2017年10月28日土曜日

人生はブルースと嘆いたアメリカのフォーク歌手。

遠藤賢司さんが亡くなった。
僕は和製フォークには疎い。この人の曲も「カレーライス」しか知らない。

が、一度だけお会いしたことがある。
FM番組ディレクターがフォーク畑に人脈が多いらしく、その関係で八ヶ岳で
一緒にテニスをしたのだ。

遠藤賢司=長髪の不健康そうな人の先入観があったが、この時のエンケンさん
はテクノカットでさっぱりしてて、愉快な人だった。
おまけにテニスが上手い。完敗だった。

その後はお会いしてない。彼の音楽活動のことも知らない。
訃報を知りちょっと寂しい気がしている。ご冥福をお祈りします。



で、本題。

今回は和製フォークではなくアメリカのフォーク歌手の話である。

10月からNHKで「THIS IS US 36歳、これから」というドラマが始まった。
2016年にアメリカのNBCで放送されたドラマで、ゴールデングローブ賞、
批評家協会テレビジョン賞、プライムタイム・エミー賞、全米映画俳優組合賞、
にノミネートされ、好評を博している。






物語はケイト、ケヴィン、ランダルの三つ子の生い立ちと成長と苦悩、36歳に
った現在のそれぞれの岐路、家族の絆が描かれている。

三兄弟が生まれた1980年、成長期の1989年〜1995年、そして現在(2016
年〜2017年)と、エピソードは過去と現在を行き来する。
舞台はピッツバーグ、ロサンゼルス、ニュージャージー、ニューヨーク。



近年に珍しいくらい静かで知的で、人生という大きな川の流れを思わせる作品
で、久々に心の琴線に触れるドラマを見たという気がする。

そして劇中で流れる音楽がとてもいいのだ。
その多くは1960〜1970年代のフォーク、ロック。だから惹かれるのだろう。



特にエピソード3で繰り返し流れる曲が心に染みる。これ、何だっけ?
聴いたことがあるけど思い出せない。

聞き取れる歌詞でググッたら「Blues Run The Game」という曲だった。
ジャクソン・C.フランクという人の曲で本人が歌っている。



↑ジャクソン・C.フランクの「Blues Run The Game」が聴けます。




Blues Run The Game


(Jackson C. Frank 拙訳:イエロードッグ)


Catch a boat to England, baby Maybe to Spain
イギリス行きの船に乗ろうよ スペインでもいいけどさ
Wherever I have gone Wherever I've been and gone
どこへ行っても 僕がどっかに行っちゃったとしても
Wherever I have gone The blues are all the same (1)
どこへ行こうと ブルーな気分は変わらない 

Send out for whiskey, baby Send out for gin
ねえ、ウィスキーを持ってきてくれないか、ジンでもいいんだ
Me and room service, honey Me and room service, babe
僕とルーム・サービス そして君
Me and room service Well, we're living a life of sin
僕とルーム・サービス そう、僕らは罪を背負って生きている

When I'm not drinking, baby You are on my mind
酒を飲んでいない時は 君のことを思う
When I'm not sleeping, honey When I ain't sleeping, mama
僕が眠ってない時 眠ってない時はね
When I'm not sleeping You know you'll find me crying
眠ってない時は 僕が泣いてるってわかるよね

Try another city, baby Another town
他の街に行ってみようか 小さい街でもいいんだ
Wherever I have gone Wherever I've been and gone
どこへ行っても 僕がどっかに行っちゃったとしても
Wherever I have gone The blues come following down
どこへ行こうと ブルーな気分は追いかけてくる

Living is a gamble, baby Loving's much the same
生きることは賭けだよね 愛だって似たようなもんさ
Wherever I have played Whenever I throw them dice
どこで賭けをしても どこでサイコロを振ろうが
Wherever I have played The blues have run the game
どこかで生きようとしても ブルーな気分がつきまとう

Maybe tomorrow, honey Someplace down the line (2)
ねえ、もしかしたら明日 いつかある時
I'll wake up older So much older, mama (3)
僕は老いて目を覚ますんだ すごく歳をとってね
I'll wake up older And I'll just stop all my trying
僕は老いて目覚める そして何も求めなくなるんだろう



