2016年10月25日火曜日

三億円事件犯人考 「悪魔のようなあいつ」関連資料

<三億円事件の概要>

1968年12月10日、東京都府中市で現金輸送車に積まれた東芝従業員のボーナス
約3億円が偽の白バイ隊員に奪われた。

2016年の消費者物価指数は1968年の約3.5倍。(出典:日本銀行)
今の金額に換算すると10.5億円くらいに相当するだろうか。


1968年の大卒初任給が25,302円、国鉄初乗り運賃が30円、喫茶店のコーヒー代
が80円(出典:昭和の物価)という点を考えると5倍〜7倍に相当しそうだ。
とにかく当時は庶民の生活から想像もできなような額であった。

一方1965年には原宿に最高で1億円を超える、いわゆる億ション第1号のコープ
オリンピアが分譲されており、富裕層には3億円は現実的だったかもしれない。






捜査に当たった警察官は延べ17万人、捜査費用は7年間で9億円以上と警察の威
信をかけた空前の大捜査であったが、1975年12月10日時効が成立し(民事は
1988年)歴史的な未解決事件となった。

捜査線上に上がった容疑者リストは11万人と言われる。
しかし真犯人にはたどり着くことができなかった。




見つかるわけがない。彼は死んでいたのだから。




<早い段階でマークされていた少年S>

事件の5日後、一人の少年が国分寺市の自宅で死んだ。
青酸カリを飲んで自殺したとされているが死因には不審な点がある。


警視庁は事件直後、当時19歳だった少年Sを容疑者としてマークしていた。

Sは多摩地区で窃盗や暴行を繰り返す「立川グループ」という50〜60人の不良
少年の集団(1)のリーダー格であった。
運転技術に長けメカにも精通。車やバイク窃盗の常習者であった。




三億円事件の犯行に使われた車やバイクはすべて盗難車である。
いずれも三角窓を壊してエンジンとスターターを直結する手口だったが、それ
は立川グループの常套手段だった。

発炎筒をダイナマイトと見せかけた強盗も立川グループの手口だ。
三億円事件の半年前、立川のスーパーいなげやがこの方法で襲撃された。(2)








Sの父親は府中管内の第八方面交通機動隊に勤務(3)していた。
警官の制服も白バイもSは見慣れていたと思われる。

白バイは青いバイクを塗装したものだった。
警官の制服は本物か偽物か?入手経路も不明のままだった。

捜査本部は映画関係者を疑い、犯行現場から近い調布の日活撮影所と大映撮影
所、砧の東宝撮影所の美術、衣装、スタントマンの取り調べを行った。


★「悪魔のようなあいつ」では犯人の可門良(沢田研二)が映画のエキストラ
で警官の制服を手に入れたことになっているが、これは長谷川和彦が取り調べ
を受けた現場スタッフから得た情報を脚本に盛り込んだものだ。



現金輸送車に乗っていた4人は「白バイが右から追い越し前に出て、警官が半
身で振り向いて左手で制止するよう合図した」と証言している。
これはかなり運転技術がないとできないことだが、同時に犯人が白バイ警官の
動作をよく知っていたことも伺える。

また犯人が現金輸送車を乗り捨てた国分寺史跡は警邏パトカーの休憩所である
が、犯行直後の9時半頃は誰も来ないことまで犯人は把握していたと思われる。





Sの自宅は国分寺市恋ケ窪。

三億円が入っていたジュラルミンケースが発見された時に付着していた土が、
恋ケ窪の土質と同じであったことが後に判明した。
偽装白バイのメガホンには紙片が付着していたが、それは塗装時に使用した産
経新聞で三多摩地区で配布されたものだった。

Sが中退した明星学苑高校は府中刑務所のすぐ隣。
つまりSは土地勘があり犯行現場付近を知り尽くしていたわけだ。


Sは母校の明星学苑の教職員給与を運ぶ三菱銀行の現金輸送車を襲う計画を立
てその後、標的は立川バス職員の給与に変更された。

事件三か月前Sは仲間に「でかいことをやりたい」「東芝か日立の現金輸送車
を襲えば金になる」と話している。
東芝の総務のコピー係は少年たちの仲間でSはそこから情報を得ていた。







<少年Sの不可解な死>

Sは三億円事件の3か月前に青梅のボーリング場での恐喝事件(国立市内の飲食
店での暴行事件という記載もある)で逮捕され、練馬鑑別所から荒川の保護施
設に移送中に脱走。
行方不明となっていたが、実は国分寺市恋ケ窪の自宅に戻っていた。

三億円事件の2日後から捜査員がS自宅の裏で張り込んでいた。
事件の5日後、立川署の刑事二人が恐喝容疑の逮捕状を持ってS宅を訪問。
母親はSは家にはいないと答え、刑事たちは出頭を促し帰った。
二階から音楽が聴こえた。Sは自室でこのやりとりを聞いていたはずだ。


刑事たちが帰った後、母親が激しくSを叱責。
帰宅後の父親がSと怒鳴り合うのを張り込みの捜査員たちは聞いた。
捜査員たちはその日は一旦引き上げることにした。(4)

しかし夜11時過ぎに119番通報があり、10分後に北多摩中央消防署(現在の国
分寺消防署)の救急車が駆け付け、危篤状態のSを桜堤診療所に搬送。
母親は半狂乱で泣いていたが父親は押し黙ったままで異様な雰囲気だった、
と救急隊員が証言している。
桜堤診療所で「急性青酸カリ中毒」によるSの死亡を確認した。





死因の青酸カリはイタチを退治するため知人からもらい、父親が天井裏に隠
しておいたものだった。
包装紙から父親の指紋が検出されたが自殺したS本人の分はなかった。
Sの部屋にあった2個のコップの1つから青酸反応があった。


不審点が多いものの、警察は自殺と断定。本当にそうだろうか?
札付きのワルが親に諭されたくらいで反省して毒をあおったりするだろうか?
仮にそうだとしても自殺幇助になるのではないか?

