2021年4月17日土曜日

日本のロックは1965年のベンチャーズ来日で始まった(3)

                                                                                          
(1965年 週刊明星)


<1965年7月、ベンチャーズ3回目の来日で単独公演>

1月の来日から半年、7月に再びベンチャーズは日本にやって来た。
いや、日本のファンにとってはベンチャーズが帰って来た!というべきか。

実は1月の公演は前年11月28日に発売され、その日のうちに完売したそうだ。
1月13日の札幌でベンチャーズは15公演を終え帰国するはずだったが、あまり
の反響から14日に渋谷のリキ・スポーツパレス追加公演(ダンスパーティー)
が行われた(翌15日にその模様がフジテレビで放映)ことは前回も書いた。

そして1月の来日前にすでに7月の来日公演が決定したというから驚きである。


ベンチャーズ人気が高まると同時に、エレキギター・ブームが起きていた。
来日直前の6月フジテレビ系列で「勝ち抜きエレキ合戦」が始まる。

ベンチャーズ人気の沸騰、空前のエレキギター・ブームの中、ベンチャーズは
3度目の来日を果たす


                                                                                        (1965年 週刊明星)


7月22日、東武デパート屋上でのサイン会には2万人のファンが押し寄せた。

7月24日〜9月3日にベンチャーズは全国28都市(四国、長野、新潟を除く)を
周るコンサート・ツアーを敢行。公演回数は58回観客動員数は17万人

東京だけでも厚生年金会館×8回、サンケイホール×6回、東京音協例会×2回、
台東体育館×1回、大田区民会館×1回、八王子市民会館×1回。
横浜、川崎、平塚、葉山、静岡、浜松、名古屋、大阪×4回、神戸、京都×6回、
広島、福岡、別府、高崎、金沢×2回、富山、福島、山形、仙台、秋田、室蘭、
旭川、帯広、釧路で公演を行なう。

来日アーティストが訪れる機会が少ない地方にも旋風を巻き起こした
これが日本で全国的にベンチャーズが愛された理由になっていると思う。



今回は前座を入れず、ベンチャーズ単独で45分のステージを2回の2部構成
新曲も多く披露し、全国のファンを熱狂させた。

演奏曲や順序は公演日や会場によって少し異なる。
ライブ収録されたと思われる7月25日(1) 厚生年金会館の演奏曲は以下の通り。

<第1部>
1. クルーエル・シー
2. ペネトレイション
3. ウォーク・イン・ザ・ルーム
4. 10番街の殺人
5. 朝日のあたる家
6. ラップ・シティ
7. 夢のマリナー号
8. ピンク・パンサーのテーマ
9. アウト・オブ・リミッツ
10. イエロー・ジャケット
11. ラヴ・ポーションNo.9
12. 悲しき街角(ドンのボーカル)
13. ウォーク・ドント・ラン’64
14. ワイプ・アウト

<第2部>
15. ベンチャーズ・メドレー(ボブがリード、ノーキーがベース)
(ウォーク・ドント・ラン~パーフィディア~木の葉の子守歌)
16. 悲しき闘牛(ボブがリード、ノーキーがベース)
17. テルスター(ボブがリード、ノーキーがベース)
18. ドライヴィング・ギター
19. フィール・ソー・ファイン(ドンのボーカル)
20. パイプライン
21. アパッチ
22. アイ・フィール・ファイン
23. サーフ・ライダー
24. ブルドッグ
25. バンブル・ビー・ツイスト
26. ダイアモンド・ヘッド
27. キャラバン(アンコール)

前日7月24日(初日)はサマータイム、星への旅路を含め29曲演奏された。(2)


      


8月11日には葉山マリーナのプールサイドで演奏。
右下にメル・テイラーにドラムの手ほどきを受ける?星由里子(澄ちゃん!)
加山雄三、ノーキー、ドン、ボブが楽しそうに見ている写真が載っている。
ここにはザ・ヒットパレードに出演した時の交歓風景と記されているが、
正しくは後述の「花椿ショー スターの広場」ではないかと思う。
      
<2023/3/30 訂正> THE M VENTURESさんから情報をいただきました。
写真はザ・ヒットパレードに出演した時の交歓風景だそうです。
 THE M VENTURES さん、ありがとうございました。


                                                                                    (ミュージック・ライフ)




<TV出演>

7月28日フジテレビ系列の番組「花椿ショー スターの広場」(3)で、加山雄三
&ランチャーズとベンチャーズが初共演した。
7月28日と8月4日の2回放送されたが、7月28日に2回分収録したのだろう。





↓「花椿ショー スターの広場」出演時のランチャーズとベンチャーズの演奏が
聴けます。(NEW!)

