BS-TBSで日曜の夜に「 SONG TO SOUL」という番組を放送している。
アーティストのブレイクスルーにつながった「名曲、名アルバム」の誕生秘話
について関係者の話をもとに明らかにしていく、という内容だ。
http://www.bs-tbs.co.jp/songtosoul/schedule/
「輝く星座」フィフス・ディメンション、「Room 335」ラリー・カールトン
は、新事実も知ることができて面白かった。
先週は「ウォーク・ドント・ラン」ベンチャーズ。
番組でドン・ウィルソン本人が語っていた結成のいきさつが興味深かった。
中古車ディーラーに勤めていたドンは客の一人、レンガ職人のボブ・ボーグル(1)
と親しくなる。
ボブの車のリアシートにギターが積んであったのを見たドンは「君もやるのか?
じゃあ、一緒にやろうぜ!」と誘う。
最初は2人のユニットでボブがリードを弾き、ドンがリズムギターを担当した。
ベースやドラムがいないため、弦を掻き鳴らす歯切れのいいコードストローク
のバッキングをやるようになったそうだ。
二人は地元シアトルのパーティやクラブで演奏するようになる。
「Walk Don’t Run」という曲をやってみよう、ということになった。
「Walk Don’t Run」は1955年にジャズ・ギタリスト、ジョニー・スミスが作曲し
録音した曲である。(2)
↑ジョニー・スミスの「Walk Don’t Run」が聴けます。
チェット・アトキンスが2年後の1957年にカヴァーしている。
↑チェット・アトキンスの「Walk Don’t Run」が聴けます。
ドンとボブが聴いてレパートリーに加えようとしたのはチェットの演奏だ。
が、ギャロッピング・スタイルのフィンガーピッキングで、ベース音、コード音、
メロディーを同時に弾くという高度なテクニックが要求される。
ドンとボブはフラットピッキングしかできないし、チェットの演奏は難しすぎて
弾けなかった。
それでメロディーとコード、ベースのバッキングを分解し単純化。
スピード感あるロックにアレンジし直した。これがうまく行った・
彼らの「Walk Don’t Run」は好評で「今の曲は何だい?もう一回やってくれ」と
リクエストも多く、一晩に5回演奏したこともあったそうだ。
ドンの母親の資金援助を受けプライベートレーベル BlueHorizon を立ち上げ、
1960年には2枚目シングル「Walk Don’t Run」をレコーディングする。
後に加入するノーキー・エドワーズがベースを担当し、ドラマーはスキップ・
ムーアというクラブ・ミュージシャンを雇った。
「Walk Don’t Run」は地元シアトルのラジオ局がニュース番組のテーマ曲として
使用したことから火がつき、ビルボード誌のヒットチャート第2位を記録。
大手のリバティー・レコードと契約が決まり、再発売された。
↑1960年8月TV出演時に演奏した「Walk Don’t Run」が聴けます。
ドンはストラト、ボブはジャズマスター、ノーキーはプレシジョン・ベース。
ドラムは2代目のホーウィー・ジョンソン。
後の「エレキの若大将」の横揺れのステップ、途中のターンはこのベンチャーズ
が元ネタだったんだなあ。。。。
その後リードギターがボブからノーキーに交代。
バック・オウエンスのバンドで完成されたスタイルを持っていたノーキーに任せ
た方が将来的にいい、というボブの判断だったらしい。(3)
そして3代目のドラマー、メル・テイラーを迎えて黄金時代の四人が揃う。
ベンチャーズは1964年に新バージョンの「Walk, Don't Run '64」を発表。
二度目のヒットを記録。
日本でベンチャーズがブームになったのはこの頃だったと思う。
僕は小学生だった。
ちゃんとレコードで聴いたのは中学生になってからだった。
昔の邦題は「急がば廻れ」だったっけ。
誰かが4曲入りのコンパクト盤(EP盤)(4)を持ってて聴かせてもらった記憶がある。
そう、これこれ↓
↑1966年日本公演時での新バージョンの「Walk Don’t Run」が聴けます。
ギターとベースはパールホワイトのモズライト(5)、アンプはフェンダーのツイード。
ドラムは3代目のメル・テイラー。音がぐんとダイナミックになっている。
アメリカ人はYeah!、Wow!と客席で踊るのだが、日本人は座っておとなしく聴いて
終わると拍手する、とても礼儀正しいと彼らは思ったそうだ。
番組はベンチャーズにあまり明るくない僕でも充分楽しめた。
しかし、残念な点が二つあった。
一つはこの番組が存命者のインタビューを元にしているせいか、故メル・テイラー
についてほとんど語られなかった点である。
ベンチャーズを聴いた人はダイナミックなサウンドとグルーヴ感に圧倒され、次に
ノーキーのリフのカッコよさに惚れ込むはずだ。
もう少し聴き込む、自分たちでもやってみるとワイルドなドンのリズムギターと
ボブのリードギターのようなシャープなベースが屋台骨であることに気づく。
そしてライヴ盤を聴く、生で見てメル・テイラーの正確かつ迫力あるドラミングに
唖然とするはずだ。
グレッチ製のシンプル極まりない小さなセットであのすごい音を出すなんて!
優れたバンドに鉄壁のリズム隊あり、とはよく言ったものだ。
1965年の日本公演盤のメル・テイラーの圧巻とも言えるドラミングを聴きながら、
はて、この不思議なデジャヴ感は何なんだろう?と思ったことがある。
しばらくして分かった。スティーヴ・ガッドに似ているのだ。
ガッドは自分のルーツはマーチングドラムとベンチャーズだと語っていた。
ウィル・リー、ジョン・トロペイ、デビッド・スピノザと共にベンチャーズのカヴ
ァー・アルバムを発表した(6)こともあるくらいだ。
メル・テイラーはジーン・クルーパーに心酔していたようだが、むやみにフィルイン
やソロを入れることもなく、スネア中心で4拍目でリムショットを入れる、ハイハッ
ト、ライトシンバルの連打とベンチャーズでの演奏は要所要所でセンスが光っていた。
ガッドの特徴の一つ、左手でハイハットを刻みつつ2拍、4拍を同じ左手でスネアを
叩く、その間右手はまったく別なことをやっている、という離れ技はメル・テイラー
の発展形ではないか、と僕は密かに思っている。
もう一つ、残念だった点。
新しいサウンドに飢えていた日本の若者の心をベンチャーズが動かしたという点、
ノーキーの後任でエルヴィスやモンキーズのバックで演奏し幅広い音楽性を持って
いたジェリー・マギーによる「ベンチャーズ歌謡」路線が日本での人気を不動のも
のした、という点は異論はない。
が、ベンチャーズが日本人に受け入れられたのは、もともと彼らのメロディーに
「泣き」があったからだ、という大事な点が抜けていた。
「パイプライン」「10番街の殺人」「ダイアモンドヘッド」も演歌・歌謡に通ずる
「泣き」があるのだ。
大ヒットした「ダイアモンドヘッド」のサビなんて祭囃子みたいではないか。
もともと日本人が親しみやすい要素があったのだと思う。
反対に「泣き」がないビーチボーイズは日本では受け入れられなかった。
僕だってコテコテの日本人だ。
ビーチボーイズが素敵だと思えるまでにはそうとう時間がかかったしね。
最後に、僕の「「Walk Don’t Run」」体験を振り返ってみよう。
最初は加山雄三とランチャーズの「ブラックサンド・ビーチ」(7)だった。
「Walk Don’t Run」のコード進行を逆にして作った曲だそうでカッコいい。
加山と寺内タケシはノーキーからもらったモズライトを愛用していた。
「エレキの若大将」の前半では「勝ち抜きエレキ合戦」のスポンサーであった
テスコのギターを使用しているが、後半モズライトも使用している。
↑加山雄三とランチャーズの「ブラックサンド・ビーチ」が聴けます。
次にベンチャーズの「Walk, Don't Run '64」、最初の「Walk, Don't Run」、
大人になってからチェット・アトキンス、最後にジョニー・スミスのオリジナルを
聴いた。つまり後からオリジナルへと遡って行ったわけだ。
どれが好きか?と言われると・・・うーん、それぞれいいんだよねー。
<脚注>
あの日のあの曲。お気に入りのアルバム。いろいろな音楽にまつわるエピソードや思い出を、ジャンルを問わず徒然なるままに書きつづります。(ブログのタイトルは故大瀧詠一氏へのトリビュートの意味をこめてつけました)
2017年8月18日金曜日
2017年6月19日月曜日
続・男は黙ってサザンロック!
