2020年12月19日土曜日

ジョニ・ミッチェルのフォーク時代(3)使用楽器、演奏法。



<ジョニ・ミッチェルといえばマーティンD-28>

ジョニ・ミッチェルのトレードマークともいえるのがマーティンD-28だ。
1969年頃から使用しているD-28は何年製だろうか?


このD-28は黒ピックガード(1966年以降)、グローヴァー製チューナー
であることから1966〜1968年製と思われるが、ロングサドル(1965年に
ショートサドルに変更になったはず)なのである。(1)

レンジの広い音を得るため、あえてロングサドルに変えた?(2)
そこまでこだわるだろうか?
1960年代前半のD-28の鼈甲柄ピックガードを黒に変えた可能性もある。


私見だが、1965年か1966年の過渡期でロングサドルのままで黒ピック
ガードのモデルも一部製造されていたのではないだろうか。
いずれにしても1969年以前でサイド&バックがハカランダ材の上物だ。



↑左側の写真は1956年製D-28のようだ。
鼈甲柄ピックアップ、ロングサドル、スクエアでなく少し角の丸いヘッド、
チューナーはクルーソンのオープンバックではなくデラックス。



ジョニは初期4枚のアルバムでこの1956年製D-28を弾いたと言っている。


ジョニは1967年1月ノースカロライナ州のフォートブラッグ基地でベトナム
帰還兵の慰問コンサートに出演した際、艦長からこの1956年製D-28を格安
で譲り受けたそうだ。

ヴィンテージのD-28は飛行機での移動時にトップにクラックが入ってしまい、
リペアしたが音はもう元に戻らなかった( It just died)と彼女は言っている。
この特別なD-28は1974年にマウイ島の空港で盗まれてしまったらしい。




↑写真でジョニが抱えているのは1956年製のD-28
スタンドに立てかけてあるのがメイン器の1965〜1966年製のD-28


2本ともサウンドホールにコードをガムテープで固定しているのが見える。
1970年代前半でバーカスベリーのコンタクト型ピエゾ・ピックアップを
トップまたはブリッジの裏に貼り付けてあるのではないかと思われる。




<変則チューニング>

ジョニの変則チューニングはスティーヴン・スティルスとデヴィッド・
クロスビーの影響だろうと思っていたが、そうではなかった。

デトロイトでジョニ&チャック・ミッチェル名義で音楽活動をしていた
ジョニはフォーク・シンガー&ソングライターのエリック・アンダーセン
(3)から変則チューニングを教わった。
様々な変則チューニングを用い、独自の弾き語りや作曲を始めたという。


ジョニが変則チューニングを用いるようになった理由は2つある。

9歳の時に患ったポリオ(急性灰白髄炎)の影響で左手が弱っていたため、
通常のコードフォームを押さえるのが難しかったのだ。

オープンチューニングは開放弦を活かし少ない押弦で豊かな響きを出せる
彼女はキーの調整、押弦のしやすさのためカポタストも利用した。




今回ジョニ・ミッチェルのオフィシャル・サイトを参考にさせてもらった
が、非常によくできた充実したサイトである。
ファンの誰かが投稿していくTAB譜も閲覧できるようになっている。
(PDFではなくテキストなので読みにくいが、参考にはなる)

それによると、何種類かの変則チューニングを使用しているようだ。
Both Sides NowとCircle Gameは両方ともオープンD(D-A-D-F#-A-D)
で、4フレットにカポをして弾いている。(実際のキーはF#になる)

ストラミング(コードストローク)の時はフラットピック、アルペジオの
時はサムピックを使用している。


ジョニが変則チューニングを好んだもう一つの理由は彼女の楽器遍歴に
も由来してると思う。
民族音楽的な共鳴弦の響きが好きだったのだろう。

母方の祖先がスコットランド人とアイルランド人、父親がノルウェー先住
民族の血統であることも、少なからず関係してるかもしれない。



<ジョニ・ミッチェルの楽器遍歴>

ジョニは少女期にクラシックピアノの初歩を学んだ。




高校生の頃、彼女はギターを弾きたくなる。
母親がギター(=カントリー・ミュージック)の田舎くささに偏見があり、
ジョニは最初ギターではなくウクレレから入る。


ジョニが手に入れたのはハーモニーのバリトンウクレレであった。
ウクレレの中では最も大きいサイズでスケールは19インチ(48cm)。
ギターの高音側4弦と同様に D-G-B-E にチューニングされる。