ブラックサンドビーチ
https://youtu.be/bai7PYkMZpA

ベンチャーズメドレー
https://youtu.be/WzAJjFVyqOU

10番街の殺人
https://youtu.be/_1MAzj5Fma0



<2023/3/30 追記>
THE M VENTURESさんがYouTubeにアップしてくれた音源です。
以前のリンク先より、はるかに音質のいい貴重な音源です。

「ベンちゃん'sア・ゴー・ゴー」サイトを運営されていた方(ご逝去されたとの
こと。ご冥福をお祈りいたします)から譲り受けた音源だそうです。

上の写真は「花椿ショー スターの広場」出演時のもの。初めて見ました!
これもTHE M VENTURESさんのYouTubeより使用させていただきました。

階段状のステージで、ブラックサンドビーチの音源ではランチャースがベンチャ
ーズと交代する際の階段を昇り降りする音が確認できます。
加山雄三はこの時ジャズマスターを、他メンバーもフェンダーを使用している。
アンプはグヤトーン。ベンチャーズと共用したようです。

THE M VENTURES さん、ありがとうございました。



ダイアモンド・ヘッド/ベンチャーズ、ブラックサンドビーチ/ランチャーズ、
キャラバン/ベンチャーズの3曲。
加山雄三はブラックサンドビーチはこの番組の3日前に作曲したと言っている(4)
この共演を機にノーキー、ベンチャーズと加山雄三の友情が始まった。

ツアー終了後、ノーキーはパールホワイトのモズライトを加山にプレゼント(5)
加山雄三は12月公開映画「エレキの若大将」でこのモズライトを弾いている。



※下の写真は翌1966年3月の来日時、日本テレビのビッグ・ヒット・ショー
に出演し2回目のTV共演をした時のもの。
ノーキー、ドン、ボブはキャンディー・レッドのモズライト、加山雄三は
前年にノーキーが使用していたパールホワイトのモズライトを使用している。
加山雄三は「エレキの若大将」の挿入歌、夜空の星か、この翌月発売になる
蒼い星くずを歌っているのではないか、と思われる。(6)

<追記> THE M VENTURES さんから情報をいただきました。
左の2台の台形のコンボ型真空管アンプはモズライトの試作機だそうです。
尚、市販された時はトランジスタ製になったようです。
 THE M VENTURES さん、ありがとうございました。




尚、同じ7月28日にフジテレビ系列のザ・ヒットパレードに出演したという
記録も残っている。同じ日に2つの番組に出演したのかどうか不明。
(両番組とも河田町のフジテレビのスタジオでの収録なので可能ではある)

8月1日にはフジテレビ 日曜お好み劇場「ザ・ベンチャーズ・ショー」として
厚生年金会館でのライブの模様が放送された。
(7月25日の公演を局が収録したのか?後述の映画の一部を紹介したのか?)

フジテレビ「スター千一夜」に出演したという記録もある。
1965年7月の来日時は6回テレビに出演しているが、すべてフジテレビだった。




<映像作品>

1967年7月〜の来日はモノクロ70mmシネマスコープで撮影され、翌年1966年
7月に映画「ザ・ベンチャーズ '66 スペシャル~愛すべき音の侵略者達」(英題
Beloved Invaders The Ventures 松竹富士)が全国で公開された。(7)





タイトルに '66とあるため1966年のライブと誤解を与えるが、1965年7〜9月
来日時に撮影されたものである。


脚本・監督がアメリカ人のためか、視点がアメリカから見た日本でおもしろい。
(撮影クルーは日本人、ナレーションは大橋巨泉)
絶頂期のベンチャーズの演奏がハイクオリティで見られ、オフステージの様子
日本のファンとの交流、当時の若者の姿も捉えられた貴重な記録映画でもある。
ベンチャーズの会話が牟田禎三ら俳優の吹き替えという違和感はあるが。
(当時、日本語版と英語版の2種類が
制作された) 



↑「ザ・ベンチャーズ '66 スペシャル~愛すべき音の侵略者達」が観れます。
(演奏は22'30"〜)




ベンチャーズの演奏は17曲収録されている。撮り方も編集も巧い。
アンプの配置から東京厚生年金会館での公演、横浜、京都、大阪、広島での
公演やオフステージ、移動時間を撮影し編集したのはないかと思われる。




曲によってアンプの前に立ちマイクがある映像とないものが混在している。
立ちマイクが置かれた映像は隣のアンプの音が入らないように、3台のアンプが
他の映像よりは離れて設置されている(前回1月公演収録時での音の被り、歪み
、残響を改善するためか)ので、その日に録音したのだろう。

録音用機材の調達などを考えると東京(保険の意味で2会場で)の可能性が高い。
使用されている音源は実況録音盤として1966年3月に発売されたAll About The 
Ventures(邦題:ベンチャーズのすべて ※後述)と同じである。