1960年夏14歳のデュアン・オールマンは小型のハーレーを乗り回していた。
やがて弟グレッグのギターに手を出し、薪小屋の中で練習し始める。
R&B局から流れるロバート・ジョンソン、チャック・ベリーを耳で覚えた。
デュアンとグレッグはデイトナビーチ(フロリダ州)の黒人バンドと一緒に演
奏するようになり、クラブのショーもこなせるほどになった。
デュアンはR&Bやヤードバーズ、ジェフ・ベックを好んで演奏したという。
リバティ・レコードとの契約が不本意な結果で、彼らはマッスルショーズ(ア
ラバマ州)のフェイム・スタジオ(1)で本来やりたかったR&Bを演奏した。
1969年にセッション・マンとして既に名を馳せていた22歳のデュアンは、フェ
イム・スタジオでウィルソン・ピケット(2)のレコーディングに参加。
デュアンは当時、9週連続1位だったビートルズの大ヒット曲「Hey Jude」をカ
ヴァーしてはどうかとピケットに薦める。
ピケットは最初「Hey Jew(ユダヤ人)」なんて歌うのは嫌だと却下した。
しかしデュアンは自らギターを弾きながら熱心に説得。
オルガンが入りピケットが歌う「Hey Jude」はソウルフルなゴスペルになった。
歌に絡むようなデュアンの抑制の効いたオブリ。
後半のコーラス部ではホーン・セクションとともにクライマックスを迎える。
↑ウィルソン・ピケットの「Hey Jude」が聴けます。
「Hey Jude」でのデュアンのギターは「黒人じゃないのにこんな演奏ができる
のか!」と音楽関係者たちを驚かせた。
エリック・クラプトンもデュアンのギターに感銘を受けた一人だった。
翌1970年8月マイアミのクライテリア・スタジオ(3)でアルバム「Layla」のレコ
ーディング中だったクラプトンは、プロデューサーのトム・ダウド(4)からオール
マン・ブラザーズ・バンドのマイアミ公演を観に行くように勧められる。
ディッキー・ベッツによると、その日ステージで快調にソロを弾いていたデュア
ンの手が突然止まったそうだ。
彼の視線を追うと、今度はディッキー自身がフリーズしてしまった。
最前列にエリック・クラプトンが座って彼らの演奏を見つめていたからである。
ライブ終了後クラプトンはデュアンを誘いステジオへ。
二人は夜を徹してジャム・セッションを行い、クラプトンはデレク&ザ・ドミノ
スのレコーディングに参加するようデュアンを口説いた。
・・・というのが通説になっている。
が、1998年末のトム・ダウドのインタビューによると時系列が違う。
ダウドはクライテリア・スタジオでオールマンのレコーディング中だった。
そこにロバート・スティグウッド(5)から電話が入る。
「エリックがそこでレコーディングしたがっている」とのことだった。
ダウドがその話をするとデュアンは「そいつって」とクリームの曲のリフを弾き、
「じゃあ、彼がここでレコーディングしている時見に来てもいいかな?」と尋ねる。
ダウドは「二人とも共通点があるしうまく行くだろう。問題ないはずだ」と答えた。
そしてデレク&ザ・ドミノスがスタジオにいる時デュアンから電話が入る。
モニターの音を聴いたデュアンは「いるな!ちょっと寄ってもいいか?」と訊く。
ダウドはコントロール・ルームにいたクラプトンに「デュアン・オールマンがスタ
ジオに顔を出してもいいか?と言っている」と伝えた。
クラプトンは「Hey Jude」のデュアンのフレーズを弾き「これを演奏している奴
か?じゃあ、一発やってもらおうか」と快諾。
その晩、ダウドはデレク&ザ・ドミノスのメンバーをマイアミ・ビーチのコンベン
ション・センターに連れて行き、オールマンの野外コンサートを見せた。
終了後、みんなでスタジオに戻りジャム・セッションが始まったのだ。
クラプトンはデュアンにどう演奏してるか見せ、デュアンはボトルネック奏法をク
ラプトンに見せる。アイデアが交換された。
↑「Layla」セッションのアウトテイク「Mean Old World」が聴けます。
「Layla」での二人の演奏の聴き分け方についてデュアンはこんな説明している。
クラプトンが弾いてるのはフェンダーで火花を散らすような音(sparklier sound)
、デュアンのはギブソンでキーキー金切り声みたいな感じ (full-tilt screech)。
クラプトンは彼にとって最初のストラトキャスター、ブラウニーを小さな5ワット
のフェンダー・ツイードチャンプで鳴らしていた。
レズリーの回転スピーカーも好んで使っていたようだ。
デュアンは愛用のレスポール。
アンプは同じフェンダー・チャンプだったいう記載もあるが定かでない。
二人は昔からの知り合いのように打ち解け、心から楽しんでいた。
デュアンの突然の事故死でクラプトンは大きなショックを受け(ジミ・ヘンドリ
ックスの死、パティ・ボイドへの叶わぬ思いに追い打ちをかけた)ドラッグ中毒
になってしまう。
デュアン・オールマンの演奏スタイルはデレク・トラックスに受け継がれている。
彼はオールマン・ブラザーズ・バンドのドラマー、ブッチ・トラックス(2017年
1月に拳銃自殺)の甥に当たる。
「デレク」はデュアンが参加したデレク&ザ・ドミノスから命名されたそうだ。
叔父の影響もあり幼少のころから音楽に親しみ、9歳でギターを始める。
涼しい顔つきで直立で弾くデレクのスライド奏法はエネルギッシュかつ熱く、
それでいて驚異的なくらい音が正確(6)である。
そしてブルースを基調としたフレーズのバリエーションが豊かだ。
デュアン・オールマンの再来、デュアンを超えたとも評される。
2007年Rolling Stone誌の「現代の3大ギタリスト(7)」の一人にも選ばれた。
↑ギターセンター主催のコンペティションでのデレクの演奏が聴けます。
デレクの愛器は2000年製ギブソンSG '61リイシュー。
ピックガードとトレモロ・ユニットのアームを外して(プレートのみ残してある)
ストップ・テールピースにしてある。(8)
SGはデュアンも使用していたことでも有名だ。
スライドバーもデュアンと同じコリシディン(風邪薬)のボトルを愛用している。
チューニングはどんな曲でも常にオープンE。
曲によってギターを交換する煩わしさはないが、高度な技術が要求されるはずだ。
スライド奏法でもコード弾きでも、ピックは使用せず指で弾いている。
アンプはフェンダーの1965スーパーリバーブ。(近年はPRSも使用)
ロー絞り気味、トレブル上げ気味の設定でギター本体のトーンで調整している。
エフェクターは一切使っていないそうだ。
自身のバンドで活動(9)する一方、1999〜2014年にはオールマンの正式メンバー
となり、デュアンがいた頃の往年のサウンドを蘇らせた。
2006年にはエリック・クラプトンの米国ツアーにドイル・ブラムホールIIと
ともに参加。(このメンバーで来日もしている)圧倒的な存在を見せつけた。
↑Crossroads Gt. Fes.での「Tell The Truth」が聴けます。
デレクのソロは2'45"〜と3'50"〜。主役のクラプトンを食ってますね^^v
後ろで見てるシェリル・クロウも嬉しそう。
ちなみに僕の2016年度ベストCDはクラプトンの「Live In San Diego」。
2007年3月のサンディエゴ公演でドイル・ブラムホールII、デレク・トラッ
クスに加え、故J.J.ケイルが特別出演している。
J.J.の入らないセットでは「Tell The Truth」「Key To The Highway」
「Got To Get Better In A Little While」「Little Wing」「Anyday」
「Layla」とデレク&ザ・ドミノス時代の曲をカヴァーしているのが嬉しい。
1979年の武道館以来クラプトンは通算9回見てるしライヴ盤も聴いてきた。
が、「Live In San Diego」はクラプトン史上最高ではないかと思う。
デレク・トラックスとの共演が刺激になったのだろう。
クラプトンも「まるでデュアンと一緒にやってるようだった」と言っている。
