↑(追記)左端はバーニー・ケッセル、右端はハーブ・エリス。
全員に同じフレーズを弾かせてるのか?ジャズ・ギターの大御所の無駄使い。
2人ともフルアコじゃなくテレキャスターのように見える。
(見落としていました。ご指摘くださったHさん、ありがとうございます)
ビートルズのアルバム、レット・イット・ビーのプロデューサーとして。
またジョージの3枚組の大作オール・シングズ・マスト・パス、ジョンの魂、
イマジンを手がけたことでスペクター・サウンド、ウォール・オブ・サウンド
も語られるようになった。
<フィル・スペクターとビートルズ、最初の出会い>
ビートルズはアメリカの音楽を研究し、マニアックな選曲(1)をしていた。
R&Rからポップ・ミュージック、カントリー、モータウン、ミュージカルまで。
マーヴェレッツなど女性コーラス・グループの曲もレパートリーにしていた彼ら
は当然ロネッツのファンでもあり、フィルのファンでもあった。
To Know Her Is To Love Herはビートルズ初期のステージではレパートリー
であり、デッカのオーディション、BBCスタジオ・ライヴでも披露している。
↑ジョージとロネッツ、フィル・スペクター。
クリックするとビートルズ版To Know Her Is To Love Herが聴けます。
1964年1月ロネッツ渡英の際ジョン、ジョージ、リンゴが会いに行っている。
そして1964年2月7日ビートルズが初めて渡米した時、その飛行機にフィルも
乗り合わせていたのだ。(これはフィルがそうなるよう企てたらしい)
↑アメリカに向かう飛行機内のジョン、シンシア、フィル。
↑飛行機のタラップを降りるビートルズの後方、右上にフィルが写っている。
機内でフィルは4人と話をした。一番質問しいていたのはポールだったという。
レコーディングのやり方などに興味があったのだろう。
<インスタント・カーマ>
フィルをロンドンに連れてきたのはアラン・クレインだとジョージは語った。
アラン・クレインはジョンの推薦でアップルの社長に就任し、ビートルズの
マネジメントを任されるようになった。(2)
1970年1月ジョンはInstant Karmaを書き上げ、その日中に録音したがった。
クレインに相談するとフィル・スペクターを推薦され、ジョンは賛成した。(3)
ジョージによると急にジョンから召集がかかり、アビーロード・スタジオへ
行く途中フィルに会ったので一緒に連れて行ったという。
フィルはジョンにピアノ、ジョージとアラン・ホワイトにもピアノ、クラウス
・フォアマンにエレクトリック・ピアノを弾かせ、音に厚みを持たせた。
次にこもったドラム・サウンドをオーバーダヴした。
行く途中フィルに会ったので一緒に連れて行ったという。
フィルはジョンにピアノ、ジョージとアラン・ホワイトにもピアノ、クラウス
・フォアマンにエレクトリック・ピアノを弾かせ、音に厚みを持たせた。
次にこもったドラム・サウンドをオーバーダヴした。
ジョンは4人編成で幅のある質感たっぶりの音を作るフィルに感銘を受けた。
フィルはLAでストリングスを入れたいと申し出るが、発売を急ぐジョンは断る。
シングルは2月初めに英国でリリースされた。
数週間後に米国で発売されたレコードはよりクリーンでタイトになっていた。
フィルがもう一度リミックスしたのだ。ジョンはフィルの才能を賞賛した。
↑クリックするとInstant Karmaが聴けます。
<レット・イット・ビー>
フィルの仕事ぶりに満足したジョンとアラン・クラインは、ビートルズが投げ