よく見ると音と映像がややズレ気味な部分がある。




この映画は1987年にビデオ、LD化された。(後にDVD化)
東芝EMI映像制作室の佐藤恒夫氏によるとかなり大変な作業だったようだ。

35mmフィルムは東洋現像所(現IMAGICA)に保管されていたのを発掘。
シネスコサイズ(ワイドスクリーン)のネガを4:3のテレシネサイズ(旧テレビ、
ビデオ、LD、DVDのアスペクト比)にして1インチビデオに変換する。
(この際、上下が黒味になる)(8)

日本語版と英語版の2種類制作されているが、音声(フィルムの映像の横に
入っている)は英語版しか見つからない。




フィルムに入ってる音を抜き出し1インチビデオに入れることにした。
が、問題があった。
1) 映画館で使用したプリントのため音はモノラルである。音質も良くない。
2) フィルムに傷やコマの欠損(9)があり、演奏が何箇所も音飛びしてしまう。

演奏部分はステレオで録音されたスコッチのテープ(レコード用のマスター
とは違うようだ)を捜し出し、映像にシンクロさせる作業が始まった。

現在のようにコンピューターを使ってタイムコードで簡単にシンクロ作業でき
るわけではない。
映像を見ながらシンクロさせていくアナログの根気の要る作業になる。
当時の古いテープレコーダーと現IMAGICAの使用機器とは微妙な回転スピー
ドの違いもあり、許容範囲内で若干ピッチを調整しシンクロさせたそうだ。


これが前述の音と映像のズレの原因だ。
メルの叩くタイミングとリズムが若干合ってない部分があるのも納得。
それよりも貴重な映像の記録がこうして残されていることに感謝したい。




映像で見ると、ベンチャーズの演奏力の高さ、醍醐味がさらに伝わる
ノーキーの多彩なプレイ、ドンの力強いリズムギター、ボブの元祖リード・
ベースとでも言うべきベースギターの枠を超えたベースライン、パワフル
でありながら小技の効いたメルのドラミング。

スティーヴ・ガットが自分の原点はメル・テイラーと言ってたのも納得。
左手の返し、スナップの利かせ方がすごい。
後のスティーヴ・ガットの左手だけでハイハットとスネアを叩く(右手はライド
シンバルやタム、フロアタムを叩く)という超人技の雛形になってるのだろう。


今回はノーキー、ドン、ボブの3人ともパールホワイトのモズライトを使用。
映画ではアンプは3人ともフェンダー製ブロンドのピギーバッグを使用している。
(他の公演の写真を見ると、会場によって全員グヤトーン、ピギーバッグ
グヤトーンの組み合わせなど、違いが見られる)





<ライブ盤>

1月公演の実況録音ベンチャーズ・イン・ジャパン(Ventures In Japan)
が8月(7月〜の3回目の来日の最中)に発売されたことは前回も書いた。

今回も厚生年金会館での公演が録音され、ベンチャーズ・イン・ジャパン第二集
(Ventures In Japan Vol.2)として翌1966年3月に発売された。
(7月25日の公演とされるが、星への旅路はこの日ではなく前日7月24日の演奏。
2〜3回分を収録していいとこ採りしてたのではないかと思う)


ベンチャーズ・イン・ジャパンの続編として制作されたこのアルバムは、前作
に勝るとも劣らない聴き応えのある作品となった。
前作に収録された定番曲とかぶらない、珍しい曲中心の構成である。

<収録曲>
1. クルーエル・シー
2. ペネトレーション
3. アイ・フィール・ファイン
4. 朝日のあたる家
5. アウト・オブ・リミッツ
6. ウォーク・イン・ザ・ルーム
7. ベサメ・ムーチョ・ツイスト 
8. 星への旅路
9. ラップ・シティー
10. ラヴ・ポーションNo.9
11. ピンク・パンサーのテーマ
12. 夢のマリナー号
13. イエロー・ジャケット
14. サーフ・ライダー
15. ダイアモンド・ヘッド


今回のジャケットは東京ヒルトン・ホテルの茶室で撮影された。
スーツ姿の4人が屏風の前で胡座座り。手前に抹茶碗と茶道具が置かれている。
和室と補色関係の赤字でタイトル。スーツのブルーとの対比もいい。



↑クリックすると1965年7月 日本公演のアウト・オブ・リミッツが聴けます。


全体にアップ・テンポで荒けずりの演奏だが、ライブならではのグルーヴ感、
スピード感が伝わる。さすが、と思わせる素晴らしい堂々とした演奏だ。
ピッチも本来のものになった。
今回も東芝音楽工業による収録のようだ。

