2016年6月15日水曜日

強くなければ生きていけない。(モハメド・アリ追悼)

モハメド・アリが亡くなった。
アリはビッグマウスだけど口先だけではなく実行した。カッコよかった。
リングの強敵とも差別社会とも病気とも戦い続けた。



僕がアリの存在を知ったのは1969年3月、中学一年の春休みだった。
遠縁のだいぶ年上の従兄弟から、ビートルズのシングル盤やEP盤や来日時の
ビートルズ特集雑誌、モンキーズの来日パンフレットをもらった。

その中の一つ「映画ストーリー臨時増刊ビートルズのすべて」(1965年7月)
にビートルズとアリの写真が載っていたのだ。






1964年2月ビートルズが初めて渡米し、エド・サリヴァン・ショーの2回目の
出演のためマイアミに赴いた際、トレーニング中のアリ(2月25日のソニー・
リストンとのタイトルマッチ(1)に臨むため)を訪問した時の写真である。
(アリは7回TKO勝ちでWBA・WBC統一世界ヘビー級王座を獲得した)


映画ストーリー臨時増刊の写真のキャプションには「ヘビー級チャンピオン、
カシアス・クレイ」と書いてあった。
イスラム教に改宗しカシアス・クレイからモハメド・アリに改名したのはリ
ストン戦の直後。ビートルズが訪問した時はまだ旧名だった。

映画ストーリー臨時増刊が発行された1965年7月には既にモハメド・アリだっ
たが、まだ日本ではカシアス・クレイで通っていたのかもしれない。



僕がアリのことを知った1969年当時、ヘビー級タイトルマッチをテレビで
見る機会はほとんどなかったと思う。
あったとしてもそこにアリの勇姿を見ることはできなかった。
彼は徴兵を拒否(2)しタイトルとライセンスを剥奪されていたからだ。


アリの試合をリアルタイムで観たのは1974年10月。僕は大学生になっていた。
彼が長いブランクを経て当時無敗だった最強のチャンピオン、ジョージ・フ
ォアマンに挑み、大方の予想を覆し8回KO勝ちでWBA・WBC統一世界ヘビー
級王座に返り咲いた「キンシャサの奇跡」と言われる伝説の試合だった。

それからアリの防衛戦がテレビで放映される機会が増え欠かさず見ていた。
格闘技にも他のスポーツにもさほど興味のない僕だが、アリは大好きだった。








音楽のブログなのでアリに関連がある音楽の話をしよう。



アリといえば入場テーマの「アリ・ボンバイエ」(3)が有名だが、カシアス・
クレイ時代(1963年)に「I Am the Greatest 」というアルバムも出している。
内容はお得意の早口ビッグマウスで、対戦前にソニー・リストンを挑発する
トラッシュトーク(4)が収められ、歌(Stand by Me)まで披露している。




↑写真をクリックするとアリの「Stand by Me」が聴けます。




アリのドキュメンタリー映像作品はいくつか出ているが、アリ本人が出演した
映画がある。1977年トム・グライス監督の「アリ/ザ・グレーテスト」だ。
ローマオリンピックの表彰台から始まりプロ転向後の試合映像、私生活や事件
を描き1974年の「キンシャサの奇跡」で終わるという内容。

エンディング・テーマの「I Always Knew I Had It In Me」は「アリ・ボンバ
イエ」にジェリー・ゴフィンの詩を付け、ジョージ・ベンソンがバラードにア
レンジし直したもの。(なんだかなーという感じ)



オープニング・タイトルの「The Greatest Love of All」もジョージ・ベンソ
ンが歌っているが、後に(1986年)ホイットニー・ヒューストンがカバーして
全米No.1の大ヒットとなった。(ホイットニーの勝ち〜)

ベンソン版を聴くとなんだか恋人たちに向けられた甘っちょろいラブソングに
思えるが、内容は「自己へ向けた愛と誇りの歌」である。



↑写真をクリックするとジョージ・ベンソンの「The Greatest Love of All」が
流れる「アリ/ザ・グレーテスト」のオープニング・タイトルを視聴できます。



作詞を担当したリンダ・クリードは当時乳がんの手術を受けた1ヶ月後に書き上
げ、その後10年に及ぶ闘病の末に37歳の若さで亡くなっている。
ホイットニーのカバーが全米チャートでNo.1を獲得する一ヶ月前だった。


この曲はホイットニーが自身の最高傑作と言い、最も大切にしていた歌だった。
彼女はゴスペル歌手だった母シシー(5)から「どんな時も自分に対して誇りを持っ
て生きなさい」と言い聞かされていたそうだ。

「The Greatest Love of All」は歌いこなすのが難しい曲で、母シシーは「この
曲が歌えたら一人前よ」とホイットニーを励ましていたという。


ホイットニーの歌唱に説得力があるのはそのせいかもしれない。
彼女は詩を書いたリンダ・クリードの思いにもモハメド・アリの強い信念を持っ
た生き方にも共感できたのだろう。



↑写真をクリックするとアリ50歳の誕生日でホイットニー・ヒューストンが歌う
「The Greatest Love of All」(6)が視聴できます。



もう一つ評価が高いのがウィル・スミス主演の映画「 ALI」(2001)だ。
映画で使われた音楽はアリシア・キーズ、R・ケリーなど最近のR&B系シンガー
からアレサ・フランクリン、アル・グリーンといった大御所まで幅広く、サウ
ンドトラック盤だけでもけっこう楽しめる。

特にアリシア・キーズの「Fight」とR・ケリーの「Hold On」がいい。
アリシアは「自由は権利、誰も奪えない、闘おう、尊厳を守ろう」と訴える。
R・ケリーは「しっかりしろ、しっかりするんだ、最後まで俺は強くなくちゃ」
(7)と力強く歌い上げる。

まさにモハメド・アリを讃える歌だと思う。




↑アリ役を演じたウィル・スミスとアリ本人。
クリックするとアリシア・キーズの「Fight」が聴けます。




1964年ソニー・リストン戦。クリックするとR・ケリーの「Hold On」が聴けます。



<脚注>

(1)ソニー・リストン戦
1964年2月25日、ソニー・リストンに7回TKO勝ちでWBA・WBC統一世界ヘ
ビー級王座を獲得。
下馬評ではリストン優位だったが圧倒的にアリの試合運びだった。

翌1965年5月25日、初防衛戦でリストンとのリターンマッチに臨む。
初回の2分12秒でノックアウト勝ちだった。


(2)徴兵を拒否
アリのプロモーターは軍の上層部と「戦地に行かなくていい、キャンプでス
パーリングをやるだけでいい」という約束を取り付けていた。
国としても国民的ヒーローを戦場で死なせるわけには行かなかっただろう。
エルヴィスの時と同じである。
しかしアリの決意は揺るがなかった。
「俺と関係のないベトコンを殺すのは嫌だ。彼らは俺をニガーとは言わない」
と戦争そのものを否定した。


徴兵に応じたエルヴィスはアリを決して快く思っていなかったはずだが。。。


(3)「アリ・ボンバイエ」
アリは1976年に日本武道館で格闘技世界一決定戦を闘ったアントニオ猪木に
この曲をプレゼントし、猪木は「イノキ・ボンバイエ」として自身の入場時
のテーマソングにした。
1998年の猪木のプロレスラー現役引退試合の際、アリは来日しスペシャルゲ
ストとしてリングに上がり、猪木に花束を贈り労った。


(4)トラッシュトーク
スポーツの試合前の記者会見や試合中に、汚い言葉や挑発で相手選手の心理
を揺さぶる、また相手の気を逸らすような会話で混乱させ調子を乱すこと。
アリの早口でまくしたてるビッグマウスはラップの原型と言われている。


(5)ホイットニー・ヒューストンの母親
ホイットニー・ヒューストンのデビュー時、彼女の母親はモータウンの歌手、
テルマ・ヒューストンだと音楽誌に書かれたが間違いだった。
母親シシーはゴスペル歌手で、そこから同じ性のテルマ・ヒューストンと勘
違いされたのだろう。
「The Greatest Love of All」のプロモーションビデオではホイットニーの
母親役でシシー本人が出演している。


(6)アリ誕生日で歌われた「The Greatest Love of All」
アリの70歳の誕生日では亡きホイットニーに代わり、ケリー・ローランドと
スティービー・ワンダーが「The Greatest Love of All」を歌った。


(7)最後まで俺は強くなくちゃ
タイトルに使用した「強くなければ生きていけない」はレイモンド・ チャン
ドラーのハードボイルド小説「プレイバック」で、私立探偵、フィリップ・
マーロウが言った台詞を拝借した。
「強くなければ生きていけない、優しくなければ生きていく資格がない」
原文は「If I wasn't hard, I wouldn't be alive. If I couldn't ever be gentle, 
I wouldn't deserve to be alive.」


<参考資料:Wikipedia、TAP the POP他>

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