2018年5月26日土曜日

追悼ノーキー・エドワーズ。

ノーキー・エドワーズ氏が2018年3月12日に亡くなった。(享年82歳)
前年末に受けた腰部手術後の合併症(感染症)のためらしい。

恒例の年2回のベンチャーズの来日公演(夏がジェリー・マギー、冬がノーキー・
という編成)で続いてたが、一昨年にノーキーは高齢と体力低下により最後の来日
となることを表明していた。

さらに翌年ドン・ウィルソンが、今年になってジェリー・マギーが高齢を理由に
日本ツアーから引退。伝統のベンチャーズ日本公演は幕を閉じた。



昨年BSで放映された「 SONG TO SOUL ウォーク・ドント・ラン/ベンチャーズ」
について書いたばかりだが、ドン・ウィルソンとジェリー・マギーのインタビュー
はあったものの、ノーキーの出演が無かったので体調を案じてはいた。



僕は熱心なベンチャーズ・ファンではないし、コンサートにも行ったことはない。
が、ノーキー・エドワーズ単独来日公演を見に行ったことがある。
チケット代なんと2000円(当日可)という敷居の低さも魅力だった。

2005年5月4日。場所は麻布区民ホール。
六本木のロアビルを曲がって鳥居坂下に向かってすぐ。
通りを挟んで向かいには東洋英和女学院がある閑静な場所だ。
当日は雨模様で開演待ちの客が並んでいた。





会場はキャパ200名ほどで、可動式のパイプ椅子が並べられていた。
入ってみてちょっと異様な雰囲気に驚いた。

僕以外はほとんど団塊世代の人たちで、オジサンの休日ファッションである。
いわゆる武道館やドームのロック・コンサートの客層とは違うのだ。

三脚を立てビデオカメラを構えたオジサンたちが後ろの方に並んでいる。
え?撮影オッケー?録音もオッケーらしい。
顔なじみの常連さんが多いらしく、何やら撮り方の情報交換なんかもしてる。
そんな中で僕と友人は浮いていた(笑)



ノーキー翁が登場。椅子に座ってベンチャーズのお馴染みの曲を演奏。
演奏はエルカミーノ・スペシャルバンドというコピーバンドが担当。
なるほど。ノーキーは身一つで来れるからこの価格でやれるわけだ。

PA、照明、進行も素人っぽく、それなりに味がある。
ファンによる手作りコンサート、といった雰囲気だ。
ノーキーも客席に微笑みかけたり、ノリノリのファンを指さしたり余裕だ。


使用していたのはヒッチハイカー・ノーキー・エドワーズモデル(1)
アンプはPEAVEYだったように記憶している。
中盤とアンコールではヒッチハイカー・ブランドのアコースティックギター
を弾いていた。






前の方の席を確保できたため、ノーキーの手元もばっちり見ることができた。
ほとんどの曲でサムピックを使っていた。
彼が「チェット・アトキンスから影響を受けた」というのも納得。



以前「どこかの空港でジョージ・ハリソンが彼を見つけて歩み寄り、話しかけ
てきた」というノーキーの談話を読んだことがある。
「君の『RAP CITY』のフレーズを『HELP!』で使わせてもらったよ」と言わ
れたそうだ。

「Won’t you please please help me」の後、下降するリフのことだ。
やってみたことがある方なら分かると思うが、意外とスムーズに行かない。




オルタネイト・ピッキング(2)では音がブツ切れであの流れる感じが出ない。
近年メタル系で主流になりつつあるエコノミー・ピッキング(3)で5〜2弦を
ダウンで弾く方がスムーズだが、5弦にピックを戻す余裕がない。

サムピックを用いれば簡単にできてしまうのだが、ジョージはサムピックを
使用していない。
おそらくフラットピックで5〜4弦をダウンで、3〜2弦は中指、薬指で弾いて
いるのではないかと思われる。
「All My Loving」の間奏と同じである。



ノーキー本人は元来サムピッカーだったが、ベンチャーズ時代はフラットピック
を使用しているので、同じような弾き方をしていたんじゃないだろうか。

寺内タケシや加瀬邦彦、加山雄三はノーキーと公私ともに親交が深い。
加山雄三はノーキーからプレゼントされたパールホワイトのモズライトを映画
「エレキの若大将」で弾いている。

ベンチャーズの来日時、寺内タケシと加瀬邦彦はノーキーが楽々とベンディング
(チョーキング)しているのを見て、彼の使用弦が細いことに驚いたという。

かつてはエレキの弦も太く3弦は巻き弦だった。
ノーキーの要望でアーニー・ボール社がライトゲージを製作したという。



余談だが僕がギターを弾くようになった1971年頃でさえ、ヤマハなど国産のエレ
キ弦は3弦が巻き弦だった。
当時ヤマハが出版していた「ライトミュージック」という音楽誌には5〜1弦を
をずらして張って、エレキ12弦の1弦を張るといい、と書いてあった。

だったらちゃんとエレキ用ライトゲージを作れよ!と思ったものだ。
フェンダーの弦は当時で2000円。高校生にはハードルが高かった。






1960年代ベンチャーズは日本にエレキギター・ブームを巻き起こした。
その影響力はビートルズ以上だったと言っていい。

多くの若者たちにエレキを手に取るきっかけを作ったのもベンチャーズだ。
それは前にも書いたが、ベンチャーズならではの要素があったからだと思う。

1)彼らの曲には日本人が親しみやすい「泣き」のメロディがあった

2)歯切れのいい、掴みやすいビートで日本人にもノリやすかった
(本来はアフタービートの曲なのだが、日本人の前拍の手拍子でも合わせられた。
縦ノリだけでなくスイングする部分もあるが、そこを理解してなくても演奏できた)

3)英語が苦手な日本人でも歌わなくて済む、インストゥルメンタルであり主メロ
 を弾くリード、リズムギター、ベース、ドラムが揃えばできた



このところ「ロックな青春映画10選」を書いていたが(あ、3ヶ月もサボっていて
すみません)、実は最後に「青春デンデケデケデケ」を取り上げるつもりだった。

ノーキー・エドワーズ氏の死を悼み、心から冥福をお祈りします。
「エレキの若大将」の澄ちゃん役、星由里子さんが亡くなったのも寂しい。


<脚注>