<脚注>
やがて弟グレッグのギターに手を出し、薪小屋の中で練習し始める。
R&B局から流れるロバート・ジョンソン、チャック・ベリーを耳で覚えた。
デュアンとグレッグはデイトナビーチ(フロリダ州)の黒人バンドと一緒に演
奏するようになり、クラブのショーもこなせるほどになった。
デュアンはR&Bやヤードバーズ、ジェフ・ベックを好んで演奏したという。
リバティ・レコードとの契約が不本意な結果で、彼らはマッスルショーズ(ア
ラバマ州)のフェイム・スタジオ(1)で本来やりたかったR&Bを演奏した。
1969年にセッション・マンとして既に名を馳せていた22歳のデュアンは、フェ
イム・スタジオでウィルソン・ピケット(2)のレコーディングに参加。
デュアンは当時、9週連続1位だったビートルズの大ヒット曲「Hey Jude」をカ
ヴァーしてはどうかとピケットに薦める。
ピケットは最初「Hey Jew(ユダヤ人)」なんて歌うのは嫌だと却下した。
しかしデュアンは自らギターを弾きながら熱心に説得。
オルガンが入りピケットが歌う「Hey Jude」はソウルフルなゴスペルになった。
歌に絡むようなデュアンの抑制の効いたオブリ。
後半のコーラス部ではホーン・セクションとともにクライマックスを迎える。
↑ウィルソン・ピケットの「Hey Jude」が聴けます。
「Hey Jude」でのデュアンのギターは「黒人じゃないのにこんな演奏ができる
のか!」と音楽関係者たちを驚かせた。
エリック・クラプトンもデュアンのギターに感銘を受けた一人だった。
翌1970年8月マイアミのクライテリア・スタジオ(3)でアルバム「Layla」のレコ
ーディング中だったクラプトンは、プロデューサーのトム・ダウド(4)からオール
マン・ブラザーズ・バンドのマイアミ公演を観に行くように勧められる。
ディッキー・ベッツによると、その日ステージで快調にソロを弾いていたデュア
ンの手が突然止まったそうだ。
彼の視線を追うと、今度はディッキー自身がフリーズしてしまった。
最前列にエリック・クラプトンが座って彼らの演奏を見つめていたからである。
ライブ終了後クラプトンはデュアンを誘いステジオへ。
二人は夜を徹してジャム・セッションを行い、クラプトンはデレク&ザ・ドミノ
スのレコーディングに参加するようデュアンを口説いた。
・・・というのが通説になっている。
が、1998年末のトム・ダウドのインタビューによると時系列が違う。
ダウドはクライテリア・スタジオでオールマンのレコーディング中だった。
そこにロバート・スティグウッド(5)から電話が入る。
「エリックがそこでレコーディングしたがっている」とのことだった。
ダウドがその話をするとデュアンは「そいつって」とクリームの曲のリフを弾き、
「じゃあ、彼がここでレコーディングしている時見に来てもいいかな?」と尋ねる。
ダウドは「二人とも共通点があるしうまく行くだろう。問題ないはずだ」と答えた。
そしてデレク&ザ・ドミノスがスタジオにいる時デュアンから電話が入る。
モニターの音を聴いたデュアンは「いるな!ちょっと寄ってもいいか?」と訊く。
ダウドはコントロール・ルームにいたクラプトンに「デュアン・オールマンがスタ
ジオに顔を出してもいいか?と言っている」と伝えた。
クラプトンは「Hey Jude」のデュアンのフレーズを弾き「これを演奏している奴
か?じゃあ、一発やってもらおうか」と快諾。
その晩、ダウドはデレク&ザ・ドミノスのメンバーをマイアミ・ビーチのコンベン
ション・センターに連れて行き、オールマンの野外コンサートを見せた。
終了後、みんなでスタジオに戻りジャム・セッションが始まったのだ。
クラプトンはデュアンにどう演奏してるか見せ、デュアンはボトルネック奏法をク
ラプトンに見せる。アイデアが交換された。
↑「Layla」セッションのアウトテイク「Mean Old World」が聴けます。
「Layla」での二人の演奏の聴き分け方についてデュアンはこんな説明している。
クラプトンが弾いてるのはフェンダーで火花を散らすような音(sparklier sound)
、デュアンのはギブソンでキーキー金切り声みたいな感じ (full-tilt screech)。
クラプトンは彼にとって最初のストラトキャスター、ブラウニーを小さな5ワット
のフェンダー・ツイードチャンプで鳴らしていた。
レズリーの回転スピーカーも好んで使っていたようだ。
デュアンは愛用のレスポール。
アンプは同じフェンダー・チャンプだったいう記載もあるが定かでない。
二人は昔からの知り合いのように打ち解け、心から楽しんでいた。
デュアンの突然の事故死でクラプトンは大きなショックを受け(ジミ・ヘンドリ
ックスの死、パティ・ボイドへの叶わぬ思いに追い打ちをかけた)ドラッグ中毒
になってしまう。
デュアン・オールマンの演奏スタイルはデレク・トラックスに受け継がれている。
彼はオールマン・ブラザーズ・バンドのドラマー、ブッチ・トラックス(2017年
1月に拳銃自殺)の甥に当たる。
「デレク」はデュアンが参加したデレク&ザ・ドミノスから命名されたそうだ。
叔父の影響もあり幼少のころから音楽に親しみ、9歳でギターを始める。
涼しい顔つきで直立で弾くデレクのスライド奏法はエネルギッシュかつ熱く、
それでいて驚異的なくらい音が正確(6)である。
そしてブルースを基調としたフレーズのバリエーションが豊かだ。
デュアン・オールマンの再来、デュアンを超えたとも評される。
2007年Rolling Stone誌の「現代の3大ギタリスト(7)」の一人にも選ばれた。
↑ギターセンター主催のコンペティションでのデレクの演奏が聴けます。
デレクの愛器は2000年製ギブソンSG '61リイシュー。
ピックガードとトレモロ・ユニットのアームを外して(プレートのみ残してある)
ストップ・テールピースにしてある。(8)
SGはデュアンも使用していたことでも有名だ。
スライドバーもデュアンと同じコリシディン(風邪薬)のボトルを愛用している。
チューニングはどんな曲でも常にオープンE。
曲によってギターを交換する煩わしさはないが、高度な技術が要求されるはずだ。
スライド奏法でもコード弾きでも、ピックは使用せず指で弾いている。
アンプはフェンダーの1965スーパーリバーブ。(近年はPRSも使用)
ロー絞り気味、トレブル上げ気味の設定でギター本体のトーンで調整している。
エフェクターは一切使っていないそうだ。
自身のバンドで活動(9)する一方、1999〜2014年にはオールマンの正式メンバー
となり、デュアンがいた頃の往年のサウンドを蘇らせた。
2006年にはエリック・クラプトンの米国ツアーにドイル・ブラムホールIIと
ともに参加。(このメンバーで来日もしている)圧倒的な存在を見せつけた。
↑Crossroads Gt. Fes.での「Tell The Truth」が聴けます。
デレクのソロは2'45"〜と3'50"〜。主役のクラプトンを食ってますね^^v
後ろで見てるシェリル・クロウも嬉しそう。
ちなみに僕の2016年度ベストCDはクラプトンの「Live In San Diego」。
2007年3月のサンディエゴ公演でドイル・ブラムホールII、デレク・トラッ
クスに加え、故J.J.ケイルが特別出演している。
J.J.の入らないセットでは「Tell The Truth」「Key To The Highway」
「Got To Get Better In A Little While」「Little Wing」「Anyday」
「Layla」とデレク&ザ・ドミノス時代の曲をカヴァーしているのが嬉しい。
1979年の武道館以来クラプトンは通算9回見てるしライヴ盤も聴いてきた。
が、「Live In San Diego」はクラプトン史上最高ではないかと思う。
デレク・トラックスとの共演が刺激になったのだろう。
クラプトンも「まるでデュアンと一緒にやってるようだった」と言っている。
<脚注>
2017年6月12日月曜日
男は黙ってサザンロック!
