2016年4月20日水曜日

ジェイムス・テイラーのギターと音楽性の関係(上)

ギブソンJ-50と共に築いた第1ゴールデン期

どういう因果関係なのか分からないが、ジェイムス・テイラーはギターを変える
毎に彼の音楽の方向性も違うものになっている。


ジェイムス・テイラーといえば多くの人がギブソンのJ-50を思い浮かべるだろう。
1960年代のピックガードが剥がされたJ-50は彼のドレードマークでもあった。

この年代のJ-50はアジャスタブル・ブリッジである。
サドルが固定されていないということは、弦の振動をボディーに伝えるためには
デメリットであるわけだが、このことがかえって鳴りすぎない、押し殺したよう
な独特のサウンドを生む要因になった。





細野晴臣ははっぴいえんどで「風をあつめて」を演奏する際ジェイムス・テイラー
の音が欲しくて1960年代のJ-50を買ったことを明かしている。
彼によるとJ-50とJ-45は微妙に音が違うらしい。(1)

J-45はJ-50の姉妹機種で色がサンバーストである以外違いはないように思えるが、
塗装で隠せるためトップ材の木目をJ-50より落としてあるという話だ。




J-45は1942年に発売されているがこの時の価格は$45。(型番は価格に由来)
1947年に発売されたJ-50は$50であった。
この時の広告を見るとJ-45は$45のままでJ-50は$50。
価格差を考えると前述のトップ材の木目の話は本当かもしれない。

だからと言ってJ-50がJ-45よりいい音だというわけではない。好みの問題だ。
J-45の方を好む人も多い。正直言って僕には違いがぜんぜん分からない。


この辺がギターという楽器のおもしろいところで、必ずしも木材のグレードがいい
と音がよくなるわけでもないし、よく鳴るから心地よい音というわけでもない。

要は絶妙なバランスなのである。木材、形状、力木、パーツ、職人、塗装。。。
おそらく造っている側もその時点では予測できないようなものなのだろう。



とにかくJ-50とJ-45は名器である。
やや無骨でストイックな、それでいて甘さのある独特な音のキャラクターはマーテ
ィンのきらびやかな鈴鳴りの音とは対極的ともいえるかもしれない。

ジェイムス・テイラーのブルースとカントリー、フォークを融合した独自のフィン
ガーピッキングで奏でるJ-50の音、そしてゴールデンボイスとも称された艶やかな
ハリのある、かつブルージーな歌声はたまらなく魅力的であった。



↑写真をクリックすると1970年のBBCスタジオ・ライブが視聴できます。

<セットリスト>
With A Little Help From My Friends 
Fire And Rain 
Rainy Day Man 
Steamroller 
Tube Rose Snuff Commercials
Carolina In My Mind
Long Ago And Far Away
Riding On A Railroad
You Can Close Your Eyes



さて、そのJ-50であるが彼がワーナーブラザーズ移籍後リリースした3枚のアルバ
ムで使用されている。

Sweet Baby James(1970)  
Mud Slide Slim and the Blue Horizon(1971) 
One Man Dog(1972) 

たった3枚だけ?という気もするが。
世界中のフォーク、ロック・ファンをノックアウトするには3枚でも充分だった。

この3枚のアルバムを録音した1970〜1972年はジェイムス・テイラーの第1ゴール
デン期でありそれを築いた愛器があのJ-50であったのは確かである。


いや、実はもう一枚あるはずだった。
ワーナーはOne Man Dog(1972)の後、Walking Man(1974)発売まで間が空く
ため1972年にオークランドで録音されたライブ盤を出すことを考えていたのだ。


それがこれ↓2002年に発売されたオフィシャル並み高音質のブートである。
ワーナーさん、そろそろ正規盤を出してくれないかなー。




ワーナーブラザーズ移籍前、つまり1968年にアップル・レコードからデビューした
際、またそれより遡って1966〜1967年フライングマシーン時代に彼が使っていた
ギターについては明らかでない。

アップルのプロモーションビデオでジェイムス・テイラーはJ-160E(2)を弾いてる。
このJ-160Eは彼のものなのか?誰かに借りたのだろうか?
これをレコーディングに使ったのか?