各楽器の音がクリアで分離も前回より良くなっていて非常に聴きやすい
(写真や映像で確認すると)録音を行なった日は3台のアンプを離してやや上向
きに斜めにセットされ、マイクもアンプに近づけ高い位置に立てられている。
前回の録音での音の歪みと楽器のかぶり、床からの反響が解消された。


1965年でこれだけ完成度の高いライブ盤が録れているということ自体すごい
ベンチャーズの演奏力に加え、録音エンジニアの技量も優れている。(10)

ただしライブの臨場感と迫力いう点では前作に軍配が上がるという人もいる。
1月公演のキャラバンではメルのハイハットが会場の壁の反響を拾って、実際の
音より少し遅れて聴こえてくるのまで分かる。
楽器のかぶり、歪みも含め、音が遠い感じがかえって臨場感を煽り、その場に
いるような錯覚に浸れる、ということだ。




裏ジャケットはステージでの演奏風景。
3人ともパールホワイトのモズライト。
アンプはボブはグヤトーンの大型ベースアンプ、ノーキーとドンはバンドマスター
・ピギーバッグのブラックフェイスにも見えるが、フェンダーのロゴがない。
微かにGマークが見えるので、グヤトーンのコンボアンプではないかと思う。
アンプの前にマイクが立てられてるのでこの日も収録してるのだろう。
ということは新宿厚生年金会館か。。。


7月来日時の実況録音盤はもう1種類、翌1966年3月に同時発売された。
2枚組のボックス、ベンチャーズのすべて(All About The Ventures)。
当時、赤箱と呼ばれていた。

ベンチャーズ・イン・ジャパン第二集収録曲に収録されなかった曲も加え、
公演で演奏された曲をほとんど収録(26曲)したデラックス盤である。
(ベンチャーズ・イン・ジャパン第二集はここからのダイジェストとも言える)



↑クリックすると1965年7月 日本公演のペネトレーションが聴けます。


ただしベンチャーズ・イン・ジャパン第二集に入っていたピンクパンサーの
テーマが、なぜか2枚組のベンチャーズのすべての方には入ってない。
そのため両方買ったファンも多いそうだ。


<収録曲> Part-1
1. クルーエル・シー
2. ペネトレーション
3. ブルドッグ
4. アイ・フィール・ファイン
5. 朝日のあたる家
6. アウト・オブ・リミッツ
7. 10番街の殺人
8. ベサメ・ムーチョ・ツイスト
9. ラヴ・ポーションNo.9
10. 星への旅路
11. ウォーク・イン・ザ・ルーム
12. ウォーク・ドント・ラン’64
13. ラップ・シティー
14. ワイプ・アウト

<収録曲> Part-2
1. ベンチャーズ・メドレー(ボブがリード、ノーキーがベース)
(ウォーク・ドント・ラン~パーフィディア~木の葉の子守歌)
2. 悲しき闘牛(ボブがリード、ノーキーがベース)
3. テルスター(ボブがリード、ノーキーがベース)
4. 夢のマリナー号
5. ドライヴィング・ギター
6. アパッチ
7. イエロー・ジャケット
8. パイプライン
9. サーフ・ライダー
10. バンブル・ビー・ツイスト
11. ダイアモンド・ヘッド
12. キャラバン

★はベンチャーズ・イン・ジャパン第二集には収録されてない曲。



↑クリックすると1965年7月 日本公演の10番街の殺人が聴けます。



<1965年コンプリート盤のCD化>

1998年3月ベンチャーズ・コンプリート・ライヴ・イン・ジャパン'65がCD化
キャラバン、ピンク・パンサーのテーマ、2曲とも収録。めでたしめでたし。


<収録曲>
イントロダクション
1. クルーエル・シー
2. ペネトレーション
3. ブルドッグ
4. アイ・フィール・ファイン
メンバー紹介
5. 朝日のあたる家
6. アウト・オブ・リミッツ
7. 10番街の殺人
8. ベサメ・ムーチョ・ツイスト
9. ラヴ・ポーション・No.9
10. ウォーク・ドント・ラン′64
11. ウォーク・イン・ザ・ルーム
12. ラップ・シティ
13. ワイプ・アウト
14. メドレー(ウォーク・ドント・ラン〜パーフィディア〜木の葉の子守唄)
15. 悲しき闘牛
16. テルスター
17. ドライヴィング・ギター
18. 夢のマリナー号
19. ピンク・パンサーのテーマ
20. イエロー・ジャケット
21. アパッチ
22. パイプライン
23. サーフ・ライダー
24. 星への旅路
25. バンブル・ビー・ツイスト
28. ダイアモンド・ヘッド
29. キャラヴァン