Sの仲間たちは「あいつは自殺するようなタマじゃないよ」と語っている。



Sは妹に宛てて遺書とも取れる手紙を残していた。
「死ぬというのは美しい。この世は醜悪だ。父も母も世間体ばかりを考え、
虚栄心だけで生きている」という文面で、「おまえは強く生きてください」
と書いてあった。


★「死ぬのは美しい」というのは「悪魔のようなあいつ」の漫画を手がけた
上村一夫の世界観に通じるような気がする。
ドラマでも同じだが犯人の可門良(沢田研二)は末期の脳腫瘍に侵され、
常に死を意識していた。




<モンタージュ写真の真相>

犯人の顔を見た日本信託銀行員4人が監察医に変装しSの通夜に行き、家族
に悟られないようSの遺体の面通しを行い「酷似している」と証言した。


あまりにも有名なモンタージュ写真。実はモンタージュではない。
Sに非常によく似た実在の人物の写真に手を加えたものだった。
その人物とはブロック工事請負の現場で仕事中に事故死したI氏だった。
I氏は微罪で逮捕拘留されたことがあり、その時の写真が流用されたのだ。

目撃証言からSの線が有力であったが未成年のS本人の写真を使えない。
一からモンタージュ写真を作る時間もなく、Sに酷似した人物の写真を拝借
したのだった。
モンタージュ写真は事件発生の11日後、12月21日に公表された。






<犯行時間の少年Sの謎〜共犯者の可能性>

父親は「あれは事件と関係ない」と断言した。
母親は三億円事件の犯行時間にSは「自宅でテレビを見ていた」と証言した。

一方、新宿のスナック白十字の店主でゲイのKは「Sは事件日2〜3日前から事
件前日に自分の新宿のマンションで一緒に夜を過ごした」と証言。(5)
母親の「自宅でテレビを見ていた」という証言と食い違う。



立川グループの仲間は12月3日~6日までSが一緒に遊んでたと語っている。
しかし事件が起こった12月10日と前日の9日だけSの足取りはつかめていない。

事件翌日の11日、Sは福生のバー「あんず」で豚足を食べながら「親に金を出
してもらってスナックをやる、母親名義で。20歳まで逃げるだけ逃げてその後
自首して刑事処分を受けて執行猶予で出る」と仲間に話した。
この自首というのは三億円事件のことではなく、それまでの犯行に対してだと
思うが、Sなりに大仕事の後のことを考えていたのではないか。



Sのアリバイを証言した新宿のゲイKは、事件1年後に店を閉め麻布と新宿の
高級マンションを購入し、事件7年後には福島の実家に豪邸を建てた。
その後はハワイ・オアフ島のワイキキにコンドミニアムを購入し移住していた
ことが確認されているが、現在は消息が分からない。

Sが実行犯でKが共犯だったのではないか?と捜査本部では疑っていた。



★「悪魔のようなあいつ」では犯人の可門良(沢田研二)とクラブを経営す
るゲイの野々村(藤竜也)の関係が描かれている。
犯人とゲイとの関係はたまたまの偶然だろうか?
それとも長谷川和彦が入手した捜査情報(SとKの関係)だったのか?


また福生のバー「あんず」のマスターFは立川グループの兄貴分だったが、事
件後に金回りが良くなりマニラに移住した。
当時主任警部であった鈴木公一はSとFが犯人だったと見ている。






<少年Sをシロと断定した捜査本部の迷走>

捜査開始半年後、最後の切り札として「吉展ちゃん誘拐事件」など数々の難事
件を解決した昭和の名刑事、平塚八兵衛が捜査本部に投入され指揮をとる。
八兵衛はまず少年Sをもう一度洗い直すことから始めたが、その結果「Sはシロ
」と断定し、結果的に捜査範囲を狭くしてしまった。


八兵衛がSをシロとした根拠は単独犯説にこだわったからである。
・多摩農協脅迫事件の脅迫状の投函日8月25日にSは練馬の鑑別所にいた。
・脅迫状の筆跡もSの物とは異なる。
・Sの血液型はA型。脅迫状の切手から採取した唾液のB型で異なっていた。


しかしもしKが共犯であれば、Sが鑑別所にいる間に脅迫書を出すことができる。
30代の男に関する目撃証言や電話の声の証言、盗難車に残されていた女性物の
イヤリングにもつながる。



八兵衛は「1人でやったからこそ周到に用意ができた。複数犯なら必ずボロが
出てくる」と単独犯説にこだわり、「これだけの大仕事を十代の若者にできる
わけがない」とS犯行説を一蹴し捜査線状から外した。