出したゲット・バック・セッションのテープの再編集を依頼した。(3)
映画公開に合わせて5月にアルバムを出す必要があったのだ。
フィルはアップル社の地下スタジオで2ヶ月間、連日テープの山と苦闘した。
収録曲とテイクを選び直し、曲によってはストリングスやコーラスを加えた。
ストレードなバンド・サウンド、対比をなす荒削りな部分、重厚なサウンドと
ビートルズの多彩さを打ち出そうとした。
その間ジョンの脱退宣言にショックを受けたポールはスコットランドの農場に
引き篭もりソロ・アルバムを制作中で、フィルが作業してるのを知らなかった。
自分の知らない間にアルバム編集が行われてたこと、当初のコンセプトとは
まったく違う作品になったこと、Long And Winding Roadが原型を留めない
厚化粧の曲になってしまったことへのポールの怒りは大きかった。
ジョンは素晴らしいと絶賛。ソロ・アルバムもフィルに任せることにした。
ミックスに立ち会ったジョージもフィルの仕事ぶりを気に入り自分のソロの
プロデュースを依頼する。
ローリングストーン誌は「スペクターはこれ見よがしにお得意のオーケストラ
とコーラスを駆使し、ビートルズ久々の大傑作となるべきアルバムの荒けずり
な宝石たちを模造品に変えてしまった。フィル・スペクターの大失策」と辛辣
なレビューを載せた。
ジョージ・マーティンも「馬鹿なことをした」と厳しく批判した。
フィルは当初のレコーディングに参加していなかった上に、膨大な録音テープ
から編集するという困難な仕事だったにもかかわらず、ちゃんと形にしたので
自分が責められるいわれはないと憤慨した。
フィルを擁護するジョンとジョージ、非難するポールとの亀裂は大きくなった。
当時このアルバムを聴いた時は、確かに今までとの違和感を持った。
しかし長年聴いてきたわけで、今はこれはこれという受け留め方もしている。
それよりも、こんなにも違って聴こえるのか?という謎が長年残ったままだ。
アビーロード・スタジオのエンジニアは、フィルが全てのトラックにエコー
をかけまくった上でミックスしていた、と証言している。
ふつうエコーをかけると音像がぼやけ奥に引っ込んだように聴こえるものだ。
が、フィルがプロデュースしたレット・イット・ビーはグリン・ジョンズが
編集したゲット・バック(未発表)、ジョージ・マーティンが手がけた今まで
↑フィル・スペクターによるGet Backアルバム・ヴァージョンが聴けます。
↑グリン・ジョンズがミックスしたシングル盤Let It Beが聴けます。
↑フィル・スペクターによるLet It Beアルバム・ヴァージョンが聴けます。
<オール・シングス・マスト・パス>
当時は分かっていなかったが、このアルバムはジョージ流のスワンプ・ロック
で、フィルの進化したウォール・オブ・サウンドで仕上げているのだ。
フィルとジョージは和気藹々で、スタジオは笑い声が絶えなかったという。
セッションに参加したビリー・プレストンによると。。。
「何台ものキーボードに同じコードを弾かせ大きく力強いサウンドを作ろう
としていた。何度も違うオクターヴで弾かされて死ぬほど退屈な思いをした。
僕自身は彼のサウンドのファンではない。ロネッツではうまくいってたけど。
合う曲と合わない曲があるんだ。でもジョージの曲にはぴったりハマってた」
「その場でエコーをかけてレコーディングする。あんなの初めてだった。
全部の機材を同時に回し、しかもそれぞれどう作用し合っているか把握してる。
サーカスだよ。もちろん団長はフィルさ」
圧倒されるくらい壮大なウォール・オブ・サウンドの中でジョージが歌う。
