2016年4月14日木曜日

国境を越えて。メキシコへの憧憬。

1979年から1984年にかけて僕はよく好きな曲を集めたカセットテープを作った。
車に一人で乗る時、その日その時の気分に合わせて聴くためだ。

僕の好みはテーマやトーンを決めて似たような曲調を続けて聴くこと。
デュラン・デュランの後にトム・ウェイツが歌うなんてありえないし、フュージョン
とカントリーが同じテープに混在することも許されなかった。


たとえばバラード集ならA面はWhite SideでAOR、B面はBlack Sideでブラック・
コンテンポラリーの曲をメドレーにする。

ウエストコースト・ロックならA面をFast Sideにしてノリのいい曲でつなぎ、B面は
Slow Sideにしてミディアム・スローの曲を集める。
(これはロッド・ステュアートのアルバム「A Night on the Town」を真似てみた)



ある日ウエストコースト・ロックの同じ曲調のリストを作っていてふと気がついた。

Cheek To Cheek(ローウェル・ジョージ)
Tattler(リンダ・ロンシュタット)
Linda Paloma(ジャクソン・ブラウン)
Mexican Divorce(ニコレット・ラーソン)
Volver Volver(ライ・クーダー) (1)
The Magic Of Love(ジム・メシーナ)
Carmelita(リンダ・ロンシュタット)(2)
Canción Mixteca(Paris, Texas O.S.T. ライ・クーダー)

※「Tattler」「Mexican Divorce」はライ・クーダーのヴァージョンも捨て難い。


どうやら僕はマリアッチ(メキシコ民謡)(3)やテックスメックス(テキサスとメ
キシコの国境地帯の音楽)(4)が好みのようだ。



↑写真をクリックするとライ・クーダー版「Tattler」が視聴できます。
(1977年 BBC Whistle Test Live。アコーディオン奏者はフラコ・ヒメネスです)



思えばその好みははるか昔まで遡る。
僕が子供の頃、家にはビクターの家具調Hi-Fiステレオがあった。
上蓋タイプのアンサンブル型でもちろん真空管である。

両親のクラシック・レコードのコレクションには興味が持てず、僕が一人の時よく
聴いたのは、ステレオ購入時に付いていた試聴用のレコードだ。

蒸気機関車が左から右へ移る音などの効果音でステレオの特性を解説してくれて、
「では音楽をお楽しみください」といろいろな音楽が入っている。
その中で「可愛いフラの手」と「キサス・キサス」が好きで繰り返し聴いた。



「可愛いフラの手」(Lovely Hula Hands)は当時の典型的なハワイアンで、ス
ティールギターをメインにしたインストゥルメンタルであった。
1960年代のビアガーデンでバンドが演奏していそうな雰囲気だ。

「キサス・キサス」(Quizás, quizás, quizás)はメキシコのトリオ・ロス・パ
ンチョスの世界的なヒット曲(5)だが、試聴用レコードに入っていたのはたぶん
デューク・エイセスが歌っていたものと思う。

その頃から僕はハワイアン・スラッキー(6)とマリアッチを好きになる要素を持っ
てたいのだ。





メキシコには一度だけ行ったことがある。と言っても数時間いただけだけど。

メキシコの最北端、アメリカとの国境沿いにある街だ。
サンディエゴから車で約15分なのでアメリカからの日帰り観光客が多い。


初めてギタロン(バカでかいギターのような低音弦楽器)奏者がいるマリアッチ
楽団の演奏を生で見ることができて僕は喜んだ。
奏者は全員ソンブレロに黒い衣装でなんだかブーフーウー(7)みたいだった(笑)

本場のメキシコ料理は期待はずれ。代官山のラ・カシータ(8)の方が美味しい。
まあ、探せばディープな美味い料理を食べさせてくれる店もあるはずだが。





メキシコへの越境は入国審査もなくあっけないものだった。
反対にアメリカに戻る時は国境ゲートの前がすごい渋滞で、書類の記入とか車内
の検査とか面倒でうんざりさせられた。

どちらにしても「国境を越える」ロマンとか冒険心はまったく感じなかった。


でも島国に暮らすわれわれ日本人にはどれだけ想像力を働かせても分からないが、
メキシコと隣接するカリフォルニア州、テキサス州、ニューメキシコ州の南部で
は常に「国境」を意識しながら生活しているのだろう。


そしてメキシコとアメリカの文化が混じり合って「テックス・メックス」と呼ば
れる独特の料理や音楽やアートが形成された。

テハーノと呼ばれる懐かしく陽気な彼らの音楽はマリアッチ(メキシコ民謡)と
ワルツ、ポルカ、ブルースなどが融合したものだ。
かつて牧場経営や過酷な労働をしていた移民たちにとっては、祖国の音楽を聴く
ことが何よりの娯楽であり癒しであった。





国境地帯へ。いつか機会があったら行ってみたい。そう思っていた。
ロサンジェルスからアムトラック(アメリカ国有鉄道)に乗ってサンタフェへ。
それからサン・アントニオまで行く。