つまりギターの5〜6弦を取っ払った4弦のミニギターとして使えるのだ。
あるいはテナーギター(4弦ギター)の代用ともなる。
テナーギターが23インチでスチール弦なのに対して、バリトンウクレレ
は19インチでナイロン弦なのでより弾きやすく温かみのある音が得られる。




ハーモニー社は1892年創業のアメリカのギター・メーカー。
カタログ販売のシアーズ・ロバック社にOEM供給していたメーカーの一つ。
良質で安価だったため初心者に人気があった。
(あのジミー・ペイジもハーモニー社のギターを愛用していた)



1963年頃からジョニはマーティンのティプルT-18(4)を使い始める。
ティプルとは戦前のアメリカの民族音楽で使われた楽器である。
17インチ・スケールのテナーウクレレサイズで4コース10弦の複弦楽器。




ストラミング(コードストローク)で鈴鳴りのような効果が得られる。
スチール弦でオープンチューニングかテナーウクレレと同じ調弦がされる。
1980年代までマーティン社のカタログに載っていたが現在は入手困難。

この複弦の響きも後の変則チューニング志向に影響してるかもしれない。




同1963年秋ジョニは初めてのギター、エスパナのSL-11を購入する。
エスパナ社はスウェーデンのメーカーで製品はカナダの百貨店で販売してた。

SL-11は1961年に発売されたモデルで、トップにスプルース、サイド&バック
はメイプル、ネックはマホガニーとフラメンコギター仕様(スケール630cm)
で、初心者向けのフォーク・ナイロン弦ギターという位置付けだったようだ。

ジョニは2年間このエスパナのSL-11を使用している。
カナダのテレビ番組Let's Sing Outにもこのギターを持って出演している。



↑Let's Sing OutでエスパナSL-11を弾き歌っているジョニが観れます。


ジョニはピート・シーガーの歌集からギターを独学で学習したそうだ。
エディット・ピアフなどシャンソンからマイルスのようなジャズを好んで
聴いていたことも、後の音楽性の幅広さにつながっているだろう。

またジョニはアートに情熱を注いでいた。
抽象表現主義に傾倒していたことも、彼女の音楽に反映されてるはずだ。



1966年にジョニは初めて本格的なギター、マーティン00-21を購入する。
カナダからデトロイトに移りジョニ&チャック・ミッチェル名義で音楽活動
していた時期〜離婚後ソロで活動し1967年に前述のD-28を手に入れるまで、
この00-21を使用していた。

マーティンのほとんどのモデルが14フレット・ジョイントになっていたが、
0-16NYとこの00-21は12フレット・ジョイント、47mmのやや幅広ネック、
スロッテッド・ヘッド、と伝統的なデザインを守り続けて来た。 (5)

小ぶりなボディーと幅広ネックはローコード中心のフィンガーピッカーには
最適で、マーティンでもフォークギターという位置付けであった。
ただし激しいストラミング(コードストローク)には不向きだ。
ドリー・パートンが愛用していたことでも知られる。





ジョニの00-21は鼈甲柄ピックガード、ロングサドルなので、1965年以前に
製造されたものである。
ジョニはこの00-21で既に変則チューニングで演奏している。
カナダのテレビ番組Let's Sing Outでも00-21を弾きながら歌っている。



<ダルシマー>

ジョニは4枚目のアルバムBlue(1971年)ダルシマーを弾いている
また前年の英国BBCコンサートでもダルシマーを弾くジョニが見れる。


彼女が使用していたのはアパラチアン・ダルシマーであり、打弦楽器のハン
マー・ダルシマーとは別の楽器である。

アパラチアン・ダルシマーは19世紀初頭にアパラチア山脈のスコッチ・アイ
ルランド系移民のコミニュティで使われていた。
スウェーデン、ノルウェーなど北欧の類似した楽器が起源という説もある。


