2021年6月14日月曜日

ロックのレジェンドに学ぶ服飾術(1)ジョン・レノン



 <1965年のビートルズとジョン>

ビートルズは音楽だけではない。何といっても見た目がカッコよかった。

ステージに立つ4人には美学があった。
ジョン、ポール、ジョージは背格好がほぼ同じで並ぶとバランスがいい。

ジョンがボーカルを取る時、左利きのポールとジョージが1本のマイクの前に立つ
とネックが扇型のようにシンメトリーになる。それが美しかった。

ポールが歌う時、ジョージはジョン側のマイクに駆け寄りコーラスをつけるのだが
、背中越しにマイクに向かうことが多い。これまた美しい。


4人は何を着てもサマになっていた。ステージ衣装もオフ・ステージも。
それは1960年代のビートル・マジックだったのだろう。

とりわけ1965〜1966年、1968年が音楽的にも見た目的にも好きな時期だ。
ヘルプ、ラバー・ソウル、リボルバー、ホワイト・アルバムの頃である。
4人とも素敵だったが、ジョンは特にクールだった。



映画「ヘルプ」でアナザー・ガールを演奏しているシーン。
ジョンが履いてるのはリー(Lee)のジーンズ。おそらく101だろう。
全米ツアー中に手に入れたのではないか。裾はステッチでなくまつり縫い。
デビュー以来のトレードマーク、カスケットをかぶっている。



↑ジョンはこの時期よく着ていたインド綿のストライプのジャケット。
ポールは色落ちジーンズに黒Tシャツ、ジョージは斑に脱色したジーンズにデニム
シャツ重ね着、リンゴのシャンブレー・ジャケット+白パンツもサマになっている。




↑ラバー・ソウルのジャケットに使用される前の未加工の写真。
現像液に長くつけすぎ伸びてしまった焼き付け写真を4人は気に入り、ジャケット
に採用したという。

ジョンはスエードのライダーズジャケット、ポールもスエードのシャツジャケット、
リンゴも茶系のヌバック地の上着。グループでそういうブームがあったようだ。
タートルネックもこの時期よく登場するアイテム。
ジョージもコーデュロイのジャケットにコーデュロイのキューバンヒール・ブーツ、
など個性的なアレンジを取り入れるようになった。



↑1965〜1966年、音楽もステージ衣装もオフステージの服も変化して行った。



<1966年のビートルズとジョン>



↑1966年6月30日、東京ヒルトンホテルでの記者会見。
ジョンはピンクの上下にペイズリー柄のシャツ。



↑1966年6月30日、武道館での初回公演。
極東ツアー用のスーツが間に合わず、ドイツ公演で着用した衣装で演奏。



↑3回目、7月1日夜の部の公演。
ライトグレーにオレンジのストライプのスーツ。ラペルが大きめ。
中は赤いシャツ。(シャツは淡い花柄の日もあった。)


詳しくは、以下の投稿をご参照ください。(↓クリックすると見れます)
ビートルズ来日から50年(衣装で分かる事実)




↑東京ヒルトンホテルのプレジデンシャル・スイート1005室から赤坂を眺める。
ジョンは大きなピークドラペルの4つボタンのダブルのスーツを着ている。
(写真:gettyimages)




↑大きな丸襟のストライプシャツにストライプのベルト、白のパンツ。
モッズの時代からスウィンギング・ロンドンへの転換期であった。




↑BBC Top Of The Popsでペイパーバック・ライターを演奏。リハーサル時の写真。
ギターはエピフォン・カジノ1965年製。

1966年後半は4人ともいろいろなサングラスをかけている。これもブーム?
ジョンは武道館の最終公演でも照明が眩しすぎサングラスをかけて演奏した。








↑映画How I Won The War(邦題:僕の戦争)出演で初披露された眼鏡。
Alga Worksという英国の眼鏡フレームで当時は保険適用の眼鏡であった。
老人や役所勤め、教師がかける時代遅れの眼鏡と見なされていた。
それがジョンが愛用したことで再度注目を集めることになる。