基本的にマントラのくり返しなのだが、フィルのリズムトラック、躍動感あふ
れるベースとドラムがインドの苦行をハッピーなゴスペルソングに変えている。
↑クリックするとMy Sweet Roadが聴けます。
フィルはステレオ・ミックスでもウォール・オブ・サウンドを成立しうること
を実証してみせた。
※この投稿の半年後オール・シングス・マスト・パス50周年リイシューが発売。
Rollingstone誌に関係者が語るフィル・スペクターの功罪が書かれています。
新たな証言もあり、なかなか興味深い。下記URLをクリックすると読めます。
<ジョンのソロ・アルバム>
ジョンの魂はミニマム編成の力強いサウンド、ジョンが心の叫びを歌う名作。
イマジンは曲によってストリングスを加え厚みを出しメリハリの効いた作品。
アルバム、イマジンの録音中ジョンは「いろいろな奴と仕事をしてきたが、
君は本当にすごい」とフィルを褒めちぎっている。
<ジョンのソロ・アルバム>
ジョンの魂はミニマム編成の力強いサウンド、ジョンが心の叫びを歌う名作。
イマジンは曲によってストリングスを加え厚みを出しメリハリの効いた作品。
アルバム、イマジンの録音中ジョンは「いろいろな奴と仕事をしてきたが、
君は本当にすごい」とフィルを褒めちぎっている。
フィルは自分の力に酔い痴れていた。
偉大なビートル二人との仕事で成果を上げ、再び名声を取り戻したのだ。
サムタイム・イン・ニューヨーク・シティを経て、ロックン・ロールを録音中
、フィルの奇行、悪い面が出初めた。ドラッグと酒に溺れて情緒不安定だった。
(ジョンも酒びたりで手に負えない状態だったのだが)
ジョンが歌い始めると奇声を発して遮ってしまう。
終いにはスタジオの天井を銃で打ち抜き、マスターテープを持ち逃げした。
マスターテープは取り返したが、録れていた音は使い物にならなかったそうで、
ジョンは一からアルバムを作り直すことになった。
ジョンが歌い始めると奇声を発して遮ってしまう。
終いにはスタジオの天井を銃で打ち抜き、マスターテープを持ち逃げした。
マスターテープは取り返したが、録れていた音は使い物にならなかったそうで、
ジョンは一からアルバムを作り直すことになった。
ジョンは「フィルは音楽やサウンドに対して驚異的な耳を持っている。それを
利用して、彼がエゴを出し怪物(specter)(5)にならないようにしていた」と
語っていた。
その後ラモーンズなどのプロデュースをするが全盛期ほどの評価を受けること
はなく、フィルは第一線から消えていく。
<ウォール・オブ・サウンドを築き上げた孤独な天才>
フィル・スペクターがォール・オブ・サウンドという革新的な録音手法を生み
出した背景には、彼自身の偏執狂的な性格が影響していたとも言われる。
彼の異常なまでの我が儘と孤独癖は家系的なものらしい。(6)
9才の時に大好きだった父親が自殺したことも影響しているかもしれない。
容姿へのコンプレックスも大きかったろう。
フィルの場合は(幸いにも)その異常性が才能へ結びついたと言える。
少年時代に聴いたR&Rに心酔していた重厚なワーグナーの音をブレンドし、
ロックンロール・シンフォニーを生み出した。
執拗なまでの完璧主義によるスタジオでの試行錯誤。そして独裁体制。
セッションを指揮するフィルは人の意見に傾ける耳を持たなかった。
スタジオではフィルの指示に従うか、去るかのどちらかだった。
利用して、彼がエゴを出し怪物(specter)(5)にならないようにしていた」と
語っていた。
その後ラモーンズなどのプロデュースをするが全盛期ほどの評価を受けること