自殺に不審な点が多く犯行時間のアリバイ証言も食い違うのに。
父親の言葉を鵜呑みし、Kについても突っ込んだ取り調べはしなかった。
捜査の鬼と異名をとる八兵衛も身内には甘かったのか。


★「悪魔のようなあいつ」では白戸刑事(若山富三郎)が「犯人と脅迫状を書
いた人物は違う」と複数犯説を採っている。
またゲイの野々村(藤竜也)が犯人の可門良(沢田研二)の後ろ盾であること
も見抜いていた。






また八兵衛はSに酷似しているモンタージュ写真を否定した。
「雨の降る中、警官のヘルメットをかぶった犯人を車の中から見た印象など当
てにならない」という主張だった。(それは一理ある)

Sの面通しについても「目をつぶった遺体では判断できない、銀行員4人は同室
で他の意見に引きずられやすい雰囲気の中で証言させられている、三億円を盗
られた後で何か役に立たなければというプレッシャーもかかる」と言った。
(それも一理ある)


★この点は「悪魔のようなあいつ」の白戸刑事(若山富三郎)も「モンタージ
ュ写真が捜査を混乱せせた」と平塚八兵衛と同じ考え方を示している。
犯人役の沢田研二とモンタージュ写真が似ても似つかぬこともあるが(笑)



以降、捜査本部内でSの名を出すことはタブーとなった。
しかし時効直前でもS犯行説を信じる捜査員、幹部は多かった。(6)
もしSが真犯人なら、警察は既に死んでいる犯人を7年間追っていたことになる。
もしKやFを共犯容疑で追い詰めれば、真相が分かっていたのかもしれないのに。


一方7年間の捜査はまるっきり無駄だったわけではなく別な成果を挙げていた。
犯人捜査のローラー作戦によって、中央線沿線に多かった学生運動のアジトを
一掃がすることができたのだ。






<三億円事件を扱った作品>

三億円事件はその後、何度もテレビドラマや映画で作品化されている。
近年のドラマでは以下の作品が記憶に新しい。

「三億円事件〜20世紀最後の謎〜」(2000)主演:ビートたけし、長瀬智也
「刑事一代 平塚八兵衛の昭和事件史」(2009)主演:渡辺謙
「クロコーチ」(2013)主演:長瀬智也、剛力彩芽
「松本清張ドラマスペシャル 三億円事件」(2014)主演:田村正和
「モンタージュ 三億円事件奇譚」(2016)主演:福士蒼汰(原作はコミック)

また犯人は女子高生だったというユニークな設定の映画「初恋」(2006年公開 
、主演:宮﨑あおい、小出恵介)も計画犯は国家権力側の息子であった、新宿
のスナックが溜り場になっていた、など興味深かった。



★「悪魔のようなあいつ」はこうした三億円事件作品の先駆けであり、1975年
当時としてはなかなかいい所を突いていたと思う。
犯行に至るまでの経緯、犯行の描写、盗んだ三億円の処理など初めて見る再現
映像は今見てもリアリティがある。


<脚注>

2016年10月9日日曜日

<補足>悪魔のようなあいつのファッション。(追記あり)

「悪魔のようなあいつ」で沢田研二が着用していた服や靴はほとんど本人の私物、
それ以外はステージ衣装として用意されたもののようだ。
ドラマのクレジットでは「衣装協力:マダム花井」になっているが、女性の出演者
の衣装を提供しているのではないかと思う。




かねてから沢田研二のファッションに対する嗅覚、目利きの鋭さ、独自のアレンジ
を加えた着こなしのカッコよさに感心し注目していた僕にとって、「悪魔のような
あいつ」は普段着の彼が観れる絶好の機会だった。

だからドラマの内容はともかく、僕たちは沢田研二がどんな格好をしてるかの方が
気になって欠かさず見ていたようなものだ。


以下、わかる範囲で挙げてみたいと思う。



<オープニング>

・白いレースのシャツ → 早川タケジ

・茶色のサスペンダー → Royal Air Force(イギリス空軍支給品)と思われる。
(アメ横の中田商店など軍放出品を販売してる店で購入したのだろう)





・ジーンズ → 不明(ベルトループ部を2段に改造、パッチワークがある)
(「魅せられた夜」のジャケットで着用しているものと同じと思われる)






・パナマ帽 → 山田帽子店オーダーメイド
(沢田研二の帽子はほとんどこの店でオーダーメイドしていた。
青山通り沿いの宮益坂上近くの店。現在も当時と同じように営業している)






・黒のロンドンブーツ → オーツカ靴店
(大塚製靴ではない。渋谷から明治通りを恵比寿方面へ、並木橋の手前の路地で
フツーのおっちゃんとおばちゃんが営業していたごくごくフツーの街の靴屋だ。
しかし足型を取って見事なロンドンブーツを作ってくれる。店内にはガロ、沢田
研二などの歌手のサインが飾ってあった。
沢田研二の黒のプレーンは当時の価格で26,000円。
国鉄の初乗り運賃が30円、喫茶店のコーヒー代が200円だった時代だから高価
だったことがよくわかると思う)



(オーツカ靴店は今でも同じ場所で営業している。
ロンドンブーツは扱っていないようだ)

沢田研二は青山のCalzeria HOSONOのロンドンブーツも愛用していた。
こちらも表参道のアトリエは今でも営業している。



<劇中・可門良の普段着>





・生成りのスタンドカラー・プルオーバーシャツ → 不明

・裾がカットオフの履き込んだジーンズ → キャントン(CANTON)
(CANTONは日本のジーンズ創世記にMcCampbell、BOBSON、BIGJOHN、
 EDWINなどとともに人気を博したジーンズ・メーカーである)


