2015年7月29日水曜日

暑い日にほどよく冷えた部屋で聴く音楽。

ユーミンが「外はブリザードだけど自分は暖かいホテルの中で窓の外を眺めている
という状況が好き」と言っていた。なんだか分かるような気がする。

外は強い陽射しでうだるような暑さなのに、エアコンがほどよく効いた部屋で好きな
ことをしているというのは最高の贅沢かもしれない。

そんな時、どんな音楽が似合うか?


僕はラウンジ・ミュージックが聴きたくなる。
1960年代のホテルのラウンジで流れていそうな音楽だ。

バート・バカラックとかハー・ブアルパートとかパーシー・フェイスとか。
セルジオ・メンデス&ブラジル’66なんて夏にぴったりだ。





セルジオ・メンデス&ブラジル’66はボサノヴァとサンバがベースなのだが、より
聴きやすいポップ・ミュージックに昇華させている。
なにしろアレンジがすばらしい!

ジョアン・ジルベルトやアントニオ・カルロス・ジョビンのボサノヴァは、暑い浜辺に
そよぐ風のようだが、セルジオ・メンデス&ブラジル’66はラテンの熱さが伝わって来る。
暑い日にあえてホットな食べ物で心地よい汗をかくような感じだろうか。

それでいてクールで都会的なのだ。
だからアップテンポのサンバでも邪魔にならない。BGMとしては最高である。





ボーカルはボサノヴァ特有の「けだるい感じの小声でボソボソ抑揚をつけない歌い方」
とはだいぶ趣が違う。


声質が近い女性2人のユニゾン(時には3度でハモる)はダブルトラッキング(1人
が同じメロディーを2回歌う、またはエフェクトで重ねる)と同じ効果がライブで
も得られ、聴きやすいポップソングになっている。


セルジオ・メンデスのピアノのバッキングも典型的なボサノヴァのスタイルではない。
動きが多く力強くジャジーである。
ボサノヴァ特有のメロディーのフェイク(メロディーを揺らす、あるいは先取りしてノリ
を作る方法)もない。

ボサノヴァという音楽はマイナスの美学で、できるだけよけいな音をそぎ落として素朴
にしようとするのが常だが、セルジオ・メンデスの場合は音を厚く重ねていく。
それでいてすっきり聴こえるというのがアレンジ力の証拠である。
メインのメロディーを縫うように流れるストリングスも美しい。





僕の愛聴盤はA&Mから以前発売された「Easy Loungin’」というコンピレーションもの
で、選曲がとてもすてきだ。
CDケースの中写真にはアルネ・ヤコブセンの名作エッグチェアでくつろぐ男性の写真
横にこう書かれている。

Let’s Lounge, Baby!

2015年7月24日金曜日

ジェームズ・ディーン。

ジェームズ・ディーンといえば「理由なき反抗」の赤いジャケットとジーンズ
を思い出す人も多いはずだ。彼のトレードマークとも言える。




昔昔、故水野晴朗さん解説の「いつの時代もヒーローたちは本物のリーバイス」
というCMをやっていて、スティーヴ・マックイーンやジェームズ・ディーンが
紹介されていた。(マリリン・モンローも出てたっけ?)

そのせいでジェームズ・ディーン=リーバイスのイメージが強いが、「理由なき
反抗」や「ジャイアンツ」で彼が履いてるのはリー(Lee)の101Zだ。
私生活でもリーを履いていたらしい。


赤いジャケットはマクレガーのドリズラーというウィンドブレーカーだと雑誌
などに書かれてていて、僕も長年そう信じ込んでいた。
メンズクラブの編集がドリズラーのヴィンテージを着ているのを見て、おおっ!
これがジェームズ・ディーン愛用の。。。と感動したものである。

本当はマクレガーのナイロン・アンチフリーズという防寒ジャケット(表地は
ナイロン、裏地にはフリース)だった。


確かに改めて写真を見ると、彼が着ているジャケットはボリューム感があり一枚
仕立てのドリズラーとは違うのが分る。

「理由なき反抗」では当初ジェームズ・ディーンが黒の革ジャケットを着る予定
だったが、急遽ワーナーブラザーズ初のカラー映画として制作されることが決ま
ったため、カラー映画で映える赤いジャケットに変更されたらしい。