はなく、フィルは第一線から消えていく。
<ウォール・オブ・サウンドを築き上げた孤独な天才>
フィル・スペクターがォール・オブ・サウンドという革新的な録音手法を生み
出した背景には、彼自身の偏執狂的な性格が影響していたとも言われる。
彼の異常なまでの我が儘と孤独癖は家系的なものらしい。(6)
9才の時に大好きだった父親が自殺したことも影響しているかもしれない。
容姿へのコンプレックスも大きかったろう。
フィルの場合は(幸いにも)その異常性が才能へ結びついたと言える。
少年時代に聴いたR&Rに心酔していた重厚なワーグナーの音をブレンドし、
ロックンロール・シンフォニーを生み出した。
執拗なまでの完璧主義によるスタジオでの試行錯誤。そして独裁体制。
セッションを指揮するフィルは人の意見に傾ける耳を持たなかった。
スタジオではフィルの指示に従うか、去るかのどちらかだった。
スタジオで帝王として振る舞うだけならまだいいい。
少々奇矯な行動に見えても、結果として作品の完成度が高ければ人は納得する。
相手を認めない一方的な自己主張が音楽創造の場だけなら許されるだろうが、
日常的に発揮されれば周囲との間に軋轢を生じないわけがない。
フィルは自我を通し権力者になるため人を騙し、踏み付けにして敵を増やした。
1970年代にはフィル・スペクターの奇人ぶりはすでに伝説の域に達していた。
異常性を増し、ビヴァリー・ヒルズの巨大な邸宅に閉じこもるようになった。
ウォール・オブ・サウンド(音の壁)は心の壁でもあったのかもしれない。
少年時代のフィルにギターを教えたジャズ・ギタリスト、ハワード・ロバーツ
は後にフィルのセッションで単純なフレーズを何時間も弾かされたそうだ。
ハワードはこう回想している。
「フィルはまともじゃなかった。
ハリウッドでの成功というネバー・ランド(7)に入ってしまっていたんだ」
フィルの手法はその後多くのミュージシャンやプロデューサーに受け継がれ、
彼の偉業は尊敬され、彼が残した音楽は今も世界中で愛されている。
そういう意味で、フィル・スペクターは決して孤独ではなかったのだが。。。
↑1989年フィル・スペクターはロックの殿堂入りを果たした。
2004年ローリングストーン誌の選ぶ歴史上最も偉大なアーティストで64位。
<脚注>
(1)ビートルズのマニアックな選曲
マイナーな曲を探し出しカヴァーしていた理由のついてポールは語っている。
「僕らは1日数時間演奏してた。前のバンドと曲がダブるのは避けたいよね。
だからメジャーじゃない歌手のB面とか、誰もやらない曲を探したんだ。
僕らは『他と違うこと』が大事だった」
(2) アラン・クレイン
豪腕、悪徳、コストカッターの異名をとる会計士、マネージャー。
ストーンズがビートルズを上回る額でデッカと契約更新したことを聞いたジョン
がミックに「いったいどうやったんだ?」と電話したところ「アラン・クレイン
がやったんだよ」と言われた。ジョンは早速クレインに会う。
ジョンがヨーコの言いなりであるのを見抜いたクレインはヨーコの芸術性を褒め
個展をやるべきだと持ち上げ、思惑通り二人に気に入られる。
一方ポールはリンダの父、イーストマンに会計を任せようとしていたため対立。
ポールはミックからアラン・クレインはやめておけと忠告を受けていた。
(ストーンズもデッカからの移籍時にクレインを解雇している)
イーストマンではポールに優位と考えたジョージ、リンゴはクレインを擁護。
ここにポール対3人の構図ができてしまった。
(3)なぜフィル・スペクターが推薦されたか?