グレッグ・オールマンが亡くなった。
享年69歳。肝臓癌の合併症だそうだ。
昔の刺青処置が不衛生だったことによるC型肝炎、そして肝腫瘍。
肝移植は成功したが、その後も感染症を患っていたようだ。
亡くなる一ヶ月前、グレッグはこんなメッセージを出していた。
Hey everyone.
I just wanted y’all to know that I’m currently home in Savannah
resting on my doctor’s orders.
I want to thank you for all the love that you are sending.
Looking forward to seeing everyone again. Keep Rockin’.
「やあ、俺はサバンナ(ジョージア州)の家で医者の指示どおり療養中なんだ。
みんなの愛に感謝。また会えるのを楽しみにしてるよ。ロックし続けようぜ!」
グレッグ・オールマンはサザンロックの雄、オールマン・ブラザーズ・バンドの
ボーカル、ギタリスト、オルガンプレイヤー。
同バンドで一緒に活躍したスライドギターの名手、デュアン・オールマンは彼の
兄だった。
グレッグが先にギターを始め、兄に教えたという。
兄弟たちはB.B.キングのステージを見たのがきっかけでR&Bに夢中になる。
バンドを結成しリバティ・レコードと契約するもの、持ち味を発揮できず解散。
フロリダに戻ったデュアンはセッション・ギタリストとして名を上げる一方、
ディッキー・ベッツ(g)、ベリー・オークリー(b)、ジェイ・ジョハンソン(ds)、
ブッチ・トラックス(ds)とバンドを組む。
L.A.にいたグレッグを呼び戻し、オールマン・ブラザーズ・バンドを結成した。
サザンロックはR&Bなどアメリカ南部の泥臭さを前面に出した力強いロックだ。
ジョニー・ウィンター、レーナード・スキナード、スティーヴィー・レイヴォ
ーンなどが挙げられる。中でもオールマンは代表格だった。(1)
サザンロックをやる人は長髪、髭面でカウボーイハットをかぶってたりする。
Tシャツの袖を肩までまくり上げタトゥーを見せるのもお約束だ。
ハーレーダビッドソンに跨っている人も多い。とてもわかりやすいのだ(笑)
↑無造作に置かれたバドがいいですね〜(^^)
オールマンのメンバーたちは南部の出身で黒人の音楽を聴きながら育った。
そのせいか白人バンドのブルースとしてはかなり黒っぽい。
1960年代後半に英国でもブルースが一大ブームになった。
オールマンに比べると、ブラインド・フェイスやジョン・メイオールは英国人
のフィルターを通した(僕なんかにとっては)聴きやすいブルースである。
英国ブルース・ロックはリズムがストレート(縦ノリ)だ。
これに対し、オールマンのブルースにはリズムのハネ(横揺れ)がある。
ハネとはブルースのシャッフル、ジャズの4ビート、ファンクの16ビート。
8ビートでもリズムが軽く跳ねているのだ。
ツイン・ドラムで力強いリズムを叩きだしているのだが重くはならない。
グレッグのオルガンもジャズっぽいハネ感がある。
そこにデュアン、ディッキー・ベッツの豪快なギターが絡む。
グレッグの喉の奥でうなるようなヴォーカル(ディープスロートと呼ばれる)
がまた南部っぽくていい。
↑クリックすると「Statesboro Blues」(2)が聴けます。
ライヴの名盤の誉れ高い「At Fillmore East」発表の数ヶ月後、デュアンがバ
イクでトラックに追突し24歳で他界する。
バンドはギタリストを補充せずディッキー・ベッツだけでバンドを継続した。
が、1年後にはベリー・オークリーもバイク事故で亡くなってしまう。
度重なるメンバーの死を乗り越え、グレッグたちは活動を続けた。
「Brothers And Sisters」(1973)は全米アルバム・チャートNo.1を記録。
彼らをアメリカン・ロックの頂点へと押し上げた。
このアルバムはディッキー・ベッツ主導で、カントリー色の強いカラッとした
サウンドに仕上がっている。
ブルース一辺倒ではないので脂っこいのが苦手な人にも聴きやすい。
この直後グレッグは初ソロ・アルバムにして名盤の「Laid Back」を発表。
タイトルどおりリ南部のくつろいだ雰囲気やブルース色は残しつつ、やや都会
的、コンテンポラリーな作品になっている。
攻めのリードギターは後退した。歌をじっくり聴かせてくれる。
「Midnight Rider」「Please Call Home」の再演の他LA時代の旧友ジャクソン
・ブラウンの「These Days」を歌ってたり、カントリーのトラッド「Will The
Circle Be Unbroken」(3)をゴスペル風にアレンジしてたりなかなか楽しめる。
意外なところでは、ポールバターフィールド・ブルースバンド〜ラスカルズ出身
でこの頃ニール・ラーセン(Kb)と共にファンク系フュージョンを先取りしてい
たバジー・フェイトン(g)が参加している。
このアルバムにおけるフェイトンのギター貢献度は大きいと思う。
グレッグによる書き下ろしのR&Bバラード「Queen of Hearts」でのオブリ
〜ソロはまさに絶品だ。
後半インテンポの4ビートになるアレンジがまたいい。
デヴィッド・ニューマンのツボを心得たサックス、転がるような心地よい音色の
フェンダー・ローズ(元マーシャル・タッカー・バンドのポール・ホーンズビー
だろうか?)のソロも聴きどころだ。
↑クリックすると「Queen of Hearts」が聴けます。
デイッキー・ベッツ色が強くなったオールマン・ブラザーズ・バンドとは一線を
画して、グレッグがやりたかっとのはこういう音楽だったんだなあ。
サザンロック云々はさておき、幸せな気分にしてくれるロックだと思う。
現在サザンロックはアメリカ本国でもあまり人気がないのではないだろうか。
どうしても白人至上主義の保守層、レッドネック(4)が好む時代遅れのロックと
いう印象があるのは否めない。
サザンロックは生き残れないのか?