ジョン・レノンの1964年製J-160Eはこの時期塗装を剥がされナチュラルであった。
ジョージ・ハリソンの1962年製J-160Eはサウンドホール回りの白いリングが一本
だから、ジェイムス・テイラーが弾いてるものとは違う。(3)

実はポール・マッカートニーもJ-160Eを持っているが、1970年以降に製造された
スクエアショルダーのレッドサンバーストであるのでこれも除外。


残る可能性はアップルでプロデュースを担当したピーター・アッシャーがピーター
&ゴードン時代の相棒であったゴードン・ウォーラーから借りた?という線。(4)
このフィルムはオーディションであり、ジェイムスがギターを持参していなかった
ため急遽ピーター・アッシャーが調達した?とも考えられる。


そのままJ-160Eをレコーディングに使ったのか?
既にJ-50を所有していて、英国にも持参しそれを使ったのか?不明である。

アップルのデビュー盤を聴く限り僕には判別できなかった。
オール合板のJ-160Eは鳴らないけど音の傾向はわりとJ-45に近い。



↑写真をクリックするとアップルのプロモーションビデオが視聴できます。


ジェイムス・テイラーのJ-50は人から勧められて、サドル下にピエゾ・ピックアッ
プを装填したことで音が変わってしまったそうである。
アジャスタブル・ブリッジにフロートされたセラミック製のサドルを外して、固定
のサドルをセットしたことで独特の音のキャラクターが損なわれたのだろう。

「いいギターだったのに。後悔している」とジェイムス・テイラーは語っている。


1973年2月の初来日の際はJ-50のサウンドホールに何か蓋をガムテープで固定して
いる(ハウリング防止のための措置)が写真で確認できる。(5)
ブリッジの上にコンタクト・ピックアップを貼り付けているのか、この時点で彼が
後悔しているサドル下にマウントしたピックアップなのかは分からない。

少なくとも1973年前半までJ-50を使っていたことだけは確かなようで、日本のファ
ンは彼があのJ-50を弾く姿を拝めたわけだ。

(続く)


<脚注>

(1)ギブソンJ-45とJ-50
マーティンのD(ドレッドノート)シリーズに対抗すべくギブソンが1934年から
製造を開始したJ(ジャンボ)シリーズの一つで、J-45は1942年に発売された。
「45」は発売時の価格が45ドルであったことにちなむ命名とされる。

1969年までのモデルはラウンドショルダーと呼ばれ、ボディの上部が丸みを帯び
たなで肩のような形を持つことで親しまれている。
1955年からはピックガードが大きくなり調整が可能なアジャスタブル・ブリッジ
が採用された。
色はブラックサンバーストだが1960年代にチェリーサンバースト、エボニー(黒)
、ワインレッドも少数だが造られている。

1947年に発売されたJ-50はJ-45のナチュラル・カラー版である。
「50」は発売時の価格が50ドルであったことに由来している。
J-50はトップ材の木目が目立つため優先的に良い木材が使われていたらしい。

尚1990年以降モンタナで再生産されたリイシュー・モデルは1950年代のJ-45を
ベースに通常ブリッジの小さなピックガード、やや太めのネックになっている。
色はナチュラルとサンバーストで型番はJ-45に統一された。
限定で1960年代の仕様を再現したチェリーサンバーストのモデルやエボニーの
斉藤和義シグネチャーも発売されている。




(2)ギブソンJ-160E
1954年から生産が開始されたエレクトリック・アコースティックの元祖モデル。
ビートルズが愛用した楽器として有名になった。

基本構造はJ-45のボディにエレクトリックギター用P-90ピックアップを搭載した
ものであるが、その際ネックを少し外に出してサウンドホールとの間にピックア
ップを埋め込むスペースを確保している。
そのためJ-160Eは15フレットジョイントになっている。(通常は14フレット)

エレクトリックギターとして使用した時のハウリングを抑えるため、ボディ内部
の力木はラダー・ブレイシング(J−45はX−ブレイシング)を採用。
また同じ理由でトップ、サイド、バックすべて合板で生鳴りを少なくする措置が
施されている。(初期はトップが単板であったがすぐ変更された)
このためJ−45より音量も小さくサスティンも短く独特の硬めの音色が特徴だ。
アジャスタブル・ブリッジも鳴りを抑えるのに寄与している。