曲順は7月25日の厚生年金会館に近いが少し違う。編集してあるようだ。
とはいえ、冒頭の紹介、メンバー紹介、ベンチャーズ・イン・ジャパン第二集
およびベンチャーズのすべてでカットされたビン・コンセプションによる曲の
紹介まですべて収められているので、公演をほぼ丸ごと聴ける感じだ。

個人的には曲ごとに入る「あなたの大好きなダイアモンド・ヘッド」という
ビン・コンセプションのカタコト日本語は鬱陶しい。無い方がいい。
が、リアルタイムで聴いたファンにとってはこれも時代の記録なのだろう。



↑クリックすると1965年7月 日本公演のパイプラインが聴けます。


ジャケットもいい。3人ともパールホワイトのモズライト。
アンプはこの写真の公演では3人ともグヤトーンだ。
ボブはグヤトーンの大型の縦置きを2台、ノーキーとドンもその半分くらいの
縦置きグヤトーンをそれぞれ2台ずつ並べている。ヘッドアンプが手前に見える。


<追記> THE M VENTURES さんからご指摘をいただきました。
東京公演は全てグヤトーンだった(グヤトーンとの契約があった)だそうです。
7月公演を収めたALL ABOUT THE VENTURES、CD化されたコンプリート・
ライヴ・イン・ジャパン'65に写っているのはグヤトーンのGA1200だそうです。
映画BELOVED INVADERSではドンとノーキーはフェンダーのショウマンを
使用しているのが確認できるそうです。
THE M VENTURES さん、丁寧に教えていただいてありがとうございました。


スティックを高く振り上げた右手。メルのドラムは炸裂している。
この瞬間が全てを物語っている。
ベンチャーズの絶頂期のライブが聴ける名盤中の名盤である。


このCDを聴いて改めてベンチャーズの底力を知ったような気がする。
演奏技術、スピード感、ぐいぐい引っ張っていくグルーヴ感、そして気迫。
スタジオ録音では味わえないベンチャーズはライブで聴くべし!



↑クリックすると1965年7月 日本公演のワイプアウトが聴けます。


尚、このCDはUS盤も出ている(写真のようにジャケットがダサい)が、
そちらの方が帯域が広く音が自然、対して日本盤はコンプレッサーをかけて
メリハリを付けた音、と評している人もいる。





<1965年ベンチャーズ夏の来日がもたらした影響>

7〜9月の全国行脚で日本中がベンチャーズ・サウンドに揺れ人気が沸騰した。
そして空前のエレキギター・ブーム。日本全国にエレキバンドが出現。


エレキは不良というレッテルを貼られ、社会的な現象にまでなった。
1965年時点でベンチャーズはビートルズを凌ぐ人気で若者に影響力があった。
モンキーダンス、ゴーゴーもブームとなるが同じく不良、非行の温床とされる。

1966年8月10日、銀座のど真ん中にモンキーダンス専用ホール、モンキー・
・ゴーゴーが開店。
オープン記念に来日中のベンチャーズとアストロノウツが出演したらしい。
しかし1ヶ月で閉店。(当局の圧力?銀座に相応しくないから?経営破綻?)


1965年冬、東宝映画「エレキの若大将」が公開エレキ・ブームはピークへ
夏公開の「海の若大将」ではFホールのアーチトップギター(当時はピックギタ
ーと呼ばれた)を弾いてた加山雄三が、「エレキの」ではテスコ、ヤマハ、
ノーキーから譲ってもらった?モズライトを弾いている。(11)



↑クリックすると「エレキの若大将」の予告篇が観れます。



↑加山雄三&ランチャーズのブラック・サンド・ビーチ。
本家ベンチャーズに負けてません。いかすぜ!若大将(死語)




1965年6月にアメリカ本国で唯一のライブ盤、ベンチャーズ・オン・ステージ
(The Ventures On Stage Around The World)が発売された。
内容は10曲中4曲が日本公演、3曲がイギリス公演、3曲がアメリカ公演の音源
とされているが、スタジオ録音に拍手等のSEをかぶせた擬似ライブ(12)である。



↑右の写真は1965年1月の日本公演。
ドンのグヤトーンのアンプは後にブロック2段積みを支えに傾けてある。


1966年3月の来日公演が翌1967年1月、オン・ステージ・アンコールとして
発売されたが、これもスタジオ一発録りに拍手歓声を被せた疑似ライブ。




1967年夏の来日公演を収録したベンチャーズ・アゲイン~北国の空が翌1968
年1月に発売された。
厚生年金会館で収録されたライブだが、アンコールからも4曲流用されている。
演奏は申し分ないが、この頃から歌謡路線の選曲になっている。




1968年にノーキー脱退後に加入したジェリー・マギーで、ベンチャーズ歌謡
の色が強くなり、日本との親和性はますます高まる
日本びいきで毎年恒例のように来日。
反面、本国アメリカでは1960年代末にどんどん変化していくロックの流れに
は乗れず、ハワイ5-0のヒット以後は過去のバンド的な存在になってしまった。