いやいや、オールマンの魂はしっかり現代に引き継がれているのだ。(続く)
※「男は黙ってサザンロック!」(5)というタイトルは「ROCKET RIDE 2 音楽と
日々の雑談」から転用させていただきました。
今回の内容にこれ以上のタイトルはない!オールマンにぴったりでしょ^^v
ヤスバさん、タイトルの使用をご快諾いただきありがとうございます。
<脚注>
享年69歳。肝臓癌の合併症だそうだ。
昔の刺青処置が不衛生だったことによるC型肝炎、そして肝腫瘍。
肝移植は成功したが、その後も感染症を患っていたようだ。
亡くなる一ヶ月前、グレッグはこんなメッセージを出していた。
Hey everyone.
I just wanted y’all to know that I’m currently home in Savannah
resting on my doctor’s orders.
I want to thank you for all the love that you are sending.
Looking forward to seeing everyone again. Keep Rockin’.
「やあ、俺はサバンナ(ジョージア州)の家で医者の指示どおり療養中なんだ。
みんなの愛に感謝。また会えるのを楽しみにしてるよ。ロックし続けようぜ!」
グレッグ・オールマンはサザンロックの雄、オールマン・ブラザーズ・バンドの
ボーカル、ギタリスト、オルガンプレイヤー。
同バンドで一緒に活躍したスライドギターの名手、デュアン・オールマンは彼の
兄だった。
グレッグが先にギターを始め、兄に教えたという。
兄弟たちはB.B.キングのステージを見たのがきっかけでR&Bに夢中になる。
バンドを結成しリバティ・レコードと契約するもの、持ち味を発揮できず解散。
フロリダに戻ったデュアンはセッション・ギタリストとして名を上げる一方、
ディッキー・ベッツ(g)、ベリー・オークリー(b)、ジェイ・ジョハンソン(ds)、
ブッチ・トラックス(ds)とバンドを組む。
L.A.にいたグレッグを呼び戻し、オールマン・ブラザーズ・バンドを結成した。
サザンロックはR&Bなどアメリカ南部の泥臭さを前面に出した力強いロックだ。
ジョニー・ウィンター、レーナード・スキナード、スティーヴィー・レイヴォ
ーンなどが挙げられる。中でもオールマンは代表格だった。(1)
サザンロックをやる人は長髪、髭面でカウボーイハットをかぶってたりする。
Tシャツの袖を肩までまくり上げタトゥーを見せるのもお約束だ。
ハーレーダビッドソンに跨っている人も多い。とてもわかりやすいのだ(笑)
↑無造作に置かれたバドがいいですね〜(^^)
オールマンのメンバーたちは南部の出身で黒人の音楽を聴きながら育った。
そのせいか白人バンドのブルースとしてはかなり黒っぽい。
1960年代後半に英国でもブルースが一大ブームになった。
オールマンに比べると、ブラインド・フェイスやジョン・メイオールは英国人
のフィルターを通した(僕なんかにとっては)聴きやすいブルースである。
英国ブルース・ロックはリズムがストレート(縦ノリ)だ。
これに対し、オールマンのブルースにはリズムのハネ(横揺れ)がある。
ハネとはブルースのシャッフル、ジャズの4ビート、ファンクの16ビート。
8ビートでもリズムが軽く跳ねているのだ。
ツイン・ドラムで力強いリズムを叩きだしているのだが重くはならない。
グレッグのオルガンもジャズっぽいハネ感がある。
そこにデュアン、ディッキー・ベッツの豪快なギターが絡む。
グレッグの喉の奥でうなるようなヴォーカル(ディープスロートと呼ばれる)
がまた南部っぽくていい。
↑クリックすると「Statesboro Blues」(2)が聴けます。
ライヴの名盤の誉れ高い「At Fillmore East」発表の数ヶ月後、デュアンがバ
イクでトラックに追突し24歳で他界する。
バンドはギタリストを補充せずディッキー・ベッツだけでバンドを継続した。
が、1年後にはベリー・オークリーもバイク事故で亡くなってしまう。
度重なるメンバーの死を乗り越え、グレッグたちは活動を続けた。
「Brothers And Sisters」(1973)は全米アルバム・チャートNo.1を記録。
彼らをアメリカン・ロックの頂点へと押し上げた。
このアルバムはディッキー・ベッツ主導で、カントリー色の強いカラッとした
サウンドに仕上がっている。
ブルース一辺倒ではないので脂っこいのが苦手な人にも聴きやすい。
この直後グレッグは初ソロ・アルバムにして名盤の「Laid Back」を発表。
タイトルどおりリ南部のくつろいだ雰囲気やブルース色は残しつつ、やや都会
的、コンテンポラリーな作品になっている。
攻めのリードギターは後退した。歌をじっくり聴かせてくれる。
「Midnight Rider」「Please Call Home」の再演の他LA時代の旧友ジャクソン
・ブラウンの「These Days」を歌ってたり、カントリーのトラッド「Will The
Circle Be Unbroken」(3)をゴスペル風にアレンジしてたりなかなか楽しめる。
意外なところでは、ポールバターフィールド・ブルースバンド〜ラスカルズ出身
でこの頃ニール・ラーセン(Kb)と共にファンク系フュージョンを先取りしてい
たバジー・フェイトン(g)が参加している。
このアルバムにおけるフェイトンのギター貢献度は大きいと思う。
グレッグによる書き下ろしのR&Bバラード「Queen of Hearts」でのオブリ
〜ソロはまさに絶品だ。
後半インテンポの4ビートになるアレンジがまたいい。
デヴィッド・ニューマンのツボを心得たサックス、転がるような心地よい音色の
フェンダー・ローズ(元マーシャル・タッカー・バンドのポール・ホーンズビー
だろうか?)のソロも聴きどころだ。
↑クリックすると「Queen of Hearts」が聴けます。
デイッキー・ベッツ色が強くなったオールマン・ブラザーズ・バンドとは一線を
画して、グレッグがやりたかっとのはこういう音楽だったんだなあ。
サザンロック云々はさておき、幸せな気分にしてくれるロックだと思う。
現在サザンロックはアメリカ本国でもあまり人気がないのではないだろうか。
どうしても白人至上主義の保守層、レッドネック(4)が好む時代遅れのロックと
いう印象があるのは否めない。
サザンロックは生き残れないのか?
いやいや、オールマンの魂はしっかり現代に引き継がれているのだ。(続く)
※「男は黙ってサザンロック!」(5)というタイトルは「ROCKET RIDE 2 音楽と
日々の雑談」から転用させていただきました。
今回の内容にこれ以上のタイトルはない!オールマンにぴったりでしょ^^v
ヤスバさん、タイトルの使用をご快諾いただきありがとうございます。
<脚注>
2017年6月7日水曜日
「丘の上のジェニファー」を弾いてみた♪
長い間、更新してなくて申し訳ない <(_ _)>
病に伏せていたわけでもなく(体調の悪い期間もあったが)、燃え尽きたわけ
でもなく(笑)、他のことに専念していたからです。
その一つは、長年懸案だった昔の宅録やリハの音源の取り込み。
高校〜大学の頃の音源はカセットから20年前にMDに録音してあった。
カセットデッキは壊れて処分したし、残ってるテープもヘロヘロのはず。
できればMDからデジタルで取り込みたいところ。
が、PCにUSB接続できるMDウォークマンはとっくの昔に生産終了。
(あったとしてもMac非対応だけどね)
意を決してソニーのMDデッキとローランドのオーディオインターフェース
をMacに繋いだら。。。
おおっ、どちらもまだ生きているではないか!
MDデッキのオプチカル出力 → オーディオインターフェース → MacにUSB
接続 → GarageBand(Macの音楽制作アプリ)で取り込み編集。
2週間かけて膨大な音源をMP3にすることができた。めでたし、めでたし。
もう一つは、ギターの練習。
ビートルズの公式録音213曲ほぼ全曲制覇(Revolution No.9を除く)!