ジャクソン・C.フランクは1943年にNY州バッファローの生まれ。
11歳の時、通っていた小学校が火事に遭う。

同級生15人の死。
彼自身も火傷を負い、数ヶ月の入院生活を送ることになる。
この経験がトラウマとなり、ジャクソン・C.フランクの人生につきまとった。
額に残った火傷の痕とともに。

1964年に保険金がおり、その金でイギリスへ渡航。フランクが21歳の時だ。
ロンドンでは、ポール・サイモンがルームメイトだった。






同年サイモン&ガーファンクルでデビューしたものの鳴かず飛ばず。
アート・ガーファンクルは大学院に戻り、ポール・サイモンはヨーロッパを放浪。
その後ロンドンで現地の音楽シーンに刺激を受け単身で音楽活動をしていた。(4)

二人は同じ屋根の下で音楽談義をし、お互いに影響を与え合ったのだろう。
フランクの演奏スタイルはポール・サイモンに通ずるものがある。


翌1965年ジャクソン・C.フランクはロンドンのCBSスタジオでレコーディング
を行い、アルバム「Blues Runs The Gam」を発表。
プロデュースはポール・サイモン。
英国コロンビアにフランクを売り込んだのもサイモンだった。


1965年といえばビートルズ、それに続くブリテッッシュ・インヴェイジョンの
にやられっぱなしで、アメリカのロック、フォークは元気がなかった頃。

逆にイギリスではこの時期から、バート・ヤンシュ、ジョン・レンボーン、ロイ
・ハーパー、フェアポート・コンベンション、ドノヴァンらによるフォーク・
リヴァイバル始まっていた。

ジャクソン・C.フランクがデビューしたのもその波に乗れたせいかもしれない。
しかし彼が残したのは、このアルバム一枚だけだった。



一方ポール・サイモンが渡英中、プロデューサーのトム・ウィルソンがアルバム
収録曲「The Sound of Silence」に独断で12弦エレキギターやドラムなどを加え
(5)シングル発売したところ、フォークロックの潮流に乗り大ヒット。

サイモンは帰国後、ガーファンクルとともにこのシングル・ヴァージョンを含む
2枚目のアルバム「Sounds of Silence」のレコーディングの制作にかかる。



このセッションでジャクソン・C.フランクの「Blues Runs The Game」の
カヴァも録音されたが、アルバムに収録はされなかった。
ウィスキーを持ってきてくれ、ジンでもいい、サイコロを振る、など男臭いと
いうか泥臭い詩がイメージに合わない、と判断したのかもしれない。


このテイクは1997年発売の3枚組アルバム「Old Friends」に未発表曲として
収録され、その後アルバム「Sounds of Silence」が2001年にリマスターされ
た際にボーナス・トラックとして収録された。

僕がこの曲を知っていたのはこのS&G版を聴いていたからだった。




↑サイモン&ガーファンクル版「Blues Run The Game」が聴けます。



バート・ヤンシュも1975年のアルバム「Santa Barbara Honeymoon」で
この曲をカヴァーし、ライヴでも好んでしばしば演奏している。

1982年のアルバム「Heartbreak」が2012年にリマスターされた際、LAの
マッケイブス・ギター店頭で行われたライブ(おそらく1982年当時だろう)
がDisc 2として収録された。
「Blues Runs The Game」の弾き語りも聴ける。




↑ヤンシュの「Blues Run The Game」。'73年ノルウェーのTV出演映像。



その他ジャクソン・C.フランクと恋仲だったサンディー・デニー、ジョン・
ンボーン、ニック・ドレイク、ジョン・メイヤーらもカヴァーしている。
が、ジャクソン・C.フランク本人の歌が一番心に染み入る



フランクの唯一のアルバムのB面1曲目「Milk And Honey」も味わい深い。
ただしアルバムを通して聴くと単調で飽きる。(6)
フォークソングとは元来こういうものなのかもしれないが。

この辺が美しくキャッチーな作曲力、知的な詩、幅広いアレンジ力、ハーモ
ニーでメジャーになっていったポール・サイモンとの分岐点だったのか。



ジャクソン・C.フランクは音楽活動から遠ざかり、入退院を繰り返した。
左目を失明。1999年に56歳で亡くなっている。



↑ジャクソン・C.フランクの「Milk And Honey」が聴けます。


<脚注>