アメリカでは絶頂期のベンチャーズの本当のライブ音源は残されていないが、
我々は黄金期の4人の1965年日本公演が聴けるのだからラッキーだ。

その迫力、卓越した演奏技術は今聴いても充分、すごい!と思える。
若いミュージシャンたちにも聴いてもらえると、勉強になるんじゃないかな。





今回もベンチャーズ・ファン歴が長くシャドウズ、チェット・アトキンスなど
ギター・インストに詳しいHさんに教えていただいた情報を元にまとめました。
根気強く質問に答えていただき、お付き合いいただいたことに深く感謝します。
Hさんのご協力のおかげでなんとか形になりました。
また個人で情報をアップされてる方のブログやサイトも参考にさせてもらったが、
コンタクトが取れず許諾のないまま転用させてもらった箇所もある。ご容赦を。
脚注の参考資料に出典を記載しておくので問題がある場合はご一報ください。


<脚注)

2021年4月5日月曜日

日本のロックは1965年のベンチャーズ来日で始まった(2)



<1965年1月、ベンチャーズ2回目の来日>


前年の1964年にウォーク・ドント・ラン(急がば廻れ)、アストロノウツの
太陽の彼方がヒットし、サーフロック、エレキ・ブームの機運が高まる。

1965年1月、満を時してベンチャーズは2回目の来日公演を行う。
今回はドン、ボブ、ノーキー、メル、4人の黄金メンバー揃っての来日である。


プロモーターの協同企画(現キョードー東京)は安全策としてベンチャーズ
とアストロノウツの2本立てで公演スケジュールを組む。(1)
東京と横浜は、前座にジャニーズ、寺内タケシとブルージーンズが出演。
司会はビン・コンセプション。(2)

タイトルは「エレキが炸裂する!新春日米リズム競演」。時代を感じるなあ。
ちなみに新宿厚生年金ホールのチケット代は400、600、800、1000円だった。




1月3日~14日に東京は新宿厚生年金会館で4回、リキ・スポーツパレスで6回、
サンケイホールで1回、大阪フェスティバルホールで2回、横浜文化体育で1回、
愛知県文化会館、札幌市民会館でそれぞれ1回、計16回の公演が行われた。


リキ・スポーツパレス(3) では新春大ダンスパーティーとして開催された。
当初公演は3日から13日の15回の予定だったが、大反響により14日に渋谷の
リキ・スポーツパレスで追加公演(ダンスパーティー)が行われ、その模様が
収録され、翌15日に成人の日特集としてフジテレビで放映さた。



                            (写真:gettyimages)
↑今では考えられないような密状態。肩車で踊るわ、二階席から乗り出すわ。
警備はいなかったのか?対照的にステージは高校の文化祭並みに狭い(笑)
アンプは日本側で用意したグヤトーンのようだ。(グリルにGマークがある)
ノーキーとドンはコンボタイプ、ボブのベース用は立て置きの大型アンプ。

(ギターマガジンではこの写真を新宿厚生年金会館としているが間違い。
厚生年金のホールは固定座席のため取り外してダンスホールにはできない。
吹き抜けがあり客席もないことからリキ・スポーツパレス1F会場と判る)



予想以上の演奏レベルの高さと客席の熱気を見た東芝音楽工業は、来日前に
予定されてなかったライヴ録音を提案。ベンチャーズ側もこれを承諾。

急遽1月10日の厚生年金会館での公演が収録され、8月に実況録音盤として
ベンチャーズ・イン・ジャパン(Ventures In Japan)が発売された。
(次の7〜9月の来日公演の最中に1月公演のライブ盤が出たわけだ

このアルバムは当時としては異例の50万枚以上の大ヒットを記録した。




↑ジャケットがいい。ベンチャーズ・ファンじゃなくても見覚えはあるだろう。
1月の来日時に雪が降る赤坂の日枝神社で撮影された写真だ。

(クリックすると1965年1月演奏のウォーク・ドント・ラン’64が聴けます)


<収録曲>

1.ベンチャーズ・メドレー(ボブがリード、ノーキーがベースを弾いている)
(ウォーク・ドント・ラン~パーフィディア~木の葉の子守歌)
2.ドライヴィング・ギター(この曲からボブがベース、ノーキーがリードに交代)
3.ブルドッグ
4.パイプライン
5.アパッチ
6.10番街の殺人
7.ウォーク・ドント・ラン’64
8.バンブル・ビー・ツイスト
9.ワイプ・アウト
10.キャラバン(アンコール)