コードと主要なリフをコピーし、アルバムごとにメドレーで弾いていた。
改めてビートルズってすごい!と思う。
そしてドノヴァンをもう一度やり直すこと。
4年前にコピーしたのだが、久しぶりで弾こうとしたら覚えていない。
やれやれ、あんなに練習したのに(>_<)
もう一度、耳コピし直した。
不思議なことに、以前聴き取れなかった部分も今度はちゃんと解明できる。
20曲以上できた。
今度はすべてTAB譜にした。
TuxGuitarというソフトで1音ずつ入力するという根気の要る作業だけど、
なかなかきれいに仕上がる。
完成したTAB譜はPDFファイルで保存。
どう弾くんだっけ?という時でも簡単に確認できて便利である。
で、その「きれいにできたTAB譜」のサンプルをお見せしたいと思う。
曲はドノヴァンの「Jennifer Juniper」。
曲の内容、歌詞は以前ご紹介したのでこちらから。
ドノヴァンの曲の中でも特に親しみやすく、ポップなラヴ・ソングである。
スタジオ・ヴァージョンではオーボエやクラリネット、ストリングスの過剰
アレンジに隠れてギターは聴こえない。
が、ライヴではドノヴァンのスリーフィンガーが堪能できる。
↑クリックすると「Jennifer Juniper」が聴けます。
ドノヴァンの奏法でよく登場するのが、スリーフィンガーやアルペジオに
歌メロを乗せる、という技。
つまり歌歌と同じメロディーをなぞりながら、複雑なフィンガーピッキング
をしているのである。
この曲でもヴァースはずっと歌メロ+伴奏。
ブリッジ(サビ)の後半ではギターを歌メロと3度でハモらせている。
聴いてる分には簡単そうだが、実際に音を拾うとなるとこれが難しい。
ありがちなスリーフィンガーとは一線を画す、ドノヴァンならではのクセの
ある複雑なピッキングだからだ。
完コピできても、今度はそのとおり弾くのが至難の技(汗)
ジェイムス・テイラーなんかだと耳コピしやすく、何回か弾けば指が覚えて
くれるのだが、ドノヴァンではそうは行かない。
だからこそTAB譜にしておく必要があった。
「Jennifer Juniper」はドノヴァンの曲の中でも難易度が高い。
ではTAB譜を載せますので、挑戦してみてください♪
一つのコードでアサインされる音が少ないのもドノヴァンの特徴の一つだ。
たとえばローコードのGを弾く場合、ふつうは6〜1弦までまんべんなく使っ
て音を組み立てる。(ですよね?)
しかしドノヴァンはベースの6弦と4、3、2弦のみ。他はミュートする。
同じ弦、またはオクターブの弦を繰り返し弾くことで共鳴音が得られる。
6弦すべて弾く音の広がりよりも、ドノヴァンはコードの塊としての強い
響きを好んだのではないかと思う。
ジャズ・コードのヴォイシングにも通ずるものがあるかもしれない。
ドノヴァンはテンション・コードも多様している。
一つのコードで使用する弦が限られるということは、短い時間に同じ弦を
何度も弾くことになる。
この曲のようにテンポが早い場合、かなり複雑で忙しいフィンガーピッキ
ングが強いられるということだ。
右手の指がつりそうになる。
この曲を弾いて腱鞘炎になったとしても僕を責めないでください(笑)
ちなみに1965〜1970までドノヴァンが愛用していたギブソンJ-45(1)は、
シルク弦を1音低くチューニングし、カポを使用することが多かった。
その理由についてドノヴァンは「変則チューニングのような東洋的な響き
が欲しかったから」と説明している。(2)
弦を緩めることで振幅が大きくなりドローン効果が得られる。
その状態でカポをすると音は締まり、低音弦はより豊かになるのだ。
この曲もキーはDだが、1音下げたJ-45で4フレットにカポをして弾いて
いる。
もちろんスタンダード・チューングで2カポでもかまわない。
<脚注>
病に伏せていたわけでもなく(体調の悪い期間もあったが)、燃え尽きたわけ
でもなく(笑)、他のことに専念していたからです。
その一つは、長年懸案だった昔の宅録やリハの音源の取り込み。
高校〜大学の頃の音源はカセットから20年前にMDに録音してあった。
カセットデッキは壊れて処分したし、残ってるテープもヘロヘロのはず。
できればMDからデジタルで取り込みたいところ。
が、PCにUSB接続できるMDウォークマンはとっくの昔に生産終了。
(あったとしてもMac非対応だけどね)
意を決してソニーのMDデッキとローランドのオーディオインターフェース
をMacに繋いだら。。。
おおっ、どちらもまだ生きているではないか!
MDデッキのオプチカル出力 → オーディオインターフェース → MacにUSB
接続 → GarageBand(Macの音楽制作アプリ)で取り込み編集。
2週間かけて膨大な音源をMP3にすることができた。めでたし、めでたし。
もう一つは、ギターの練習。
ビートルズの公式録音213曲ほぼ全曲制覇(Revolution No.9を除く)!
コードと主要なリフをコピーし、アルバムごとにメドレーで弾いていた。
改めてビートルズってすごい!と思う。
そしてドノヴァンをもう一度やり直すこと。
4年前にコピーしたのだが、久しぶりで弾こうとしたら覚えていない。
やれやれ、あんなに練習したのに(>_<)
もう一度、耳コピし直した。
不思議なことに、以前聴き取れなかった部分も今度はちゃんと解明できる。
20曲以上できた。
今度はすべてTAB譜にした。
TuxGuitarというソフトで1音ずつ入力するという根気の要る作業だけど、
なかなかきれいに仕上がる。
完成したTAB譜はPDFファイルで保存。
どう弾くんだっけ?という時でも簡単に確認できて便利である。
↑クリックすると使い方を説明したサイトに飛びます。
で、その「きれいにできたTAB譜」のサンプルをお見せしたいと思う。
曲はドノヴァンの「Jennifer Juniper」。
曲の内容、歌詞は以前ご紹介したのでこちらから。
ドノヴァンの曲の中でも特に親しみやすく、ポップなラヴ・ソングである。
スタジオ・ヴァージョンではオーボエやクラリネット、ストリングスの過剰
アレンジに隠れてギターは聴こえない。
が、ライヴではドノヴァンのスリーフィンガーが堪能できる。
↑クリックすると「Jennifer Juniper」が聴けます。
ドノヴァンの奏法でよく登場するのが、スリーフィンガーやアルペジオに
歌メロを乗せる、という技。
つまり歌歌と同じメロディーをなぞりながら、複雑なフィンガーピッキング
をしているのである。
この曲でもヴァースはずっと歌メロ+伴奏。
ブリッジ(サビ)の後半ではギターを歌メロと3度でハモらせている。
聴いてる分には簡単そうだが、実際に音を拾うとなるとこれが難しい。
ありがちなスリーフィンガーとは一線を画す、ドノヴァンならではのクセの
ある複雑なピッキングだからだ。
完コピできても、今度はそのとおり弾くのが至難の技(汗)
ジェイムス・テイラーなんかだと耳コピしやすく、何回か弾けば指が覚えて
くれるのだが、ドノヴァンではそうは行かない。
だからこそTAB譜にしておく必要があった。
「Jennifer Juniper」はドノヴァンの曲の中でも難易度が高い。
ではTAB譜を載せますので、挑戦してみてください♪
一つのコードでアサインされる音が少ないのもドノヴァンの特徴の一つだ。
たとえばローコードのGを弾く場合、ふつうは6〜1弦までまんべんなく使っ
て音を組み立てる。(ですよね?)