ジョン・レノンはこの箱鳴りしないギターをかき鳴らすことで、パーカッシブ
なストローク音をビートルズのサウンドにもたらした。

尚1990年以降モンタナで再生産されたリイシュー・モデルはオール単板で通常
ブリッジの箱鳴りするJ-160E(ほぼJ-45と同じ)に変更されている。
ピックアップもP-90を改良してノイズを軽減したP-100を搭載している。
現在はこの他に1964年製と同じ仕様のJ-160Eも限定で発売されている。


(3)ジョン・レノンとジョージ・ハリソンのJ-160E
ジョンとジョージは1962年9月にリバプールで唯一輸入楽器を取り扱っていた
ラッシュワース楽器店でそれぞれJ-160Eを購入している。
当時ギブソン社のイギリス代理店だったセルマー社に在庫が無く、わざわざ米国
から航空便で取り寄せられた。

ジョンは1年ほど使ってからジョージのJ-160Eと交換している。
理由は分からない。

この交換の後ジョンのJ-160E(元はジョージのものであった)は1963年12月に
ロンドンのアストリア劇場で盗難に遭う。
その後ジョンは1964年製のJ-160Eを新たに購入。
(サウンドホールの周りの白いリングが一本だったのが二重に変更されている)
二本目のJ-160Eは1967年にサイケデリック・ペインティングが施され、1968年
にはエピフォン・カジノと一緒に塗装を剥がされナチュラルになっている。

ジョンは1962年製がお気に入りのようでレコーディングやライヴではジョージの
J-160E(元はジョン所有だった)を借りて使っている。
このJ-160Eはピックアップがサウンドホールに移されていた時期があり、その
取り付け痕が残っている。

ジョンも使用したジョージの1962年製J-160Eはハリソン家で保管されている。
紛失していたジョンの1962年製J-160E(元はジョージ所有)は2015年に所在が
分かり、オークションで約3億円で落札された。




(4)ピーター・アッシャーとジェイムス・テイラー
ピーター・アッシャーはピーター&ゴードンというデュオで1963年にデビュー。
彼の妹、女優のジェーン・アッシャーがポールの恋人であったことからデビュー曲
「World Without Love」などマッカートニーの楽曲提供を受けヒットさせている。
グループ解散後ピーター・アッシャーはビートルズが設立したアップル・レコード
のプロデューサーとして雇われる。

アップルから売り出す新人を探していた彼は、ピーター&ゴードンがアメリカでツ
アーを行った際にバックを務めたキングビーズのダニー・コーチマーから旧友の
ジェイムス・テイラーを推薦される。
ポール、ジョージ・ハリソンにも気に入られたジェイムスはピーター・アッシャー
のプロデュース、ポールのベース参加でデビュー作「James Taylor」を録音。

しかし出来はぱっとせずセールス的にも不調。
ポールとジェーン・アッシャーが破局を迎えたことで兄のピーターとも険悪になり、
彼は閑職に追いやられる。
新天地を求めてピーター・アッシャーはジェイムスと共にロサンゼルスへ渡り、ワ
ーナー・ブラザーズと契約。
再デビュー作「Sweet Baby James」がヒット。
続いてリンダ・ロンシュタットのプロデュースも手掛け成功している。

(左:ジェイムス・テイラー、右:ピーター・アッシャー)


(5)ジェイムス・テイラー初来日
1973年2月に初来日し東京厚生年金、大阪フェスティバルホール、名古屋市民会館、
渋谷公会堂、札幌厚生年金でコンサートを行っている。
2月9日の東京厚生年金のみ当時の奥方カーリー・サイモンが出演し「You`re So 
Vain」をデュエットしている。

2月9日公演は2種類のブートレッグ音源がある。
1つはオーディエンス録音で1部のザ・セクションの演奏から全て収録されている。
もう1つはサウンドボードからカセットに落としたと思われる音源で、ジェイムス
・テイラーの部のみ。
音質は良好だが観客の音が小さいため臨場感には欠ける。

J-50はチューナーがクルーソンからシャーラーに交換されている。
この時点でサドル下ピックアップへの改造も一緒にやっていた可能性は高い。
サウンドボード音源を聴く限り、ピックアップから拾った音はこの時代にしては
良好である。




<参考資料:ギターマガジン、ビートルズギア他>

9 件のコメント:

Betts さんのコメント...

無造作にサウンドホールを塞いだだけのギターに、どうしてあんなにも心魅かれたのでしょう?