1966年フィレス・レコードから発売したアイク&ティナ・ターナーのアルバム
のプロデュースを最後にフィルは一線から退き忘れられた存在になっていた。
復活のためにビートルズは打って付けだ。彼らと仕事をすれば失敗はない。
それで渡英しアラン・クレインにプロモートしていたのと思われる。
一方クレインにとっても会計監査からビートルズのマネジメントに踏み込むの
に、「フィル・スペクターを連れて来た」というのは切り札になる。
うまくジョンを取り込めば、マッカートニー+マーティンへの対抗策になる。
タイミングよくジョンがInstant Karmaのプロデュースを相談してきたわけだ。
(4)ビートルズが投げ出したゲット・バック・セッション
ホワイトアルバム制作中にバンドの分裂を危惧したポールは「原点に帰ろう、
一発録りでオーバーダブはなし」と提案する。これにはジョンも賛成。
さらに「リハーサル、レコーディングの様子をフィルムに収めTV特別番組として
放送する、その最後で観客の前でのライブを行う」という案には3人は消極的。
1969年1月2日トゥイッケナム映画スタジオでリハーサルが始まった。
セッションはまとまりがなく不協和音が出始め中断。
1月21日からアップル地下スタジオに移し、セッションが再開された。
ビリー・プレストン(kb)の参加により音の厚み、R&B色が加わる。
またメンバー間の緊張感も和らぎ、雰囲気が良くなった。
曲も絞り込まれ、テイクを重ねていく。
映像作品のハイライトとして1月30日、アップル社屋上でライブを敢行。
翌31日、ライブ向きでない3曲をレコーディング。一応セッションは終了。
90時間以上の録音テープ、撮影フィルムが手つかずのまま残された。
3月初旬、ジョンとポールはグリン・ジョンズに丸投げでアルバム制作を依頼。
グリン・ジョンズはテープの山と格闘し使用する音源を選ぶ作業を開始する。
アルバムの体裁が整ったのは5月28日。
ビートルズの意図を汲んでリハーサルテイクや会話も散りばめられていた。
しかし却下。特にジョンは嫌悪感を露わにした。
ゲット・バックのアルバムは延期に次ぐ延期の泥沼状態で放置されていた。
(5)怪物(specter)
フィル・スペクター(Phil Spector)に掛けている。ジョンらしい言葉遊びだ。
余談だが、007のスペクター(SPECTRE)はSpecial Executive for Counter
-intelligence, Terrorism, Revenge and Extortion(対敵情報、テロ、復讐、
強要の特別機関)だが、恐ろしいもの(specter)のニュアンスがある。
(6)家系的な精神疾患
父親はフィルが9才の時に自殺。フィルの姉も精神病院に収容されている。
(7)ネバー・ランド
英国の作家J.M.バリーが創作したピーター・パンが住む架空の島。
Never Never Landとも呼ばれる。
ネバー・ランドの住人は基本的に年を取らない。
ピーター・パンは成長する(大人になる)ことを拒絶するキャラクター。
そのためネバーランドは「永遠の子供、現実逃避」の象徴になっている。
<参考資料:名盤レコーディングから読み解くロックのウラ教科書、OVO、
HMV&BOOKS online、芽瑠璃堂、フィル・スペクター 甦る伝説、Rollingstone、
グリン・ジョンズはテープの山と格闘し使用する音源を選ぶ作業を開始する。
アルバムの体裁が整ったのは5月28日。
ビートルズの意図を汲んでリハーサルテイクや会話も散りばめられていた。
しかし却下。特にジョンは嫌悪感を露わにした。
ゲット・バックのアルバムは延期に次ぐ延期の泥沼状態で放置されていた。
(5)怪物(specter)
フィル・スペクター(Phil Spector)に掛けている。ジョンらしい言葉遊びだ。
余談だが、007のスペクター(SPECTRE)はSpecial Executive for Counter
-intelligence, Terrorism, Revenge and Extortion(対敵情報、テロ、復讐、
強要の特別機関)だが、恐ろしいもの(specter)のニュアンスがある。
(6)家系的な精神疾患
父親はフィルが9才の時に自殺。フィルの姉も精神病院に収容されている。
(7)ネバー・ランド
英国の作家J.M.バリーが創作したピーター・パンが住む架空の島。
Never Never Landとも呼ばれる。
ネバー・ランドの住人は基本的に年を取らない。
ピーター・パンは成長する(大人になる)ことを拒絶するキャラクター。
そのためネバーランドは「永遠の子供、現実逃避」の象徴になっている。
<参考資料:名盤レコーディングから読み解くロックのウラ教科書、OVO、
HMV&BOOKS online、芽瑠璃堂、フィル・スペクター 甦る伝説、Rollingstone、
Wikipedia、イマジン ジョン&ヨーコ、Sound&Recording、音楽の冗談、他>
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