しかしドノヴァンはベースの6弦と4、3、2弦のみ。他はミュートする。
同じ弦、またはオクターブの弦を繰り返し弾くことで共鳴音が得られる。
6弦すべて弾く音の広がりよりも、ドノヴァンはコードの塊としての強い
響きを好んだのではないかと思う。
ジャズ・コードのヴォイシングにも通ずるものがあるかもしれない。
ドノヴァンはテンション・コードも多様している。
一つのコードで使用する弦が限られるということは、短い時間に同じ弦を
何度も弾くことになる。
この曲のようにテンポが早い場合、かなり複雑で忙しいフィンガーピッキ
ングが強いられるということだ。
右手の指がつりそうになる。
この曲を弾いて腱鞘炎になったとしても僕を責めないでください(笑)
ちなみに1965〜1970までドノヴァンが愛用していたギブソンJ-45(1)は、
シルク弦を1音低くチューニングし、カポを使用することが多かった。
その理由についてドノヴァンは「変則チューニングのような東洋的な響き
が欲しかったから」と説明している。(2)
弦を緩めることで振幅が大きくなりドローン効果が得られる。
その状態でカポをすると音は締まり、低音弦はより豊かになるのだ。
この曲もキーはDだが、1音下げたJ-45で4フレットにカポをして弾いて
いる。
もちろんスタンダード・チューングで2カポでもかまわない。
<脚注>
2017年2月25日土曜日
黒い河のほとり。黒い山のふもと。<ジミー・ペイジ続篇>
ジミー・ペイジの音楽性、ギター・スタイルがブリティッシュ・トラッドフォーク、
アイリッシュ、カントリー、インド音楽、アラブ音楽の影響を受けているということ
を前回書いたが、それがよく表れている曲が「Black Mountain Side」だ。
レッド・ツェッペリンのデビュー・アルバムのB面2曲目に入っている2分ちょっとの
短いインストゥルメンタル曲であるが、B面の流れを作るのに重要なブリッジとなり、
またアルバム全体にオリエンタルな独特のスパイスを与えている。
1曲目の「Your Time Is Gonna Come」がフェイドアウトしきらないうちに、イン
ド音楽風のアコースティック・ギターとタブラ(北インドの太鼓)による「Black
Mountain Side」が始まる。
その演奏がふっと唐突に終わり次の「Communication Breakdown」のイントロへ。
何度聴いてもカッコいい。
↑1970年BBCライヴ演奏の「Black Mountain Side」が聴けます。
ペイジはD♭A♭D♭G♭A♭オープン・チューニングのギブソンJ-200を弾いている。
CIA(Celtic, Indian & Arabic)チューニングをさらに半音下げているのだ。
テンションが緩いため共鳴弦のドローン効果が増し、東洋的な響きが得られる。
ペイジはこのチューニングについて以下のように語っている。
「ぼく流のケルトとインドとアラブの融合さ。
あのギターはインドのシタールのスタンダード・チューニングに似せてあるんだよ。
と言ってもインド風なところもあればアラブ的なところもあってね。
それらの組み合わせで出来上がった曲は最終的には西洋音楽色が強いかな」
ツェッペリンのファンにはよく知られている話だが、この「Black Mountain Side」
にはバート・ヤンシュ(1)の「Blackwaterside」という元ネタがある。
ヤンシュが英国トラッド・フォーク歌手アン・ブリッグス(2)に伝授されたアイルラ
ンド民謡「Down by Blackwaterside」(3)を独自のギター奏法でアレンジした曲だ。
ヤンシュの4枚目のアルバム「Jack Orion」(1966年)に初収録されている。
ツェッペリンのデビュー(1969年)の3年前のことだ。
ヤンシュのチューニングはDADGADまたはドロップD(DADGBE)らしい。
3フレットにカポをして(2フレットの時もある)弾いている。
↑バート・ヤンシュの「Blackwaterside」が視聴できます。
ペイジはこのヤンシュ版「Blackwaterside」の特徴的なギター奏法を自作のインス
ト曲に組み入れた「Black Mountain Side」を発表した。(4)
度を越した改竄、パクリ、盗作ではないかという人も多い。
ヤンシュは激怒したそうだ。
「有名なロックバンドのよく知られているやつがその演奏を持って行ったったんだ。
自分たちの録音にそのまま使っているよ」と言っている。
別のインタビューでは「もともとトラッドだから誰がどう演奏してもいい」と正反対
の答えをしてる。心中複雑なものがあったのではないだろうか。
地道にフォーク・クラブ(5)でキャリアを積み上げてきたヤンシュとしては、鳴り物入
りでデビューした人気バンドに無断でリフを使われて不愉快だったのは間違いない。
広い視野に立てば、音楽とは先人たちの礎に影響されながら形成されて行くものだし
、ツェッペリンという偉大なロック・バンドを刺戟し音楽的に成長させたヤンシュの
功績は大きいと言える。
ツェッペリンの「Black Mountain Side」をきっかけにヤンシュを聴くようになった
人も多いはずだ。さらに掘り下げてアン・ブリッグスを知った人もいるだろう。
問題は作曲クレジットである。
ヤンシュの「Blackwaterside」は(trad.arr.Jansch)と表記されていた。
ところがツェッペリンの「Black Mountain Side」は(Page)になっている。
作曲家・演奏家としては著作権(=印税)という現実的な問題も孕んでいるわけで、
元々は作者不詳の伝承歌をアレンジしたものを「自作」と称して印税を稼ぐのは
どうなのよ、ということになる。
またヤンシュの施したアレンジと奏法は著作隣接権の対象になるはずで、転用する
のであればヤンシュの名前がクレジットされるべきだろう。
キースがライ・クーダーのリフをパクった件も同じ。
でもそのおかげで「Honky Tonk Women」という名曲が世に出たのも事実。
1977年のインタビューでペイジは「あの曲は全部が僕のオリジナルじゃないんだ。
フォーク・クラブの功績さ。最初にあのリフを聴いたのはアン・ブリッグスの演奏だ。
同じように弾いたよ。次にバート・ヤンシュのヴァージョン。僕が知る限り、彼が
アコースティック演奏を結晶させたんだ」と転用を認めている。
また「一時は本当にバート・ヤンシュに心酔していた」ともペイジは語っている。
↑バート・ヤンシュとアン・ブリッグスの「Blackwaterside」が視聴できます。
実は初期のツェッペリの楽曲の中にはメンバーたちの著作権認識が甘く、後に問題
になり作曲クレジットを変更した例がいくつかある。(6)
「Black Mountain Side」は原曲がトラデッィショナルだったせいか訴訟問題に
は至らなかったが、作曲クレジットを(Trad. arranged by Jansch and Page)
に改めるべきだったのかもしれない。ヤンシュが生きているうちに。
しかしペイジはヤンシュの奏法を拝借したことは認めたものの、クレジットは変えず
(Page)のままで通している。なぜだろう?
「Black Mountain Side」をヤンシュの「Blackwaterside」に対する単なるオマー
ジュというだけではなく、ペイジの鋭敏な感性と考察によって換骨奪胎され、新たに
甦った混合体(アマルガム)と捉えるならば、それはもうペイジのオリジナルの領域ま
で昇華された作品と解釈することもできる。
だから彼は(Page)というクレジットに固執したのかもしれない。
↑プラントがブルースハープを吹いている。屋外で何の曲を録音してるのだろう?