あの時代を知る者にとって、JTのJ-50は特別なギターのうちの1本ですね。
レコードで何度も音を聴いて、音楽雑誌やレコードジャケットに写るJ-50を飽きることなくいつまでも眺め続け、半ば恋心にも似た感情を抱きつつ、いざ実際に実物を手にする機会を得て、ジャーンと鳴らしてみると・・・「え?」って。(笑)
周りにはマーティンや「目指せマーティン!」の国産ギターの音ばかりだったので
>鳴りすぎない、押し殺したような独特のサウンド
に、私は正直言って面を喰らった(?)感じになったものでした。
コンディションのよいJ-50や、たとえばグレッチ・ランチャーのような音は、あの当時以前には、そんなにまだ一般受け(?)はしていなかったように思います。「JTのJ-50は良い音である」という認識が、その後の指標のひとつになったというか?
歌もののバッキングのギターの音色としては、誰もが認める最上質のもののひとつですものね。
ピックガードレスであることを含めてその音色に対するJTのこだわりを、J-50という「形」を通して私は見ていたような気がします。

そんな私も“舶来品ギター”というだけで崇め奉っていた頃でした。(笑)

アメリカ帰りの知人が「あれはBarcus Berryだ」と言うのを聞いて以来ずっと、来日公演でのJTのコンタクトP.U.(?)がそうだと信じて疑わなかったのですが、イエロードッグさんがそのことに触れていないということは、どうやらガセネタだったのでしょうね。(笑)
'75 拓郎・かくや姫のつま恋ではまだ、拓郎のギターのサウンドホールを狙ったマイクがセッティングされていましたから、'73 のアコギ用のコンタクトP.U.には興味深々だったことを思い出しました。
当時はまだ、“来日公演”というだけでステージ上やミキシングコンソール辺りに初めて見るものがたくさんあって楽しかったものです。

今回話題のJ-50は、今息子のBenが所有しているようですね。

お邪魔いたしました。
それでは、後編も楽しみにしています。

イエロードッグ さんのコメント...

>Bettsさん

高校生の頃、友人が「ジェイムス・テイラーがやってるから」とヤマハFG-180
のピックガードを剥がして得意げでした。
ギブソンの音、憧れましたね。
JTのJ-50、キース・リチャーズのハミングバード、ジョン・レノンのJ-160E、
グレッグレイクのJ-200、ドノヴァンのJ-45、吉田拓郎のJ-45、ポール・マッカー
トニーのエピフォンFT-79N Texan。。。。。
どうしてあんな音が出るんだろう、と思いました。

別な友人のお兄さんがギブソンを持ってて一度弾かせてもらったのですが、拍子
抜けするくらい鳴らないしあのギブソンらしい音でもありませんでした。
今思えばそのギブソンはB-25かL-2だったのではないかと思います。
まあ、B-25にJ-45の迫力を期待するのはお門違いなんでけどね。
そんなことも知らない高校生でした。
弾かせてもらったのが屋外というのもあったのかも。
ギブソンはマーティンみたいな音が飛ぶギターじゃないですから、周囲の雑音に
紛れてボソッと鳴ってという感じだったのかもしれないです。

僕たちが聴いてたのはプロのエンジニアがしっかりしたマイキングで録音した音
なんですよね。
宅録やっててJ-160E(オール単板のリイシュー)には泣かされました。
マーティンやテーラーみたいにバランス良く音が取れないんです。
弦や弾く位置(フレット)によって音圧がぜんぜん違うんですよ。
低音弦のハイポジションにレベルを合わせると高音弦は音が小さすぎとか。
ソニーのコンデンサーマイクで適当に録音するんじゃダメで、ノイマンでベスト
ポジションを狙ってコンプもかけてあの迫力の音になるんじゃないかと思います。

ギブソンって弦やチューニングでもすごく個性の出るギターだと思うんですよ。

ドノヴァンはJ-45にあえてシルク弦を張って1音下げてチューニングして、さらに
多くの場合カポを使用しています。
チューニングを下げることで弦の振幅は大きくなり低音が強くなり、カポをする
ことで今度はテンションがかかりその低音に張りが出ます。
この音に恋い焦がれるくらい憧れていたのですが、アジジャスタブル・ブリッジ
の1960年代のJ-45をそういう条件で弾いてたことは知りませんでした。
https://youtu.be/dqakOS_k22Y