ベンチャーズのステージは通常約50分位なので、実際に演奏した曲数はもっと
多いと思われる。人気がある代表曲中心に編集されている。



<ベンチャーズ・イン・ジャパンの録音>

録音からミッックスまですべて東芝音楽工業が行なったそうだ。


演奏の完成度の高さゆえ、スタジオ録音ではないか?という疑念の声もある。
観客の声が同じ部分が繰り返し使われている点も不自然視されている。
客席の声は別にマイクを立て収録しているので、編集を加えることは可能だ。

後で手を加えた部分があるか?という質問(1995年)に、メル・テイラーは
「いや、何もしていない。僕らの演奏がそのままが入っているミックスまで
全部、東芝にまかせた」と答えている。




収録日は1965年1月10日 東京厚生年金会館と記載されているが、成毛滋は2006
年のインタビューで「1965年1月のベンチャーズのライブ音源は2回分くらいの
公演からいいとこ録りしてるのでは」と言っている。

また「この時の録音は2トラ一発録り(4)ですよ。この頃はマルチ(トラック・
レコーダー)なんてないですから。ミキサーは大変だったでしょうね。いきなり
ミックスダウンです。音が大きいので(VUメーターの)針が振り切ってしまっ
て(音量レベルがピークを超え音が歪んで)困ったはず」と指摘している。

演奏をミックスしながら録音するだけで精一杯だったのではないだろうか。
立ちマイクで録った客席の歓声は、リダクションした演奏の音源にオーヴァー
ダブした、とも考えられる。それなら歓声が繰り返し〜の指摘にも説明がつく。



↑裏ジャケットもいい。
ステージ上に浮かび上がるNだけ下にずれた赤いTHE VENTURESと、黒い背景
に青字で入れたタイトル、VENTURES IN  JAPANの対比が効果的だ。
ノーキーを見て笑ってるドンの表情がまたいい。ステージの臨場感たっぷりだ。
(写真をクリックすると1965年1月演奏の10番街の殺人が聴けます)


ドンはストロベリー・レッド、ノーキーとボブがサンバーストのモズライト
アンプはフェンダーのピギーバッグをアメリカから持参した。(5)
ツイードの後継機種でヘッド+キャビネットのコンボ・タイプである。


ボブの後にあるアンプはベースマスター・ピギーバッグ。出力は50W。
1961〜1963年に製造されたブロンド・フェイスである。
写真のように傾けて置くこともできた。

ドンとノーキーのアンプは黒のコンボタイプで、大きさや形状、黒いグリル、
傾けて置かれてることを鑑みると、1964年から製造されたブラック・フェイス
のバンドマスター・ピギーバッグ(出力40W)のようにも見えるが、 グリル
にFenderロゴが見えない。
グヤトーンだった可能性が大きい。1月公演の他の写真でもやはり微妙(笑)


<追記> THE M VENTURES さんから情報をいただきました。
1月公演のVENTURES IN JAPANの裏ジャケットの写真では、ノーキーは
フェンダー・ツインリバーブ(パイプ椅子の上)、ドンはフェンダーのバンド
マスターだそうです。
THE M VENTURES さん、どうもありがとうございました。


前述のリキ・スポーツパレスでの追加公演では全員グヤトーンを使用。
会場によって使い分けていたようだ。(後述)




↑1961-1963年製造フェンダー・バンドマスター・ピギーバッグ(ブロンド)



このベンチャーズ・イン・ジャパンではピッチが1/4音くらい高くなっている。
ライブ感を出すためテープのスピードを上げたものと思われる。
(ギターマガジン2018年6月号)
またエフェクター類を使用していないにもかかわらずギターが歪んで聴こえる


しかし、客席にいた多くの人がレコードほど歪んでいなかったと証言している。
当時の写真を見ると、録音マイクはアンプから少し離し(大音量から機材を保護
するためか)低めの位置に垂直に立てられている。
フロアの共振、反響音を拾ってしまったことも一因かもしれない。
ライブ会場の臨場感は出ているが音像はモワッとし、楽器の被りもかなりある

ギターの歪みはモズライトの高出力ピックアップとアンプも関係がありそうだ。
電圧の関係でベンチャーズが持参したフェンダーのアンプでボリュームを上げる
と音が割れていたようで、会場によっては日本側が用意したグヤトーンの大型
アンプを使っている


ドン・ウイルソンが1965年1月公演について「あの頃はPAがなかったから、大会
場でもアンプだけを頼りにして演奏していた。でかい音でやるしかやるしかない。
自然にディストーションがかかったサウンドになってしまうんだ」と言っている。
(THE VENTURES BOOK)

メル・テイラーも「とにかくアンプから出る音がすごいので、それに負けないよう
に思いきり強く叩いてた。それでああいう叩き方になったのさ」と言ってる。



↑キャラバンのドラム・ソロでボブのベース弦をスティックで叩くメル。
ジーン・クルーパーの影響だろう。
(写真をクリックすると1965年1月演奏のキャラバンが聴けます)