ジョンがかけているのはPantoというボストン型のフレーム。
ゴールドのメタルフレームにリムとフロントはチェスナットのセル巻き。
テンプルは縄手。サイズは47。
ジョンのこだわりでテンプルの付け根を通常より低く真ん中にしてある。
この眼鏡は1968年のロックンロール・サーカスでもかけていた。
後に同型でセルなしシルバーのイエローレンズ、ブルーレンズも愛用。



<1968年のビートルズとジョン>



↑デヴィッド・フロスト・ショーでヘイ・ジュードとレボリューションを演奏。
1968年9月トゥイッケナム・スタジオで撮影。
プロモーションビデオとして使用され、全世界で放映された。
エピフォン・カジノは塗装が剥がされナチュラル(塗装なし)になっている。


ジョンは後期のトレードマークとなる長髪に金色の鼻がけ丸型フレームの眼鏡。
眼鏡はロンドンのAlfred Hawes And Son製。






↑ローリングストーンズのTV企画ロックンロール・サーカスにジョンは単独出演。
クラプトン、キース(b)、ミッチ・ミッチェルとザ・ダーティー・マックという
ユニットを結成し、ヤー・ブルースを演奏した。
1968年12月に収録されたものの、放映されず封印された。
理由はザ・フーなどゲストのパフォーマンスでストーンズが霞んでしまったため。
(1996年にビデオ化、2004年にはDVD化された)




↑ジョンが着ているデニム・ジャケットはラングラー111MJのヴィンテージ。
インナーはシンプルに黒Tシャツ。ソックスも黒。
ジーンズはヨレ具合と太さから1955年製のリーバイス501XXではないかと見た。
眼鏡は1966年に入手したAlga WorksのPantoセル巻き。



↑スニーカーはフランスの老舗、スプリングコートのテニスシューズ。
キャンバス地のアッパーにラバーソウルといたってシンプル。

アビイ・ロードのジャケット写真では白スーツにこのスプリングコートを合わせ、
颯爽と横断歩道を渡るジョンが見られる。
今では当たり前のスーツにスニーカー。ジョンは先読みしていたのだ。



↑クリックするとロックンロール・サーカスでのヤー・ブルースが視聴できます。



↑撮影の合間。息子ジュリアンの横でギターを弾くジョン。
この裾幅だと517?という気もする。。。



<ビートルズ解散後のジョン>


↑ジーンズにデニムのシャツ。
胸ポケットの蓋がSawtooth(のこぎりの歯)のデニム地のウエスタンシャツを
好んで着ていたが、どこのメーカーか不明。




↑ジャガードのニットベストもこの時期よく着用。



<ニューヨーク時代のジョン>


ニューヨークに移住後の1971年、TV番組ディック・キャベット・ショーに出演。
アーミーシャツ(OG107 Imjin Scouts)は1972年8月マジソンスクエア・ガーデ
ンで開催されたOne To Oneコンサートでも着ていた。
ニューヨーク近郊の米軍放出品店(サープラス)か古着屋で見つけたのだろう。

これはジョンが終結を訴え続けたベトナム戦争で使用されたものではない。
1960年代に朝鮮半島の北緯38度線付近に設けられた非武装中立地帯の偵察任務に
従事した兵士 (軍曹) に支給されたコットン・サテン地のシャツである。
左胸にU.S.ARMY、右胸に兵士の名前が刻印された1インチ幅のコットン・テープが
縫いつけられ、左袖上部には所属した師団パッチ、左右の袖に三本線の階級章 (軍曹)、
右胸ポケットに非武装中立地帯の偵察任務を証すImjin Scoutsパッチが見られる。

ジョンはこの時期カーゴパンツ、米軍ベイカーパンツ、米軍Tシャツを愛用していた。
ウエスタンブーツやエンジニアブーツも着用している。


(写真:gettyimages)


↑ベトナム戦争終結を訴えるデモに参加。
デニム・ジャケットの上の方のボタンだけ留める着こなしに注目して欲しい。




↑黒のスニーカーはアディダス・センチュリー。

1980年に審判・スタッフ用シューズとして登場したアメリカ製のアディダス。
通常オフィシャルと呼ばれるが、商標の問題からかセンチュリーとして発売された。

※当時、知らなかった僕はこのスニーカーを履いてた知人に「スタンスミスの黒って
珍しいですね」と言い(恥)、オフィシャルという別物であることを教えてもらった。
スタンスミスとはソールの形状が異なる。