ジョニの母方の祖先がスコットランド人とアイルランド人で、父親は祖先が
ノルウェー人だという背景も彼女がこの楽器に惹かれた一因だろうか。
ティプル、ギターの変則チューニングの響きを好むから、ダルシマーにも
入りやすかったのかもしれない。





アパラチアン・ダルシマーは3本または4本の弦を持つフレット付きの弦楽器。
膝の上やテーブルの上に寝かせて演奏することが多い。

標準的な調弦はないが、1960年代以降の一般的なチューニングはD3-A3-A3、
D3-A3-D4、D3-G3-D4が多い。


ジョニがどのように調弦していたか定かではないが、左手の人差指と中指、
または親指一本を寝かせるようセーハ(バレー)して和音を出していること
から、D3-A3-D4かD3-G3-D4にしていたのではないかと思う。

開放弦では前者ならD、後者ならGになる。
1度と5度だけの音構成で3度がない。
そのためメジャーコードとしてもマイナーコードとしても通用する中性的な
響きが得られる。CS&Nが好んで使ったD-A-D-D-A-Dと同じ効果がある。

セーハ(バレー)の位置変更だけでコードチェンジができるメリットもある。
ジョニはサムピックかフラットピックを用い、手前からすくい上げるように
アップ、ダウンのストラミング(ストローク)で弾いている。


アパラチアン・ダルシマーには形状、材料などバリエーションがある。(6)
ジョニトップとサイド&バックが違う木材のダルシマーを愛用していた。



↑ジョニのダルシマー奏法を解説している動画が観れます。




<ジャズへの傾倒とエレクトリック・ギター>

1980年代にはジョニはD-28にサンライズ社のサウンドホール・マグネット
・ピックアップを装着するようになる。
バンド・サウンドが多くなったため、ライブで他の楽器に埋もれないように
バランスを取るためだろう。

J-45やギブソンJ-200でもサンライズを使用している。(7)






ジャコ・パストリアスやパット・メセニーと供にジャズ志向になったジョニ
は、アイバネズ( Ibanez)GB10を愛用するようになる。


GB10は1977年に日本のアイバネズ( Ibanez)がジョージ・ベンソンの
シグネチャー・モデルとして開発したフルアコのエレクトリックギターだ。




ギブゾンのジョニー・スミス・モデルを愛用していたベンソンはアイバネズ
に小柄な自分向きの小ぶりなフルアコ、ツアーに耐えうる頑丈な造りを要求。
ベンソンはプロトタイプを床に落として壊れないのを確認したという。

彼の要望でピックアップはボディーからフロートして設置されている。
トップ材の共振を拾わない工夫らしい。
ベンンソンのように早いパッセージを弾くのに適してるのだろう。

ベンソン本人のGB10を彼のエンジニアに頼んで弾かせてもらったが、全然
鳴らなかった(笑)アタックの強い弾き方じゃないとダメみたい。




ジョニはGB10をローランドのジャズコーラスで鳴らしていた
サステインがない分コントロールしやすく適度なエア感も得られるGB10を
選び、ジャズコーラスで音作りをするとはセンスがいい。
ナチュラルとサンバーストの2色持っていたようだ。


2000年代にはソリッド・ギターも使用している。
写真のユニークなギターはParker Fly Mojoというモデルだそうだ。




<脚注>

2020年12月3日木曜日

ジョニ・ミッチェルのフォーク時代(2)JTとの出会い、名盤Blue。



 <ジェイムス・テイラーとの蜜月時代>

1970年4月にLadies of the Canyonを発表後、ジョニはジェイムス・テイラー
と恋仲になる。
同年10月にジョニはツアーとプロモーションのために渡英するが、ジェイムス
もくっついて行ってしまい、期せずしてロンドンでは二人の共演が実現した。



↑ロンドンの空港に到着した二人。ジェイムスはこの服装でBBCに出演。


BBCテレビではジョニ、ジェイムスそれぞれのスタジオ・ライブを収録
Joni Mitchell In Concert、James Taylor In Concertとして放送された。
いずれも二人の共演部分はない。

(収録しなかったのか、収録したが権利などの問題でカットされたのか不明)
※後に紹介するジョニのCalifornia、For Freeの映像はこの時のものである。





10月28日にロイヤルアルバート・ホールで行われたジョニのコンサートに
ジェイムスがゲストとして出演。
翌29日はパレスシアターでの二人の共演がBBCにより収録された。

この音源はBBCラジオが約1時間の番組として放送した。
このBBCコンサートは後にFM東京でも放送された。海賊盤も出回っている。

(10月28日にロイヤルアルバート・ホールでのコンサートと表記しているもの
もあるが誤りで、29日のパレスシアターでのBBCライブである)




↑10/28アルバートホールまたは10/29パレスシアターでの公演の様子。
左でコーラスをつけてる3人は誰だろう?