・タン色(ライトブラウン)のウエスタンブーツ → フライ(USA)
(青山のベイリーストックマンで買ったのではないだろうか)

・水牛の角のネックレス → 原宿ゴローズ(GORO’s)
(革製品のアクセサリーの店で現在も表参堂で当時と同じように営業している。
 エリック・クラプトンもここのブレスレットを愛用しているそうだ)


・ブルー地にポップなプリント・シャツ → 原宿スキャンダル




・クリーム地に大きなタッターソール柄のベスト → メンズ・ビギ


・茶系ストライプの渋いオープンカラー・シャツ
・渋いネイビー系ストライプのクレリック・スタンドカラー(白)シャツ 
 → 原宿グラス




・中盤で履いてるケミカルウォッシュのバックポケットがないベルボトム
 → ラングラー・ジャパン

・後半履いているワンウオッシュのベルボトム → リーバイス646(USA)


・「健康のためにジーンズを履きましょう」の白いTシャツ → ラングラー・
 ジャパン

・「ONE STEP FESTIVAL」の緑ロゴの白いTシャツ → 沢田研二が出演して
 いた前年郡山で開催されたワンステップ・フェスティヴァルのスタッフTシャツ。





・黒いTシャツ → 不明

・白地に赤のストライプ、赤いボタンのスタンドカラーシャツ → 不明





・クリーム地に赤いストライプのジャケット → 不明
(この人が着るとサマになるけど、一歩間違うとチンドン屋だ)

・クリーム色のオープンカラーシャツ → 不明

・茶/クリームのコンビの靴 → 原宿グラスかHOSONOのオーダーだと思う。





<劇中・「日蝕」でのステージ衣装>

・レースのシャツ(2種) → 早川タケジ
・黒のレザーパンツ → 早川タケジ
(レザーパンツは沢田研二が太って履けなくなってガロの堀内護に譲られた)




・紫、黒のドレスシャツ、黒白のストライプタイ、白のツータックパンツ
 →沢田研二のステージ衣装としてデザインされたものではないか?

・白のサスペンダー → 汎用品

・黒/白のコンビの靴 → 原宿グラスかHOSONOのオーダーだと思う。
(7cmの積み革ヒールのコンビは当時はグラスでしか見たことがなかった。
 あとはHOSONOで特注したのかもしれない)



<その他>

・三億円を入れて運ぶ袋 → サープラス(米軍放出品)

・「日蝕」での弾き語りに使うギター
 a)マーティンD-45 (1970年代初期?)TKLブルーハードケース





 b)ギブソンJ-200 ブラウン (所有者不明)
 (デイヴ平尾が「長い髪の少女」を歌う時に沢田研二が弾くギター)
 c)店に置いてあるクラシックギター

・可門良の部屋のオーディオ → オンキョー

・部屋に置いてあるヘアケア、スキンケア品 → 資生堂(提供主)ブラバス



・可門良の部屋のポスター
テレキャスターを抱えたエリック・クラプトン、「フレンチ・コネクション」の
ジーン・ハックマン、サンタナ、三億円犯人モンタージュ写真などが壁と天井に
コラージュしてあった。

2016年9月30日金曜日

悪魔のようなあいつは堕ちてゆくのも幸せと歌う。

◆「悪魔のようなあいつ」が制作された経緯

「悪魔のようなあいつ」は1975年6月6日から9月26日までTBS系列で放送された
テレビドラマである。
阿久悠原作、上村一夫作画で講談社ヤングレディに連載された漫画が原作だった。






沢田研二にほれ込んでいたTBSのプロデューサー久世光彦の立案で、コミック、
それを原作としたドラマ、劇中で流れる楽曲と当時としては珍しいメディア連動
型の企画、ドラマ・タイアップによるヒット曲の先駆けであった。

同じく沢田研二と仕事をしたがっていた阿久悠が原作を手掛け、今村昌平の下や
日活で助監督をしていた長谷川和彦が脚本を担当した。
最初は漫画の連載が先行していたが、ドラマの方が進行が早いため途中で追い越
してしまっている。


三億円事件を題材に1975年12月10日に迫る時効に合わせてストーリーが展開
するという設定、犯人の可門良を沢田研二が演じること、若山富三郎、藤竜也、
篠ひろ子、安田道代など豪華なキャスティングが放送前から話題になった。



◆「悪魔のようなあいつ」の内容と反響

横浜山下町のクラブ「日蝕」の専属歌手、可門良は経営者の野々村(藤竜也)
が斡旋で一回10万円で体を売る男娼という裏の顔も持つ。
そして三億円事件の犯人であった。

良に惹かれる女たち、良を追う老刑事(若山富三郎)、三億円に群がる男たち。
末期の脳腫瘍に犯された良は時効まで生き延びるのか。時効は成立するのか。





可門良は交通機動隊指定の自動車修理工で働いていた過去があり、運転技術、メ
カニックに長け、白バイもよく見慣れていた。
また映画のエキストラをやった時に警官の制服を手に入れている。