閑話休題。

やっと音楽の話に入ります(笑)

「James Dean」はイーグルスの3枚目のアルバム「On The Border」(1974年)に
収録された骨太でありながらもハモリが美しいロックンロール・ナンバーである。
作曲したグレン・フライがボーカルを取っている。

B面に針を落とすとノリのいい「On The Border」で始まり、2曲目の「Ol' 55」
(トム・ウェイツの曲でグレン・フライ、サビではドン・ヘンリーが切々と歌う)
へと続くのが好きだった。


この映像は1974年のカリフォルニア・ジャムに出演した時のパフォーマンス。
ジャクソン・ブラウンがピアノを弾いているのが確認できる。
この時期に入ったドン・フェルダーの姿は見えず、バーニー・レドンがリードを弾
いている。何故だろう?





「On The Border」は過渡期のアルバムである。
前2作のカントリー色が薄れ「James Dean」のようなタイトなロック・サウンドが
全面に出て来た。

プロデューサーがこのアルバムの制作過程でグリン・ジョーンズからビル・シムジク
に交代したこと、新たにドン・フェルダーがギターで参加したことも大きい。


グリン・ジョンズは英国のプロデューサーでキンクス、ローリング・ストーンズ、
トラフィック、ビートルズの幻のアルバム「Get Back」のエンジニアであった。

その後アメリカのスティーヴ・ミラー・バンドのプロデューサーとして起用される。
デヴィッド・ゲフィンがワーナー傘下でアサイラム・レーベルを立ち上げた時にグリン
・ジョンズは招かれイーグルスを担当することになった。

グリン・ジョンズは中域に固まったゴリッとした力強いサウンドが特徴である。
彼はイーグルスのハーモニーを評価する一方、ロック・バンドとしては認めなかった。
メンバー達もボーカルのエコーが深すぎることなど不満を抱えていて、新しいプロデュ
ーサーを探すことが急務になっていたのだ。


ビル・シムジクはジェイムズ・ギャング、Jガイルズ・バンドを手がけたプロデューサー
で、ワイルドなギター・サウンドを都会的でアダルトな音楽として聴かせるのを得意と
していた。
(後にジェイムズ・ギャングを脱退したジョー・ウォルシュもこの縁でイーグルスに
加わることになる)





「On The Border」では初の全米ナンバー1ヒットとなった「Best Of My Love」と
「You Never Cry Like A Lover」だけがグリン・ジョンズ、他の曲はビル・シムジク
がプロデュースを担当している。

「James Dean」はビル・シムジクによるプロデュースなのだが、前作「Desperado」
の時に既に曲はできていたものの西部開拓時代をテーマにしたアルバムにそぐわないと
いう理由で見送られ、ロック色強い「On The Border」で日の目を見ることになった。


カリフォルニア・ジャムでドン・フェルダー不在のイーグルスがこの曲を演奏している
のは、まだ「On The Border」の制作に入る前だった可能性もある。
この段階ではライブ用のノリのいい曲という位置付けだったのかもしれない。

2015年7月15日水曜日

ソフト&メロウよりもブルージーなギター。


先日「ヨルタモリ」に加山雄三さんがゲスト出演していた。
ギターの話になると若大将は「自分が上手いと思われてるのは映画のせい、
上手いヤツは本当に上手いからね」と謙遜しながら、ジョージ・ベンソンと
逢った時に間近で演奏を見てえらく感心したことを話していた。

実は僕もジョージ・ベンソンに会ったことがある。1981年の夏だった。
目の前で愛器、Ibanez(彼はアイバネズと呼んでいた)GB10を弾いてもらい、
そのギターに僕も触らせてもらった。



もちろんぜんぜん弾けなかった(笑)それに僕が弾いても鳴らないのだ。
GB10はPUをフロートさせてあるためサステインが得られない。

これはGB10設計段階でのジョージからのリクエストだったそうだ。
彼の正確無比かつ流麗なフレージング、ウェス・モンゴメリーのオクターヴ奏法
の発展形であるオクターヴ+5度奏法、ギターのフレージングとスキャットをシン
クロさせる奏法にはその方がいいのだろう。