↑ニューヨーク時代のジョンはリーバイス517-0217を好んで履いていた。




↑Alga WorksのPantoはお気に入りで何種類か(シルバー、ゴールド、セル巻き
/なし、サイズ47と45、レンズはブルー、イエロー、クリアー)所有。

※Alga Worksは1970〜1980年代に白山眼鏡が輸入代理店となり日本でも販売。
1990年代半ばにSavile Rowとブランド名を改め高級化路線に変わった。
エリック・クラプトン、ショーン・コネリー、ハリソン・フォードも愛用し人気
を博したが、現在は廃業している。






↑American Opticalのパイロットグラスのクリップオンを違う形の眼鏡に装着。




↑1970年代のUS Navy Type G-1 レザー・フライト・ボンバージャケット。




↑ベレー帽も後年かぶるようになった。





↑晩年のジョンが愛用した白山眼鏡店のセルフレーム、製品名はメイフェア。
ニューヨークの街を背景に置かれた血のついた眼鏡の有名な写真は、ジョンが撃たれ
た後、ヨーコが自宅のダコタハウスで撮ったジョン本人の物である。




ビートル・マジックが解けた後の10年間、常にジョンはカッコよかった。
もし生きてたら80歳。どんなふうに歳を重ねていただろうか。


ビートルズ解散後、ポールは音楽では成功したがファッションはやや残念だった。
近年は娘のステラと妻ナンシー・シェベルのおかげで趣味がよくなったが、時に
オバサンっぽく見えてしまうのがちょっとイタい。

生前のジョンが「ポールは服の趣味が悪い」と言っていたっけ。
今もそう思う?と天国のジョンに訊いてみたい。
横でジョージがジョンに「君の女の趣味もどうかと思うよ」と茶茶を入れそうだ。

そのジョージも一時は?な格好してたし、クラプトンと並ぶとやはり見劣りする。
ビートルズ時代スーツやジャケットのドレスダウンが絶妙に巧かったリンゴも、
解散後はそうでもなくなった。あまり老け込まないのが救いだが。




<ジョン・レノンに学ぶ服飾術>

ジョンは1960年代からユーズド・デニムを収集していたが、当時はヴィンテージ
というプレミアムは付いていなかったはず。古着として安値で手軽に買えただろう。
(1950年代のフェンダーやギブソンも1960年代はヴィンテージ扱いされなかった)




当時は若者が見向きもしない、時代遅れと思われてたクラシックな眼鏡をかける。
キャンバス地の白いスニーカーをシックなスーツにも合わせてみる。
米軍放出品をオシャレなアイテムにしてしまう。

いわば目利きの人で、彼の音楽と同様、ファッションでも実験的で自由だった。
そして「さりげなく日常の生活に取り入れる」ことこそ最大の極意だったと思う。



ニューヨーク時代のジョンがよく着てたNEW YORK CITY、WAR IS OVER!、
WOKING CLASS HEROと書かれたTシャツはプロパガンダでもある。
メディアに晒されるのを利用し、世界中の人にメッセージを伝えていたのだ。

メッセージTシャツのレプリカや生前のジョンが描いたイラストやレコード・ジャ
ケットのTシャツを着て、「私ファンなんです」アピールするのもいいだろう。
しかしオフィシャル商品だとしても、言ってしまえばジョン・レノン商法である。

またジョンが着てたヴィンテージ・デニムを躍起になって探し回り高値で買ったり、
アーミーシャツのレプリカを買ったり、執拗にジョンの愛用アイテムの完璧収集に
こだわるのはコレクターの自己満足のように思える。




そんなことより、味わい深くて長く愛せそうなアイテムを探しなさいそれをプラス
するだけで個性に磨きがかかる「あなた流の服飾術」を身に付けなさい、とジョン
は教えてくれた。僕はそう思うんだけどな。


<参考資料:Pen 2020年2月号「ジョン・レノンを語れ!」、gettyimages、
Pen 大人の名品図鑑 「スプリングコート」のスニーカー、Wikipedia、
FORZA STYLE リーバイス501 1890年から1966年まで名作デニムの違いを探る、
SURPLUS STORE MUSH CO.、ADI-files アディダス・データサイト、他>