実際に捜査本部は活動屋(映画関係者)を疑っていて、犯行現場から近い調布の
日活撮影所と大映撮影所、砧の東宝撮影所の美術、衣装、スタントマンの取り調
べを行っていたそうだ。
長谷川和彦は取り調べを受けた現場スタッフから得た情報を脚本に盛り込んだ。

そのため当時まだ捜査情報がすべてオープンになっていなかったにもかかわらず、
犯行の背景と経過については説得力のある出来になっている。
特に三億円強奪の再現はなかなか見応えがあった。

老刑事が脅迫手紙の主と現金強奪犯は別という説を取っている点(捜査本部で指
揮をとった平塚八兵衛(1)は単独犯説を主張した)、公表された500円札以外にも
ナンバーが分かってっている一万円札があった(?)という仮説は興味深い。
三億円事件についての元警視総監、秦野章の新聞寄稿も実名で出てくる。

また可門良が特定の飲食店と関係があり、そのクラブを経営者(藤竜也)がゲイ
であったという設定は、奇しくも最有力視されている犯人(2)と共通している。
こうしたリアリティは時効まで半年を切り焦っていた捜査本部を苛つかせた。







映画畑の長谷川和彦はロケを前提とした脚本を書いたが、メガホンを取る久世光
彦は徹底したスタジオでの作り込みにこだわるタイプであった。
最終回の銃撃戦を含め、ほとんどのシーンがセットを組んでの撮影であり屋外で
のロケは街の風景、海などに限られている。



平均10%程度(最高11.6%)と悪くない視聴率であったが、TBS側の要求水準
に達しなかったため(「時間ですよ」「寺内貫太郎一家」をヒットさせた久世ド
ラマへの期待値は大きかった)数話削り時効の75日前に放送は終了した。

今では考えられないが、ゴールデンタイムにベッドシーン、レイプ、暴力、売春、
同性愛、近親愛など過激でスキャンダラスな内容であり、万人には受け入れらな
かったのではないかと思う。

また提供スポンサー、特に資生堂にとってはこうした題材に加え、妊娠中の女性
に暴力を振るうシーンは決して好ましいものではなかったはずだ。


一方でちゃぶ台を囲む荒木一郎、安田道代、浦辺粂子、若山富三郎とか、悠木千
帆のボケ役など久世光彦ならではのコメディー要素も随所に散りばめられていた。
荒木一郎を初め、デイヴ平尾、尾崎紀世彦、岸部修三、大口広司、などGS出身や
歌手が出演していたのも楽しめる。

どこに行くにもナースの制服か裸しかないという極端な篠ヒロコもよかった(笑)
これは久世光彦の「わかりやすい方がいい」という考えからだそうだ。
彼は登場人物をアイコン化したかったのだろう。






いつも白いピンストライプのスーツで登場するチンピラ役の岸部修三もそうだし、
夏でも黒服の藤竜也も、車椅子の三木聖子、安田道代のエプロン、荒木一郎の
カンカン帽と浴衣みたいなシャツ、ねんねこで子供をおんぶしている細川俊之、
長谷直美の赤いジャンプスーツもアイコン化である。

そのアイコン化の最たるものが、沢田研二が演じる可門良のパナマ帽とサスペン
ダーというファッション(3)でこれは当時、若い男性の間で流行した。
沢田のどこか儚げで退廃的でニヒルな表情、男のエロティシズムを漂わせる雰囲
気も評判になった。



◆ドラマから生まれた大ヒット曲

劇中で沢田研二がクラブ「日蝕」で歌う「時の過ぎゆくままに」はドラマの終盤
8月21日に発売され、オリコンで1位、100万枚近いセールスを記録し彼の代表曲
の一つとなった。

この曲はドラマの主題歌として作られた曲で、沢田研二のために阿久悠が書いた
詞に合わせて曲をつける、いわゆる「詞先」だった。



沢田研二のけだるさを秘めた退廃美に魅せらていた久世光彦と阿久悠は「色っぽ
い歌を作りたいね」と意見が一致。

久世は阿久悠と相談してまず「時の過ぎゆくままに」というタイトルを決めた。 
映画「カサブランカ」のテーマ曲「As time goes by」が元ネタである。
阿久悠が詩を書き、大野克夫、井上堯之、井上大輔、加瀬邦彦、荒木一郎、都倉
俊一と当時のヒットメーカー6人が競作で曲をつけてもらう。


  あなたはすっかり疲れてしまい 生きていることさえ嫌だと泣いた
  こわれたピアノで 想い出の歌 片手でひいては ため息ついた


できてきた曲はどれも魅力あるものだったが、阿久悠と久世光彦が一晩聴き比べ
て大野克夫の曲が選ばれた。




↑写真をクリックすると「時の過ぎゆくままに」が視聴できます。


阿久は沢田研二が所属していた渡辺プロから「堕ちてゆくのも」の歌詞を変える
よう要請されたが固辞した。
「堕ちてゆくのも幸せだよと」は沢田研二の退廃美、作画を担当した上村一夫の
美学「傷つけ合うことこそ美しい」にも通ずるこの歌のキモだと思う。


阿久悠+大野克夫のコンビはこれ以降、沢田研二に数々の曲を提供し、ヒットメ
ーカーとしての地位を確立した。
阿久は「ドラマ発じゃない限り沢田研二との出会いはなかった、その後の膨大な
ヒット曲も出なかったかもしれない、得難いチャンスだった」と述懐している。


