2015年8月16日日曜日

猿まねでは終わらない猿たちの反乱。

モンキーズは1965年にアメリカのNBC主催のオーディション(1)で選ばれた4人による
「作られた」バンドだ。

架空のアイドル・バンドをテーマにした音楽とコメディを織り交ぜたTV番組。
キャッチーな曲をTVで聴かせレコードのヒットにつなげるという新しい方程式(それまで
はヒット曲はラジオで作られていた)は、ビートルズの「A Hard Day’s Night」の成功を
研究し入念に仕掛けられたアメリカのショービジネス界らしい発想である。


         ↓モンキーズのスクリーン・テスト時の4人(若い!)


キャラクター重視で選ばれた4人にビートルズのような音楽性は求められていなかった。
マイク・ネスミス以外の3人は演奏力が低く、ハル・ブレイン、ジェイムズ・バートン、
グレン・キャンベル、ビル・ピットマンといった売れっ子ミュージシャンたちがサポート
していた。(2)

楽曲はトミー・ボイス&&ボビー・ハート、キャロル・キング&ゲリー・ゴフィン、ニー
ル・ダイアモンド、バリー・マン&シンシア・ウェイル、ニール・セダカ、ハリー・ニル
ソン、ジェフ・バリー、キャロル・ベイヤー・セイガーなどそうそうたる顔ぶれが提供し
ている。

つまりアメリカの音楽界きっての一流どころが結集したプロジェクトなのである。
悪かろうはずがない。
しかもデイヴィー、ミッキー、マイク、ピーターの4人は個性的で魅力的な歌声だった。


デビュー曲の「Last Train To Clarksville(恋の終列車)」は大ヒット。
同曲を収めたアルバム「The Monkees(邦題:恋の終列車)」(1966)も売れた。

しかし2枚目のアルバム「More Of The Monkees」(1967)の頃からメンバーたちに
自我が芽生え、自主性を要求し始める。





当初は2作目以降メンバーもアルバム制作に関われるという話だったが、プロデューサー
ドン・カーシュナー(3)は約束を反故にし既に収録済の音源(自分の音楽出版社所有
の楽曲)を集めメンバーが知らないうちにアルバムとして発売してしまった。

さらにカーシュナーは3枚目のシングル「A Little Bit me, A little Bit you」のB面を
マイク作曲の「The Girl I Knew Somewhere」という約束を反故にし、ジェフ・バリー
の「She Hangs Out」に無断で差し替えて発表する。

これにマイクが激怒し当初予定されていたカップリングのシングル盤を自主制作して「
これが本物の3rd.シングル」と記者会見を開き、クーデターを決行。
レコード会社もボイス&ハートもモンキーズ側につきカーシュナーは更迭される。



           ↑モンキーズとドン・カーシュナー


こうして初めてメンバーが自主的に関わった作品が前回紹介した「Headquarters」だ。
しかし「Pisces, Aquarius, Capricorn & Jones LTD. (邦題:スターコレクター)」
(1967)と「The Birds, The Bees & The Monkees(邦題:小鳥と蜂とモンキーズ)
」(1968)はツアーやTV収録で時間が取れず外部サポート依存に戻ってしまう。


そしてモンキーズは新たな局面に挑む。映画「HEAD」(1968)である。
ベトナム戦争を背景とした実験的な風刺劇はファンからは受け入れられなかった。
(日本では公開もされていない)

サントラ盤「HEAD」も難解であった。(当時周りは誰も買わなかったっけ)
この後ピーター・トークが脱退しモンキーズは急激に失速して行く。



    ↑「HEAD」のアルバム・ジャケット。当時は銀箔?のような紙だった。



2001年の映画「バニラ・スカイ」(監督:キャメロン・クロウ、主演:トム・クルーズ)
「HEAD」のテーマ曲「Porpose Song」(キング&ゴフィン)が使用されると、モン
キーズ再評価の気運が高まった。

この曲もいいが、同じく「HEAD」に収録されている「As We Go Along」(キング&
スターン)も味わい深い大好きな曲である。
聴いていてとても心地よい。それまでのモンキーズ・サウンドとは一線を画している。





クレジットを見ると、楽曲提供のキャロル・キングの他ライ・クーダー、ニール・ヤン
グ、ダニー・コーチマー、ラス・タイトルマンと’70年代のアメリカの音楽を担うミュー
ジシャンたちが参加しているではないか!

1968年のモンキーズの実験的なアルバムで次世代の音楽が始まっていたんだなあ、と
実に感慨深かった。

<脚注>

(1) 1965年にNBC主催で行われたオーディションには437人が集まった。
中にはジョン・セバスチャン、ヴァン・ダイク・パークス、ダニー・ハットン(スリー・ド
ッグ・ナイト)、後に CS&Nとして売れたスティーヴン・スティルスもいた。
スティルスは歯並びが悪くて髪が汚いという理由で不合格になったが(笑)、代わりに
ピーター・トークを推薦している。(えらい!)


(2) モンキーズ来日公演では彼らは口パクで合わせているだけで、バックで演奏していた
のはオックスだったとか、フローラル(小坂忠、柳田ヒロ)だったという噂があった。
フローラルはモンキーズの前座を務めていて、モンキーズの演奏3曲にも参加している。
しかし基本的にはメンバーがちゃんと演奏していた。
少なくともオックスには頼まないでしょ。いくらなんでも(笑)


(3)ドン・カーシュナーは音楽プロデューサーで、ヒット曲を聴き分ける黄金の耳を持つ
(The Man With the Golden Ear)と言われていた。
’50年代~'60年代のアメリカのポピュラー音楽、ロックの発展への功績は大きい。
まだ無名だったニール・ダイアモンドを起用しモンキーズの楽曲を書かせヒットさせたの
も、ティーンエイジャーの心をつかむカーシュナーの天性の勘である。

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