
警備上の理由から滞在中のビートルズはヒルトンホテルから外出することを禁じられ
ていたが、7月1日午前にジョンはカメラマンのロバート・ウィテカーのふりをして、
ロード・マネージャーのニール・アスピノールと一緒に抜け出した。
この脱出劇は協同企画の永島逹司氏がお膳立てしたのではないか、とも言われる。
ジョンは脱出の際、羽田からホテルまで乗ったピンクのキャデラックで移動したとも
言われていたが、ピンクのキャデラックは初日しか使用していないと判明している。
(4)ロバート・ウィテカー、トニー・バーロウ
ロバート・ウィテカー氏は2011年、トニー・バーロウ氏も2016年に他界している。
(5)ビートルズ羽田到着時の写真
タラップの上から羽田到着の様子を撮った写真は見たことないかも?
つまり法被を着たビートルズの後ろ姿と報道陣。
(6)「Yesterday and Today」のジャケット写真(ブッチャー・カバー)
アメリカのキャピトル・レコードから1966年6月に発売された米国編集アルバム。
「Help」「Rubber Soul」「Revolver」収録曲で構成された11曲。
アートワークは、白衣を着たビートルズの4人がバラバラになった赤ん坊の人形と
肉片を持って笑っている写真だった。
ロバート・ウィテカーの「ポップ・スターのアルバム・ジャケットの常識を破りたい」
という意発案によるものである。
ジョンとポールはこのブラック・ユーモアを支持していたが、ジョージは悪趣味に
閉口し、リンゴも乗り気ではなかったという。
しかし発売前にキャピトルのセールスやレコード販売店から「グロテスクなジャケッ
トは売りたくない」という苦情が殺到。
キャピトルはアルバムの回収を全米の販売店に通知。
ジャケット・デザインは当初予定のトランクと4人が写っている写真に変更された。
回収が間に合わず、ごく少数出回ったブッチャー・カバーは高価なコレクターズ・
アイテムとなっている。
(7)デッカ
デッカ・レコード。EMIと並ぶイギリスの2大レコード会社の1つ。
1962年にオーディションで「ギター・グループはもう廃れる」という理由で、ビート
ルズを不採用とする失態を犯す。
このとき採用したザ・トレメローズは全英チャートに到達する程の成功を収めたが。
結果的にEMIに採用されたこと、ジョージ・マーティンとの出会い、リンゴ・スター
の加入など、後の大成功に不可欠な要素を得る結果となった。
デッカはローリング・ストーンズを獲得し、デビューさせている。
(8)ヒルトンホテルで撮影
浅井慎平氏、音楽評論家の湯川れい子氏も自分の写真ではないと証言している。
またミュージックライフの星加ルミ子編集長に同行したカメラマン長谷部宏氏も7月
1日はビートルズの部屋には入っていない。
<参考資料:読売新聞オンライン、ザ・ビートルズ完全日本盤レコード・ガイド
ビートルズ大学 学報 宮永正隆の「ビートルズ大学」公式ブログ、Rittor Music、
ビートルズ来日学 1966年 来日時の4人に接した日本人関係者の証言 宮永正隆、
産経新聞、つれづれなるままにWINGSFAN、ビートルズ・・・いつも心にビートルズ、
J-WAVE MIDDAY LOUNGE(市川紗椰)浅井慎平ビートルズ来日撮影の舞台裏を語る
金沢大学オープンアカデミー ビートルズ大学、レコード・コレクターズ、YouTube、
NEWSポストセブン 前座をつとめた尾藤イサオが振り返る舞台裏、Wikipedia、
関西外大 国際日本学科 意外と深い?ビートルズと日本のつながりについて、FLASH、
デイリー新潮 週刊新潮が報じた60年前のビートルズ来日騒動記、時事通信、他>
0 件のコメント:
コメントを投稿