生涯で作詞した曲が5000以上という阿久悠は自分の作品で好きなものは?という
質問に対して「『時の過ぎゆくままに』だけはどんな場でもどんな機嫌の時でも
あげる曲だ」と語っている。

沢田研二にとってもキャリア最大のヒット曲の誕生、これ以降のヴィジュアル路
線を方向づけ、と大きなステップとなった。





劇中では沢田研二がマーティンD-45(4)を弾きながらクラブ「日蝕」でこの曲を
歌っているが、実際は口パクで井上堯之バンドが演奏している。

ドラマの前半ではGmで演奏されており、これだと沢田にはややキーが高いい。
中盤からキーEmのヴァージョンが多くなり、ぐっと落ち着いた雰囲気になる。
アコースティックギター2台による弾き語りヴァージョンも使われた。


正式なレコーディングではキーEmでゆったりしたテンポで、井上堯之バンドの
演奏にストリングスが加えられよりドラマチックに仕上がった。
作曲家の宮川泰は「沢田研二がコブシをきかせているのが面白い」と評した。

岸部修三にとってははこの曲が井上堯之バンドでの最後のレコーディングとなり、
「悪魔のようなあいつ」を機に本格的に俳優業に転向した。


番組のテーマ曲および劇中流れるBGMはすべて大野克夫の作曲・編曲で井上堯之
バンドが演奏している。(サウンドトラック盤は長らく廃盤になっている)



◆もう一つの隠れた名曲

「悪魔のようなあいつ」にはもう一つ、挿入歌があった。
「時間ですよ」「寺内貫太郎一家」など久世ドラマの「お約束」である出演者の
ギター弾き語りである。


ドラマ後半ではクラブ「日蝕」のバーテンダー香川役のデイブ平尾がホステスたち
(スーザン、立野弓子)と「ママリンゴの唄」を毎回歌った。
作曲は大野克夫で、作詞は市川睦月(久世光彦)のペンネーム。

カルト的な人気をほこる曲ながら、上述のサウンドトラック盤にも収録されず長い

間「幻の曲」となっていたが、後にデイヴ平尾のCD(5)に収録された。




↑写真をクリックすると「ママリンゴの唄」が視聴できます。


<脚注>


2016年9月20日火曜日

野性的でいかがわしいストーンズのライヴ。

ビートルズの「ハリウッドボウル」がCD化されてめでたしめでたしの今日この頃
だが、対抗馬のローリングストーンズの初期のライヴ盤はあるのか?

あるんです、ちゃんと。と言うか一応。
1966年リリースのストーンズ初のライヴ盤「Got Live If You Want It!」だ。


一応と書いたのは、ビートルズの「Live At The Hollywood Bowl」が「演奏には
一切手を加えていない」正真正銘のライヴ音源であるのに対し、ストーンズのは
正真正銘と言えない「手を加えまくったライヴ盤もどき」だからだ。

ストーンズもその内容に満足せず、このアルバムを認めていない。
1970年の「Get Ya Ya’s Out」を最初の公式ライブ・アルバムとしている。
その点も踏まえて「一応」という表現にした。



「Got Live If You Want It!」はアメリカでの販売元ロンドン・レコード(1)の
の要請により編集され1966年11月にリリースされたライブ・アルバムだ。

ジャケットにはロイヤル・アルバート・ホールでのライヴとクレジットされている
が、実際は1966年10月のニューカッスル・アポンタインとブリストルでの演奏が
納められている。
ロイヤル・アルバート・ホールと記載されているのはプロデューサーのアンドリュ
ー・ルーグ・オールダム(2)が「その方が箔がつく」と考えたからだ。


収録曲はオリジナル7曲とカヴァーが5曲。
4作目のアルバム「Aftermath」がリリース(アメリカでは6枚目、収録曲が異なる
)された半年後で、同アルバム収録曲の「Under My Thumb」「Lady Jane」の
他、「19th Nervous Breakdown」「Get Off of My Cloud」「Satisfaction」
などの代表曲が収められている。

Side A
1. Under My Thumb 
2. Get Off of My Cloud
3. Lady Jane
4. Not Fade Away (Norman Petty/Charles Hardin) 
5. I’ve Been Loving You Too Long (Otis Redding/Jerry Butler) 
6. Fortune Teller (Naomi Neville)  
Side B
1. The Last Time
2. 19th Nervous Breakdown
3. Time Is on My Side (Norman Meade) 
4. I’m Alright (Ellas McDaniel) 
5. Have You Seen Your Mother, Baby, Standing in the Shadow?
6. (I Can't Get No) Satisfaction 



↑クリックすると「Got Live If You Want It!」の試聴ページに飛びます。



ほとんどの曲はヴォーカルが録り直しされている。
ミックの手拍子(歌いながらだろう)のボコボコ言うノイズをがマイクが拾って
たり、やけにヴォーカルやタンバリンが近くに聴こえたり不自然さを感じる。

「I’ve Been Loving You Too Long」「Fortune Teller」の2曲に至っては、ス
タジオ・テイクに歓声をオーヴァーダビングした擬似ライヴである。
収録曲数が足りなかったため、アメリカのロンドン・レコードがストーンズに無
断で加工したものだった。