サン・アントニオから飛行機で一気にナッシュビルへ。
ギター・ショップをはしごしてチェット・アトキンスのライブを見よう。

漠然とそんなふうに思っていた。いつか、と。


その「いつか」は実現しなかった。
僕は海外旅行には行けなくなり、チェットは2001年に他界した。

それでもまだ僕は「国境」に魅力を感じる。
時々メキシコの匂いがする音楽を聴き、まるでアームチェアトラベラーみたいに
見えない「国境」に思いを馳せている。


<脚注>

(1)ライ・クーダーとテックスメックス
ライ・クーダーは1974年にリリースした「Paradise And Lunch」でテックス
メックスを取り入れている。
「Tattler」「Mexican Divorce」はこのアルバムに収録されている。
「Volver Volver」はライブ盤の「Show Time」(1977年)より。
フラコ・ヒメネス(後述)の名前を世に知らしめたのもライ・クーダーである。


(2)リンダ・ロンシュタットとマリアッチ
リンダ・ロンシュタットはギタリストだったメキシコ系の父親とオペラ歌手
志望だったドイツ系の母親の間に、アリゾナ州で生れた。
子供の頃はハンク・ウィリアムスやエルビス、父親が歌うメキシコのフォーク
・ソングが彼女のお気に入りだった。
全編スペイン語で歌ったマリアッチのアルバムも2枚リリースしている。
「Canciones De Mi Padre」(1987)「Mas Canciones」(1991)
※Canciones De Mi Padreは「父の歌」という意味。


(3)マリアッチ
メキシコの楽団の様式。7名〜12名で編成される。
ビウエラ(ギターに似た複弦楽器)、ギター、ギタロン(ギターを大きくした
6弦の低音楽器、5度下で調弦する、フレットはない)、バイオリン、トランペ
ットで構成され、フルートやアルパ(南米のハープ)が加わることもある。
アコーディオンも本来マリアッチに使われる楽器ではないが、メキシコ以外で
はしばしば用いられる。
マリアッチは楽団の様式で音楽の種類を指すものではないが、近年はこうした
楽団によるメキシコ民謡のことをマリアッチと呼ぶことが多い。





(4)テックスメックス
テキサス州のメキシコ国境周辺で演奏されているルーツ・ミュージック。
テハノミュージックとも呼ばれる。
19世紀の終わりごろテキサス州サン・アントニオ周辺のドイツ系移民が演奏し
ていたポルカやワルツとメキシコ系住民の民族音楽が融合したもので、後に
アメリカのブルースロックも取り入れられた。
アコーディオン奏者のフラコ・ヒメネスやスティーブ・ジョーダンが有名。


(5)「キサス・キサス」(Quizás, quizás, quizás)
キューバのオスバルド・ファレス作曲の1947年発表の曲である。
題名は「たぶん、たぶん、たぶん」という意味。
「男が恋人の女性にいろいろと問いかけるが、彼女はいつも『たぶん』としか
答えてくれない」といった内容。

メキシコをはじめとする中南米諸国、アメリカのヒスパニック系の絶大な人気
を得ていたトリオ・ロス・パンチョスのカバーが大ヒット。
1958年に英語の歌詞でナット・キング・コールが歌いこれもヒットする。
日本ではアイ・ジョージの持ち歌として知られている。


(6)ハワイアン・スラッキー
オープン・チューニングで演奏されるギターによるハワイアン・ミュージック。
Slack-Keyというのは「キーをゆるめた」という意味。
一般的なギターのチューニングに比べてゆるめられた状態に調律されるため。


(7)ブーフーウー
1960年〜1967年にNHK総合テレビで放送されていた着ぐるみによる人形劇。
西洋の昔話の「三匹の子ぶた」が題材。
メキシコ風の舞台設定で長兄のブー、次兄のフー、一番下でのウーという3匹の
子ぶたとオオカミが絡むコメディ風の物語。主題歌も人気を博した。

ブーはブーブー愚痴をこぼすぶつぶつ屋。マタドール(闘牛士)の衣装を着用。
声は大山のぶ代だった。
フーはすぐくたびれてフーフーいうくたびれ屋。
ソンブレロを被り、メキシコの民族衣装(たいてい白)を着ていた。
ウーはウーウーと頑張るしっかり者。デニムのオーバーオールを着用。
声は-黒柳徹子。
オオカミは子ぶたたちを食べようとするが仲良しになった。
いつもポンチョを着ている。





(8)代官山のラ・カシータ
1976年以来営業しているメキシコ料理の専門店。
1978年~1987年は代官山・旧山手通り沿いでメキシコ風の漆喰造りの店構えで、
テラス席でも食べられた。
ちなみに隣に青山から移転して来たハリウッド・ランチマーケットがあった。
1987年に代官山西口に移転し現在に至る。
昔と同じスタイルでメニューも変わっていない。




<参考資料:Wikipedia他>


0 件のコメント: