2016年6月2日木曜日

Stuff の骨太サウンドが聴ける貴重なアルバム。

◆ Disco Baby - Van McCoy&The Soul Symphony(1975) 

ソウル界の重鎮プロデューサー&作曲家のヴァン・マッコイの自身名義の初アルバム。
シングルカットされた「ハッスル」が全米1位・全世界でレコード売上1000万枚の大ヒ
ヒットを記録し、グラミー賞の最優秀ポップ・インストゥルメンタル賞を受賞。

アメリカをはじめ世界中でディスコ・ブームを巻き起こすきっかけとなった曲だ。
インスト中心で「Do the Hustle!」のかけ声だけの分かりやすい曲が万人受けした。
アルバム・タイトル曲の「ディスコ・ベイビー」もヒットしている。

演奏はザ・ソウル・シンフォニーであるが、エリック・ゲイル、リチャード・ティー、
ゴードン・エドワーズ、スティーヴ・ガッドの名前がクレジットされている。(1)
つまりコーネル・デュプリーとクリス・パーカーを除くスタッフの面々が参加している
わけで、スタッフ・デビューの前年、1975年に残した4人の演奏が聴けるのだ。

ジャケットからも窺えるがアルバム通して聴くとかなりコテコテだ(笑)
ヴァン・マッコイとザ・ソウル・シンフォニーの良さを手っ取り早く楽しむんだったら
ベスト・アルバムを聴いた方がいいと思う。



↑ジャケット写真をクリックすると「The Hustle」が視聴できます。



◆ Stingray - Joe Cocker(1976)

ジョー・コッカーと言うとウッドストックでのエアーギター的絶叫パフォーマンスか、
マッド・ドッグス&イングリッシュメンのイメージが強いが、この頃はアクの強さが
後退し落ち着いた渋いR&Bを聴かせてくれる。

このアルバムではスタッフという名前こそ出ていないが、クリス・パーカーを除くスタ
ッフの5人が裏ジャケットに写真付きでクレジットされている。
ジョー・コッカーのそれまでのアルバムでもリチャード・ティーとコーネル・デュプリ
ーは演奏しているが、5人がそろったレコーディングはたぶんこれが最初と思われる。


スタッフならではの渋く野太い音とグルーヴ感は歌伴でもしっかり味わえる。
おそらくこのレコーディングで彼らはバンドとして活動していく意を固めたのだろう。
半年後の1976年8月モントルー・ジャズ・フェスティバルでデビューを果たす。

このアルバムは名盤だと思う。残念ながら長らく廃盤になっている。
程度のいい中古盤を見つけたら買っておいて損はないだろう。



↑ジャケット写真をクリックすると「Stingray」フルアルバムが聴けます。



◆ Crystal Green - Rainbow featuring Will Boulware(1976)
 
スタッフのモントルーでのデビュー3ヶ月前の1976年5月に、クリス・パーカーとリチャ
ード・ティーを除くスタッフのメンバー4人とウィル・ブールウェア(kb)、マイケル・ブ
レッカー(sax)のセッションで制作されたアルバム。(2)

当時、渋谷の輸入盤店CISCOで見つけてジャケットが気に入り、ミュージシャンのクレ
ジットに興味をそそられて買ったのだが、これが思わぬ拾い物で秀作だった。

ジャケットからも伝わるが、リラックスしたどこか牧歌的とも思える演奏が聴ける。
まさにクロスオーバー創世記ならではの「間」のあるというか、呼吸している音楽だ。
全編で聴けるマイケル・ブレッカーのソロとスタッフっぽいうねりのある演奏の共演が
楽しめるのもこのアルバムならではの魅力だ。


特にいいのが「Feel Like Makin' Love」だった。
ロバータ・フラックの持ち歌であるが、ボブ・ジェイムス、ジェントル・ソウツ(第2
期でリー・リトナーとエリック・ゲイルの共演が聴きもの)もカバーしている。

コーネル・デュプリー、ウィル・ブールウェア、マイケル・ブレッカーとソロを回して
行くのだが、何といってもコーネル・デュプリーのソロが絶品だ。
ゴードン・エドワーズとガッドのリズム隊が少しずつパターンを変えているのも巧い。


実はこのアルバムは伊東潔・伊東八十八という日本の人がプロデュースしている。
クロスオーバーの創世記に日本人が凄腕のミュージシャンを選んでこんなセッションを
組んでいたなんて驚きだ。
この頃の日本の音楽関係者には「儲からなくても質のいい音楽を作りたい」という心意
気があったんだなあ、とつくづく思う。

昨年アナログ盤をすべて整理したのだが、このアルバムは後ろ髪引かれた一枚だった。
復刻CDも今や廃盤だし、やっぱりもったいなかった。。。。



  ↑写真をクリックすると「Crystal Green」から「So True」が視聴できます。
  ※「Feel Like Makin' Love」は残念ながらアップされてませんでした。



◆ Dinner Music - Carla Bley(1976) 
ジャズ・ピアニスト、カーラ・ブレイのアルバム。スタッフが参加。
カーラ・ブレイ・バンドのホーン・セクションが出過ぎだと思う。

◆ Evening Star - 深町純(1977)
シンセが不快。今となっては古臭さを感じてしまう。
せっかくのスタッフの演奏が楽しめない。

※この2枚は個人的には好きではないのでお薦めしません。



My Love - Salena Jones(1981)

サリナ・ジョーンズのバラード中心のアルバム。
旬のバンドをくっつけて売ってみようというビクター音楽産業の企画もの。

その辺のクラブでジャズ・シンガーが歌ってそうな感じ。選曲も凡庸。
スタッフの円熟した演奏はいいけど、いまいち愛聴盤にならず。
でもリチャード・ティーがハモる「I Don’t Wanna Be Alone Tonight」はいい。

スタッフというバンド名がクレジットされたのはこの作品だけかもしれない。
クリス・パーカーは既に脱退していたようだ。



  ↑写真をクリックすると「My Love」収録の「Everyday」が視聴できます。
  エリック・ゲイルの泣き節、歌でもからむリチャード・ティーが聴きどころ。
  ※「Feel Like Makin' Love」は残念ながらアップされてませんでした。



1970年代終わりから1980年初頭にかけてフユージョン系のミュージシャンがロックの
アルバムのレコーディングに起用される(3)ことが多く、その中でもスタッフのメンバー
たちは超売れっであった。

全員ではなくてもスタッフの2〜4人が参加するだけで「スタッフっぽい音」になる。
またスティーヴ・ガッドやリチャード・ティーの名前がクレジットされることだけでも
「売り」になった(4)時代である。

<脚注>

(1)ヴァン・マッコイのアルバム参加ミュージシャン
「Disco Baby」では他にもギターにジョン・トロペイ、ドラムにリック・マロッタなど
ニューヨークの超一流ミュージシャンが名を連ねている。
ゴードン・エドワーズはヴァン・マッコイが1970年代に発表した10枚のアルバムの多く
でベースを弾いている。
エリック・ゲイル、リチャード・ティー、スティーヴ・ガッドも頻繁に登場している。
尚スタッフの2枚目「More Stuff」(1977)はヴァン・マッコイがプロデュースした。


(2)ウィル・ブールウェア、マイケル・ブレッカー
ウィル・ブールウェアはあまり馴染みのない、このレコードで初めて知ったミュージシ
ャンだった。
どういう経緯でリチャード・ティーの代わりに選ばれたのだろう?
ブレッカー・ブラザーズが超売れっ子になる前にマイケル・ブレッカーを起用したのは
鋭いと思う。
であればブレッカー・ブラザーズと組むことが多かったクリス・パーカーを入れてもよ
かったと思うが、そうなるとベースはウィル・リーの方が合いそうな気もするし。
リズム隊はだいたいセットだから、ガッド+ゴードン・エドワーズの骨太路線で行こう
ということになったのかな?


(3)ロックのアルバムにスタッフのメンバーが起用
カーリー・サイモンの「Boys in the Trees」(1978)にはエリック・ゲイル、リチャード
・ティー、ゴードン・エドワーズ、スティーヴ・ガッドが参加している。

ポール・サイモンはスタッフのメンバーと組むことが多かった。
「Still Crazy After All These Years」(1975)にはスティーヴ・ガッド、ゴードン・エド
ワーズ、、リチャード・ティーが参加。
「One-Trick Pony」(1980)ではエリック・ゲイル、リチャード・ティー、ゴードン・エ
ドワーズ、スティーヴ・ガッドの4人が参加してスタッフ・サウンドを聴かせている。

ポール・サイモンはライブでもスタッフのメンバーを起用することが多かった。
映像作品の「Live From Philadelphia」(1980)ではスティーヴ・ガッド、エリック・ゲ
イル、リチャード・ティーの3人がバックを固めている。
「Concert in the Park」(1991)でもリチャード・ティー、ガッドが参加している。

ジェイムス・テイラーの実妹、ケイト・テイラーのアルバム「Kate Taylor」 (1978)
にはスティーヴ・ガッド、リチャード・ティーの2名だけが参加しているるが、それ
だけでスタッフ色が感じられる。


(4)スティーヴ・ガッドがクレジットされることが「売り」になった
ガッドが超売れっ子だった頃、ダブル・ブッキングもよくあったらしい。
レコーディングの遅れが生じると当初の予定より拘束期間が延びるてしまうのだ。
どうしてもガッドが都合がつかない場合、村上”ポン太”秀一が代役で呼ばれることも
あったという。
村上はスティーヴ・ガッドと同じように叩けるドラマーであった。
だからジャケット裏のクレジットはスティーヴ・ガッドになっているが、実は村上が
叩いているという作品も多いらしい。


<参考資料:Wikipedia他>

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