ヴォーカルの録り直し自体はミックも納得してやったことだろうが、あまりにも
不自然な出来に怒り心頭だったのではないかと思う。



編集されまくりで純粋なライヴ盤とは言いがたいものの、若き日のストーンズの
エネルギッシュな演奏が楽しめる貴重な音源であることに変わりはない。
「Get Ya Ya’s Out」以降のライヴとは違い、どの曲もスタジオ・テイクよりア
ップテンポで演奏され迫力がある。


冒頭の「Under My Thumb〜〜Get off of my cloud」メドレーのスピードとワ
イルド感にはワクワクしてしまう。
「Not Fade Away」は後年のライヴよりも勢いがある。
ミックのヴォーカルに絡むブライアンのブルースハープが黒っぽくていい。

「Satisfaction」と思わせてから入る「The Last Time」のアレンジもなかなか。
「Lady Jane」でのミックの丁寧なヴォーカル、ブライアンの奏でるエレキシタ
ール、スタジオ版とニュアンスの違うキースのギターも聴きどころ。
「Time Is on My Side」はスタジオ・テイクよりもずっとかっこいい。(3)







「Got Live If You Want It!」は異なるミックスが乱造されている。
フェイドアウトしたりしなかったり(途中でふっと切れたり)、MCの尺が違っ
たり、歓声と演奏が左右泣き別れになっているものと歓声もステレオになって
いるもの、など。
CD化された後は曲が終わるごとにフェイドアウトしライヴ気分を萎えさせる。



アルバム・タイトルはストーンズが敬愛するブルース・シンガー、スリム・ハ
ーポ(4)のデビュー曲「Got Love If You Want It」をもじったもの。

実は英国ではその前年の1965年6月デッカから同じ「Got Live If You Want It!」
というタイトルでEP盤が発売されているが、内容は前述のLPとは全くの別物。

1965年3月リヴァプールとマンチェスターのステージを収録したもので、手が加
えられていない生々しい演奏とヴォーカルが聴ける。
オリジナルのヒット曲は収録されずカヴァー曲だけで構成された。


Side A
1. We Want The Stones (Nanker Phelge)
2. Everybody Needs Somebody to Love (S. Burke, J. Wexler, B. Russell)
3. Pain in My Heart (Naomi Neville)
4. Route 66 (Bobby Troup) 
Side B
5. I'm Moving On (Hank Snow)
6. I'm Alright (Ellas McDaniel)






ハンク・スノウ(5)の「I’m Moving On」をR&Bにアレンジしブライアンのスラ
イドギターをフューチャーした演奏と、 ボー・ディドリー(6)の「I’m Alright」
のカヴァーは特に出来がいい。
「I'm Alright」はLPにも収録されているが、LPの方はこの演奏トラックを使用し
ヴォーカルのみ録り直したものと思われる。



アメリカではこのEP盤は発売されず前述のLPが独自に(勝手に)編集された。
この辺が英国デッカと米国ロンドン・レコードのストーンズの解釈の違い、とい
うか英国市場と米国市場の違い(=ファンの質の違い)なのだろう。

ストーンズの原点であるR&Bが聴ける、若き日の野獣のような激しさといかが
わしさが感じられるという点ではこのEP盤に軍配が上がる。
しかし僕のようなミーハーなファンにとっては、慣れ親しんだナンバーが聴ける
LP「Got Live If You Want It!」の方が楽しる。


実際に「Love You Live」(1977)や「Still Life」(1982)より「Got Live If You 
Want It!」と「Get Ya Ya’s Out」の方が聴く機会が多い。
まあ、ブライアン・ジョーンズかミック・テイラーがいた頃のストーンズが好き
ということになるのかもしれないけど。


「Got Live If You Want It!」は初期のストーンズの貴重なライヴ音源だ(7)。
たとえ過剰に手が加えられたいあざとい編集盤であったとしても。
こんなレコード会社のやりたい放題のいい加減なアルバム(8)が許されてたなんて、
ある意味ありがたいことかもしれない(笑)


<脚注>

2016年9月13日火曜日

アンドロイドは電気羊の夢を見るか?

鉄腕アトムが誕生したのは2003年4月7日という設定だった。
この漫画の連載が始まった1952年(1)には半世紀後、21世紀の2003年なんて本当
にそんな時代が来るんだろうか?と思うような遠い「未来」だった。
今は2016年。その「未来」も既に13年前の過去になっている。



1982年公開のSF映画「ブレードランナー」の舞台は2019年のロサンゼルスだった。

地球環境の悪化により人類の大半は宇宙に移住し、残った人々は高層ビル群が立ち
並ぶ人口過密の退廃した都市部での生活を強いられていた。
酸性雨が降りしきる近未来のロサンゼルスには眩い太陽もパームツリーもない。
アジア的で猥雑なサイバーパンクの街と化していた。







宇宙開拓の前線では遺伝子工学により開発された「レプリカント」(2)と呼ばれる
人造人間が奴隷として過酷な作業に従事していた。
彼らは外見上は本物の人間と見分けがつかない。が、寿命は4年しかなかった
レプリカントの中にも反乱を起こす者が現れ人間社会に紛れ込むようになった。


そんなレプリカントたちを処刑する専任捜査官が「ブレードランナー」(3)である。
ハリソン・フォード演じるデッカード(4)は自らの職に疑問を抱きつつ、人間を殺害
し脱走し密かに地球に帰還し潜伏していた最新レプリカント「ネクサス6型」の男女
4名(5)を狩るべく追う。