ポールのTexanも常に1音下げてチューニングしてあります。
(J-50より長い25.4スケールなのでクルーソンの糸巻きではきつかったのかも)
Yesterdayの6弦がベンベン言う緩んだ音もこのためでした。

ジョンはJ-160Eにエレキ用のニッケル弦を張っていました。
実は僕のJ-160E(ジョンのと違って単板ですが)もライトゲージではなくアーニ
ボールの10や09を張った方が「らしい」音が出ます。

拓郎のJ-45はギブソンやマーティンのライトゲージじゃダメでヤマハのライトゲー
ジは相性がいい、と当時言ってました。

貧乏学生にはギブソンなんて高嶺の花でグレコがやってたキャンダという別ブラ
ンドのダヴを手に入れて(これがけっこうギブソンっぽいいい音だったんです)
喜んでいました。(続く)

イエロードッグ さんのコメント...

>Bettsさん

イーグルスなどウエストコースト系ばかり聴くようになって(周囲もそうでした)
しだいにマーティンに憧れるようになります。
社会人になって念願のD-18を手に入れ、それ以来マーティンの小ぶりのモデルを
いろいろ浮気してOM-28 Customで落ち着きました。

しかし最近またギブソンに気持ちが戻っています。
マーティンほどちゃんとしていないズボラでぶっきらぼうなところ(笑)、鳴り
すぎないのところがいいのかもしれません。

実はかねてから「ゆくゆくは」と思っていたギター総入れ替え計画を実践しよう
かという気になっています。
また改めてご報告しますねー♪


さて、1973年のJT初来日の時のJ-50のピックアップですが。
僕もブートを聴く限りバーカスベリーのコンタクト型ではないかと思いました。
サドル下のリボン型トランスデューサーにしては箱鳴り感がありすぎるんです。
サドル下だと弦の振動を直接拾うから音像はクリアですが箱鳴り感は出ない。
コンタクト型はトップの振動を拾うのでマイクほどのエアー感はないにしても、
ある程度の箱鳴り感は出ます。
ただしサドル下よりは音の輪郭がぼけます。

つまり初来日の時点ではまだアジャスタブルブリッジのままでピエゾは埋め込ん
でいなくて、ブリッジの表または裏側にコンタクト型を付けてたのではないか、
というのが僕の想像です。
少なくとも立ちマイクではないです。
セクションのバンドの音に負けずに音を出してますからね。

そしてコンタクト型ならこの時代はバーカスベリーが一番優秀です。
PAの腕しだいでは本当にいい音がするんですよ。
僕もD-18のブリッジ裏にバーカスベリーを付けてましたけど、PAもいないし
当時はエレアコ用アンプもないからツインリバーブなんかで鳴らしてて(笑)
ただカリカリしてるだけでひどい音でした。

初来日の音源ですが、聴きようによってはマーク・ホワイトブックにバーカス
ベリーを付けてる1974〜1980年の音にも聴こえるんです。
これは続編で書くつもりですが、JTはホワイトブックについて「ギブソンとマー
ティンの中間のような音」と表現しています。
確かに見た目はマーティンだけど低音弦の鳴り方とかギブソンっぽいような。。。
(わかりますか?)

あれだけ長いキャリアでJTが王道のマーティンを使っていないのは不思議な気も
しますが、J-50の音のキャラが彼自身にも強烈すぎたのでしょうか。

ベン・テイラー、ハミングバードも使ってますね。
笑っちゃうくらいそっくりです。
https://youtu.be/OQAx0XILDbM

Betts さんのコメント...

'73

私はコンタクト型もバーカスベリーも知らなかったのです。^^;
JTのJ-50のサウンドホールが塞がれていることにまず驚きましたし、
ブリッジ横に留められている小さな四角いコルク片のようなものも、
初めはトップの振動を抑えるミュートなのかと思っていました。
ただ、そのチップから出ているケーブルも要所をボディにテープで留められているし、JTの辺りが何だかスッキリしていると思ったらギターの音を拾うマイクがセッティングされていないことに気が付いて・・・

「あれは・・・小型のギターマイクなのか???」

その結論に達したときの私は、それはそれは驚いていたのでした。(笑)

後日知人が言った「あれはBarcus Berryだ」は、あながち的外れでもなかったのですね?
ええ、コンタクト型のマイク(?)はJ-50のボディトップ・ブリッジ横に取り付けられていましたよ。

"CANDA" 懐かしいですね。(笑)

ところでイエロードッグさん、「ギター総入れ替え計画」?
ほう・・・遂にエメラルドが来ましたね?(笑)

イエロードッグ さんのコメント...