他にジョージ・ベンソンがGB10に求めたのは落としても壊れないこと、小ぶり
なフルアコであることだったという。

会ってみて意外だったのだが、ジョージ・ベンソンはかなり小柄だった。
彼の体型ではギブソンのJony Smithは音は良くても大きすぎたのかもしれない。


もう一つ意外だったのは、彼が譜面を読めないということである。
しかしまったく問題ないことがすぐに分った。

ジョージはツアーのリハーサルを見に来ないか、と僕を誘ってくれた。
ハリウッドにあるスタジオというよりは大きな体育館のような場所だった。

彼はテナーサックスやキーボードにどういうフレーズを弾いて欲しいか、スキャ
ットで歌ってみせるのだがこれがまた正確である。
譜面がなくても成立するのだ。


ジョージ・ベンソンといえばトミー・リピューマがプロデュースして一躍フュー
ジョンの火付け役にもなった「Breezin' 」(1976年)が代表作だろうか。
このアルバムはソフト&メロウと賞賛されジャズ部門で異例のヒットとなった。

クインシー・ジョーンズをプロデューサーに迎えブラック・コンテンポラリー色
を強めた「Give Me the Night」(1980年)も完成度が高い。


でも個人的には「Blue Besnon」というアルバムがお気に入りでよく聴いた。
これはヴァーヴ時代のジョージ・ベンソンの最高傑作と言われる「Giblet Gravy」
(1968年)など数枚の作品から寄せ集めたポリドールのコンピレーションなの
だが、選曲がなかなかいいのだ。(今は入手困難らしい)


        ↓写真をクリックするとアルバム全曲、試聴できます。


1曲目の「Billie's Bounce」からグルーブ感たっぷりの円熟した演奏が聴ける。
ロン・カーターのベースが絡む。ハービー・ハンコックの珍しいバップスタイル
のピアノ。途中から入るビリー・コブハムのドラムもいい。

曲はチャーリー・ パーカーでいろいろな人がカバーしているが、ジョージ・ベン
ソンのこのヴァージョンはオリジナルを凌駕するくらい素晴らしい。

2015年7月3日金曜日

あの日のスカイレストラン。


FMで流れていたこの曲が気に入りシングル盤を買ったのは学生時代。 
山本潤子さんの透んだ美しい声と都会的で洗練されたサウンドが好きだった。 


「スカイレストラン」 
詞:荒井由美 曲:村井邦彦  歌:ハイファイセット 

街灯り指でたどるの 夕闇に染まるガラスに 
二人して食事に来たけど 誘われたわけはきかない 
なつかしい電話の声に 出がけには髪を洗った 
この店でさよならすること わかっていたのに 

もしここに彼女が来たって 席を立つつもりはないわ 
誰よりもあなたのことは 知っているわたしでいたい 
長いこと会わないうちに あなたへのうらみも消えた 
今だけは彼女を忘れて わたしを見つめて 





実はユーミンが書いたこの詞には最初は別なメロディーが付いていた。
そのメロディーいうのはユーミンの出世作「あの日にかえりたい」である。 


もともと「あの日にかえりたい」の最初のヴァージョンは上記の歌詞が付いてて
「スカイレストラン」というタイトルでレコーディングも済んでいた。 

TBSドラマ「家庭の秘密」のテーマにこの曲が使われることになったのだが、 
条件はドラマの内容に合わせて歌詞を書き直すことだった。
 ユーミンが歌詞をリバイスし完成した曲が「あの日にかえりたい」である。 



試しに「泣きながらちぎった写真を~♪手のひらにつなげてみるの~」を、 
「街灯り指でたどるの 夕闇に染まるガラスに」で歌ってみてください。 
ちゃんとハマりますよね?(笑) 


↓素人さん?のカバーがありました。こんな感じかもしれません。 


「あの日にかえりたい」は大ヒット。 
歌詞だけが浮いてしまった「スカイレストラン」は村井邦彦が曲をつけ、 
それをハイファイセットが歌うことになった。 

ユーミンは「出がけには髪を洗った」というフレーズが気に入ってたという。 
なぜ出がけに髪を洗ったのか当時の僕にはよくわからなかった。 
夜景が見えるレストランで食事するような機会もない当時の僕は、大人の女性
の歌なんだなーと思ったものである。 


聴きなれているせいか「スカイレストラン」は村井邦彦のメロディーの方が 
しっくり来るし「あの日にかえりたい」もあの歌詞だからこそヒットしたんじゃ
ないかと思う。