そしてそのリーダー格との死闘でやっと彼らの真意を知る。
レプリカントたちは「もっと生きたかった」のだ。


そのレプリカント「ネクサス6型」たちが製造された年が2016年(6)であった。
1982年の公開時は2016年なんて遠い遠い「未来」と誰もが思っただろう。
鉄腕アトムの時と同じだ。







この映画はフィリップ・K・ディック(7)のSF小説「アンドロイドは電気羊の夢を
見るか?」を原作とし、英国人のリドリー・スコット監督によって制作された。

リドリー・スコットは「エイリアン」(1979年)に次ぐ本作でも、卓越した映像セ
ンスと美学を発揮し、SF映画にありがちだったクリーンな未来都市のイメージを打
ち破り、環境汚染にまみれた酸性雨が降る退廃的近未来都市像を描いた。


カオス的な未来都市はフランスの漫画家メビウスの作品をイメージしており、デッ
カードの役は「混沌とした未来社会でのフィリップ・マーロウ(8)的な探偵」とい
う設定になっている。


荒んだ街並、降り続ける酸性雨、煙と光、噴きあげる炎、そびえ立つ不気味な高層
ビル、空を飛び交うクルマ、様々な人種が入り乱れる薄汚れた雑踏。
「強力わかもと」「コルフ月品」「日本の料理」など漢字やカタカナのネオン看板、
コカコーラや芸者が映る大型ヴィジョン広告が印象的だった。

日本語が多い理由は、リドリー・スコットが来日した際に訪れた新宿歌舞伎町の様
子をヒントにしたとという話だ。
日本語の店主が切り盛りする露店、日本語のガヤ(話し声)が多用されている。






膨れ上がる予算と何度も遅延するスケジュール。
完璧主義者のリドリー・スコットは妥協しない。
疲労と不満、緊迫した撮影現場でアメリカ人スタッフとの関係も最悪だった。


この作品が製作されたのはCGなどまだ存在しなかった時代である。
最後のアナログSF映画とも言われる。デジタル処理が一切施されていないのだ。

気が遠くなるような繊細な模型やセット作り、入念に計算されたカメラワーク、根
気強いテイクの積み重ね、手間のかかるオプティカル処理、といった人力だけで仕
上げた奇跡的な作品である。
SFとフィルムノワールを融合させたSF映画の金字塔とも言われる。



1982年公開時は「E.T.」の大ヒットの陰に隠れて興業成績は全く振るわなかった。
心温まる健全なSFファンタジーが支持されていた時代に、暗く退廃的な「ブレード
ランナー」は受け入れられなかった。評論家たちも酷評した。


日本でも公開時は極端な不入りで早々に上映が打ち切られてしまった。
当時の配給会社が作った宣伝用キャッチコピーは「2020年、レプリカント軍団、
人類に宣戦布告!」と宇宙SF映画的なもので内容とギャップが大きかった。

その後、名画座での上映からしだいにカルトムービー的な評価を得て、ビデオが
発売・レンタル化されてからは記録的なセールスとなる。







「ブレードランナー」ではシド・ミード(9)の美術デザイン、リドリー・スコット
の撮影センスに加え、ヴァンゲリスによるシンセサイザー音楽も独特な美学と世
界観の構築に大きく貢献している。

リドリー・スコットもヴァンゲリス(10)の音楽のおかげで想像力を膨らませること
ができた、ヴァンゲリスなしではこの映画は成立しなかった、と認めている。
実際に彼は撮影中の現場で雰囲気を出すために大音量でヴァンゲリスの音楽を鳴
り響かせたいたそうだ。


エンドロール中にサウンドトラックが発売される旨が書かれているが実際には発
売されず、正式にリリースされたのは1994年である。
ヴァンゲリスは「炎のランナー」のサウンドトラックで商業的成功を収めた直後
で、映画音楽家と思われる事を嫌ったためらしい。

台詞や効果音がコラージュされていて映画の雰囲気が味わえる。
映画を観ていない人でもこのサウンドトラックをヘッドフォンで聴きながら夜の
歌舞伎町や道頓堀(11)を歩けば、近未来のサイバーパンク都市のハードボイルド
気分に浸れるのではないかと思う。



↑写真をクリックすると「Love Theme」が聴けます。


中でも秀逸なのが「Love Theme」と「Blade Runner Blues」だ。
レプリカントを製造するタイレル社の秘書レイチェル(実は彼女もレプリカント
だった)のテーマ曲「Rachael's Song」でのメリー・ホプキンのスキャットも
聴きどころ。

尚2003年には1994年のサウンドトラック盤に収録されなかった曲、映画で使わ
れなかった作品を網羅した25周年記念の3枚組のCD発売されている。



今夏「ブレードランナー」の続編が2017年11月に全国公開されることが決定。
製作総指揮はリドリー・スコット、監督はドゥニ・ヴィルヌーヴが務める。
脚本は前作の脚色を手掛けたハンプトン・ファンチャーとマイケル・グリーン。
デッカード役はハリソン・フォードが続投するそうだ。

2019年から数十年後の話らしいがいったいどんな世界を見せてくれるんだろう?
そこに描かれる「未来」が実際に訪れた時(僕らの世代はもういないが)この続
編を若い頃に見た数十年後の大人たちは何を思うのだろうか?


<脚注>