二人の仲睦まじい会話、和気藹々のデュエットが聴ける。
演奏はジェイムスのギブソンJ-50、ジョニのマーティンD-28、ダルシマー、
ピアノによるアコースティック・ライブ。素晴らしい内容だ。



↑ジョニ&JTのThe Circle Gameが聴けます。(1970年BBCコンサート)
写真は前日のアルバートホールか29日のパレスシアターか不明。



1992年にイタリアのLiving Legendレーベルから高音質でCD化された。
2008年にWoodstock Tapesレーベルから公式盤CDが発売されている。
Joni Mitchell & James Taylor - The Circle Game





同年10月17日にバンクーバーのパシフィック・コロシアムでも二人は共演。
アラスカのアムチトカ島での地下核実験・反対集会コンサートの模様である。
2009年にCD化された。(Amchitka - The 1970 Concert




二人のデュエットでMr. Tambourine Manが聴けるが、The Circle Game
がなぜか途中でフェードアウトしてしまうのが残念。



<名盤Blue>

4枚目のアルバムBlueはこの後に録音され翌1971年6月に発売された。
スティーヴン・スティルス、ジェイムス・テイラー、ラス・カンケル、
フライングブリトー・ブラザーズのメンバーが参加している。





ジョニ自身のギターとピアノが伴奏という点は前3枚と変わらないが、
All I WantCaliforniaCareyA Case of Youの4曲で前年のライブ
から使い始めたダルシマーを取り入れている点が斬新だ。



↑ダルシマーを弾きながらCaliforniaを歌うジョニが観れます。
(1970年BBCコンサート)


何曲かジェイムスがギターで参加している。(歌ってはいない)
All I want、California、A Case of YouではBBCライブと同じくジョニの
ダルシマーとジェイムス・テイラーのギターの二重奏。




↑ジョニとジェイムスのレコーディング風景。
Blueでジェイムスは歌っていない。
ジェイムスのLong Ago And Faraway録音時(1971年1-2月)と思われる。



Careyは変則チューニングのギターにスティーヴン・スティルスのベース、
パーカッションが加わり、CS&Nを彷彿させる曲に仕上がっている。



↑写真をクリックするとBlue収録のCareyが聴けます。


名曲と評されるピアノの弾き語りBlueRiverは個人的にはイマイチだ。


ざっくり印象を言うと、3枚のフォーク・アルバムの路線を踏襲しつつも
さらに高度な独自の世界観に昇華させた作品という感じ。

それはダルシマーのやパーカッションの導入で無国籍の民族音楽的な要素
が加わった成果でもあるし、ジェイムス・テイラーの影響もあるだろう。



↑1970年BBCコンサートでFor Freeを歌うジョニが観られます。


当時ジェイムスはヘロイン中毒で精神的にも問題を抱えていたが、ジョニ
は伴侶となれる相手を見つけたと感じていた。

皮肉なことにBlueが発売される3ヶ月前にYou've Got a Friendのヒット
でジェイムスの名声は高まり、ジョニとの間に摩擦が生じ破局を迎える。

ジェイムスはキャロル・キングと急接近し、半年後には1年後に結婚する
ことになるカーリー・サイモンとくっついていた。(ったくもう〜)
ジェイムスとの別れはジョニにはかなりの痛手だったようだ。




以降ジョニは崇高でやや難解な作風に変化し、ジャズに傾倒して行く。




<ジョニ・ミッチェルの1968-1979年をまとめて聴ける決定盤>

今まで断片的にしか聴いていなかったジョニの初期フォーク時代の3枚を
聴きたくて調べてたら、1968-1979年の10枚がパッケージで超お得価格
で出ていることが分かった。