余談だがツェッペリンのオフィシャル・フォーラムでは「Bron-Y-Aur Stomp」
もヤンシュの「The Waggoner's Lad」をベースにしているのではないか?いや
、違う曲だ、という論議がされている。
「The Waggoner's Lad」もトラディショナルで本来は歌がある。
ジョーン・バエズの歌を聴くと「Bron-Y-Aur Stomp」とはまったく違う曲。
ヤンシュのヴァージョンはインストゥルメンタルだ。
確かにギター奏法を聴くとペイジはこれを参考にしているようにも思えるけど、
まあ、これくらいいいじゃないの、名曲なんだから(笑)
ちなみにBron-Y-Aur Stompはウェールズ州スノウドニア地方ブロンイアーにある
コテージのこと。電気も通ってないらしい。
ツェッペリンのメンバーたちはここで休暇を過し曲作りをした。
Stompは足踏みの意。ステップを踏んで踊るダンスのこと。
「Bron-Y-Aur Stomp」はロバート・プラントが愛犬ストライダーに捧げた曲。
犬好きの僕としては嬉しくなってしまう。(7)
↑クリックすると1975年のライヴ演奏「Bron-Y-Aur Stomp」が視聴できます。
アイリッシュ、カントリー、インド音楽、アラブ音楽の影響を受けているということ
を前回書いたが、それがよく表れている曲が「Black Mountain Side」だ。
レッド・ツェッペリンのデビュー・アルバムのB面2曲目に入っている2分ちょっとの
短いインストゥルメンタル曲であるが、B面の流れを作るのに重要なブリッジとなり、
またアルバム全体にオリエンタルな独特のスパイスを与えている。
1曲目の「Your Time Is Gonna Come」がフェイドアウトしきらないうちに、イン
ド音楽風のアコースティック・ギターとタブラ(北インドの太鼓)による「Black
Mountain Side」が始まる。
その演奏がふっと唐突に終わり次の「Communication Breakdown」のイントロへ。
何度聴いてもカッコいい。
↑1970年BBCライヴ演奏の「Black Mountain Side」が聴けます。
ペイジはD♭A♭D♭G♭A♭オープン・チューニングのギブソンJ-200を弾いている。
CIA(Celtic, Indian & Arabic)チューニングをさらに半音下げているのだ。
テンションが緩いため共鳴弦のドローン効果が増し、東洋的な響きが得られる。
ペイジはこのチューニングについて以下のように語っている。
「ぼく流のケルトとインドとアラブの融合さ。
あのギターはインドのシタールのスタンダード・チューニングに似せてあるんだよ。
と言ってもインド風なところもあればアラブ的なところもあってね。
それらの組み合わせで出来上がった曲は最終的には西洋音楽色が強いかな」
ツェッペリンのファンにはよく知られている話だが、この「Black Mountain Side」
にはバート・ヤンシュ(1)の「Blackwaterside」という元ネタがある。
ヤンシュが英国トラッド・フォーク歌手アン・ブリッグス(2)に伝授されたアイルラ
ンド民謡「Down by Blackwaterside」(3)を独自のギター奏法でアレンジした曲だ。
ヤンシュの4枚目のアルバム「Jack Orion」(1966年)に初収録されている。
ツェッペリンのデビュー(1969年)の3年前のことだ。
ヤンシュのチューニングはDADGADまたはドロップD(DADGBE)らしい。
3フレットにカポをして(2フレットの時もある)弾いている。
↑バート・ヤンシュの「Blackwaterside」が視聴できます。
ペイジはこのヤンシュ版「Blackwaterside」の特徴的なギター奏法を自作のインス
ト曲に組み入れた「Black Mountain Side」を発表した。(4)
度を越した改竄、パクリ、盗作ではないかという人も多い。
ヤンシュは激怒したそうだ。
「有名なロックバンドのよく知られているやつがその演奏を持って行ったったんだ。
自分たちの録音にそのまま使っているよ」と言っている。
別のインタビューでは「もともとトラッドだから誰がどう演奏してもいい」と正反対
の答えをしてる。心中複雑なものがあったのではないだろうか。
地道にフォーク・クラブ(5)でキャリアを積み上げてきたヤンシュとしては、鳴り物入
りでデビューした人気バンドに無断でリフを使われて不愉快だったのは間違いない。
広い視野に立てば、音楽とは先人たちの礎に影響されながら形成されて行くものだし
、ツェッペリンという偉大なロック・バンドを刺戟し音楽的に成長させたヤンシュの
功績は大きいと言える。
ツェッペリンの「Black Mountain Side」をきっかけにヤンシュを聴くようになった
人も多いはずだ。さらに掘り下げてアン・ブリッグスを知った人もいるだろう。
問題は作曲クレジットである。
ヤンシュの「Blackwaterside」は(trad.arr.Jansch)と表記されていた。
ところがツェッペリンの「Black Mountain Side」は(Page)になっている。
作曲家・演奏家としては著作権(=印税)という現実的な問題も孕んでいるわけで、
元々は作者不詳の伝承歌をアレンジしたものを「自作」と称して印税を稼ぐのは
どうなのよ、ということになる。
またヤンシュの施したアレンジと奏法は著作隣接権の対象になるはずで、転用する
のであればヤンシュの名前がクレジットされるべきだろう。
キースがライ・クーダーのリフをパクった件も同じ。
でもそのおかげで「Honky Tonk Women」という名曲が世に出たのも事実。
1977年のインタビューでペイジは「あの曲は全部が僕のオリジナルじゃないんだ。
フォーク・クラブの功績さ。最初にあのリフを聴いたのはアン・ブリッグスの演奏だ。
同じように弾いたよ。次にバート・ヤンシュのヴァージョン。僕が知る限り、彼が
アコースティック演奏を結晶させたんだ」と転用を認めている。
また「一時は本当にバート・ヤンシュに心酔していた」ともペイジは語っている。
↑バート・ヤンシュとアン・ブリッグスの「Blackwaterside」が視聴できます。
実は初期のツェッペリの楽曲の中にはメンバーたちの著作権認識が甘く、後に問題
になり作曲クレジットを変更した例がいくつかある。(6)
「Black Mountain Side」は原曲がトラデッィショナルだったせいか訴訟問題に
は至らなかったが、作曲クレジットを(Trad. arranged by Jansch and Page)
に改めるべきだったのかもしれない。ヤンシュが生きているうちに。
しかしペイジはヤンシュの奏法を拝借したことは認めたものの、クレジットは変えず
(Page)のままで通している。なぜだろう?
「Black Mountain Side」をヤンシュの「Blackwaterside」に対する単なるオマー
ジュというだけではなく、ペイジの鋭敏な感性と考察によって換骨奪胎され、新たに
甦った混合体(アマルガム)と捉えるならば、それはもうペイジのオリジナルの領域ま
で昇華された作品と解釈することもできる。
だから彼は(Page)というクレジットに固執したのかもしれない。
↑プラントがブルースハープを吹いている。屋外で何の曲を録音してるのだろう?
余談だがツェッペリンのオフィシャル・フォーラムでは「Bron-Y-Aur Stomp」
もヤンシュの「The Waggoner's Lad」をベースにしているのではないか?いや
、違う曲だ、という論議がされている。
「The Waggoner's Lad」もトラディショナルで本来は歌がある。
ジョーン・バエズの歌を聴くと「Bron-Y-Aur Stomp」とはまったく違う曲。
ヤンシュのヴァージョンはインストゥルメンタルだ。
確かにギター奏法を聴くとペイジはこれを参考にしているようにも思えるけど、
まあ、これくらいいいじゃないの、名曲なんだから(笑)
ちなみにBron-Y-Aur Stompはウェールズ州スノウドニア地方ブロンイアーにある
コテージのこと。電気も通ってないらしい。
ツェッペリンのメンバーたちはここで休暇を過し曲作りをした。
Stompは足踏みの意。ステップを踏んで踊るダンスのこと。
「Bron-Y-Aur Stomp」はロバート・プラントが愛犬ストライダーに捧げた曲。
犬好きの僕としては嬉しくなってしまう。(7)
↑クリックすると1975年のライヴ演奏「Bron-Y-Aur Stomp」が視聴できます。
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