<ノーキーのリード・プレイの秘密は使用弦にあった>

生のベンチャーズを体験した日本のバンドマンたちは衝撃を受けた。
同時に目で見るノーキー、ドン、ボブ、メルのテクニックは目から鱗だったろう。
なるほど、こういう弾き方をしてたのか。。。。と。

モズライトとフェンダーの真空管アンプが生む音圧の凄さや、ノーキーのベンディ
ング(チョーキング)奏法やグリッサンド奏法(テケテケ)を可能にしているのが
使用弦にあった点も大発見だったようだ。




1960年代のエレキギターの標準ゲージは以下のようになっていた。
ヘヴィーゲージ 058-013
ミディアムゲージ 056-012
ミディアムライト 054-012 

ジャズ・ギターを前提としたゲージであり、3弦はいずれもワウンド弦(巻弦)。
このセットでノーキーのリード・プレイやドンのリズム・カッティングは難しい。


寺内タケシと加瀬邦彦は3弦で楽々とベンディング(チョーキング)するノーキー
に「アメリカ人は力が強いんだろう」と感心し、二人で指立て伏せをし星飛雄馬か
ロッキーみたいな猛特訓をしていたという笑い話がある。(加瀬邦彦談)

ベンチャーズ来日公演の前座を務めることになった時、二人はこっそりベンチャー
ズの楽屋に忍び込み、ノーキーのモズライトを観察した。
何のことはない。ノーキーの使用弦は細いのだ。3弦は巻弦でなくプレイン
これならギューンと思い切り弦を持ち上げられるのも納得だ。(6)


高校生だった成毛滋もまた1月10日、昼の部の公演の後、楽屋に忍び込んだ。
次のステージに備えてチューニングをしていたベンチャーズに前日に練習した英語
で「どうして3弦をあんなに上げる事が出来るんだ?」と質問したろころ、ボブと
ノーキーが説明してくれたが分からない。
答えが英語で返ってくることまで考えていなかった(笑)
するとノーキーが傍に置いてあった弦を2セットくれて何か言う。
どうやら「これを君のギターに使ってみれば分かるよ」ということらしい。
成毛滋はサンキューとその場を後にし、もらった弦を自分のギターに張り2弦も
3弦もフワッと簡単に上がることに歓喜したという。(成毛滋インタビュー)



↑写真は成毛滋がノーキーにもらったモズライトのライトゲージ弦。
パッケージ名称はLead King Strings。electric spanish guitarの表記。
ベンチャーズのロゴはエンドースメント契約終了後に外された。



ノーキーも最初はレギュラーゲージを1本ずつずらして張り(6弦〜2弦のコースに
そ5弦〜1弦を張る)、1弦にバンジョーの弦を張るなどの工夫をしていた。(7)

ベンチャーズがモズライトを使用するようになってから、セミー・モーズレイが
ノーキーの要望に応えて専用弦ライトゲージ(046-010)を造ったそうだ。
実際は中身はアーニーボール社製
新たに6本1セットを作ったわけではなく、レギュラーゲージの1~5弦を2~6弦
の袋に入れて、010の1弦を加えたもの。
しかも1弦はバンジョーの弦の流用で、ポールエンドをつけただけであった。
(今日、世界標準のアーニーボール社レギュラースリンキーの原型だ)(8)



<1965年1月のベンチャーズ来日がもたらしたもの>

話を1965年に戻そう。
1月のベンチャーズ公演で日本にエレキギター・ブームが起きる。
6月にはフジテレビ系で「勝ち抜きエレキ合戦」という番組が始まった。審査員
は寺内タケシ、湯川れい子、福田一郎、石津謙介(VANジャケット創業者)。




同時にゴーゴー、モンキーダンスが流行。
ゴーゴー喫茶、ゴーゴークラブができ、ゴーゴーパーティーも行われ、エレキギ
ターのインストゥルメンタル・バンドの演奏で踊りに興じる若者が増えた。

一方、大人からはエレキやゴーゴーは非行化の温床だという声も挙がり、PTAや
多くの学校でエレキ禁止令が出るようになった。

そんな最中、7月にベンチャーズ3回目の来日である。


(続く)

今回もベンチャーズ・ファン歴が長くモズライトにも詳しいHさんにいろいろ
質問し、教えていただいた情報を使わせていただきました。感謝です。
また個人で情報をアップされてる方のブログやサイトも参考にさせてもらったが、
コンタクトが取れず許諾のないまま転用させてもらった箇所もある。ご容赦を。
脚注の参考資料に出典を記載しておくので問題がある場合はご一報ください。


<脚注>