>Bettsさん

1973年のJT来日の頃はピックアップのことなんてぜんぜん知りました。
写真を見るとガムテープなんか貼ってるので、こんなことして塗装が剥がれない
のだろうか?ずいぶん雑なことをするなーとは思いました。

マーク・ボランとかサウンドホールにマグネット型をつけてる人は1960年代から
いましたよね。
昔のマグネット型はエレキみたいにな音だったはずです。
イーグルスの初期のグレン・フライもサウンドホールPUでした。

1970年代半ばからオベイションが一斉を風靡しましたよね。
オベイションを買うか?マーティンでバーカスベリーか?マーティンでサンライズ
のマグネット型をサウンドホールに装着するか?という選択肢でした。
バンドの相方はオベイションを、僕はマーティン+バーカスベリーにしました。
二人ともピーヴィーとかツインリバーブにつないでたのでひどい音でしたが。

バーカスベリーの実力を知ったのはリンダのコンサートでした。
ダン・ダグモアがD-28をプラグインですばらしい音で鳴らしていたんです。
アリーナ最前列でしたからギターもよく見えます。
ブリッジ、トップには何も見えないので内部に取り付けていたようです。
「バーカスベリー」と書いてあったわけではないけど(笑)、あの頃は最良の方
法だったのできっとそうだと確信しています。

ジャクソン・ブラウンは(グーリアンというギターでしたっけ?)バーカスベリ
ーにサンライズを加えて温かみを出している、とインタビューで答えてました。

僕の場合、バーカスベリーもサンライズ音を追求してではなく「憧れのアーティ
ストが使ってるから」というファッションだったと思います。

でもサンライズの音は好きですね。深みがあります。
開発されて40年経ちますが、いまだにこれ以上のマグネット型はないです。
ただ大きくて重いからトップに負担がかかるのと、弾く時ちょっと煩わしい。
JTはマグネット型を使わないですね。

オールソンはL.R.バグズのアンダーサドルPUですが、内部に仕込んだコンデン
サー・マイクで拾ったエア感とミックスするタイプのようです。
楽器屋さんで試してみたけどハウリングがひどいだけでした。
やはり腕のいいミキサーが付いててこそのシステムなんでしょうね。

エメラルドのカーボンファイバー・ギター、今日届きました!
でもギター総入れ替え計画はこれとは別なんです。ふふふ。
今度改めてミクシィでメッセしますね♪

Unknown さんのコメント...

62歳のジジイです。45年前に買ったJ-50DXを最近リペアに出した弾いてます。鳴りが凄くJTが良い感じ。いま、ピックガード外して再塗装中です。
先日、D-45を某楽器店から購入しました。「最後の1本」です。やはり最高ですね。ニールヤング 、CSN弾いてます。

Unknown さんのコメント...

そうそう、One nan dogの写真に憧れて同じ福探し中 www
犬を除いてゲット済み。ネクタイがなかなか無いのよね!JT並みに禿げてますからそっちは大丈夫なんですが www

イエロードッグ さんのコメント...

>Kazuhiro Naritaさん

J-50DXというと1970年代にスクエアショルダーになってからのですね。
ギブソンもマーティンも憧れましたが学生時代はとても手が出ませんでした、
当時グレコがギブソンのアコースティックのコピーをCANDAというブランド
で出し始めたんですが、J-45タイプはスクエアショルダーでした。
僕はレッドサンバーストのDOVEを買いました。

D-45、鳴るんでしょうね。
個人的には見た目がもっと地味なギターに惹かれます。
00-18、00-21、0-18とか。
最初のマーティンはD-18でした。

イエロードッグ さんのコメント...

>Kazuhiro Naritaさん

One Man Dog のJT、カッコイイですよね。
いかにもアメリカっぽい。
でも自分がやってもサマにならないような。
このジャーマン・シェパードは彼本人の愛犬だったのでしょうか。
水が怖いのか、JTの足にぴったり寄り添ってますね。かわいい。
犬好きでシェパードにも憧れがあるので、この写真はますます好きです。