Joni Mitchell the Studio Albums 1968-1979



欲しい3枚それぞれ安く買うより、このセットの方が安い。安すぎる。
これでいいのか?と思うくらいだ。

よくある5 Classic Albumsシリーズとは一線を画す内容と断言できる。

まずリマスターの音がいい
見開き紙ジャケ仕様の装丁の出来も緻密で素晴らしい

ジョニ・ミッチェルのアルバムは自ら描いた絵を使用するなど、アート
ワークが美しいのだが、それを忠実に再現しミニチュア化してある。
ピクチャーディスクも4枚目まではリプリーズ、5枚目以降はアサイラム
のディスクレーベルを再現してあり、徹底してこだわっている。


さすが信頼のRHINOレーベル!
買おうと思っていた3枚以下の価格で、 Blueもそれ以降の6作品もまとめ
て聴け、それ以降のジョニの音楽の変遷が楽しめてしまう。

ジョニ・ミッチェル入門者にもお薦めだし、マニアも納得のお得感満載
の充実のボックスセットだ。

5〜10枚目のアルバムを簡単に紹介しておく。○△Xは個人的好みです。


For the Roses(1972年)
5枚目のアルバムで、アサイラム移籍後初のリリース。
過渡期の作品でやや散漫な印象はある。

従来のパーソネル+ウィルトン・フェルダー、トム・スコットとジャズ
系の人、かと思えばジェームズ・バートンも参加している。
ヒットしたYou Turn Me On, I'm a Radio(恋するラジオ)収録。


Court and Spark(1974年)
クルセイダーズのラリー・カールトン、ウィルトン・フェルダー、ジョー
・サンプル、トム・スコット率いるL. A. エクスプレスなどが参加。
ジャズ色が強いジョニの新境地の作品で評価も高い



↑ジョニ(Gibson J-200)とジャコ・パストリアス(Fender Jazz Bss)。


The Hissing of Summer Lawns(1975年)
ジョニの声がファルセットのメゾソプラノからアルトへ変化。
前作のミュージシャンに加え、ロベン・フォード、ジェフ・バクスター、
ヴィクター・フェルドマンが参加。
フォークロック色は消えジャズをさらに前衛的にした作品。


Hejira(1976年)
ジャコ・パストリアスの参加で彼の才能、ベースラインが色濃く出た。
ウェザー・リポートから流れでジョニを聴いた人も多かっただろう。
聴きやすい作品ではある。

ジョニはギターをIbanezに変えRoland Jazz Chorusで鳴らしている。
ジャケットの写真はノーマン・シーフが撮影。




Don Juan's Reckless Daughter(1977年)X
当時2枚組で発売されたジャズ・フュージョン寄りのアルバム。
良く言えば多彩だけど捉えどころがない。アフリカン・ビートも苦手。
もう鬼才に付いていけない。ジャコ・パストリアスのベースはいいけど。


Mingus(1979年)X
チャールス・ミンガスと共演の予定が路線変更でトリビュート作品へ。
ジャズ・フュージョン界オールスター的顔ぶれで制作し直された。
ジャコ・パストリアス色が強い。聴いてていいとは思わない。
最後のGoodbye Pork Pie Hat(ミンガス作)だけは好き。




<ジョニの1963-1967年の記録、アーカイヴ・シリーズ>

ジョニのレコード・デビュー前のアーカイヴ・シリーズのリリースが決定。
その第1弾が10月30日に発売された。

Joni Mitchell Archives Vol. 1 : The Early Years(1963-1967)



 
5枚組CDボックスセットには1963-1967年に収録した6時間に及ぶ自宅録音、
ライヴ音源、ラジオ・レコーディングが年代順に収められている

提供曲でジョニ本人のヴォーカルでは未発表の29曲が含まれている。
若き日のジョニを深掘りしたい方には興味深いセットだろう。


<続く> 次回はジョニ・ミッチェルの楽器遍歴とユニークな奏法について。


<参考資料:jonimitchell.com、BBC、Wikipedia、MUSIC LIFE CLUB、
amass.jp、Amazon、YouTube、他>